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ショートレビュー「ソウルメイト・・・・・評価額1700円」
2024年03月02日 (土) | 編集 |
わたしたちには“秘密”がある。

デレク・ツァンの2016年の名作「ソウルメイト/七月と安生」を、「短い記憶」のミン・ヨングン監督が韓国でリメイクした作品。
共に1988年生まれで、小学生の頃に出会い、誰よりも固い友情で結ばれた対照的な二人の女性の、20年以上にわたる魂の絆の物語。
単なるローカライズにとどまらず、様々な工夫が凝らされてオリジナルに勝るとも劣らぬ、素晴らしい作品になっている。
オリジナルではチョウ・ドンユイとマー・スーチェンが安生と七月を演じたが、本作では安生にあたるミソを「The Witch 魔女」のキム・ダミが、七月にあたるハウンをNetflixドラマ版「寄生獣 ザ・グレイ」のチョン・ソニが演じる。
※核心部分に触れています。

発端は、公募展で大賞に選ばれた“ハウン”という画家の超細密画。
そこに描かれていたのは、17歳の頃のミソの姿
ハウンの連絡先が分からないという美術館が、モデルのミソに作者と連絡をとって欲しいと依頼してくるところから物語がはじまる。

訳ありの母子家庭で育った奔放なミソと、愛情あふれる両親のもとで育った優等生のハウンが出会ったのは、済州島の小学校
家庭環境や性格は対照的なのに、二人はなぜか馬があって親友に。
ミソが男に走った母親に捨てられると、彼女はハウンの家で面倒を見られることになり、中学を出ると住み込みで働きながら商業高校に通う。
一方のハウンは同じ高校に通うジヌと恋に落ちるのだが、ジヌはミソに対しても友情だけではない感情を抱いており、微妙な三角関係がミソとハウンの間にも小さな亀裂を生む。
やがて、ミソは世界を放浪することを夢見てソウルに出て、ハウンは堅実に地元に留まり教師を目指す。

大筋はオリジナルに忠実なリメイクだが、細かな脚色は多岐にわたる。
二人が育つ舞台を済州島に設定し、島ならではの閉塞感と本土への距離感を加える。
ジヌを挟むことで疎遠になっていた二人を再び結びつけるモチーフは、オリジナルでは七月の書いたネット小説「七月と安生」という設定だったが、こちらでは共通の趣味である絵画にしている。
この絵画というモチーフが、秀逸に本作を特徴付けるのだが、脚色のベクトルはただ一つ。
「ソウルメイト」というタイトル通り、“二人の魂の一体化”という意味をより純化させているのである。

冒頭とラストに出てくる、17歳のミソの一瞬の表情を捉えた超細密画は、時を永遠に閉じ込めた記憶の器のようだ。
それはジヌの存在によって関係が変わる直前、二人にとっての青春の黄金時代
実は冒頭の時点で、ハウンはもうこの世にいない。
ジヌと別れた後、彼との子を秘密裏に産んだ時、容体が急変して亡くなってしまったのだ。
ミソはハウンの残した子を育てながら、未完のままだった彼女の絵をハウンの名で自らが完成させることで、彼女の魂と同化しようとするのである。
そしてもう一つの二人の共同作品が、オリジナルのネット小説にあたるハウンのブログ。
二人の人生の目標として、ユーラシア大陸の旅行があるのは共通だが、虚実が入り混じる描写は「ああミソの中では、自由になったハウンは世界をずっと旅しているのだな」と、話を知っていても、ミソの想いに涙腺が決壊。
デレク・ツァンは岩井俊二に強い影響を受けていて、オリジナルには「Love Letter」から「花とアリス」「リップヴァンウィンクルの花嫁」などに見られる、二人の女性の間にある青春の輝きと喪失の痛みの要素が見え隠れしていたが、本作もそれは同様。
独特のエモさに、心が揺さぶられっぱなしの124分だ。

今回はカクテルの「ビタースイート」をチョイス。
ドライ・ベルモット25mlとスイート・ベルモット25ml、オレンジ・ビターズ1dash、アンゴスチュラ・ビターズ1dashを、氷を入れたミキシンググラスで軽くステアし、グラスに注ぐ。
最後にオレンジピールを一片入れて完成。
ほんのり痛くて甘酸っぱい、青春の光と影の味。 

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落下の解剖学・・・・・評価額1750円
2024年02月26日 (月) | 編集 |
形あるものは変わってゆく。

