酒を呑んで映画を観る時間が一番幸せ・・・と思うので、酒と映画をテーマに日記を書いていきます。 映画の評価額は幾らまでなら納得して出せるかで、レイトショー価格1200円から+-が基準で、1800円が満点です。
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ショートレビュー「残像・・・・・評価額1650円」
2017年06月24日 (土) | 編集 |
信念の代償は、あまりに高い。

昨年の10月に90歳で死去した、アンジェイ・ワイダの最後の輝き。
舞台となるのは、第二次世界大戦後、ソ連の影響下におかれ、急速にスターリニズムが浸透するポーランド。
アーティストであると同時に熱心な教育者でもあり、体制に抑圧され無念の死を遂げた前衛画家、ブワディスワフ・ストゥシェミンスキの最期の日々を描く物語だ。
生涯をかけて抑圧と闘ってきた反骨の巨匠の遺作として、これ以上相応しい作品があるだろうか。
ドイツ占領下のポーランドを描いた初期の「抵抗三部作」から、労働英雄とされた男の現実に迫る「大理石の男」「鉄の男」、ソ連軍によるポーランド人虐殺を題材とした「カティンの森」、そして嘗ての盟友を通し民主化運動の時代を描く「ワレサ 連帯の男」。
常に母国ポーランドの民衆に寄り添い、抑圧に抵抗する声を上げ続けた90歳の監督から、現在への警鐘と言える大力作だ。

ストゥシェミンスキは色彩のアーティストだったから、凝った色彩デザインは本作でも見どころだ。
序盤に、自宅で絵を描いていたストゥシェミンスキのカンバスが、突然真っ赤に染まる印象的な描写がある。
赤を基調としたスターリンの巨大な肖像画が、彼のアパートの窓を覆う様に掲げられたのだ。
国家が、一つの機関によって一元支配されることへの恐怖。
表現の自由など無く、芸術も国家に服従を強いられ、社会主義リアリズム以外は排除される。
教鞭をとるウッチ市の美術学校での演説会で、反対意見を述べたストゥシェミンスキに、大臣が「市電に轢かれて死ね」と暴言を吐く。
しかし実際にそこは、芸術家も登録制となり、非公認では画材すら買えず、仕事も出来ないまま、ジリジリと死に向かって追いやられるディストピアなのだ。

赤く塗りつぶされる社会に対し、黒を身にまとい続けるストゥシェミンスキは、ある意味ワイダ自身。
容赦無く人生が崩壊してゆく様は、全体主義の時代を実際に経験した人ならではのリアリティだ。
ただ、この映画における色彩は、一つの意味を比喩するだけではなく、多義的な意味を持っている。
例えば離婚した妻と暮らしていた一人娘は常に赤いコートを着ているが、この場合の赤は体制の色ではなく、ストゥシェミンスキの黒の対照であり、母親の葬儀の際に派手な色を咎められた娘がコートを裏返して黒にするのは、臨機応変に変化する人間の多面性を示している。
あまりに実直過ぎて赤を纏えず、商店のショーウィンドウの中で、非業の死を迎えるストゥシェミンスキは、まるで「灰とダイヤモンド」の、ゴミ山の上で絶命する主人公マチェクの様だ。

しかしポーランドは民主化され、ワイダ自身も一時期連帯から出馬し、国会議員を務めていた。
劇中で主人公が勤めていた美術学校も、現在ではウッチ・ストゥシェミンスキ美術アカデミーと改名され、復権を遂げている。
なぜワイダは、最後の作品として、初期の抵抗三部作を思わせる様なダークな作品を撮ったのか。
劇中でストゥシェミンスキは、自らの色彩理論を女子学生にこう語る。
「ものを見ると目に像が映るが、見るのをやめて視線を逸らすと、それが残像として残る。残像は形は同じだが常に補色なんだ」
これは嘗て存在した現実の歴史の時間の、補色としての映画である。
やがて残像すら残らなくなった時に、人々は実像を覚えているだろうか。
共謀罪の時代、これは日本人にも決して他人事ではない作品だ。

