酒を呑んで映画を観る時間が一番幸せ・・・と思うので、酒と映画をテーマに日記を書いていきます。 映画の評価額は幾らまでなら納得して出せるかで、レイトショー価格1200円から+-が基準で、1800円が満点です。
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ショートレビュー「ワンダーストラック ・・・・・評価額1600円」
2018年04月18日 (水) | 編集 |
この街は、すべてがワンダー。

「キャロル」のトッド・ヘインズ監督の最新作は、ニューヨークを舞台に、時系列の異なる二つの小さな冒険物語が絡み合う、ミステリアスな寓話劇。
1977年、ミネソタ州ガンフリントに暮らす少年ベンは、最愛の母を突然亡くし、自らも事故で聴覚を失う。
彼は母の残した一冊の本、「ワンダーストラック 」を手がかりに、顔も見たことのない父親を探して未知の世界へと旅立つ。
一方、1927年のニュージャージー州ホーボーケンでは、聾唖の少女ローズが、銀幕のスター、リリアン・メイヒューと会うために、ハドソン川の対岸にそびえる摩天楼の都を目指す。
共に耳が聞こえない2人の子供が、自分にとって大切な人物を探すために、異なる時代のニューヨークを訪れる。
方や70年代風のカラー・トーキー、方やモノクロ・サイレント映画風に語られる二つの物語は、一見無関係に進むのだが、やがてどちらもマンハッタンのアッパー・ウェスト・サイド、セントラルパークに面して建つ、アメリカ自然史博物館へ。

映画「ナイトミュージアム」シリーズの舞台としても知られるこの博物館は、主に自然史と自然科学をフィーチャーし、150年の歴史を持つ全米でも有数の壮大な博物館だ。
入り口ホールで出迎えてくれる三頭の恐竜の全身骨格は有名だが、広大な館内を隅々までじっくり見学しようと思ったら、1日ではとても巡り終わらない。
タイトルの「ワンダーストラック」とは、博物館のミュージアムショップで売られている本で「大変な驚き」とか「大いなる目覚め」の意味。
母の遺品の中にあったこの本には、マンハッタンの書店のしおりが挟まれていて、その裏には「愛してるよ、ダニーより」というメモ書きが残されていた。
ベンはこの“ダニー”こそ父だと確信し、書店の名を頼りに、素性を知らない彼の居場所を探そうとする。
1977年のニューヨークを彷徨うベンの物語を、この本がアメリカ自然史博物館へ、そして1964年のニューヨーク万博の記憶を宿すクィーンズ美術館へ、やがて半世紀前のローズの物語へと導いて行く。

映画に仕込まれた、いくつもの暗喩と二重性の仕掛けが楽しい。
天空の“スター”が好きなベン、銀幕の“スター”を探すローズ。
「ヴァレリアン 千惑星の救世主」にも使われていた、デヴィッド・ボウイの「スペース・オデッセイ」と、「2001年宇宙の旅(原題:2001: A Space Odyssey)」の「ツァラトゥストラはかく語りき」。
より主観的なベンの物語と、客観的なローズの物語。
二つの時系列をそれぞれの時代の映画のスタイルで語り、耳が聞こえない二人の子供の物語に、映像芸術としての映画を象徴させる。
特にベンは聞こえなくなったばかりだから、会話によるイージーなコミュニケーションを封じ、回り道させることで彼の様々な気づきを強調する効果的な設定だ。

原作・脚本はブライアン・セルズニック。
黄金時代のハリウッドの大立役者、セルズニック一族に生まれ、自身も古い映画のファンであると語る彼の作品では、映画も重要なモチーフ。
今回は、映画の父ジョルジュ・メリエスを再発見する「ヒューゴの不思議な発明」ほど前面に出してはいないが、映画史を隠し味に、歴史の記憶を宿した博物館が二つの物語を結びつける。

一見脈略のない沢山のものが、次第に意味を持ってくる。
色々な記憶が集まる博物館や博覧会は、いわば万物が集う知のタイムマシン
そこに集積された、ニューヨークという巨大な街が持つマクロな記憶が、個人のミクロな記憶と素敵に重なり合うのだ。
「ヒューゴの不思議な発明」や、9.11で父を亡くした少年が、残された謎を解くためにニューヨーク中を冒険する「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」などが好きな人にオススメ。
まあよくよく考えると、最初からある人物が本当のことを語っていれば、こんな面倒な事態にはならなかったのだけど、それを言っちゃうのは野暮というもの。
子供たちが成長する寓話においては、全ての出会いも困難も冒険の必然なのである。

