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ショートレビュー「クリード 炎の宿敵・・・・・評価額1700円」
2019年01月16日 (水) | 編集 |
虎の目を取り戻せ!

前作に勝るとも劣らない、素晴らしい仕上がりだ。
とは言っても、作品のベクトルとテイストはかなり異なるのだが、これは前作で監督・脚本を担当したライアン・クーグラーがエグゼクティブ・プロデューサーに退き、作り手の顔ぶれがガラリと変わったのが大きい。
監督は本作が長編2作目となるスティーヴン・ケープル・Jr.にバトンタッチし、チェオ・ホダリ・コーカーと共同で脚本を担当しているのはスタローン自身なのである。
ぶっちゃけ、遂にチャンプになって父と並んだアドニス(ドニー)とロッキーが、因縁のドラゴ親子の挑戦を受ける物語は、セオリー通りの展開で新鮮味はなく、人間ドラマの面白さは前作に及ばない。
しかし、クーグラー色の強かった前作より、ずっと「ロッキー」している本作は、外連味たっぷりのボクシング映画の魅力としてはむしろ上回っているのだ。
何より、ロッキーに負けたことで人生そのものが狂ってしまった、ドラゴ親子のエキセントリックさがいい。
復讐のために息子に重荷を背負わせるとか、「ドラゴンボール超 ブロリー」のベジータへの怨みに囚われたブロリー親父にデジャヴ。

だが、実はこのコンセプトは、オリジナルシリーズの一作目と、二作目以降の関係と同じ。
一作目の「ロッキー」でアポロ・クリードに敗れるも、その善戦によって時の人となったロッキーが「ロッキー2」でチャンピオンとなると、シリーズは良くも悪くも見世物としての色彩を強め、第3作「ロッキー3」では当時人気絶頂のプロレスラー、ハルク・ホーガンと異種格闘技戦を行い、冷戦末期に作られた本作の前日譚でもある「ロッキー4/ 炎の友情」では、アメリカの威信をかけてソ連代表のドラゴと戦った。
要するに今回は、冒頭で「ロッキー2」をやって、「3」のプロットを踏襲しつつ、「4」に繋げたようなもの。
実際のヘビー級ボクサーだという、フローリアン・ムンテアヌ演じるドラゴの息子ヴィクターが、ドニーよりもずっと大きくて、もう見た目で全然勝てそうもないのも嘗てのvsドラゴ戦と同じ(スタローンとドルフ・ラングレンの身長差は実に20㎝以上!)。
肉体改造のための地面をひたすらぶっ叩く効果のよく分からない練習法とか、砂漠の真ん中にあるマッドマックスな“虎の穴”とか、ヒロインのテッサ・トンプソンの歌手設定を生かしたクライマックスのド派手な入場とか、サービス精神マックスの展開に観ていて嬉しくなってしまった。

中盤とクライマックスに配されたボクシングシークエンスは、意外と結構短いのだけど、展開はスリリングで結末が分かっていてもなんだか凄い試合を観た気にさせる。
やっぱオリジナル世代としては、実にいいところでロッキーのテーマがかかるだけで無条件にアガってしまうのだ。
そして過去40年にわたるシリーズの積み重ねが、画面に映らない部分からドラマに深みを与えている。
30年前のアポロとの戦いの顛末があるからこそ、クライマックスの最後にドラゴ父がとるある行動には、色々な感情が動かされてグッとくるものがあった。
劇中何度も繰り返されるのが「なぜ戦うのか?」という問い。
キャリアを重ねるに従って、ドニーの中でもその意味は変化している。
前作が「何者でもない若者が何者かになる」までの話だとしたら、これは「何者かであり続ける」ことの意味を描いた作品。
セオリー通りでも作劇と人物描写は非常に丁寧で、説得力は十分。
終幕である決断をするロッキー、未来を向くドニー家族、再起をかけるドラゴ親子のその後にも余韻が広がる。

しかし、ドルフ・ラングレンはともかく、色んな意味でスタローンにも因縁深い、“あの人”まで出て来るとは思わなかった。
ドラゴ親子の台詞の、“あの人”への恨み節は、変な意味で実感こもってたな(苦

今回の決戦の舞台はモスクワ。
というわけで「モスクワのラバ」こと「モスコ・ミュール」をチョイス。
氷を入れたグラスに冷やしたライム・ジュース15ml、ウォッカ45ml、適量のジンジャーエールを注ぎ、ステアする。
本来のレシピはジンジャービアなので、それでもよい。
最後にスライスしたライムを入れて完成。
名前の由来は「ラバに蹴飛ばされるほど強い」という意味で、まさにヴィクター・ドラゴのパンチのような酒だ。

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こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話・・・・・評価額1650円
2019年01月13日 (日) | 編集 |
ワガママ言ってはダメなのか?

