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ボヘミアン・ラプソディ・・・・・評価額1750円
2018年11月13日 (火) | 編集 |
魂の歌を聴け!

冒頭のロックな20世紀フォックス・ファンファーレからテンションMAX、今年一番のアガる映画だ。
20世紀の音楽シーンを代表する、数々の大ヒット曲で知られるイギリスのロックバンド、クイーンのリードボーカルで、45歳の若さでこの世を去ったフレディ・マーキュリーをフィーチャーした音楽伝記映画。

1970年にブライアン・メイとロジャー・テイラーのバンド、スマイルにフレディが加入し、新たにクイーンとなった時点から、十数年に渡るドラマを描く。

既成概念にとらわれない若者たちはやがて栄光を掴むが、その性的指向故に“家族”を持てないフレディは、次第に孤独を募らせる。
ラミ・マレックがまるでフレディが憑依したかのごとく名演を見せ、彼と不思議な絆で結ばれる恋人メアリー・オースティンを「シング・ストリート 未来へのうた」のルーシー・ボーイントンが演じる。
表題曲となっている「ボヘミアン・ラプソディ」を「こんな曲じゃ、車で頭振れないだろ!」とこき下ろす音楽プロデューサーを、嘗て「ウェインズ・ワールド」でノリノリで頭振っていたマイク・マイヤーズに演じさせるなど遊び心も楽しい。
脚本は「ウィンストン・チャーチル /ヒトラーから世界を救った男」のアンソニー・マクカーテンが担当し、後述するようにトラブルに見舞われて途中降板しているものの、一応監督クレジットはブライアン・シンガー。

空港の荷物係として働くフレディ・バルサラ(ラミ・マレック)は、地元のクラブに出演しているロックバンド、スマイルのブライアン・メイ(グウィリム・リー)とロジャー・テイラー(ベン・ハーディ)に美声を認められ、新バンド「クイーン」のリードボーカルとなる。
殖民地出身の厳格な父親との確執を抱えたフレディは、ファミリーネームも「マーキュリー」と改名。
ベースとしてジョン・ディーコン(ジョセフ・マッゼロ)も加入し、斬新なサウンドを連発するクイーンは次第に人気を博し、ついにはアメリカツアーを成功させると世界的なスーパースターへと駆け上がってゆく。
しかし、裕福となったメンバーたちが家族を持ってゆく中、フレディは一人疎外感を募らせる。
彼には長年付き合っている恋人、メアリー・オースティン(ルーシー・ボーイントン)がいるが、彼女を深く愛する気持ちとは別に、同性に対する性的指向が抑えられなくなっていたのだ。
メアリーと別れたフレディは、スタッフだったポール・プレンター(アレン・リーチ)と交際を始め、それはやがてメンバー間の不仲に繋がってゆく。
そして人気絶頂の80年代、フレディにソロ活動のオファーが届くのだが・・・


おそらく今の日本人で、クイーンの楽曲を全く聴いたことがないという人はいないのではないか。
フレディの没後27年がたつ現在でも、彼のパワフルな歌声はテレビCMやドラマなどで流れ続けている。
数年前のポカリスエットのCMで、オッさんたちがいきなりの「We Will Rock You」を歌い出したのはインパクト絶大だったし、去年もトヨタのミニバンのCMで「We Are The Champions」が、カムリのCMで「Flash」が使われていた。
たとえタイトルを知らなかったとしても、聴けば「ああ、あの曲ね」となるはずで、クイーンのサウンドは世代を問わず、私たちの記憶に自然に刷り込まれているのである。
これは日本だけの現象ではなく、音楽性が高く、とにかくテンションのアガる彼らの楽曲はハリウッドでもよく使われるし、レディー・ガガが「Radio Ga Ga」から自らの芸名をもじったように、クイーンに大きな影響を受けたという人物は枚挙に遑がない。
それほど大きな存在だった伝説のバンドを、時系列に沿ってエピソードをくまなく描こうとすると、とても135分では足りないだろう。

そこで本作は、アフリカ、ザンジバルで生まれたインド系ゾロアスター教徒の青年ファルーク・バルサラが、英国人のロックスター、フレディ・マーキュリーとなり、紆余曲折の末についに”本当の家族”を手に入れるまでの物語に絞った。
ザンジバルの政変を逃れ、イギリス本土に渡った旧植民地からの移民の子であるフレディは、幾つもの葛藤を抱えている。
まずは自らのアイデンティでもある、インド系の血統に関するもの。
「パキスタン人」と蔑まされながら、何者かになりたくて、その才能でチャンスをつかんだフレディは、ファーストネームだけでなく、家族の名をも捨てフレディ・マーキュリーを名乗るのである。
そしてミュージシャンとして成功してからは、抑えてきたバイセクシャルとしての葛藤
劇中で性的指向を告白したフレディに対して、メアリー・オースティンは「あなたはゲイよ」と断言していたが、実際に女性とも付き合っているのだから、やはりバイセクシャルだったのだと思う。
ただ、同性愛は公然の秘密だったが、彼自身は今で言うカミングアウトをすることは無かった。
最後は、苦楽を共にするバンドのメンバーとの音楽的な軋轢だ。
もっとも、メンバーの間で揉めると、誰かが新しい曲のアイディアを出し、それを試している間に皆ノリノリになって仲良しに戻るというパターンが何度も繰り返されるので、基本的には音楽バカたちが仲良くいがみ合っているだけ。
フレディと他のメンバーの間に決定的な亀裂が出来る原因も、音楽性の違いなどが原因ではなく、むしろ彼自身が心を閉ざしたことにある。

