酒を呑んで映画を観る時間が一番幸せ・・・と思うので、酒と映画をテーマに日記を書いていきます。 映画の評価額は幾らまでなら納得して出せるかで、レイトショー価格1200円から+-が基準で、1800円が満点です。
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ショートレビュー「あなた、そこにいてくれますか・・・・・評価額1600円」
2017年10月21日 (土) | 編集 |
どちらの愛も、諦めない。

ロマンチックなタイムトラベルSFの良作だ。
韓国発のこのジャンルの作品は、ハリウッドでもリメイクされたイ・ヒョンスン監督の「イルマーレ」が有名だが、本作も決して負けていない。
主人公は、末期癌を患った医師のハン・スヒョン。
彼は医療支援に訪れたカンボジアで、赤ん坊の手術のお礼にと、盲目の老人から願いごとを叶えるという10粒の薬を贈られる。
スヒョンの唯一の願いは、30年前に不慮の事故で亡くなった、恋人のヨナに一目会うこと
ところが1985年にタイムトラベルし、彼女に会うために接触した過去の自分は、事故のことを知ると彼女を助けたいと懇願する。
だが、現在のスヒョンにはヨナを助けられない理由がある。

ヨナの死から10年後、出会った女性との間に、愛娘・スアが生まれていたのだ。
もしも結婚直前の仲だったヨナを助けると、スアは存在しないことになってしまう。
そう、本作がユニークなのは、葛藤の軸が現在と過去、異なる時間の自分自身の間にあることだ。
ほとんどやり尽くされた感もあるタイムトラベルものだが、これはちょっと新しい。
過去のヤング・スヒョンは目の前の恋人の命と、彼女との間に思い描く未来を救いたい。
だが、死を目前にしたオールド・スヒョンには、娘と共に過ごして来た20年分のかけがえのない思い出があり、愛するスアを消してしまうことなどとても出来ない。
別の時間にいる同じ人物の中で異なる愛が対立し、恋人か娘か、究極の決断を迫られるのである。

タイムトラベルで生まれるパラドクスの捉え方は、この種の作品の世界観に直結する最重要要素だが、本作はシンプル。
パラレルワールドは生まれず、過去を変えた段階で未来もどんどん変化する「バック・トゥ・ザ・フューチャー」形式で、タイムトラベラー本人の記憶は変わらない。
末期癌の進行と薬の残数、二つのリミットが迫る中、いかにしてオールド・スヒョンとヤング・スヒョンは、相反する目的を達成するのか?
本作は、フランス人作家ギョーム・ミュッソの傑作小説、「時空を超えて(現在邦訳版は映画と同タイトルに改題)」の比較的忠実な映画化だが、ホン・ジヨン監督は韓流らしいウェットなテイストも加え、エモーショナルに盛り上げる。
二人のスヒョンの出す結論、ヨナとスアを二人とも救う唯一の方法は、まあちょっと考えれば分かってしまうのだが、本作はそこからさらにサブキャラクターを巧妙に巻き込んだ捻りがあり、二転三転する物語にドキドキが止まらない。

良質の韓国映画の例に漏れず、俳優陣が素晴らしい。
主人公スヒョンの現在と過去を二人一役で演じる、キム・ユンソクとピョン・ヨハンの絶妙のコンビネーション、ヒロインのヨナ役のチェ・ソジンの可憐さ、サラッと美味しいところを持って行く、名バイブレイヤーのキム・サンホとアン・セハ。
彼らの織りなす優しい愛のドラマに、最後には涙腺決壊。
丁寧に作られた見応えのある作品だが、惜しむらくは30年の時代差があまり生かされていないこと。
例えば「バック・トゥ・ザ・フューチャー」では、80年代と50年代の世相や音楽、ファッションのギャップが大きな魅力になっていた。
韓国の1985年は、ソウルオリンピックを控え、民主化運動が最終章に差し掛かる激動期で、もうちょっと時代性が物語に絡んで来ても良かったと思う。

