酒を呑んで映画を観る時間が一番幸せ・・・と思うので、酒と映画をテーマに日記を書いていきます。 映画の評価額は幾らまでなら納得して出せるかで、レイトショー価格1200円から+-が基準で、1800円が満点です。
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ショートレビュー「雨の日は会えない、晴れの日は君を想う・・・・・評価額1650円」
2017年02月23日 (木) | 編集 |
人生の「中身」を確かめたい。

「ダラス・バイヤーズクラブ」「私に会うまでの1600キロ」など、どん底に落ちた人間たちの逞しい復活劇を得意とするジャン=マルク・ヴァレ監督と、怪優ジェイク・ギレンホールが初タッグを組んだヒューマンドラマ。
ある日突然、それまでの人生が吹き飛んだら、人間はどうなるのか。
ギレンホール演じるディヴスは、コネ入社した妻の父が代表を務めるウォール街の投資銀行で順調に出世し、何不自由ない生活を送っている。
しかしある朝、妻の運転する車に乗っていた二人は交通事故に遭い、ディヴスは助かったものの妻は亡くなってしまう。

突然の事故で妻を亡くしたのに、「悲しくもなんともない」という物語の起点は、去年の「永い言い訳」と一緒。
ただ、発端となる心の状態は同じでも、その理由と物語の展開は全く異なる。
あの映画のモッくんは、妻が事故死した時に愛人を家に引っ張り込んでいるような最悪な奴で、ベースにあるのはタイトルが示唆するように贖罪意識。
対して、本作のギレンホールは別に不貞を働いているわけでも、妻との仲が破綻してるわけでもない。
ただ、いつも当たり前に存在していた妻がいなくなったのに、涙すら流すことが出来ない自分自身に戸惑い、自分は本当に妻を愛していたのか、結婚生活とは何だったのか、それまでの人生の中身を改めて確かめなければ、前へ進めなくなってしまうのである。

そして彼は、人生を文字通りに解体し始める。
生前の妻が「故障しているから直して」と言っていた冷蔵庫を切っ掛けに、会社のパソコン、トイレの個室、ついには自宅まで重機でバラバラにしてしまう。
だから原題は「DEMOLITON(取り壊し)」
ただこれは、あくまで再生のための破壊。
劇中のセリフにもあるが、全てはメタファーだ。
冷蔵庫は知らなかった妻の心の中身、パソコンは実体のない数字を扱う仕事の中身、そしてトイレの個室は自分自身、家は結婚生活そのもの。
テレビに映し出されるニホンザル、廃棄される予定のメリーゴーランド、妻の残したメモ用紙。
細かく設定されたシャレードの配置と、小道具の使い方の上手さに唸る。

「永い言い訳」のモッくんが、竹原ピストルの家族との関わりを通して心の平穏を取り戻してゆくように、本作でもナオミ・ワッツが好演するカレンと、自分はゲイではないかと悩むジュダ・ルイス演じる息子クリスとの交流が、ディヴスにとって大きな転機となる。
もっとも、竹原ピストルはモッくんとは真逆のキャラクターだったが、カレンとディヴィスはどちらかといえば似た者同士。
だから疑似家族の二人の父親とは異なり、友達以上恋人未満で心のうちを明かせる同士に近く、微妙な距離感を保ったのがいい。
カレンとクリスの精神的な後押しもあって、十分な創造的破壊の後、ディヴスはようやく喪失を実感し、亡き妻のために彼なりの喪の仕事をすることで、人生を前に進めることが出来るのだ。
人間の弱さと、人を想う気持ちの切なさにそっと寄り添う、詩情豊かな佳作である。

突然の人生の転機に心が対応できず、傍目には狂気にも見える破壊衝動に突き動かされるディヴスを演じるジェイク・ギレンホールが相変わらず素晴らしい。
この穏やかだけど、どこかいっちゃってるキャラクターは、彼に合わせて当て書きされたようにピッタリだ。
癖のある俳優の魅力を巧みに引き出すジャン=マルク・ヴァレは、ハイレベルの安定が続く。
今年は「私に会うための1600キロ」のリース・ウィザースプーンと再タッグを組んだ「Big Little Lies」 、エイミー・アダムズ主演の「Sharp Objects」の2本のTVシリーズを手がけるようだが、こちらも楽しみだ。