野望を抱いた若者たちが成功者となり、やがて異なる道を歩みだすのは王道。
そして一度は袂を分かったメンバーが再び結集するまでの展開も、物語的にも演出的にも特筆するほどの何かがある訳ではない。
もちろん、俳優たちの好演はみものだし、物質的には恵まれながらも孤独に苛まれるフレディの苦悩は感情移入を誘う。
心の底ではしっかりと繋がりながらも、結ばれることのないメアリーとのラブストーリーも切ない。
丁寧に作られていて決して退屈する訳ではないが、どれもよく知られたエピソードでもあり、人間ドラマとして数ある音楽バンドものの予定調和を超えるものではないのだ。
だが、全体の構造を考えるとこれは狙いだろう。
本作の凄さは、二時間近く費やして描いた物語の全ての要素、全ての葛藤をラスト20分に集束させ、クイーンという“家族”の最高のパフォーマンスと共にステージで昇華したことにある。

クライマックスとなるのは、当時世界的な関心事となっていたアフリカ難民の救済を目的に、1985年に開催された伝説のチャリティコンサート、「ライブ・エイド」だ。
イギリスのウェンブリー・スタジアムとアメリカのJFKスタジアムをメイン会場に、綺羅星のごとくスターたちが共演、録画を含めて世界150ヵ国で放送され、数億人が視聴したと言われる、まさに史上最大のショウである。
当時10代だった私は、このコンサートをTVで観た。
次々に現れるスーパースターたちに、ワクワクする高揚感はあったが、やはり遠い国のイベントという感じだった。
ところが、この映画のラスト20分、私は1985年にタイムスリップして、確かにウェンブリー・スタジアムでクイーンのパフォーマンスを“体験”したのだ!
会場を埋め尽くした観衆の上を、カメラがグーッとステージに迫ってゆくダイナミックなショットから、ライブ・エイドを完全再現。
声に関してはさすがにフレディ本人のものを使っているそうだが、ラミ・マレックの成りきりっぷりも見事だ。
よく見ると顔はそんなに似ていないものの、一挙手一投足がどんどんと本人に見えてくる。
「ボヘミアン・ラプソディ」から始まって、「Radio Ga Ga」「ハマー・トゥ・フォール」「伝説のチャンピオン」、現在の映像技術によって再現された33年前のステージは、当時のアナログ放送のクオリティをはるかに超えて、観客を熱狂の渦に迎え入れる。
ぶっちゃけこの20分だけで、十分観る価値はあると思うが、もちろんこの盛り上がりはそこに至るまでの15年分のドラマが”前座”として十分に機能しているがこそ。
聞くところによると、撮影フッテージは実際のライブ・エイドの時と同じ6曲分あるというから、是非円盤の特典にしてもらいたい。

しかし、実際に解散寸前だったクイーンを救ったライブ・エイドをクライマックスにした構成の結果、時系列的に史実と異なる部分が生まれてしまった。
それほど詳しくない私でもロジャー・テイラーの「何年も人前で演奏してない」のセリフには「???(いや、あんたら別に活動休止してなかったやん?)」と思ったし、あの時点ではフレディはAIDSとは診断されていなかったはず。
クイーンの活動を長年追い続けてきたようなファンが観たら、もっといろいろとおかしな部分があるのだろう。
だが、フレディ・マーキュリーという人物の苦悩と解放を真摯に描くというコンセプトに嘘はないし、「史実を元にした映画」は史実そのものではない。
例えばベネット・ミラー監督の「マネーボール」は傑作だが、数十年間の話を一年に凝縮した上に、実在しないキャラクターを作っちゃていて、あれに比べれば本作の改編など可愛いものだ。
やはりアンソニー・マクカーテンが執筆した、「ウィンストン・チャーチル /ヒトラーから世界を救った男」も、核心的な部分の脚色にはかなり創作が入っている。
そもそも「映画一回観て感動して終わり」の人には、それが史実かどうかなんてあまり意味はない。
映画で史実に興味を持った人は、そこから史実のネガティブな部分を含め自分で調べれば良い話で、その意味からも「ボヘミアン・ラプソディ」は最高の入門編だと思う。
本作には音楽プロデューサーとして、ブライアン・メイとロジャー・テイラーも参加しているので、精神性についてはお墨付きということだろう。

ところでこの映画、前述したように監督としてクレジットされているのはブライアン・シンガーなのだが、彼は映画のクランクアップ二週間前に解雇されている。
どうもスタッフ・キャストとの衝突があったようで、スタジオはクローザーとしてデクスター・フレッチャーを雇い、なんとか完成させた。
この様な経緯をたどった作品は、往々にしてどこかがぶっ壊れているものだが、完成した作品を観る限りでは、ドラマ部分の仕上がりがやや緩いものの、トラブルの影はほとんど感じられない
もともとモチーフそのものが、シンガーがこれまで描いてきた作品と符合するし、普通にシンガーっぽいのである。

まあ解雇される前に、かなりの部分は撮り終えていたそうだが、当然彼はポスプロには関わっていない訳で、この完成度の高さは奇跡だ。

今回はボヘミアン繋がりで「ボヘミアン・ドリーム」をチョイス。
アプリコット・ブランデー20ml、グレナデン・シロップ20ml、オレンジ・ジュース10ml、レモン・ジュース1tspをシェイクし、氷入りのタンブラーに注ぐ。
キンキンに冷やしたソーダで満たし、軽くステアして最後にスライスしたオレンジを飾って完成。
甘口のロングカクテルで、ボヘミアン=自由奔放な放浪者のパッションを感じさせる赤が美しい。
 
