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ショートレビュー「長いお別れ・・・・・評価額1650円」
2019年06月22日 (土) | 編集 |
父が本当に「帰りたかった」ところとは。

山崎努演じる、認知症にかかった父親と、家族との7年間に渡る「長いお別れ」の物語。
これは、高い評価を受けた中野量太監督の商業映画デビュー作、「湯を沸かすほどの熱い愛」の対となるような作品だ。
不治の病に冒され、余命僅かの肝っ玉母ちゃんが、ダメダメな家族を立ち直らせるあの映画は、いわば壊れかけの家族を、強火で一気に修復する短期決戦。
対してこちらは、弱火でトロトロと長時間かけて家族の形がメタモルフォーゼしてゆく。
原作は、認知症と診断された父を見送った体験を基にした、中島京子の同名小説で、中野量太と大野敏哉が脚色している。

ずっと夫を介護する妻の松原智恵子と、長女の竹内結子、次女の蒼井優。
三人の年齢も立場も違う女性の葛藤が、父の認知症を鏡にリアリティたっぷりに浮かび上がるという仕掛け。
長女の麻里は、研究者の夫と一人息子の崇と共に、遠くアメリカに暮らしている。
英語が不得手で、周囲とコミュニケーションを取れずに孤立しているのだが、家族でも一定の距離を置きたがる性格の夫は、そんな妻の悩みには無関心。
米国での生活に馴染めない彼女にとって、たとえ父の症状が進行していたとしても、たまに帰る実家だけが安心できる「家」なのである。
一方、次女の芙美は、料理好きが高じて起業を志すも、いつも何かが空回りして、夢にも恋愛にも失敗を繰り返す。
地理的には実家の近くに暮らしていても、彼女の心にはそう簡単には戻れない距離がある。

中野量太は、父の認知症が分かった2007年から2009年、3.11のあった20011年、2013年と、2年おきに丁寧に家族の姿を追ってゆく。
たまに親戚の子供に会ったりすると、急に大きくなっていてビックリすることがあるが、2年のブランクがあるからこそ、社会も家族も少しの変化がくっきり浮かび上がる。
3.11の後に、セシウムの雨を怖がったりするのも、「あー、そう言えばそんなこともあった」と思い出した。
2007年にはまだ軽度だった認知症も、2009年には友人の死が分からなくなり、2011年にはもはや言葉が出ず、無意識に万引きをする様になってしまう。
教師で漢字の達人だった父は、少しずつ、ゆっくりだが確実に壊れてゆき、そんな父の症状の悪化が図らずも娘たちを呼び戻す。

麻里は7年経っても英語が苦手(7年もいて?と思う人もいるだろうが、こういう人は現実に珍しくない)で、夫との関係は少しベターになるが、異国で成長する息子は、だんだんと知らない人になってゆく。
妻は気丈に夫を介護し続けるが自らも病を患い、芙美が介護を肩代わりするものの、そのハードさに母の父に対する深い愛情を改めて知る。
何度か描写されるグルリと円を描くカメラワークが、時の流れと、巡り巡って同じ所に戻ってくる家族の絆を象徴する。
竹内結子や蒼井優も好演だが、繊細な演技で徐々に変わってゆく父を表現した山崎努、愚直なくらいにストレートに家族を愛する妻を演じた松原智恵子が素晴らしい。
二人ともお茶目なところが、キャラクター造形のキモ。

父がずっと言い続ける、「帰りたい」という言葉の本当の意味するところに涙。
人には誰もが「帰りたい」時と場所があり、それはその人の辿ってきた人生によって異なるのだなあ。
もし自分が70歳で認知症になったとして、帰りたい場所はあるのだろうか。
そんなことを考えてしまって、独り者としてはちょっと悲しくなった。
努父さんは、幸せものだと思う。
圧倒的な熱量で一気に仕上がった前作の熱血家族とは対照的に、こちらは少し煮崩れしたりしているけれど、冷えても美味しい非常に味わい深い家族。
アメリカにいる崇と父とのパソコン越しの言葉によらない関係が、いい隠し味になっていた。

話は変わるが、現実の蒼井優の結婚会見が、映画の中でなかなか幸せになれない、次女の話の続きに思えてちょっとホッコリしたよ。
今回は山ちゃんに敬意を評して、山形は亀の井酒造の「くどき上手 純米吟醸」をチョイス。
淡麗で、すっきりとした辛さと上品な甘さを両方感じるバランスの良さ。
フワリとした吟醸香が心地よく、食欲が刺激される。
口説く時にはベストチョイスなお酒だ。