近年では、ポーランドでも若い世代は、強い蒸留酒よりワインやビールを好む傾向があるそうだが、やはりポーランドと言えば伝統のウォッカの国。
今回は「べルヴェデール ウォッカ」をチョイス。
ジェームズ・ボンドの愛飲酒、スペクター・マティーニのオフィシャルとしても知られる、まろやかな口当たりのプレミアムウォッカ。
ムシムシする今の季節には、冷凍庫でキンキンに冷やし、シャーベット状にしてそのまま飲むかスパークリングウォーターで割るのがオススメ。

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怪物はささやく・・・・・評価額1650円
2017年06月21日 (水) | 編集 |
怪物を呼んだのは誰か。


重い病気にかかったママを持つ、孤独な少年の元に、夜な夜な巨大なイチイの木の怪物が現れて、三つの物語を語って聞かせる。

怪物は、三つ目の物語を語り終えたら、少年が心の中に隠している、四つ目の真実の物語を語らねばならないと言う。

突然現れた怪物と彼の語る物語は、何を意味するのだろうか。
思春期のヘビーな葛藤を、虚構と現実が入り混じる世界観の中で描いたパトリック・ネスの同名児童小説を、作者本人が映画のために脚色。
監督は、「永遠のこどもたち」「インポッシブル」で知られるJ・A・バヨナが務める。
フェリシティ・ジョーンズ、シガ二―・ウィーバー、リーアム・ニーソンというキャスティングが、数奇者好みのマニアックさだ。
※核心部分に触れています。

イギリスに住む13歳の少年コナー・オマリー(ルイス・マクドゥーガル)は、難病におかされたママ(フェリシティ・ジョーンズ)と二人暮らし。
部屋の窓から見えるのは、教会と墓地、そして大きなイチイの古木。
離婚したパパは、海の向こうのアメリカで新しい家族と暮らしている。
毎夜、ママが地の底に落ちそうになる恐ろしい悪夢にうなされるコナーだったが、その夜は目覚めても悪夢は終わらなかった。
イチイの古木が巨大な怪物(リーアム・ニーソン)となって、コナーの目の前まで歩いてきたのだ。
「私はお前に三つの真実の物語を話す。私が三つ目の物語を語り終えたら、今度はお前が四つ目の物語を話すのだ」と怪物は告げる。
コナーが心の中に隠している、誰にも知られたくない物語。
頑なに拒むコナーだったが、怪物は有無を言わさず一つ目の物語を語り始める。
そして、ママの容体も次第に悪化して入院することとなり、コナーは何かと馬が合わないおばあちゃん(シガ二―・ウィーバー)と暮らし始めるのだが・・・


パトリック・ネスの小説は、「十三番目の子」「ボグ・チャイルド」などで知られる、故シヴォ―ン・ダウドの原案に基づいている。
作家であり、表現の自由を守る活動家でもあったダウドは、作中の“ママ”と同じく、47歳の若さで乳癌のため亡くなった。
編集者が共通の人物であったことから、彼女の残した構想を基に、ネスが執筆することになったようだ。
ダウドが最後に伝えたかった想いをネスが受け継ぎ、今度はバヨナの手で映画となって観客に届けられ、いつかまた次の世代の子供たちに語り継がれる。
幸福な創作の連環によって、浮かびあがるのは物語の持つ力と役割である。

入れ子構造の物語と子供と怪物、この組み合わせはある意味鉄板だ。
「ネバー・エンディング・ストーリー」から「ナルニア国物語」「パンズ・ラビリンス」に至るまで、子供の心が具現化するファンタジーの世界の読み解きは面白い。
何らかの問題に直面し、心に闇を抱えた子供たちは、葛藤し現実を乗り越えるステージとしての物語の登場人物となる。
本作の特徴は、コナー少年の心の中に秘めたる物語があり、怪物が三つの物語を語り終えれば、彼が四つ目の物語を語ると、あらかじめ決められていること。
コナーは物語の結末を知っているが、それは決して認めたくない、彼自身の本音に関わるものなのだ。

ならば怪物の語る三つの物語の意味は何か。
大地の化身である怪物が語るのは、彼が“歩いた時”の物語。
一つ目物語は、ディズニー映画に出てきそうな古の王国で展開する。
王国には偉大な王と王妃夫妻、聡明な王子がいる。
王妃は継母で、王子とは血が繋がっておらず、魔女だという噂があった。
ある時、王が亡くなり、王子が成人するまでの間、王妃が女王として国を統治することになるのだが、まだ若い彼女は、権力を維持するために王子との結婚を画策する。
ところが、王子には村娘の恋人がいた。
王子は恋人と駆け落ちするも、イチイの木の根元で眠っている間に、彼女は何者かに殺されてしまう。
女王の仕業だと考えた王子は、怪物と化したイチイの木、怒りに燃える村人たちと共に王宮に攻め入り、女王を追放して王位につく。

