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シン・ウルトラマン・・・・・評価額1600円
2022年05月14日 (土) | 編集 |
人類は、救うに値するか?

大ヒットした「シン・ゴジラ」「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」に続く、庵野秀明の“シン・ユニバース”(?)第三弾。
今回再生されるのは、1967年に登場し日本中の子供たちを熱狂させた巨大ヒーロー、「ウルトラマン」だ。
庵野秀明は熱烈なファンとして知られ、大阪芸大在学中に8ミリ自主映画として三本も「ウルトラマン」を作っている。
40年目にして本物に辿り着いた訳だが、本作では総監修・製作・脚本・編集でクレジットされ、監督は盟友の樋口真嗣が努める。
ウルトラマンに変身する神永新二を斎藤工が演じ、彼のバディとなる浅見弘子に長澤まさみ。
「禍特対」のメンバーを田中哲治、西島秀俊、早見あかり、有岡大貴が演じる。
オリジナルシリーズの数本を元にプロットが構築されているが、さほどダイジェストを感じさせず2時間を切る尺に収めたのはエライ。
「シン・ゴジラ」がそうだった様に、いい意味でやりたかったことを詰め込んだファンメイドムービーとなっていて、とても楽しい。
※核心部分に触れています。

謎の巨大生物「禍威獣(カイジュウ」の脅威にさらされる日本では、「禍特対(カトクタイ)」という組織が作られ、対策に当たっている。
ある日、透明禍威獣ネロンガが現れ暴れ回る中、宇宙から謎の飛翔体が落下する。
ちょうど取り残された子供の保護に向かっていた禍特隊のメンバー、神永新二(斎藤工)は落下の衝撃波に巻き込まれ死亡する。
落下点の土煙の中から立ち上がったのは、銀色の巨人だった。
巨人はネロンガを高エネルギーの光線で倒し、何処かへと飛び去った。
その後、子供を抱き抱えた神永が戻ってくる。
実は死亡した神永は、銀色の巨人と融合して新たな命を与えられていたのだ。
公安調査庁から禍特隊に出向した浅見弘子(長澤まさみ)は、神永と共に”ウルトラマン”と名付けられた巨人の調査を命じられるが、その正体は謎のまま。
そんな時、放射能を喰う地底怪獣ガボラが出現し、放射性廃棄物の処理場に向かう。
弱点が見つからず、進行を止められない中、再びウルトラマンが姿を現すのだが・・・・・


製作会社のロゴに続いて、「シン・ゴジラ」のタイトルが出て、その下から「シン・ウルトラマン」のタイトルが現れるが、これはオリジナルシリーズで前番組の「ウルトラQ」のタイトルの後に「ウルトラマン」のタイトルを出して、シリーズであることをアピールしていたことへのオマージュ。
作中で繋がりは明言されないものの、本作は半分くらい「シン・ゴジラ」の世界観を受け継いでいる。
怪獣という概念はそもそもなく、正体不明の巨大生物が出現しはじめて初めて「禍威獣(カイジュウ」と名付けられ、対処するためのチーム「禍威獣特設対策室」通称「禍特対(カトクタイ)」が作られる。
禍特対はオリジナルのような戦闘部隊ではなく、出現した禍威獣を分析し作戦を立案して、実働部隊の自衛隊や米軍を指揮する頭脳の役割をする。
冒頭部分で、過去に禍特対が退治した禍威獣たちが映し出されるが、全て「ウルトラQ」に登場した怪獣のリメイクだ。

世界観を矢継ぎ早に紹介するこの冒頭から、ネロンガ、ウルトラマン、ガボラが次々と出現し、バトルを繰り広げる序盤の展開は絶好調。
ちょっと「パシフィック・リム」風味もあって、観ている方もテンションがアガりまくり。
CGだけどあえて着ぐるみに見せるという、「シン・ゴジラ」路線はさらにブラッシュアップされ、昭和特撮のムードを完璧に再現。
一方で当時ではあり得ないショットも盛り沢山で、特撮オタクとしては嬉しくなってしまう。
樋口真嗣は、酷評された「進撃の巨人」二部作でも、巨人バトルの描写は「サンダ対ガイラ」みたいで凄く楽しかったから、やっぱり餅は餅屋である。

禍威獣との連戦が終わると、中盤はムードがガラッと変わって、ザラブ星人、メフィラス星人と、悪意ある宇宙人のエピソードが続く。
この辺りの日常のSF感覚はウルトラシリーズの隠れた味わいなので、ちゃんと組み込んでくるのはさすが。
宇宙人が地球を狙う動機も工夫があって、どうやら人間もベータカプセルを使って巨大化させることが出来、その場合誰もがウルトラマンのような強靭さを身につけることが出来るので、人類は生物兵器として金になるらしいのだ。
この設定はオリジナルシリーズよりも、むしろ原作版「進撃の巨人」の設定に近いのが興味深い。

