酒を呑んで映画を観る時間が一番幸せ・・・と思うので、酒と映画をテーマに日記を書いていきます。 映画の評価額は幾らまでなら納得して出せるかで、レイトショー価格1200円から+-が基準で、1800円が満点です。
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夜明け告げるルーのうた・・・・・評価額1700円
2017年05月22日 (月) | 編集 |
夜明け告げるうたは、少年に何をもたらしたのか。

先日、13年ぶりとなる劇場用長編「夜は短し歩けよ乙女」が公開されたばかりの、湯浅政明監督による、完全オリジナルの長編アニメーション。
年に二度もこの人の映画が公開されるだけでも驚きだが、「夜」の次が「夜明け」とは、なにか狙って作っている?
心を閉ざした少年と、人魚の少女との一夏の出会いと別れを描く。
共同脚本に「聲の形」の吉田玲子、キャラクターデザインに漫画家のねむようこ、音楽は「思い出のマーニー」の村松崇継と、スタッフも実力者揃い。
ポップな音楽に乗って、躍動感あふれるパワフルなアニメーションが疾走する!
※ラストと核心部分に触れています。

そびえ立つ巨大な岩によって太陽が遮られた港町・日無町(ひなしちょう)。
人魚伝説のあるこの街に暮らす無気力な中学生男子・カイ(下田翔大)は、東京で生まれ育ったが、両親の離婚によって父の実家があるこの街に越してきた。
いろいろと鬱屈した想いを抱えたカイは、学校生活にも馴染めず、唯一の趣味は打ち込みで作った曲をネットにアップすること。
ある時、カイの曲を聴いた同級生の遊歩(寿美菜子)と国夫(斉藤壮馬)から自分たちのバンド、“セイレーン”にはいらないかと誘われ、渋々ながら参加することになる。
岩の向こうにある無人の人魚島で練習していると、音楽好きの人魚の女の子・ルー(谷音花)が現れ、三人と友だちになりたいと言う。
天真爛漫なルーと過ごすうちに、少しずつ明るくなってゆくカイ。
だが日無町には、人魚は災いをもたらすという言い伝えがあった・・・・


テレビを含めた今までの湯浅作品が、変幻自在な変化球だとすれば、これはどストレート
冒頭に“貝の砂抜き”のエピソードがあるのだが、主人公のカイは名前の通り、貝のように心を閉ざし全てに後ろ向きな少年だ。
両親の離婚やUターン家庭に対する街の人の冷たい目、そして何よりも“別れ”への恐怖から、人とコミュニケーションして仲良くなることを諦めてしまっているのである。
そんなネガティブな中学生男子が、ルーや仲間たちとの冒険を通して少しずつ殻を開き、自分の人生を自分で切り開いてゆく王道の成長ストーリー
人魚伝説ベースのプロットは、比較的シンプルだ。
「E.T.」や「となりのトトロ」に代表される、人間の少年少女と超常の世界から来た異種の交流を描くファンタジーの典型的な話型で、人魚は災いをもたらすという古い言い伝えに踊らされた大人たちが、同調圧力をもってルーを排斥しようとするのもお約束。
とは言っても、登場人物の行動原理などはかなりエキセントリックで、この作家独特のリアリティラインを知らないと、しばし置いていかれそうになる。

まあ元々「クレしん」の人だと思えば、驚きはないだろうが。

しかし、話はどストレートだが、テリングは例によって唯一無二の独創のスタイル
独特のパース感覚で切り取られる、本作の世界観は極めて魅力的だ。
建物の一階は海に突き出した船のガレージで、二階に住居スペースがある変わった建物のモデルは、丹後半島の東にある伊根町の舟屋だろうか。
外洋と街の間に立つ巨大な岩の風景は、何となく山形の山寺を思わせ、アニメーション作品ならではの、非日常感あふれる舞台が構築されている。
このどこか懐かしくもファンタジックな世界で、リズミカルな音楽に乗って動き続ける色と形の洪水は、まさに未見性のカタマリだ。
フラッシュの技法で制作された長編アニメーションは、ヨーロッパで作られた「TOUT EN HAUT DU MONDE(LONG WAY NORTH)」など他にもあるが、“流体”を描く本作とモーフィング機能のあるフラッシュとのマッチングの良さは予想以上で、より洗練された高度なアニメーション表現が楽しめる。