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海獣の子供・・・・・評価額1750円
2019年06月17日 (月) | 編集 |
海は全ての秘密を知っている。

海洋の神秘の世界を舞台にした、五十嵐大介の傑作漫画「海獣の子供」のアニメーション映画化。
自分の気持ちを、「言葉」として相手に伝えるのが苦手な中学生の琉花は、運命に導かれるようにして、不思議な兄弟「海」と「空」と出会う。
少年少女の、リリカルな夏休みジュブナイルから始まる物語は、生と死が混じり合う海と陸の境界を超えて、深い海に隠されたこの宇宙の秘密を描き出す。
それぞれに“役割”のある3人が出会ったことにより、世界中で様々な現象が起こり始め、海はその姿を劇的に変えてゆき、物語はやがて究極の非日常空間へと突入する。
「アニマトリックス」や「鉄コン筋クリート」で知られるSTUDIO 4℃が、素晴らしいクオリティのアニメーションを制作し、監督は「ドラえもん」「宇宙兄弟」の渡辺歩。
主人公の琉花を演じる芦田愛菜は、声優としては「怪盗グルー」シリーズのアグネス役が有名だが、ここでも見事な演技を聴かせる。
※核心部分に触れています。

中学生の琉花(芦田愛菜)の夏休みは、開始早々に終わってしまった。
ハンドボール部の練習で、意地の張り合いからチームメイトに怪我をさせてしまい、コーチから「謝るつもりがないなら、もう来なくていい」と言われたのだ。
悶々とする琉花は、別居している父親の正明(稲垣吾郎)が勤めている水族館で、奇妙な少年「海」(石橋陽彩)と出会う。
まるで魚のように、水中を自由自在に泳ぎまわる海には、「空」(浦上晟周)という兄がいて、二人は幼少期ジュゴンによって海の中で育てられたという。
乾燥に極端に弱く、水がなければ生きていけないために、研究者のジム・キューザック(田中泯)によって水族館に預けられたのだ。
正明から海の世話係を言いつけられた琉花は、次第に不思議な兄弟に惹かれてゆく。
その頃、世界中の海や水族館で、異変が起き始めていた。
体に星斑を持つ魚やクジラが、光に包まれて消えてしまうのだ。
ジムは、海と空がこの現象と関わりがあると考えているが、ある日沖に泳いで行った空が忽然と姿を消してしまう。
琉花と海は消えた空の行方を追って、絵のように美しい浜辺にたどり着き、空を保護したアングラード(森崎ウィン)と出会うが、空の体には明らかな異変が起こっていた。
全ての海の生物たちが集う「誕生祭」が始まろうとしていた・・・・


驚くべき作品である。
昨年の「ペンギン・ハイウェイ」といい、ジュブナイルの皮をかぶったハードSFの秀作がコンスタントに出てきちゃうのが、日本のアニメーション映画の凄いところ。
分厚い単行本で全5巻に及ぶ、五十嵐大介の壮大な原作を、どうやって一本の映画にするんだろうと思ったが、なるほどこう来たか。
本作では映画全体を主人公の琉花のひと夏の物語とし、徹底して彼女に寄添い、それ以外の要素を極力排しているのだ。
原作では、琉花と海と空の兄弟を軸としたメインプロット以外にも、ジムと彼の助手だったアングラードの過去、琉花の両親の過去、それからメインプロットとは直接の関わりを持たない、海洋と海から来た子供たち、海の神話や伝承に関する“収集された”エピソードが散りばめられていて、それらが最終的に一つの大きなイメージを形作る。
この脚色によって、そぎ落とされた情報も多い。
例えば蒼井優が演じる琉花の母、加奈子の過去に関するエピソードは、琉花が生来持つ海の属性に説得力を与えるものだが、バッサリと切られている。
このために、エピローグの意味付けなど、弱くなってしまっている部分があるのは否めないが、結果的に物語は非常に純化された印象のまま、クライマックスの「誕生祭」へと突き進んで行く。