雪深いフレンチアルプスの山荘で、ある男が転落死し、小説家の妻が殺人容疑で起訴される。
物的証拠はなく、遺書も目撃者もいない。
これは殺人なのか、自殺なのか、はたまた事故なのか。
監督・共同脚本を務めるのは、ジュスティーヌ・トリエ。
彼女はコロナ禍でロックダウン中の2020年に、パートナーのアルチュール・アラリとお互いが書いたものをメールでやり取りする形で、パズルのように脚本を組み上げたという。
男はなぜ死んだのか?
検察と弁護双方が状況証拠を積み重ね、先の読めない裁判劇は終始スリリングに展開する。
疑いをかけられる小説家サンドラにサンドラ・ヒュラー、彼女の息子でキーパーソンとなるダニエルをミロ・マシャド・グラネールが演じる。
第76回カンヌ国際映画祭で最高賞のパルム・ドールに輝き、セザール賞では主要6部門を制覇。
まもなく発表される米アカデミー賞でも、作品賞、監督賞、主演女優賞など5部門でノミネートを果たしている話題作だ。
※核心部分に触れています。

小説家のサンドラ(サンドラ・ヒュラー)は、夫のサミュエル(サミュエル・タイス)、息子のダニエル(ミロ・マシャド・グラネール)と共に、グルノーブルからほど近いフレンチアルプスの山荘に住んでいる。
その日、サンドラは学生からインタビューを受けていたのだが、サミュエルが大音響で音楽を流しながら内装工事をはじめたために中止。
学生は帰宅し、目の不自由なダニエルは、犬のスヌープを伴って散歩にでかける。
しばらくして、ダニエルが帰宅すると、家の前にサミュエルが倒れて死んでいるのを発見する。
遺書はなく、状況的に事故とも考え難い。
警察は事件当時は寝ていたと主張するサンドラの証言を疑い、状況証拠から彼女をサミュエル殺害の容疑で起訴する。
サンドラは元恋人の弁護士ヴィンセント(スワン・アルロー)に弁護を依頼し、サミュエルは自殺だったと主張する。
検察と弁護の主張が真っ向から対立する中、世間も注目する裁判がはじまる・・・


「落下の解剖学(Anatomie d'une chute)」という、ちょっと不思議な響きのタイトルが秀逸。
夫の墜落死という一つの事象を解き明かすために、ある家族の知られざる姿が、少しづつ”解剖”されてゆく。
物語を構成する様々な要素が、緻密に組み合わされた脚本の構成はまさにパズルのようで、観客を幻惑する。
情報は基本的に物語の進行と共に少しずつ明かされ、説明的な描写は極力排除されている。
観客は裁判の参審員になった様な感覚で、息詰まる公判の行方を見守ることになる。

冒頭、サンドラが山荘のリビングで学生のインタビューを受ける描写で、彼女が作家であることが分かる。
学生は仕事について聞こうとするのだが、なぜかサンドラは答えをはぐらかし、逆に学生のことを聞こうとする。
曖昧なやり取りが繰り返されているうちに、突然大音響の音楽が流れはじめ、なし崩し的にインタビューは中止となってしまう。
この短いシーンだけで、幾つもの疑問が頭に浮かぶ。
なぜサンドラは、学生の質問に率直に答えないのだろう?なぜサミュエルはインタビューが行われることを知りながら、音楽をかけたのだろう?なぜサンドラは、そんな失礼な夫に抗議しないのだろう?
このシーンの後、カメラは散歩に出かけるダニエルとスヌープの姿を追い、彼らが帰ってくるとすでにサミュエルは死んでいる。

冒頭のシーンで生じた観客の違和感は、この後裁判がはじまっても薄まることはなく、むしろどんどんと増幅してゆく。
ポイントは、愛し合って結ばれたはずの夫婦の関係がどう変化していったか
そしてその変化が、どのような形でサミュエルの死を招いたのかが問われる。
「私は殺してない」と訴えるサンドラに対して、弁護士のヴィンセントは「それは重要ではない」と言う。
当然ながら判事も参審員も夫婦の内実は知らないので、重要なのは「サンドラがサミュエルを殺したように見えるか?」なのだ。
要するにこれは、裁判を通じて明らかになる二人の秘めたる物語を、観客が解釈する映画なのである。