それにしても、昨年あたりから日本のアニメーション映画には、明らかに新しい波が来ているのではないかと思う。
スタジオジブリという国民的ブランドが消えて4年。
(また復活するみたいだが)巨人・宮崎駿の影に隠されていた(隠れていた、ではない)、アニメーション作家たちに、光が当たるようになったのは確かだろう。
去年旋風を巻き起こした「君の名は。」「聲の形」「この世界の片隅に」の三作は、それぞれに実験的なまでの強烈な作家性を持ち、テリングのスタイルは極めて独自性が高い。
しかもどの作品も、日本のアニメの保守本流からは離れた文脈で作られ、観客にもそのように受け取られたからこそ、大ヒットした。
これらはテレビにルーツを持つ“アニメ”ではなく、“アニメーション”なのである。
表現の自由さという意味では、最も実験アニメーションに近い、湯浅政明がここへ来て二本も撮ったということも、ようやく時代がアニメーションの多様性に目を向けたということなのかもしれない。

もっとも、新海誠が作家性を保ったまま大衆性を獲得した様に、おそらくはターゲットであるティーンの観客を意識した、本作の意外なまでのストレートさは、作家にとっては大きな変化だと思う。
それはストーリーの分かりやすさだけでなく、今までの湯浅作品ではあまり前面に出てこなかった、オマージュがにじみ出ていることにも感じられる。
本作は人魚という題材や絵面からも、「崖の上のポニョ」を連想させるが、ルーのパパのキャラクターなどは「トトロ」の大トトロ、あるいは「パンダコパンダ」のパパンダっぽい。
街が水没する終盤の展開も、視覚的イメージだけでなく、地上の生の世界に対し人魚の暮らす海の世界が常世であり、水没が再び生まれるための胎内回帰であるという、意味的な部分も符合する。
しかし、全てが無邪気に丸く収まる「ポニョ」に対して、本作では夜明けと共に現世と常世は太陽によって別たれ、二度と交わることはないのである。
時と共に変わってゆく世界と、変わらない人の想い。

実際のところ、決着のつけ方を含め結構意識してると思うので、比較して観ても面白いと思う。

キャラクターでは猫派のジブリに対して、こちらでは犬ちゃんたちが大活躍。
人魚に噛まれると人魚になり、太陽に当たると燃えてしまうという、吸血鬼みたいな設定も物語の展開にうまく生かされていた。

今回は、ルーの不思議な髪の毛のようなグリーンのカクテル、「マーメイド」をチョイス。
メロン・リキュール20ml、ティフィン・ティー・リキュール10m、生クリーム30mlをシェイクし、氷を入れたシャンパングラスに注ぎ、最後にマラスキーノ・チェリーを添える。
かなり甘口で、生クリームが全体を優しくまとめている。
夏の夜に、海を見ながら飲みたい一杯だ。

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ショートレビュー「マンチェスター・バイ・ザ・シー・・・・・評価額1750円」
2017年05月18日 (木) | 編集 |
ふたたび、海からはじまる。

心に染み入る、極上のヒューマンドラマ。
古都ボストンから北東へ30マイル。
マサチューセッツ湾を望むマンチェスター・バイ・ザ・シーは、風光明媚な港町だ。
兄ジョーの急死をきっかけに、この街に戻って来た弟のリーと、彼が後見人を務めることになる16歳の甥っ子パトリックの関係を軸に、大きな葛藤を抱えた人々の人生模様が描かれる。
なぜリーは美しい故郷を捨て、一人ボストンに出て便利屋をやっていたのか。
彼の名前を聞いた時に、街の人たちが腫れ物に触るように接するのはなぜか。
人の心に潜むミステリー。
故郷での日々は、リーの心に封印されていた記憶を、ランダムに差し挟まれる回想の形で少しずつ紐解いてゆく。

