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2009年11月07日 (土) | 編集 |
猫ちゃんはやめてぇ〜!
・・・いやはや、自らの映画的記憶の故郷へと回帰したサム・ライミの、何と楽しげな事か。
冒頭の一昔前のユニバーサル映画のマークから、怪しげな悪魔祓い、「Drag me to hell」といういかにもなタイトルという一連の流れで、もうこの映画の狙いは明確だ。
リアルに怖がろうなんて思ってはいけない。
これは大音響でびっくりさせ、悪趣味なやり過ぎ描写が笑いを誘う、古典的なB級ホラーの現代版、あるいはパロディと言っても良いだろう。
さすがに出世作「死霊のはらわた」ほどどぎつい描写はないが、おそらくライミが子供の頃に親しんだのであろう6、70年代コミックホラー調のテイストはテンポも快調で、遊園地のファンハウスのノリで一時間半楽しめば良い。
クリスティン・ブラウン(アリソン・ローマン)は、昇進を間近に控えた銀行の融資担当者。
ある日彼女は、ジプシーの老婆、ガーナッシュ婦人(ローナ・レイヴァー)からの住宅ローンの返済猶予の願いを却下する。
すると怒ったガーナッシュ婦人は、駐車場でクリスティンを襲撃し、彼女のボタンを奪うと不気味な呪文をつぶやく。
するとその日から、彼女の周囲には怪奇現象が続発する様になる。
クリスティンを霊視した霊媒のラム・ジャス(ディリープ・ラオ)は、彼女には強力な魔神ラミアの呪いがかけられており、三日後に魂を奪われるという・・・
実にライミらしい話である。
主人公のクリスティンは、一言で言えば「良い人」だ。
真面目でコンプレックスを抱え、小さな幸せを何とか掴もうと努力もしている。
だがそんな彼女が、ただ一度だけ無慈悲な選択をしてしまったばかりに、地獄へ続く恐怖の三日間に叩き落される事になる。
不条理な話ではあるものの、ホラー映画的には実に王道の展開である。
確か「死霊のはらわた」の一作目が日本公開されたときだと思うのだが、ライミの考えるホラー映画の三か条みたいなものが雑誌に紹介されていた。
そのうちの二つは忘れてしまったが、残りの一つは確か「善良な人は罰せられねばならない」だったような。
「3」で製作費がついに2億5千万ドルを越えた「スパイダーマン」の様な超大作を作り続けるのに疲れたのか、製作費3千万ドル程度の小品である本作は、色々な意味で原点回帰であり、「健全なサム・ライミ」なのだろう。
クリスティンを演じるアリソン・ローマンが良い。
奇麗な人なんだけど、どこか田舎っぽいイモ姉ちゃんの雰囲気があって、農家出身で昔太っていたというコンプレックスのある役にフィットしている。
元々この手の映画の主役というのは、メジャーの超大作の主役を張るにはちょっと・・・というくらいの容姿の人がちょうど良いもので、彼女は正にぴったり。
落ち込んでアイスクリームをバケツ食いする女なんていう古典的でステキなギャグが似合う女優なんて、なかなかお目にかかれるものではない。
叫びっぷりも良く、たぶんローマンにはホラーのオファーが殺到するだろう。
新スクリーミング・クィーンの誕生である。
彼女と、ローナ・レイヴァー扮する怪人ならぬ「怪婆」、ガーナッシュ婦人の駐車場バトルは正にライミ節が炸裂したイタ可笑しい見せ場になっている。
蹴られようが、ダッシュボードに激突しようが、顔面にホチキス喰らってもなお襲ってくる最強婆さんとの戦いは、殆ど懐かしの死霊VSアッシュの戦いの様だったよ(笑
日本映画の影響が見られるのも、Jホラーにも早くから着目し、「呪怨」のハリウッド版をプロデュースしたりしているホラーオタクのライミならでは。
この作品のアイディア自体はかなり以前に考えられていたらしいが、呪いに三日間というタイムリミットを設定した事、そして終盤に判明する呪いを解く方法と、それを知った主人公の葛藤の元ネタは、まず違いなく「リング」からの発想だろう。
ラミアの影に襲われるあたりは「スウィートホーム」か。(まあ影が襲って来る映画は他にもあったけど)
古今東西のホラー映画が、ライミの映画的記憶の中に、ごった煮的に表現されているのもこの映画の魅力で、この人は心底こういう映画が好きなんだというのが伝わってくる。
もっとも、個人的には大好きな作品だが、映画そのものは結構観る人を選ぶと思う。
勿論、単に暇つぶし目的の人がこの映画を観ても、普通に面白いとは思うのだが、真に楽しめるのは、かなり古典的なホラー映画を観込んでいるマニア。
これは決してストレートなホラー映画ではないし、ロッテントマトなどでの高評価はB級ホラーを良く知ってる人たちがマニアックに評価しているからだろう。
全米興行収入が4千万ドルと、評価のわりに平凡な結果なのが作品の性格を物語っていると思う。
その意味で、古典映画のファンの少ない日本では、なお更海外ほどの評価を得ることは無いだろう。
熱烈な映画マニア、というかホラーマニアにこそお勧めの一本だ。
久々の古巣がよほど楽しかったのか、ライミの次回作は自主映画から通算すると、通算5作目となる「死霊のはらわた」のリメイクだという。
当初は監督しないと伝えられていたが、結局自身でメガホンを取る様だ。
どうやらアッシュは出てこない、旧作とは違った物語となるらしいが、2010年の公開を楽しみに待ちたい。
しかしこの全く意味不明の酷い邦題は何とかならなかったのか。
そもそもどこから「スペル」って発想したのよ?(苦笑
こんな邦題を考えるのもどうかしてるが、これでOKになってしまうのも信じがたい。
今の日本でこの手の作品のマーケットは期待できないにしても、もうちょっと宣伝で作品の魅力を伝えて欲しかった。
今回はラベルのイラストがライミの映画に出てきそうな、コンパスボックス社のスコッチウィスキー「ピートモンスター」をチョイス。
ピートの怪物が作り上げる美味しいウィスキー。
スモーキー&スパイシーながら、柔かいフルーティーさもあり、こちらは飲み手を選ばない良質な酒である。
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・・・いやはや、自らの映画的記憶の故郷へと回帰したサム・ライミの、何と楽しげな事か。
冒頭の一昔前のユニバーサル映画のマークから、怪しげな悪魔祓い、「Drag me to hell」といういかにもなタイトルという一連の流れで、もうこの映画の狙いは明確だ。
リアルに怖がろうなんて思ってはいけない。
これは大音響でびっくりさせ、悪趣味なやり過ぎ描写が笑いを誘う、古典的なB級ホラーの現代版、あるいはパロディと言っても良いだろう。
さすがに出世作「死霊のはらわた」ほどどぎつい描写はないが、おそらくライミが子供の頃に親しんだのであろう6、70年代コミックホラー調のテイストはテンポも快調で、遊園地のファンハウスのノリで一時間半楽しめば良い。
クリスティン・ブラウン(アリソン・ローマン)は、昇進を間近に控えた銀行の融資担当者。
ある日彼女は、ジプシーの老婆、ガーナッシュ婦人(ローナ・レイヴァー)からの住宅ローンの返済猶予の願いを却下する。
すると怒ったガーナッシュ婦人は、駐車場でクリスティンを襲撃し、彼女のボタンを奪うと不気味な呪文をつぶやく。
するとその日から、彼女の周囲には怪奇現象が続発する様になる。
クリスティンを霊視した霊媒のラム・ジャス(ディリープ・ラオ)は、彼女には強力な魔神ラミアの呪いがかけられており、三日後に魂を奪われるという・・・
実にライミらしい話である。
主人公のクリスティンは、一言で言えば「良い人」だ。
真面目でコンプレックスを抱え、小さな幸せを何とか掴もうと努力もしている。
だがそんな彼女が、ただ一度だけ無慈悲な選択をしてしまったばかりに、地獄へ続く恐怖の三日間に叩き落される事になる。
不条理な話ではあるものの、ホラー映画的には実に王道の展開である。
確か「死霊のはらわた」の一作目が日本公開されたときだと思うのだが、ライミの考えるホラー映画の三か条みたいなものが雑誌に紹介されていた。
そのうちの二つは忘れてしまったが、残りの一つは確か「善良な人は罰せられねばならない」だったような。
「3」で製作費がついに2億5千万ドルを越えた「スパイダーマン」の様な超大作を作り続けるのに疲れたのか、製作費3千万ドル程度の小品である本作は、色々な意味で原点回帰であり、「健全なサム・ライミ」なのだろう。
クリスティンを演じるアリソン・ローマンが良い。
奇麗な人なんだけど、どこか田舎っぽいイモ姉ちゃんの雰囲気があって、農家出身で昔太っていたというコンプレックスのある役にフィットしている。
元々この手の映画の主役というのは、メジャーの超大作の主役を張るにはちょっと・・・というくらいの容姿の人がちょうど良いもので、彼女は正にぴったり。