本作は、相反する二つの愛の落とし所を探す物語、いうことで「ワット・イズ・ラブ」をチョイス。
コアントロー15ml、アセロラジュース45ml、レモンジュース1tsp、 トニックウォーター適量。
タンブラーに氷と素材を入れておき、トニックウォーターを注ぎ、軽くステアして完成。
オレンジ風味のコアントローの甘みと、アセロラの酸味の相乗効果が効いている。
甘酸っぱく飲みやすく、ピンクがかった色味も綺麗で、華やかなカクテルだ。

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ショートレビュー「アナベル 死霊人形の誕生・・・・・評価額1600円」
2017年10月19日 (木) | 編集 |
彼女の中にいるのは誰?

実在の心霊研究家、ウォーレン夫妻を描くオカルトホラー、「死霊館」のオープニングに登場した最恐の呪いの人形・アナベルをフィーチャーしたスピンオフ第2弾。

今回はアナベル人形がなぜ誕生したのかを描くビギニングで、孤児院となった田舎の家を舞台に、事故死した少女の形見の人形が人々を恐怖に陥れる。
監督はジェームズ・ワン作品の撮影監督として知られるジョン・R・レオネッティから、闇の中だけで実体を持つオバケというワンアイデアを生かし切った、「ライト/オフ」で脚光を浴びたデヴィッド・F・サンドバーグに交代。
ぶっちゃけ、いまいちパッとしなかった前作より遥かにセンスの良い快作に仕上がった。
※核心部分に触れています。

物語の始まりは1945年の昔。
人形師のサミュエルが、見覚えのある禍々しい人形を丹念に制作している。
シリアルナンバーから、100体が作られたらしいその人形の最初の一体を、彼は最愛の一人娘・アナベルに与えるのである。
まあ例によって、こんなに不気味な造形の人形が引く手数多の大人気という設定は納得しかねるが、そこは映画。
もっとも古い写真で見ると、ミッキーマウスやマクドナルドのドナルドの着ぐるみなんかも、昔のは相当にコワイので、カワイイの基準が現在とは異なっている可能性はある。
というかそういうことにしておこう。

ところが、それから間も無くアナベルは事故死してしまい、映画は一気に12年後に。
サミュエル夫妻は田舎の広大な自宅を、修道女のステファニーに孤児院として解放。
引っ越して来た10代の少女たちの中の、ポリオと闘病中のジャニスが、封印されたアナベル人形を見つけてしまった(見つけさせられた)ことから恐怖劇場の幕が開く。
実はアナベルの死後間も無く、家に入り込んだ霊体の存在に気づいたサミュエル夫妻は、アナベルの幽霊と思い込み、形見の人形の中に入ることを許可する。
しかし実際にはそれはアナベルを装う邪悪な悪魔であり、様々な超常現象の挙句に妻が人形に襲われるに至って、夫妻は教会の力を借りて人形を封印していたのだ。

この基本コンセプトは、懐かしの「ペットセメタリー」に近い。

愛しい人の幽霊を召喚したつもりだったけど、なんか違うのが来ちゃったというやつだ。
私も愛猫に「死んだら幽霊になって戻ってくるんだよ」と言い聞かせているので、このパターンで来られたら簡単に騙されそう。

この悪魔は狡猾なだけでなく、とにかく大胆で暴力的なのが特徴。
人形そのものは突然現れて驚かせる程度なのだが、取り憑いている悪魔が実体化して暴れ回り、人をぶん投げるは骨を折るはやりたい放題。
さらにジャニスの肉体を、無理やり奪おうとするのである。

ヤクザな悪魔に襲われるのが、か弱いシスターと少女たちなので、余計に勝てなそうで絶望感が募る。

中途半端に実体を持ってて、叩かれて痛がったりするのは悪魔的にはどうなのという気もするが、グラント・ウッドのアメリカンゴシックを思わせるロケーションも、ムーディで効果的。

