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オーメン:ザ・ファースト・・・・・評価額1650円
2024年04月11日 (木) | 編集 |
痣の持ち主は誰だ?

70年代を代表するオカルトホラーの傑作であり、リチャード・ドナー監督の代表作の一つ「オーメン」の前日譚。
いかにして悪魔の子、ダミアン・ソーンはこの世に生を受けたのか。
1971年のローマを舞台に、カソリック教会内部に潜む恐るべき陰謀が描かれる。
運命に導かれるようにローマにやってくる、主人公のマーガレット・ダイノをネル・タイガー・フリーが演じ、謎の少女カルリータにニコール・ソラス。
オリジナルの登場人物でもあるブレナン神父をラルフ・アイネソン、他ビル・ナイやソニア・ブラガ、チャールズ・ダンスら重厚な布陣が脇を固める。
監督と共同脚本は、これが長編デビュー作となるアルカシャ・スティーブンソン。
同じく70年代を代表するオカルトホラーを、続編としてリブートした「エクソシスト 信じる者」は無惨な大失敗に終わったが、こちらは対照的に非常によく出来た前日譚だ。
※核心部分に触れています。

1971年。
アメリカの施設で育ったマーガレット・ダイノ(ネル・タイガー・フリー)は、ローレンス枢機卿(ビル・ナイ)に招かれてローマの教会にやって来る。
教会は身寄りの無い女の子たちを養育する養護院を運営していて、ノビシャド(見習い修道女)のマーガレットは、正式な修道服を身につける着衣式に向けて、ここで教師として働くのだ。
おりしもローマでは若者たちの左翼活動が活発化し、古くからの教会の権威は失墜しようとしていたが、マーガレットの信仰は揺らがない。
マーガレットは、カルリータ・スキアーナ(ニコール・ソラス)という心が不安定な少女と出会うが、彼女は他の子供たちとは孤立し、修道女たちからは厄介者扱いされていた。
自らも幼い頃に幻影に悩まされていたマーガレットは、カルリータを気にかけるようになる。
ある夜、宿舎で同室のルス(マリア・カバジェロ)から、儀式を受ける前に俗世の楽しみを経験した方がいいとディスコに誘われ、泥酔してしまう。
そんなマーガレットの前に、教会を破門されたブレナン神父(ラルフ・ネイアソン)が現れ、カルリータの周りで邪悪なことが起こり始めるだろうと、彼女に警告するのだが・・・・


オリジナルでは、謎に満ちたダミアンの出自を確かめるために、グレゴリー・ペックが演じた主人公のロバートらが、母親の墓を暴く描写がある。
棺に埋葬されていたのは、人間ではなく山犬。
つまり、ダミアンは人から生まれた子ではない、ということが示唆されていた。
ここから、どうやって話を作るのかと思ったが、これがなかなか上手く考えられている。
舞台となるのは左翼学生たちの抗議活動が続き、教会離れと価値観のパラダイムシフトが起きている71年のローマ。
混乱の時代性を怪異の背景とする手法は、ルカ・グァダニーノ版「サスペリア」にも通じる。
実際、禁欲的な環境で育ったアメリカ人女性が、左翼活動に揺れる異国の首都にやって来て、閉鎖的な集団(あちらでは女性だけの舞踊団、こちらではカソリック教会)に身を投じた結果、怪異に遭遇し自らの宿命を知る、という大筋のプロットはよく似ているので、インスパイア元の一つなのかも知れない。

しかし伝説的なアルジェント版とは似ても似付かぬ、グァダニーノの強烈な作家映画となっていた「サスペリア」に対して、こちらはオリジナルにリスペクトを捧げ、継承する正統派オカルトホラーだ。
なにしろ、オープニングがいきなりオマージュからはじまるのである。
ブレナン神父が古い教会にやって来ると、そこでは窓を取り替える作業中で、巨大なステンドグラスの窓が吊り下げられている。
もうこの時点で嫌な予感しかしないのだが、教会の中で密会したブレナン神父とハリス神父が外に出ると、お約束通りにステンドグラスが落下してくるのだ。
オリジナルでのブレナン神父の最後を知っている人には、もう「我が意を得たり!」なオープニング。
その後、マーガレットが登場してからはややスローテンポとなり、教会を中心とした世界観をじっくりと伝えてくる。

物語が動くのは、ルスに誘われたマーガレットが泥酔事件を起こし、謎めいた少女カルリータにシンパシーを深めてゆく頃。
カルリータは普通の人と違うものを見て、それを絵に描いていて、時に攻撃的になることから、周りからは浮いた存在。
そしてマーガレットもまた、幼い頃にカルリータ同様の経験をしてきているのだ。
特にミスリードも無いので、この時点で想像はついてしまうと思うが、マーガレットとカルリータは、二人とも「666」の痣を持つ人物
人間と山犬の交配で生まれた、悪魔の子なのである。
ただし、真の反キリストは男子でなければならないようで、二人は反キリストの母となるために人為的に作られた存在なのだ。