ちなみに私がクイーンの洗礼を受けたのは、本作では華麗にスルーされていた映画「フラッシュ・ゴードン」を鑑賞した時。
映画は子供心にアホらしかったけど、「曲はカッコいいじゃん!」とレコード買ったのだ(笑

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ROMA/ローマ・・・・・評価額1750円(暫定)
2018年11月10日 (土) | 編集 |
ああ、郷愁のローマよ。

メキシコ黄金世代の鬼才、アルフォンソ・キュアロン監督の最新作は、1970年から71年のメキシコを舞台に、ある裕福な医師の家に住み込みで働く、先住民系の家政婦クレオの物語。

タイトルの「ROMA/ローマ」はイタリアの首都ではなく、メキシコシティの地名だそう。
エリートの両親に一姫三太郎の子供たち、中庭のある家には二人の家政婦とペットの犬もいる。
キュアロン自身の子供時代がモチーフになっていて、年齢的には一家の長男が彼なのだろうが、精神的には前世の記憶を語る三男に自分を重ねている様に思う。
しかし、はじめは満ち足りていて幸せそうな家族に、徐々に暗雲がたち込める。

それと共にクレオ自身にも大きな問題が起こり、彼女と医師家族の葛藤は平行して絡み合ってゆき、その背景に制度的革命党(PRI)一党独裁時代のメキシコ現代史の出来事が配されるという構造だ。
65㎜フィルム撮影、アスペクト比1:2.35のモノクロ映画という、どこから見ても劇場の大スクリーンを想定した作品ながら、原則的にNetflixによるストリーミング配信のみの公開となることも物議を醸した。

1970年のメキシコシティ。
地方出身のクレオ(ヤリャッツァ・アパリシオ)は、裕福な医師のアントニオの家で住み込みの家政婦をしている。
この家に住むのは、アントニオと元大学の生物学教授の妻ソフィア(マリーナ・デ・タビラ)、ソフィアの母のテレサ、三人の男の子と一人の女の子、そして同僚の家政婦アデラ(ナンシー・ガルシア・ガルシア)。
雇い主のアントニオは留守がちだが、クレオは四人の子供たちに慕われて、家事やソフィアの手伝いをしながら平穏無事な毎日が過ぎてゆく。
休日にはアデラと共に遊びに出かけ、アデラの彼氏のいとこだという武道家のフェルミン(ホルヘ・アントニオ・ゲレロ)と出会い、恋に落ちる。
しかしある時、海外出張に行ったはずのアントニオが、実は愛人の家に入り浸っていることが発覚。
幸せだった一家は、大きな転機を迎える。
同じころ、クレオもフェルミンの子供を授かるが、そのことを告げると彼は姿を消してしまう。
取り残されたソフィアとクレオは、共に苦悩を分かち合い、人生の荒波に立ち向かおうとするのだが・・・


70年代、子供の頃メキシコに短期間だが滞在したことがある。
本作を観ながら、街中に犬のウンコがやたらと落ちていたこと、メキシコで生産していたVWビートルがたくさん走っていたこと、スモッグ公害がひどかったこと、ビーチで地元民が大きなウミガメを解体していて、ウミガメ料理をふるまってくれたことなど、懐かしい思い出が蘇ってきた。

アルフォンソ・キュアロンは、少年時代の自分を愛してくれた一人の女性の心象劇を、映画言語を駆使して描く。

渋い人間ドラマなので、「ゼロ・グラビティ」「トゥモロー・ワールド」の様なこれ見よがしなものではないが、冒頭から凝りに凝った映像・音響演出に、もう全く目が離せない。

舞台となる家の、空間設計が秀逸だ。
通りに面した入り口からは細長いトンネル状のガレージとなっていて、そのまま建物に囲まれた中庭に繋がっている。
ガレージと中庭は開けたリビングを中心とした生活空間に面し、二階には家族それぞれの個室。
クレオとアデラの部屋は中庭を挟んだ離れのような二階にある。
キュアロンは、この大きく特徴ある家の構造を演出に巧みに利用。

ファーストカットは敷き詰められたタイルが映し出され、ブラッシングの音から掃除中なのが示唆される。
カメラは真俯瞰で、タイルに大量の水が流されると、水面に四角く切り取られた空が映り、そこに飛行機が飛んでいることで、場所が中庭だと分かるのである。
このビジュアルは、多くのインフォメーションが含まれているだけでなく、ラストカットの中庭から煽り見る空のミラーイメージとなっており、対照的なカメラの向きによって登場人物の心象の変化を見事に表現している。
またキュアロンは、横長のスコープサイズを生かし、全編に渡ってキャラクターの動きに合わせたパン、ドリーを多用。
例えば家の一階のリビングに置かれたカメラがグルッと一回転する間に、家のあちこちから登場人物たちが次々と現れる。
あるいは、街の中を歩く登場人物をフォローすると、カメラの動いてゆく先で思いがけない場面に遭遇する。
ここでは流麗なカメラワークは登場人物のアクションと一体化し、まるで一連の絵巻物を観ているかのごとく。

映像だけでなく、音響演出も素晴らしい。
ものすごく細やかに作り込まれた環境音は、まるで自分が映画の世界に入り込んだからのような臨場感
生活音に満ちた猥雑な街の喧騒、田舎の農場の新年の宴、強風吹きすさぶ寒々しいビーチ。
40年以上前の、私のメキシコでの記憶を呼び起こしたのは、おそらく映像よりもこの音響だと思う。