喜怒哀楽、人間の色々な感情が詰まった、いい映画だった。
全身の筋肉が徐々に衰える進行性の病、筋ジストロフィーを患いながら、在宅で生活することに拘り続けた、鹿野靖明と彼の生活を支えたボランティアたちを描く、実話ベースの物語。
とにかく登場人物たちが魅力的。
軸となるのは鹿野とボランティアの医学生・田中、ひょんなことから巻き込まれる、田中の彼女の美咲の3人。
初対面からあまりにもワガママな要求を連発する鹿野に反発する美咲は、やがて彼の人柄に魅せられてボランティアの中心メンバーに。
一方の田中は、ボランティアとしても、彼氏としても色々自信を失ってゆく。
晩年の鹿野靖明に取材した渡辺一史の名著、「こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」を、「ビリギャル」の橋本裕志が脚色、食育をモチーフにしたやはり実話ベースの問題作「ブタがいた教室」の前田哲監督がメガホンを取った。

1994年、札幌。
34歳の鹿野靖明(大泉洋)は、子供の頃に筋ジストロフィーと診断され、以来ずっと闘病生活を送っている。
今では首から下は手がわずかに動かせる以外ほぼ麻痺し、呼吸器の筋肉も衰えてきているので、主治医の野原先生(原田美枝子)には、入院して人工呼吸器をつけることを勧められている。
だが、あくまでも自立した生活を送りたい鹿野は入院を拒否。
多くのボランティアに支えられて、今も自宅に暮らしている。
北海道大学の医学生・田中(三浦春馬)はそんなボランティアの一人だが、ある日彼女の美咲(高畑充希)が鹿野の自宅に様子を見に来る。
すると、鹿野に気に入られた美咲も、よくわからないうちにボランティアの一員として扱われることになるのだが、真夜中に「バナナを買ってこい」など、鹿野のワガママな要求にキレた美咲は早々にボランティアを辞めることを宣言。
しかし、しばらくすると田中経由で鹿野が謝りたがっているという話を聞き、再び会うことになるのだが・・・


1959年に生まれた鹿野靖明は、病気が明らかになった時、二十歳まで生きられないと宣告されたが、実際には倍以上の時を生きて2002年に42歳で逝去。
渡辺一史の原作は2000年代に入ってからの鹿野へのインタビューを中心としたノンフィクションで、映画化にあたってはかなり脚色されている。
濃密な人生のうち、映画に描かれているのは、とことん運命に抗っていた鹿野が遂に人工呼吸器をつけることになり、それでも自立した生活を成立させるまでの1994年からの一年間。
絶対的な中心に鹿野がいるのは変わらないが、シーソーの両端でドラマを動かしてゆく田中と美咲のキャラクターは、本に登場する多くのボランティアをモデルに創作された人物だ。
筋ジストロフィーの肉体を表現するため、体重を大幅に落とすデ・ニーロ・アプローチで挑んだ大泉洋が素晴らしく、三浦春馬と高畑充希が演じる、田中と美咲というそれぞれに対照的な境遇に育ち、異なる背景を抱えた若者の造形もいい。
彼らの青春の苦悩が、ボランティアとしての葛藤と絡み合い、軸をぶらすことなく見事な青春ストーリーともなっているのである。
もちろん、第一義的には実在した人物を描くのだから、映画作りのスタンスは極めて真摯。
介護生活の作り込みは説得力十分なもので、例えば人工呼吸器を付けた後の鹿野の台詞の出方が、呼吸器の作動の影響を受けるといった、ディテール描写への拘りもリアリティを高めている。

それにしても、四半世紀前の1994年の社会は今とは全然違う。
インターネットは普及前、SNSなんて概念すら存在せず、携帯電話は一応はあったものの、一般化はまだまだ先のポケベルの全盛期で、それすら持ってない人も多かった。
誰かと連絡を取りたかったとしても、相手が家にいなければ留守電を入れて返事を待つしかなかったのである。
コミュニケーションの手段が現在よりもはるかに脆弱だった時代に、24時間要介護なのだから、ボランティアの数合わせだけでも大変な苦労だ。
電話をかけるのすら、もう筋力が衰えて受話器を持ち上げられないので、誰かの手を借りなければならない。
鹿野はまだ体が動いた時代から、自ら街に出てボランティアを募集し、集まったボランティアからまた別のボランティアを集めるネットワークを構築。
彼の家に集ったボランティアの総数は、延べ500人以上にのぼったという。
もちろん、入院するなり施設に入りなりすれば、そんな心配は無用なのだが、なぜ彼は大変なことを分かっていて、あえて入院を拒否して在宅の自立生活にこだわったのか。