では誰が“反聖母”としての二人を作ったのかというと、これがカソリック教会自身なのが面白い。
ここで前半から地味に印象づけていた、時代性が生きてくる。
カソリック教会は、ローマ帝国の昔からその権威によって大衆を導き、時には王よりも強大な権力を誇った。
だが時代は移り変わり、人々は次第に信仰に興味を失い、教会に通う人も減った。
挙げ句の果ては、宗教を否定する左翼の台頭である。
カソリック教会の一部セクトは、古代から伝わる秘術を使い、まず反キリストの母を作り、次に反キリストをこの世に誕生させようとする。
世界を破滅に導く悪魔の子を見た世界は、再び教会の権威に服従するだろうという、ある意味究極の自作自演
教会を“悪”と定義する物語は、なるほど世界中の教会での性的虐待のスキャンダル明るみに出て、実際にカソリックの権威が失墜した現在ならではのもの。
だが元々カソリック教会は権威主義的でミソジニー体質なので、左翼活動への危機感とリンクさせることで、世界観は違和感なく機能している。
先述の「エクソシスト 信じる者」でも、カソリック聖職者はもはや悪魔を祓える存在ではないと格下げされてしまっていたので、教会への信頼の揺らぎというのは結構深刻なのだろう。

前半にはなんとなく匂わせている程度の、マーガレットとカルリータを巡る陰謀の謎解きは、中盤以降はミステリアスに進行し飽きさせず、ショックシーンは描写としては控えめながら、オリジナルを彷彿とさせるムーディーな演出はけっこう怖い。
あちらこちらにドナー版へのさりげないオマージュを組み込み、オールドファンにも目配りしつつ、オリジナルを知らない若い観客がこれ単体で観ても面白い作り。
最終的に、自らを作った偽りの権威への、反乱の物語となっているあたりも実に今風で、アルカシャ・スティーヴンソンは、デビュー作にしてとてもいい仕事をしていると思う。
また特筆すべきは「レ・ミゼラブル」などで知られる、イヴ・スチュワートが手がけた美術で、物語のほとんどが教会建築の中で進行するという重厚性の中に、悪魔的モチーフを潜ませたデザインワークは素晴らしいクオリティだ。

しかし仕上がりの良さとは対照的に、本作は興行的にはあまり上手くいっていないらしく、この後があるかどうかは未知数だ。
終盤の展開は綺麗にオリジナルに繋がっているが、旧シリーズには出てこなかった、“ある変数”の存在が明らかになるのがポイント。
続編があるとすれば、何かと評判の悪い「2」以降を無かったことにする形だろう。
できれば、スティーヴンソンの続投で実現して欲しいのだが、果たして?

今回は、キリストの血のようなフルボディのイタリアワイン、「ドン ルイジ リセルヴァ」の2016年をチョイス。
モリーゼ州の名門、ディ・マーヨ・ノランテがモンテプルチャーノで作られるこちらは、タンニンの渋味とフルーティーな甘味が好バランス。
絹のようなスムーズな喉越しで、複雑なアロマがエレガントな後味を作り出す。
お肉料理に合わせるとピッタリだろう。

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ショートレビュー「パスト ライブス/再会・・・・・評価額1650円」
2024年04月09日 (火) | 編集 |
この人生には「縁」がある?

韓国ソウルに育ち、海外移住のために別れ別れになった幼馴染のナヨンとヘンソンが、24年後にニューヨークで再会する。
しかし今はノラという英語名で生活するナヨンには、7年前に結婚したアーサーという夫がいる。
24年ぶりの再会は、二人の今にどのような化学変化をもたらすのか。
韓国系カナダ人の劇作家、セリーヌ・ソンの半自伝的作品で、主人公のノラとヘソンをグレタ・リーとユ・テオが演じる。
アメリカ映画だが、劇中で話される言語のほとんどは韓国語。
それでも批評家、観客双方の支持を受けてクリーンヒットを記録し、96回アカデミー賞では、作品賞、脚本賞にノミネートを果たし、インディペンデント・スピリット賞では作品賞、監督賞に輝いた。

初監督作品とは思えない、非常に洗練された端正な映画である。
セリーヌ・ソン監督は、やはり劇作家で夫のジャスティン・クリツケスと、ニューヨークを訪れた韓国人の友人と三人で食事をしている時に本作のアイディアを着想した。
ソンは英語と韓国語を通訳しながら、自分自身の中の二つのアイデンティティの間を行き来していることに気づいたという。
この状況を、そのまま再現したファーストカットが面白い。
バーのカウンターで語り合う三人の男女を、第三者の“誰か”が見ていて、三人の関係を推測する。
親しげに語り合うアジア人の男女と、すこし手持ち無沙汰な白人男性。
アジア人女性と白人男性がは夫婦で、アジア人の男性は友人?それともアジア人の二人は旅行者の夫婦で、白人男性は観光ガイド?
どんな関係だか分からない三人の人生のドラマを、これから垣間見ることになることを予告する、秀逸なプロローグ。