この夫婦はある意味、現在のEUの縮図のような二人だ。
サンドラはドイツ人、サミュエルはフランス人で共通言語は英語。
元々二人でロンドンに暮らしていて、サンドラが小説家として成功すると、教師のサミュエルも作家を志す。
しかしなかなか作品を完成させることが出来ず、環境を変えるために彼の希望でブレグジットよろしく英国を去り故郷のフランスへ。
サミュエルは山荘を改装して民宿を始めようとするが、相変わらず書けておらず、それはサンドラが家事や息子の世話などを負担せず、自分の時間を奪っているからだと考える様になる。
一方、妻は書けないのはサミュエル自身のせいであり、フランスへの引っ越しも含めて自分は十分に配慮していると思っている。

すれ違った夫婦関係が、妻の殺意に結びつくのか、それとも絶望が夫を死へと誘うのか。
サミュエルはもう死んでいて、物語の軸はサンドラとヴィンセントに置かれているので、基本的に観客の心理は自殺に傾いたまま物語が進む。
ただ、新たな情報が出てくるのは基本的に各公判の時で、この開示の塩梅が実に絶妙。
観客はサンドラに感情移入しつつも、どこか信じ切れない疑心暗鬼な状況がずっと続く。

物語を動かすのが、夫婦の11歳の息子のダニエルの存在だ。
彼は夫婦を一番近くで知る者であるのだが、過去の事故が原因で目が不自由となり、両親の本当の関係は知らないことも多い。
ただ、サミュエルは自分の行動がダニエルの事故を招いてしまったことで、罪悪感を抱いていたと思われる。
最初にダニエルが証言した時、弁護士と検察官の思惑に彼が翻弄されて戸惑うのを、急激なカメラワークで表現しているのが面白い。
公判ではサンドラの浮気から夫婦間の盗作騒動まで、子供としてはちょっと聞きたくないような事実まで明らかになるのだが、ダニエルは自分の証言以降もずっと傍聴を続けており、両親の知らなかった苦悩や確執を知ることで、人知れず成長しているのである。
公判中カメラは常にダニエルの存在と視線を強調しており、彼がキーパーソンなのは明らかだ。

そして、彼があることに気付いた時、物語は大きく結末へと動き出す。
サンドラがダニエルの証言に影響を与えないように、彼には裁判所から派遣された監視役として、マージという女性がついている。
一年以上にわたる裁判の間、彼女を信頼するようになったダニエルは、「ものごとに明確に白黒つけられない場合、どうするべきか?」と質問し、最後の証言に挑むのだ。
ここへ来て、それまでサンドラに固定されていた物語の視点はダニエルへと移り、彼はテーマを導き出すポジションに収まる。
はたして、その見えない目に映る真実とはいかに。

物語を通して浮かび上がるのは、人生の時間の不可逆性だ。
人間は生きているだけで、どんどん変わってゆく。
それはお互いの関係にも言えることで、愛し合った夫婦だとしても、親子だったとしても、同じ時間は二度と来ない。
時と共により良き関係になることも、逆に心が離れてしまうこともある。
お互いに助けられることもあるが、助けそもものを拒絶されることもあるだろう。
人の心は不可解で、裁判で法的には決着がついたとしても、残された者は「ではどうすべきだったのか?」というモヤモヤを抱えて生きてゆくしかないのである。
隣は何をする人ぞ、というある種のゴシップ的な興味でグイグイ引っ張りながらキャラクターを掘り下げ、最後は「なるほどねえ」と納得させるところに落とし込む。
ドキュメンタリーを思わせる冷静沈着なストーリーテリングの技も素晴らしいが、夫を愛しながらもシンパシーを失ってゆく女を、リアリティたっぷりに演じたサンドラ・ヒュラーの好演が光る。
ヨーロッパ映画らしいエスプリを効かせた、お見事な人間ドラマだった。

今回は、ちょっと皮肉を効かせて「ラヴァーズ・コンチェルト」をチョイス。
カクテルコンテストのスミノフ部門受賞作で、スミノフ40°を45ml、タリスカー10年を10ml、ベイリーズ・アイリッシュ・クリーム10ml、カルーア5ml、モナン・キャラメル・シロップ10mlをシェイクし、グラスに注ぐ。
最後に、コーヒーパウダーでグラスをスノースタイルにデコレーション。
まったりとした味わいが奥深い、オトナな一杯だ。

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ボーはおそれている・・・・・評価額1650円
2024年02月21日 (水) | 編集 |
地獄のホームカミング。

