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2022年06月19日 (日) | 編集 |
人生は、ゴールの見えない遠泳だ。
予告編の印象からライトなコメディだと思っていたのだが、こんな悲しくて辛い話だとは。
長谷川博己が好演する哲学者の小鳥遊(たかなし)雄司が、綾瀬はるか演じる薄原静香コーチの水泳教室に通い始める。
生まれながらの水恐怖症のカナヅチで、プールに入ることすら出来ない男が、42歳にして泳げるようになりたいと思ったのはなぜか。
その訳が、徐々に明らかになってくる。
これは過去のある記憶のピースを失ったことによって、そこから一歩も進めなくなってしまった男の再生劇だ。
原作は、高橋秀実が2005年に発表した同名エッセイ。
俳優、脚本家としても活動する渡辺謙作が監督と脚色を務める。
映画の冒頭で、小鳥遊は麻生久美子が演じる妻の美弥子とカフェのテラスで談義中。
水への恐怖を語る夫を、妻は馬鹿にして笑い飛ばそうとする。
彼は美弥子が納豆を食べられないことと同じだと指摘すると、突然通行人のカップルが、美弥子を羽交締めにして顔に納豆をぶちまけるのだ。
このエキセントリックな描写一つで、「こりゃ変な映画だ、一筋縄ではいかないぞ」と覚悟を決める。
すると映画は突然、5年後の“現在”へと飛ぶのである。
現在では小鳥遊は美弥子と離婚し、一人暮らし。
冒頭のやり取りの後、夫婦は水の事故でひとり息子を亡くし、泳げない小鳥遊は助けようとして溺れ、頭を岩にぶつけて事故の記憶そのものを失ってしまったのだ。
人生の欠落した1ピース。
大きすぎる喪失にも、記憶がないのでまともに向き合えず、子供を亡くしたという残酷な事実と、救えなかったという恐怖だけが彼を過去に押し留める。
しかし、小鳥遊の人生に訪れた新たな出会いが、彼を二度失う訳にはいかないという決意と共に、彼を水泳教室へと向かわせる。
水泳の上達は、人生の歩みに似ている。
実は自分も大きな傷を抱えている、薄原コーチのユニークで丁寧な指導が、小鳥遊の心の中にある凍りついた塊を、少しずつ溶かしてゆく。
ハードな人間ドラマだが、主人公と薄原コーチや生徒のおばちゃん軍団との軽妙なやりとり、スプリットスクリーンなどを駆使した虚構性の強いトリッキーなテリングで、可能な限りドヨーンと落ち込むのを避けている。
序盤は「泳げない人」と「泳げる人」と、対照的なコントラストを見せる小鳥遊と薄原コーチも、物語が進むにつれて徐々に関係性が変わってゆく。
交通事故の記憶に苦しみ、水の外では日常生活を送れないほどの、深刻なトラウマを負っている薄原コーチが、徐々にメンターから小鳥遊の鏡像になってくるのである。
同時に、過去の喪失を象徴する元妻の美弥子に代わって、阿部淳子演じる奈美恵が彼の未来としクローズアップされてくるのだ。
水泳の練習プロセスを、心のリハビリに合わせた組み立ても含めて、相当にロジカルで高度なことをやっている脚本である。
一度失ってしまった過去は、決して元に戻らない。
でも生きている者は、全てを胸に前を向いて歩いてゆくしかない。
日々の生活の中で、少しずつ、少しずつ、傷は癒してゆけるのだから。
予告編の印象とは全く違った作品だけど、仕上がりは素晴らしい。
Little Glee Monsterの歌うエンディングテーマ、「生きなくちゃ」がやんわりと心に沁みる。
ところで作品中の現在が2015年で、小鳥遊の息子が事故にあったのが2010年と、共に過去設定なのは何でだろう?