今回はニューヨークの地ビール「ブルックリンラガー」をチョイス。
禁酒法以前のニューヨークに多く存在した、ドイツ系醸造所の味を復活させるため、1998年に創業した銘柄。
伝統のウィンナースタイルで作られるこのビールは、バドやミラーといった一般的なマスプロビールに比べればずっと欧州風で、フルーティで適度な苦みと深いコク、ホップ感を持つ。
この一本にも、ニューヨークの生きた歴史が秘められている。

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ショートレビュー「パシフィック・リム:アップライジング・・・・・評価額1400円」
2018年04月14日 (土) | 編集 |
おかえり「パシフィック・リム」、さよならデル・トロ。

カイジュウ・プロレス第二章は、太平洋の海底での決戦で、次元の裂け目が閉じてから10年後の物語。
今回の主人公は、前作で壮絶な最期を遂げたペントコスト司令官の息子、ジョン・ボイエガ演じるジェイクだ。
父の背中を追って、イェーガーのパイロットになったものの、落ちこぼれて軍を離れていたジェイクは、ひょんなことから復帰を果たし、教官としてパイロット候補生の指導に当たることに。
復興途中の人類は、再びのカイジュウの襲来に備え、イェーガーも進化させている。
引き続きパイロットを養成しているだけでなく、中国企業が開発した遠隔操作のドローンタイプも配備間近。
この辺り、現実に米軍の内部で航空機をどこまでドローン化するかの葛藤があったり、中国が世界一のドローン大国となったことを反映していて面白い。

レジェンダリー・ピクチャーズ自体が中国資本になったことで、前作以上に中華な要素が増えたが、それでもなお作り手の日本型カイジュウ、ロボットへの愛は十分に伝わってくる。
もとより、米国で興行的にパッとしなかった作品の続編が作れたのは、ひとえに中国での起死回生の大ヒットのおかげなのだから、この作品に関しては中国様々。
イェーガーメーカーのツンデレ社長を演じたジン・ティエンは相変わらず美しいが、せっかくマックス・チャンをキャスティングしているのに、見せ場なく終わっちゃったのは、ちょっと残念だったな。

私は前作のブログレビューで、「バトルシークエンスが、全て暗いところばっかりなのがもったいない」と書いた。
おそらく同じ意見が多かったのだろう、今回は「分かったよ、明るいところで見せてやるよ!」とばかりにオール・デイシーン。
冒頭の巨大イェーガーと、ボスボロットみたいなチビっ子イェーガーとの追いかけっこから始まって、日本での決戦までずーっとどピーカン。
夜のシーンでは分かりにくかった、イェーガーのメカのディテールまでよく見える。
特に、東京での市街戦から、全てのカイジュウの聖地“マウント・フジ”を目指す、クライマックスのラスト30分は、正に見たかったものを全て見せてくれる大サービスだ。
異なる個性を持つ四体のイェーガーと、予想だにしない驚きのスゴ技を持つ三大カイジュウとの戦いは、大いに盛り上がる。

しかし・・・本作は、そこへたどり着くまでが、あんまり面白くないのである。
科学考証がむちゃくちゃだったり、展開が色々強引なのは前回もそうだったからそこはいい。
問題はやはり、大味過ぎる物語の構成で、ドラマに目の置き所がないことだ。
前作は、対カイジュウ戦で兄を死なせてしまったローリーと、幼い頃に家族をカイジュウに殺されたマコのシンプルな成長物語だったが、今回はペントコストの落ちこぼれ息子と、やはりカイジュウによって家族を失った少女アマーラが同様のポジションにある。
ところが、パイロット候補生を集めて中途半端に群像劇を目指したため、各キャラクターが埋没し、ドラマの軸が失われてしまった。
そもそも、ジェイクはなんで落ちこぼれてるのかもよく分からないし、候補生たちの訓練シーンもほとんど描かれないのでアマーラ以外は全く印象に残らず、クライマックスでは誰が誰で、どのイェーガーに乗っているのかも不明瞭。
当然、誰にも感情移入するに至らない。

また、二番煎じを避けた敵の正体は、意外性があってよかったのだが、そのせいで肝心のカイジュウがなかなか出てこないのはいかがなものか。
ジプシーvs偽ジプシーという、いかにも日本の特撮ものにありそうなシチュエーションが二度あり、アクションとしては見応えがあるが、見たいのはやはりvsカイジュウなのである。
せめてドローン・イェーガーがカイジュウ細胞に侵食された、エヴァっぽい奴らとイェーガーのバトルがあればよかったのだが、つなぎのエピソードであんまり見せ場にはならず。