人形、悪魔本体、憑依されたジャニスと、恐怖の対象が三つもあるのに、きちっと役割分担してとっ散らかった印象にならない作劇・演出の手腕はなかなかだ。
サンドバーグの恐怖演出は、「ライト/オフ」を思わせる光と闇の対比を生かしたものから、Jホラーテイストまで引き出しを総動員。
作劇的に面白いのは、物語の前半はジャニスを主人公に彼女の視点で進み、中盤から親友のリンダに入れ替わること。
視点と主人公の入れ替わりはオリジナルの「死霊館」シリーズの特徴でもあるので、おそらく意識しているのだろう。
オバケ屋敷からの脱出ものとして十分に盛り上げると、最後にはきっちりと前作に繋げる。
オカルトカテゴリでは、かなり出来の良い作品だ。

因みに、「死霊館」シリーズは一応実話の触れ込みだが、本作は完全フィクション。
ウォーレン夫妻のオカルト博物館に保管されているホンモノのアナベル人形は、アメリカの絵本「ラガディ・アン」のキャラクター人形(ラストにチラリと出てくる)で、本作の不気味この上ない人形とは全く異なる。
だがこの絵本は、作者のジョニー・グルエルが、幼くして病死した娘のために、彼女がラガティ・アンと呼んで大切にしていた人形を主人公として語った物語で、本作のサミュエルとアナベルの設定にインスパイアを与えているのかも知れない。

今回は悪魔に対抗する天使「エンジェル・フェイス」をチョイス。
ドライ・ジン30ml、アプリコット・ブランデー15ml、カルバドス15mlをシェイクして、グラスに注ぐ。
スッキリしていて飲みやすいカクテルだが、アルコール度数は相当に高いので、うっかりすると天使の前に悪魔に出会ってしまう。

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猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)・・・・・評価額1750円
2017年10月16日 (月) | 編集 |
そして、時の輪が閉じる。

2011年の「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」から始まる、リブート版新三部作完結編。
本作のキャッチコピーは、「そして、猿の惑星になる」という大胆なもの。
要するに、物語の結末は昨今流行のパラレルワールドにはならず、人類は滅び、猿たちが地球の支配者となる旧シリーズ第一作へと繋がると、明確に言い切っちゃってるのだ。
ならば、前作「猿の惑星:新世紀(ライジング)」の時点では、拮抗していたはずの人類と猿の運命は如何にして交錯し、猿たちは星を継ぐものとなるのだろうか。
主人公のシーザーは、引き続き究極の中の人たるアンディ・サーキスが演じ、宿命の仇敵となるマッククロウ大佐に名優ウッディ・ハレルソン。
旧シリーズの遺産を受け継いだマット・リーヴス監督は、一つの種の滅びと別の一つの種の勃興を、英雄シーザーの物語として見事に昇華し、神話的風格を持つ骨太の傑作に仕上がった。
※核心部分に触れています。

猿インフルエンザウィルスALZ-113のパンデミックにより、人類が滅亡の縁に立たされてから15年。
進化した猿たちは、生き残った人類の武力に怯え、リーダーのシーザー(アンディ・サーキス)の指揮の元、密林に砦を作ってひっそりと暮らしている。
そんな時、人間のいない安全な土地を探すため、旅に出ていたシーザーの息子、ブルーアイズが戻ってくる。
彼は移住できる理想の土地を見つけたのだが、その日の夜、マッククロウ大佐(ウッディ・ハレルソン)率いる軍隊が砦を急襲し、ブルーアイズとシーザーの妻が殺されてしまう。
復讐心に駆られたシーザーは、皆を新天地に向けて出発させると、友人のモーリス(カリン・コノヴァル)、ロケット(テリー・ノタリー)と共に大佐を追う。
途中、うち捨てられた人類の村に立ち寄ったシーザーは、そこで病気で口がきけなくなった人間の少女(アミア・ミラー)を発見。
彼女をノヴァと名付けて連れてゆくことにする。
やがて、一行は大佐のいる要塞にたどり着くが、そこでは思いもよらない事態が起こっていた・・・