落ち込んでアイスクリームをバケツ食いする女なんていう古典的でステキなギャグが似合う女優なんて、なかなかお目にかかれるものではない。
叫びっぷりも良く、たぶんローマンにはホラーのオファーが殺到するだろう。
新スクリーミング・クィーンの誕生である。
彼女と、ローナ・レイヴァー扮する怪人ならぬ「怪婆」、ガーナッシュ婦人の駐車場バトルは正にライミ節が炸裂したイタ可笑しい見せ場になっている。
蹴られようが、ダッシュボードに激突しようが、顔面にホチキス喰らってもなお襲ってくる最強婆さんとの戦いは、殆ど懐かしの死霊VSアッシュの戦いの様だったよ(笑
日本映画の影響が見られるのも、Jホラーにも早くから着目し、「呪怨」のハリウッド版をプロデュースしたりしているホラーオタクのライミならでは。
この作品のアイディア自体はかなり以前に考えられていたらしいが、呪いに三日間というタイムリミットを設定した事、そして終盤に判明する呪いを解く方法と、それを知った主人公の葛藤の元ネタは、まず違いなく「リング」からの発想だろう。
ラミアの影に襲われるあたりは「スウィートホーム」か。(まあ影が襲って来る映画は他にもあったけど)
古今東西のホラー映画が、ライミの映画的記憶の中に、ごった煮的に表現されているのもこの映画の魅力で、この人は心底こういう映画が好きなんだというのが伝わってくる。
もっとも、個人的には大好きな作品だが、映画そのものは結構観る人を選ぶと思う。
勿論、単に暇つぶし目的の人がこの映画を観ても、普通に面白いとは思うのだが、真に楽しめるのは、かなり古典的なホラー映画を観込んでいるマニア。
これは決してストレートなホラー映画ではないし、ロッテントマトなどでの高評価はB級ホラーを良く知ってる人たちがマニアックに評価しているからだろう。
全米興行収入が4千万ドルと、評価のわりに平凡な結果なのが作品の性格を物語っていると思う。
その意味で、古典映画のファンの少ない日本では、なお更海外ほどの評価を得ることは無いだろう。
熱烈な映画マニア、というかホラーマニアにこそお勧めの一本だ。
久々の古巣がよほど楽しかったのか、ライミの次回作は自主映画から通算すると、通算5作目となる「死霊のはらわた」のリメイクだという。
当初は監督しないと伝えられていたが、結局自身でメガホンを取る様だ。
どうやらアッシュは出てこない、旧作とは違った物語となるらしいが、2010年の公開を楽しみに待ちたい。
しかしこの全く意味不明の酷い邦題は何とかならなかったのか。
そもそもどこから「スペル」って発想したのよ?(苦笑
こんな邦題を考えるのもどうかしてるが、これでOKになってしまうのも信じがたい。
今の日本でこの手の作品のマーケットは期待できないにしても、もうちょっと宣伝で作品の魅力を伝えて欲しかった。
今回はラベルのイラストがライミの映画に出てきそうな、コンパスボックス社のスコッチウィスキー「ピートモンスター」をチョイス。
ピートの怪物が作り上げる美味しいウィスキー。
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2009年10月31日 (土) | 編集 |
凄みのある映画だ。
デビュー以来、一作ごとに全く異なったジャンルの作品に挑み続けている、ポン・ジュノ監督の長編第四作はナント「母物」である。
ここに描かれるのは究極の母性愛。
とは言っても、描くテーマに対して斜めから切り込む達人であるポン・ジュノが、普通の人情物を撮るわけもなく、これは人間の心の奥底に秘められた、ドロドロとした情愛の爆発を観賞するような、シニカルで鮮烈な人間ドラマだ。
韓国の田舎町に住む青年トジュン(ウォンビン)は、漢方薬店で働く母親(キム・ヘジャ)と二人暮し。
ある夜、街で女子高生が殺されるという事件が起こり、たまたまその夜に被害者と接触していたトジュンは容疑者として逮捕されてしまう。
母の必死の訴えにも関わらず、警察はトジュンを犯人と断定し捜査を打ち切り、弁護士も匙を投げる。
誰も頼りにならないと考えた母親は、自ら事件を捜査し、真犯人を見つけようとするのだが・・・。
冒頭、いきなり映し出されるのは、ナゼか枯野で踊るおばさん(母親)。
切迫した感情を抑えつけるかの様な、張り詰めた表情で、涙を流しながら舞うその姿はなかなかにシュールで、一体これはどんな映画なのか、戸惑いと共に観客の興味を惹きつける。
物語は非常にシンプルだ。
軽い知的障害があるらしい、青年トジュンが殺人事件の犯人として逮捕される。
トジュンは“小鹿の様な純粋な目”を持った青年で、物を良く覚えられず、警察は曖昧な状況証拠からトジュンを犯人と決め付けて、捜査を終了してしまう。
知的障害者が犯人に仕立てられるというのは、大傑作「殺人の追憶」でも見られた展開だが、相変わらず韓国の警察はろくな組織に描かれていない。
これはポン・ジュノの作品に限らないので、たぶん軍事独裁政権時代以来の権力組織に対する不信感みたいな物が、韓国社会の中で未だに払拭されていないのだろう。
「身内の無実を信じる者が、たった一人で真犯人を探す」という物語の筋立ては、ミステリ物の王道の一つとも言うべき物で、特に目新しいものはない。
だがこの作品において犯人探しは、重要ではあるが物語を構成するモチーフの一つに過ぎない。
母親がトジュンのために必死になればなるほど、二人の間にある異様なまでに強固なつながりが鮮明となり、そこに浮かび上がる「母なるものの愛とは一体何か」というクエッションが本作のメインテーマと言って良い。
主人公の母親を演じるのは大ベテランのキム・ヘジャ。
韓国では誰もが「お母さん女優」というと彼女をイメージするという。
このキャラクターに特定の役名がなく、単に「母親」とされているのも、全ての母性のメタファーであるという事だろう。
映画は、死んだ女子高生の交友関係から、彼女の死の真相に迫る母親の姿をテンポ良く描いてゆく。
綿密なコンテを描き、徹底的に映像をプランニングして構成するポン・ジュノのスタイルは今回も健在で、細部まで計算された映像の作りこみは殆どアニメーションの様だ。
キャラクターのクローズアップを多用し、まるで彼らの深層意識にカメラで切り込もうとするかの様な緊張感あふれる演出は見事。
浮かび上がるのは、共依存を通り越して、殆ど一体となってしまった一組の母子の姿だ。
やがて過剰とも思われる愛情の根底には、あるトラウマがあることが明かされ、母親自身が自らの愛にすがり付く後半になると、映画は全く予想もしなかった意外な展開を見せる。
実は私は2年半ほど前に、韓国の映画関係者からポン・ジュノが次回作の準備中で、それは韓国の国民的お母さん女優を主人公としたサスペンスであるという話を聞いていた。
どうやらシナリオを読んだらしい彼に「どんな内容?」と聞くと、「う〜ん、鬼子母神みたいな話かな」という答え。
映画の前半は、なぜこれが鬼子母神なんだろうと不思議だったが、なるほど後半の展開は確かに鬼子母神の説話を思い起こさせる。
母親の愛情というのは、一般に美しい無償の愛の象徴の様に思われている。
だが、本当にそれだけなのか。
本作に描かれる母親の愛情は、おそらく本人にとっては純粋なものなのだろう。
だがポン・ジュノはその裏側に、過去の罪の意識を覆い隠すために、母親の中で異常に成長してしまった怪物の様な感情としての愛を描き、近親相姦的すら匂わせる。
そして最終的に、母親はトジュンを救うために、周囲を死と偽りの連鎖に巻き込んでしまうのだから、
周りから観れば彼女の愛は狂気そのものだ。
「母なる証明」は、人間を突き動かすもっとも強い感情である愛とは何かについての強烈で切ない物語だ。
ポン・ジュノは、一組の孤独な母子を通して、愛情という言葉に対して世間一般が抱いているステロタイプを破壊し、その本質を描き出そうとしたのかもしれない。
そう思うと、物語が進むにつれて明らかになってくる、被害者の女子高生の素顔も興味深い。
何年も殺人事件が起こっていない、田舎の小さな街。
住人の殆どが知り合いの様なこの街で、彼女が売っていたのも、別種の「愛」である事に、この作品のアイロニーがある。
母が守った無垢なる魂であるトジュンが、はたして本当に何も覚えていないのか、彼の側からの愛をどう解釈するか、作者がキャラクターへの説明的な描写をあえて避けている事もあり、こちらもまた観る者を悩ませるのである。
冒頭の感情を押し殺した様な踊りと見事にリンクする、ラストの狂乱の舞は、まるで全てを悟り、しかしそれでも生きていかねばならない母の心の悲痛な叫びの様に感じた。
果たして彼女は、辛い事や悲しい事を忘れさせてくれるツボを上手く刺せたのだろうか?