この流れで、終盤人類の存在を危険視するゾフィーとの対話から、恒星系破壊兵器としての巨大ゼットン出現に持ってくるのだが、中盤以降の展開と見せ場のバランスはあまり良好とは言えない。
偽ウルトラマンとなったザラブ星人、そしてメフィラス星人との巨大化対決はあるものの、序盤の禍威獣とのバトルシーンに比べると地味な感は否めない。
「シン・エヴァンゲリオン」のヴンダーを思わせる、衛星軌道の巨大ゼットンとの戦いは、やはりくんずほぐれつにはなり得ない。
オリジナルの最終回「さらばウルトラマン」では、未熟な地球人を守るために戦い続けてきたウルトラマンがゼットンに敗北し、人類が開発した新型の小型ミサイルが、あっさりとゼットンを倒すというパラダイムシフトが起こる。
本作の文脈も同様だが、リアリティラインが異なるので同じ手は使えず、人類の英知がゼットン攻略の方法を考案し、ウルトラマンが実行する形になっている。
本当なら、ここは「シン・ゴジラ」の東京駅の攻防戦のように、人類とウルトラマンの総力戦にして盛り上げたいところだが、なにせゼットンがいるのは宇宙空間である。
人類は数式を書いただけで、ウルトラマンが一瞬にして作戦を終わらせてしまう。
文脈としては正しいが、エンタメとしてはもう少し盛り上げて欲しかったところ。

また組織戦にして群像劇という方法論は「シン・ゴジラ」と同じだが、キャラクター造形が類型的なのも問題だ。
ウルトラマンやメフィラス星人みたいな、非人間キャラクターは問題ないどころか、非常に緻密かつ高度に造形されているのだが、問題は人間だ。
あれだけ魅力的だった、霞ヶ関のお仕事集団が、本作では記号としか機能しておらず、これは演出の問題だけでなく、脚本としても練り込まれていないのも大きい。
このキャラ何のためにいるの?って人もちらほら。
長澤まさみの描写が、オヤジの視点を感じさせるのも気になった。
彼女はオリジナルのフジ隊員に当たるキャラクターで、今回も理由は異なるもののメフィラス星人によって巨大化させられてしまう。
SNS絡みのギャグに使うという予防線は張ってあったものの、タイトスカートを下から狙ったカメラワークはちょっと下品。
また隠されたベータボックスを探すために、ウルトラマンが彼女の匂いをヒントにするシーンは、あんな舐め回すように嗅がせる必要はないだろう。
あれじゃ、ウルトラマンがセクハラオヤジに見えてしまう。
ウルトラマンは、明るく楽しい子供番組だったはずだが、なぜか長澤まさみの描写にだけオヤジ臭さが漂うのは残念だ。

「シン・ウルトラマン」は、「シン・ゴジラ」の方法論を踏襲したファンメイドムービーとしては、非常に良くてできていて、楽しい娯楽映画だ。
だが、あくまでも模倣的なリメイクに留まっており、「シン・ゴジラ」のように過去のレガシーから新しいものを生み出すには至っていない。
日本社会を襲った3.11と、自らの鬱経験をもとに生み出された「シン・ゴジラ」「シン・エヴァンゲリオン」と比べて、本作には社会性に対する考察も、作家本人に対する掘り下げも行われていないことからも、初めから単純娯楽映画として作られたのは明らかだ。
逆に、ただ画面に映っているものを、無邪気にに楽しめばいい作品としては、十分に成立している。
ゼットンを倒した後の展開は、ほぼオリジナル通りだが、余韻を感じさせないあっさりしたラストも「続きは来週」の感覚で、これはこれで良いのじゃないかと思う。

今回は、メフィラス星人とガッツ星人とメトロン星人が作ったという触れ込みの日本酒、「人気一 純米総攻撃」をチョイス。
昭和特撮を思わせるレトロなラベルも楽しいが、手がけるのは島県二本松市の人気酒造。
ウルトラマンの生みの親である円谷英二は福島の人で、これは円谷プロと人気酒造がコラボした怪獣酒シリーズの一つ。
売り上げの一部は、3.11で被災した子どもたちのための「ウルトラマン基金」に寄贈される。
中身は別に人間を巨大化さえる薬などではなく、オーソドックスな美味しい純米酒だ。

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マイスモールランド・・・・・評価額1700円
2022年05月11日 (水) | 編集 |
あったはずの“日常”は、幻だった。

日本映画から、こんな作品が出てくる日が来るとは。
幼い頃から日本で育ったクルド人難民の少女が、突然在留資格を失ったことから、自らのアイデンティティと居場所の問題に葛藤する姿を描く、ハードな青春ドラマ。
是枝裕和の「三度目の殺人」で監督助手、西川美和の「すばらしき世界」ではメイキングを担当した、日本とイギリスのミックスルーツを持つ川和田恵真が監督と脚本を手掛け、鮮やかな長編劇映画デビューを飾った。
イラン、イラクやドイツなど5カ国の血を引く嵐莉菜が、演技未経験とは思えない強い存在感を発揮し、主人公のサーリャを好演。
「MOTHER マザー」の奥平大兼が、サーリャがほのかな恋心を抱く同世代の高校生、聡太を演じる。
日本に中東やアフリカのような難民キャンプは無く、この国にやって来た数少ない難民たちは、私たちと同じ街で平凡に暮らしている。
ウクライナの戦争で、改めて難民の存在がクローズアップされる中、遠いようで実は近い彼らの存在を、リアリティたっぷりに描いた秀作である。
※核心部分に触れています。