外連味たっぷりだったデル・トロほど、スティーヴン・S・デナイトの演出にクセが無いのも逆に欠点が目立つ理由かも知れない。
デル・トロの迸るオタク心は、幾つもの震えるほどカッコイイ画として結実していたが、今回はアクションの流れは良くできているものの、止め画として圧倒的に印象的なショットが無い。
イェーガーやカイジュウの演技に、前作の様な“見得を切る”演出が見られないことも、インパクトの弱さにつながっている。
前作はデル・トロの作家映画だったことで、様々な欠点が帳消しにされていたが、今回のデナイトの仕事は多分に職人的で、その分アラが目立ってしまった。
繰り返すが、クライマックスはそこだけで観る価値十分な位燃えるし、本国で酷評されたほど悪くはない。
だけど、もう少し全体をブラッシュアップ出来ていたら・・・と思うのも事実だ。

今回は、富士山の地ビール「富士桜高原麦酒 ヴァイツェン」をチョイス。
オクトーバーフェストなどでもお馴染み、河口湖に醸造所を持つ地ビールだ。
ここの醸造士たちはドイツで醸造技術を学んでいて、どれも本場仕込みの本格的な味わいが楽しめる。
南ドイツで生まれたヴァイツェンスタイルで作られるこちらは、バナナを思わせる香りでとてもフルーティ。
苦味が少なく、ビールが苦手な人でも、飲みやすいのが特徴だ。

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ダンガル きっと、つよくなる・・・・・評価額1700円
2018年04月14日 (土) | 編集 |
すべての壁を、超えてゆけ。

インド版星一徹みたいな実在の熱血レスリングおやじ、マハヴィル・シン・フォーガットと彼の教えを受けた二人の娘、ギータとバビータの半生を描く物語。
保守的なインド社会にあって、秘められた娘の才能を見抜き、人々の嘲笑も意に介さずに、ひたすら二人の才能を開花させるために突き進む。
「きっと、うまくいく」「PK ピーケー」などのスーパースター、アーミル・カーンが、プロデューサーも兼務してマハヴィルを演じ、さすがの存在感。
監督、脚本を務めたのはニテーシュ・ティワーリー。
ドンと力強く背中を押される様な、スポ根ものの王道プロットに、ジェンダーイコーリティーのイッシューを組み込み、パワフルで深みのある娯楽快作となった。
※核心部分に触れています。

レスリングをこよなく愛する男、マハヴィル(アーミル・カーン)。
彼は国際大会の金メダルを夢見ながら、経済的な理由で選手生活に終止符を打つ。
せめて自分の息子に夢を託そうと思うが、生まれてきた子供は四人連続で女の子ばかり。
すっかり諦めていた頃、長女のギータ(ザイラー・ワシーム/ファーティマー・サナー)と次女のバビータ(スハーニー・バトナーガル/サニヤー・マルホートラ)が、喧嘩で男の子をボコボコにやっつける。
二人に、生まれついてのレスラーとしての才能を見出したマハヴィルは、早速英才教育を開始。
最初は嫌がっていた二人も、次第に父の想いを受け入れて、レスリングの実力はうなぎのぼり。
地方のアマチュア大会で男相手に連勝を重ね、ついにギータがナショナル・チーム入りすることになる。
マハヴィルにとって長年の夢である、“国際大会の金メダル”はもう不可能ではない。
一方でそれは、長年手塩にかけて育てたギータが、自分の手を離れることを意味していた・・・


タイトルになっている「Dangal」とはなんぞや?
インド映画ならではの、やたらとリズミカルなエンディングテーマ曲が頭に残り、「ダンガル♪ダンガル♪」と思わず口ずさみたくなるが、調べてみるとヒンズー語で「土の上で行う伝統的なレスリング」のことらしい。
映画の前半で、マハヴィルが畑を切り開いて作る土俵の様な練習場、レスリングマットのない街中の広場で行われるアマチュアの大会、あれが本来のダンガルなのだな。
アーミル・カーン演じる頑固一徹のマハヴィルは、どんどんと我らが星一徹に見えてくる。
そういえば、インドでは野球をクリケットに置き換えた「巨人の星」リメイク版、「スーラジ ザ・ライジングスター」が放送されたりしているから、日本のスポ根ものとの親和性は高いのかもしれない。