本作は文句なしの傑作だが、ポン・ジュノ作品の持つシニカルで見方によっては冷徹な視線は、ある程度好みが分かれるだろう。
例えばイーストウッド映画の場合、どんなに痛々しくて切ない物語でも、最後には人間の心の温かさや信念の強さがポジティブな印象として心に残る。
対してポン・ジュノの映画では、人間の心や行為に対して、半ば諦めの様な達観した境地を感じる。
この突き放した視線は、どちらかというと藤子・F・不二雄の大人向け漫画に近い。
どんなに愚かな行為をして、どんなに悲惨に傷ついても、未来が美しいものでなかったとしても、結局人間はそれを抱えたまま生きるしかないという人間観は、人によっては痛々しくて耐えられないと思うかもしれない。
今回は、母に飲んでもらいたい韓国の酒「百歳酒」をチョイス。
もち米をベースに漢方薬に使われる様々なハーブを配合した発酵酒。
漢方の香りが気になる人には気になるだろうが、甘めで非常にあっさりとしていて飲みやすい。
実は韓国ではかなり厳密に酒と食べ物の取り合わせが決まっていて、韓国人が日本に来ると絶対にありえないような組み合わせを韓国料理店などで見てびっくりするのだそうな。
まあマッコリとチヂミを雨の日に食べるというのは有名だが、この百歳酒には辛いコルベンイやチゲなどが合うらしい。
個人的には漢方つながりでサムゲタンなども良い感じではと思う。
そう言えば韓国のサムゲタン屋で百歳酒を見たような?
ちなみに、百歳酒と韓国焼酎を半々で割ると、五十歳酒になるという(笑
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デビュー以来、一作ごとに全く異なったジャンルの作品に挑み続けている、ポン・ジュノ監督の長編第四作はナント「母物」である。
ここに描かれるのは究極の母性愛。
とは言っても、描くテーマに対して斜めから切り込む達人であるポン・ジュノが、普通の人情物を撮るわけもなく、これは人間の心の奥底に秘められた、ドロドロとした情愛の爆発を観賞するような、シニカルで鮮烈な人間ドラマだ。
韓国の田舎町に住む青年トジュン(ウォンビン)は、漢方薬店で働く母親(キム・ヘジャ)と二人暮し。
ある夜、街で女子高生が殺されるという事件が起こり、たまたまその夜に被害者と接触していたトジュンは容疑者として逮捕されてしまう。
母の必死の訴えにも関わらず、警察はトジュンを犯人と断定し捜査を打ち切り、弁護士も匙を投げる。
誰も頼りにならないと考えた母親は、自ら事件を捜査し、真犯人を見つけようとするのだが・・・。
冒頭、いきなり映し出されるのは、ナゼか枯野で踊るおばさん(母親)。
切迫した感情を抑えつけるかの様な、張り詰めた表情で、涙を流しながら舞うその姿はなかなかにシュールで、一体これはどんな映画なのか、戸惑いと共に観客の興味を惹きつける。
物語は非常にシンプルだ。
軽い知的障害があるらしい、青年トジュンが殺人事件の犯人として逮捕される。
トジュンは“小鹿の様な純粋な目”を持った青年で、物を良く覚えられず、警察は曖昧な状況証拠からトジュンを犯人と決め付けて、捜査を終了してしまう。
知的障害者が犯人に仕立てられるというのは、大傑作「殺人の追憶」でも見られた展開だが、相変わらず韓国の警察はろくな組織に描かれていない。
これはポン・ジュノの作品に限らないので、たぶん軍事独裁政権時代以来の権力組織に対する不信感みたいな物が、韓国社会の中で未だに払拭されていないのだろう。
「身内の無実を信じる者が、たった一人で真犯人を探す」という物語の筋立ては、ミステリ物の王道の一つとも言うべき物で、特に目新しいものはない。
だがこの作品において犯人探しは、重要ではあるが物語を構成するモチーフの一つに過ぎない。
母親がトジュンのために必死になればなるほど、二人の間にある異様なまでに強固なつながりが鮮明となり、そこに浮かび上がる「母なるものの愛とは一体何か」というクエッションが本作のメインテーマと言って良い。
主人公の母親を演じるのは大ベテランのキム・ヘジャ。
韓国では誰もが「お母さん女優」というと彼女をイメージするという。
このキャラクターに特定の役名がなく、単に「母親」とされているのも、全ての母性のメタファーであるという事だろう。
映画は、死んだ女子高生の交友関係から、彼女の死の真相に迫る母親の姿をテンポ良く描いてゆく。
綿密なコンテを描き、徹底的に映像をプランニングして構成するポン・ジュノのスタイルは今回も健在で、細部まで計算された映像の作りこみは殆どアニメーションの様だ。
キャラクターのクローズアップを多用し、まるで彼らの深層意識にカメラで切り込もうとするかの様な緊張感あふれる演出は見事。
浮かび上がるのは、共依存を通り越して、殆ど一体となってしまった一組の母子の姿だ。
やがて過剰とも思われる愛情の根底には、あるトラウマがあることが明かされ、母親自身が自らの愛にすがり付く後半になると、映画は全く予想もしなかった意外な展開を見せる。
実は私は2年半ほど前に、韓国の映画関係者からポン・ジュノが次回作の準備中で、それは韓国の国民的お母さん女優を主人公としたサスペンスであるという話を聞いていた。
どうやらシナリオを読んだらしい彼に「どんな内容?」と聞くと、「う〜ん、鬼子母神みたいな話かな」という答え。
映画の前半は、なぜこれが鬼子母神なんだろうと不思議だったが、なるほど後半の展開は確かに鬼子母神の説話を思い起こさせる。
母親の愛情というのは、一般に美しい無償の愛の象徴の様に思われている。
だが、本当にそれだけなのか。
本作に描かれる母親の愛情は、おそらく本人にとっては純粋なものなのだろう。
だがポン・ジュノはその裏側に、過去の罪の意識を覆い隠すために、母親の中で異常に成長してしまった怪物の様な感情としての愛を描き、近親相姦的すら匂わせる。
そして最終的に、母親はトジュンを救うために、周囲を死と偽りの連鎖に巻き込んでしまうのだから、
周りから観れば彼女の愛は狂気そのものだ。
「母なる証明」は、人間を突き動かすもっとも強い感情である愛とは何かについての強烈で切ない物語だ。
ポン・ジュノは、一組の孤独な母子を通して、愛情という言葉に対して世間一般が抱いているステロタイプを破壊し、その本質を描き出そうとしたのかもしれない。
そう思うと、物語が進むにつれて明らかになってくる、被害者の女子高生の素顔も興味深い。
何年も殺人事件が起こっていない、田舎の小さな街。
住人の殆どが知り合いの様なこの街で、彼女が売っていたのも、別種の「愛」である事に、この作品のアイロニーがある。
母が守った無垢なる魂であるトジュンが、はたして本当に何も覚えていないのか、彼の側からの愛をどう解釈するか、作者がキャラクターへの説明的な描写をあえて避けている事もあり、こちらもまた観る者を悩ませるのである。
冒頭の感情を押し殺した様な踊りと見事にリンクする、ラストの狂乱の舞は、まるで全てを悟り、しかしそれでも生きていかねばならない母の心の悲痛な叫びの様に感じた。
果たして彼女は、辛い事や悲しい事を忘れさせてくれるツボを上手く刺せたのだろうか?