今回は主人公夫婦がロング・アイランドに住んでいるので、この島の名を持つカクテル「ロング・アイランド・アイスティー」をチョイス。クラッシュド・アイスを入れたグラスに、ドライ・ジン15ml、ウォッカ15ml、ホワイト・ラム15ml、テキーラ15ml、ホワイト・キュラソー15ml、レモン・ジュース15ml、コーラ適量を注ぎ、ステアする。
お好みでレモンスライスとチェリーを飾って完成。
やたら材料の種類が多いカクテルで、アイスティーと言いつつも紅茶は一切使われていない。
適度に甘口で飲みやすいが、ハードリカーの集合体なのでアルコール度数は高い。

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サバイバルファミリー・・・・・評価額1700円
2017年02月19日 (日) | 編集 |
世界から“電気”が消えたなら。

毎回作品のモチーフ選びがユニークな矢口史靖監督が、今回俎上に上げるのは突然電気が消滅してしまった世界
全ての都市機能が止まった東京から脱出し、生きるために最果ての田舎を目指すとある一家の冒険を、半分シリアス半分コミカルに描いたサバイバルロードムービーだ。
本作はまた、お父さんは仕事中毒、子供達はスマホが命、お母さんは魚すら捌けない、典型的な現代日本の核家族が、もしも電気の無い世界へ放り込まれたらどうなるのか? というシミュレーションSFでもある。
3.11が垣間見せた、現代文明の源である電気使えない状況の更にその先では、いったい何が起こるのかという意味でも興味深い作品だ。
亭主関白なくせに頼りないお父さん役を小日向文世、お母さん役を深津絵里、息子と娘を泉澤祐希と葵わかながそれぞれ演じる。
※ラストに触れています。

東京のマンションで暮らす鈴木家は、経理の仕事をしてる父親の義之(小日向文世)、専業主婦の光恵(深津絵里)、大学生の賢司(泉澤祐希)、高校生の結衣(葵わかな)の四人家族。
当然のように便利な家電やネットツールに囲まれた生活を送っていたある日、原因不明の電気消失が起こり、あらゆる電化製品が使えなくなってしまう。
停電だけでなく、乾電池すら機能せず、何の情報も無いまま時間だけが過ぎ、東京は次第に荒廃してゆく。
水や食料も手に入り難くなり、少しずつ人々の姿が街から消えてゆく中、義之は家族を連れて光恵の実家がある鹿児島を目指すことを決意する。
なんとか人数分の自転車を手に入れ、一家は西を目指して出発するのだが、それはいつ終わるとも知れない苦難の旅の始まりだった・・・



突然、世界から電気が消える。
まあリアルにシミュレーションすれば、電気が消えた段階で世界中の全原発がメルトダウンして少なくとも北半球は壊滅。
もっと厳密に考えるなら、私たちの脳細胞も電気信号でやりとりしているワケで、その瞬間地球上の高等生物は全て死に絶えるはずなのだが、そこはあくまでも映画。

序盤は、3.11後の混乱を思わせる既視感のある展開。
ただ、コンセントだけでなく電池やバッテリーも使えない設定なので、テレビやラジオ、ネットも不通、自動車も動かないから一切の情報が入らないという点で、震災当時よりも不安感が強いシチュエーションだ。

しかもその状態のまま何日経っても復旧することはなく、物流が完全にストップした都市社会は徐々に崩壊してゆく。
物が届かないのだからハイパーインフレが起こり、次は貨幣が価値を失い、物々交換の原始的経済に逆戻り。
地域のコミュニティが、あくまで地元に留まって自分たちの街を守ろうという意見と、もはや街を捨てて脱出するしかないという意見で対立するのも、3.11で見た風景だ。
鈴木家が、まるで夜逃げするかのようにコソコソと出発するのが、いかにも世間体を重視する日本社会らしい。