熱血のマハヴィルに、図らずもレスリングの才能を発見されてしまったギータとバビータ。
男の子の様な短パンをはかされ、練習の邪魔になると長い髪を切られ、問答無用の過酷なトレーニングを課される姉妹は、当然反発する。
インドは保守的な社会で、特に田舎には様々な不文律がある。
女性が肌を見せるのは破廉恥だと思われるし、男と組み合ってレスリングするなど、当然もってのほか。
街の人たちは、レスリング狂人のおやじが、かわいそうな娘たちを使って叶うはずのない夢を追いかけていると笑いものにするが、マハヴィルは決して止まらない。
レスラーにはタンパク質が必要だが、インドの多くの家庭は厳格なベジタリアンで、そもそも肉は高い。
マハヴィルは妻の反対を押し切って鶏を調理すると、娘たちにたっぷり与える。
親が果たせなかった夢を子に押し付ける、というのはよくある話で、娘たちも最初はそう考えていて、なんとか父親を思いとどまらせようとする。
しかし、14歳にして結婚させられる友達に、「インドの女は子を産む道具。あなたたちは違う」と諭されて、ふと振り返る。
姉妹は、レスリングをすることで、この国の女性を縛る、多くの理不尽な因習から解放されていることに気づくのだ。
「女だからしてはいけない、女だから出来っこない」マハヴィルはそんなことを一言も言わない。
男尊女卑が強く残る社会にあって、少々偏屈でも父の愛が特別だということを知ってから、インド初の国際大会金メダルという夢が三人の間で共通化。

映画は、前半が少女編、後半が大人編の構成で、前半はマハヴィルとギータ、バビータの三人を比較的均等に描いてゆくのだが、中盤以降は長女のギータが明確な主人公となってゆく。
着々と実力をつけ、ついに全国チャンピオンとなったギータは、インド代表として国立スポーツ・アカデミーの寮に住み込み、ナショナル・チームのコーチから教えを受けることになる。
レスリング一色で厳格だった実家の生活から解放され、都会で練習の合間にオシャレや娯楽を楽しむことが出来る様になった一方、コーチからは「父親の教えはすべて忘れろ」と指導される。
いつかはやってくる親離れ子離れの葛藤が、試合に勝ちたいというギータのもう一つの葛藤と絡み、実に上手い具合にクライマックスへと収束する。
日本版予告では、まるでロンドン五輪がクライマックスになるかの様な表現をしてるが、本作に五輪はほぼ無関係。
確かにギータは、ロンドン五輪にインド初の女子レスリング代表として参加しているのだけど、本作のクライマックスはその2年前、2010年にデリーで開催されたコモンウェルス・ゲームズだ。
日本ではほとんど馴染みがないが、コモンウェルス・ゲームズは嘗ての大英帝国植民地諸国からなる英連邦加盟国のスポーツ大会。
域内人口は23億人に及び、52カ国が参加して、オリンピックと同じく4年に一度開催される一大イベントだ。
日本やロシアといった女子レスリングの最強豪国は出ていないので、比較的メダルに手が届きやすい・・・といっても、後発国のインドにとっては、国際大会のメダル自体が遠い。

マハヴィルから長年受けてきたコーチングと、ナショナル・チームで受けた新しいコーチングとの方向性の違いに戸惑い、国際試合で勝てなくなったギータは、コモンウェルス・ゲームズを前に、父の教えに回帰することを決断する。
個人スポーツは、選手の実力だけじゃなくコーチとの相性も大切なんだな。
一度はナショナル・チームのコーチに感化されるギータと、姉の後を追って代表入りするも、あくまでも父の教えを大切にするバビータとのコントラストも効果的なアクセントになっている。
大会に挑むギータに、マハヴィルは国際大会の金メダルに拘る理由を明かす。
「銀メダルならお前はいつか忘れられる。しかし金メダルなら、お前はこれからの子供たちの目標になって、たくさんの女の子たちを勝利に導くことになるんだ」と。
この父の言葉を胸に、すべてをかけたコモンウェルス・ゲームズを含めて、レスリング・シークエンスはボリュームたっぷりだ。
役者がきちんと体を作っていて、ビジュアル的にも演出的にも十分なリアリティがあり、まるで本物の試合を見ているような緊張感。
多分フィクションなんだろうけど、マハヴィルとナショナル・チームのコーチとの間のひと悶着もギータの成長を後押しし、父娘それぞれがたどり着いた到達点に感極まり、思わず涙。