本作は文句なしの傑作だが、ポン・ジュノ作品の持つシニカルで見方によっては冷徹な視線は、ある程度好みが分かれるだろう。
例えばイーストウッド映画の場合、どんなに痛々しくて切ない物語でも、最後には人間の心の温かさや信念の強さがポジティブな印象として心に残る。
対してポン・ジュノの映画では、人間の心や行為に対して、半ば諦めの様な達観した境地を感じる。
この突き放した視線は、どちらかというと藤子・F・不二雄の大人向け漫画に近い。
どんなに愚かな行為をして、どんなに悲惨に傷ついても、未来が美しいものでなかったとしても、結局人間はそれを抱えたまま生きるしかないという人間観は、人によっては痛々しくて耐えられないと思うかもしれない。
今回は、母に飲んでもらいたい韓国の酒「百歳酒」をチョイス。
もち米をベースに漢方薬に使われる様々なハーブを配合した発酵酒。
漢方の香りが気になる人には気になるだろうが、甘めで非常にあっさりとしていて飲みやすい。
実は韓国ではかなり厳密に酒と食べ物の取り合わせが決まっていて、韓国人が日本に来ると絶対にありえないような組み合わせを韓国料理店などで見てびっくりするのだそうな。
まあマッコリとチヂミを雨の日に食べるというのは有名だが、この百歳酒には辛いコルベンイやチゲなどが合うらしい。
個人的には漢方つながりでサムゲタンなども良い感じではと思う。
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2009年10月30日 (金) | 編集 |
最近あまりテレビドラマを観なくなってしまった。
ドラマなのかバラエティのコントなのかわからないような、安っぽい番組が幅を利かせ、物語の面白さを追求した作品が少なくなってしまったからだ。
だが、今クールは久々に毎週の放送が楽しみな作品がある。
TBSの日曜劇場枠で放送中の「JIN‐仁‐」である。
原作は「六三四の剣」「龍‐RON‐」などで知られる村上もとかによる人気漫画で、これをドラマ版セカチューの森下佳子が脚色し、大沢たかお主演でドラマ化している。
現代の脳外科医、南方仁が激動の幕末にタイムスリップ、21世紀の医学技術を駆使して江戸の人々を救ってゆくというのが物語の骨子だ。
様々な要素が詰め込まれ、一歩間違うと限りなくとっ散らかって、チャチな代物になってしまいそうな題材だが、少なくとも第三話までは非常に良く出来ていた。
原作漫画のしっかり練られたプロットを生かして脚色し、実写ドラマならではのディテール描写が光るという漫画原作では理想的な作りとなっているのだ。
まず、これはSFであると同時に、人間の生と死を扱い、元々ドラマチックな秀作の多い医療物である。
いくら最新の知識があっても、近代的な設備が全くない江戸時代で、果たしてどうやって患者を治すのかというプロセスが綿密に描かれている。
手術に大工道具を使ったり、点滴用の針を簪職人に作らせたり、現代よりも格段に困難な状況下の「IFの世界」というSF設定が最大限生かされてスリリングだ。
またこの作品には坂本竜馬や勝海舟、緒方洪庵といった日本人があこがれる幕末のヒーローたちが登場し、彼らと関わる事で未来を変えてしまうのではないかというタイムトラベルラーお約束の葛藤に、目の前の患者を見捨てられないという医者としての葛藤が交錯しドラマを盛り上げる
さらに画作りのスケールが大きい。
最近のドラマは、現代劇でもちんまりしたセットの狭苦しい印象の作品が多いが、これはロケーションとセット、VFXを巧みにミックスし、可能な限り画に広がりを持たせようとしている。
一方で江戸暮らしのディテールも細かく描かれているので、言わば異世界に飛び込んだストレンジャーである主人公の目線で、幕末の江戸庶民の暮らしを観察するような面白さもある。
元々の話が良く出来ているのに加えて、マクロとミクロでディテールに拘った綿密な作りこみが生きているのだ。
「GOEMON」の霧隠才蔵役が記憶に新しい大沢たかおは、原作キャラを思い浮かべると似てるような似てないような、ビミョーな感じではあるが、ドラマ単体のキャラクターとしては好演と言える。
ヒロインを演じるのは、2002年の「おとうさん」以来7年ぶりの連ドラ出演となる中谷美紀と綾瀬はるかという、華やかさに演技力を兼ね備えた美女二人。
中谷美紀は、妖艶ながら影のあるキャラクターである花魁の野風を演じる。
対する綾瀬はるか演じる旗本の娘、橘咲は仁に影響されて医術への情熱に目覚めるという、ストレートで爽やかなキャラで、この対照的な二人が仁を挟んでコントラストのある三角関係を形作る。
面白いのはドラマの脚色で、21世紀の世界に野風とそっくりな仁の恋人、友永未来というオリジナルのキャラクターを作っている事で、これによって「ある日どこかで」の様な時空を越えたラブストーリーの要素が入り、幕末の三人とあわせて四角関係になっており、原作とは少し違った方向性も持っている。
タイムトラベル物のSFであり、医療物であり、ブストーリー。
「JIN‐仁‐」は、正に幕の内弁当のような賑やかなドラマで、先の読めない物語を追うワクワクする楽しさがある。
話しよし、役者よし、ビジュアルよしの三拍子揃った観応えのある作品である。
仁がタイムスリップするきっかけになった、胎児の形をした奇形腫瘍など、ティザー的に配された謎の解明を含めて、今後未来の恋人との関係がどうなってゆくのか、ドラマオリジナルの展開も期待したい。
どうか12月まで失速しませんように。
ところで、このドラマを観ていて、25年ほど前に放送された「大江戸神仙伝」という単発ドラマを思い出した。
こちらは製薬会社のサラリーマンが江戸にタイムスリップし、薬を作って病気を治してしまった事から、「神仙様」と崇拝される様になるというもの。
石川英輔の小説を故・藤田敏八が監督し、史実に合わせて江戸の住人に全員背の低い俳優をキャスティングするなど、映像的にもこだわりのある力作だったと記憶している。
どこかソフト化してくれないかなあ。
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ドラマなのかバラエティのコントなのかわからないような、安っぽい番組が幅を利かせ、物語の面白さを追求した作品が少なくなってしまったからだ。
だが、今クールは久々に毎週の放送が楽しみな作品がある。
TBSの日曜劇場枠で放送中の「JIN‐仁‐」である。
原作は「六三四の剣」「龍‐RON‐」などで知られる村上もとかによる人気漫画で、これをドラマ版セカチューの森下佳子が脚色し、大沢たかお主演でドラマ化している。
現代の脳外科医、南方仁が激動の幕末にタイムスリップ、21世紀の医学技術を駆使して江戸の人々を救ってゆくというのが物語の骨子だ。
様々な要素が詰め込まれ、一歩間違うと限りなくとっ散らかって、チャチな代物になってしまいそうな題材だが、少なくとも第三話までは非常に良く出来ていた。
原作漫画のしっかり練られたプロットを生かして脚色し、実写ドラマならではのディテール描写が光るという漫画原作では理想的な作りとなっているのだ。
まず、これはSFであると同時に、人間の生と死を扱い、元々ドラマチックな秀作の多い医療物である。
いくら最新の知識があっても、近代的な設備が全くない江戸時代で、果たしてどうやって患者を治すのかというプロセスが綿密に描かれている。
手術に大工道具を使ったり、点滴用の針を簪職人に作らせたり、現代よりも格段に困難な状況下の「IFの世界」というSF設定が最大限生かされてスリリングだ。