一見するとごくごく単純な勧善懲悪物語だが、実は怪物が歩いたのは王子のためではなく、無実の女王を救い、誰の手も届かない土地に解放するため。
物語には裏があり、恋人を殺したのは王子自身で、邪魔になる女王を排除するために、陰謀を巡らせたのだ。
王位についた王子は、立派な名君となり国を治めたという。
女王は悪の魔女ではなかったが、権力に執着し王子との結婚を望み、王子は目的のためなら手段を択ばない冷酷さを持つが、王としては有能だった。
人間の世界には、絶対の悪も絶対の善もないのである。

二つ目の物語は、産業革命の頃の時代、村の司祭とアポセカリー(薬剤師)の話だ。
薬草から薬を作り人々を癒すアポセカリーは、既に時代遅れの存在で、司祭もまたこの強欲で偏屈な男を忌み嫌い、信徒に彼の治療を受けないよう説教したため、アポセカリーはますます困窮する。
彼は、司祭館の敷地に立つイチイの木が優れた薬効を持つことから、この木を欲しがっていたが、司祭はがんとして譲らなかった。
ところが、司祭の二人の娘が疫病にかかり、近代的な治療が効かなかったため、恥を忍んでアポセカリーに娘たちを助けて欲しいと哀願する。
しかし、イチイの木も渡すし、今までの信念も捨てるという司祭に、アポセカリーは治療を拒否し、娘たちは死んでしまう。
再び怪物となったイチイの木は、"司祭館"を襲い破壊するというもの。

この物語も単純にとらえれば、司祭が被害者でアポセカリーが悪者の様に見えるが、そうではない。
たしかにアポセカリーは強欲で嫌な男だが、実際に人々を癒す力を持っていた。
一方の司祭は、単に自分が嫌いという理由だけで、アポセカリーを破滅に追いやり、人々が彼の治療を受ける機会を奪い去ったのだ。
それでいて、自分の都合が悪くなると、あっさりと信念を曲げてしまう。
結局、娘たちの死も司祭の身勝手さがもたらしたことで、だから怪物は司祭館を壊して、彼を懲らしめたのだ。

水彩調の美しいアニメーションで描かれる二つの物語は、昔話の体裁をとっているが、実はコナー自身の物語でもある。
彼はこの世界を“可哀想なこちら”と“無関心なあちら”、あるいは“正しい”と“正しくない”の二元論で見ている。
ママはもちろんこちら側で、色々と衝突するおばあちゃんはあちら側。
おばあちゃんは彼女なりに苦しんで、娘のことや孫のことを考えているのだけど、その想いはコナーには届いていない。
一つ目の物語は、人間の世界が単純な二元論で出来ていることをやんわり否定し、人の心の複雑さを伝える。
コナーの中で鬩ぎ合う希望と絶望は、二つ目の物語の司祭とアポセカリーによって対比され、何かにつけて彼が縋ろうとする、単純な正論の身勝手さを見せつけられるのだ。

続く三つ目の物語の主人公は、現実世界のコナー自身。
ママが病気になって、そのことが周りに知られて以来、人々は腫れ物に触れるようにコナーを扱い、彼は疎外感を募らせている。
いつの間にか透明人間になってしまった自分に耐えられず、あえていじめっ子を見つめることで自己主張し、毎日殴られる。
ところが相手がそんなコナーの意図に気づき、「もうお前を見ない」と告げるのだ。
いじめっ子の言葉は、図らずも未だ語られていない四つ目の物語の秘密に触れ、その瞬間、怒りに駆られたコナーは自身が怪物となって、いじめっ子を病院送りにしてしまう。
なぜ彼は、いじめっ子にだけ自分を見えるようにしていたのか。
それは、秘めたる四つ目の物語の真実に対して、自分自身で課した罰なのである。