彼の生き方への理解が、最初は鹿野に反発していた美咲が、一転して彼に魅せられる理由であって、本作が私たちに伝えたいことなのだ。
病院にいるということは、それは鹿野という人間が「一方的にお世話される存在」になってしまうこと。
それは楽かもしれないけど、鹿野はそんな消極的な人生を拒否する。
みんなが普通にやってることを、自分もやりたい。恋もしたいし、旅行へも行きたい。人生を謳歌し、楽しみたい。
病気になったのは、別に誰のせいでもないし、仕方のないこと。
でも、それで体が動かないからといって、全てを諦める必要はどこにもない。
鹿野は、在宅で自立した生活にこだわり、自らボランティアを集めるという「仕事」をすることで、常にアクティブに人生を送り、そんな彼のボランティアをする事で、周りの人たちの生き方も変わってゆく。
本作では、医者になる自信を失いかける田中のキャラクターに代表されているが、特に多かったという医療系の学生ボランティアにとっては、厳しい現場を経験できる又とないチャンスでもあり、鹿野は彼らにとっては介護対象者である以上に「先生」でもあるのだ。
彼は確かにストレートな物言いをするんだけど、何かを出来ない人が出来る人に助けを求めるのは、ある意味当然のことで、それはワガママではあっても「迷惑」とは違うと実感させられる。

鹿野靖明という、かつて確かに実在した男の生き様を描き、若者たちの成長を描くフィクションの青春ドラマとナチュラルに融合させて、とても面白い劇映画に昇華した本作の作り手たちは、本当にいい仕事をしていると思う。
しかし、500人ものボランティアが途切れることなく集い、亡くなるまで支え続けたって、本人の人柄が大きいのだろうけど本当に凄い話だ。
お涙ちょうだいにならず、ユーモアが前面に出て、考えさせつつ楽しい映画になっているのもこのユニークな傑物あってのこと。
鹿野をはじめ、端役に至るまでキャラ立ちした登場人物たちに大い感情移入し、時には笑って、ちょっとウルっときて、楽しみながらも誰もが生きている限り無関係ではいられない、「福祉」のあり方や要介助者にとっての「自立」の意味など、観終わってからも色々な問いが頭に広がり、じっくりと考えさせられる。
エンターテイメントとして間口が広く良く出来ているだけでなく、高い寓意性と教育性を併せ持つ秀作である。

今回は、北海道の話なので、鹿野靖明と飲み交わしたかった「サッポロ生ビール 黒ラベル」をチョイス。
1876年に設立された、札幌麦酒醸造所がルーツ。
金色の北極星が特徴の黒ラベルは、軽すぎず、重すぎず、麦の旨味とスッキリした喉越し、クリーミーな泡のバランスは、「ザ・日本のビール」と言うべきスタンダードなもの。
今の季節は新年会でも飲む機会が多いが、とりあえず何を肴にしても美味しい、オールマイティで使い勝手のいいビールだ。

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ショートレビュー「マチルド、翼を広げ・・・・・評価額1600円」
2019年01月06日 (日) | 編集 |
大きすぎる愛は、ちょっと辛い。

「カミーユ、恋はふたたび」などで知られるノエミ・ルヴォウスキーが、自らの子供時代をモチーフに、監督・脚本・出演を兼務して描いたユニークなジュヴナイル・ファンタジー。
舞台はフランス、パリ。
新星リュス・ロドリゲス演じるマチルドは、ちょっと心を病んだお母さんと二人、アパルトマンに暮らししている9歳の少女。
医者のお父さんは、離婚して離れて暮らしている。
学校の面談での、マチルドの先生とお母さんの全く噛み合わない会話、突如としてウエディングドレスを購入し、そのままの姿で街を歩くなどの奇行。
マチルドがどんなに気を付けても、お母さんは毎回やらかしてしまうのだ。
そんなある日、彼女はお母さんからプレゼントをもらう。
大きな包みに入っていたのは、小さなフクロウ。
なぜかマチルドにだけ人間の言葉で語りかけるフクロウは、彼女に様々な助言を与え、孤独な少女の導き手となってゆく。