ジュゴンに育てられた少年、海と空は本当は何者なのかという謎は、いつしか人間はどこから来て、どこへ向かっているのかという疑問へと展開する。
そもそも海とは何か?地球とは何か?人間とは何か?
少女の小さな日常はやがて、この宇宙の秘密にまで広がってゆく。
同じく五十嵐大介の漫画を原作とした「リトル・フォレスト」が、主人公のいち子の生きるための労働と収穫、食べるというプロセスを通し、循環する身近なエコシステムにフォーカスした作品だとすれば、こちらは人間を含む宇宙全体の命の循環を描く。
本作の理論的なベースとなっているのは、地球の生命の起源は宇宙にあるとするパンスペルミア仮説だ。
非常に強固な構造を持つ微生物の芽胞が隕石に乗って、あるいは宇宙空間に漂っていたものが、星の光圧などによって押されて太古の地球の海へと落下し、生命が生まれた。
実際に、南極で採取された火星由来の隕石「ALH84001」から、微生物の痕跡らしきものが発見されたこともあり、生命の起源を巡る有力な仮説の一つとなっている。
本作が面白いのは、パンスペルミア仮説をもとにしたSF的設定が、アニミズム的なスピリチュアルな世界観と結びつくことでさらに広がりを持ち、「それは宇宙全体から見たらどういう意味を持つのか?」という、この世界の理の領域まで足を踏み入れることだ。

空は「人間は宇宙に似ている」という。
人間の中の無数の断片が、寄り集まって記憶や思い出を形作る。
それはまるで星間物質が集まって、星や銀河が生み出されるのとそっくりだというのだ。
地球を一個の生命と考えるガイア理論は有名だが、さらに宇宙自体も一個の巨大な生命で、この世界が極小と極大が相似形を形作るフラクタル構造である場合、地球のような海のある惑星の役割とは何か。
そこに住む、人間を含めた生物は何のために存在しているのか。
劇中幾度も繰り返されるフレーズが、「星の、星々の、海は産み親」だ。
海は子宮であり卵巣。宇宙から来る生命の芽胞は精子。そして卵巣から定期的に発生する海の子供たちは卵子。
人間を含む生物は、この二つを結び、命の宴「誕生祭」のゲストとして神話を紡ぐもの。
受精の結果として生まれるのは、宇宙そのものであり、この世界では極小は同時に極大なのである。
極大の中に極小を、逆に極小の中に極大を見るイメージは、テレンス・マリックの「ツリー・オブ・ライフ」を思わせる。

それにしても、原作の漫画がそのまま動き出したようなビジュアルが強烈。
ボールペンのフリーハンドで描きこまれた五十嵐大介の独特の筆致を、ここまで動画で再現しているのは驚かされた。
STUDIO 4℃は、アニメーション技術的にも見事な仕事をしている。
荒々しい線で、命を吹き込まれたキャラクーたち。
髪の毛には重量を感じ、密集した睫毛の奥の大きな瞳は、海に繋がっているかのような深い漆黒をたたえる。
時に様々な海の生き物の形で描かれる、纏わりつくような豪雨や、どこまでも荘厳で美しく、ミステリアスな海といった水の描写。
終盤15分間にわたって繰り広げられる、水中版の「2001年宇宙の旅」のスターゲートとも言うべき「誕生祭」の描写は圧巻だ。
リリカルなジュブナイル・ファンタジーだと思って観に来た人は、いきなり目の前でキューブリックかマリックかという、哲学的な抽象アニメーションが始まってビックリするだろうけど、このシークエンスの表現は漫画の展開を踏襲しながらも、光と陰を駆使した映画ならではの物になっていて素晴らしい。
色がカタチを、カタチが色を生み出すイメージの洪水は、原作を超えているのではないか。
怒涛の映像に没入するために、なるべく大きなスクリーンがオススメだ。

壮大な命の宴を巡る冒険を通して、琉花も一人の人間として、一個の生命として大きく成長する。
人間は言葉に出来なければ、思っていることの半分も相手に伝えられない。
海の属性を持つ琉花は、もともと言葉を使うのが苦手で、誤解されやすい。
一方、クジラやイルカは、エコロケーションと言われる音波の受信能力を持ち、遠く離れた仲間たちと“ソング”でやり取りし、見たことや思ったことを丸ごと伝えているのかもしれない。
それは陸に上がった私たちが、いつしか忘れてしまい、しかしどこかにきっと保っている本質。
実際、琉花はクジラのソングを受け取り、特に言葉を交わさずともに海や空と深く繋がる。
言葉にした方が簡単なのは確かだが、言葉にしない方が伝わることもある。
誰もが違うように見えて、本質は同じ。
自分が何者かを知った琉花は、夏休みの終わりには別人のように堂々としている。
そして、彼女と共に「誕生祭」を目撃した私たちもまた、言葉では表現できない素晴らしい体験を共有した“旅の仲間”となったのである。