物語的にはクレオとソフィアの葛藤を軸としたごくパーソナルなものだが、彼女らの日常のドラマの背景として、当時の世相をさりげなく映し出すことで、本作はキュアロンと家族にとってのメキシコ現代史の一ページを描くクロニクルとしての側面を持つ。
印象的なのは生まれてくる赤ん坊のために、テレサと共に家具店を訪れたクレオが、街の騒乱に巻き込まれるシークエンス。
これは1971年に起こった、学生団体のデモを実質的にPRI政権の意を受けた民兵組織が襲撃し、25人が殺された弾圧事件。
この時、クレオは最悪の形でフェルミンと再会するのだが、結果としてこの事件はそれまでの彼女の世界を終わらせ、人生の次なるステップに踏み出せさせることとなる。
そして彼女の物語は、ビーチでの出来事を通して、ソフィアと家族の物語と一体となり、共に愛する者に裏切られ、閉塞した二人の女性の人生には、小さな小さな光が灯る。

映画ファンとして興味深いのは、本作に引用されている映画のチョイスだ。
クレオがフェルミンと観に行くジェラール・ウーリー監督の「大進撃」は、大ヒットしたフランスのコメディ映画。
ナチス占領下のパリ上空で撃墜され、パラシュートで脱出した三人のイギリス兵が、それぞれフランス人たちの助けを借りながらブルゴーニュへと向かい、グライダーで脱出するという話。
ところが、クオレの妊娠を聞いたフェルミンは、そのクライマックスの間に、トイレに行くと偽って彼女の前から“脱出”してしまうというブラック・ジョーク。
また一家の長男が観たがり、アントニオの不貞発覚の一因になるのがジョン・スタージェス監督の「宇宙からの脱出」だ。
これは宇宙ステーション建設のために作業中、故障して帰還不能となった宇宙船アイアンマン1号を、なんとかして救出しようとする物語で、キュアロンの大ヒット作である「ゼロ・グラビティ」の原型とも思える作品。
実際、他のクルーを生き延びさせるための船長の自己犠牲など、似たようなシチュエーションもある。
「大進撃」「宇宙からの脱出」どちらの映画も、非日常からの脱出をモチーフとしているのが面白い。
戦争や宇宙ほど極端ではないが、クオレもソフィア一家も、悪夢的な非日常からささやかな日常への回帰を目指しているのである。

私はこの映画を東京国際映画祭(TIFF)で鑑賞したのだが、何かと評判が悪い映画祭のチケットシステムに、ダメもとでアクセスしてみたらたまたま繋がって、奇跡的にベストシートで観ることができたのは幸運だった。

まだ劇場公開の可能性はゼロではないようだが、これが配信オンリーになってしまうのはあまりにも勿体無い。

凝った環境音など、TVのスピーカーでは半分も再現できないだろうし、横長のアスペクト比を生かしきった動線の演出も、明らかに大画面を前提としたものだ。

しかし現在のシネコンでも、本作を真に楽しめる環境は実は多くないのかもしれない。
TIFFでの上映は、全9スクリーン中5番目のキャパシティのスクリーン3。
人気から言えば最大のスクリーン7でも十分に埋まっただろうが、実際にはスクリーン3での連続上映となったのはなぜか。
現在のシネコンの大型スクリーンは、パッシブ3D上映に対応するためにシルバースクリーンが主流となっているが、これは従来のマットスクリーンなどと比べると画質が落ちる。
2D上映ではメリットはなく、素材特性上どうしてもギラついた印象となるので、本作のような落ち着いたモノクロ映像の再現性は低い。
実際にNetflix側から、シルバースクリーンは不可とのお達しがあったそうで、最大のスクリーン7では上映できなかったのだ。
だから劇場公開しても、本来の意図通りの映像を観客に見せようとすると、上映できるスクリーン自体がかなり限られてしまう。

それでも、ある程度の規模のシネコンなら非シルバースクリーンの箱もあるだろうし、アートシアターの多くもマットタイプのスクリーン。

本作は確かに地味な話で大スターもいないが、既にベネチアの金獅子賞に輝き、これからも世界中の映画祭で賞を取るだろう(もしかしたらアカデミー外国語映画賞も)。

各国でスクリーン数絞って公開したら、それなりにお客は来るのではないか。

まあ監督本人が商業的な憂慮からNetflixに売ったという事実はあるが、これだけの傑作が、本来想定した大スクリーンで観られないのは残念過ぎる。 

Netflixには、文化の担い手として英断を期待したい。
ゆえに本作の評価額は暫定。
日本で劇場公開されたら満点にします。

今回はメキシコの代表的な酒「グサーノ・ロホ メスカル」をチョイス。
メスカルはテキーラと同じリュウゼツラン科の植物から作られる蒸留酒で、テキーラは特定地域で生産されるメスカルの一種。
メキシコ中で作られていて、多くの銘柄でボトルに芋虫が入っているので有名だ。
この芋虫はリュウゼツランに住んでいるもので、もちろん食用。
一説によると芋虫が入っていることで、味が良くなるというが、本当かなあ。
ベーシックな飲み方は、オレンジのスライスにかじりつき、ショットグラスで少しずつメスカルを口に含み味わう。
ちなみにメスカルをグラスに注ぐ時、芋虫が出てくると幸運が訪れるのだそう。
ちょっとヤダけど。

本作とは関係ない話だけど、劇中の「宇宙からの脱出」でちょっと驚いたシーンがあった。
ぶっちゃけ30年くらい前に観たっきりだったので、すっかり忘れていたのだが、宇宙空間で宇宙飛行士がスペースシャトル計画の機動ユニット(MMU)に似た装置を身につけているのだ。
1968年に公開された「2001年宇宙の旅」では、宇宙飛行士が命綱も機動装置も使わずに宇宙遊泳するという、現在から見るとかなり無茶な描写があるのだが、当時の考証としてはこれが精一杯なのかと思っていた。
しかし翌年公開の「宇宙からの脱出」では、ちゃんとMMUが出てくる!と思って調べたらMMUの原型は1966年に完成しているじゃないか。
ということは、やっぱり「2001年宇宙の旅」の描写は考証不足ということになる。
いやもちろん、そうだとしても傑作なんだけどさ・・・。