もちろん、電気は無いよりもあった方がいいが、消えてしまって見えるものもある。

矢口監督の前作「WOOD JOB! 神去りなあなあ日常」は、都会の若者がど田舎の生活を通して、本当の人生に目覚めてゆく話だったが、本作はもっと極端な状況に都会人の鈴木一家を追い込み、丸裸にする。
家長としてのプライドだけは高く、現実には何も出来ない平凡な男であることを思い知らされる義之は、余裕しゃくしゃくで事態を楽しんでいる様な時任三郎と藤原紀香のサイクリスト一家と出会った時には、まだ見栄を捨てきれない。
しかしその後、幾つもの困難を超える頃には、ちょっと頼りないものの決断力のあるリーダーへと変貌している。
生魚すら触ることを嫌がっていた光恵や結衣、片思いの相手を物陰から見守ることしかできなかったヘタレの賢司も、生きるために動物の命を奪うことにもはや躊躇しない。
彼らは、生と死に直面する極限の旅を通して、時にぶつかり合いながらも次第に結束し、生物として覚醒してゆくのである。

典型的な日本の核家族を主人公として、一家四人でのサバイバルという設定が秀逸。

この映画を観る観客は誰であっても、四人それぞれのキャラクターに感情移入し、自分に置き換えて考えることができるだろう。


偶然だろうが、「この世界の片隅に」に似た描写が多いのも面白い。
戦争と電気消失と原因は異なるが、日常が非日常に塗り替えられてゆく中、最初は何も分からなかった主人公が、他人の助けによって野草の食し方や冷蔵庫の無い時の肉の保存法を学ぶシチュエーションは既視感がある。
電車が動かないので再登板した蒸気機関車に乗車中、トンネル内で煙る描写などもお約束だがほぼ同じ。
電気が戻って街にポツポツと明かりが灯るところも、戦後灯火管制が解かれて呉の街に明かりが広がってゆくシーンを思い出した。
また、どちらの映画も意図して人間を優しく描く
もし現実に映画のように戦争や文明崩壊が起こったら、自分だけが生き残ろうとしたり、残された物資を力で抑えようとする利己的な人間も出てくるだろう。
しかし「この世界の片隅に」で主人公のすずさんは、戦争という形のない暴力に打ちのめされるものの、彼女の周りには悪意の人はいないし、この映画でも鈴木家は助けられこそすれ、誰かによって苦しめられることはないのである。
どこまで行けば、人間のコミュニティは完全に崩壊するのか。
純粋なシミュレーションと考えれば甘いのだろうが、困難な状況にあっても「人間はこうありたい」という希望のドラマを描くというスタンスならば、私はこれで良いと思う。


しかし後ろに座ってたおっさんが、終わった時にボソッと「東電のCM映画だな」と言ったのには「そういう受け取り方もあるのか」とびっくり。

なぜなら本作は電気文明の恩恵を描いた作品ではなく、電気があることで、普段気付くことが出来ないものを描く作品だからだ。
二年半の電気無し生活の末に、消えた時と同じように突然電気が戻った時、鈴木家の面々の喜ぶでもなく、悲しむでもなく、何とも言えない戸惑いの表情がとても印象的。
失って得たものがあることを知ってしまった以上、現代の消費文明は既に彼らにとって必ずしも100%の肯定すべきものではないのである。
だから、映画の中で一度滅びかけて再生された文明は、ほんの僅かでもベターな方向へ進んでいるはず。
たとえそれが希望的予測だとしても、人間はそうであって欲しい。
エンターテイメントとしてよく出来ているだけでなく、私たちの生き方に対して興味深い問いかけを含む力作である。

今回は鹿児島に到着したら飲みたい酒、鹿児島市に本拠を置く本坊酒造の地ウィスキー「マルス エクストラ」をチョイス。
1949年にブレンド販売を開始し、1960年に山梨にウィスキー蒸留所を開き自社生産に移行、現在では信州蒸留所と薩摩半島南端の津貫蒸溜所を持つ。
一升瓶入りがユニークなエクストラはCPの高いブレンデッドで、比較的ライトで甘みが強いのが特徴。
個人的にはライバルのトリスなどと同じく、ハイボールで飲むのが一番のオススメ。