“RISE” “DAWN” ときて、今回は“WAR”だ。
原題でも邦題でも、はたまた予告編でも、本作で描かれるのが人類と猿との戦争で、その結果として地球が猿の惑星になることが示唆されているのだが、実はこのタイトルには捻りがあり、巧みなミスリードとなっている。 
結論から言えば、猿たちは自衛のための小さな戦いはするが、人類との最終戦争は起こらない。
原題の「War for the Planet of the Apes」を直訳すれば「(地球が)猿の惑星になるための戦争」であり、人類は猿たちを一方的に敵視し、奴隷扱いしたあげく、自分たち同士で戦って自滅するのである。

人類とは違った道を歩んでいたはずの猿たちの世界に、裏切りと復讐が横行し、どんどんと人間化する一方、人類にもある変化が出ている。
猿インフルエンザの抗体の副作用とみられる新たな失病が現れ、人類を地球の支配者たらしめる知性が失われつつあるのだ。
この病を発症した者は、口がきけなくなり知能の低下がみられることから、拡大を恐れた大佐は自軍の発症者たちを殺害、彼の方針に反発する別の部隊との間で戦争が迫っており、戦いの準備のために捕らえた猿たちを使役する。

前作で、廃墟の砦に立て籠もる人類に、馬に乗った猿の軍団が襲い掛かるシークエンスは、明らかに西部劇の白人入植者vs先住民をイメージしていたが、本作での両者の関係は絶滅収容所のナチスとユダヤ人、あるいは日本軍捕虜収容所が投影され、抑圧の構図を強化。
第一作の「猿の惑星」の原作者ピエール・ブールは、第二次世界大戦中仏領インドシナで日本軍の捕虜となり、その時の体験をもとに書かれたのが、泰緬鉄道を巡るイギリス軍捕虜と日本軍の軋轢を描いた「戦場にかける橋」なのである。
本作の収容所と強制労働の描写は、原作者のもう一つの代表作にインスパイアされているのは間違いないだろう。
マット・リーヴスは、他にも「大脱走」や「地獄の黙示録」と言った戦争映画、さらに「許されざる者」などの西部劇、はたまた旧シリーズからも映画的記憶を効果的に引用し、物語をダイナミックに盛り上げる。

リブート版の三部作全体の下敷きとなっているのが、旧シリーズの第四作「猿の惑星・征服」だ。
第三作「新・猿の惑星」で、消滅した地球を脱出し、時間を遡って現代の地球に到達したコーネリアス博士ら進化した猿と、彼らに支配される自分たちの未来を知った人類との間で確執が起こる。

続く第四作では、疫病で犬や猫が死滅し、地球に到達した猿たちの子孫が人類の奴隷となっており、コーネリアスの息子のシーザーが、自由を求めて人類に対して反乱を起こす。
この三部作は基本的に、旧約聖書の「出エジプト記」を思わせる「猿の惑星・征服」の流れを踏襲しており、本作でもそれは変わらない。
前作で「猿は猿を殺さない」という禁を破り、無原罪の存在でなくなった猿たちの物語は、やはり聖書に回帰するのである。

この三部作で人類に起こっていることは、基本的に驕り高ぶりに対する神罰であり、言葉を失うことは、旧約聖書の「創世記」で、神が天まで届かんとするバベルの塔を作った人類の言葉を乱し、お互いに話が通じないようにしたことと符合する。
猿たちは英語を喋れるものの、シーザーなど数頭以外は基本的に非口頭言語でコミュニケーションをとっているのも対照的。
大佐が言葉を失った人間を虐殺するのとは逆に、猿たちが同じ症状の少女ノヴァを仲間として迎え入れるのも同じ文脈だろう。
また人類の抑圧に対して最初に反乱を起こし、猿たちを約束の地に導こうとするシーザーが、エジプトの圧政に対してユダヤ人の大脱出を率いた、モーゼのメタファーであることも明らかだ。