やがて見えて来る、数年前に起こった大きな悲劇。

妻と三人の子供に恵まれたリーの幸せな日々は、たった一度の過ちによって、彼の人生から永遠に奪い去られてしまったのである。

人は生きてゆく中で、色々大切なものを失うが、いつかは乗り越えてゆく。
喪失と再生はある意味で物語の永遠のテーマであり、今年だけでも「雨の日は会えない、晴れの日は君を想う」「レゴバットマン ザ・ムービー」あるいは「メッセージ」など、ジャンル横断的に数々の作品が取り上げている。
だが、本作のリーの支払った代償、喪失の度合は大きすぎるのだ。

青春真っ只中のパトリックの場合、父の死は哀しみではあるものの、バンド活動やホッケーや二人の彼女とのちょっとゲスな関係など、楽しいこととのバランスの中で克服しようとしている。
しかしリーの場合は、今現在の問題に向き合うことで、悲劇の記憶と同時に悔恨と懊悩たる思いをも呼び起こしてしまうのである。
あまりに大きなものを失った時、人の心は完全に壊れてしまうこともある。

この物語は、そんな脆い人間にそっと寄り添う。


故郷で兄の喪の仕事をする中で、ずっと避けてきた人々と邂逅し、言葉を交わすことで解けてゆくわだかまりもあれば、逆に自分の中でますます強固になる後悔もある。
全てを無くしてしまった街から、一刻も早く逃れたいリーと、生まれてから人生の全てがこの街にあり、是が非でも残りたいパトリックの、未来を巡るせめぎ合いは、一歩前進しては二歩戻るの繰り返しだが、それでも二人は無意識に家族として支え合う。
物語には、ドラマチックな盛り上げも、意外性も無い。

ただ常に疼く心の傷に抗い、僅かでも前を向こうとして、何度も打ちのめされる人間がいるだけだ。

一度失った人生は、決して元には戻らない。

そのことを否定しない、この映画の厳しさと優しさが、私はとても好きだ。
ケネス・ロナーガン監督は、ケイシー・アフレックという素晴らしい演者をえて、至高のドラマを作り上げた。

本作の隠し味は地域性だろう。

マサチューセッツは非常に歴史の古い土地で、文化的風土は言わばアメリカの京都。
プロデューサーを務めたマット・デイモンと主演のケイシー・アフレックは、兄のベンを含めて地元民で、好んで故郷を舞台として映画を作るいわば“ボストン派”。
今回もエセックスの美しい風景と、都会過ぎず田舎過ぎない絶妙な距離感のコミュニティの存在が、ドラマの味わい深い背景となっている。
冬の厳しいマサチューセッツの、曇天のロケーションが、主人公の心象としても機能しており、兄の残したクラッシックな船などの、細部の描写も象徴性が高い。
凍てつく季節もやがて暖かな春になるように、人生の冬も永遠とは限らない。
冒頭とループする船の上でに魚釣りは、仄かな希望のサインだと信じたいものだ。

今回はマサチューセッツを代表する地ビール銘柄、サミュエル・アダムスから、ビールではなく「アングリー・オーチャード・ハード・サイダー」をチョイス。
酸味と甘みのバランスが絶妙な、白ワインを思わせるフルーティ&フレッシュなハード・サイダー。
元々この地に入植した初期の移民たちは、飲み水の衛生上の問題で林檎の醸造酒を日常的に飲んでいたという。
これもまた、この地の歴史に根ざした文化なのだ。

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スプリット・・・・・評価額1600円
2017年05月16日 (火) | 編集 |
何が「スプリット(分裂)」するのか?

M・ナイト・シャマランによる、異色のサイコ・スリラー。
ひとつの体に23もの人格を宿す男と、彼に拉致・監禁された3人の女子高生。
なぜ男は彼女らをさらったのか?
密室からの脱出の方法はあるのか?
やがて、男の中から現れる、想像を絶する24番目の人格とは何者か?
謎の男をジェームズ・マガヴォイが演じ、複数の人格を相手に、丁々発止の腹の探り合いを仕掛ける女子高生ケイシーにアニヤ・テイラー-ジョイ。
僅か900万ドルで作られた低予算映画ながら、シャマラン監督作品としては「シックス・センス」以来となる、全米三週連続一位を記録する大ヒットとなった。
※ラストと核心部分に触れています。