しっかり者に見えても、どんどん壊れてゆくお母さんとの生活は、本人も意識しないうちにマチルドの幼い心に大きな葛藤をもたらしている。
お母さんに振り回されてばかりなので学校で友だちを作れず、スカイプで繋がっているお父さんにも、心配させまいと心の内全ては開かせない。
9歳の少女にとって、このままお母さんの症状が悪化し続ける未来に見えるものは何か。
全編を通じて映画のバックボーンとして仕掛けられているのが、マチルドが心に持つ「母との別れ=死」のイメージ。
彼女の一族の「先祖の話」として、娘を水の事故で失ってしまった母親の物語がむかし話的に語られ、沈んだ娘の姿が「ハムレット」の溺死シーンをモチーフにしたミレーの絵画「オフィーリア」を思わせるイメージで描写されるが、その娘の顔はマチルドなのである。

先日公開された、「シシリアン・ゴースト・ストーリー」でも重要なメタファーとなっていたフクロウは、夜の鳥であり、ギリシャ神話では知の女神アテナの従者であり、多くの文化で生と死、現世と常世を取り持つ存在とされている。
お母さんに常に死の影を感じているマチルドは、フクロウの助言を受けて学校の理科室にある標本のガイコツを盗み出し、埋葬するという実に子供らしいやり方で、彼女を苦しめる“死”の予感を能動的に払拭し、溜め込んだストレスを発散する。

しかし、それでマチルドの心が多少救われたとしても、現実の破綻はいつかやってくるのだ。
いくら努力しても、自分の精神がもうボロボロの状態で、二人の生活が立ち行かなくなっているのは、娘以上にお母さん自身が自覚している。
それでも、いつか限界がくるまで一緒にいたい。
心の病という、自分ではどうにもならない問題を抱えたお母さんと、お母さんを守りたいのに、まだ幼くあまりにも無力な娘。
お母さん役でもあるノエミ・ルヴォウスキーの、嘗ての自分でもあるマチルドを見つめる、優しく繊細な演出が光る。
お互いを想う大きく深い愛が切なく、心を打つ。

現実は残酷だけど、お母さんはあくまでもマチルドのことを一番大切に思っていて、同じくらい彼女を愛しているお父さんもいるし、フクロウも見守っている。
マチルドが周りの愛を受け入れて成長し、人生には別れが必要な時もあること、それは必ずしも死の様に永遠のものとは限らないことを理解した時、水中に沈んだオフィーリアは遂に解放されるのである。
フォークロア的なアプローチもなかなかセンス良く、ちょっとビタースイートで詩的な寓話だ。

今回は、翼を広げたマチルドのイメージで「エンジェル・フェイス」をチョイス。
ドライ・ジン30ml、カルバドス15ml、アプリコット・ブランデー15mlをシェイクしてグラスに注ぐ。
フランスのノルマンディー地方の名産品、リンゴのブランデー、カルヴァドスと、アプリコット・ブランデーを、ドライ・ジンの清涼さがスッキリとまとめ上げる。
甘口で優しい味わいの飲みやすいカクテルだが、マチルド同様に芯は結構強いのだ。

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2018 Unforgettable Movies
2018年12月30日 (日) | 編集 |
2018年の映画を一言で表すと、洋邦ともに「大怪作」だと思う。
SNSとネット配信の普及は、映画会社が企画を立てお金を集め作品を作り、配給会社が宣伝し劇場で公開し、それから円盤なり配信で二次利用するというプロセスが、もはや過去のものになりつつあり、映画そのものの定義も変化していることを如実に感じさせた。
従来型の映画のメインストリームがある一方で、一昔前なら「なんじゃこりゃ!」と言われてキワモノ扱いされるような作品や、今までの方法論に全くこだわらない作品が、ヒットするしないに関わらず続々と登場し、注目を浴びる。
去りゆく2018年とは、そのような年だった。
もっとも、観た時にはインパクト絶大だったが、一年を振り返るとそれほど印象に残っていない作品も多いので、その意味では多様性への過渡期ということなのだろう。
それでは、今年の「忘れられない映画たち」をブログでの紹介順に。
例によって、評価額の高さや作品の完成度は関係なく、あくまでも12月末の時点での“忘れられない度”が基準。

「リメンバー・ミー」メキシコの祭日「死者の日」に、ひょんなことから死者の国に迷い込んだミュージシャン志望の少年ミゲルの冒険譚。極彩色の死者の国の世界観が圧巻で、知られざる家族の絆を軸とした筋立ては、ミステリアスでドラマチック。音楽要素とビジュアルが密接に結びつき、驚くべき未見性に満ちた傑作。