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ショートレビュー「ニュートン・ナイト 自由の旗をかかげた男・・・・・評価額1600円」
2017年02月15日 (水) | 編集 |
自由の民として、生きる。

南北戦争下のミシシッピ州、ジョーンズ郡。

戦死した甥の遺体を母親に届けるために南軍を脱走し、やがて沼地の奥に脱走兵と逃亡奴隷のサンクチュアリを作った男の物語。
更に彼は貧しい農民たちと手を組んで、収穫物を徴用しようとするアメリカ連合国(南部連合)の命令を拒否。

当然南軍は討伐のために騎兵隊を送り込んでくるのだが、地の利を生かして返り討ちにするばかりか、“ジョーンズ自由州”という半独立国を作り上げてしまう。

なんだか「地獄の黙示録」のカーツ大佐みたいな設定だけど、主人公のニュートン・ナイトは実在の人物だ。
もっとも、この人に関しての記録は虚実が入り乱れて半分神話化しており、どこまでが真実なのかは謎の部分が多く、史実をモチーフにした寓話と見るべきだろう。


異端の白人が迫害された黒人たちを率いるという物語は、一見すると白人の救世主が苦境にある有色人種を解放する、典型的な“White Savior話型”の様にも見える。
しかし、脚本も手掛けるゲイリー・ロス監督は、この人物をもう少し複雑に造形する。
ナイトは逃亡奴隷の庇護者というわけではなく、自らも脱走兵であり、貧しい農民であり、南部連合という国家権力によって搾取される存在。
本来奴隷制度を必要としているのは、広大な農園を持つ金持ちだけであって、僅かな土地を耕す大多数の農民たちにとっては、関係のない戦争に駆り出され命を落とすという理不尽さに対する憤りが原点にある。
誰かに支配される人生ではなく、自由に尊厳を持って生きたいという共通の目標に向かって、逃亡奴隷や農民たちと共闘するうちに、ナイトは白人とか黒人とかの人種を超えた「金持ちに虐げられた土着の農民」という一つの“民族集団”を作り上げるのだ。


だからこの物語の核心は、南北戦争の終わりと同時に彼らが共通の目標を失って、民族集団として瓦解してゆく終盤にある。

終戦は終わりでなく、別種の苦難の始まりにすぎない。

奴隷解放によって生まれた新たな葛藤は、戦争中の様に激しく表に出ない分、弱き者により過酷にのしかかる。

戦争によって一時的に追放されていた既得権層の復活と抵抗、差別感情が地下に潜ったことによるKKKの勃興、巧妙に制度化される人種差別。

映画は1862年から1877年までのニュートン・ナイトの半生と、85年後に彼の子孫の身に起こったある出来事を平行に描く。

歴史の中の二つの点は、映画の物語によって一つの時間軸で結ばれ、一世紀に及ぶ合衆国の長い、長い闘争の歴史を紐解くのである。

しかし貧しい白人たちが反乱を起こし、一旦は勝利したかに見えるが、政治家の二枚舌によってハシゴを外されるってどこかで聞いた話だ。

対立の構図は大きく異なるものの、ニュートン・ナイトの葛藤はいまだ現在進行形。

かなり変則的な筋立てのバランスは良いとは言えないが、アメリカ史を考える上でユニークな視点をくれる力作である。

今回はナイトが生きた時代、1874年にミシシッピ川河口のニューオーリンズのバーテンダー、マーティン・W・ヘロンによって考案されたリキュール「サザンカンフォート」をチョイス。
中性スピリッツに、ピーチをはじめとした数種のフルーツ、ハーブのエキスを加えて作られる。
スカーレット・オハラやシシリアン・キッスなどのカクテルのベースとしても有名だが、ここはシンプルにライムトニック割りで。
トニックウォーターのほろ苦さとライムの酸味が、サザンカンフォートの優しい味わいを引き立ててくれる。

ちなみにナイトの物語は、1948年にも「砂塵」で知られるジョージ・マーシャル監督によって「Tap Roots」として映画化されている。
日本未公開だが、相当に脚色されていて、70年後の本作と観比べると面白い。

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ミス・ペレグリンと奇妙な子どもたち・・・・・評価額1650円
2017年02月12日 (日) | 編集 |
ミス・ペレグリンの屋敷は、何を象徴しているのか?