「ミッドサマー」のアリ・アスター監督が、ホアキン・フェニックスを主演に迎えて描くのは、気弱な中年男がたどる摩訶不思議な冒険。
ホアキン演じるボーは、暴力渦巻く都会で、常に不安を感じながら孤独に暮らしている。
ある日、彼は大富豪の母親が怪死したという連絡を受け、実家を目指す旅に出るのだが、それは妄想と現実が境界を失った異界の流離譚となる。
監督・脚本をアスターが務め、撮影監督は「ミッドサマー」から続投のパベウ・ポゴジェルスキ、「女王陛下のお気に入り」のフィオナ・クロンビーがプロダクションデザインを担当し、奇想天外な世界観を作り出している。
出演はホアキンの他、キーパーソンとなる母親モナをパティ・ルポーン、怪しげなセラピストを怪優スティーブン・マッキンリー・ヘンダーソンが演じる。
借りてきた仔犬のように怯えた目をしたおっさっんが、ひたすら悲惨な目に遭うブラックコメディである。
※完全ネタバレしています。

ボー・ワッサーマン(ホアキン・フェニックス)は、一代で企業帝国MWグループを作り上げた敏腕経営者モナ・ワッサーマン(パティ・ルポーン)の息子。
父親はモナがボーを孕った夜に、腹上死したという。
今は独立し、危険な暴力が蔓延する都市のダウンタウンに暮らしているボーは、不安神経症に悩まされ、セラピスト(スティーブン・マッキンリー・ヘンダーソン)に通っている。
ある日、彼は実家に帰省しようとするのだが、何者かに荷物と家の鍵を奪われて、飛行機に乗れなくなくなってしまう。
ホームレスの集団に部屋を蹂躙された後で、ボーはモナに電話をかけるが、電話に出たのは母でなく、UPSの配達人だった。
彼によると、モナは落ちてきたシャンデリアに頭を潰されて事故死したという。
動揺したボーはトラックに跳ねられ、連続殺人鬼に刺されて瀕死の状態に。
二日後、ボーが目覚めると、そこは裕福な医師夫婦ロジャー(ネイサン・レイン)とグレース(エイミー・ライアン)の家だった・・・・


「ボーはおそれている」は、2011年にアリ・アスターが制作した7分の自主制作短編「Beau」をベースとしている。
オリジナルでは母のもとへ帰省しようとした黒人男性が、なぜかアパートの部屋に立て篭もり、不条理な恐怖と戦う羽目になる。
主人公がマザコンであること、出発しようとした時に、荷物と鍵を盗まれて立ち往生する展開は本作の序盤とほぼ同じだが、7分をよくぞここまでの大長編に膨らませたものだ。
物語的には、三幕四部構成となっており、第一部がボーのアパートとその周辺を舞台とした不条理なバイオレンス劇。
二幕目の前半に、どこかが壊れてしまっている医師夫婦の家での第二部が配され、後半では移動劇団の上演する一家離散劇が、アニメーション手法を取り入れた第三部として描かれる。
そして三幕目の第四部で、ついにボーは実家へと辿り着き、179分にわたる地獄のようなホームカミングの旅が終わるのである。

アスターは本作を、ユダヤ人の「指輪物語」であると表現している。
なるほど常に異民族からの迫害と差別に怯えてきたユダヤの歴史は、不安神経症のボーのメンタルと一致し、母のモナが経済的支配層でもあるのも、ユダヤ人が特にアメリカ社会で成功していることと符合する。
冒頭、母の胎内からの誕生がボー自身の視点で描かれるのだが、医者は生まれたばかりのボーを落としたらしく、モナの怒りの声が聞こえてくる。
自らの誕生を描くこのファーストイメージこそ、この世界への不安と、母に対する恐れと罪悪感の源だ。
シーンが移ると、成人したボーがセラピストと帰省について話しているのだが、彼が建物から出てくると、そこはまさにカオスの街なのである。
建物は猥雑な落書きに覆われていて、人々は理不尽な暴力を振い、または振るわれている。
この衝撃的な光景が、ボーの心象風景なのは明らかだ。
とっちゃん坊や然としたボーは、この世界は彼が何かをしようとしても思い通りにはならず、必ずよくない方向に行くと確信しているようなキャラクターである。