しかし、この異色の怪作が、公開2週目に入っても満席続出なのは、ある意味映画の内容よりも驚くべき現象かも知れない。
流石に小さい子は飽きちゃってたみたいだが、「風立ちぬ」の制作を決意した時の宮崎駿じゃないけど、子供のうちに「分からないもの」に触れ合っておくのは大切なことだ。
意味は理解できなくても、「何か凄いものを観た」感覚は、必ず心に忘れられない痕跡を残す。
映像化の役割は、マーケットに媚びて原作を分かりやすく咀嚼して、エンターテイメント性を高めることじゃない。
難しいものはちゃんと難しく、しかし映像表現ならではの物になっているのが正解。
その意味で本作は限りなく完璧に近く、これにちゃんとお客さんが入るのだから、日本のマーケットも捨てたもんじゃない。
まあキービジュアルのイメージから勘違いして観に来た人、声優や主題歌の歌手のファンの人も多そうだが、それはそれで一期一会の機会になるだろう。
エンドクレジット後に、長めのエピローグがあるので注意。

今回は神秘の海をイメージして「オーシャンブルーフィズ」をチョイス。
氷を入れたグラスにブルーキュラソー10ml、ウォッカ15ml、レモン・ジュース5ml、三谷サイダー又はスプライトを適量満たし、軽くステアして完成。
喉越し爽やか、サッパリとした味わいで、見た目も涼しげな夏向きのカクテルだ。

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アラジン・・・・・評価額1650円
2019年06月14日 (金) | 編集 |
Do you trust me?

1992年に大ヒットした、ディズニーの名作アニメーション映画のリメイク。
「リトル・マーメイド」から「モアナと伝説の海」まで、数々の傑作を手がけたレジェンド、ジョン・マスカーとロン・クレメンツによるオリジナルの「アラジン」は、ランプの魔人ジニーのエキセントリックなキャラクターに引っ張られ、ディズニー第二黄金期の傑作群の中でも、ひと際コメディ色が強い。
その面白さは、多分にアニメーションならではのオーバーアクションな表現にあるのだが、27年ぶりの実写リメイクはどう生まれ変わったのか。
アニメーション版を元に、「ビッグ・フィッシュ」などのティム・バートン作品で知られるジョン・オーガストが脚本を執筆し、ガイ・リッチーが監督を務める。

砂漠の王国の王女ジャスミン(ナオミ・スコット)は、父のサルタンから結婚を急かされているが、お眼鏡に敵う男はなかなか現れない。
なぜなら、次から次へと求婚にやってくるボンクラ王子たちは、決して彼女の「本質」を見てくれないから。
そんなある日、彼女はお忍びで出かけた街の市場で、コソ泥で生計を立てている気のいい青年アラジン(メナ・マスード)と出会う。
王女と泥棒、対照的だが純粋な二人はお互い引かれ合うのだが、アラジンは王国の国務大臣である魔法使いジャファー(マーワン・ケンザリ)に捕まってしまう。
ジャファーはアラジンに、財宝が隠された魔法の洞窟から古びたランプを持ち帰れば、大金持ちにしてやると持ちかける。
アラジンはランプを見つけるのだが、相棒の猿のアブーが「ランプ以外のものには手を触れてはいけない」というルールを忘れ、宝石を手にとってしまったことから洞窟が崩壊し、閉じ込められてしまう。
困ったアラジンが何の気なしにランプをこすると、超常の力を持つ魔人ジニー(ウィル・スミス)が現れ・・・