埼玉県川口市に暮らす17歳のチョーラク・サーリャ(嵐莉菜)は、クルド人難民だ。
故郷を追われた両親と共に、5歳の時に日本に逃れた。
母は日本で亡くなり、今は父のマズルム(アラシ・カーフィザデー)と妹のアーリン(リリ・カーフィザデー)と弟のロビン(リオン・カーフィザデー)との四人家族。
妹と弟は日本語しか話せないため、仲間のクルド人のための通訳などは、全てサーリャの仕事。
教師になることを夢見る彼女は、進学資金を貯めるためバイトしているコンビニで、同学年の聡太(奥平大兼)と出会い、ほのかな恋心を抱く。
だが、一家の難民申請が却下され、在留資格を失ってしまう。
突然“仮放免”という身分になった一家は、働くことが出来ず、県境を越えることも禁止されるが、生活するにはお金が必要で、やむなく働き続けたマズルムは入管に収容されてしまう。
サーリャもコンビニのバイトを解雇され、一家はたちまち困窮する。
そんなある日、裁判の準備を進めて来たマズルムが、自分は諦めて帰国するから、子供たちは日本に留まれと言い出すのだが・・・


日本には、約2000人のクルド人がいるという。
もちろんその全員が難民としてやって来たわけではないだろうが、人口が4000万人を超え、国を持たない世界最大の民族と呼ばれるクルド人は、トルコ、イラン、イラク、シリアの国境地帯を中心とした”クルディスタン”に住み、一部はそれぞれの政府と敵対し、抑圧されている。
「クルドの自由のために声を揚げただけ」で父のマズルムが投獄されたというチョーラク家も、この地域のどこからやって来たはずだが、映画はあまり細かな設定を盛り込み、一家にさらなる属性を与えることを慎重に避けている。
一応トルコ語を話しているものの、彼らの故郷は明示されないほか、神様には祈っているが、何教の神なのかは説明されない。
一言でクルド人と言っても、クルディスタンにルーツを持ち、クルド語を話すイラン系の山岳民族という以外は千差万別。
信仰する宗教もイスラム教、キリスト教、ゾロアスター教、ヤズディ教など色々ある。
まあチャーシュー入りのラーメンを食べてたから、イスラム教徒ではないのだろうけど。
細分化されたエスニックグループではなく、サーリャたちは日本にいるクルド人、いやこの国に暮らす難民の誰でもあり得るという意図だろう。

劇中で話される三つの言語も、明確に話者を分けている。
5歳で来日したサーリャはバイリンガルで、マズルムとトルコ語で会話する。
故郷の記憶がないアイリーンと日本生まれのロビンは、基本理解できるのは日本語のみ。
民族の言語であるクルド語は、マズルムしか話せない。
彼らの仲間のクルド人もトルコ系が多いらしく、サーリャが翻訳を手伝っている。
言語は民族を維持する重要な要素で、固有の言語を失った民族はそのほとんどが消滅している。
マズルムはサーリャに対して、ことあるごとに「お前はクルド人なんだ」とクルド人らしい振る舞いを求めるが、サーリャにはそこまで強い帰属意識はない模様。
アイリーンに至っては、完全に日本の今時の中学生で、クルドの文化そのものに興味がない。
これは難民に限らず、異国へと移住した家族あるある。
故郷での生活をわずかでも知るお兄ちゃんお姉ちゃんほど、年長者としての責任感もあって元の国や民族に帰属意識が強く、年少者ほど現地に溶け込んで、帰属意識を失ってゆく。

一方で、サーリャは難民という存在に対する、日本社会の無理解も感じ取っているようで、学校の友人たちには自分はドイツ出身だと嘘をついている。
そもそも、ほとんどの人はクルディスタンがどこにあるのかも知らないし、様々な理由で国を出ざるをえない難民に対する理解もまた然り。
どこかの自称漫画家みたいに、難民が全部経済難民だと思い込んでる人も少なくない。
コンビニの年配女性客が、善意ながらかなり失礼な言葉を口にするシーンに象徴されるように、サーリャは普段から日本のごく普通の高校生である自分と、異邦人としての自分の間で葛藤しているのである。