異才ティム・バートン監督の最新作は、特殊能力を持った子どもたちが暮らす屋敷を訪れた孤独な少年が、迫り来る超常の危機に直面し、自らの宿命に立ち向かう物語。
すっかり成長したエイサ・バターフィールドが、主人公のジェイクを好演。
子どもたちの守り手である屋敷の主人、ミス・ペレグリンをエヴァ・グリーンが演じる。
原作は短編映画作家でもあるランサム・リグズが、収集していた古い写真などの遺物から着想したというファンタジー小説「ハヤブサが守る家」だが、設定にはなんとなく既視感が。
そう、「X-MEN」シリーズに出てくる、外の世界では偏見と迫害にさらされるミュータントたちのサンクチュアリ“恵まれし子らの学園”的物語を、バートン流に作るとこうなるのだろう。
※核心部分に触れています。

現在のフロリダに住む孤独な少年ジェイク(エイサ・バターフィールド)は、唯一の理解者だった祖父のエイブ(テレンス・スタンプ)が怪物に殺されるのを目撃。
エイブの残した言葉に従って、彼の思い出の地であるウェールズのケルン島を訪れ、永遠にループする24時間の時空に隠された、奇妙な屋敷を見つける。
そこはハヤブサに変身することが出来るミス・ペレグリン(エヴァ・グリーン)を守護者に、空中浮遊出来る少女や、透明人間の男の子、常に袋を被った双子に、無機物に命を吹き込むことのできる少年、後頭部に鋭い歯を持つもう一つの口がある女の子ら、奇妙な子どもたちが暮らす秘密境。
ここの時間は1943年の9月3日を永遠に繰り返すことで、外の世界から守られているのだが、子どもたちの目を食べようとする怪物”ホローガスト”を率いる、バロン(サミュエル・L・ジャクソン)という男に狙われている。
エイブは少年時代をここで過ごし、やがてホローガストと戦うために、ループを出て行ったという。
実は、普通の人間は時のループを通ることができず、ジェイクもまた自分がエイブから受け継いたある特殊な能力を持った”奇妙な子ども”であることを知る・・・・

ここしばらく原点回帰路線が続いているバートン作品だが、本作もその傾向が強い。
ホラ吹き爺さんの話を追っていったらホントだった!というのは、私的バートンのベスト「ビッグ・フィッシュ」を思わせるし、「シザーハンズ」や「フランケンウィニー」と同じく、一般社会では生きられない優しき異形の者たちへの愛が溢れ出す。
「トイ・ストーリー」のシドが作っていた様な、命を吹き込まれた不気味なオモチャのコマ撮りバトルやら、クライマックスにワラワラと現れるガイコツ兵士など、ハリーハウゼンへの熱いリスペクトを含め、バートンの好きなもの全部入り、大人気ない大人の夢のオモチャ箱といった映画だ。
因みにガイコツ兵士は原作には登場しないのだが、どうしても出したくなって加えてしまったらしい(笑

ミス・ペレグリンの能力によって、24時間の無限ループの中で生きる奇妙な子どもたちを、彼らを狙う悪漢と怪物から守る筋立てに、ジェイクが自分の居場所を見つける成長物語を組み合わせる骨子はシンプル。
だがこれは時間SFの要素もあるので、ディテールは少しややこしい。
設定では、世界のあちこちに時間ループに隠された秘密境が存在していて、それぞれの場所の時間はループが作られた時代に留め置かれる。
ジェイクの生きている基本の時代設定は2016年だが、ミス・ペレグリンの屋敷のループは1943年作られたので、永遠に1943年のまま。
もし何らかの事態が起こりループが閉じると、その時点から時が動き出す。
逆に過去の時代から、未来のループに入ることもできるのだけど、その場合子どもたちは“時間に追いつかれて”年老いてしまうので、未来に留まれるのは僅かな時間のみなのだ。
物語の終盤は、動き出した1943年と2016年に作られたループを行ったり来たりするので、「え―と、いまはどっちの時代の時空?」とちょっと混乱する。
もっとも、パラドックスの部分はかなり強引だけど、世界観がリアルなSFというよりもファンタジーよりなのでそれほど気にはならない。
クライマックスのミス・ペレグリンの救出劇プラス、悪漢バロンとホローガストとの戦いのシークエンスは、それぞれの持つ能力もちゃんと生かされている。
双子の一発芸には笑ったが、彼らが一般社会で暮らせない理由である“不自由な能力”が“自由をもたらす武器”となる展開は胸のすくようだ。