伸びやかなアニメーションの動きの魅力は、ゴージャスな衣装を纏いカラフルなセットで躍動する俳優たちの活劇として受け継がれ、ガイ・リッチー色は薄めなものの、大幅にボリュームアップしたコミカルなアクション描写にらしさは見せる。
情報量が増えた分、上映時間はオリジナルより30分以上長くなった128分だが、冗長さを全く感じさせないのは、さすがのディズニーコントロールのクオリティだ。
ホワイトウォッシュ批判も意識した、メナ・マスードのアラジンとナオミ・スコットのジャスミンは、フレッシュでとても良い。
だが本作のMVPは、パフォーマンスキャプチャで陽気な魔人・ジニーをノリノリで演じたウィル・スミスだろう!
彼以外のジニー役は、もう想像できないくらいのハマりっぷりだ。

全体のプロットはアニメーション版に極めて忠実に、しかしディテールをモダンにブラッシュアップする方法論は、興行的にも批評的にも大成功した「シンデレラ」「美女と野獣」を踏襲したもの。
ひょんなことから、ランプの精のジニーと出会ったコソ泥のアラジンが、国の乗っ取りを狙う悪漢ジャファーと対決し、お姫様のジャスミンと結ばれる。
時系列の多少の前後はあるものの、劇中で起こること自体はオリジナルとほとんど変わらない。
ただ、それぞれのキャラクターの心情描写は大幅に増えた。

ジニーが叶えてくれる三つの願いのうち、まずは一つ目の願いで偽王子になったアラジンは、ジャスミンと再会を果たし、父王にも気に入られる。
ところが、ことがトントン拍子に進み過ぎて、自分のウソをいつジャスミンに告白しようかと悩みを深める。
この展開自体はオリジナルと同じだが、本作ではジニーとアラジンの友情がより強調されていて、「三つ目の願いでジニーを自由にする」という約束と絡めて、欲望からダークサイドに落ちそうになるアラジンの葛藤を強化。

対するジャスミンは、オリジナルではアラジンと出会うまで、宮殿の外にも出たことのない超お嬢様設定だったが、本作では侍女のダリアと計って宮殿を抜け出し、貧困が蔓延する国の実情を見聞きしている。
中身空っぽのどこかの「王子さま」と結婚して王妃の地位に収まるよりも、自らが王となり国を統べたい、より良き国にしたいという、強いリーダーシップを持った意識高い系のプリンセス像は、いかにも現代風でオリジナルとは一線を画す。

しかし、実写化にあたって一番強化されているのは、ジニーのキャラクターだろう。
オリジナルのジニーの願いは単に「自由になりたい」だが、実は本作では願いの内容が異なっている。
さらにジャスミンの侍女のダリアとの、ちょっとしたロマンスまで用意されている周到さ。
本作のキャストの中でダントツにギャラが高い・・・からではないだろうが、登場シーンは大幅に増加して、アラジンとの感情的な絡みも深まった。
オリジナルでは砂漠の行商人の語りから始まる物語が、こちらでは海を行く商船を駆るなぜか青くないウィル・スミスから始まるのも、最後まで見ると納得の仕掛け。
今は亡きロビン・ウィリアムズの当たり役でもあった、アニメーション版のエキセントリックなキャラクターを大いにリスペクトしつつ、デジタル技術との合わせ技でスミスならではのやり過ぎギリギリ、新しいジニーを作り上げている。

ミュージカルシークエンスは、実写+CGの特質を生かした豪華絢爛なビジュアルが素晴らしく、質量ともに見応えたっぷり。
空飛ぶ絨毯に乗って一夜で世界を巡る、ファンタスティックな「ホール・ニュー・ワールド」をはじめ、おなじみのアラン・メンケンの名曲群にプラス、新たに「ラ・ラ・ランド」のベンジ・パセックとジャスティン・ポールが参加し、新曲も書き下ろされている。
特にジャファーの野望と対決すべく、ジャスミンが自らの決意を「スピーチレス〜心の声」として歌い上げるシーンは、21世紀のミュージカル活劇となった本作の白眉だ。

オリジナルが作られてから27年の間に、世界は大きく変わった。
今や魔法の絨毯がなくても、グーグルアースで世界の隅々まで覗くことが出来るし、地球の反対側にいる人とでもリアルタイムで繋がることだって不可能じゃない。
技術という魔法によって、人間ができることはどんどん増えている。
でも「何者かになりたい」「自分らしくありたい」「自由に生きたい」という、本作の登場人物の抱えている葛藤や切望、大切な人への愛や友情といった感情はずっと不変のもので、魔法では決して解決できないこと
誰よりも魔法の虚飾性と限界を知るからこそ、本作のジニーの最後の願いはああなったのだろうな。
移ろいやすい世界の中で、古の説話をモチーフにした本作の魅力は、むしろ輝きを増している。
今観ても十分に楽しいアニメーション版と、二本合わせて楽しみたい。