怪物の語る三つの物語は、少年が残酷な現実を受け入れるための、通過儀礼としての疑似体験。
最初の二つの物語で、抱えている問題の本質を知り、三つ目の物語でこれが自分の現実であることを突きつけられる。
ついにコナーは、彼の人生に何が起こっているのかを認め、第四の物語とその向こうにある辛い真実に向き合う必要に迫られるのだ。
三つの物語を聞いている間にも、コナーを取り巻く環境は、確実に変化している。
どんな治療をしてもママはもう助からない、その事実は変えられない。
パパはアメリカの家庭にコナーを迎え入れるつもりはなく、これからはおばあちゃんと暮らさなくてはならない。
そして何よりも、日々少しずつやせ細り、死に向かってゆくママの姿を見続けるのが耐えられない。
だから、コナーは毎夜観る悪夢の終りで、地の底に飲みこまれようとするママの手を放してしまうのである。
「ボクは、苦しみから解放されるために、ママの死を願っている」という絶対に認めたくない真実、それが第四の物語。
大人と子供の狭間、13歳で背負わされる過酷な運命は、悪夢の結末と共に強烈な自己嫌悪となって、まだ幼い心を引き裂こうとする。
しかし、そんな現実が物語を生み出し、物語が現実を支え、コナーは少しずつ成長し、ようやく自らの真実の物語を語ることで乗り越えて行く。

シームレスにつながる現実世界と物語世界の、映画ならではのビジュアル表現、ぱっと見ではシン・ゴジラとグルートを合体させたような怪物のデザイン(実際は原作の挿絵に非常に忠実)も味わいがある。
原作には言及のない、「キング・コング」のメタファーとしての使い方も面白かった。
非常に重要なのは、原作小説と映画とでは、メンターとなる怪物がなぜコナーの前に現れたのかという解釈が異なっていること。
映画のコナーは、ただ一人孤独の中で怪物を生みだし、葛藤を解決したのではない。
おそらく、パトリック・ネスは小説を執筆し終えてから、この解釈を思いついて映画に採用したのではないだろうか。
物語は、誰かが大切な誰かへと想いを込めて贈る時に、現実を超える広がりと力を持つ。
ママからコナーへの魂の継承によって、詩的な余韻の広がる怪物と少年の物語は、彼のこれからの人生を哀しみではなく愛で包み込むのである。

今回は原作小説でママの愛飲酒、イギリスのリキュール「ピムス」をチョイス。
ロンドンのシティでオイスター・バーを経営していたジェームズ・ピムスが、ジンをベースにしたオリジナルのカクテル「ピムス ナンバーワンカップ」を作ったのは1840年のこと。
現在でもピムスのレシピは、世界で6人だけが知っているらしい。
ピムスとサイダーを1:3の割合で、氷を入れたグラスに注ぎ、スライスしたレモンと、板状にカットしたキュウリを入れて軽くステアして完成。
ピムスに配合されているハーブやフルーツのフレーバーが、スッキリとした清涼感を演出する。
日本の夏にもピッタリの一杯だ。

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セールスマン・・・・・評価額1700円
2017年06月18日 (日) | 編集 |
真実は、人生に何をもたらすのか。

人間心理を繊細に描き出すイランの異才、アスガー・ファルハディ監督の最新作は、さすがの面白さだ。
主人公は、劇作家アーサー・ミラーの代表作、「セールスマンの死」を上演しようとしている仲の良い俳優夫婦。
ある夜、引っ越して間もないアパートに何者かが侵入し、妻が暴行される事件が起こる。
事件への対応を巡りすれ違う夫婦は、やがて明らかになる真実によって、さらなる葛藤に直面する。
主演のシャハブ・ホセイニとタネラ・アリシュステイが素晴らしく、二人の噛み合わない想いがぶつかり合うことで、強烈にキャラクターが立つ。
第89回アカデミー外国語映画賞に輝くも、トランプ政権のイスラム圏からの入国禁止措置に反発し、ファルハディ監督らが授賞式をボイコットしたことでも話題を呼んだ。
夫婦というミニマルなコミュニティから、分断された世界が見える問題作だ。
※核心部分に触れています。