高校生のケイシー(アニヤ・テイラー-ジョイ)は、クラスメイトのクレア(ヘイリー・ルー・リチャードソン)の誕生日パーティに招かれ、帰りにクレアの親友のマルシア(ジェシカ・スーラ)と共に、車で送ってもらうことになる。
ところが、駐車場で見知らぬ男(ジェームズ・マカヴォイ)が突然車に乗り込んできて、彼女らの顔にスプレーを吹きかける。
三人は眠らされ、気づいた時には窓の無い密室に監禁されていた。
拉致した男の奇妙な言動に恐怖した三人は、何とか脱出するために頭をひねる。
すると、扉の向こうでさっきの男と女性の話声がする。
声の限りに叫び、助けを求める三人だったが、扉を開けて入ってきたのは女装し、全く別人の雰囲気を纏った男だった。
しばらくすると、男は子供の様な屈託のない笑顔を見せ「ボク、ヘドウィック。9歳だよ」と話しかけてくる。
彼は、その心にいくつもの人格を宿す多重人格者だった・・・・


前作「ヴィジット」に続いて、M・ナイト・シャマランの作家性が生かされた、ウェルメイドな佳作だ。
この人の持ち味は、B級映画の題材を、思わせぶりにA級っぽいテイストで撮って、「なんだかよく分からないけど、凄そう」と思わせてしまうこと。
「レディ・イン・ザ・ウォーター」の様に外連味を重視しすぎて自滅したり、「アフター・アース」など、雇われ監督として撮った作品はただただ空虚だったりするが、素直に独特のB級感覚を発揮した時のシャマランは面白い。

誘拐された3人の女子高生、ケイシー、クレア、マルシアと、ジェームズ・マカヴォイが怪演する一つの体に23もの人格を持つ男。
まあ、実質的にはほぼ4人格しか出てこないのだが、これは尺を考えると致し方あるまい。
多重人格は「サイコ」の昔から、ホラーやサスペンスではおなじみの要素だが、女子高生たちが如何にして男を出し抜いて脱出するのかというスリルと、謎の24番目の人格への興味で引っ張る。
超自然的な要素も、やり過ぎずにいい塩梅だ。

「スプリット」というタイトル通りに、本作では様々な要素がスプリットされる。
まずは元人格のケヴィン以下、23の別人格に分裂した男の心。
それぞれの人格は主導権を巡ってけん制し合い、原則的にある人格が現出している時に起こったことは、他の人格には悟られないが、協力し合っている人格同士は同時に現出して話し合ったりすることも可能なようだ。
来年公開される「X-MEN」の新シリーズで、“マジック”を演じる事が決まっている、アニヤ・テイラー-ジョイ演じるケイシーは、多重人格のこの仕組みを使って、男にだまし合いを仕掛けるのである。
またケイシーら誘拐された女子高生は、幾つもの扉によって外界からスプリットされている。
僅かな隙間から見える断片的な情報は、希望と絶望の両方を彼女らにもたらす。
やがて脱出を図ったクレアとマルシアは、それぞれケイシーとは別の部屋にスプリットされ、お互いの生死すら分からなくなる。
彼女たちが閉じ込められている、迷路のような地下施設のデザインもいい。
物語のラストでその場所がどこだかが分かるのだが、施設の正体そのものもメタファーとして機能している。
ビジュアルでは、精神科医のフレッチャーのアパートの螺旋階段も印象的だ。
自分が誰と対峙しているのか分からなくなる、ミステリアスな心の迷宮への導入・脱出として効果的に使われている。

物語的には、現在進行形のメインプロットと、ケイシーの過去を描くサブプロットが並行して語られ、二つの話の関連性と集束のさせ方も上手い。
マカヴォイのキャラクターは、幼少期の虐待によって、いくつもの人格を作り出したのだが、多重人格を進化の一形態だと考えるフレッチャーとのセラピーによって、ある種の優生思想を持つようになっている。
彼の心に住む何人かの人格は、24番目の人格が現れることによって、肉体をも進化を遂げ、人類を超えるミュータントとして生まれ変わると信じているのだ。
そのための生贄として、何の苦労も知らない怠惰な女子高生が選ばれたというワケ。
もっとも、彼が狙っていたのは、以前イタズラされたクレアとマルシアであって、ケイシーはたまたま巻き込まれただけ。
実は彼女自身も心に大きな傷を抱えていて、彼女の過去を描くことによって、二人の間にある同根の関係が徐々に明らかになり、クライマックスで24番目の出現における肉体的な覚醒と、それまで対立関係にあった両者が、共に精神的に解放されるという意外な展開に繋がっている。