「アラジン」の原作は、「千夜一夜物語」の「アラジンと魔法のランプ」。
実はこの物語は、原典には存在せず、後世のどこかの時点で付け加えられたものだという。
今回は「千夜一夜物語」が成立した9世紀ごろには、アッバース朝の領域にあった、アルメニアのエレバンブランデー社が、白ワインを原料として作るブランデー「アララット アフタマール」をチョイス。
ラムに近い独特の香りが特徴で、ブランデーとワインの中間の独特な味わい。
夜毎語られる物語と共に飲むと、ナイトキャップにちょうどいい。
酒豪ウィンストン・チャーチルの愛飲酒としても知られている、歴史ある酒だ。

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ショートレビュー「さよならくちびる・・・・・評価額1600円」
2019年06月10日 (月) | 編集 |
大好きだから、一緒が辛い。

解散を決めた人気女性ギターデュオ「ハルレオ」のハルとレオ、二人のローディー兼マネージャーでステージでは他の楽器を使ってサポートもするシマ。
3人の最後のツアーの日々を描く、青春音楽ロードムービーだ。
作詞作曲を手がけるハル役に門脇麦、奔放なレオ役に小松菜奈、二人に振り回されながらも、なとかハンドルしようとするシマには成田凌。
この映画の成功の半分は、このクッキリとキャラ立ちするキャスティングの勝利と言って良い。
全国7つの都市を巡るライブシーン以外は、ほとんどこの3人の仲良くいがみ合う掛け合いと、ランダムに挟まれる、今に至るハルレオの過去のエピソード。
音楽経験の無かったレオを、職場で知り合ったハルが誘い、やがてインディーズの人気デュオに。
忙しくなってきたので、ローディーを募集したら、なんでも出来ちゃうシマが現れてマネージャーに。

成田凌がいつダークサイドに豹変するのかとドキドキしたけど、基本今回はいい人。
彼自身も元ミュージシャンで、バンドがダメになって解散してしまった過去があり、ハルレオの二人には自分と同じ轍は踏んで欲しくないと思っている。
この3人、いろんな意味でお互いに好き過ぎて、相手のことを考え過ぎて、気を遣い過ぎて、逆にだんだんと苦しくなっちゃってるんだな。
嫌い合っているのではない。
大好きだからこそ、一緒にいるのが辛い。
全国を回る車の旅路が、今まで辿ってきた3人の旅路を呼び起こし、それぞれが自分の内面と向き合い、本当の気持ちに気付いてゆく物語。

キャラクター造形が非常に繊細に作り込まれていて、奇妙な三角関係に説得力あり。
この手の男女3人組の話は、色恋沙汰が葛藤の発端になっているパターンが多いが、本作の場合ちょっと捻ってある。
シマはハルのことが好き。
だけどハルはレズビアンであることが示唆される。
レオはあちこちフラフラしているのだが、基本シマのことが好き。
バンド内恋愛禁止を不文律にしていることもあって、このすれ違う恋心がなんとも言えないモヤモヤを作り出し、3人の葛藤をより深めている。
ラブストーリーではないのだけど、ここには明らかに、人を愛することで生まれる苦しさが描かれているのだ。

表題曲「さよならくちびる」を秦基博、「誰にだって訳がある」「たちまち嵐」をあいみょんが手がけ、さすがのクオリティ。
ライブシーンは十分に聞かせ、音楽映画としても見応えあり。
シマじゃないけど、最後の函館の解散ライブは「とても感動的」だったよ(笑
基本的にはハルレオ+シマが出ずっぱりなのだが、函館で待っているファンの女の子カップルとか、メインプロット以外のディテールの描写も丁寧。
「さよならくちびる」の歌詞を聴くと、彼女たちがなぜあれほど感動していたのかが分かる。
物語性と音楽性とがピタリと合い、塩田明彦作品では「月光の囁き」以来、一番好きな作品になった。