本筋の物語はソウルからはじまる。
12歳のナヨンとヘソンは、大の仲良しでお互いが初恋の人。
だがナヨンは芸術家の両親と共に、カナダに移民してしまう。
長い歳月が流れ、ノラという英語名を名乗り、新進の劇作家となっていたナヨンは、ヘソンが自分を探していることを知る。
二人は12年ぶりにSNSで繋がるが、お互いに再会には踏み切れないまま時間だけが過ぎてゆく。
そして別れてから24年が過ぎた頃、結婚してNYに暮らすナヨンをヘソンが訪ねて来る。
36歳となったナヨンには同業者の夫がいて、ヘソンには別れたんだか別れてないんだか、微妙な関係の恋人がいる。
安いメロドラマなら、ここで焼け木杭に火がついて・・・となるところだが、本作はそうはならない。
激しい感情やリアリティのないドラマ性は削ぎ落とし、24年の歳月が相思相愛だった二人をどう変えていったのか、それを今どう認識しているのか、感情の機微を丁寧に描いてゆく。

劇中何度も出て来るのが「イニョン(因縁)」という言葉で、輪廻の中での「縁」とか「宿命」みたいな意味。
ナヨンとヘソンには、間違いなくイニョンがある。
でも無限に繰り返される輪廻の中では、ある人生では結ばれ、ある人生では結ばれない。
さて、この人生はどっち?という話。
タイトルが「Past Lives」と複数形なのも、このためだ。
思い出のシーンと再会のシーンを共に大きなオブジェの前にしてシンクロさせたり、再会の時のハグと別れの時のハグを逆の仕掛けにしたり、反復性のシンボリズムを生かした粋な演出が光る。
韓国で過ごした子供時代と、移民として生きている現在まで、どちらが欠けてもナヨンの今はない。
だから、同じ時間を過ごしていなかったとしても、ヘソンは彼女にとってかけがえのない大切な人なのだ。

初恋の幼馴染との再会という、シチュエーションそのものは普遍的だが、人生観の哲学は完全に東アジアの情緒で、日本人にとっては非常に感情移入しやすい。
逆にアメリカの観客にとっては、劇中でナヨン自身も言っている通り、理解できるけど違いもあるのが興味深いのだろう。
ナヨンの夫が、二人の話のハリウッド映画版みたいな、陳腐なバージョンの話を披露するのが可笑しい。
誰もが共感出来て余韻が長く尾を引く、素敵な大人のラブストーリーだ。

ニューヨークが舞台の本作には、「マンハッタン」をチョイス。
カナディアン・ウィスキー45ml、スウィート・ベルモット15ml、アンゴスチュラ・ビターズ1dashミキシンググラスでステアし、カクテルグラスに注いだ後ピンに刺したマラスキーノチェリーを沈めて完成。
この美しいカクテルの起源に関してはウィンストン・チャーチルの母、ジェロニー・ジェロームが発案者だという説もある。
1876年にマンハッタン・クラブで開かれた民主党大統領候補の応援パーティで、即興で作ったカクテルで、後に会場の名前からマンハッタンと呼ばれる様になったのだそうな。

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美と殺戮のすべて・・・・・評価額1700円
2024年04月04日 (木) | 編集 |
殺戮は、静かに進行する。

第87回アカデミー長編ドキュメンタリー賞を受賞した「シチズンフォー スノーデンの暴露」のローラ・ポイトラス監督が、写真家にして活動家のナン・ゴールディンの生き様を追ったドキュメンタリー。
2022年に開催された第79回ヴェネチア国際映画祭で、ドキュメンタリー作品としては史上2作品目の金獅子賞に輝いた。
1953年生まれのゴールディンは、70年代以降のLGBTQのコミュニティを背景とした、カウンターカルチャーシーンを撮り続けた伝説的な写真家で、彼女と交流のあった多くの人物、時には自分自身を被写体とした赤裸々な作品で知られている。
本作の縦軸となるのは、過去数十年間に渡るゴールディンの人生。
そして横軸となるのは、中毒性の高いオピロイド汚染を引き起こした製薬会社、パデューファーマとオーナーのサックラー家との闘いだ。

映画は、ニューヨークのメトロポリタン美術館での、プロテストシーンから幕を開ける。
サックラー家の名前の入った神殿の展示館で、ゴールディンら活動家たちはオピロイドの容器をばら撒き、死者になりきるダイ・インの抗議をする。
手術後の鎮痛剤として処方されたオピロイドで、中毒に陥ったゴールディンは、オピロイドの危険性とサックラー家の欺瞞を知る。
彼らは医師にどんどん処方箋を書かせ、利益をキックバックする。
製薬会社と医師は儲かるが、不必要なオピロイドを摂取した患者は、人によっては一夜にして依存症になってしまう。
しかもサックラー家は、そうして築いた富を使って、世界各国の美術館にパトロンとして巨額の寄付をし、サックラーの名を冠した展示室や建物を作らせている。
それらの美術館の多くには、ゴールディンの作品もまた所蔵されているのだ。
幸いにも依存状態から回復した彼女は、支援団体P.A.I.N.を立ち上げて社会にオピロイドの脅威を知らせると共に、世界の美術界にサックラー家と手を切るように迫るのである。