もっとも、この辺りはB級をB級のまま終わらせない、シャマラン映画に慣れ親しんだ観客には驚きは少ないだろう。
本作のユニークさは、24番目の人格とその目指す先が示唆するように、サイコ・スリラーの構造に、アメコミヒーローものの世界観を裏返して内包していることにある。
マーベルやDCに代表されるアメコミヒーローは、マスクを被ることによって普段とは別人格となるが、彼らの多くはミュータント、あるいは肉体改造や機械の力を借りて進化した人間で、特に「X-MEN」シリーズにおけるミュータントは本作の多重人格と同じく差別の対象だ。
ならば鋼の肉体を持つ24番目の人格は、新たな進化の方程式によって出現した「X-MEN」の裏返しであり、アンチヒーローなのである。
そして、シャマランの本当の狙いは、物語の最後に明確になる。
ダイナーで事件を伝えるニュースが流れ、客の一人が「15年前の事件を思い出す。あの犯人、だれだっけ?」と言うと、カウンターにいた男が答える。
「ミスター・グラスだ」と。
しかもこの男、ブルース・ウィリスではないか!

15年前に公開された「アンブレイカブル」は、シャマラン流のアメコミヒーローの再解釈であった。
ブルース・ウィリスの役は、どんな事故にあってもかすり傷すら追わない男・ディヴィッド。
ある時彼は、サミュエル・L・ジャクソンが演じる極端に体が弱いミスター・グラスと出会い、自分がコミックに出てくるようなヒーローだと教えられる。
最初は信じないディヴィッドも、次第にヒーローとしての使命に目覚め、自分を導いてくれたミスター・グラスに感謝するのだが、実は不死身の人間を探し出すために、ミスター・グラス自身が数々の重大事故を引き起こしていたことが明らかになる。
ヒーローとヴィランは表裏一体で、同じ存在が運命の悪戯によって両極端に“スプリット”されただけ。
見方によっては、クリストファー・ノーランの「ダークナイト」の構造を先取りした作品であり、アメコミではないものの、「ダイ・ハード」シリーズで、絶対死なない男を演じていたブルース・ウィリスを不死身の男役に当てるという、茶目っ気のあるキャスティングを含めて、なかなかに斬新な作品だった。
しかし、15年目にして突然の続編とは。
そう言えばシャマランは、「アンブレイカブル」公開時に、三部作構想があると語っていたような。

シャマランが、長くほったらかしだった三部作を、いつ再開させようと考えたのかは分からないが、サミュエル・L・ジャクソンが、マーベル作品でヒーローを次々スカウトするニック・フューリー役を演じたあたりなのではないかと推測する。
フューリーはまさにミスター・グラスの再反転版のキャラクターだし、既にアナウンスされている次回作「グラス」は、拡大を続けるマーベル・シネマティック・ユニバース、あるいはDCエクステンデッド・ユニバースに対するシニカルなアンチテーゼとして、なかなか面白そうだ。
そう考えると、アニヤ・テイラー-ジョイの出演も、「X-MEN」とどっちが決まるのが早かったのか気になる。

今回は「スプリット」ならぬ「スピリット」にしよう。
ジェームズ・マガヴォイの出世作といえば「ナルニア国物語」のタムナスさん。
タムナスさんはしばしば羊の姿で描かれる牧神フォーン。
という訳で、スペルは違うけどラム酒の「レモン・ハート デメララ」をチョイス。
古谷三敏の漫画「BAR レモン・ハート」のタイトルでも知られる、1804年創業のラムの老舗だが、一時閉鎖され、現在はカナダのハイラム・ウォーカーから発売されている。
バリエーションも豊富だが、デメララは濃い褐色のダークラム。
黒糖の香は豊だが、甘味はそれほど強くなく、比較的すっきりとした風味。
CPも高く、カクテルベースとしても使い勝手が良いが、おススメはロックだ。

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ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス・・・・・評価額1700円
2017年05月13日 (土) | 編集 |
アイ・アム・ユア・ファーザー!