しかし、そんな心の中の静かなざわめきは、難民申請の却下という、実生活を揺るがす大きな嵐が起こったことでかき消される。
日本は世界的にも難民の受け入れ数が極端に少なく、難民と認められるのも狭き門。
一家は突然在留資格を失い、仮放免という特殊な身分となってしまう。
仮放免になると、働くことが出来ず、県境を跨ぐことすら禁止される。
とりあえず日本にいてもいいけど、金は稼ぐな、社会に参加するなということだが、仙人じゃあるまいし、働かずに暮らせるわけもなく、日本の入管難民制度がいかに無茶苦茶かよく分かる。
要するに「自分から出て行け」ということなんだろうけど。
サーリャは受験生だが、ピザが無いので進学の道も閉ざされる。
日本人と同じように学校に通い、友達と遊び、将来に夢を持つ。
そんな当たり前の日常は、幻のように消えてしまう。
恋心を抱いている聡太と大阪の大学を見学に行く計画も、もはや叶わない。
弁護士は裁判に訴えることを勧めてくるが、裁判をしている間も生活するには金がいる。
家族を支えるために、マズルムは仕事を辞めることができずに、結局不法滞在者として入管施設に収容されてしまう。

劇中でも言及されているが、一度収容されると、出ることは極めて難しくなる。
個人が心身の自由を奪われるのだから、普通の刑事事件なら当然裁判所の令状が必要になるが、なぜか入管の収容では不要とされているのだ。
外に出るために再び仮放免を申請しても、許可する許可しないの裁量権も入管にあるため、よほどの事情がない限り認められず、数ヶ月も、時には何年も収容されたまま。
事実上、入管施設という名前の刑務所であり、強制収容所である。
裁判に訴えて勝つか、諦めて日本を去らない限り、未来の見えない状況は、収容者に多大な肉体的、精神的なストレスを与える。
名古屋入管でスリランカ人女性が死亡した事件は記憶に新しく、過去にも自殺者や、ハンストの末の餓死者も出ている。
現在の日本の入管難民制度には、法の支配が及ばない欠陥があることを、日本人は知っておくべきだろう。
私も親の仕事の関係で、ちょっと入管と関わったことがあり、彼らがいかに歪で不誠実な組織かはよく知っている。

異国の地で、唯一の保護者だったマズルムは収容され、仮放免扱いの子供たちだけが日本社会に残される。
17歳で突然一家の大黒柱となったサーリャも、コンビニを解雇され収入は途絶える。
同級生にアドバイスされ、やむなくパパ活の真似事をしてみても、生真面目なお姉さん気質の彼女では上手くいはずもない。
夏にエアコンを付けられないほど困窮し、サーリャはどんどん追い詰められてゆく。
生活力のない子供たちだけが、ある種のインビジブルピープルとして置き去りにされる展開は、是枝裕和の傑作「誰も知らない」を思わせるが、川和田恵真監督は是枝門下生。
誰にも頼れない、どこにも居場所の無いサーリャの心理を、繊細に描写してゆく。

川和田監督は当初、主人公の一家に実際のクルド難民をキャスティングすることを考えていたと言う。
だが、日本で不安定な立場にある彼らを役者として雇うと、さらなる不利益をもたらさないとも限らないために断念。
最終的に選ばれた嵐莉菜は、非常に目力の強い女性で、演技経験が無いとは信じられないくらいのハマりっぷりで素晴らしい。
チョーラク家の面々を演じるのも、嵐莉菜の実の家族
彼女の本名はリナ・カーフィザデーだが、芸名の嵐はマズルム役で出演のお父さん、アラシ・カーフィザデーのファーストネームからもらったらしい。
なんかカッコいいぞ。
このキャスティングはもともと決まっていたのではなく、オーディションをして実際に演技を合わせてみてから決定されたというが、半ドキュメンタリー的な手法も、是枝監督の影響を感じさせる。

物語の中で、映像と台詞で印象的に描写されるのが、オリーブの木だ。
故郷にいた時、チョーラク家は子供の誕生日ごと、にオリーブを植樹していたのだという。
その数は5で途切れ、今日本で彼らが暮らすアパートのベランダには、小さなオリーブの鉢植えが一つ。
旧約聖書の創世記では、神が起こした大洪水の後、ノアの方舟を飛び立った鳩が、オリーブの小枝を咥えてきて、陸地へと導いた。
ノアの一家は、いわば人類最初の気候難民である。
聖書のオリーブは、方舟の人々に幸せをもたらした希望の象徴だが、本作のベランダのオリーブはいかにも窮屈だ。