ゴールディンが活動の先頭に立つ理由は、彼女の人生と深い関わりがある。
彼女が11歳の時に、仲の良かった姉バーバラが自殺する。
姉妹の母親は性的虐待を受けて育ち、思春期を迎えた娘を愛することが出来ず、精神病院に入れてまで遠ざけようとしたと言う。
そうして、うつ状態なったバーバラは、若くして自ら命を絶ったのだ。
その後ゴールディンは13歳の頃に家を出て、複数の里親のもとを渡り歩き、一時期通ったコミュニティスクールで、カメラと出会う。
根無草のような彼女がやがてたどり着いたのが、当時はアンダーグラウンドな存在だったLGBTQのコミュニティ
ドラァグクイーンと同居し、同性の恋人もいたというから、ゴールディン自身はバイセクシャルのようだが、個人のセクシュアリティを尊重するスタンスに共感したゴールディンは、セックスとドラッグに彩られた、カウンターカルチャーの世界に生きる人々の姿を写真に撮るようになる。
そして1985年に発表されたのが、彼女の代表作であり、本作にも多数引用されている「性的依存のバラード」だ。

だが、80年代後半になると、HIV/AIDS禍がコミュニティに襲いかかり、ゴールディンの大切な人たちが次々と亡くなってゆく。
今よりも性的マイノリティに対する偏見が、遥かに強かった時代。
当初AIDSはジャンキーとゲイがかかる病とされて、感染者は激しい差別を受け、治療法の開発は遅々として進まない。
アメリカ社会のAIDSに対する印象を大きく変えたのは、1991年11月にマイケル・ジョーダンと並ぶNBAのスーパースターだった、マジック・ジョンソンがHIVポジティブを公表した時。
私は当時西海岸に住んでいたのだが、世間のショックはそれは凄まじかった。
ジョンソンの告白によって、誰もがかかる可能性がある病気だということが、ようやく理解されはじめ、ジョナサン・デミ監督の「フィラデルフィア」など、ハリウッドでも啓蒙的な作品が多く作られるようになり、徐々に差別と偏見が少なくなっていったのを覚えている。
だが、この頃にはゴールディンの友人たちの多くが、既に亡くなっていたのである。
この時代を通して、おそらく彼女は知ったのだ。
人々の無知と無関心の間に、大量殺戮は静かに、密かに進行するということを。
ケースは違えど、これは「オッペンハイマー」が描いた、核の脅威に対する人々の選択的な不感症に近いものがある。

そしてAIDS禍から30年後、オピロイドの蔓延により同じ問題が起きた時、かつて自らがドラッグカルチャーの中にいたがゆえに、彼女は立ち上がらざるを得なかった。
亡くなったバーバラが残したメモに、コンラッドの「闇の奥」からの引用がある。
「人生とはおかしなもので、無益な目的、無慈悲な必然性に基づいている。自分のことを深く知り得たとしても大抵は手遅れで、悔やみきれない後悔が残るだけだ」
このメモが物語る、過去に対する深い悔恨が、ゴールディンのエネルギー源なのだろう。
ローラ・ポイトラス監督は、ゴールディンの人生を彩る無数の出会いと別れの物語を通し、二度と後悔はしたくないという、彼女の決意にも似た非常に強い感情に観客を巻き込む。
オピロイド依存の結果、オーバードーズによる全米の死者数は、現在までに50万人に及ぶという。
だがオピロイドそのものは、必要としている人がいるのも事実で、問題は利益のために危険な薬を過剰に売りまくったこと。
劇中にも言及があったが、回復のためには監督下での適切な使用を通して徐々に依存を減らす、ハームリダクションの徹底が望ましいとされている。
実際、ハームリダクションによって、死者数を大幅に抑えた国もあるという。
映画の作りとしては伝記の比重が大きく、薬害との闘いはやや深掘り不足を感じなくもない。
特に不作為の罪を作り出す利権の構造などは、もう少し突っ込んで欲しかったところだが、そこに比重を置きすぎると映画のバランスが崩れてしまうし、人間くさいナン・ゴールディンのユニークな伝記としては十分に面白い。
特に7、80年代のカウンターカルチャー史の裏側は、映画好きにも非常に興味深いのでは無いだろうか。

ゴールディンの過去70年の人生を振り返る本作には、「デイドリーム・マティーニ」をチョイス。
シトラスウォッカ90ml、オレンジジュース30ml、トリプルセック15ml、シロップ1dashを氷を入れたミキシンググラスでステアし、冷やしたグラスに注ぐ。
甘味と酸味がバランスし、柑橘類の香りが清涼さを際立たせるフレッシュなカクテルだ。
味わっているうちに、ゆっくりと過ぎ去った過去の夢に誘われるだろう。