劇中に3.11と思しき地震が起こり、思い出のレゴが壊れてしまう描写があるが、あの程度なら過去設定にする必要性を感じない。
原作がエッセイだから実話なのかと思ったが、本の出版は2005年だし、物語はオリジナルらしいし。
何か特別な意図があるのだろうか。
今回は、水の中でこそ生き生きする薄原コーチのイメージで「ブルー・レディ」を。
ブルー・キュラソー30ml、ドライ・ジン15ml、レモン・ジュース15mlに卵白1個分を加え、しっかりシェイクしてグラスに注ぐ。
ブルー・キュラソーの甘味とジンの清涼感、レモン・ジュースの酸味を、卵白がまろやかにまとめ上げる。
パステルブルーの見た目も美しく、目と舌で味わえるカクテルだ。
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予告編の印象からライトなコメディだと思っていたのだが、こんな悲しくて辛い話だとは。
長谷川博己が好演する哲学者の小鳥遊(たかなし)雄司が、綾瀬はるか演じる薄原静香コーチの水泳教室に通い始める。
生まれながらの水恐怖症のカナヅチで、プールに入ることすら出来ない男が、42歳にして泳げるようになりたいと思ったのはなぜか。
その訳が、徐々に明らかになってくる。
これは過去のある記憶のピースを失ったことによって、そこから一歩も進めなくなってしまった男の再生劇だ。
原作は、高橋秀実が2005年に発表した同名エッセイ。
俳優、脚本家としても活動する渡辺謙作が監督と脚色を務める。
映画の冒頭で、小鳥遊は麻生久美子が演じる妻の美弥子とカフェのテラスで談義中。
水への恐怖を語る夫を、妻は馬鹿にして笑い飛ばそうとする。
彼は美弥子が納豆を食べられないことと同じだと指摘すると、突然通行人のカップルが、美弥子を羽交締めにして顔に納豆をぶちまけるのだ。
このエキセントリックな描写一つで、「こりゃ変な映画だ、一筋縄ではいかないぞ」と覚悟を決める。
すると映画は突然、5年後の“現在”へと飛ぶのである。
現在では小鳥遊は美弥子と離婚し、一人暮らし。
冒頭のやり取りの後、夫婦は水の事故でひとり息子を亡くし、泳げない小鳥遊は助けようとして溺れ、頭を岩にぶつけて事故の記憶そのものを失ってしまったのだ。
人生の欠落した1ピース。
大きすぎる喪失にも、記憶がないのでまともに向き合えず、子供を亡くしたという残酷な事実と、救えなかったという恐怖だけが彼を過去に押し留める。
しかし、小鳥遊の人生に訪れた新たな出会いが、彼を二度失う訳にはいかないという決意と共に、彼を水泳教室へと向かわせる。
水泳の上達は、人生の歩みに似ている。
実は自分も大きな傷を抱えている、薄原コーチのユニークで丁寧な指導が、小鳥遊の心の中にある凍りついた塊を、少しずつ溶かしてゆく。
ハードな人間ドラマだが、主人公と薄原コーチや生徒のおばちゃん軍団との軽妙なやりとり、スプリットスクリーンなどを駆使した虚構性の強いトリッキーなテリングで、可能な限りドヨーンと落ち込むのを避けている。
序盤は「泳げない人」と「泳げる人」と、対照的なコントラストを見せる小鳥遊と薄原コーチも、物語が進むにつれて徐々に関係性が変わってゆく。
交通事故の記憶に苦しみ、水の外では日常生活を送れないほどの、深刻なトラウマを負っている薄原コーチが、徐々にメンターから小鳥遊の鏡像になってくるのである。
同時に、過去の喪失を象徴する元妻の美弥子に代わって、阿部淳子演じる奈美恵が彼の未来としクローズアップされてくるのだ。
水泳の練習プロセスを、心のリハビリに合わせた組み立ても含めて、相当にロジカルで高度なことをやっている脚本である。
一度失ってしまった過去は、決して元に戻らない。
でも生きている者は、全てを胸に前を向いて歩いてゆくしかない。
日々の生活の中で、少しずつ、少しずつ、傷は癒してゆけるのだから。
予告編の印象とは全く違った作品だけど、仕上がりは素晴らしい。
Little Glee Monsterの歌うエンディングテーマ、「生きなくちゃ」がやんわりと心に沁みる。
ところで作品中の現在が2015年で、小鳥遊の息子が事故にあったのが2010年と、共に過去設定なのは何でだろう?
劇中に3.11と思しき地震が起こり、思い出のレゴが壊れてしまう描写があるが、あの程度なら過去設定にする必要性を感じない。
原作がエッセイだから実話なのかと思ったが、本の出版は2005年だし、物語はオリジナルらしいし。
何か特別な意図があるのだろうか。
今回は、水の中でこそ生き生きする薄原コーチのイメージで「ブルー・レディ」を。
ブルー・キュラソー30ml、ドライ・ジン15ml、レモン・ジュース15mlに卵白1個分を加え、しっかりシェイクしてグラスに注ぐ。
ブルー・キュラソーの甘味とジンの清涼感、レモン・ジュースの酸味を、卵白がまろやかにまとめ上げる。
パステルブルーの見た目も美しく、目と舌で味わえるカクテルだ。

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この記事へのコメント
主人公の名前が「小鳥遊(たかなし)」と言うのも意図的でしょうね。世の中は鷹に満ちている。一度、鷹と遭遇してしまった後はもう今までの「小鳥遊(たかなし)」ではいられない。鷹のいない場所まで泳いで逃げ切るのが新しい「小鳥遊(たかなし)」。
2022/06/22(水) 22:18:48 | URL | fjk78dead #-[ 編集]
>ふじきさん
なるほどね。そのメンターが綾瀬はるかってことね。
彼女は彼女で別の鷹、というより猪から逃げてるけど。
なるほどね。そのメンターが綾瀬はるかってことね。
彼女は彼女で別の鷹、というより猪から逃げてるけど。
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◆『はい、泳げません』ユナイテッドシネマ豊洲3
▲綾瀬はるか痩せたかな。
五つ星評価で【★★★そんなに重い映画だったのかウルトラマン】
ツイッターでの最初の感想(↓)
綾瀬はるかで興奮したいなあ程度の気持ちで見たら、ド人生ドラマ。いい物見せてもらったとは思うが、ライトコメディーを気楽に見たかったので頭が混乱してる。客席は少な目、全員野郎。綾瀬はるかサイドの話をもう少し見たかった。
綾...
2022/06/20(月) 22:54:42 | ふじき78の死屍累々映画日記・第二章
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