またこの作品には坂本竜馬や勝海舟、緒方洪庵といった日本人があこがれる幕末のヒーローたちが登場し、彼らと関わる事で未来を変えてしまうのではないかというタイムトラベルラーお約束の葛藤に、目の前の患者を見捨てられないという医者としての葛藤が交錯しドラマを盛り上げる
さらに画作りのスケールが大きい。
最近のドラマは、現代劇でもちんまりしたセットの狭苦しい印象の作品が多いが、これはロケーションとセット、VFXを巧みにミックスし、可能な限り画に広がりを持たせようとしている。
一方で江戸暮らしのディテールも細かく描かれているので、言わば異世界に飛び込んだストレンジャーである主人公の目線で、幕末の江戸庶民の暮らしを観察するような面白さもある。
元々の話が良く出来ているのに加えて、マクロとミクロでディテールに拘った綿密な作りこみが生きているのだ。
「GOEMON」の霧隠才蔵役が記憶に新しい大沢たかおは、原作キャラを思い浮かべると似てるような似てないような、ビミョーな感じではあるが、ドラマ単体のキャラクターとしては好演と言える。
ヒロインを演じるのは、2002年の「おとうさん」以来7年ぶりの連ドラ出演となる中谷美紀と綾瀬はるかという、華やかさに演技力を兼ね備えた美女二人。
中谷美紀は、妖艶ながら影のあるキャラクターである花魁の野風を演じる。
対する綾瀬はるか演じる旗本の娘、橘咲は仁に影響されて医術への情熱に目覚めるという、ストレートで爽やかなキャラで、この対照的な二人が仁を挟んでコントラストのある三角関係を形作る。
面白いのはドラマの脚色で、21世紀の世界に野風とそっくりな仁の恋人、友永未来というオリジナルのキャラクターを作っている事で、これによって「ある日どこかで」の様な時空を越えたラブストーリーの要素が入り、幕末の三人とあわせて四角関係になっており、原作とは少し違った方向性も持っている。
タイムトラベル物のSFであり、医療物であり、ブストーリー。
「JIN‐仁‐」は、正に幕の内弁当のような賑やかなドラマで、先の読めない物語を追うワクワクする楽しさがある。
話しよし、役者よし、ビジュアルよしの三拍子揃った観応えのある作品である。
仁がタイムスリップするきっかけになった、胎児の形をした奇形腫瘍など、ティザー的に配された謎の解明を含めて、今後未来の恋人との関係がどうなってゆくのか、ドラマオリジナルの展開も期待したい。
どうか12月まで失速しませんように。
ところで、このドラマを観ていて、25年ほど前に放送された「大江戸神仙伝」という単発ドラマを思い出した。
こちらは製薬会社のサラリーマンが江戸にタイムスリップし、薬を作って病気を治してしまった事から、「神仙様」と崇拝される様になるというもの。
石川英輔の小説を故・藤田敏八が監督し、史実に合わせて江戸の住人に全員背の低い俳優をキャスティングするなど、映像的にもこだわりのある力作だったと記憶している。
どこかソフト化してくれないかなあ。
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2009年10月25日 (日) | 編集 |
ポスターがコワイ・・・。
「エスター」の原題「Orphan」は、孤児を意味する。
裕福なアメリカ人夫婦が孤児院からロシア人の娘を迎え入れるが、やがて「この娘、どこかが変だ」というキャッチコピーの通りに、彼女の狂気によって恐怖のどん底に突き落とされる。
所謂チャイルド・ホラーの変種だが、脚本の出来が良く、予想以上にスリリングな佳作となった。
三番目の子供を流産したケイト・コールマン(ヴェラ・ファーミガ)と夫のジョン(ピーター・サースガード)は、孤児院から子供を迎える事を考える。
ある日訪れた孤児院で、コールマン夫妻はロシア出身で以前の里親の家が火事になり、たった一人生き残ったエスター(イザベル・ファーマン)という少女と出会う。
歌が上手くいつも絵を描いているという、しっかり者のエスターをすっかり気に入った夫妻は、彼女を養女として迎え入れる事を決める。
夫妻には長男のダニー(ジミー・ベネット)と難聴の障害を持つ妹のマックス(アリアーナ・エンジニア)がいたが、エスターは直ぐに手話を覚えてマックスと仲良くなり、すんなりと一家に溶け込んだように見えた。
だがエスターは天使の様な仮面の下に、恐るべき正体を隠していた・・・
子供が恐怖の対象になる作品と言うと、マコーレ・カルキンとイライジャ・ウッド主演で話題を呼んだ「危険な遊び」やスティーブン・キング原作の「チルドレン・オブ・ザ・コーン」、その原型とも言うべきスペイン映画「ザ・チャイルド」などが思い浮かぶが、この「エスター」はこれらの作品の中から一歩抜けた作品となった。
先ず何よりも、デヴィッド・レスリー・ジョンソンによる脚本の完成度が高い。
悪夢の様な冒頭の病院のシークエンスから、コールマン夫妻とエスターの出会いまでを快調なテンポで展開させると、後はエスターが本性を現し、ジワリ、ジワリと一家を追い込んでゆく恐怖と、エスターの正体を巡る謎という二つの興味で観客を引っ張る。
しかも、伏線が綿密に張り巡らされており、細かな描写や設定の一つ一つが、後々になって意味を持ってくるあたり、非常に芸が細かい。
観客はケイトや子供たち同様に、エスターによって直接的な恐怖を感じるのと同時に、本来家族を守るべきジョンや精神科医が完全にエスターによって丸め込まれてしまい、恐怖の本質になかなか気付かない事にもどかしさと絶望を感じる事になるが、これはもちろん作者の狙い通り。
単に描写のショッキングさで怖がらせるのではなく、不条理な恐怖のロジックによって真綿で絞め殺されるような不快感(褒め言葉である)を味わう映画なのである。
長編劇場用映画の脚本としてはこれがデビュー作となる様だが、どこでこれだけのスキルを身に着けたのかと思ったら、どうやらこの人はフランク・ダラボンの門下生らしい。
なるほど、このロジカルで完成度の高い脚本力は師匠譲りか。
まあ肝心のエスターの正体に関しては、過去に小説や漫画に似た話があるので、それほどショッキングではなかった。
エスターのロシア時代の記録が見つからなかったり、ジョンを誘惑し精神科医を懐柔するあまりにも見事なワルっぷりに、この手の映画が好きな人は途中で彼女の正体に関して、いくつかの可能性を思い浮かべるだろう。
私も、こういう事かなあと三つほど思いついた中の一つが的中だった。
もっとも、オチが見えたとしても、そこからの展開の見せ方の上手さもあり、特に作品の魅力をスポイルする事は無い。
むしろ彼女の正体が明かされる事によって、背負ってきた過酷な運命をも感じさせ、単なる恐怖の対象から切なさを感じさせるキャラクターに印象が変化しており、単純にびっくりさせるためというよりは、しっかりと物語上の必然となっているのは大したものだ。
そのために映画のラストは必ずしもハッピーエンドにはなっておらず、ある種の痛みを感じさせる物だが、個人的にはもっと痛くても良かったと思う。
ラストの展開は当然ながらケイト目線になっているのだが、ここはあえて物語を壊してでも、エスターの心に寄り添い、彼女が辿ってきたエンドレスの喪失感を今以上に強く感じさせることが出来たら、これはホラー映画史に残る傑作となっていたかもしれない。
天使の仮面の下に悪魔の本性を隠し持つ、エスターを演じるイザベル・ファーマンは1992年生まれの12歳。
ハリウッドにまた、素晴らしい演技力を持つ魅力的な子役スターが登場した。
本人はワシントン生まれのアメリカ人だが、微妙なロシア訛も含めて演技はとても繊細で、エキセントリックなキャラクターに強い説得力を与えている。
一見利発で天使の様に可憐だが、内面に恐るべき狂気と恐怖の歴史を秘めたエスターは、彼女なくしては生まれなかっただろう。