ギータ役を少女と大人でリレーしたザイラー・ワシームとファーティマー・サナー、バビータを演じたスハーニー・バトナーガルとサニヤー・マルホートラの四人は、8ヶ月かけてレスリングのトレーニングを積んだそうで、見事な説得力で素晴らしい。
だが彼女ら以上に、マハヴィル役のアーミル・カーンのカメレオンっぷりが凄いのである。
今回は一歩引いて、主役ではなく娘たちを引き立てる役なのだけど、冒頭の筋肉ムキムキ青年から後年のでっぷり太ったメタボおやじまで見事な演じ分け。
なんでも70キロだった体重を97キロまで増やし、中年パートを撮影した後に、筋肉をつけながら再び70キロまで落とし、あの冒頭シーンを撮ったのだとか。
あまりの変わりっぷりに、特殊メイクかと思ったくらい。
まあ40代で無理なく大学生役やってた人だから、驚くことではないかもしれないが。
役柄的には主役ではないと言っても、終始映画を支配するのはやはり圧倒的なオーラを持つこの人なのだ。

実話ベースを脚色した正攻法の物語に、インド映画特有の外連味を適度に抑制した演出、そして物語に説得力を与える俳優たち。
自分の果たせなかった夢を子供に叶えて欲しいという、パーソナルな親の我欲は、いつしかインド社会の全ての娘たちの夢となり、ギータとバビータもまた幾多の葛藤と苦難の先に、自らの生きる道をつかみ取る。
140分の長尺もあっという間、まさに娯楽映画の金メダル、誰が見ても楽しめる普遍的な作品だが、特に世界中の女の子たちに観てほしい!

ところでこれ、日本レスリング協会が後援してるんだが、女子レスリングの話だし、ナショナル・チームのコーチと、選手指導を続ける元のコーチ(父親)との確執が大きな要素で、練習センターの出禁や嫌がらせのエピソードがあったりするので、どうしても現実のパワハラ騒動を思い出しちゃう。
辞任した前強化本部長も本作の試写を観て、選手たちに訓示を垂れたというから、シニカルなブラックジョーク以外の何ものでもない。
まあ後援を決めた時には、「敵は女を下に見る全ての人たち」ってマハヴィルの台詞がブーメランになって戻って来るとは、1ミリも思ってなかったのだろうけど、別の意味でタイムリーになっちゃったな。
相撲協会の時代錯誤というか、思考停止な不見識もひどいし、日本もまだまだ問題だらけだ。

今回はインドのビール、マハヴィルをイメージして、その名も「ゴッドファーザー ラガー」をチョイス。
名前はものすごく強そうだが、スタンダードな下面発酵のピルスナー。
熟成期間が通常のラガーの倍以上あり、わりと香りが強くしっかりしたコクがあるのが特徴。
暑い国のビールらしく、基本的には清涼で飲みやすいので、日本人好みだと思う。

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ショートレビュー「見栄を張る・・・・・評価額1600円」
2018年04月10日 (火) | 編集 |
プライドよりも、大切なこと。

藤村明世監督の長編デビュー作は、愛すべき小品である。
主人公は、28歳にして自信喪失気味の売れない女優・絵梨子。
高校生の頃から女優を夢見て、上京して10年頑張ってはいるものの、仕事にはなかなか恵まれず、代表作と言えば何年も前のビールのCMくらい。
芸人志望の年下の彼氏・翔は、稼ぎゼロのヒモ状態だが、惰性でなんとなく付き合っている。
自分でも何とかしなければ・・・と思っているアラサーの彼女に、ある日突然の知らせが入る。
何かにつけて自分を心配していた姉の由紀子が、交通事故に遭い亡くなったのだ。
葬儀のために故郷へと帰った絵梨子は、姉が葬式で泣く弔問客を演じる、いわゆる「泣き屋」だったことを知る。
女手一つで育てられた姉の一人息子・和馬の行く末を案じた絵梨子は、しばらく故郷に留まろうと、由紀子の後任に立候補するも、泣き屋という仕事の意味を理解出来ず、散々な結果に。