支配者としての驕れる人類を象徴する大佐は、この期に及んでもわが身を振り返るどころか身内と無益な戦を繰り広げるが、復讐に駆られていたシーザーは、仲間の危機にあるべき姿を取り戻す。
自らも病を発症し、言葉を失った大佐を見たシーザーが、構えていた銃をおろし、大佐が拳銃で自殺する瞬間、種としての両者の運命は別たれた。
生きることを放棄した人類は、大いなる自然の力によって淘汰され、復讐ではなく許しを選んだ猿たちは、新たな星を継ぐものとして祝福を受ける。
ただし、前作でコバを殺し、本作でも一時的に大佐を憎しみの心で追ったシーザーは、約束の地で生きることを許されない。
彼はモーゼとして猿たちを導き、進化することで生まれた原罪を背負って死ぬことで、この世界のキリストとなるのである。


三部作を通して、シーザーの葛藤を軸に紡がれた物語はドラマチックにヒートアップし、彼の死と共に新しい世界の創世を描き上げ、完結編としてこれ以上は無い圧巻のフィニッシュ。
もちろん、デジタルキャラクターに命を吹き込み、生身の人間以上にリアルな生命を感じさせたパフォーマンスキャプチャの俳優陣は、VFXクルーと共に大いに賞賛されるべきだ。
以前から言っているけど、アンディ・サーキスにはここらで是非ともオスカーを!

そして本作が特に凄いなと思ったのは、新旧両シリーズの間に大きな可能性をもつ余白を残したこと。
今回は、シーザーの他に、コーネリアス、ノヴァといった旧シリーズと同名のキャラクターが出てくるのだが、旧シリーズの第一作は推定2000年後の未来の話だから同一キャラクターではない。

シーザーの物語は完結したけれど、ここに登場するキャラクターたちそれぞれに、未だ描かれていない物語があるわけで、今でも西洋人の名前の多くが2000年前の聖書から取られているのと同じ様に、旧シリーズの世界では、この時代の話が変形して神話となっていると考えると面白い。

こんな風に感じられるのも、物語の閉じ方が本当に見事だから。

マット・リーヴス、オタクとして最高の仕事をしているのではないか。

同名キャラクターは新旧のシリーズを繋げつつ、同一世界観のスピンオフの可能性を感じさせる。
全世界で現在までに17億ドルの興行収入を上げているドル箱シリーズ、遅かれ早かれリブートされるだろう。
はたしてそれは、若きコーネリアスの物語になるのだろうか。

今回は、シーザーが猿たちを約束の地に導く話なので、「カ・マルカンダ ガヤ プロミス」の2015をチョイス。
イタリア・トスカーナ産のフルボディ、辛口の赤。
メルロー、シラー、サンジョヴェーゼを別々に発酵させた後にブレンド、熟成。
みずみずしく濃厚な果実味と、フレッシュなアロマが楽しめる。
CPも良く、バランスの良い一本だ。
2015はまだ少し若いので、しばらく寝かせてから飲むのも良いだろう。

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ショートレビュー「ナラタージュ・・・・・評価額1650円」
2017年10月11日 (水) | 編集 |
追想のファーストラブストーリー。

タイトルの「ナラタージュ」とは、回想で過去を描くことを意味する。
東京の映画配給会社に勤めている主人公の泉の現在から、記憶の中の大学二年生の夏へ、更に高校三年生の過去へ。
有村架純と松本潤が演じる泉と葉山は、高校の演劇部で出会った、顧問の教師と生徒。
そして、お互いに距離を縮めつつ、一旦は泉の卒業によって別離を迎えるのだが、1年後の夏に彼女が演劇部に客演して再開を果たすと急接近。
二人は共に他人には言えない深刻な心の傷を抱え、お互いを必要としていて、いわば無意識の共依存の関係にある。
だが一方の感情は幼くも真剣な恋で、一方は必ずしもそうでなかったことから、とてもややこしい、抜き差しならない関係に陥るのである。