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オッペンハイマー・・・・・評価額1800円
2024年03月30日 (土) | 編集 |
20世紀のプロメテウスは、人類の未来に何を見たのか。

第二次世界大戦下、世界初の原子爆弾を開発したマンハッタン計画を主導し、“原爆の父”と呼ばれた物理学者、オッペンハイマー博士の半生を描く3時間の大長編。
幼い頃から天才とうたわれた正義感の強い青年は、ニューメキシコの荒野にロスアラモス研究所という一つの街を作り、数千人の科学者を率いる“王”となった。
そして人類に核の炎を手渡しておきながら、なぜより強力な水爆の開発に公然と反対し、公職を追われることになったのか。
歴史家のマーティン・J・シャーウィンが2001年に発表した「オッペンハイマー 「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇 」を原案に、クリストファー・ノーランが監督・脚本を担当。
主人公のロバート・“オッピー”・オッペンハイマーをキリアン・マーフィー、妻のキティをエミリー・ブラント、二人三脚でマンハッタン計画を成功に導いた陸軍のグローブス将軍にマット・デイモン、オッピーの宿命の敵となるルイス・ストローズをロバート・ダウニー・Jr.が演じる。
本年度アカデミー賞7部門に輝いた、3時間の長尺を感じさせぬ、圧倒的な熱量を持つ傑作である。

1954年。
ロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)は、アメリカ原子力委員会(AEC)の聴聞会に挑んでいた。
彼が過去に共産主義者と関わりを持っていたこと、水爆の開発に強く反対していたことから、国家機密にアクセスできる保安許可を更新するか否かを、聴聞会という名の”裁判”によって審理されるのだ。
時代は飛んで1959年。
この年、アイゼンハワー政権の商務長官に指名されたルイス・ストローズ(ロバート・ダウニー・Jr.)は、職務の適性を審査する議会の公聴会で、5年前にオッペンハイマーを公職追放した件を追及されることを恐れていた。
ACEのトップだったストローズは、かつて自らプリンストン高等研究所に招聘したオッペンハイマーと対立し、権謀術数を巡らして公職追放していた。
二人の出会いは、第二次世界大戦が終ってすぐ。
その数年前の第二次世界大戦中、国内屈指の理論物理学者だったオッペンハイマーは、陸軍のグローブス准将(マット・デイモン)によって白羽の矢を立てられ、原子爆弾を開発するマンハッタン計画の責任者に抜擢されていた・・・・・


はじめに断っておくが、この映画は原爆の投下を肯定したり、アメリカの立場を強調したりした作品ではない。
日本人にとってはセンシティブなモチーフであるのは確かだが、作品は人道的に真摯なスタンスで作られていることはまず保証したい。

しかしこの映画、観る前のハードルが結構高いのだ。
原案となっているシャーウィンの本は、オッペンハイマーの死後、四半世紀かけて集められた資料と関係者のインタビューに基づき執筆されたノンフィクションで、邦訳文庫版で上中下三冊1000ページを超える内容に、無数の関係者が登場する。
映画版では搾られているとは言え、それでも3時間の上映時間には膨大な数の登場人物が出てくる上に、登場人物に関する説明は一切してくれないのである。
何も知らずに観ても、語り口が上手いので面白くはあると思うが、内容をきちんと理解したいのであれば、原案本までは読まずとも、オッペンハイマーとは誰ぞや?の予習は必須。
特に物理学者はアインシュタイン、ボーア、ラビ、ローレンスら物理学のアベンジャーズ状態。
アインシュタインの一般相対性理論くらいは、理系でなくとも聞いたことはあると思うが、それぞれの人物とオッペンハイマーの関係性を知っていると、より深く楽しめるだろう。
歴史劇であり、ネタバレどうこう言う作品ではないので、解説サイトなどで予習してから鑑賞することをお勧めする。

映画はオッペンハイマーの保安許可が剥奪された、1954年のアメリカ原子力委員会(AEC)聴聞会と、彼を陥れたストローズの商務長官指名に伴う1959年の議会公聴会、この二つの“裁判”を軸に、時系列を頻繁にシャッフルする形で、人類を新しい世界に導き入れた、天才物理学者の半生が描かれてゆく。
主にオッペンハイマー視点のシーンはカラー描かれ、ストローズが中心となる部分はモノクロ。
同じシーンでも視点が違うとカラーになったり、モノクロになったりする。
原案本では終盤のみの登場人物であるストローズを、完全にオッペンハイマーのアンチテーゼとしたことで、より言いたいことがクリアになった。