マーベル・ユニバースの”ローリングストーンズ”こと、銀河のはみ出し者集団「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」の活躍を描くシリーズ第二弾。
「アベンジャーズ」に代表される、主に地球を舞台とした正統派スーパーヒーローものとは毛色の違った、一癖も二癖もあるアンチヒーローたちによるお笑いスペースオペラは、大ヒットした前作に勝るとも劣らないパワフルな快作だ。
ガーディアンズのメンバー他、主要なキャスト、ジェームズ・ガン監督以下スタッフもほぼ続投。
新たなキャラクターも登場して、ドラマとしてぐっと深化した。
マニアックなディティールはそのままに、世界観も広がり、シリーズとしての魅力はますます増していっている。
※核心部分に触れています。

スター・ロードことピーター・クィル(クリス・プラッド)と仲間たちは、ソヴリン人に雇われて、彼らの高価な電池を宇宙怪獣から守る任務に成功。
対価として、囚われていたガモーラ(ゾーイ・サルダナ)の妹ネビュラ(カレン・ギラン)の身柄を引き取る。
しかし、ロケット(ブラッドリー・クーパー)がどさくさに紛れて電池を盗み出したことがバレ、ソヴリンの艦隊に追い回されることに。
絶体絶命に陥った時、彼らの前に謎の宇宙船が現れて危機から救う。
宇宙船の主は、エゴ(カート・ラッセル)。
実は彼こそがクィルの実の父で、何十年も行方不明の息子を探していたという。
エゴの招待を受けたクィル、ガモーラ、ドラックス(ディヴ・バウティスタ)はエゴの星へと向かい、ロケット、ネビュラ、ベイビー・グルート(ヴィン・ディーゼル)は船の修理をしながら待つことに。
しかし、ソヴリンの依頼を受けたヨンドゥ(マイケル・ルーカー)たちの襲撃を受けて捕虜になってしまう。
一方、すっかりエゴを信頼する様になったクィルだが、彼の星には恐るべき秘密があった・・・


一作目の印象から、コレは4DX案件だと確信していたのだが、まさにドンピシャ。
ライド感覚でムッチャ楽しかった。
前回で世界観とキャラクターの紹介は終わっているので、最初から飛ばしまくる。
全てが金ピカの惑星ソヴリンで、宇宙タコ怪獣から貴重な”電池”を守るバトルシークエンスから始まって、あとはアクションと小ネタのギャグのつるべ打ちに、何度も腹抱えて笑った。
適度な緩急はもたせてあるが、完全に流れが止まる部分が全くなく、4DXもほぼ動きっぱなし。
過去のSFで見たようなシークエンスも沢山あるのだけど、微妙なハズしを仕掛けてくるので、未見性も高い。
例えば電池を盗まれたソヴリンの宇宙船が大挙として追いかけてきて、宇宙空間で入り乱れての戦闘となる、というシチュエーション自体は、前作でも散々やっていたことだ。
だが、実はソヴリンの船は全てがドローンで、でっかいゲーセンみたいなところでみんなが操縦している。
”ゲームっぽい”ビジュアルを、実際にゲームにしてしまってギャグに昇華し、ついでにソヴリン人の尊大かつ間抜けなキャラクーを、ステロタイプ的に描写しているのである。

物語的には、父性を巡る葛藤を軸にキャラクターを掘り下げ、ドラマチックに展開する。
前作で描かれたように、クィルの母親は彼が8歳の時に亡くなった地球人だが、父親は謎の宇宙人ということになっていた。
今回、カート・ラッセル演じるエゴがクィルの前に姿を現し、父親の名乗りを上げる。
彼は自我を意識した時には宇宙空間を漂っていた、つまり親を持たずに忽然と出現した”α”であり、神的な存在である。
星間物質を集めて、やがて自らが意志を持つ惑星となり、他の生命を探すために、人の形をしたアバターを作って、いろいろな星を渡り歩き、地球で出会ったのがクィルの母。
自分と母を捨てたことから、初めは疑念を抱いていたクィルも、次第にエゴの力に魅せられ、ガモーラの忠告も聞かず、カメハメ波でキャッチボールして「お前は神の子だ」とおだてられると、すっかり籠絡されてしまう。

