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2020年01月30日 (木) | 編集 |
彼らは、永遠に青年のまま。
ピーター・ジャクソン監督が、第一次世界大戦の映像史料をレストア、カラー化し、当時の大英帝国の兵士たちの膨大な証言音声と組み合わせて制作した、野心的なドキュメンタリー。
日本公開は2年遅れとなってしまったが、第一次世界大戦の終戦から100周年をむかえた2018年に、芸術プログラム「14-18NOW」と帝国戦争博物館の共同プロジェクトとして、博物館に保存されている資料を活用し生まれた作品だ。
「彼らは歳をとらない(THEY SHALL NOT GROW OLD)」という原題は、1914年に発表されたローレンス・ビンヨンによる西部戦線で犠牲になった兵士たちへの追悼詩、「For the Fallen」に触発されたもの。
「ロード・オブ・ザ・リング」や「ホビット」三部作では、ミドル・アースを舞台に壮大な合戦を描いたジャクソンの、父方の祖父ウィリアム・ジャクソン軍曹は、J・R・R・トールキンと同様に、この戦争に従軍した兵士だった。
職業軍人だったウィリアムは青島、ガリポリ、ソンム、パッシェンデール、カンブレーなど激戦地を転戦し、最後はドイツ軍の機関銃よって重傷を負い、英国に帰還。
回復した後も、戦場で負った様々な傷から徐々に体を壊し、自分が生まれるよりも前に亡くなったウィリアムの物語を、ジャクソンは子供の頃に聞いていたという。
これはジャクソンにとって、自分のルーツを知る作品でもあり、戦争の大局には一切触れず、戦場に送り込まれた兵士たちの体験に寄り添う。
「臆病者と言われたくなかったから」「友だちが皆志願したから」と、15 、6歳の少年たちまでもが成人と偽って入隊する。
冒頭25分の新兵訓練期間は、古びたモノクロ映像。
しかし彼らが西部戦線へと投入されると、画面は突然視界いっぱいに拡大され色を持ち、遠い”歴史”だったものが生々しい”現実“へと姿を変える。
100年前の映像が、まるで昨日撮影されたかの様に、鮮やかで鮮明となる衝撃。
古い作品でありがちな、フレームレートと実際の動きのズレも綿密に調整され、非常にナチュラルなものになっている。
21世紀のデジタルレストア技術がもたらした奇跡だ。
当時を知る元兵士たちの音声証言と、映し出される映像が絶妙にマッチングされていることで臨場感はより高まり、ここから我々は彼らと共に100年前の戦場を擬似体験するのである。
映画に使用された120人に及ぶ兵士たちの証言は、名前や階級を示されず、映像もいつどこで撮られたものかは明示されない。
これは映像と音声の主を特定の誰かではなく、この時代に戦場にいた無数の無名兵士たちのものとするための工夫。
第一次世界大戦は塹壕の戦争だったから、舞台となるのもほとんど塹壕。
機関銃をはじめとする兵器の発達で、歩兵ではお互いの塹壕を突破できず、“ノーマンズランド”を挟んだ膠着状態が続く。
兵士の仕事は無限に増殖する塹壕掘り、砲撃を中心とした散発的な戦闘と束の間の休息。
しかしそんな日々も長くは続かない。
塹壕を超えられる新兵器“戦車”に支援され、兵士たちは遂に塹壕を出て、機関銃部隊が待ち受ける敵陣への無謀な突撃を余儀なくされる。
破壊された人体が無数に転がり、命の器であった誰かが、単なる壊れたモノになるそこでは、もはや人は人ではない。
印象的だったのは、若者たちの誰もが、自分たちが戦う理由も知らないまま兵士となったこと。
最初は愛国心と高揚感から志願したものの、何のための戦争か大義も分からないから、やってるうちにだんだんウンザリしてきて、自分たちと似たような境遇のドイツ軍捕虜とも仲良くなったりする。
同じドイツ兵でも、バイエルン人は善良で、プロセイン人は野蛮だという証言が出てくるのが面白い。
ドイツ帝国は皇帝がプロセイン王で、バイエルン王国はそれに次ぐ領邦の扱いだったから、厭戦気分はバイエルンの方が強かったのだろう。
基本的に帝国主義国家同士の利権戦争は、彼ら個人には何の関係もなく、兵士なったからには死力を尽くすけど、戦争そのものには意味を感じないという冷めたスタンス。
これはたぶん、第一次世界大戦だけじゃなくて、殆どあらゆる戦争で、駆り出される若者たちに共通する心理なのではないか。
しかも島国の英国は、ロンドンなど一部が空襲に晒されたものの、国土の大半は戦火に合わず、わざわざ外国まで戦いに行った兵士たちは帰還したら冷遇され、誰にも感謝されないというアイロニー。