帰省の予定が荷物と鍵を盗まれることで頓挫すると、ボーはモナに電話するのだが、冷たく突き放されますます不安を募らせる。
さらにホームレス集団のアパートへの侵入とらんちき騒ぎ、突然の母の死の知らせとたたみ掛けるように不幸が降りかかると、物語は第二幕のボーの長い旅へと突入する。
瀕死の重傷を負ったボーは、裕福な医師夫婦、ロジャーとグレースの家で目を覚ます。
そこは、元いた暴力の街とは異なる平和な高級住宅街で、ロジャーもグレースも笑顔を絶やさない穏和な人物。
だが、なぜか二人はボーの足にGPS発信機を取り付けていて、戦死した息子の代わりにしようとしているような態度をとる。
一方、この家には病的な精神状態の娘のトニと、息子の戦友で脳に障害を負ったジーヴスが住んでいて、取り繕った表面とは裏腹に内面はこちらもカオス
トニがボーの前でペンキを飲んで自殺すると、グレースはボーを罰するためにジーヴスに追跡を命じる。

ここから物語は、第三部へと進み森の中へ。
ボーが迷い込んだのが、自然の中で演劇を上演する移動劇団のキャンプ。
出演者と観客が一体となった演目は、ある家族の離散と再会の物語で、このパートを手掛けたのは「オオカミの家」が記憶に新しいチリのアーティスト、クリストバル・レオンとホアキン・コシーニャだ。
まるでユダヤ人の歴史をカリカチュアしたような旅の物語は、本作のボーの旅の中に旅があるメタ構造となっている。
「オズの魔法使い」にインスパイされたビジュアルは、実写、手書き背景、ジオラマ風のセット、アニメーション手法が組み合わさて不思議な未見性を生み出しており、ビジュアル的には本作のクライマックスと言ってもいいかも知れない。
この舞台は、ボーの中の父性が顔をのぞかせる、あったかも知れない“ifの人生”だが、これも最終的にジーヴスの乱入で破壊され、ボーの旅はようやく実家へと辿り着く。

そこでモナの死は偽装で、実は彼女はボーの旅をずっと監視していたことが明らかとなると、ボーはついに母と向き合うこととなる。
前記したように、本作は全編にわたってボーの心象風景であり、すべてのカットが計算されて寓意が盛り込まれている。
一見すると、ある種のエディプス・コンプレックスとも取れる話なのだが、この物語には男の子が独占したい母はいても、排除すべき強い父はいない。
モナはボーの父と祖父が、初夜で射精した瞬間腹上死したと信じ込ませていたので、ボーはずっと童貞だった。
最初から母によって去勢されていたボーの精神状態は、エディプスコンプレックスとは真逆と言えるかも知れない。
アスターによれば、ユダヤ人にとって母と息子の関係は特別なものがあるとか。
生まれた瞬間から、世界に対しての不安、母に対しての恐れと罪悪感を抱いたボーは、ずっと強い母によって抑圧的に支配されてきた。
ボーは何かを主体的に行うことは母に対する裏切りの罪となり、罰せられなければならないという価値観に縛られてきたのである。
これが普通の映画であれば、最終的に母と対決して解放されるのだが、アスターはやっぱりアスター。
基本的にやってることは「ヘレディタリー/継承」や「ミッドサマー」と同じで、一度壊れた関係は元へは戻らない。
人生は自分よりもっと大きなもの(本作の場合は神の如き母)によって支配されており、主人公は運命を受け入れるしかない。

本作に散りばめられた寓意で、一番象徴的なのが水だ。
冒頭で薬を処方されたボーは、必ず水と一緒に飲むように念を押され、結果として今までかろうじて守ってきた心の居場所であるアパートを失う。
そして、物語のラストで母に反抗して小舟に乗って逃げたボーは、産道のような暗い洞窟をくぐり抜ける。
ボートが着いたのは中心に水を湛えた丸いアリーナで、ボーは母の前で彼女を裏切ったことについて、最後の審判を受けることとなる。
しかし、結果は最初から決まっているのだ。
母を起点とする不安と罪悪感から逃れられず、自分が有罪だと突きつけられることをおそれていたボーは、再び母の胎内に戻り羊水の中に沈んでゆくしかないのである。
ここまでの地獄めぐりをさせて、この主人公にしては最大限の抗いを見せておきながら、この身も蓋もない結論に至るのが、実にこの作家らしい。
まあ前二作が成功したことで、好き勝手に作れる機会を得たのだろうが、だんだんと上映時間が長くなっているのが気に掛かる。
これも面白いが、もうちょっと短くできたのではないだろうか。