自信のない人ほど、不必要な見栄を張る。
泣き屋を雇い、葬式を賑やかして見栄を張ること、「私は東京の女優よ」と見栄を張ること、どちらも本質を外れて誤魔化す行為だ。
だが、この映画に描かれる泣き屋は、とにかく泣いてその場を繕えば良いと言うことではない。
人と人との接点が希薄化している現在、泣き屋でなくとも誰かの葬儀に出席したとして、必ずしもその人のことを深く知っている訳ではないだろう。
涙を流すことなら、演技をかじっていれば誰でも出来るが、涙ひとつとっても本当はそこに意味があるのだ。
どんな想いで流す涙か、それが重要なのである。
この映画の泣き屋は、いわば弔いの演出家で導き手であり、弔問客が亡き人へ感情移入する動線。
ゆえに、きちんと気持ちを作って、なり切らなければ説得力がない。
これは正に、本質的な役者の仕事である。
自信を失い、他人の視線を意識した表層的な演技しか出来なくなっていた絵梨子は、泣き屋の仕事を考えることを通して、大きなヒントを掴む。
同時にそれは、陥っていた自己閉塞を打破し、足踏み状態の人生を前に進めることになる。

“撮影師”長田勇市が、舞台となる和歌山の情景を実に映画的にフレーミングし、久保陽香が絵梨子の内面を繊細に演じる。
和馬のキャラクター造形があまりにもいい子すぎたり、心情の掘り下げがやや演技頼りになっていたり、藤村明世の演出は成長の余地を残すが、心に残るデビュー作だ。
劇中で、絵梨子の成長に決定的な役割を果たすのが、小栁圭子演じるおばあちゃんの依頼なのだが、あのお葬式はとても印象深い。
絵梨子の泣きを通して、姉の由紀子がどんな泣き屋だったのかも伝わってくる、いいシーンだった。
なんとなく、自分の葬式でもこんな泣き屋なら雇ってもいいかなと思わせるのだから、映画の勝利と言っても良いと思う。

ところで、斎藤工監督の「Blank13」にも泣き屋が出て来たが、この職業は今の日本にも実際にあるんだろうか。
孤独に死ぬ人が増えてるし、この映画が描く弔いの形、弔いの意味はとても現在性があると思う。
イギリスの映画で、身寄りのない人の葬儀を行う民生係を描いた「おみおくりの作法」という佳作があるのだけど、死者に寄り添う主人公の心情は、この映画の泣き屋の心得と少し被るものがあるかも知れない。
ちなみに、監督の話だと本作は女性には好評な一方で、若い男の子たちの感想が辛辣らしい。
まあ劇中の翔みたいに男は精神年齢低いから、この映画のシチュエーションはある程度歳を重ねないと実感に乏しいのかも知れないな。
若い頃よりも“死”を身近に感じる中年のおっさんとしては、こじらせちゃってる絵梨子にも、泣き屋を依頼するおばあちゃんにも、思いっきり感情移入したよ。

今回は舞台となる和歌山の地酒、「黒牛 純米吟醸」をチョイス。
私の親は和歌山の出身なので、昔は帰省するとよくこの酒を買って来ていた。
しっかりしたコクがあり、フルーティでまろやか。
和歌山の日本酒は比較的甘いのが特徴で、黒牛の純米も日本酒度以上に甘みを感じ、名前の通りにお肉料理とよく合う。

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ウィンストン・チャーチル /ヒトラーから世界を救った男・・・・・評価額1700円
2018年04月07日 (土) | 編集 |
“政治屋”の孤独。

おそらく、20世紀の世界史で最も有名な人物の一人だろう、第二次世界大戦下のイギリスを率いた、ウィンストン・チャーチルを描く重厚な歴史ドラマ。
ナチス・ドイツの脅威がドーバー海峡に迫り、国論が対ドイツ融和派と強硬派の真っ二つに割れる中、政権を託されたチャーチルはいかにして国をまとめ上げたのか。
ここに描かれるのは、闇が世界を覆い尽くそうとする時、時代の趨勢に抗った政治のプロフェッショナルの孤独と苦悩だ。
「博士と彼女のセオリー」のアンドリュー・マクカーテンが脚本を担当し、監督は「つぐない」「アンナ・カレーニナ」のジョー・ライトが務め、スタイリッシュかつ暗喩的な映像で魅せる。
細身のゲイリー・オールドマンが、辻一弘の特殊メイクによって、恰幅の良いチャーチルに大変身。
無冠の帝王の称号を、初のオスカー戴冠で返上したのも納得、圧巻の名演だ。