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ショートレビュー「ヴェノム・・・・・評価額1600円」
2018年11月04日 (日) | 編集 |
ニンゲン、喰いたい。

嘗てサム・ライミ版「スパイダーマン3」にも、ヴィランの一人として登場した人気キャラクター「ヴェノム」の単独作品。
米国での批評はボロボロだが、これはこれで面白いじゃないか。
ディズニー主導のアベンジャーズ系MCUとは異なり、ソニーピクチャーズが権利を持つスパイダーマン系、しかし今回は本編にスパイディが出てこないので、完全に独立した作りになっているのが特徴だ。
原作ではスパイダーマンが異世界で手に入れた黒いコスチュームに由来するキャラクターだったが、今回はリズ・アーメット演じる、ちょっとイーロン・マスクっぽいマッドサイエンティスト、カールトン・ドレイクによって、彗星から持ち帰られた謎生命体“シンビオート”の一体となっている。

ドレイクは人類を他惑星に移住させるために、人間とシンビオートを融合させようとしていて、違法な人体実験を繰り返しているのだが、なかなか適合者がいない。
ところがトム・ハーディ演じる、正義感は強いが猪突猛進型のダメ記者、エディ・ブロックが人体実験を告発するために研究所に侵入したところ、図らずも“ヴェノム”に寄生されて適合してしまう。
無敵の存在となったブロック=ヴェノムは、彼を捕らえようとするドレイクと、サンフランシスコの街で壮絶な大バトルを繰り広げる。

監督が「ゾンビランド」のルーベン・フライシャーだけに、全体にとぼけたユーモアがあるのがいい。
ヴェノムのキャラクターもお茶目で、自分がシンビオートの中では弱小な存在ゆえに、どん底のエディに感情移入。
だんだんと友達みたいになってきて、恋の人生相談まで(笑
あのスライムみたいな生物の世界でも「負け犬」の概念があるのが可笑しいが、種を超えた似た者同士によるバディものの構造になっているのだ。

坂の街サンフランシスコを生かしたバイクチェイスや、複数あるバトルシーンも迫力がある。
反面、ブロックとヴェノムが融合するまでの前半部分は少し冗長で、本来人間を捕食するために地球にやって来たヴェノムが心変わりする動機だとか、宿主に適合する基準なんかもムッチャ適当
特に前半あれだけ適合性云々を言っておいて、終盤ブロックと離れ離れになってしまったヴェノムが、何の問題もなくある人物と融合して、再会を果たすのはあまりにもご都合主義で、SF考証も含めて突っ込みどころは満載。
クライマックスのヴェノムvsドレイクと融合した最強のシンビオート、ライオットとの戦いもちょっとカット割過ぎで見辛い。
批評家的には、一応は批判せざるを得ない部分が多いのは確かだろう。
まあご都合主義に関しては、個人的には元々アメコミってそんなもんだと思うし、緩い部分も嫌いじゃないけど。

しかし、ディテールは予想以上に「寄生獣」な映画だったな。
キャラクターとしてのルーツはヴェノムの方が古いんだけど(原型の黒いコスチュームの登場は1984年、ヴェノムとしての初出は1988年でミギーと同じ年)、バトルシーンの演出やブロックとの共生関係などのテリングは相当に影響を受けていそうだ。
因みに今回は、エンドロールもおまけもやたらと長い。
全部で20分近くあったんじゃないかなあ。
スパイダーマンのキャラクターだということを知らないと、あのおまけは意味不明だろうけど。

今回はヴェノムと同じく黒いカクテル「ブラック・レイン」をチョイス。
リドリー・スコット監督の同名映画から命名されたカクテルで、その名の通り美しい漆黒。
フルート型グラスにスパークリングワインまたはシャンパンを80ml注ぎ、ブラック・サンブーカを20ml静かに加えてごく軽くステアする。
定番の比率は無く、グラスのサイズと好みによって変化する。
サンブーカは香りが強いので、それなりにクセがあるが、香草系が好きな人にはハマる味わいだろう。

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東京国際映画祭2018 まとめのショートショートレビュー
2018年11月03日 (土) | 編集 |
第31回東京国際映画祭の鑑賞作品つぶやきまとめ。
相変わらずのチケットシステムの最悪さには、もはや苦言を言う気も失せた。
だがチケット販売が終わってから、Netflixにより配信オンリーになることが判明したアルフォンソ・キュアロン監督の「ROMA/ローマ」をスクリーンで観られたのは良かった。
この作品に関しては、改めて劇場とネット配信の関係を考えさせられたが、大スクリーンを前提に作られているのは明らかなので、可能であれば是非劇場公開して欲しい。