悪夢を見ているような本作には、「ナイトメア」をチョイス。
ドライ・ジン30ml、デュボネ30ml、チェリー・ブランデー15ml、オレンジジュース15mlを氷と共にシェイクし、グラスに注義、最後にマラスキーノチェリーを飾って完成。
名前はいかにもハードそうだが、デュボネの香味とチェリー・ブランデーの甘み、オレンジの酸味がハーモニーを形作り、とても飲みやすい。
ただし度数は高いので、文字通りの悪夢にならないように注意。

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ショートレビュー「カラーパープル・・・・・評価額1650円」
2024年02月16日 (金) | 編集 |
私の人生を取り戻す。

20世紀前半のアメリカ南部、ルイジアナ州に生きたアフリカ系女性、セリーの一代記。
言わずと知れたスティーブン・スピルバーグの名作映画のリメイクだが、本作の場合はアリス・ウォーカーの原作小説をブロードウェーで舞台ミュージカル化したものを、映画化した作品。
そのために、作品のテイストやルックは大幅に異なる。
スピルバーグをはじめ、オプラ・ウィンフリーやクインシー・ジョーンズら、旧作の関係者がエグゼクティブプロデューサーに名を連ね、ウーピー・ゴールドバーグも分かりやすくカメオ出演している。
監督はガーナ出身で、ミュージシャンとしても知られるブリッツ・バザウーレ。
主人公のセリーに舞台版でも同役を演じたファンテイジア・バリーノ、キーパーソンとなる歌手のシュグにタラジ・P・ヘンソン、旧作でウィンフリーが演じたパワフルな女性のソフィアに、こちらも舞台から続投のダニエル・ブルックス。
セリーと生き別れになる妹ネティの少女時代を、「リトルマーメイド」のハリー・ベリーが演じている。

基本的にはスピルバーグ版と同じく、ミソジニーとレイシズムが蔓延する世界で、数十年に渡り男たちから徹底的に搾取されて来たセリーが、周りの女性たちに助けられながら人生を取り戻す物語だ。
優しかった母の死後、あろうことか父にレイプされ二人の子を出産するも、愛する子は産んですぐに取り上げられて行方知れず。
その後、厄介者を売り払うように、自称“ミスター“の粗野な農夫と結婚させらるが、長年のDVに苦しめられる。
しばらくすると、父の魔の手を逃れたネティが転がり込んでくるのだが、今度はミスターがネティに手を出そうとし、彼女は家を逃げ出して生き別れとなってしまう。
奴隷の様に男たちに支配され、従順に振る舞うことでなんとか生きて来たセリーの世界は、やがてソフィアやシュグら地に足をつけた女性との関わりによって少しずつ広がってゆく。

ゴールドバーグやウィンフリーにとってはデビュー作にして出世作となったスピルバーグ版は、撮影監督のアレン・ダヴィオーの流麗なカメラワークと、パステル調の色彩デザインが圧巻で、鮮烈なショットの数々は今でも明確に覚えている。
対して本作は、映像的なスペクタクル性はぶっちゃけ希薄。
ブロードウェイミュージカルの映画化らしく、ところどころに舞台的な演出が見られるのが特徴と言えるだろう。
スピルバーグ版では、ミソジニー全開の男たちのクソ野郎っぷりが、逆差別になっているのではと物議を醸したが、今回も描写としては多少マイルドになってはいるものの、女性目線で描かれる男たちはクズ揃いだ。
旧作の公開当時に、アメリカ版の「おしん」だと評した方がいたが、まあ分からんでもない。
長年の辛抱の末に、セリーが全てを取り戻すラストの大団円は、旧作とは演出のアプローチはだいぶ違えど感動的。
虐げられた者の魂を歌い上げる、ミュージカルナンバーも素晴らしい。

ただ、普通はドラマをミュージカル化すると歌の分尺数が伸びるのだが、この映画は141分と逆に13分短くなっている。
そのために特に前半は、どうしてダイジェスト感がある。
文盲のセリーが、聡明なネティからメモで文字を習う描写など、コレがあるから後の手紙が生きるんじゃん!という部分が無くなってしまったのはちょっと残念。
その意味では、スピルバーグ版を観てない方が新鮮に楽しめるのではないかと思う。
ただ、シャグが歌う名曲「ミス・セリーのブルース」の再登場など、ここぞというところでは旧作に描写を被せてきて、オマージュとリスペクトは十分だ。
表現手法が違うので単純比較は難しいが、それぞれのフィールドで、どちらも素晴らしい作品になっているのは間違いないだろう。