物語の終盤、裁判の準備を進めてきたマズルムは、突然故郷へ帰ると言い出す。
自分は諦めるから、子供たちは日本で裁判を起こして感張ればいいと。
当然サーリャは戸惑うが、これはマズルムにとっては苦渋の決断。
言葉のわかるサーリャはともかく、下の二人の中身は完全に日本人で、危険が伴う故郷へは連れて帰れない。
実際親が難民申請を取り下げて帰国し、子供が日本滞在を認められたケースがあり、マズルムは自分を犠牲にしてサーリャに全てを託したのである。
いわば子供の将来を人質にして、親に帰国を迫るようなものだが、残念ながらこれも日本の現実なのだ。
もちろん、本作だけで入管難民制度の問題点を全ては描けないが、コンパクトに分かりやすくまとめられていて、この問題に興味を持つ人はぜひ観るべき。
異文化の中でのアイデンティティの葛藤を描くドラマとしても、友情と恋の間で揺れ動く青春映画としても、とてもよく出来ている。
入管施設での別れ際に、マズルムは娘にこんな言葉を送る。
「あなたたちの道が開きますように・・・」
この言葉を噛み締めた、ラストカットのサーリャは、生き方に迷った無力な少女ではない。
人生を切り開く決意を固めた、闘う人の顔になっている。
川和田監督にとっても、演じた嵐莉菜にとっても、パワフルなデビュー作にして、強い説得力を持った秀作である。

今回は、おそらく主人公の故郷であろう、トルコの代表的リキュール「ラク」をチョイス。
干しぶどうやワインを原料に、アニスで香り付けされるが、強い香りが日本人には好みが分かれるところ。
そのままだと無色透明だが、水と混ぜると乳白色となることから、トルコでは“Aslan Sutu”(獅子の乳)”とも呼ばれる。
水割りにして、さらに冷水のグラスを別に用意し、交互に口に含んで口の中でさらに割るのが特徴的な飲み方。
キンキンに冷やしてソーダで割っても美味しい。
ギリシャのウーゾやアラブ圏のアラックとは、ほぼ同じ作り方の兄弟酒だ。

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ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス・・・・・評価額1700円
2022年05月07日 (土) | 編集 |
マルチバースの扉が開く。

つい先日の「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」をはじめ、MCU作品にゲスト出演しまくってるので、あまり久しぶりという感じはしないが、2016年の第一作以来となるドクター・ストレンジの単体作品第二弾。
MCU作品の中でも重要なファクターとなりつつある、“マルチバース”を全面的なモチーフとして、幾つのも宇宙を駆け巡る冒険を描いた作品だ。
ベネディクト・カンバーバッチが、引き続きタイトルロールを演じるほか、前作で別れた元カノのクリスティーンにレイチェル・マクアダムス、ストレンジの盟友ウォンにベネディクト・ウォン、マルチバースを行き来できる能力を持つ新キャラクター、アメリカ・チャベスにソーチー・ゴメス。
そしてアベンジャーズのメンバーながら、本作では最強のヴィランとして立ちはだかるのが、エリザベス・オルセン演じるスカーレット・ウィッチことワンダ・マキシモフだ。
監督は、当初続投予定だったスコット・デリクソンが降板し、旧「スパイダーマン」三部作を手掛け、アメコミ映画黄金期の礎を築いたサム・ライミがピンチヒッターに立った。
この両者、元々ホラー畑の人という共通点があるが、本作は特に物語が進むにつれてホラー色、と言うかライミ色がどんどん強くなってゆく。
長年のファンとしては、嬉しくなってしまった。
※核心部分に触れています。

スパイダーマンを助けて、マルチバースに接続してしまって以来、ドクター・ストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)は奇妙な悪夢を見る。
夢の中のストレンジは、怪物に襲われている少女を助けて戦うのだが、彼女を守りきれず自分が殺されるところで目が覚める。
元恋人のクリスティーン(レイチェル・マクアダムス)の結婚式に出席した日、夢で見た少女が現実の街に現れ、同時に彼女を襲う怪物も出現する。
アメリカ・チャベス(ソーチー・ゴメス)と名乗った少女は、危機に陥るとマルチバースをジャンプできる能力を持つが、その力はコントロール出来ないと語る。
ストレンジは彼女をカマー・タージに隠し、マルチバースに対して知見を持つとされるワンダ(エリザベス・オルセン)を尋ねる。
しかし、マルチバースの怪物を操って、アメリカを襲っているのは実はワンダであった。
彼女は、この宇宙では叶わなかった子供たちとの生活を取り戻すため、アメリカの持つマルチバースを超える力を狙っていたのだった・・・・


ディズニープラスに入ってないので、「ワンダビジョン」は観ていない。
本作でのワンダの変貌の理由が、「ワンダビジョン」で描かれた内容だったことが物議を醸しているらしいが、一応ドラマを観ていなくても、何があったのかは推測できるようになっているので、それほど致命的な問題とも思えない。
サノスとの戦いで、愛するヴィジョンを喪ったワンダは、自らの能力を使ってヴィジョンと二人の子供たちと共に、幸せな生活を送っているという偽りの世界を作り出した。
しかし何らかの要因によって、その世界は破綻し家族も消えてしまい、ワンダは家族を取り戻すため禁断の書と呼ばれる「ダークホールド」に傾倒し、闇堕ちしてしまった。
おそらく、ドラマではこんな展開があったのだろう。
まあ一見さんにはますます優しくないが、物語を理解する必要最小限の情報はきちんと入れられた脚本だと思う。