現在の東京、豪雨の夜を起点に、映画はミステリアスに、少しずつ全貌を見せる。
行定勲監督作品では、幻想の魔都・上海を舞台に双子姉妹の入れ替わりを描いた異色のミステリ「真夜中の五分前」に近い印象。
全編の描写が、泉をはじめとする登場人物の心象風景として機能するのは、いかにもこの人らしい。
泉が葉山にもらった懐中時計を手に見る、悲しみの雨、浄化の雨。
別居中の妻と問題を抱えている葉山が、演劇部で上演するのはシェイクスピアの「真夏の夜の夢」。
これは真夏の夜の森に集まった、恋の問題を抱えた人間と妖精たちが、トリックスターの妖精パックの媚薬の魔法にかかり、相手を入れ替えたりすれ違ったり大騒動を繰り広げる元祖ラブコメ。
こんがらがった現実の人間関係を反映しているのは、言わずもがなだ。
また二人は映画好き設定で、「隣の女」「エル・スール」「浮雲」「ダンサー・イン・ザ・ダーク」などもメタファーとなり、内容を知っていると本作とのシンクロに思わずニヤリ。

効果的に使われるのが、主人公の裸足のアップショット。
何度も出てくるのだけど、それが何時、誰といる時か、どのようなシチュエーションの描写なのかによって、その都度裸足であることの意味が異なる。
泉はただ目の前で起こることに、素直に真摯に向き合っているだけなのだが、彼女の真っ直ぐさが葉山と、坂口健太郎演じる小野の心を狂わせる。
全体を俯瞰すると、ラブストーリーと言い切ることすら躊躇する心理劇。
有村架純も松本潤も地味キャラに徹し淡々と展開するが、丁寧に組み立てたられた心の物語を読み解く面白さがある。

快活なイメージを封印した有村架純がいい。
自分自身が何者で、何を求めているのかに戸惑い、断ち切れない想いを引きずり、追い詰められてゆく演技は説得力がある。
基本彼女の回想形式で進むので、葉山のキャラクターは表層にとどまるが、ある意味ひどくズルくて、優柔不断の塊みたいなダメ男だけど、常に妙な色気を醸し出す松本潤にはちょっと驚かされた。
惜しむらくは文化祭で「真夏の夜の夢」を上演した後、演劇部に起こるあるショッキングな事件が印象的ではあるものの、全体の流れから今ひとつ浮いて感じられること。
もちろんこれは泉と葉山にとっては、過去の記憶に向き合うひとつのきっかけにはなっているのだけど。

本作は濃密な空気を纏ったディープな心理ドラマであり、よく言えば分かりやすく、悪く言えば幼い邦画ラブストーリーのトレンドからは明確に背を向ける。
賛否両論?上等じゃないか。
行定勲や是枝裕和といった実績あるベテランが、本作や「三度目の殺人」の様な、観客とサシで勝負するスタイルの作品を作ってくれるのは大歓迎だ。

今回は舞台なる富山の地酒、清都酒造場の「勝駒 純米」をチョイス。
やわらく上品な中にしっかりとした骨があり、やや辛口でスッキリとした喉越し、適度な酸味のバランスが素晴らしい。
いわばお米の味のフルボディ。
蔵の規模が非常に小さいこともある、名声が高まる近年ではだんだん入手困難になりつつある。
綿密なドラマに負けない、力のある酒だ。

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ドリーム・・・・・評価額1700円
2017年10月04日 (水) | 編集 |
彼女たちが成しとげたこと。

公民権運動の時代を背景に描かれる、黎明期のNASAを支えた、実在する三人のアフリカ系女性の物語。
肌の色と性別、二重のガラスの天井に閉じ込められた彼女らはしかし、米ソ宇宙開発競争のなりふり構わぬ状況において、地道な努力により、少しずつ自らの実力を男性社会に認めさせて行く。
原題の「HIDDEN FIGURES」とは、直訳すれば「隠された人々」となる。
三人の女性たちをタラジ・P・ヘリン、オクタヴィア・スペンサー、ジャネール・モネイが生きいきと演じ、ケビン・コスナー、キルスティン・ダンスト、マハーシャラ・アリら実力者が脇を固める重厚なキャスティング。
監督・脚本は敏腕CMディレクターとして活躍し、劇場用長編デビュー作の「ヴィンセントが教えてくれたこと」で注目された、セオドア・メルフィが務める。