この二人は共に成功したユダヤ人だが、その育ちや思想は正反対。
裕福な家庭に生まれ、幼い頃からやりたいことは全部やらせてもらい、ヨーロッパに渡って世界の頭脳と交流してきたオッペンハイマーは、リベラルで教養豊か。
社会正義に敏感で、それゆえに当時変革をもたらすと期待されていたアメリカ共産党に接近。
職場環境を改善する組合活動をはじめ、スペイン内戦での義勇軍を支援したり、ナチスの迫害を受けてドイツのユダヤ人をアメリカに避難させることにお金を出したりもしていた。
左翼シンパだが、基本的にルーズベルト大統領のニューディール政策を支持する、民主党より。
一方のストローズは、靴屋の息子で典型的なワシントンの叩き上げ。
後に大統領となるハーバート・フーバーのアシスタントとなるチャンスを得て、投資銀行家として財を蓄え、戦争中は軍需物資の管理を扱う仕事で少将まで昇進し、戦後はその流れで核兵器を管理するAECの創設に参加する。
物理学に強い関心を抱いていたが、専門家ではなく、その経歴からも見える通り、反共主義者で保守的な共和党支持者。
一度はバディとなったオッペンハイマーとストローズは、最初から見ている世界が違うのだ。

マンハッタン計画はさまざまな困難を乗り越えて、原爆の開発に成功する。
ここまでは、ナチスドイツに先を越されたら・・・という危機感で突っ走っていたのだが、ナチスは既に敗戦し、日本も実質的にはすでに負けている状態。
先を越される可能性がなくなって、オッペンハイマーははじめて原爆の使用に迷いを感じ始める(日本でも陸軍の「二号研究」と海軍の「F研究」の二つの原爆計画が存在し、「太陽の子」として映画化もされているが、十分な量のウランが手に入らず、はるかに遅れた段階だった)。
しかし科学者の仕事は原爆を作るまでで、それをどう使うかは軍人や政治家の胸先三寸。
結局、彼らは対ソ連デモンストレーションとして、原爆で日本の二つの都市を破壊した。
オッペンハイマーは、ここで知ってしまうのだ。
彼は現代のプロメテウスとして、核の火を人類に手渡したが、その本当の意味を理解できるほど人類は聡明ではなかった
だから彼は核兵器そのものより、それを手にした人類に恐れを抱く。
広島への原爆投下成功後、ロスアラモスの講堂で科学者たちを前に演説したオッペンハイマーは、その場にいる全員が核の炎で焼かれる恐ろしい幻影を見るのである。

だが一度現物として姿を現した技術は、何らかの枷がなければ加速度的に進化してゆく。
ボーアの核の国際管理という思想に共鳴していてたオッペンハイマーは、水爆の開発には強く反対しながら、人類に全体に対して核技術をオープンにし、国家主権を一部手放して国際的な核管理機構を国連内に設立することを提言する。
しかしこれはストローズに代表される、米国の核の優位を維持したい人々にとっては、みすみす敵に塩を送るとんでもない発想。
彼らは政治的な権謀術数を巡らせて、オッペンハイマーを追い落としにかかる。

AEC聴聞会で、ソ連の核軍備増強について聞かれたオッペンハイマーは、最後に声を荒げながらこう主張する。
「我々がやれば、彼らもやらねばならなくなる。原爆を作った時と同じように、我々の努力は彼らの努力の燃料となるのです。」
そして、こう続ける。
「私たちは、持っているすべての武器を使う傾向がある」
オッペンハイマーは赤狩りの犠牲者として語られることが多いが、彼は赤狩りを主導していたマッカーシーの非米活動委員会で斬罪された訳ではない。
映画を見て驚いたのだが、AEC聴聞会が開かれたのは、数人入ればギュウギュウになってしまう狭い小部屋なのだ。
そこにはメディアも、聴衆もいない。
彼は非公開の魔女裁判によって、密かに葬られるのだから、厳密に言えば赤狩りに便乗したストローズら反対派の謀で追放されたというのが正しい。
この理不尽な出来レースによって、オッペンハイマーは核の使用で生じた人類に対する疑念と終末への恐れを、よりいっそう感じるようになるのである。

一方、1959年のストローズの公聴会は、議会で開かれるのだから、当然広く公開される。
本来ならばアイゼンハワー政権の閣僚という、ストローズの叩き上げ人生の総決算となるはずだった。
ところが、5年前のオッペンハイマーの追放劇が因果応報的に絡んできて、栄光への階段は音を立てて崩れ始めるのだ。
映画の途中で、オスカー受賞者のラミ・マレックが、ネームバリューの割には小さな役で出てきてるな、と思っていたら、ここへ来て決定的な役割で再登場
この件は映画とは構造の違う原案本では、数行でスルーされているので、マレックの演じたデヴィッド・L・ヒルなる人物を改めて調べて納得した。
人間いつどこで、自分の人生に節目に大きな影響を与える人物と出会っているのか、分からないものだ。
猜疑心に取り憑かれたストローズを演じたロバート・ダウニー・Jr.の演技は、本作の白眉と言えるもので、とてもアイアンマンの中の人と同一人物とは思えない。