「パディントン2」前作でロンドンに念願の家と家族を見つけたパディントンが、今度は泥棒の濡れ衣を着せられる。パディントンは難民の象徴であり、前作のテーマを踏まえつつ、定住したからこそ分かる新たな葛藤を盛り込む進化形。全ての伏線をパーフェクトに回収してゆく小気味よい展開は、まさに物語のカタルシス。

「リバーズ・エッジ」岡崎京子の傑作を鮮烈に映像化。閉塞した日常を送る6人の高校生。彼らが抱えるのは、同性愛、摂食障害、一方通行の愛、暴力衝動、妊娠。それぞれが抱える痛々しい青春の衝動が事件を起こし、生きるとはどういうことかを問いかけてくる。瀬戸山美咲による脚色が実に巧みで、行定勲の演出もまるで水を得た魚のようだ。

「スリー・ビルボード」ミズーリの片田舎で展開する、珠玉の人間ドラマ。娘を殺された母親が出した、警察批判の三枚のビルボードが小さな街に嵐を引き起こす。軸となる三人、フランシス・マクドーマンド、サム・ロックウェル、ウッディ・ハレルソンが素晴らしい。とことんまで怒らないと、解消出来ないこともあるし、犯した罪は背負って行くしかないのである。

「生きのびるために(The Breadwinner)」原題は「働き手」のこと。タリバン支配下のアフガニスタンを舞台とした異色のアニメーション映画。父が理不尽に逮捕され、女だけになってしまった家族を支えるため、少女パヴァーナは少年の姿で働きに出る。絶対的男性優位社会でしたたかに生きる少女の姿がたくましい。残念ながら日本ではNetflix直行となってしまった。

「悪女/AKUJO」キム・オクビンの、キム・オクビンによる、キム・オクビンのための華麗なる殺戮ショー。アクション映画の新たな地平を切り開く怪作で、冒頭8分に及ぶPOVのワンシーンワンカット風アクションシークエンスに度肝を抜かれる。もうこれ以上は無いだろうと思わせておいて、存分に期待に応えてくれるのだから凄い。

「ブラックパンサー」アフロアメリカン史をバックボーンに持ち、非常に政治的でユニークな視点で描かれるマーベル映画。登場人物の葛藤が長年に渡るアメリカ内部の分断と外交政策の対立のメタファーとなっていて、そのことが小さな王国の従兄弟同士のお家騒動というちっちゃな話に、壮大なスケール感を与えることに繋がっている。

「シェイプ・オブ・ウォーター」映画館の上のアパートに住む、声を失った孤独な女性が、研究所に囚われた大アマゾンの半魚人と恋をする。全編に暗喩が散りばめられ、その一つ一つが回収され意味を持ってくるストーリーテリングが心地よい。どこまでも残酷で優しく美しい、大人のためのメロウな童話は、ギレルモ・デル・トロの最高傑作。

「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」カナダの画家モード・ルイスと、リウマチの持病を持つ彼女を支え続けた夫エベレットの物語。30年以上に渡る二人だけの暮らし。どんなに有名になっても、お金持ちになることに興味を持たず、素朴な生き方を変えない二人は、しあわせの本質を知っている。今年大活躍のサリー・ホーキンスとイーサン・ホークが素晴らしい。

「ちはやふる ー結びー」 三部作の有終の美。高校三年生になった瑞沢かるた部の面々が直面するのは、恋と進路という前二作では見え隠れしていた要素。登場人物の成長と共に、前回までの物語に新たな葛藤が加わり、まさしく青春全部入り豪華幕の内弁当の趣き。ここに描かれるのは一生で一度しか手に入ら無い宝物、青春の輝きだ。

「レディ・プレイヤー1」オタクの、オタクによる、オタクのための映画。VRワールド“オアシス”の創業者が、広大な電脳世界のどこかに隠した莫大な遺産を巡り、史上最大の争奪戦が繰り広げられる。キャラクター大集合はもちろん楽しいが、虚構と現実は対立するのではなく、現実を生きるために虚構が必要だという肯定的なジンテーゼに、クリエイターの矜持がにじみ出る。スピルバーグは、トランプの時代に警鐘を鳴らした「ペンダゴン・ペーパーズ 最高機密文書」も流石の仕上がりだった。

「リズと青い鳥」快活で誰とも友人になれる希美と、人付き合いが苦手で、希美以外の親友がいないみぞれ。吹奏楽部に属する二人の少女の心の成長を描く、ごく地味な話なんだけど、何気にもの凄く高度なことをサラッとやってしまっている。山田尚子監督の驚くべき進化に、私は日本アニメーション映画に継承されてゆく高畑イズムを見た。