同じ英国の戦争を描く作品でも、例えばクリストファー・ノーランの「ダンケルク」が、第二次世界大戦の奇跡のダンケルク大撤退を、20世紀の英国の輝かしい神話として捉えていたのに対し、現実に存在した兵士一人ひとりに寄り添い、より没入感を追求した本作が、ただそこで起こったことを伝えるという冷静な視点なのは印象的。
両作のスタンスの違いは、作家性や劇映画かドキュメンタリーかよりも、描いている対象への距離感の違いかもしれない。
確実なのは彼らは100年前に間違いなく生きていて、多くが生きて帰れなかったという事実のみ。
ピーター・ジャクソンからの、トールキンやウィリアムの世代へのレクイエムだ。
ところで、日本で劇場公開されたのは嬉しいが、これは本国版の通り3D映像で観たかったなあ。
今回は、敵国ドイツの代表的なビール、ホブフロイ・ミュンヘンの「ホフブロイ・ドゥンケル」をチョイス。
16世紀の開設時から醸造されているまろやかでコクのあるダークビールは、古典的バヴァリア・ビールの典型。
第一次世界大戦終結から2年後の1920年2月、ホブフロイ・ミュンヘンのビアホール、ホブフロイ・ハウスであるイベントが開かれる。
当時30歳のアドルフ・ヒトラー率いる、国家社会主義ドイツ労働者党、ナチスの結党大会である。
彼もまた第一次世界大戦の帰還兵であり、軍歴の転戦記録を見る限り、ウィリアム・ジャクソンの部隊とも戦っていた可能性がある。
歴史とはなんとも皮肉なものである。
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ピーター・ジャクソン監督が、第一次世界大戦の映像史料をレストア、カラー化し、当時の大英帝国の兵士たちの膨大な証言音声と組み合わせて制作した、野心的なドキュメンタリー。
日本公開は2年遅れとなってしまったが、第一次世界大戦の終戦から100周年をむかえた2018年に、芸術プログラム「14-18NOW」と帝国戦争博物館の共同プロジェクトとして、博物館に保存されている資料を活用し生まれた作品だ。
「彼らは歳をとらない(THEY SHALL NOT GROW OLD)」という原題は、1914年に発表されたローレンス・ビンヨンによる西部戦線で犠牲になった兵士たちへの追悼詩、「For the Fallen」に触発されたもの。
「ロード・オブ・ザ・リング」や「ホビット」三部作では、ミドル・アースを舞台に壮大な合戦を描いたジャクソンの、父方の祖父ウィリアム・ジャクソン軍曹は、J・R・R・トールキンと同様に、この戦争に従軍した兵士だった。
職業軍人だったウィリアムは青島、ガリポリ、ソンム、パッシェンデール、カンブレーなど激戦地を転戦し、最後はドイツ軍の機関銃よって重傷を負い、英国に帰還。
回復した後も、戦場で負った様々な傷から徐々に体を壊し、自分が生まれるよりも前に亡くなったウィリアムの物語を、ジャクソンは子供の頃に聞いていたという。
これはジャクソンにとって、自分のルーツを知る作品でもあり、戦争の大局には一切触れず、戦場に送り込まれた兵士たちの体験に寄り添う。
「臆病者と言われたくなかったから」「友だちが皆志願したから」と、15 、6歳の少年たちまでもが成人と偽って入隊する。
冒頭25分の新兵訓練期間は、古びたモノクロ映像。
しかし彼らが西部戦線へと投入されると、画面は突然視界いっぱいに拡大され色を持ち、遠い”歴史”だったものが生々しい”現実“へと姿を変える。
100年前の映像が、まるで昨日撮影されたかの様に、鮮やかで鮮明となる衝撃。
古い作品でありがちな、フレームレートと実際の動きのズレも綿密に調整され、非常にナチュラルなものになっている。
21世紀のデジタルレストア技術がもたらした奇跡だ。
当時を知る元兵士たちの音声証言と、映し出される映像が絶妙にマッチングされていることで臨場感はより高まり、ここから我々は彼らと共に100年前の戦場を擬似体験するのである。
映画に使用された120人に及ぶ兵士たちの証言は、名前や階級を示されず、映像もいつどこで撮られたものかは明示されない。
これは映像と音声の主を特定の誰かではなく、この時代に戦場にいた無数の無名兵士たちのものとするための工夫。
第一次世界大戦は塹壕の戦争だったから、舞台となるのもほとんど塹壕。
機関銃をはじめとする兵器の発達で、歩兵ではお互いの塹壕を突破できず、“ノーマンズランド”を挟んだ膠着状態が続く。