今回はハルレオの3人のような三つの材料で作る「テキーラ・サンライズ」をチョイス。
氷を入れたグラスに、テキーラ45ml、オレンジ・ジュース90mlを注ぎ、軽くステア。
グラスの底に沈むよう、グレナデン・シロップ2tspを静かに注ぎ入れる。
名前の通り、燃えるようなオレンジのカラーが鮮烈で、テキーラの独特な風味が、オレンジの酸味と甘味、グレナデンの甘味と混じり合い、絶妙なハーモニーを奏でる。
ミック・ジャガーの愛飲酒としても有名で、イーグルスの同盟楽曲もあるという、音楽にはゆかりの深い一杯だ。
そう言えばロバート・タウン監督、メル・ギブソン監督の同名映画もあったな。

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小さな恋のうた・・・・・評価額1700円
2019年06月06日 (木) | 編集 |
うた声が、国境を越えてゆく。

沖縄出身の人気バンド、モンパチことMONGOL800の代表作、「小さな恋のうた」をモチーフにした、青春音楽映画。
才能溢れる沖縄の高校生バンドの物語。
オリジナル楽曲を作り、プロからも声がかかるほどの実力を持つ彼らに、ある日突然悲劇が襲う。
一度は消滅したバンドが、残された音楽に背中を押され、再び歩き始める物語は青春映画の王道中の王道。
しかし、これはただキラキラした青春の輝きを描くだけの映画ではない。

本作の白眉は、同じ島の中に日本とアメリカ、二つの国がある沖縄の特殊な環境を生かし切った、鋭い社会性にある。
バンドメンバーに、佐野勇斗、森永悠希、山田杏奈、眞栄田郷敦、鈴木仁。
米軍基地のフェンスの向こうにいる“友だち”をトミコ クレアが演じる。
第81回アカデミー短編アニメーション映画賞に輝いた「つみきのいえ」の平田研也が脚本、橋本光二郎が監督を務め、キャリアベストの仕上がりとなった。
※映画の前半にちょっとした仕掛けがあるので、観る前は読まないことをお勧めします。

沖縄の小さな町の高校では、あるバンドが人気を集めていた。
ボーカルの真栄城亮多(佐野勇斗)とギターの譜久村慎司(眞栄田郷敦)、ドラムの池原航太郎(森永悠希)、ベースの新里大輝(鈴木仁)。
カバーではなく、オリジナル楽曲で学生たちを熱狂させる彼らの実力は、東京の音楽レーベルの耳にもとまり、プロデビューが決まる。
ところが、喜びもつかの間。
バンドの作曲を手がけていた慎司が轢き逃げ事故に遭い、突然他界してしまう。
加害車両が米軍基地所属のYナンバーだったという証言が出るも、捜査も遅々として進まず、バンドは解散状態に。
そんなある日、慎司の妹の舞(山田杏奈)が兄のパソコンから未完成楽曲を見つけ、亮多たちにバンドの再結成を持ちかける。
大輝が既に他のバンドに加入してしまったことから、ギタリストとして舞が加わったスリーピースバンドとして再始動。
彼らには、慎司の最後の曲をどうしても届けたい人がいた。
それは、米軍基地のフェンスの向こうにいる、ひとりの少女・・・


もう30年以上前になるだろうか、沖縄を初めて訪れた時、強いインパクトを受けた風景がある。
道路をバイクで走っていると、突然右側の視界が開けた。
そこは沖縄の米軍基地で、基地に勤務する軍人の家族が住む住宅地だったのだ。
道の左側はマッチ箱のような建物が密集する日本なのだが、右側は広々とした芝生の庭を持つ大きな家が余裕をもって建てられていて、まるでハリウッド映画に出てくるアメリカのサバーブ。
小さな島の中に、フェンス一枚を隔てて、全く異なる国の風景が同居していた。
那覇の国際通りの映画館も、当時の日本本土で見られた様な絵看板ではなく、アメリカの映画館でおなじみの文字をはめ込むタイプで、戦後30年近くアメリカの施政下にあり、日本復帰後もアメリカ軍施設が集中する状況を実感した。