「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」 ディズニー・ワールド近くの安モーテルを舞台に、貧困層の長期滞在者たちの人間模様を、6歳の少女の視点から捉えたヒューマンドラマ。何処へも行けず、未来の展望も無い大人たちの閉塞と、ひどい環境でもどこまでも元気に無邪気な子供たちの日常が作り出す、悲喜劇のコントラストが強烈なインパクト。

「レディ・バード」シアーシャ・ローナン演じるラジカルな女子高生、自称“レディ・バード”のこじらせ気味の青春を描く、グレタ・ガーウィグ監督の愛すべき佳作。どこにでもいる一人の少女が、ズッコケつつも大人への階段を一歩だけ上り、今までとは違った人生の景色を見られる様になるまでを描く、リリカルで味わい深い優れた青春映画だ。

「万引き家族」東京の下町で暮らす、ある大きな秘密を抱えた一家を描く異色作。貧しい生活を送る彼らは、家族ぐるみで万引きなどの軽犯罪を繰り返す。一貫して“家族”をモチーフとしてきた、是枝裕和監督の現時点での集大成と言える作品で、社会保障から抜け落ちた、あるいは社会保障制度そのものを知らない、「見えない人々」の存在が浮き彫りとなる。

「ブリグスビー・ベア」物心つく前に誘拐され、25年もの間地下のシェルターで育った青年、ジェームズ・ポープが主人公。救出され、外の世界への適応に戸惑う彼は、監禁中に唯一見ることを許されていたTVショー「ブリグスビーベア」の続編を自分で作り始める。人生の絶望と救済、現実と虚構に関するビターで美しく、詩的な寓話である。

「カメラを止めるな!」ある意味、今年の日本映画を代表する大怪作。ストーリーを楽しむ言うよりも、構造の仕掛けに驚かされる映画だが、周到に設定された人物描写が、この作品の面白さを単なる一発ネタのサプライズを超えたものにしている。願わくば、本作の様に予想外の大ヒットとなった時、関係者への利益還元が可能なロイヤリティ契約が普及する様になればいいのだが。

「菊とギロチン」かつて実在していたアナーキスト集団「ギロチン社」と、ワケありの女たちが集う女相撲の一座を描く青春群像劇。瀬々敬久監督がインディーズ体制で作り上げた3時間9分の大長編だが、ほぼ100年前の物語が鋭い現在性を持って語りかけて来る。果たして今のこの国の人々は、性差や民族、思想や哲学の違いを超えて、本当の意味で自由に生きているのだろうか。

「ミッション:インポッシブル/フォールアウト」シリーズ初の前作からの続き物は、過去作品のオマージュも満載のミッション:インポッシブル・フルコース。ホメロスの「オデュッセイア」を下敷きに、ストーリー、テリング、キャラクターが極めて高いレベルで三位一体となった、シリーズベスト、スーパーヘビー級の傑作だ。もしかして完結編になるのか?

「ペンギン・ハイウェイ」1988年生まれの新世代、石田祐康監督とスタジオ・コロリドの、見事な長編メジャーデビュー作。小四にしておっぱいを研究する、ちょっと自意識過剰なアオヤマ君と、彼の初恋の人である不思議な“お姉さん”を巡る一夏の冒険の物語は、思春期の恋心を隠し味に、世界の理に対する率直な興味が、夏休みという非日常の中でスパークする。

「プーと大人になった僕」 クリストファー・ロビンが100エーカーの森を去ってから数十年後を描く続編。ブラック企業勤めのくたびれたオヤジとなっていたクリストファーは、突然訪ねてきたプーさんとの冒険を通して子ども心を取り戻してゆく。子どもももちろん楽しめるが、ワーカホリックの日本人には特に響くであろう、大人のための寓話だ。

「若おかみは小学生!」これもSNSが生んだヒット作。事故で両親を失った小学生のおっこが、祖母の経営する温泉旅館で、彼女にしか見えない幽霊たちの助けを借りながら、若おかみとして力強く成長してゆく。一見子ども向けのビジュアルだが、ストーリー的には結構ハードで、終盤の残酷な展開とおっこの出す答えには思わず涙。

「教誨師」故・大杉漣が演じる教誨師が、6人の確定死刑囚と会話する。教誨師は、それぞれに個性的な死刑囚たちとの対話を通し、本当に神の言葉が伝わっているのか、彼らが安らかな死を迎えられるように導けているのか苦悩を深める。人が人を罰するとは、どういうことなのか。文盲の死刑囚が、つたない字で教誨師に送るヨハネによる福音書の言葉が心を打つ。