主人公の内なる視点と外(ストローズら)からの視点を組み合わせる構造によって、本でも言及されていた「羅生門」的な多面性がキープされたのもいい。
ストローズがオッペンハイマーに疑念を抱く発端となっているのが、彼をプリンストン高等研究所に招聘した日の出来事。
オッペンハイマーは、池のほとりに立っていたアインシュタインに歩み寄ると、何ごとかを語りかける。
するとアインシュタインは、憮然とした表情で立ち去るのだ。
はたしてオッペンハイマーは、アインシュタインに何と言ったのか
ストローズは知りたくてたまらないのだが、オッペンハイマーは教えてくれない。
これは映画のテーマそのものなので、是非劇場て確かめて欲しい。

ところでノーランといえばIMAXだけど、これは基本的に会話劇だしIMAXの価値ある?と思ってる人には、とりあえず「ある」と伝えておきたい。
ただし本作の場合、映像以上に重要なのは音響。
この映画では主人公が見る心象的なイメージが映像や音となって表現されていて、特に音響の異様な迫力をどこまで再現できるかが映画の印象を左右する。
少なくともドルビーアトモスなど、音響レベルの高いスクリーで鑑賞すべきだろう。

「オッペンハイマー」は、原爆投下の是非を問う映画ではなく、赤狩りを告発する映画でもない。
問題はこの二つの事象のように、人間は間違いを犯すということである。
これは人間の善性を信じていた、ある意味で純粋過ぎる科学者オッペンハイマーが、人間の不誠実さ、恐ろしさを知ってゆく物語である。
ある局面になれば、人類は自らを滅ぼすことを躊躇しないのではないか。
オッペンハイマーがアインシュタインに語った言葉には、その恐怖が滲み出ている。
印象として本作と一番近いのは、ノーランの過去作より、核ならぬコンピュータの父となった同時代の数学者、アラン・チューリングを描いた「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」だろう。
常人を超える天才には、苦労が尽きないようで・・・

今回は、オッペンハイマーの愛飲酒「マティーニ」をチョイス。
ドライ・ジン45ml、ドライ・ベルモット15mlをステアしてグラスに注ぎ、オリーブを一つ沈める。
19世紀に人気を博した「ジン&イット」のアレンジから生まれたと言われる。
非常にシンプルなカクテルだが「カクテルの王」と呼ばれるだけあって、味わいは奥深い。
ただ、原作では「ジン・マティーニにベルモットを一滴たらし、冷蔵庫で冷やしておいた脚の長いグラスへ注いだ」との記載があり、オッペンハイマー家では、通常のマティーニにスイート・ベルモットを一滴、追いベルモットとして加えていたのかも知れない。

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流転の地球 -太陽系脱出計画-・・・・・評価額1600円
2024年03月26日 (火) | 編集 |
流浪の地球はどこへ行く。

急速に膨張する太陽から逃れるため、無数の巨大エンジン群を建設し、地球そのものを宇宙船にして4.3光年先の別の太陽系を目指す、という劉慈欣(リウ・ツーシン)原作の超豪快な設定の中国製SF大作。
日本では配信スルーとなってしまった「流転の地球/さまよえる地球」に続く第二作だ。
もっとも物語の時系列的にはこっちが前なので、単体で鑑賞しても問題無い。
前作公開時は東宝の「妖星ゴラス」との類似性が話題になってたが、「地球を巨大なエンジンで動かす」以外は全然別の話だ。
本作では地球を動かして太陽系を脱出する派と、肉体を捨ててデジタル生命に進化する派が対立する中、地球のエンジンの準備が整う前に、軌道を外れて地球とのコリジョンコースに入ってしまった月を回避するための作戦、そして遂に地球が動きはじめるまでが描かれる。
宇宙飛行士のリウ・ペイチアンを演じる主演のウー・ジンや、監督のグォ・ファンら主要スタッフは続投。
天才科学者トゥー・ホンユーを演じるアンディ・ラウが、重要な役割で出演しており、ダブル主演に近い形になった。
※核心部分に触れています。

太陽内部の核融合が異常に加速し、近い将来破滅的な爆発“ヘリウムフラッシュ”が起こることが確実視された2040年代。
人類は連合政府を樹立し、1万機をこえる巨大エンジンによって地球を動かし、4.3光年離れたアルファ・ケンタウリ星系へ移動させることを決定。
100世代、2500年かかる壮大な計画が幕をあける。
しかし人類は肉体を捨て、デジタル生命として生き残るべきだと考えるグループが、政府に抵抗し続けていた。
宇宙飛行士候補のリウ・ペイチアン(ウー・ジン)は、軌道エレベーターの基地に配属され、訓練に明け暮れていたが、ある日基地は過激派によって襲撃され、エレベーターが破壊されてしまう。
一方、幼い娘を突然の交通事故で亡くした量子科学者のトゥー・ホンユー(アンディ・ラウ)は、娘の人格をコンピューターの中で生かすことを条件に、新たな量子コンピューター開発への参加を約束する。
14年後、さまざまな困難を乗り越えて、プロジェクトは完成を間近にしているが、月を地球から引き離すエンジンが故障し、地球とのコリジョンコースに入ってしまう・・・・