イギリス政界の嫌われ者、ウィンストン・チャーチル(ゲイリー・オールドマン)に、運命の瞬間が迫っていた。
戦争の拡大を受けて、チェンバレン首相は辞職を表明、挙国一致内閣を成立させられるのは、野党労働党の支持を受けられるチャーチルしかいなかったのだ。
国王ジョージ6世(ベン・メンデルソーン)の組閣要請を受けたチャーチルは首相に就任するも、同盟を組むフランス政府は既に戦意そう失し、英仏の陸軍はダンケルクへと追い詰められつつある。
しかも、党内バランスを重視して組閣したため、戦争内閣も対独融和派と強硬派が拮抗し、決して一枚岩ではない。
ドイツ軍がダンケルクを包囲し、刻々とタイムリミットが迫る中、チャーチルは民間船を徴用してダンケルクへと向かわせる“ダイナモ作戦”を発動。
一方、融和派のチェンバレン前首相(ロナルド・ピックアップ)と外相のハリファックス伯爵(スティーヴン・ディレイン)は、チャーチル降ろしを画策するのだが・・・


1939年の9月、ドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦が勃発。
ドイツは翌40年4月に、デンマーク、ノルウェーを攻略し、5月には遂にフランスとベネルスク3国への電撃戦を開始する。
機械化された機甲師団と航空支援により、迅速に展開するドイツ軍のスピードに、第一次世界大戦の経験に囚われいたフランスは対抗できず、瞬く間に国土を蹂躙され陥落寸前。
仏国内に駐留していたイギリス軍と一部フランス軍の40万人は、フランス北部のダンケルクへと追い詰められる。
イギリスのチェンバレン首相は、ドイツに対して融和政策をとり、状況判断を誤ったとして、批判が高まり辞任。
誰が首相になっても荊の道が待っている難局に、チェンバレン内閣の海軍大臣だったウィンストン・チャーチルが、担ぎ出されたという構図。

この時点で65歳の古参政治家だったチャーチルは、失敗と成功を行ったり来たり。
世論に乗っかって保守党を離党して自由党に所属し、その後また保守党に舞い戻るなど政界渡り鳥でもあったので、当然敵も多い。
劇中で何度も言及されるガリポリの戦いは、チャーチルがアスキス内閣の海軍大臣だった第一次世界大戦中、オスマントルコのガリポリ半島への上陸に失敗し、15万人にのぼる膨大な死傷者を出した作戦。
もっとも、これは艦隊を直ちに差し向けよというチャーチルの命令に、海軍卿のジャッキー・フィッシャーらが反対したことで、結果的に中途半端な体制での上陸となり、トルコの猛反撃を許したもので、一概にチャーチルの責任とは言い難いのだが。
ガリポリの戦いの悲惨さは、若き日のメル・ギブソンが主演し、ピーター・ウィアーが監督したオーストラリア映画、「誓い(原題:Gallipoli)」を見るとよく分かる。

本作の原題は「Darkest Hour」
功罪あるチャーチルにとって“最も暗い時間”、1940年5月10日の首相就任直前から、ダンケルクの英仏両軍を成功裏に撤退させたダイナモ作戦後の、有名な庶民院での“We shall never surrender.”の演説までの四週間を描く。
昨年大ヒットしたクリストファー・ノーラン監督の「ダンケルク」は、ダイナモ作戦の現場を時系列の異なる三つのパートに分けて描いた。
「防波堤」パートは救出を待つ陸軍兵士たちの1週間、「海」は救出に赴く小型船の1日、そして「空」は救出を妨害するドイツ空軍と空中戦を繰り広げる、スピットファイア戦闘機隊の1時間だ。
ノーランは徹底的に現場で起こった事象に拘ってこの構成にしたのだが、実際に戦争の現場の命運を決めるのは会議室での出来事だ。
ヒットラーを忌み嫌う対ドイツ強硬派のチャーチルは、最初から全面戦争の覚悟を決めているが、その前に国内、いや閣内の融和派との闘争に勝利しなければならない。