だがSFの世界で、突然現れて「私がお前の父だ」とか言うのはろくな奴じゃないのはお約束。
しかも分かりやすく、名前が”エゴ”である(笑
彼の本当の目的は、自分自身の種を銀河中の惑星に植え、宇宙全体を自分と同化してしまうこと。
各惑星の生物と子供を作り、手伝わせようとするも、クィル以外は自分の力を受け継げなかったので、皆殺し。
計画の邪魔になるクィルの母を病気にして殺し、息子の回収をヨンドゥに依頼するも、裏切られてしまって今に至るというワケ。
エゴとクィル親子だけでなく、本作ではプロットのあちこちに家族の確執と絆が組み込まれている。
ガモーラと妹のネビュラは、冷酷な養父サノスによって暗殺者として育てられ、姉との勝負に負けるたびに体の一部を機械にされていった妹は、ガモーラへの愛憎と、サノスへの強烈な復讐心に突き動かされている。

一方で、ガーディアンズのドラックスは、嘗て最愛の家族を殺された父親であり、ロケットは赤ちゃんに戻ってしまったグルートを子育て中。
実の家族との確執が、ガーディアンズという新しい”ファミリー”との絆を際立たせる仕組みだ。
けれども、本作で一番美味しいのは、クィルの育ての父だったヨンドゥだろう。
クィルをエゴに届けなかったのは、「子供なら自分たちが入れない、狭いとこに忍び込んで盗みを働けるから」と嘯きつつも、実は自分の子供を回収しては殺しているエゴから守る為だったことが示唆される。
ヨンドゥとエゴが対照的な父親像として機能し、最後までドラマを盛り上げるのだ。
このシリーズの特徴の一つが、クィルの母が好きだったという設定の7〜80年代のヒットソングの数々で、第一作では「Awesome Mix Vol. 1」、今回は「Awesome Mix Vol. 2」というカセットテープが出てくる。
ところが、テープはウォークマンごとエゴに壊されてしまったので、次はどうするんだろうと思ったら、育ての父から息子への意外な形のプレゼントとして復活。
まさか、登場した時には間抜けな小悪党という感じだった、ヨンドゥに泣かされるとは思ってもみなかったよ。
ある意味これは、マイケル・ルーカーとカート・ラッセルの映画だ。

ファミリーを巡る物語を軸に物語を深化させつつ、スペースオペラらしいド派手な見せ場の数々、若い人には「デビッド・ハッセルホフって誰だよ?」と突っ込まれるだろう、オヤジ世代のマニアックなギャグも満載し、笑いとスリルでお腹いっぱい。
エンドクレジットを挟んで5回もあるオマケも含め、満足度は非常に高い。
すでにアナウンスされている第三弾がどういう展開になるのか、アベンジャーズ・チームとの融合の可能性も含めて今から楽しみだ。
しかし、ヴィン・ディーゼルにプラスしてカート・ラッセルまで参戦し、ガーディアンズのメンバーに「ファミリーは見捨てない」とか言わせちゃうし、お笑い要素の強い宇宙版「ワイルド・スピード」の趣も出てきた。
次回でスタローンが絡んでくると、「エクスペンタブルズ」要素も入ってくるのだろうか。
内容とは関係ないが、ヴィン・ディーゼルが、可愛い過ぎるベビーグルートの声の演技してるところを想像すると、それだけで吹きそうになる。
是非レコーディング風景をメイキングに入れてほしい。

今回は、”魚雷”の名を持つ刺激的なビールを。
1979年に設立された地ビール銘柄、シエラネバダ・ブリューイングが2009年より醸造している「トルピード エクストラIPA」をチョイス。
名前の通り攻撃的なホップ感は、一度飲んだら忘れられない。
口当たりは軽やかでクリーミー、フレーバーは複雑だがキャラクターがはっきりしていて切れ味がいい。
宇宙の彼方で活躍するガーディアンズも、地球に立ち寄った時には飲みたくなるだろう。

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ショートレビュー「帝一の國・・・・・評価額1650円」
2017年05月09日 (火) | 編集 |
ボクが、ボクの国を欲しいワケ。