輝ける日々に・・・・・評価額1600円
「サニー 永遠の仲間たち」のベトナム版リメイク。
日本版同様にプロットはオリジナルに忠実で、テーマ的にも差異は無し。
面白いのは、やはり時代と社会設定のローカライズだ。
韓国版は2011年から民主化前夜の80年代を、日本版は2018年から平成不況の90年代を描いた。
それぞれが社会の転換期だった訳だが、ベトナム版の現在は2000年、過去は1975年で、舞台は南ベトナムの都市ダラット。
2000年はビル・クリントンが米国大統領として戦後初のベトナム訪問をした米越和解の年で、1975年は言うまでもなくベトナム戦争が終結した年。
少女たちの青春の終わりが、そのまま南ベトナムという国の終わりに重なる構図だ。
韓国、日本版と同じく二つの時代の間は描かれないのだけど、国が滅びたのだからその後の彼女らが体験した変化が最も大きいのは本作だろう。
例えばキム・ソンギョンとともさかりえが演じたキャラクターの実家は、本作だと映画スタジオ経営者のブルジョワで、赤化統一後に辿った人生は相当に困難だったのは想像に難くない。
同じCJエンターテイメント製作で、日本とベトナムでリメイクされた「怪しい彼女」も時代性のローカライズが絶妙だったが、これも意味あるリメイクになってる。
やっぱり「歴史のある時点」をモチーフにした映画は、お国事情が出て面白い。
そこに永遠の友情という普遍性がある訳だからね。
監督と主演女優さんも実は幼馴染で、この映画はリアル同窓会だったそう。
雨に唄えばへのオマージュなど、遊び心も楽しい。
2000年を現在にした理由を、監督は「この頃ベトナム人はようやく将来の夢を持てるようになった」と言ってたのが印象的。
この五年前の米国との国交正常化と経済制裁解除で国が豊かになり、実際映画でも結構良い暮らししてる様に見える。
しかしそれでも、日本では「ザ・庶民のクルマ」のトヨタ・カローラが、まさかのショーファードリブンで使われてて、ステータスシンボルなのにはビックリ。
まあ18年経った今はもう変わってるんだろうけど。
こんな異文化ギャップも、外国映画の面白さ。

アジア三面鏡2018:JOURNEY・・・・・評価額1450円
アジアの三監督によるオムニバス、今回のモチーフは「旅」。
中国、ミャンマー、日本を舞台に、三つの小さな旅が描かれる。
デグナー監督による第1話「海」は夫を亡くした妻と、全く性格の違う娘との弔いの旅。
二人はぶつかり合いながらも、喪失を共有してゆく。
ジワリと余韻が広がる佳作。
松永大司監督の第2話「碧朱(へきしゅ)」は鉄道の速度向上のため、ミャンマーに派遣された長谷川博己がヤンゴンの下町を彷徨う。
効率化は本当に必要か?
しかし急激な変化は要らないという人たちも、iPhoneの翻訳を使いこなし、仏像は派手なLED照明で彩られている現実。
変化は常に起こっている。
タイトルは劇中出てくる布の色と同時に、異なるベクトルの心情の象徴だろう。
エドウィン監督の第3話「第三の変数」は、一番の珍品。
問題を抱えたインドネシア人の夫婦が、なぜか雪の東京の民泊で、宿のマネージャーからセックス指南を受ける。
なんだか色々よく分からない話なんだけど、妙なおかしさがあって見入ってしまう。
マネージャー役のニコラス・サプトラだけが、3本全部に出演しているのも謎w
3本とも、ある状態から別の状態への変化を、旅に投影しているのが興味深い。

翳りゆく父・・・・・評価額1450円
まさかの着地点。
ガブリエラ・アマラウ・アウメイダ監督のホラー偏愛が生んだ、不可思議なるスピリチュアルドラマ。
妻が亡くなり孤独に苛まれる父親は、職場の友人の死も重なり、次第に心を病んでしまう。
一方、ネグレクト気味の幼い一人娘ダルヴァは、黒魔術のまじないに夢中。
彼女は、自分なりの方法で家族を再び幸せにしようとする。
物語のベースはブラジルならではの死生観だったり、女たちに流行ってる怪しげなまじないだったりするのだが、劇中でダルヴァが深夜のホラー映画ばっかり観てる様に、ハリウッド系のホラーテイストが奇妙に融合している。
結果として、非常にラテンアメリカ的な土着な要素とジャンル映画的な外連味が融合した、なんとも形容し難い独特の手触りの怪作が出来上がった。
監督によると「死」を語るのはブラジル社会ではタブーだそうだが、描き方が基本陽性なのが面白い。
ハッピーかつブラックなラストも味がある。

テルアビブ・オン・ファイア・・・・・評価額1650円
これ面白い!
アラブ系TV局の放送する、パレスチナの女スパイとイスラエル軍の将軍が恋に落ちるメロドラマが、イスラエル・パレスチナで大ヒット中。
コネでドラマの現場に入ったダメ人間のパレスチナ人青年サラムが、ひょんなことから脚本チームに抜擢される。
しかし、当然ど素人に脚本は書けず、サラムはあろうことか検問所のイスラエル軍将校アッシにアイディアを求めて、なぜかそれが採用されてしまう。
サラムと“ゴーストライター”のアッシは、最初のうちは協力し合うのだが、やがてドラマの結末を巡って対立する。
しかもサラムもだんだんと成長し、自分で書ける様になったことで、二人の間の溝は決定的となってしまう。
これは自分自身の語るべき言葉を持っていない、ダメダメな主人公の王道的な成長物語であるのと同時に、イスラエルとパレスチナの歴史と現状のメタファー。
序盤はコメディ要素が前面に出ていて色々緩いのだが、徐々にサラムの置かれている抑圧的な現状が見えてきて、1967年の第三次中東戦争前夜を描く劇中劇と現代を描く現実パートが、最終的にはテーマ的に融合してくる凝った仕組み。
永遠に終わらない白日夢の様なメロドラマが、イコール永遠の非日常たるイスラエル・パレスチナの紛争に重なる工夫は誠に秀逸だ。
サラムとアッシが揉めたラストも含めて、落とし所が読めないので最後までスリリング。
これは正式公開を望みたい快作。