1961年、ヴァージニア州ハンプトン。
NASAのラングレー研究所では、多くの黒人女性たちが計算手として働いていた。
実質的なリーダーとして采配を振るっているドロシー(オクタヴィア・スペンサー)は、管理職への昇進を希望しているが、上司のミッチェル(キルスティン・ダンスト)に「黒人グループに管理職は置かない」と却下されてしまう。
メアリー(ジャネール・モネイ)はエンジニア志望だが、白人の学校の単位を条件にしているNASAの規約が壁になっている。
子どもの頃から計算の天才として名高かったキャサリン(タラジ・P・ヘリン)は、黒人女性として初めて、宇宙計画の中枢である宇宙特別研究本部に配属されるが、白人男性ばかりの環境で、なかなか機会を与えてもらえない。
しかし、人類最初の有人宇宙飛行を目指すマーキュリー計画は遅れ、ソ連のボストーク1号に一番乗りを奪われてしまう。
NASA全体が強烈なプレッシャーにさらされる中、本部長のハリソン(ケビン・コスナー)は、キャサリンの稀有な才能を認め、徐々に彼女を重要な任務に就かせるようになる。
その頃、計算手の仕事を不要とするマシン、IBMの巨大なコンピュータがラングレーに運び込まれる・・・・


第二次世界大戦後、戦勝国となった米ソ両国はナチスドイツのミサイル技術者を競って移送、あるいは拘束連行し、自国の技術と融合させ、無限の可能性を追求する宇宙開発競争に突入する。
先行したのはソ連で、1957年10月4日に世界初の人工衛星・スプートニク1号を打ち上げると、1961年4月12日にはユーリイ・ガガーリンが、ボストーク1号により人類初の有人宇宙飛行に成功。
出遅れたアメリカは、1958年になって人工衛星・エクスプローラー1号を成功させ、有人宇宙飛行を目指すが、ここでもソ連の先行を許してしまう。
ロケットを打上げ、地球に帰還させる技術は、そのまま敵国に核の炎を届ける大陸間弾道弾・ICBMの技術であり、宇宙への進出は遥か上空から相手を監視し、丸裸に出来ることを意味する。
冷戦の時代にあって、どちらか一方に宇宙を支配されることは、生殺与奪の権を握られることを意味し、決して許容できる事態ではなかったのだ。
映画の舞台となる1961年のNASAは、まさにソ連宇宙技術陣の猛ラッシュによって、リングのコーナーに追い込まれていたのである。

ボストーク1号に対するアメリカの回答が、一人乗り宇宙船で弾道飛行、軌道飛行を目指すマーキュリー計画であり、この計画がジェミニ計画、アポロ計画による有人月面探査へとつながって行くのだが、宇宙飛行を成功させるには複雑怪奇な軌道計算が必要となる。
まだコンピュータが普及する以前、NASAには優れた数学的才能をもつ女性たちが集められ、いわば人間コンピュータとして働いていた。
本作の主人公となるキャサリン、ドロシー、メアリーが属するのは、アフリカ系の黒人女性たちからなる“西計算グループ”。
三人の中でも、物語の軸となるのは数学の天才、キャサリン・G・ジョンソン。
彼女は実に30年以上に渡って各時代の宇宙計画に参加し、NASAの伝説的女性スタッフ五人をモチーフにした、レゴのフィギュアセットのメンバーにもなった凄い人なのだ。
ロン・ハワード監督で映画化されたアポロ13号の事故で、宇宙飛行士が故障した宇宙船の正確な位置を把握できるシステムを作り上げ、安全に帰還できる軌道を辿れるよう尽力したのはキャサリンなのである。