現代のテヘラン。
エマッド(シャハブ・ホセイニ)は、教師をしながら妻のラナ(タネラ・アリシュステイ)と共に劇団に所属し、「セールスマンの死」の上演準備に忙しい。
ところが、住んでいたアパートが倒壊の危機に晒され、二人はやむなく劇団仲間が紹介してくれたアパートに引っ越すことにする。
仕事と引越しと芝居の稽古が同時進行する、慌ただしい日々。
ついに、芝居が初日を迎えた日の夜、遅れて帰宅したエマッドは、ラナが病院に運ばれたことを知らされる。
彼女がシャワーを浴びている間に何者かが家に侵入し、彼女を暴行したのだ。
警察への通報を拒否し、気丈に翌日の舞台に立ったラナだったが、公演中に泣き出してしまう。
怒りに駆られたエマッドは、一人で犯人を探し始めるのだが・・・


冒頭、隣接地での乱暴な地盤工事によってによって、エマッドとラナの住むアパートが倒壊しそうになり、退去を余儀なくされる。
堅牢に見える人生も、予期せぬ脅威によって、あっけなく崩壊してしまうという、二人の未来を簡潔に示唆する秀逸なオープニング。
仲睦まじい夫婦の日常が、引越し先で起こった暴行事件によって非日常の世界へと突入する。
心と体に深刻な傷を負ったラナは、恐怖から事件と向き合えず、警察への不信と世間体から、被害届は出さないと頑なに主張。
一方、最愛の妻を暴行されたエマッドは、現場に乗り捨てられたトラックを手掛かりに、躍起になって犯人を見つけようと奔走する。
やがて、夫婦の間には、目に見えない溝が生まれてくるのである。

ファルハディの名を世界に知らしめた「彼女が消えた浜辺」では、カスピ海のリゾートでバカンスを楽しんでいた友人たちが、一緒に来ていたエリという女性が忽然と姿を消したことで混乱に陥る。
彼女は黙って帰ったのか、それとも溺れてしまったのか。
誰も解決策を見出せず、仲の良かった友人たちは、事態への対応を巡って、エゴをむき出しにしてお互いを罵り合うようになる。
アカデミー外国語映画賞を得た「別離」では、一人娘により良い教育を受けさせるために、海外移住を主張する妻と、認知症で要介護の父親を抱えて、慣れない環境に踏み出せない夫の間の離婚騒動が、もう一組の夫婦を巻き込んだ四つ巴の争いとなる。
四人の本質的には善意の行動が、ボタンの掛け違えから負の連鎖を呼び込んでしまうのだ。
パリを舞台にした「ある過去の行方」も含めて、いずれの作品も登場人物たちの葛藤が複雑に絡み合い、いつの間にかカオスな状態になってしまう心理劇。
誰もが感情移入できる普遍性のある人間同士のドラマに、イスラムの信仰というイランならではのスパイスが絶妙に効いている。

本作では、暴行事件を巡る夫婦それぞれの苦悩を軸に、愛と罪の物語が展開する。
起こってしまったことを無かったことには出来ないが、向き合い方には違いがある。
ラナは記憶に蓋をするように事件そのものから顔を背け、ただ恐怖を内に抱えて憔悴したまま。
そんな妻の態度に納得できないエマッドは、彼女のためと思いながら犯人を捜すが、実は自分の心に決着をつけるために、復讐に走っていることに気づかない。
エマッドの苛立ちは、実はラナにも向けられている。
夜遅く呼び鈴が鳴り、エマッドが帰宅したのだと考えたラナは、相手を確かめずに解錠してしまっていたのだ。
もちろん、彼女が悪い訳でないのは分かっているが、不用意に鍵を開けた妻に対する静かな怒りは、夫の無意識に燻っているのである。

エマッドの怒り、ラナのやるせない後悔は、アパートの以前の住人と、二人に部屋を紹介した劇団仲間にも向く。
大量の家財道具を置き去りにしていた前の住人は、実は娼婦で、夜な夜な男たちが部屋に出入りしていたことが明らかになり、大家である劇団仲間も実は彼女の客であったことが示唆される。
もしも、前の住人がきちんと家財道具を移動していたら、劇団仲間が彼女の素性をエマッドたちに伝えていたら、事件は起こらなかったのではないか。
そして、終盤になって登場する意外な容疑者と、エマッドとラナに突きつけられる究極の選択
ファルハディの作品は、観ているうちに観客も事件の関係者になったような没入感が特徴だが、本作でも、私たちは二人の葛藤を固唾を飲んで見つめると同時に、「あなたならどうする?」というスクリーンの向こうからの作者の問いかけに、自分なりの答えを探すことになる。