今回は、ユニークなコーンウィスキー「ジョージア・ムーン」をチョイス。
一見するとウィスキーには見えない無色透明に、ジャムの瓶の様な酒とは思えないボトルデザインが特徴的
実はこれ、禁酒法時代の密造酒を模したもので、ムーンという名も密造酒を指すスラング。
コーン80%以上を使用し蒸留し、30日以内の短期熟成を売りにした変わり種だ。
ピリピリとしたアルコールの刺激が先に来るが、コーンの風味は感じられる。
味わいとしては単純なので、ショットグラスでグイッとやるか、カクテルベースにして飲むのがよい。

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夜明けのすべて・・・・・評価額1750円
2024年02月11日 (日) | 編集 |
この世界は美しい。

月に一度、生理前になると感情が暴走するPMS(月経前症候群)の藤沢さんと、彼女の同僚でパニック障害を抱えた山添くんの物語。
瀬尾まいこの同名小説を、傑作「ケイコ 目を澄ませて」を世に放った三宅唱監督が映画化したヒューマンドラマだ。
自分の心なのに、自分ではコントロール出来ないという、生きづらさを抱えた二人と、上司や友人ら周りの人々との日常を淡々と描く。
登場人物たちの無理の無い距離感が、とても心地いい。
主人公の二人を上白石萌音と松村北斗が演じているが、この二人はNHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」で夫婦役だった。
「ゴジラ-1.0」の神木隆之介と浜辺美波といい、このパターンが流行ってるのだろうか。
二人が働く栗田科学の社長を光石研、山添くんの前の職場の上司を渋川清彦、藤沢さんの母をりょうが演じる。
16㎜フィルムのザラっとした粒子感を生かした、月永雄太による撮影も素晴らしい。
エンドクレジットが終わる頃には、なんとも言えない暖かい気持ちになっている、そんな素敵な映画である。
※ラストに触れています。

23歳の藤沢美沙(上白石萌音)は、学生時代から患っていたPMSの症状が悪化し、新卒で入った会社でトラブルを起こし、退職に追い込まれる。
5年後、子供向けの科学教材を作る栗田科学で働いていた美沙は、中途転職してきた山添孝俊(松村北斗)と出会う。
人を寄せ付けない雰囲気を纏った山添とは、当初はあまりいい関係ではなかったが、ある時山添が職場で発作を起こしたことで、美沙は彼がパニック障害だということに気付く。
大手企業に勤めていた山添は、ある日突然パニック障害を発症し、電車で通勤することが出来なくなり、上司の辻元(渋川清彦)と栗田科学の栗田社長(光石研)が知り合いだったことから、徒歩で通える栗田科学へ転職していたのだ。
お互いの問題を打ち明け、二人は少しずつ距離を縮めてゆく。
年が明け、会社の例年行事の移動式プラネタリウムの日が迫る中、美沙はパーキンソン病でリハビリ中の母・倫子(りょう)を介護するために、地元への転職の考えはじめるのだが・・・


本作はAUスマートパスのCMで、公開劇場以外も含めて全国のシネコンで予告編が流れた。
だが予告編は「PMS」や「パニック障害」という言葉が前に出過ぎて、ちょっとお堅いというか、啓蒙的過ぎるかなと思った。
いや実際、観客にさまざまな気づきを与えてくれる映画なのは確かだ。
言葉としては聞き覚えがあっても、実際にこう言った問題を抱えた人に、どう言った症状が出るのかは、ほとんどの人が知らないだろう。
私は知人がパニック障害なので、こちらはある程度知識があったが、PMSに関してはなんとなく不安定になる?くらいのイメージだったので、温厚な藤沢さんがジキルとハイドかというくらい、キャラクターが変わってしまうのにびっくりした。
そら周りが事情を知らなければ、単に突然キレる怖い人になってしまって、居場所を無くしてしまうだろう。

この映画の登場人物たちは、二人の障害を知った上で、誠実に向き合う
とは言っても、何か特別なことをするわけではない。
上司や友人たちは事情を知りつつも、必要以上に踏み入らないで、生きづらさが変な方向にいかないようにそっと見守る。
会社でPMSとパニック障害の発作を起こしたことで、偶然お互いの問題を知った主役の二人は、もう少し積極的に。
基本的にはお互いが発作を起こさないように、気を付けることで救い合う。
でもそれだけでなく、生きづらさを共有できる人が身近にいることが、確実に二人を変えてゆくのだ。
新しい職場に馴染めず、誰かのお土産を職場で分け合うことすら、馴れ合いと馬鹿にしていた山添くんは、藤沢さんの影響を受けて自分もお土産を買ってくるようになる。
さよならで見送るポイントだった公園の道では、いつしか二人は同じ方向を向いて楽しいそうに歩いている。