本作が描くのは、本土とは違う現実の中を生きる沖縄の若者たちの物語であり、青春音楽映画としては相当な異色作である。
しかし、モチーフとなった歌を作ったモンパチは沖縄のバンドだが、主要な役を演じる若い俳優たちに沖縄出身者はいない。
沖縄を舞台とした映画ではおなじみの、琉球語にルーツを持つ独特の方言もほとんど話されない。
それどころか、遠浅の澄んだ海も、どこまでも青い空も、歴史を伝えるグスクなどの史跡、沖縄料理などのローカル要素が全くフィーチャーされないのはなぜか。
それは本土の観客にとって、こういった沖縄ならではの風景が「浮足立った非日常」を感じさせてしまうからだろう。
南国のシーパラダイス、それは確かに沖縄の一面で、観客が求めるものではあるのだが、本作の作り手たちは、あくまでも映画的な現実感に拘った。
だからこそ、一見すると日本中のどこにでもありそうな高校生たちの青春は、誰もがリアリティを感じられるもので、唯一の違いがあまりにも大きな基地の存在なのだ。

沖縄の基地問題を語るとき、陥りがちな賛成反対の単純な善悪二元論は避けられている。
成功目前だった若者たちの音楽活動は、慎司が轢き逃げ事件で亡くなったことで霧散する。
目撃された車が基地所属を意味するYナンバーだったことから、沖縄県警の捜査はなかなか進まず、事件に憤った人々の反基地プロテストも始まる。
一方で、亡くなった慎司は基地に住むアメリカ人の少女リサと、恋と言うにはピュア過ぎる、フェンス越しの交流を深めていっていたことも明らかになる。
慎司を殺したかもしれない者がいるのも基地、慎司の大切な人がいるもの基地。
大人たちのおかれている状況も、基本的には同じ。
慎司の父親は基地で仕事をしていて、息子を殺した犯人がいるかもしれない職場で働き続けることに葛藤している。
亮多の母親は米兵向けのバーを経営しているが、何か事件が起こるたびに基地の軍人たちに外出禁止令が出て、店は閑古鳥がないてしまう。
基地によって傷つけられる人も、基地によって生活している人もいる。

この映画が秀逸なのは、視線をフェンスの向こうの基地に暮らす、米国の人々にも向けていることだ。
沖縄の基地問題を扱った作品は多いが、単純なアイコンとなりがちな軍人ではなく、その家族にフォーカスした作品は初めて観たかもしれない。
当たり前だが、米軍基地の敷地内に住んでいるのは軍人だけではなく、ごく普通の人々も暮らしていることは、忘れられがち。
リサの父親はオスプレイのパイロットであり、彼女は沖縄の人々の米軍への反発も知っているし、何よりも彼女自身も慎司を失った被害者だ。
同世代の沖縄の若者と仲良くなりたくても、基地にプロテストする沖縄の人々とのもめごとを避けるために、フェンスのこちら側に来ることもできないでいる。
立場は違えど、否応なしに基地とともに生き、分断と共生を内面に抱えた人々がここには描かれているのだ。
轢き逃げ犯が実際に基地の人間だったのか、結局はっきりしないのも、白黒で割り切れない現実を反映する。

そして、一度は消滅したバンドが、再生するためのエネルギーとなるのも、フェンスで隔てられたリサに、慎司が伝えられなかった想いを改めて届けたいという願い。
それはそのまま、歴史的に複雑な葛藤が折り重なる、沖縄の未来に対する希望とオーバーラップする。

表題曲の「小さな恋のうた」はじめ、「DON'T WORRY BE HAPPY」「あなたに」「SAYONARA DOLL」などモンパチの名曲の歌詞が物語に気持ちいいくらいピタリとはまり、若者たちが歌い上げるピュアな友情と仄かな恋の想いは、軽々と国境のフェンスを越えてゆく。
基地の問題は色々あるけれど、物理的な分断は心できっと超えられる。
理想主義ではあるが、これぞ青春の煌めき。
本土で本作を観る若者にこそ、何かを感じてほしいというのが、本作の真の願いだろう。
「ちはやふる」チームの佐野勇斗と森永悠希、兄の遺志を受け継ぐ山田杏奈ら、若手キャストの大健闘が光る。
音楽映画としても聴き応え、カタルシスも十分で、必見の快作だ。

今回は、「サザン・スパークル」をチョイス。
サザンカンフォート30ml、パイナップル・ジュース45ml、レモン・ジュース10mlをシェイクし、氷を入れたグラスに注ぐ。
最後にジンジャー・エールを適量満たして完成。
サザンカンフォートのピーチ、パイナップル、レモンの三種のフルーツがハーモニーを作り出し、ジンジャーがすっきりとまとめ上げる。
まるで本作の高校生バンドのような瑞々しさだ。

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