今回の話はストレンジが未練タラタラのクリスティーンの結婚から始まって、「人生、こんなはずじゃなかった」という感情が、ストレンジとワンダに共通する物語の推進力となっていて、二人は鏡像のような関係にある。
「あの時、もし別の道を選んでいたら」という後悔が、人生の別の世界線をマルチバースに求める展開は、MCU作品の中でも一番普遍的かつ分かりやすい。
もっとも普通の人間は、選ばなかった道を取り戻そうとは思わない。
「君の名は。」みたいな超自然的奇跡でも起こらない限り、時間を遡ったり、別の世界線に行くのは不可能だからだ。
しかし、不幸にもワンダは魔女、それも最強クラスの魔女であった。
その能力の強大さは、マルチバースの別の世界でヒーローチームの“イルミナティ”をほぼ瞬殺してしまったことでも分かる。
人智を超えた強大な力を持つからこそ、マルチバースの可能性を求めるのだが、彼女の願いがサノスのような大袈裟なものではなく、ただ二人の子供の母として、穏やかな人生を送りたいというのが切ない。

サム・ライミは、デビュー作の「死霊のはらわた」を何度もセルフリメイクし、次いでダークヒーロー物の「ダークマン」や西部劇の「クィック&デッド」でジャンル映画を追求、「シンプル・プラン」や「ラブ・オブ・ザ・ゲーム」と言った渋い人間ドラマでも魅せ、超大作の「スパイダーマン」三部作を大ヒットさせるなど、変幻自在の人。
「オズ はじまりの戦い」以来9年ぶり長編作品となる今回は、MCUの世界観をキッチリと抑え、作家性は割と抑えめ?と思わせておいて、物語が進むにつれてゴリゴリのライミ節が前面に出てきて、クライマックスは完全に「死霊のはらわた」風味になっちゃうのが可笑しい。
まさかストレンジをゾンビ化するとは、さすがに想像できなかった。
MCUでこれをやれちゃうのも、ホラーとアメコミ映画両方のレジェンドであるライミならではかも知れない。
物語の特性上、ドクター・ストレンジの魔術の特徴でもあるミラー次元の目眩く映像は封印し、かわりに次々とジャンプするマルチバースのバラエティで補完。
注目すべきはキャラクターが“絵”になっている世界で、MCUのマルチバースにアニメーションの世界があることが明確になったことで、「スパイダーバース」とのクロスオーバーも期待できるだろう。

また作劇に関しては、脚本を担当したマイケル・ウォルドロンがライミの作品を研究して、彼のストーリーテラーとしての特質を想定して当て書きしたというから、ホラーテイストも含めてこの若き才能によるところも大きいと思う。
今まで漠然と使われていたマルチバースという概念を、キャラクターがもう一人の自分と向き合うステージとしたことも重要なポイントだ。
前記したように、本作ではストレンジとワンダは鏡像の関係にあるが、マルチバースの世界で彼らは異なる人生を送っている自分自身を鏡像として、自らの生き方を問われるのである。
ワンダは他の世界線に、ぽっかり穴が空いてしまった心の救済を求めていた。
しかし、自分の宇宙以外のマルチバースは、結局他人のものなのだという現実を突きつけられる着地点も、誰もが「あの時」に戻れない悲しみを知るからこそ、人間ドラマとして納得できるものになっている。
ライミは、その長いキャリアの最初から、人間の作り出す罪とその結果を描き続けてきた人で、本作の結末も彼の過去の作品の延長線上にあると言えるだろう。

しかしマルチバース化したことで、MCUは本当に何でもありになって来た。
今回初クロスオーバーとなった、Mr.ファンタスティックやプロフェッサーXらイルミナティの面々は、あくまでも別の宇宙の人なんで扱いがあんまりだったが、本家の世界線で合流する可能性もゼロではなかろう。
そしてマルチバースで唯一、他の宇宙に自分の分身が存在しないアメリカも、MCUのフェーズ4を担うキャラクターになってゆくのだろうな。
ちなみに、本作のエンドクレジット後のオマケ映像、結構意味を理解してない人が多いみたいだが、あのピザ屋はライミの出世作「死霊のはらわた」シリーズで主役アッシュを演じたブルース・キャンベル。
「死霊のはらわた2」では、彼の右手が悪霊に取り憑かれてしまい、自分の手と格闘する羽目になる。
つまり本作でストレンジがかけた魔法自体がパロディで、オマケはパロディのオチという訳。
MCU作品で他の作品に繋がらないオマケは珍しいが、これが許されるのもライミだからという訳か。

今回は、ライミに敬意を表して「ゾンビ」をチョイス。
ホワイトラム30ml、ゴールドラム30ml、ダークラム30ml、アプリコットブランデー15ml、オレンジジュース 20ml、パイナップルジュース 20ml、レモンジュース 10ml、グレナデンシロップ 10mlをシェイクして、氷を入れたゾンビグラスに注ぐ。
悪酔いさせるために複数のラムを混ぜたという凶悪なカクテルで、複数のラムを掛け合わせるのもそのため。
テイストそのものはフルーティで、割と飲みやすいので、深酒しているうちにゾンビ化してゆく。 