本作が素晴らしいのが、二人を軸にして同心円上に人間関係が広がってゆくこと。
会社の栗田先生社長と山添の前の上司の辻元が知り合いなのは、彼らが自死遺族の分かち合いの会に参加しているから。
人間のセンシティブさを誰よりも知る二人の上司の存在が、本作の主題をPMSやパニック障害と言った若者たちのパーソナルな問題から、人間同士の信頼と思いやりの物語へとグッと世界を広げて行く。
登場人物たちの抱えている問題や事情はそれぞれ異なるが、全員に共通するのが山添の言葉を借りれば「(相手が誰であれ)助けられることはある」という心のベクトル。
世間では真逆のことも多いけど、この物語では皆が自然に共生することで、それが当たり前だと思わせてくれる。
現実に極めて近いが、現実よりも優しい映画的世界が、ずっと浸っていたくなる心地よい空気を作り出しているのだ。
そしてこの人間関係の広がりが、映画のタイトル「夜明けのすべて」を導き出す星々の物語と重なって行くのである。

劇中で、藤沢さんと山添くんが作っているのが、栗田科学が毎年開催している移動プラネタリウムショーのナレーション原稿だ。
二人の原稿の元になっているのが、栗田社長の自死した弟が30年近く前に録音した、星々に想いを馳せたナレーションテープ。
地上のちっぽけな人間の時間と、はるか宇宙の燃える星々の時間。
弟の残したノートには、「夜についてのメモ」というページがあるのだが、藤沢さんはプラネタリウムショーでこの内容を紹介する。
かいつまんで言えば、夜があるからこそ、人々は闇の向こうの途方もない広がりを想像することができて、夜明けに希望を感じることができる。
しかし、そんな人間たちの感情とは無関係に、この世界は動き続け、どの命にも平等に朝がやってくる。
詳しくはぜひ劇場で聴いて欲しいのだが、星々と人間、夜と昼、マクロとミクロが重なり、物語が全ての人、全ての生命へのリスペクトとして昇華される。
作中で幾度となく描写される街の夜景が、星空の鏡像である意図は明らかだろう。
灯りの明るさや大きさ、色は皆違うが、ずべての灯りが渾然一体となることで、その景色は出来上がっているのだ。
何万光年先の恒星系にもしかしたら命があるかもしれないように、街の一つひとつの灯りにもそれぞれの人々の営みがあり、人生は常に変化し続ける

ここまで丁寧に人間の心の機微を描いていても、主役の二人がありがちな恋愛モードには入って行かないのもいい。
実は事前に脚本を読んでから鑑賞したのだが、藤沢さんと山添くんは今後恋愛関係になるのかな?と思わせる、意味深な台詞をカットしたのは賢明な判断だったと思う。
これでよりはっきりと、対等な人間同士の物語であることが明確になった。
二人のキャラクター造形も素晴らしく、普通に隣近所に住んでそうな、誰もが共感出来る人物に仕上がっている。
上白石萌音と松村北斗にとっては、代表作となるだろう。
また脚本段階では少し分かりづらいのでは?と感じた部分は最初は藤沢さん、そして最後は山添くんによるナレーションを入れることで、心の伝播という要素も含めてスマートに処理されていたのは見事だ。
エンドクレジットの終わりでは、すっかり栗田科学に馴染んだ山添くんが、藤沢さんからもらった自転車に乗って、社員たちと平和な日常を過ごしている。
映画は終わっても、彼らの人生は観客の心の中でずっと続いてゆくのだろう。
生きることは時として孤独で辛いけど、それでもこの世界は美しく優しくて、生きるに値することを、前作の「ケイコ 目を澄ませて」とは異なるアプローチで描いた傑作だ。

違いを認め、助け合う世界を描いた本作には、虹の様な層を持つカクテル、「エンジェルズ・デイライト」をチョイス。
グラスにグレナデン・シロップ、パルフェ・タムール、ホワイト・キュラソー、生クリームの順番で、15mlづつ静かに重ねてゆく。
スプーンの背をグラスに沿わせて、そこから注ぐようにすれば崩れにくい。
それぞれの比重の違いが美しい層を作り出し、飲むときになれば混じり合ってハーモニーを奏でる、楽しいカクテルだ。

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