しかしこの映画は、単にバートン好みのフリークスたちが、アドベンチャーを繰り広げるだけの映画ではない。
本作のファンタジー設定の裏側には、巧妙に戦争と迫害にまつわる暗喩が隠されているのである。
物語の発端となるエイブが、ナチスに占領されたポーランドから逃げて、ウェールズにやって来たユダヤ人という設定がキーだ。
記憶に新しいドキュメンタリー映画「ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち」で描かれいたように、英国はヨーロッパ大陸で迫害されていたユダヤ人の子どもたちを難民として受け入れていた。
おそらく、エイブもまた英国に逃れることができた、幸運なユダヤの子だったのだろう。
エイブはエイブラハムの短縮形で、旧約聖書でユダヤ人の祖とされるアブラハムの英語読み。
ジェイクも聖書の登場人物でアブラハムの孫、ヤコブの英語読み短縮形だ。
ここまで揃えば、エイブとジェイクにしか見えない怪物ホローガストが、具現化された"ホロコースト”であることは明らかだろう。
つまりエイブとジェイクは全てのユダヤ人の象徴であり、迫害される子どもたちのための隠れ家であるミス・ペレグリンの屋敷の物語は、第二次世界大戦中にユダヤ人の子どもたちを襲った出来ごとの映画的再現であり、メタファーなのである。
ユダヤの教義では汚れた生き物とされる、ハヤブサが子どもたちの守り手であることも、出自に対する不寛容の否定と考えると納得だ。
ちょっとダークなファンタジーを通して、歴史上の悲劇を反転させ、多様性と寛容を語る試みは成功していると思う。

ひとつ引っかかるのは、ケルン島のループの年代設定。
劇中で屋敷に爆弾が落ちるのは1943年の9月3日の夜中。
しかし、この時期にはもうドイツ軍の襲撃はかなり散発的になっていたはずで、東海岸や内陸ならいざ知らず、映画のように何の戦略目標も無さそうなウェールズの西の果ての離島くんだりまで来ることはありえないのではないか?と思って調べてみると原作でループが作られるのは1940年の9月3日じゃないか。
これなら、英国本土上陸を狙ったドイツが英国を猛爆撃したバトル・オブ・ブリテンの真最中だから、まだ可能性がある。
ならばなぜ考証を崩してまで3年も時期をずらしたのか、何か理由があるはずなのだけど、少なくとも映画を観ただけではよくわかない。
何かにまつわる日だとしても、なにしろ戦争中で毎日何かしら起こっているし、この日の最大の事件たる連合軍のイタリア本土侵攻は、映画の内容とはあまり関係ない。
唯一思い至ったのは、ジェイクが1943年に戻るための旅路の途中、1942年に海軍に入ったというエピソードとの整合性を取るためだけど、タイムパラドックスを重視した脚色とは思えないので、その可能性も薄そうだ。
「1943年9月3日」は、とりあえずバートンからの謎かけとして頭の隅に置いておこう。

今回はダーク・ブルーの衣装を纏ったミス・ペレグリンのイメージで、「ブルー・レディ」をチョイス。
ブルー・キュラソー30ml、ドライ・ジン15ml、レモン・ジュース15ml、卵白適量を強くシェイクしてグラスに注ぐ。
卵白の細かい泡が、口当たりをとても柔らかくしている。
ブルー・キュラソーのオレンジ風味とジンの清涼感のマッチングもよく、フルーティで優しい味わいのカクテルだ。