党内基盤の弱いチャーチルは、国王の信頼を得ると、彼の助言を受けて庶民の生の声を求めて初めて地下鉄に乗る。
階級社会のイギリス国会は非公選の貴族院と、公選の庶民院の二院制。
チャーチルは庶民院議員とはいえ、貴族の血を引く二代目政治家と言うエスタブリッシュメントゆえに、普段は運転手付きの高級車で送迎され、公共交通機関など乗り方も知らない。
地下鉄に向かう前に、車から窓の外の市井の人々の日常を見つめるシーンは、映画の序盤の同様のシーンの対となっていて、平和が急速に失われ、戦争の惨禍が迫っていることを街の様子から端的に感じさせる秀逸な描写。
決意したチャーチルは、地下鉄に乗り込んで、居合わせた人々の声を直接聞くのだが、面白いのはその直後の国会での演説シーンだ。
彼は、たった今地下鉄で聞いてきたことと称して、自党の議員たちに向けて主戦論を支持する人々の言葉を豪快に盛って、と言うか捏造して語り、拍手喝采を浴びるのである。
良くも悪くも生まれ付いての“政治屋”の気質と言うか、自分の目的を達成するためなら手段は選ばず。
この部分はフィクションが入っている様だが、こうして社会は覚悟を決めた少数のラジカルな人物によって、強引に動かされてゆくのだなと実感させられる名シーンだ。

本作はノーランの「ダンケルク」には存在しない、もう一つの時系列、政治家たちの1ヶ月を描く「会議室」の物語であり、歴史の同じ事象を異なる視点から描いた二つの映画は、相互補完的な関係にある。
「ダンケルク」が、大撤退の奇蹟を現代イギリスの神話として再構築した作品だとすれば、ジョー・ライトはその裏側で何が起こっていたのか、ダンケルクに向かうドイツ軍を牽制して捨て石となったカレーの部隊の犠牲を含め、神話の実像を綿密に描き出すのだ。
もっとも、映画を見ているとまるで全滅したようにも見えるカレーの部隊は、実際には多大な犠牲を出した後、5月26日に降伏している。
これはチャーチルの政治的ウソに通じる映画的ウソで、だから歴史を描く劇映画は、どんな作品であろうとも、まるまる信用してはいけないのだけど。
ライトの作品では、「つぐない」もダイナモ作戦が重要なモチーフとなっていたが、やはり英国の作家にとってダンケルクの記憶とは、かくも重要なものなのだろう。

そして、前評判通り圧巻の名演を見せるゲイリー・オールドマンは、文句なしに本作のMVP
チャーチルが今の時代にいたらパワハラ・セクハラ爺さんだろうが、攻撃的でパワフルな表の顔と繊細な裏の顔を見事に表現していて素晴らしい。
その思想や政治手法など、手放しでは賛同できない部分も含めて、複雑な人間性を演じ切った。
リリー・ジェームス演じる秘書のエリザベスを、物語の案内役兼観客の感情移入キャラクターにしたのが上手く、最初は横柄な非共感キャラクターのチャーチルが、だんだんと可愛く見えてくる。
テリングでは、凝った映像表現に定評があるライトらしく、光と影のコントラスが特徴的。
映画全体を“舞台”に閉じ込めるという奇策を使った「アンナ・カレーニナ」ほどではないが、国会などはまるで舞台の様にスポットライトが当たっている。
「Darkest Hour」の原題通り、エレベーターや専用トイレの狭い空間、ドアの窓枠などで切り取られチャーチルが闇に囲まれているショットの数々が印象的。
国王ジョージ6世との会食シーンでも、柔らかな光に包まれた王の前で、彼だけが逆光で闇の中にいる。
漆黒に閉ざされた専用トイレから、アメリカのルーズベルト大統領に電話をかけ、援助要請を断られるシーンは、追い詰められたチャーチルの孤独と焦燥を強く感じさせ、本作の白眉だ。

独裁色の強い、ストロングマン・タイプのリーダーが各国に次々と現れる現在、本作もある意味、非常にタイムリーな作品と言えるだろう。
ここでチャーチルの見せるリーダシップは、現在の世界に置き換えるとどうなるのか?
もしもこの時代の英国人だったら、支持するのはチャーチルかチェンバレンか?
人間的な好き嫌いは別として、求めたいのはどのようなリーダーだろうか?
80年近く前の“最も暗い時間”と、そこに光を導いたチャーチル像から見えてくるのは、実は現在の世界の比喩的な鏡像なのかもしれない。

チャーチルは酒豪であり、様々な愛飲酒が知られているが、今回はアルメニアのエレバンブランデー社が、白ワインを原料として作るブランデー「アララット アフタマール」をチョイス。
ラム酒に近い独特の甘い香りがあり、ブランデーとワインの中間的な味わいだ。
第二次世界大戦中にクリミア半島で行われたヤルタ会談時に、チャーチルが当時ソ連領だったアルメニアブランデーをいたく気に入り、スターリンに年間数百本を送らせたという逸話が残っている。
まあこの人の場合、飲めればなんでもよかったと言う気がしないでもないけど(笑

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