またファーマン以上に印象的なのが、聾唖の少女マックスを演じたアリアーナ・エンジニアで、恐怖によってエスターに支配されながらも、家族の身を案じる無垢な瞳は観客の心をかき乱す。
この年齢ではどこまで意識して演技しているのかはわからないが、目力の強さは末恐ろしい。
コールマン夫妻を演じるヴェラ・ファーミガとピーター・サースガードら大人の俳優も好演しているが、これはやはり子供たちのパワーが際立つ映画だ。
監督のジャウム・コレット=セラはスペイン出身で、前作の「蝋人形の館」でも、独特のムードのある演出が印象に残った。
もっともあちらは脚本がベタなので、作品としては類型的なB級ホラー以上の物には成っていないが、今回は出来の良い脚本とイザベル・ファーマンという素晴らしい素材を得て、良い仕事をしていると思う。
特にビジュアルに頼るのではなく、子役俳優のナチュラルな演技を最大限に生かす方向で演出しているのは正解だ。
子供を上手く撮る演出家に凡才はいない。
今後の進化が楽しみな人である。
今回は、凍てつく冬の様な心を持つエスターに飲ませたい、「フィンランディア・ワイルドベリー」をチョイス。
北欧フィンランドの代表的なウォッカで、冷えた心と体を芯から暖めてくれる。
フルーツフレーバーのチョイスがあるのが特徴だが、私はこのワイルドベリーのほのかな香りが一番好きだ。
これからの寒い季節に、あえてキンキンに冷してストレートで飲みたい。
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「エスター」の原題「Orphan」は、孤児を意味する。
裕福なアメリカ人夫婦が孤児院からロシア人の娘を迎え入れるが、やがて「この娘、どこかが変だ」というキャッチコピーの通りに、彼女の狂気によって恐怖のどん底に突き落とされる。
所謂チャイルド・ホラーの変種だが、脚本の出来が良く、予想以上にスリリングな佳作となった。
三番目の子供を流産したケイト・コールマン(ヴェラ・ファーミガ)と夫のジョン(ピーター・サースガード)は、孤児院から子供を迎える事を考える。
ある日訪れた孤児院で、コールマン夫妻はロシア出身で以前の里親の家が火事になり、たった一人生き残ったエスター(イザベル・ファーマン)という少女と出会う。
歌が上手くいつも絵を描いているという、しっかり者のエスターをすっかり気に入った夫妻は、彼女を養女として迎え入れる事を決める。
夫妻には長男のダニー(ジミー・ベネット)と難聴の障害を持つ妹のマックス(アリアーナ・エンジニア)がいたが、エスターは直ぐに手話を覚えてマックスと仲良くなり、すんなりと一家に溶け込んだように見えた。
だがエスターは天使の様な仮面の下に、恐るべき正体を隠していた・・・
子供が恐怖の対象になる作品と言うと、マコーレ・カルキンとイライジャ・ウッド主演で話題を呼んだ「危険な遊び」やスティーブン・キング原作の「チルドレン・オブ・ザ・コーン」、その原型とも言うべきスペイン映画「ザ・チャイルド」などが思い浮かぶが、この「エスター」はこれらの作品の中から一歩抜けた作品となった。
先ず何よりも、デヴィッド・レスリー・ジョンソンによる脚本の完成度が高い。
悪夢の様な冒頭の病院のシークエンスから、コールマン夫妻とエスターの出会いまでを快調なテンポで展開させると、後はエスターが本性を現し、ジワリ、ジワリと一家を追い込んでゆく恐怖と、エスターの正体を巡る謎という二つの興味で観客を引っ張る。
しかも、伏線が綿密に張り巡らされており、細かな描写や設定の一つ一つが、後々になって意味を持ってくるあたり、非常に芸が細かい。
観客はケイトや子供たち同様に、エスターによって直接的な恐怖を感じるのと同時に、本来家族を守るべきジョンや精神科医が完全にエスターによって丸め込まれてしまい、恐怖の本質になかなか気付かない事にもどかしさと絶望を感じる事になるが、これはもちろん作者の狙い通り。
単に描写のショッキングさで怖がらせるのではなく、不条理な恐怖のロジックによって真綿で絞め殺されるような不快感(褒め言葉である)を味わう映画なのである。
長編劇場用映画の脚本としてはこれがデビュー作となる様だが、どこでこれだけのスキルを身に着けたのかと思ったら、どうやらこの人はフランク・ダラボンの門下生らしい。
なるほど、このロジカルで完成度の高い脚本力は師匠譲りか。
まあ肝心のエスターの正体に関しては、過去に小説や漫画に似た話があるので、それほどショッキングではなかった。
エスターのロシア時代の記録が見つからなかったり、ジョンを誘惑し精神科医を懐柔するあまりにも見事なワルっぷりに、この手の映画が好きな人は途中で彼女の正体に関して、いくつかの可能性を思い浮かべるだろう。
私も、こういう事かなあと三つほど思いついた中の一つが的中だった。
もっとも、オチが見えたとしても、そこからの展開の見せ方の上手さもあり、特に作品の魅力をスポイルする事は無い。
むしろ彼女の正体が明かされる事によって、背負ってきた過酷な運命をも感じさせ、単なる恐怖の対象から切なさを感じさせるキャラクターに印象が変化しており、単純にびっくりさせるためというよりは、しっかりと物語上の必然となっているのは大したものだ。
そのために映画のラストは必ずしもハッピーエンドにはなっておらず、ある種の痛みを感じさせる物だが、個人的にはもっと痛くても良かったと思う。
ラストの展開は当然ながらケイト目線になっているのだが、ここはあえて物語を壊してでも、エスターの心に寄り添い、彼女が辿ってきたエンドレスの喪失感を今以上に強く感じさせることが出来たら、これはホラー映画史に残る傑作となっていたかもしれない。
天使の仮面の下に悪魔の本性を隠し持つ、エスターを演じるイザベル・ファーマンは1992年生まれの12歳。
ハリウッドにまた、素晴らしい演技力を持つ魅力的な子役スターが登場した。
本人はワシントン生まれのアメリカ人だが、微妙なロシア訛も含めて演技はとても繊細で、エキセントリックなキャラクターに強い説得力を与えている。
一見利発で天使の様に可憐だが、内面に恐るべき狂気と恐怖の歴史を秘めたエスターは、彼女なくしては生まれなかっただろう。
またファーマン以上に印象的なのが、聾唖の少女マックスを演じたアリアーナ・エンジニアで、恐怖によってエスターに支配されながらも、家族の身を案じる無垢な瞳は観客の心をかき乱す。
この年齢ではどこまで意識して演技しているのかはわからないが、目力の強さは末恐ろしい。
コールマン夫妻を演じるヴェラ・ファーミガとピーター・サースガードら大人の俳優も好演しているが、これはやはり子供たちのパワーが際立つ映画だ。
監督のジャウム・コレット=セラはスペイン出身で、前作の「蝋人形の館」でも、独特のムードのある演出が印象に残った。
もっともあちらは脚本がベタなので、作品としては類型的なB級ホラー以上の物には成っていないが、今回は出来の良い脚本とイザベル・ファーマンという素晴らしい素材を得て、良い仕事をしていると思う。
特にビジュアルに頼るのではなく、子役俳優のナチュラルな演技を最大限に生かす方向で演出しているのは正解だ。
子供を上手く撮る演出家に凡才はいない。
今後の進化が楽しみな人である。
今回は、凍てつく冬の様な心を持つエスターに飲ませたい、「フィンランディア・ワイルドベリー」をチョイス。
北欧フィンランドの代表的なウォッカで、冷えた心と体を芯から暖めてくれる。
フルーツフレーバーのチョイスがあるのが特徴だが、私はこのワイルドベリーのほのかな香りが一番好きだ。