以前映像業界のセミナーで、前作のVFXプロデューサーに話を聞く機会があったのだが、前作の制作時には誰もこの規模のSF大作の経験が無かったそう。
結果、予算組みに無理が出て、4000万ドルあったにも関わらずポスプロ途中でお金が足りなくなってしまった
現在の中国映画界ではスター俳優の囲い込みがファーストプライオリティで、VFXには潤沢な予算が回らない。
スタジオの技術に対する無理解は、どうやらどこも同じらしい。
だが、制作ストップしそうになったところ、ウー・ジンがポンと1000万ドル出資して完成に漕ぎ着けたとか。
中華圏スターの景気の良さに驚いたものだが、今回は前作のヒットを受けて予算も増えて(推定1億2500万ドル)、見せ場てんこ盛り、3時間の大長編となった。
連合政府とデジタル生命派ゲリラとの戦いから始まって、地球から遠ざかるはずが、エンジン故障で地球に向かって暴走する月を破壊するためのミッション、地球の全エンジンをシンクロさせるため、水没した都市で寸断されたインターネットを復旧させるミッションなどが次々と展開しお腹いっぱいだ。

地球が動き出して、木製の引力に引き込まれそうになる危機を描いた一作目をすでに作っているので、ある意味本作で描かれたことは全て過去。
少なくとも、地球が動き出して木星軌道までは到達したことは分かっている。
そこで本作では、未来に起こるイベントに向けて、「◯◯が起こるまで後何日」のようにカウントダウン形式で進む。
予告された危機を、どうクリアするのかが面白さのポイントという訳だ。
ヒロイックなウー・ジンのキャラクターは前作と変わらないが、ドラマの変数となるユニークな存在が、アンディ・ラウ演じるちょっとマッドが入り気味のトゥー博士。
彼は事故死した娘の意識を、自身が開発している量子コンピューターの中で再現しようとしていて、それを計画参加の条件としている。
このデジタル生命という概念により、単なるアクションだけでなく、そもそも人間存在とは何か?などハードSF的哲学要素も多くなって見応えは十分だ。
原作者のリウ・ツーシンも、本作では製作総指揮の一人として参加しているので、この辺りは彼のアイディアじゃなかろうか。
前作の時点でもなかなかだったVFXは、質量ともに大幅に拡充。
製作費が増えたと言っても、1億2500万ドルはボリュームの凄まじさを考えれば、ハリウッド映画に比べればだいぶ安い。
「ゴジラ-1.0」のオスカー受賞の要因であろう、「ハリウッド映画の効率悪すぎ問題」がここにも見えてしまう。
世界観を構築する膨大な美術デザインも、相変わらず素晴らしいクオリティだ。

ただあまりにも複雑かつ壮大過ぎて、この尺を費やしてもダイジェスト感がある。
実は本作の原作は大長編の「三体」とは違って、短編集の「流浪地球」に収録された50ページほどの作品で、移動をはじめた地球に暮らす「ぼく」の一生を一人称で語るシンプルな物語だ。
これはこれで素晴らしいので、ぜひお勧めしたいのだが、ぶっちゃけ世界観以外は映画とは別物。
映画化に当たっては、鉛筆ほどだった原作を丸太になるくらい大幅に肉付けしているのだが、SFや異世界ものの常で、世界を丸ごと作っているので、広げようと思えば無限に広げられる
本作の場合は思いっきり広げた世界観のもとで、複数のプロットが矢継ぎ早に同時進行し、全体に大味な印象になってしまってるのが残念。
まあ前作よりは尺が伸びた分ベターになってはいるものの、作り上げたストーリーのボリューム感を考えれば、これも配信ドラマの方がフィットしそうだ。
大スクリーンの迫力は捨て難いのだけど。
とりあえず、流浪の地球の物語はまだまだ続きそうなので、次回作を楽しみに待ちたい。
中国政府の偉い人が2058年にも人民服着たのには笑っちゃったけど、アレはもはや民族衣装みたいなものなのか。
地球ごと移民しようというアイディアも、世界中どこでも中華街を作っちゃう中国的な発想かも知れないな。
次回作が作られるとすると、永遠の存在となったトゥー博士と娘がキーになって来るはずだが、果たして?

ところで同じウー・ジン主演の「戦狼 ウルフ・オブ・ウォー」もそうだったけど、単体で完結してるとは言え、前作があることはもうちょっとインフォメーション出してもいいのでは。
宣伝的に言いたくないのは理解するが、タイトル出た時に観客席から「え?これ2なの?」って声上がってたぞ。

地球を動かしてしまうのだから、当然天変地異に襲われる本作には、「アースクェイク」をチョイス。
ドライ・ジン20ml、ウィスキー20ml、アブサン20mlを氷と共にシェイクし、グラスに注ぐ。
アブサンの香りが強く、香草系が好きかどうかで好みが分かれるだろう。
非常に強いカクテルなので、酔っ払って地面が揺れているような感覚になるのがネーミングの由来。
ゆえに、飲み過ぎ注意。

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