「ROMA/ローマ」劇場か配信か。こちらは映画のあり方巡って大きな議論を巻き起こした作品。メキシコの鬼才・アルフォンソ・キュアロンの自伝的傑作は、凝りに凝ったビジュアルと音響効果を持つ、どこからどう見ても劇場向けの作品。幸いなことに日本でも劇場で見られそうだが、映画を一つの商品と捉えた場合、観客がどのように受け取るのかの選択肢は可能な限り確保してほしい。

「ボヘミアン・ラプソディ」この秋を代表する大ヒット作にして、今年一番アガる映画。伝説のロックスター、フレディー・マーキュリーの生き様は、数々のヒット曲の歌詞とシンクロし、観る者の心に染み渡る。ラスト20分に渡るライブ・エイド完全再現が圧巻だ。本作とは色々な意味で対照的な、もう一つの音楽映画の快作「アリー/ スター誕生」と両方観るとより面白い。

「生きてるだけで、愛」時に過激で、繊細。ある時は幼く、次の瞬間には妖艶。映画女優・趣里を堪能する映画だ。主人公の寧子は鬱が招く過眠症のため、菅田将暉演じる恋人のアパートでずっとゴロゴロ。しかしある時、アルバイトを始めたことから、ドラマが動き出す。主人公に寄り添った詩的な心象劇であり、プロットは非常にシンプルだが、全く目が離せない。

「A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー」詩的で味わい深い、愛と時間と魂に関する哲学的な寓話である。事故死した夫が、幽霊になって妻を見守る・・というどこかで聞いたような導入部から、全く予想もつかない驚くべき展開を見せる。10万ドルという信じ難い低予算ながら、その時空的なスケールは1000倍の予算の作品でも太刀打ちできまい。ちょっと似たタイトルの、「シシリアン・ゴースト・ストーリー」も本作に通じる詩情がある。

「パッドマン 5億人の女性を救った男」女性の月経が“穢れ”としてタブー視され、生理用品がなかなか普及しないインドで、妻のために安価なナプキン製造機械を発明した男の物語。実話ベースだが、波乱万丈の物語に心を鷲掴みにされる。終盤に国連に招かれた主人公の、片言の英語のスピーチが素晴らしく、ここだけでも観る価値がある。


以上、28/333本
怪作続出の日本映画はワンショット撮影の「アイスと雨音」、漫画原作の「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「愛しのアイリーン」、細田守の新境地「未来のミライ」、故・樹木希林が素晴らしかった「日日是好日」、これもインディーズ体制の「斬、」などが印象に残った。
一方、劇場鑑賞で感銘を受けながら、「寝ても覚めても」「君の鳥はうたえる」などはFilmarksでサボってしまい、ブログ記事にできず、反省。

外国映画は、瑞々しいファースト・ラブストーリー「君の名前で僕を呼んで」や、多民族国家レバノンを舞台とした「判決、ふたつの希望」、万人にお勧めできる寓話「ワンダー 君は太陽」なども迷った。
「ぼくの名前はズッキーニ」「大人のためのグリム童話 手をなくした少女」といった独創的なアニメーションも素晴らしい。

私は、暗闇で“光”を見つめる神秘の共有体験こそ、原始の時代の洞窟壁画から続く、映画のイデアだと思っているので、映画は映画館で観たいし、このブログも原則的にスクリーンで鑑賞した作品を扱ってきた。
しかし、今はそんなことも言っていられない時代になったのかもしれない。
配信映画がどの国で劇場公開されて、どの国でされないのかは作品や業者によって異なるが、Netflix一つとっても、アレックス・ガーランド監督の「アナイアレイション -絶滅領域-」や、オーストラリア産の異色ゾンビ映画「カーゴ」、コーエン兄弟の西部劇アンソロジー「バスターのバラード」などは是非劇場で見たかった。
「ROMA/ローマ」は日本でも劇場公開される様だが、来年以降はこの「Unforgettable Movies」の記事にも配信映画のカテゴリを加える必要があるかもしれない。
まあ玉石混交でも、作品制作の自由度と選択肢が増えること自体は、歓迎すべきなのは間違いないのだけど。

それではみなさま、よいお年をお迎えください。

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ショートレビュー「シシリアン・ゴースト・ストーリー・・・・・評価額1650円」
2018年12月29日 (土) | 編集 |
水が媒介するピュアな愛。