ところで、爆弾が落ちる瞬間に時間を巻き戻し、永遠の無限ループを生きるという設定は萩尾望都の傑作短編「金曜の夜の集会」と同じ。
何度も繰り返すうちに、少しずつ変化が起こるのもよく似ている。
まあ、あっちは1年でこっちは1日だけだし、偶然なんだろうけど。

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ショートレビュー「ドクター・ストレンジ・・・・・評価額1650円」
2017年02月08日 (水) | 編集 |
“手術”で救う、“魔術”でも救う。

いやコレは面白い!

事故で両手の自由を失った外科医スティーヴン・ストレンジが、わらをも掴む想いで、魔術の世界に足を踏み入れる。
そこで、この世界を狙う異次元“ダークディメンション”の力に魅せられた、闇の魔術師たちと戦うことになるのである。

まるでハリポタとジェダイが合体したような世界観で、闇の力を使うとダークサイドに堕ちるあたりもそれっぽい。

しかし全体としては、ちゃんとMCUの一編として違和感なく落ち着くのだから、ディズニーのクオリティ・コントロールは鉄壁だ。
どちらかと言えばホラー畑の印象が強いスコット・デリクソン監督は、意外にもかなりコミカルにこの作品を仕上げている。


原作シリーズは未読だが、物語的にはそれほど新味は無い。
というか映画版の基本要素は、同じMCUの「アイアンマン」の焼き直しだ。
天才で金持ちの傲慢な男が肉体的な挫折を味わい、失った機能を取り戻すために未知の領域に足を踏み入れる。
テクノロジーオタクのトニー・スタークの場合は超科学で、人体を扱う仕事をしていたストレンジの場合は、人間の可能性の中に眠る魔術というワケ。
更にパワードスーツの代わりに、相棒となる“浮遊マント”の存在もある。
「アイアンマン」との一番の違いは、ジェダイ的メンターとしてのティルダ・スウィントンの存在があるから、師匠のおかげでスタークよりは性格が矯正されること(笑
例によってプロットは良い意味である程度大味で、ド素人のストレンジもそれほど苦労せずに魔術をマスターしちゃったりするのだけど、スピーディーな展開は見せ場の釣瓶打ちで飽きさせない。

この映画の最大の魅力は、様々な魔術の映表現の予想を超えた未見性にある。
魔術使いは、肉体と魂を分離した“アストラル体”となったり、現実世界を模した“ミラー次元”を出現させたり、さまざまな超常の力を持つのだが、特にこのミラー次元の描写が凄い。

都市が折れ曲がる描写は「インセプション」にもあったが、こっちではねじれたり、切れたり、合体したり、変形したり、まるで目まぐるしく姿を変える3次元の万華鏡の様な、驚くべき世界が目の前に出現する。
この幾何学的な魅惑の映像を味わうには是非とも3Dで、出来ればIMAXや4DXがおススメだ。

そして、ストレンジがダークディメンションの侵攻を止めるためにとる方法が、究極的な自己犠牲であることも、“ミスター”ではなく、あくまでも“ドクター”と呼ばれることに拘り、他のヒーローと違って敵の命を奪うことにジレンマを感じる、ストレンジの個性を際立たせる。
主演のベネディクト・カンバーバッチは、このユニークなヒーローのキャラに見事なハマりっぷりで、これからソーと共にMCUファンタジーセクションの両輪として活躍してくれるに違いない。
二人の共演がアナウンスされている「ソー/ラグナログ」が今から楽しみだ。

一連のMCU作品の中でも、かなり上位に位置する快作である。

今回は観た人には分かる理由でビール。
ストレンジはニューヨークの人なので「ブルックリン・ラガー」にしよう。
禁酒法以前の、ドイツ系醸造所で作られていたウィンナースタイルをイメージしたビールは、比較的ドライでしっかりとしたコクもある。
フルーティな香りはいかにもアメリカ人好みだ。
のんべえとしては、あの魔術だけでいいからマスターしたい(笑

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