男女の見る世界の違い、イラン社会独特の本音と建前、見えにくい経済格差。
現実の世界で夫婦が直面する分断が、作中の重要なモチーフとなる劇中劇「セールスマンの死」と重なる仕掛け。
20世紀のアメリカを代表する劇作家、アーサー・ミラーによるこの戯曲は、第二次世界大戦後に深刻化するアメリカ社会の分断を、一人の老セールスマンの最期を通して描いた問題作だ。
敏腕セールスマンだった主人公は、成績の落ち込みが激しく、過去の栄光にすがって生きている。
育て上げた二人の息子に気持ちは通じず、ついには親子二代に渡って使えたボスに解雇され、自ら死を選ぶ。
過剰な競争社会、世代間断絶、未来の見えない時代など、戦後アメリカの社会分断を描いた戯曲が、現代イランを舞台とした物語の背景となる。

「セールスマンの死」では、主人公の保険金によって、残っていた家のローンが完済されたことが妻の独白によって告げられる。
本作では、妻を襲った暴漢には大きな悲劇が訪れるが、そのことによって、主人公夫婦の間には、決して修復できない大きな溝が出来てしまう。
どちらの物語でもいくつもの分断が重なり合った結果、目的は果たすも幸せは失われるという本末転倒のアイロニーがもたらされるのである。
映画の鑑賞にあたっては、「セールスマンの死」は知らなくても楽しめるだろうが、本作の様に過去の作品にインスパイアされて作られ、元の作品を物語に内包するような構造になっていると、元の作品を知ってるのと知らないとでは理解に差が出てしまう面があるのは否めない。
もちろん単体で観ても十分に面白いのだけど、これも物語作りの難しいところだ。

しかし、本来なら20世紀の米国から21世紀のイランへと繋がる、素晴らしい創作の連鎖なのに、トランプ政権の愚かな政策の結果、本作そのものが分断の象徴となってしまったのは皮肉。
まあ、そのおかげで、描こうとしたテーマはむしろ際立ったかも知れないけど。

今回は、アメリカを代表する戯曲にインスパイアされた作品ということで、美しい二層のカクテル「アメリカン・ビューティー」をチョイス。
ブランデー20 ml、ドライ・ベルモット15 ml、オレンジ・ジュース15 ml、グレナデン・シロップ10 ml、ペパーミント・ホワイト1 dashをシェイクし、グラスに注ぐ。
最後に、ポートワイン1tspを静かに浮かせて二層にして完成なのだが、比重の重いポートワインをうまく浮かせるのは至難の技なので、混ざってしまっても良しとしよう。
「アメリカン・ビューティー」というと、まさに現代アメリカの分断を描いたサム・メンデスの映画があったが、元々はバラの品種の名前。
その名の通り、上層の濃い赤と下層の淡いピンクがバラを表現する。
映画は物語の進行と共に分断が深まってゆくが、こちらは上下層が混じり合い、優しい甘みとあっさりとしたあと味を楽しめる。

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ショートレビュー「パトリオット・デイ・・・・・評価額1650円」
2017年06月14日 (水) | 編集 |
愛国者たちの街。

アフガン戦争の“レッド・ウイング作戦”で、ただ一人生き残った兵士の物語「ローン・サバイバー」、メキシコ湾で起こった、石油プラットホーム爆発事故を描く「バーニング・オーシャン」に続く、ピーター・バーグ監督とマーク・ウォールバーグによる実録レクイエム3作目。
今回のモチーフになるのは、2013年4月15日に起こった、“ボストンマラソン爆弾テロ事件”だ。
タイトルの「パトリオット・デイ(愛国者の日)」とは、アメリカ独立戦争の緒戦を記憶するため、戦いの舞台となったマサチューセッツを含む三州で制定されている祝日。
ボストンマラソンは、この祝日の制定を記念して、1897年に始まったアメリカで一番古い歴史を持つマラソン大会なのである。
第117回目の大会となったこの年も、多くの参加者や見物客でにぎわっていたが、最も人の集まるゴール付近で、午後2時45分に二度の爆発が連続して起こり、3人が死亡し、300人近くが負傷する大惨事となってしまった。