これからの寒い季節に、あえてキンキンに冷してストレートで飲みたい。
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2009年10月18日 (日) | 編集 |
史上もっとも有名なロボットの一人、「鉄腕アトム」初のオリジナル長編劇場版。
そして日本以外で作られた、最初のアトムとなった。
海外製作という事で、色々と心配する向きもあるようだが、杞憂である。
アトムで育った子供たちは、何も日本人だけではない。
香港に拠点を置くイマジ・アニメーション・スタジオが製作し、キャラクターの声をそうそうたるハリウッドスターたちが演じ、英アードマン出身のデヴィッド・バワーズ監督が纏め上げたこの作品は、言わば世界中のアトムの子たちが作り上げた夢の結晶だ。
生活の面倒の全てをロボットが見てくれる夢の空中都市メトロシティ。
科学者のテンマ博士(ニコラス・ケイジ)の息子トビー(フレディ・ハイモア)は、父親譲りの天才児だが、ある時戦闘用ロボットのピースキーパーの暴走事故に巻き込まれて命を落とす。
テンマ博士は、息子の髪の毛から記憶を抽出すると、トビーそっくりの姿に作ったロボットに記憶を移植、究極のエネルギーであるブルーコアによって起動させる。
ロボットとして蘇ったトビーはしかし、やはり完全に元のトビーではなく、息子そっくりな姿に心をかき乱されたテンマ博士は、ロボットのトビーを拒絶してしまう。
家を失ったロボットは、自分の居場所を探すためにメトロシティを去って地上へと降り、そこで出会った人間の子供たちに、アトムと名乗る。
一方、ピースキーパーの完成を急ぐストーン大統領(ドナルド・サザーランド)は、ブルーコアがアトムに使用された事を知ると、回収してブルーコアをピースキーパーに使用せよと命令を出すのだが・・・
今年で亡くなって早20年となる手塚治虫が、アトムという傑出したキャラクターを生み出したのは今から58年前の1951年。
「アトム大使」というSF作品に登場し、宇宙に住む2つの人類の対立を仲裁するロボットというキャラクターだった。
翌1952年にスピンオフの様な形で、「鉄腕アトム」が連載開始。
そして1963年1月1日からは遂にテレビアニメの放送が始まり、爆発的な人気を獲得するのである。
欧米でも「ASTRO BOY」のタイトルで放送され、日本のサブカル系キャラクターとしてはゴジラ以来の知名度を持つに至り、日本アニメの世界進出の突破口を作った作品でもある。
アードマン初の長編CGアニメ、「マウス・タウン ロディとリタの大冒険」を手がけた事で知られるデヴィッド・バワーズ監督はアトムマニアを自認し、自ら本作の監督に名乗りを上げた。
テンマ博士を演じるニコラス・ケイジもまた熱烈なファンで、一時は自ら実写映画化を考えたという。
彼らアトムで育った手塚治虫の継承者たちに作られた本作は、オリジナルの精神性とキャラクターを生かしつつ、世界観を大胆に改変し、長大な物語を94分というコンパクトなパッケージに纏め上げている。
おそらく日本人が作ったならば、ここまでの大きな改変は出来なかったはずで、このあたりの合理性はハリウッド的、あるいは香港的?
舞台となるのは、富士山と天空の城ラピュタが合体したような、浮遊する超科学都市メトロシティ。
どうやらここに住めるのは選ばれた金持ちだけで、その他の多くの人間たちはゴミ溜めのような地上に暮らしているらしい。
バワーズと共同脚本のティモシー・ハリスは、この新しい世界観に、オリジナルのキャラクターとエピソードを組み込むことで、映画版の物語を構成している。
もちろん足掛け16年間に渡って連載され、オリジナルのテレビシリーズだけでも200本近いアトムの全部を描くのは到底不可能なので、物語は極めてシンプルなテーマだけに絞って展開する。
これは、テンマ博士の死んだ息子のコピー品として作られた、人間でも単なるロボットでもない中途半端な存在であるアトムが、自分はなぜ存在するのか、自分の居場所は何処なのかを見つける物語である。
ここで上手いのは、アトムの葛藤を裏返せば、そのまま生みの親でもあるテンマ博士の葛藤でもあるというロジックで、父と息子(の姿をしたロボット)二人のすれ違う心が、物語を重層的にしており、単なるアクションに大人の鑑賞に堪えるドラマ性を付加している。
映画のテンポは非常に早く、トビーが事故死してアトムが誕生するまで僅かに15分程度で展開する。
正直、物語のディテール描写ではさすがにやや端折り感が出てしまっているが、全体にオリジナル同様子供向けを強く意識した作品であり、子供を飽きさせないためにはこのぐらい矢継ぎ早の展開でもいいのかもしれない。
SF的な考証の部分も原作が発表された50年代的な大らかさだが、お父さんたちも脳内スイッチをちょっと逆行させれば、ついていけない程ではない。
髪の毛から記憶を抽出できるなら、ロボットよりクローンを作ったら?とか突っ込んではいけないのだ。
この世界にはクローンという概念は無いのだろう、たぶん。
「ツインズ」や「キンダーガートンコップ」などのコメディ作品で知られるティモシー・ハリスのテイストだと思うのだが、思ったよりもユーモアの比重が高く、笑いとアクションで盛り上げながら、最後にはしっかりとテーマを形作るという脚本の出来は悪くない。
日本アニメをかなり研究したと思しき、バワーズ監督の演出も快調で、ロボットバトルのシーンは、CGならではの迫力がある。
予告編で物議をかもしたキャラクターデザインも、個人的にはあまり気にならなかった。
アトムは漫画のデザインと声を演じるフレディ・ハイモアを掛け合わせた様なルックスで、確かにやや西洋的なのだけど、テンマ博士や御茶ノ水博士といった御馴染みのキャラクターに映画オリジナルのキャラクターたちを含めて、デザインテイストは揃えられているので、直ぐに違和感はなくなる。
むしろ街の看板がヒョウタンツギだったり、アトム開発チームに手塚治虫がいたりする遊び心から、作り手のアトム愛が伝わって来て楽しい。
「ミュータント・タートルズ TMNT」などを手がけたイマジ・アニメーション・スタジオによるCGも、殆どのハリウッド製CGアニメと遜色無い出来だ。
まあピクサー辺りと比べると若干落ちるのは確かだが、かけている時間とお金の差があるので致し方あるまい。
彼らの技術レベルの高さを見ると、現在同社で製作中のCG版「科学忍者隊ガッチャマン」にも期待が持てるではないか。
「ATOM」はオリジナルの風合いを保ちながら、今風のCGアニメとして適度にリニューアルされた新世代の「鉄腕アトム」だ。
原作の持つ哲学性まで表現されているとは言いがたいが、オリジナルを知る世代も知らない世代も、これはこれで一つのよく出来た娯楽作品として楽しむことが出来るだろう。
出来れば、この作品から始まる新テレビシリーズとか観てみたい。
私は以前、オリジナルのテレビシリーズのスタッフだった方に、当時の制作の裏話をインタビューした事があるのだが、果たして彼らはこのデジタルアトムをどう考えるだろうか。
機会があれば是非感想を聞いてみたいものである。
映画は東洋と西洋の融合で生まれた作品だったが、お酒の世界でも異文化交流は盛ん。
今回はフランスで活躍する日本人によって生まれたスパークリング、ル・デュモンの「クレマン・ド・ブルゴーニュ・ブラン・ド・ブラン」をチョイス。
ル・デュモンはフランスワインでありながら、「天地人」の漢字ラベルで有名になったが、このスパークリングのラベルはまた違ったユニークなデザイン。
お味の方も柑橘類の風味を感じさせ、細やかな泡が口の中でアトムの様に飛び跳ねる、華やかで楽しい酒。