だが、溢れんばかりの才能の持ち主である彼女たちにも、時代は決して優しくない。
キャサリンが新たに配属された、宇宙特別研究本部のビルには、有色人種の女性用トイレが無く、彼女は時間を浪費していちいち遠くのビルに行かねばならない。
直属の上司は、検算に必要な数字の大半を塗りつぶして渡してくる。
昇進希望を却下されたドロシーは、NASAがIBMコンピュータを導入しようとしていることを知り勉強しようとするのだが、専門書がある白人用図書館では本を借りられない。
メアリーは学校の単位の不足を理由にエンジニア職への転身を拒否されるが、その単位は白人専用の学校でしか取得できないものなのだ。
上司に「君が白人男性だったら、エンジニアを目指したか?」と聞かれたメアリーは、こう答える。
「いいえ。(白人男性なら)とっくに(エンジニアに)なってるから」と。
百凡の男たちを遥かに凌ぐ実力を持っているという自負と、それが認められない現実に対するもどかしい想い。

このあたりのエピソードは、史実がある程度脚色されており、必ずしも現実の彼女たちが経験したことではない様だが、当時の有色人種の女性の置かれた困難な状況を、分かりやすく描き出している。
しかし、差別的な状況は描かれるが、それはあくまでも背景にとどまり、映画は白人男性優位の組織の中で、彼女たちが苦しみながらなし遂げたことを強調する。
本作のファーストプライオリティは過去を告発することではなく、今も色々なガラスの天井を感じている人たちに、先人たちの人生を通じてエールを贈ることだから、このスタンスが相応しい。
白人の登場人物にも有色人種に偏見を持つ者はいるが、いわゆる悪役的な描き方をしておらず、皆それぞれに彼女たちの努力と熱意に次第に心動かされるのも良いバランスだ。
全体、描いている内容はシリアスだが、ユーモアが絶妙なアクセントとなっており、テリングのテンポの良さ、感情移入しやすいキャラクター造形も相まって、非常に物語に入りやすいのである。
時代を象徴するファッションや音楽の使い方も上手く、単に辛さに耐えるだけでない機知に富んだ女性たちの逞しさも魅力的。

コンピュータの時代が本格的にやって来れば、計算手はクビになる。
ならば誰も習得してないプログラミングの技術を皆で覚えちゃうとか、頭の固い男たちをさらっと出し抜くあたりはまことに痛快だ。
そのコンピュータの出した数字が信用できなくて、結局最後は人間の出番になるのも、王道だけど思わず胸をなでおろす。
三人が男性社会の軋轢の中で、実力によって信頼を得て少しずつ前進し、葛藤が各段階でマーキュリー・ロケットの打ち上げとして昇華されるのもカタルシスを呼ぶ。
本作を観たならば、よほど偏屈な人でなければ、誰もが頑張るキャサリンたちを応援したくなるだろう。
ここにあるのは、軽妙なタッチで描かれる、アフロアメリカン現代史にして女性解放史、そしてアメリカ宇宙開発史の、知られざる重要な1ページなのである。

アメリカの宇宙計画を描いた映画には傑作が多い。
同じ時代の「ライトスタッフ」とは、物事の表と裏の関係で、9年後を描く「アポロ13」では彼女らが成し遂げたことのその先が見られる。
ロン・ハワードとトム・ハンクスが共同プロデュースしたTVドラマ、「フロム・ジ・アース/人類月に立つ」は、マーキュリーからアポロまで、有機的に結合したアメリカ宇宙計画を包括的に知ることができる。
これらの作品と合わせて観ると、より本作への理解が深まって面白いと思う。
ところで、幻となった副題「私たちのアポロ計画」は、映画ラストで本部長のハリソンとキャサリンの間で交わされる、この映画のテーマを象徴する印象的なやり取りに引っ掛けられた、ぴったりの物だった。
宇宙計画の歴史も知らず、調べようともせず、他人の付けた火に乗っかって、的外れな文句垂れて炎上させたクレーマー連中は20世紀フォックスに謝れよな。

今回は邦題から「ドリーム」をチョイス。
ブランデー40ml、オレンジ・キュラソー20ml、ぺルノ1dashを、氷と共にシェイクしてグラスに注ぐ。
コクのある甘味のブランデーとオレンジの風味が組み合わさり、ぺルノが両方を引き立てる。
ゴージャスな味わいの甘口のカクテルだ。

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