映画は、事件の前夜から、容疑者逮捕までの緊迫の5日間を描く群像劇。
マーク・ウォールバーグが演じる殺人課の刑事トミーは、映画のために作られたキャラクターだが、トミーと彼の妻以外は基本的にほとんどが実在の人物だ。
前二作と同様に、基本は究極の再現ドラマで、登場人物の内面描写は必要最小限に抑えられている。
しかし今回は、関係者がボストン警察、ボストン市民、FBI、無数の被害者、容疑者とその知人たちと非常に多岐にわたっており、物語にまとめ役が必要だ。
架空のトミーを軸に置くことによって、事実関係を改変せずに、観客の感情移入の対象が出来て、物語に入りやすくなる。
この人物の造形も良く出来ていて、冒頭爆弾とは関係ない軽犯罪の捜査で、容疑者の家のドアを蹴破ろうとして怪我をしてしまう(笑
荒唐無稽な刑事ドラマのキャラクターと違って、リアルな人物像を持ち、事件の中心にいるのだが、実は決定的に重要な役割は果たしていない
事件当時に捜査にあたった多くの警察官たちを統合し、物語のどこにでも配せる、ナチュラルなポジションにいるキャラクターなのだ。

一回目の爆発までの30分弱の第一幕で、関係する十数人の日常をざっくり描き、一度事件が起きれば後は極限の緊張感が最後まで持続するサスペンスフルな展開。
ピーター・バーグは個々の人物の心情に寄り添うのではなく、その場で起こったことを丹念に描き、現象を極力リアルに感じさせることで、観客を一人ひとりを善意のボストン市民とする。
例えば、爆心地近くで亡くなった8歳の少年がいる。
彼の体に刺さった破片が証拠になるために、捜査上層部の許可が無いと遺体を路上から動かせない。
遺体は何も語らないが、バーグは放置された遺体を見守る一人の警察官を描写し、ようやく遺体が搬送される時、彼は敬礼で見送るのである。
あるいは逃亡中の容疑者に拳銃を奪われそうになり、抵抗して四人目の犠牲者となる警察官に関しては、彼の交友関係をかなりの時間をかけてキッチリと描いている。
どちらの描写も事件の捜査には直接関係が無いのだが、死を受け止める人を描くことで、それは単なる死から観る者にとって意味ある誰かの死になるのである。

同じ意味で、ほんの端役まで第一幕に登場させた訳は、例によって再現ドラマと現実が合流するエピローグまで来ると納得だ。

今回は前二作と比べて生き延びた被害者が多いので、エピローグの作りもレクイエムよりも、真に共同体を愛する人々にエールを送ることに主眼を置いた作りになっていて、本作の言いたいことはこの部分に集約される。
事件で共に足を失ったカップルの、テロ事件の被害者は「平和の大使」という、絶望を希望に変える力強い言葉に驚嘆。

事件を起こしたチェチェン系米国人のツァルナエフ兄弟の描き方も、偏向した部分はなく、あくまでもある現象を起こした人物であって、それ以上でも以下でもない。
むしろ面白かったのは、兄の妻の語る「イスラム教徒の妻であることとは」という、独特の哲学の部分だった。
悲劇の跡に残るのは憎しみではなく、愛であって欲しい。
亡くなった人々を悼み、人間の勇気に希望を見るピーター・バーグとマーク・ウォールバーグのユニークな実録シリーズ(?)。

次は一体何の事件をモチーフに描くのだろう。

今回はお馴染みボストンの地ビール、ボストン・ビア・カンパニーの「サミュエル・アダムズ ボストン・ラガー」をチョイス。
水の様に薄いアメリカンビールとは一線を画し、マイルドでありながらもコクがあり、モルトの強い風味を味わえる。
サミュエル・アダムズは合衆国独立に深く関わったボストン出身の政治家で、独立戦争の序章とも言えるボストン茶会事件を主導し、アメリカ独立宣言にも署名した建国の父の一人。
やはりボストンの歴史は面白い。

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ショートレビュー「海辺のリア・・・・・評価額1650円」
2017年06月13日 (火) | 編集 |
それでも、生きている。


認知症を患った元スター俳優の桑畑兆吉が、介護施設を脱走する。
舞台や映画への出演だけでなく、俳優養成所を経営するほどの大御所だったが、台詞を覚えられなくなり20年前に引退。