兵士の仕事は無限に増殖する塹壕掘り、砲撃を中心とした散発的な戦闘と束の間の休息。
しかしそんな日々も長くは続かない。
塹壕を超えられる新兵器“戦車”に支援され、兵士たちは遂に塹壕を出て、機関銃部隊が待ち受ける敵陣への無謀な突撃を余儀なくされる。
破壊された人体が無数に転がり、命の器であった誰かが、単なる壊れたモノになるそこでは、もはや人は人ではない。
印象的だったのは、若者たちの誰もが、自分たちが戦う理由も知らないまま兵士となったこと。
最初は愛国心と高揚感から志願したものの、何のための戦争か大義も分からないから、やってるうちにだんだんウンザリしてきて、自分たちと似たような境遇のドイツ軍捕虜とも仲良くなったりする。
同じドイツ兵でも、バイエルン人は善良で、プロセイン人は野蛮だという証言が出てくるのが面白い。
ドイツ帝国は皇帝がプロセイン王で、バイエルン王国はそれに次ぐ領邦の扱いだったから、厭戦気分はバイエルンの方が強かったのだろう。
基本的に帝国主義国家同士の利権戦争は、彼ら個人には何の関係もなく、兵士なったからには死力を尽くすけど、戦争そのものには意味を感じないという冷めたスタンス。
これはたぶん、第一次世界大戦だけじゃなくて、殆どあらゆる戦争で、駆り出される若者たちに共通する心理なのではないか。
しかも島国の英国は、ロンドンなど一部が空襲に晒されたものの、国土の大半は戦火に合わず、わざわざ外国まで戦いに行った兵士たちは帰還したら冷遇され、誰にも感謝されないというアイロニー。
同じ英国の戦争を描く作品でも、例えばクリストファー・ノーランの「ダンケルク」が、第二次世界大戦の奇跡のダンケルク大撤退を、20世紀の英国の輝かしい神話として捉えていたのに対し、現実に存在した兵士一人ひとりに寄り添い、より没入感を追求した本作が、ただそこで起こったことを伝えるという冷静な視点なのは印象的。
両作のスタンスの違いは、作家性や劇映画かドキュメンタリーかよりも、描いている対象への距離感の違いかもしれない。
確実なのは彼らは100年前に間違いなく生きていて、多くが生きて帰れなかったという事実のみ。
ピーター・ジャクソンからの、トールキンやウィリアムの世代へのレクイエムだ。
ところで、日本で劇場公開されたのは嬉しいが、これは本国版の通り3D映像で観たかったなあ。
今回は、敵国ドイツの代表的なビール、ホブフロイ・ミュンヘンの「ホフブロイ・ドゥンケル」をチョイス。
16世紀の開設時から醸造されているまろやかでコクのあるダークビールは、古典的バヴァリア・ビールの典型。
第一次世界大戦終結から2年後の1920年2月、ホブフロイ・ミュンヘンのビアホール、ホブフロイ・ハウスであるイベントが開かれる。
当時30歳のアドルフ・ヒトラー率いる、国家社会主義ドイツ労働者党、ナチスの結党大会である。
彼もまた第一次世界大戦の帰還兵であり、軍歴の転戦記録を見る限り、ウィリアム・ジャクソンの部隊とも戦っていた可能性がある。
歴史とはなんとも皮肉なものである。

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この記事へのコメント
戦争のイメージが覆されるほどの作品でした。
本来の殺し合いが戦争のはずなのに、年齢を誤魔化して入隊した兵士たちを見ていると、部活動に参加しているようにも思える不思議さ。
戦争とは100年以上経って映像を見ているだけの我々の感覚をも狂わせる恐ろしさを持っているのでしょうね。
あぁ、何と恐ろしや。
本来の殺し合いが戦争のはずなのに、年齢を誤魔化して入隊した兵士たちを見ていると、部活動に参加しているようにも思える不思議さ。
戦争とは100年以上経って映像を見ているだけの我々の感覚をも狂わせる恐ろしさを持っているのでしょうね。
あぁ、何と恐ろしや。
>にゃむばななさん
何も言われないで見たら100年前の映像とは思えませんよね。
これだけ生々しくなるとは。
しかしやってることは今も昔も変わらないのだなあとも思います。
いつの時代も戦争の本質など知らないまま、若者たちが殺されてゆくのですよね。
何も言われないで見たら100年前の映像とは思えませんよね。
これだけ生々しくなるとは。
しかしやってることは今も昔も変わらないのだなあとも思います。
いつの時代も戦争の本質など知らないまま、若者たちが殺されてゆくのですよね。
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