意外と言っては失礼ながら、こりゃあ実に面白い。

政界直結の超エリート高の生徒会長選挙を巡る学園コメディなのだけど、日本型政治のカリカチュアとして凄く分かりやすいのだ。
舞台となるのは、帝国海軍の士官養成学校をルーツに持つ、全国屈指の名門・海帝高校。
この学校の卒業生は政官財に巨大な学閥ネットワークを持ち、海帝生徒会のトップ、生徒会長を務めることは、そのまま日本国総理大臣への最速道となる。
大きな野心を持つ優秀な生徒たちは、入学すると、まず担任によってルーム長に任命されることを目指す。
ルーム長になると、自分で任命する福ルーム長と共に生徒会へ参加し、生徒会長候補となっている二年生の中から支持する人物を選び、きたる生徒会長選挙を共に戦うのである。
要するに、これは一年生議員たちが、派閥のボスたちの中で誰が出世しそうか、誰が自分を引っ張ってくれそうかを勘考しながら選び、いつかは自らが派閥のボス、ひいてはトップを目指す構図と同じ。

主人公の赤羽帝一の夢は、「総理大臣になって、自分の国を作る」こと。
付属中学時代から学年トップだった彼は、当然のごとく一年生でルーム長となると、一年後には自らが生徒会長候補となる事を前提に、派閥を選ぶ。
生徒会長候補になるためには、生徒会長になる人物の派閥にいなければならない。
もし、支持した人物が落選すれば、自分が生徒会長候補になる可能性は限りなくゼロに近づく。
勝負は、一年生の時点から始まっているのだ。
帝一が入学した時点で、次期生徒会長の有力候補は二人。
保守本流で強い統率力を持ち、目的のためならしばし手段を択ばない氷室ローランドと、中道リベラルで生徒会の改革をめざし、理知的で温厚なキャラクターの森園億人。
この時点で、帝一は迷わず氷室の“忠犬”となる道を選ぶのだが、政治の世界は高校生であっても一筋縄ではいかない。
熾烈な選挙戦が繰り広げられる中、帝一は自分ではどうにもならない運命の悪戯に苦しめられ、総理大臣までの鉄壁の人生戦略の、抜本的な仕切り直しを余儀なくされるのだ。

投票権を持つのは、生徒会メンバーと、各部活の代表者。
絶対不利な状況から、自分の支持する候補を当選させるためには、どうすればいいのか。
権謀術数渦巻く選挙戦は、友情と裏切り、王道と奇策のシーソーゲーム
学園の権力闘争に風刺された日本型エスタブリッシュメントの社会では、どの様な人物が好まれて、どういった行動が票を決定付けるのか。
ホンモノの選挙も、程度の差はあれど、実際の人々の行動原理は映画と大して変わらないんじゃないかと思わされる。

有利不利が二転三転し、なるほどという所に帰結する物語の構造も良く出来ているが、ピュアなのか黒いのかよく分からん帝一のキャラクターも魅力的。
彼の「自分の国を作りたい」意外な動機は、建前と本音の、更に奥に隠されているのだけど、政治をやる者は、良くも悪くも必ず捻くれるという訳か。
主人公をはじめとした登場人物が、そろって昭和レトロテイストなのはいかにも古屋兎丸の作品らしいが、漫画的カリカチュアによって下がったリアリティラインが、風刺性を際立たせる。

息子たちのバトルロワイヤルが、いつの間にか親たちの因縁に波及するあたりも、いかにも狭い“政治村”の物語っぽくていい。

男の園の話だから、女性キャラの出番は殆どないのだけど、ほとんど紅一点の永野芽郁が、ハイキックとエンディングの可愛すぎるダンスで美味しいところを持って行った。

今回は、王者の酒ということで「クルボアジェ ナポレオン」をチョイス。
ナポレオンはコニャックの熟成度を表す言葉で、V.S.O.P.とX.O.の間の熟成度のもの。
特にクルボアジュはナポレオン本人が愛飲していたことでも知られ、ナポレオンのナポレオンといえるかも。
味わいは比較的ストレートで、複雑さにはやや欠けるものの、輪郭のはっきりした酒で飲みやすい。
正規輸入品は高いが、平行輸入が沢山出回っているので、コスパを考えればそっちの方がだいぶお得だ。
まあ、そんなセコイことを考えている庶民には、「ボクの国」など作れないのだろうが。

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