これからのホリデーシーズンの食卓にお勧めだ。
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そして日本以外で作られた、最初のアトムとなった。
海外製作という事で、色々と心配する向きもあるようだが、杞憂である。
アトムで育った子供たちは、何も日本人だけではない。
香港に拠点を置くイマジ・アニメーション・スタジオが製作し、キャラクターの声をそうそうたるハリウッドスターたちが演じ、英アードマン出身のデヴィッド・バワーズ監督が纏め上げたこの作品は、言わば世界中のアトムの子たちが作り上げた夢の結晶だ。
生活の面倒の全てをロボットが見てくれる夢の空中都市メトロシティ。
科学者のテンマ博士(ニコラス・ケイジ)の息子トビー(フレディ・ハイモア)は、父親譲りの天才児だが、ある時戦闘用ロボットのピースキーパーの暴走事故に巻き込まれて命を落とす。
テンマ博士は、息子の髪の毛から記憶を抽出すると、トビーそっくりの姿に作ったロボットに記憶を移植、究極のエネルギーであるブルーコアによって起動させる。
ロボットとして蘇ったトビーはしかし、やはり完全に元のトビーではなく、息子そっくりな姿に心をかき乱されたテンマ博士は、ロボットのトビーを拒絶してしまう。
家を失ったロボットは、自分の居場所を探すためにメトロシティを去って地上へと降り、そこで出会った人間の子供たちに、アトムと名乗る。
一方、ピースキーパーの完成を急ぐストーン大統領(ドナルド・サザーランド)は、ブルーコアがアトムに使用された事を知ると、回収してブルーコアをピースキーパーに使用せよと命令を出すのだが・・・
今年で亡くなって早20年となる手塚治虫が、アトムという傑出したキャラクターを生み出したのは今から58年前の1951年。
「アトム大使」というSF作品に登場し、宇宙に住む2つの人類の対立を仲裁するロボットというキャラクターだった。
翌1952年にスピンオフの様な形で、「鉄腕アトム」が連載開始。
そして1963年1月1日からは遂にテレビアニメの放送が始まり、爆発的な人気を獲得するのである。
欧米でも「ASTRO BOY」のタイトルで放送され、日本のサブカル系キャラクターとしてはゴジラ以来の知名度を持つに至り、日本アニメの世界進出の突破口を作った作品でもある。
アードマン初の長編CGアニメ、「マウス・タウン ロディとリタの大冒険」を手がけた事で知られるデヴィッド・バワーズ監督はアトムマニアを自認し、自ら本作の監督に名乗りを上げた。
テンマ博士を演じるニコラス・ケイジもまた熱烈なファンで、一時は自ら実写映画化を考えたという。
彼らアトムで育った手塚治虫の継承者たちに作られた本作は、オリジナルの精神性とキャラクターを生かしつつ、世界観を大胆に改変し、長大な物語を94分というコンパクトなパッケージに纏め上げている。
おそらく日本人が作ったならば、ここまでの大きな改変は出来なかったはずで、このあたりの合理性はハリウッド的、あるいは香港的?
舞台となるのは、富士山と天空の城ラピュタが合体したような、浮遊する超科学都市メトロシティ。
どうやらここに住めるのは選ばれた金持ちだけで、その他の多くの人間たちはゴミ溜めのような地上に暮らしているらしい。
バワーズと共同脚本のティモシー・ハリスは、この新しい世界観に、オリジナルのキャラクターとエピソードを組み込むことで、映画版の物語を構成している。
もちろん足掛け16年間に渡って連載され、オリジナルのテレビシリーズだけでも200本近いアトムの全部を描くのは到底不可能なので、物語は極めてシンプルなテーマだけに絞って展開する。
これは、テンマ博士の死んだ息子のコピー品として作られた、人間でも単なるロボットでもない中途半端な存在であるアトムが、自分はなぜ存在するのか、自分の居場所は何処なのかを見つける物語である。
ここで上手いのは、アトムの葛藤を裏返せば、そのまま生みの親でもあるテンマ博士の葛藤でもあるというロジックで、父と息子(の姿をしたロボット)二人のすれ違う心が、物語を重層的にしており、単なるアクションに大人の鑑賞に堪えるドラマ性を付加している。
映画のテンポは非常に早く、トビーが事故死してアトムが誕生するまで僅かに15分程度で展開する。
正直、物語のディテール描写ではさすがにやや端折り感が出てしまっているが、全体にオリジナル同様子供向けを強く意識した作品であり、子供を飽きさせないためにはこのぐらい矢継ぎ早の展開でもいいのかもしれない。
SF的な考証の部分も原作が発表された50年代的な大らかさだが、お父さんたちも脳内スイッチをちょっと逆行させれば、ついていけない程ではない。
髪の毛から記憶を抽出できるなら、ロボットよりクローンを作ったら?とか突っ込んではいけないのだ。
この世界にはクローンという概念は無いのだろう、たぶん。
「ツインズ」や「キンダーガートンコップ」などのコメディ作品で知られるティモシー・ハリスのテイストだと思うのだが、思ったよりもユーモアの比重が高く、笑いとアクションで盛り上げながら、最後にはしっかりとテーマを形作るという脚本の出来は悪くない。
日本アニメをかなり研究したと思しき、バワーズ監督の演出も快調で、ロボットバトルのシーンは、CGならではの迫力がある。
予告編で物議をかもしたキャラクターデザインも、個人的にはあまり気にならなかった。
アトムは漫画のデザインと声を演じるフレディ・ハイモアを掛け合わせた様なルックスで、確かにやや西洋的なのだけど、テンマ博士や御茶ノ水博士といった御馴染みのキャラクターに映画オリジナルのキャラクターたちを含めて、デザインテイストは揃えられているので、直ぐに違和感はなくなる。
むしろ街の看板がヒョウタンツギだったり、アトム開発チームに手塚治虫がいたりする遊び心から、作り手のアトム愛が伝わって来て楽しい。
「ミュータント・タートルズ TMNT」などを手がけたイマジ・アニメーション・スタジオによるCGも、殆どのハリウッド製CGアニメと遜色無い出来だ。
まあピクサー辺りと比べると若干落ちるのは確かだが、かけている時間とお金の差があるので致し方あるまい。
彼らの技術レベルの高さを見ると、現在同社で製作中のCG版「科学忍者隊ガッチャマン」にも期待が持てるではないか。
「ATOM」はオリジナルの風合いを保ちながら、今風のCGアニメとして適度にリニューアルされた新世代の「鉄腕アトム」だ。
原作の持つ哲学性まで表現されているとは言いがたいが、オリジナルを知る世代も知らない世代も、これはこれで一つのよく出来た娯楽作品として楽しむことが出来るだろう。
出来れば、この作品から始まる新テレビシリーズとか観てみたい。
私は以前、オリジナルのテレビシリーズのスタッフだった方に、当時の制作の裏話をインタビューした事があるのだが、果たして彼らはこのデジタルアトムをどう考えるだろうか。
機会があれば是非感想を聞いてみたいものである。
映画は東洋と西洋の融合で生まれた作品だったが、お酒の世界でも異文化交流は盛ん。
今回はフランスで活躍する日本人によって生まれたスパークリング、ル・デュモンの「クレマン・ド・ブルゴーニュ・ブラン・ド・ブラン」をチョイス。
ル・デュモンはフランスワインでありながら、「天地人」の漢字ラベルで有名になったが、このスパークリングのラベルはまた違ったユニークなデザイン。
お味の方も柑橘類の風味を感じさせ、細やかな泡が口の中でアトムの様に飛び跳ねる、華やかで楽しい酒。
これからのホリデーシーズンの食卓にお勧めだ。
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