やがて長女の由紀子と元弟子の行男夫婦にそそのかされ、財産を奪われて僻地の施設に追いやられていたのだ。

延々と能登の海岸を歩き続ける兆吉は、嘗て私生児を生んだとして勘当した、愛人との間にできた次女の伸子と出会い、束の間の旅を共に続ける。


タイトルの「リア」とは、シェイクスピアの「リア王」のこと。
ブリテンの王リアは、退位にあたって三人の娘に領地を分割しようとする。
長女と次女は、父にすり寄って歓心を買うが、三女のコーディリアだけは実直にものを言い、怒ったリアによてって勘当され、彼女をかばったケント伯も追放される。
しかし、リアが退位すると長女と次女は父を疎んじるようになり、行き場を失ったリアは荒野を彷徨い、狂気にとりつかれてしまう。
フランス王妃となったコーディリアは、フランス軍を率いドーヴァーに布陣。
父との再会を果たすも戦いに敗北し、リアと共に捕虜となってしまう。
コーディリアは処刑され、彼女の遺体を抱いたリアは哀しみに絶叫してこの世を去る。
実際にはリア親子の物語に、グロスター伯の二人の息子、エドガーとエドマンドの異母兄弟の陰謀劇がサブストーリーとして複雑に絡み合い、登場人物の大半が死んでしまう。
王の老いがもたらす心の弱さと孤独、誠実な者が必ずしも救われるとは限らないこの世の無情、因果応報の人間の業が、大いなる悲劇を引き起こす物語だ。


全てを忘れつつある兆吉が、それでもなお記憶している「リア王」の愛と狂気が、現実世界の彼の境遇とシンクロする仕掛け。

王は勿論仲代達矢で、黒木華演じる次女の伸子がコーディリアなのだが、彼女と兆吉を追い出した長女の関係にはエドガーとエドマンドも投影されている。

因みに、仲代達矢と長女を演じる原田美枝子の組み合わせは、黒澤明が「リア王」を翻案した「乱」とほぼ同じ。

「乱」は原作の娘を息子に変え、原田美枝子演じる長男の妻の楓の方が一族を滅ぼす魔性の女だったが、今回はオリジナルの戯曲どおり長女設定となっていて、この辺りはオマージュか。
兆吉の元弟子で良心の葛藤に揺れる阿部寛が、戯曲の長女の夫オルバニー公とケント伯を合わせた様な人物となっていて、小林薫が演じる由紀子の愛人がエドマンド的な役回り。

複雑な「リア王」の構成要素を集約し、映画の登場人物はわずか5人
しかも冒頭5分で、全員が姿を見せるというスピーディーな展開だ。
大半のシーンが能登の海岸で進行し、ほぼ全編にわたって、この映画の狂気の王たる仲代達矢をフィーチャーする。
シネマスコープ画面の背景になるのは、海や砂浜といった、いわゆる“ヌケのいい画”なのだが、被写界深度は浅く設定され、俳優の演技がクッキリと浮き立つ。

独特の台詞回しやカメラワークを含めて、全編ロケーションながら非常に演劇的なのが特徴で、その経歴も主人公とオーバーラップする、仲代達矢のキャリア集大成とも言える魂の演技は見ごたえたっぷりだ。

シェイクスピアの戯曲は壮大な悲劇で終わるが、21世紀の日本のリアははたしてどうなるのか。
父親への愛憎を抱えた伸子が、常に死を匂わせていて、小林政広監督だけに生温い結末にはしないだろうなと、終始ハラハラ。
本作のテーマが結実するラストショットは、本当に見事だった。


しかし、老いを描く日本映画は本当に増えた気がする。

今年だけでも、本作の他に「家族はつらいよ2」「八重子のハミング」といった作品が心に残る。

それだけ社会全体にとって、老いとどう向き合うかが切実なモチーフになりつつあるということか。

今回は舞台となる石川の酒、車多酒造の「天狗舞 古古酒純米大吟醸」をチョイス。
酒器に注いだ瞬間にふわりと立ち上がる優しい吟醸香、一口飲んで思わず「美味い!」と呟いてしまう、熟成されたまろやかな味わい。
全てが極めてハイレベルに仕上げられた、極上の日本酒である。
普段使いにはちょっとお高いが、何かの記念日などにはピッタリだ。

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