冷たい汗・・・・・評価額1600円
女子フットサルのイラン代表主将のアフルーズは、国際大会決勝へと向かう空港で、離婚を前提に別居中の夫から出国を禁止されていることを知る。
試合開始まで4日間の夫婦バトルは、監督が実際にある女性アスリートが出国を許されなかったというニュースから着想したそう。
主人公のアズフールも相当勝気で自分から敵を作る性格なんだけど、TVタレントでナルシストの夫がむっちゃワガママでクソ野郎に造形されている。
支配欲の塊で、妻の成功に嫉妬するちっちゃい男。
水と油みたいな二人が結婚したのが不思議なんだけど、人は歳と共に変わるということか。
そもそも夫が妻の出国を拒否できるという理不尽な法律があるのが問題なんだが、悪法でも法。
SNSでは同情を買うが、フットサル連盟や裁判所も含め狡猾な夫に丸め込まれ誰も決定的なことは出来ない。
女の足を引っ張るのが、主人公より地位のある女だったりするのもリアル。
ファルハディ系心理劇とはちょっと違う、かなり物理的にぶつかり合う夫婦喧嘩映画。
タイトルは文字通り日本語の「冷や汗」のこと。
妻と夫、冷や汗をかかされるのは誰なのか。
息詰まる展開に最後まで眼が離せない。
本国では女性の支持を集めて大ヒットしてるそう。

ハード・コア・・・・・評価額1650円
怪作揃いの今年の邦画にまた一本。
狩撫麻礼+いましろたかしのカルトコミック、まさかの映画化。
政治結社の下っ端で、なぜか山で埋蔵金探しをさせられている山田孝之の主人公と荒川良々が、遺棄された謎のロボットを見つける。
人間二人とロボット、ぼっち三人(?)組の奇妙な日常の物語。
しかし佐藤健演じる主人公のエリートの弟が、ロボットの存在を知ったことからドラマが大きく動き出す。
ロボットの造形を含めてかなり原作に忠実で、メインキャストは皆イメージがぴったり。
山田孝之はピュアで真っ直ぐ過ぎるが故に、「間違った世界」に馴染めない。
彼は葛藤を暴力に転化し、廃工場に隠れる様に暮らす荒川良々は、厳格な家庭のプレッシャーから心を病み声を失ってしまった。
そしてロボオと名付けられた不細工なロボットは、人間の腹黒さからは無縁のAIだ。
彼ら三人は裏表がない故に、このドロドロした社会に居場所がない。
希望が潰えたとき、この社会に生きるにはあまりにも無防備で孤独な三人に残された道は何か。
R-15の猥雑な描写の裏側に切ない詩情が流れる、いかにも山下敦弘らしいアングラな手触りでオフビートな寓話。
今回はかなり攻めている。

ROMA/ローマ・・・・・評価額1750円
1970年のメキシコを舞台に、ある裕福な医師の家に住み込みで働く、家政婦のクレオの物語。
タイトルのローマはイタリアではなく、メキシコシティの地名。
アルフォンソ・キュアロンの子供時代がモチーフになっていて、初め幸せそうな家族に徐々に暗雲が立ち込める。
それと共にクレオ自身にも大きな問題が起こり、彼女と医師家族の葛藤は平行して絡み合ってゆき、その背景にPRI一党独裁時代のメキシコ現代史の出来事が配されるという構造。
キュアロンは、子供時代の自分を愛してくれた一人の女性の心象劇を、流麗なカメラワークで活写。
渋い人間ドラマなので、「ゼログラ」や「トゥモロー・ワールド」の様なこれ見よがしなものではないが、ファーストカットからシャレード全開の映像演出に、もう全く目が離せない。
まだ流動的な様ではあるが、これが配信オンリーになってしまうのはあまりにも勿体無い。
凝りに凝った環境音など、TVのスピーカーでは半分も再現できないだろうし、スコープサイズを生かしきった動線の演出も明らかに大画面を前提としたものだ。
確かに地味な話で大スターもいないが、世界中の映画祭で賞を取るだろう(もしかしたらアカデミー外国語映画賞も)。
各国でスクリーン数絞って公開したら、それなりにお客は来るのではないか。
まあ監督本人が売ったという事実はあるが、これだけの傑作が作り手が本来想定したスクリーンで観られないのは残念過ぎる。
Netflixには、文化の担い手として英断を期待したい。
劇場公開されたら満点にします。

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日日是好日・・・・・評価額1700円
2018年10月30日 (火) | 編集 |
雨音が心に染み入る。

エッセイストの森下典子が長年通っていた茶道教室での出来事を綴った、「日日是好日 『お茶』が教えてくれた15のしあわせ」を大森立嗣監督が映画化。
タイトルの「日日是好日(にちにちこれこうじつ)」は、教室に掲げられている書の言葉で、そのまま捉えれば「毎日がよき日」となるが、本当はどういう意味が込められているのか。
黒木華演じる主人公の典子は、まじめな性格だが特に人生の目標があるわけでもなく、なんとなく毎日を生きている大学生。
そんな彼女が、ひょんなことから茶道教室に通うこととなり、茶の湯の哲学を通してこの言葉に秘められたディープな意味を知る、四半世紀に渡る物語だ。
典子を、無限に広がる茶の湯の宇宙へと誘う武田先生を、つい先日死去した樹木希林が演じ、圧巻の存在感。