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ショートレビュー「カモン カモン・・・・・評価額1700円」
2022年04月30日 (土) | 編集 |
子供も大人もムズカシイ。

マイク・ミルズの、私小説作家らしい持ち味がうまく出た秀作だ。
主人公は、ホアキン・フェニックス演じる、ニューヨークに暮らすラジオジャーナリストのジョニー。
彼は全米各地で子供たちにインタビューし、現在と未来に対する声を集めている。
ある時、ロサンゼルスに住む妹のヴィヴが、サンフランシスコベイエリアで仕事をしている夫の病気のため、しばらく家を空けることになると聞かされる。
9歳の甥っ子ジェシーを心配したジョニーは、彼の世話をするためにはるばるロサンゼルスにやってくるのだ。
しかし、彼自身は一人者で子育て経験全く無し。
ジェシーともほとんど会ったことがなく、二人の間には最初からビミョーな空気が漂っている。

くるくるヘアのジェシーは、一見してジョニーとよく似ていて、ミニチュアサイズのジョニーなんて言われるのだが、彼はジェシーが何を考えているのがイマイチよく分からないのだ。
中年男が初めての体験に戸惑いながらも、今まで単なる取材対象だった子供との関係を、改めて模索してゆくあたりは、ダスティン・ホフマンが離婚騒動の中で、初めて息子に向き合うダメ親父を演じた、懐かしの「クレイマー、クレイマー」風味。
大人は子供を単純化して見がちだけど、子供は大人と思考回路が違うだけで、心は繊細でとても複雑。
そんな当たり前のことに、初めて気づいてゆく。
やがて、夫の病気が悪化したことでヴィヴのベイエリア滞在が長引き、ジェシーはジョニーに連れられてニューヨーク、次いで南部ニューオーリンズへの取材の旅に同行する。

この映画がユニークなのは、フィクションのドラマと、ドキュメンタリーとしてのインタビューパートが同じ作品の中で自然に混じり合っていることだ。
ジョニーの同僚のロクサーヌを演じるモリー・ウェブスターは、実際にラジオジャーナリストであり、劇中の子供たちへのインタビューシーンに、シナリオは存在しない。
冒頭のデトロイトを含めて三つの都市で集められた子供たちのインタビューと、ホアキンが作中で読んでいる本からの引用が、彼にとって重要な示唆となって物語に厚みを与え、ドビュッシー の「月の光」の優美なメロディーが、実質的な主題曲となって情感が深めてゆく。
名手ロビー・ライアンによる落ち着いたモノクロ映像にも当然意図がある。
この手法により、この映画は新しくも見えるし、古くも見えるエイジレスな作品となった。
テリングの工夫によって、本来“記録”であるはずのインタビューパートが、過去形の時間軸から解き放たれ、現在進行形の物語の一部となるのである。

マイク・ミルズは、「人生はビギナーズ」で父なる者への、前作の「20センチュリー・ウーマン」で母なる者への想いを描いた。
彼の映画ではいつも、ごく近しいと思っていた人物の、意外な別の顔が現れて、主人公は大いに戸惑う。
「人生はビギナーズ」では奥手の青年が、年老いた父から突然ゲイであることをカミングアウトされ、「20センチュリー・ウーマン」では、女手一つで15歳になるまで息子を育ててきた母が、これ以上は育て方が分からないと、息子に近い年齢の若い女性二人に助けを求める。
どちらもミルズ自身の経験に基づいた作品だが、今度は初めて擬似的な父親としての視点から物語を紡いだ。
本作の企画は、彼とパートナーのミランダ・ジュライとの間に、2012年に子供が生まれたことと無関係ではあるまい。
大人の頭では理解不能なジェシーに振り回され、疲れ果てたジョニーは、電話でヴィヴに愚痴るが、ヴィヴはそれが子育てで、決して慣れることはないと語る。
タイトルの「C'mon C’mon」には「こっちに来て」以外にも「大丈夫だよ」とか「ほら」など幾つかの意味がある。
人間はみんな複雑で、たとえ家族でも自分以外の心の奥底までは誰にも分からない。
でもだからこそ少しずつお互いを理解して、歩み寄ってゆくしかない。
キャラクターに寄り添う、優しい視点が印象的だ。

今回はモノクロ映像が印象的な映画なので、白と黒が混じり合う甘いカクテル、「カルーアミルク」をチョイス。
コーヒー・リキュールのカルーア30mlと牛乳90mlを氷を入れたタンブラーに注ぎ、軽くステアする。
コーヒー牛乳のような味わいだが、カルーアのアルコール度数は20%あるので、チューハイ並みの強さ。
お酒と牛乳の組み合わせは古くから多くあり、カルーアの代わりにバーボンと牛乳を合わせると、「カウボーイ」というカクテルになる。

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ショートレビュー「パリ13区・・・・・評価学1650円」
2022年04月24日 (日) | 編集 |
その街で、愛は見つかるのか?