1993年、シチリア島。
当時13歳だったジュセッペ少年が、何者かに誘拐され行方不明となる。
彼の父・サンティーノ・ディ・マッテオは、マフィアの一員でありながら警察に寝返り、情報を漏らし続けており、組織はサンティーノを黙らせるため、ジュセッペを人質にとったのだ。
本作はこの実際に起こった誘拐事件をベースに、思いっきり想像力の翼を広げ、事件により離れ離れとなったジュセッペと彼を愛する少女・ルナの幼い恋の物語を組み合わせた、極めてユニークな幻想怪異譚となっている。

マフィアの揉めごとは、アンタッチャブル。
母親をはじめ、学校の教師たちや周りの大人たちが無関心を装う中、ルナは親友のロレダーナの協力を得て、ジュセッペを探し始める。
息子を奪われても、サンティーノは警察への協力を止めず、ジュセッペの消息は途絶えたまま。
映画は、愛するジュセッペとの再会を決して諦めないルナと、彼女にもらった情熱的なラブレターを唯一の希望に、絶望的な監禁生活を送るジュセッペを交互に描いてゆく。
ルナを少しずつ彼の元へ導くのが、現実とシームレスに描写される不思議な夢だ。
シチリア島は地中海の真っただ中にあり、島内には小さな湖が点在している。
海、湖、雨、そしてルナの家の洞窟状の地下室に少しずつ湧き出る水滴、至る所に描写され、個の様に見えて全てが繋がり合っているこの島の水が、ジュセッペの切なる想いを夢の形で彼女の意識に届ける。
隠れ家から別の隠れ家に移送される途中、ジュセッペが「海の匂いがする!」と叫んだり、ルナとロレダーナが船舶で使われる発光信号で夜に秘密の通信をしたり、水の存在がこの世界では心の媒介となっていることが強調される。
様々な障害を乗り越えながら、ルナは少しずつジュセッペへと迫ってゆく。

しかし私はこの事件の顛末を知らなかったので、犯罪を扱っているとは言え、このリリカルでジュブナイル的な物語がなぜ「R15+」の指定なんだろう?と思っていたら、最後まで見て納得。
いや、まあタイトルがタイトルだし、ジュセッペは最終的には死んでしまうのかもしれないと予想はしていたが、779日も劣悪な環境に監禁された結果、健康を害しミイラのように痩せこけて、最後には用済みとして絞殺され、死体は酸で溶かされて湖に捨てられるとか、あまりにも凄惨過ぎるだろう。
共にシシリアンであるファビオ・グラッサドニアとアントニオ・ピアッツァ両監督にとっても、この痛ましい事件の記憶は深く心に刻まれたという。
実際に起こっていることは物凄くエグいのだが、二人の映画作家は残酷な暴力によって汚され失われた魂を、美しいシチリアのランドスケープの中、少年少女のお互いを想う愛の力が紡ぐ、どこまでもピュアなファンタジーとして詩的に昇華した。
ラストで、ジュセッペが海に消えるのは、魂の浄化を意味しているのだろう。

面白いのは、タイトルの似た「A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー」にちょっと似た部分があること。
もちろん全然違う話なのだが、どちらにも共通するのが幽霊には時間を超える能力があり、「ア・ゴースト・ストーリー」ではケイシー・アフレック演じる幽霊が、過去へ戻って自分が生きていた時間を見守っているし、こちらではすでに幽霊となったジュセッペが、瀕死の自分を見つめている。
映画の前半、物語のキーとなるシーンで、ルナを覗き見るようなショットが幾つか挟まれるが、これも未来に幽霊になったジュセッペの視線ということだろう。
もっとも本作の場合、登場人物が生きているのか死んでいるのか、はたまたその境界なのかが曖昧にされていることもあり、幽霊の解釈自体が違うのかもしれないが。
モチーフに対して独創的なアプローチをとった、非常に攻めた作品であり、洋邦共に怪作揃いの今年の映画納めに相応しい作品だった。

今回は、シチリア島の名産マルサラワインから、「スーペリオーレ ガリバルディ ドルチェ NV ペッレグリーノ」をチョイス。
マルサラはポルトガルのポートワインなどと同じく、ワインにアルコールを添加して度数を高めたいわゆる酒精強化ワイン。
地中海の高温多湿の気候下で、長距離輸送に耐えるように作られている。
ティラミスの材料にも使われるように、フルーティーで甘口。
熟成に使われるオーク樽香のほか、ドライフルーツやスパイス系のアロマも楽しめる。
そのまま飲んでも美味しいし、ソース感覚でスイーツにちよっとかけてもいい。

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