大学生の典子(黒木華)は、情熱をそそぐ何かを見つけたいと願っているが、学生時代は瞬く間に過ぎてゆく。
二十歳の春、母(郡山冬果)に勧められたこともあって、典子はいとこの美智子(多部美華子)と共に近所の武田先生(樹木希林)のもとで茶道を習うことに。
二人が憶えなければならないのは、お茶のたて方だけでなく、歩き方から道具の選び方、飲み方に至る膨大な作法。
「お茶はまず『形』から。先に『形』を作っておいて、その入れ物に後から『心』が入るものなのよ」と言う先生に、「それって形式主義では?」と反論しつつも、二人はなんとか茶の湯の世界に馴染んでゆく。
やがて卒業の季節を迎え、貿易商社に就職した美智子は教室をやめてしまったが、就職におちた典子は出版社でアルバイトをしながらお茶の稽古を続けている。
年齢を重ねる毎に、少しずつ茶の湯の世界の奥深さを理解してゆく典子だったが、同時に茶人としての限界も感じるようになっていた。
そんな時、典子の人生に大きな転機が訪れる・・・・


「お茶の作法なんて決まっているのだから、なんで皆何年も稽古を続けるのだろう?」
以前はこう思っていたのだが、実際に長年教室に通っている人に聞くとそう簡単ではないらしい。
劇中にも描かれている通り、季節によってどんどん作法が変わってゆくので、覚えなければならないことは膨大にある。
一つの作法をマスターしても次は違うことをするので、一年が巡ってくるころにはすっかり忘れて、結局毎年学び直しながら、完成度を高めていくしかないのだという。
流されるままに武田先生の教室に通い始めた典子も、最初のうちは作法を覚えるだけで精いっぱい。
もちろん教室の外では普段の生活もあるわけだが、何が特別なことが起こる訳でもなく、映画は茶の湯の二十四節気を巡ってゆく。

そして、毎年同じことを繰り返しているうちに典子は徐々に理解する。
茶道の世界では、なぜ「形」を重要視するのか。
稽古を始めて何年かたったある日、彼女は季節によって雨音が違うことに気づく。
さらに、お茶をたてる時のお湯の音は「とろとろ」、水の音は「きらきら」と水温の違いも聞き分けられるように。
良さが分からなかった茶室の掛け軸も、文字に動きを与えた遊び心ある「絵」として楽しめばよいのだと悟る。
同じことを忠実に繰り返しても、天気は違うし歳もとる。
厳格で変わらない茶の作法と相対化されることで、世界はどんどん移ろってゆく。

一人暮らしを始めた典子と、鶴見辰吾演じる父親との、印象的なやり取りがある。
娘の暮らす街へとやってきた彼は、久しぶりに娘と会いたいというのだが、典子は自分の都合を優先して断ってしまう。
「会おうと思えば何時でも会えるから」と思っている典子は、なかなか父親との時間を作ろうとしない。
そうこうしているうちに、彼は突然この世を去ってしまうのだ。

マーク・フォスター監督の「プーと大人になった僕」のラストで、クリストファー・ロビンとプーさんがこんな会話をする。
プーさん「What day is it?(今日はいつだっけ?)」
クリストファー 「It's today.(今日だよ)」
プーさん 「My favorite day.(僕の大好きな日だ)」

この映画も茶の湯に通じる侘び寂びの哲学を感じる作品なのだが、プーさんが感じている日々の幸せも、つまりは「日日是好日」と同じこと。
茶道を始める前は、なんとなく毎日を過ごしてきた典子は、長い時間を費やして遂にこの言葉の神髄に行き当たる。
たとえ同じような毎日の繰り返しだとしても、今日と同じ日は二度とやってこない。
毎日が一期一会だからこそ、この世界は素晴らしく、生きるに値する。

原作エッセイで描かれているのは70年代半ばからの四半世紀だが、映画の時間軸は現在を終点とする過去四半世紀。
現在の観客にとっては、より作品世界へ入りやすくなっただけでなく、バブル崩壊後の就職氷河期などが背景となり、主人公の閉塞感が強化された。
なかなか見えてこない茶の湯の神髄への旅を、フェリーニの「道」の理解に例えるのも面白い。
私もこの映画を中学生の時に初めて観て、いまひとつ面白さが分からなかったが、大人になって再び出会った時は、旅芸人の孤独と絶望に泣いた。
心を震わす芸術も、人生の道程の何時出会うかによって印象はまるで違ってくる。
この映画は典子の二十歳から四十五歳までを描いている訳だが、その間に彼女は就活に卒業、失恋、喪失などを経験して来ている。
それぞれのエピソードも、例えば大学生の観客と、四十代の観客ではだいぶ受け止め方が変わってくるはずだ。
お茶と人生というモチーフを通して、見えてくるのは世界の感じ方なのである。

そして、数百年継承されて来た茶の湯の歴史は、この作品において、日本映画の継承のメタファーとなった。
樹木希林という唯一無二の名優が亡くなったことは哀しいけど、演技派女優の系譜は、本作でも素晴らしい好演を見せる、黒木華や多部未華子に受け継がれてゆくだろう。
俳優たちの演技を、四季の移ろいの中でじっくりと見せ、大森立嗣監督作品としても、ベストな仕上がり。
しかし大杉漣と樹木希林がもう見られないなんて、ホント寂しいなあ。

今回は雅なる京都の地酒、木下酒造の「玉川山廃純米雄町無濾過生原酒」をチョイス。
2015年に公開された、ドキュメンタリー映画「カンパイ!世界が恋する日本酒」にも登場した英国人杜氏のフィリップ・パーカーが手掛けた酒。
オックスフォード大学出身で、英語教師として来日し日本酒に魅せられ、酒蔵に転職して南部杜氏の資格をとり、京都府京丹後市の木下酒造の杜氏となった。
濃厚な旨味と適度な酸味、日本酒らしさの詰まったフルボディ。
冷でも燗でも美味しくいただける懐の深さがあり、CPもすこぶる高い。
日本酒の世界も変わらないようで、少しずつ進化している。

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