「ディーパンの闘い」のジャック・オーディアールが描く、現在のパリに生きる若者たちの群像劇。
入院中の祖母の所有する、パリ13区のアパートに住む台湾系女性のエミリーは、ルームメイトに応募してきた教師のカミーユと出会う。
一方、32歳で大学に復学するノラは、ひょんなことからポルノ女優のアンバーと関わりを持つ。
やがてノラとカミーユは職場の同僚となるのだが、カミーユがヤリチンのプレイボーイで、奇妙な四角関係が生まれる。
原題は「Les Olympiades, Paris 13e」
つまり、24年にオリンピックが開かれるまでの、パリ13区の今の風景という訳だ。

パリの中心を流れるセーヌ川の左岸、市の南部に位置する13区は、華やかなシャンゼリゼ通りのある1区や、世界遺産のノートルダム大聖堂が鎮座する4区と異なり、20世紀後半に再開発が進み、コンクリートのそっけない巨大団地が立ち並ぶエリア。
アジア系の移民が多いほか、大学街のカルチェ・ラタンに近く、比較的家賃が安いことから若者たちが集まってくる。
私たちがイメージする、史的な建造物が立ち並ぶ花の都パリとは、大きく異なる風景が広がっている街なのである。
実際映画に出てくるのも、アパートに商店街に学校と、ごく普通の都市の風景だが、オーディアールは13区を極めて映画的に描写する。
冒頭の空撮映像に見られる、幾何学的な都市の造形がもたらす映像美は、同一パターンで構成された現代の街だからこその映像美と言えるだろう。
スタイリッシュな映像は、フランスのアーティスト、ローンが手がけたエモーショナルな電子音楽と一体化し、物語にダイナミックな躍動感を作り上げる。
例えば、台湾系のエミリーが、勤務する中華料理店で、突然踊り出すシーンは、人間とカメラと音楽が一体となった本作の白眉と言って良い。

四人の若者のうち、物語の軸となるのもそのエミリーだ。
演じるルーシー・チャンは、実際に生まれも育ちも13区という地元っ子だという。
彼女は高学歴にも関わらず、コールセンターに勤め、そこをクビになるとウェイトレスに。
人との円滑な付き合いが苦手な奔放なキャラクターで、引っ越してきたカミーユとも、すぐにセックスするようになるのだが、恋人にはならない。
カミーユも、多くの女性と関係を重ねているが、誰とも深い仲にはならないのだ。
同じ頃、30代の大学生となったノラは、若い学生たちに馴染めず、ポルノ女優のアンバーそっくりだと噂を流されて、学校に行けなくなる。
彼女は、職場同僚となったカミーユと接近するが、同時に噂の元となったアンバーとネットで繋がり、いつの間にか親友になっているのだ。
体では繋がっても、心はそれを拒否する。
あるいは、現実では繋がれなくても、ネットでは親密になれる。
お互いの関係に問題を抱えた四人は、同じ街の中でくっ付いたり離れたりしつつ葛藤し、やがてそれぞれの愛を見つける。
レイティングは「R18+」だから、性愛の描写もたっぷりで、フランス製のアートなロマンポルノという風合いもある。
ただバッチリ決め込まれたモノクロの映像ゆえ、画的な生々しさは希薄であんまりエロさは感じない。

脚本が69歳のオーディアールと、セリーヌ・シアマ、レア・ミシウスという一回り以上若い女性作家との共作なのだが、三人の女性キャラクターの造形は、シアマの傑作「燃ゆる女の肖像」を思わせる要素も。
オーディアールのストーリーテラーとしての独特な外連味と、女性作家たちによるリアルなキャラクター造形は、魅力的なコラボレーションとなっている。
エミリーはアジア系、カミーユはアフリカ系、ノラとアンバーはヨーロッパ系、ここには世界中から人々が集まる、現在のパリの縮図がある。
多民族国家をまとめ上げるのは愛。
フランスの今を生きいきと描いた、瑞々しい青春グラフィティ
古希にしてこれを撮るって、オーディアールの若々しい精神に脱帽だ。

今回は、心に渇きを抱えた若者たちの話なので、「モヒート」をチョイス。
カクテルには花言葉のようにカクテル言葉があって、モヒートは「私の渇きを癒して」だとか。
大きめのタンブラーにイエルパブエナ(キューバミント)千切って入れ、ライムジュース30ml、砂糖2tspを加え、バースプーンなどで軽く潰す。
ラム40mlと適量なソーダを加え、氷とミントを追加して完成。
モヒートという名前は、スペイン語の「mojar(濡れる)」に由来し、タンブラーの表面が結露して濡れることからと言われる。
ちなみにイエルパブエナは育てやすく、どんどん葉をつけるので観葉植物としてもオススメ。

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