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ハッピー・デス・デイ/ハッピー・デス・デイ 2U・・・・・評価額1600円
2019年07月17日 (水) | 編集 |
死のループから脱出せよ。

9月18日の誕生日の夜に、何者かに殺された女子大生が、人生最後の日を無限ループする「ハッピー・デス・デイ」と、そもそもなぜループが作られたのかを描くネタばらし編「ハッピー・デス・デイ 2U」が、日本ではほぼ同時公開中。
原題からして思いっきりダジャレなタイトルにB級感が漂うが、2本ともセンス・オブ・ワンダーに溢れたなかなかの快作。
本国では1作目が2017年、「2U」が19年と、二年のブランクがあったのだが、この2本は続けてみたほうが絶対に楽しい。
外国映画の公開が世界一遅い日本だが、こんなメリット(?)もあったのだな。
「ラ・ラ・ランド」のジェシカ・ローテが、年齢的にちょっと無理のあるビッチな女子大生ツリーを怪演し、「パラノーマル・アクティビティ」シリーズのクリストファー・B・ランドンが監督を務める。
※核心部分に触れています。

大学生のツリー(ジェシカ・ローテ)は、ある朝カーター(イズラエル・ブルサード)の部屋で目を覚ます。
前夜のパーティーで飲みすぎて、初対面の彼の部屋で寝込んでしまったのだ。
この日、9月18日はツリーの誕生日だったが、彼女の体調はすぐれない。
寮に帰るとルームメイトのロリ(ルビー・モディーン)がカップケーキを作ってくれていたが、ツリーはそれをゴミ箱に捨てると、不倫相手のバトラー教授と会い、父親とランチを共にする約束をすっぽかす。
その夜、パーティー会場に向かっていたツリーは、途中で大学のマスコットであるベビーフェイスの仮面をかぶった人物と遭遇、殺されてしまう。
その瞬間、ツリーは再びカーターの部屋で目を覚ます。
今までの出来事は夢かと思ったが、何かがおかしい。
起こることが全て、一度体験していることなのだ。
全く同じ日を繰り返している?
ツリーがそのことを確信した時には、すでにベビーフェイスの殺人鬼が迫っていた・・・


「ハッピー・デス・デイ」では、色々こじらせちゃってる主人公のツリーが、不気味なベビーフェイスのマスクをかぶった犯人からなんとか逃げ切り、死のループを終わらせようと奮闘する。
劇中、彼女に協力することになるカーターが、ハロルド・ライミス監督の「恋はデジャ・ブ」に言及していたが、命がけのサバイバルという点では、ホラー版「オール・ユー・ニード・イズ・キル」と言ったほうがしっくりくるかもしれない。
あの映画のヘタレ軍人のトム・クルーズと同様に、本作のツリーも相当問題あるキャラクター。
犯人の目星をつけようにも、本人の性格がビッチ過ぎて、各方面から恨みを買いまくっているので容疑者多過ぎとか(笑
少しずつループに慣れて来て、生き残り作戦が機能し始めるあたりも良く似ている。
ツリーは最愛の母を亡くして以来、悲しみのあまり自暴自棄になっていたのだが、運命と戦っているうちに、だんだんとビッチキャラを脱して人間的に成長してゆく。
面白いのは、この世界では永遠にループ出来る訳ではなく、ゲームの「ライフ」のように少しずつ彼女の生命力が削られてゆく設定で、これがある種のタイムリミットとして機能する。
最初は「殺されてスッキリ」キャラの嫌なヤツだったツリーが、生きることへの切望と共に応援しがいのあるいいヤツに変化してゆくのだ。
意外性のある真犯人に至るプロセスも、やや駆け足ではあるけど、けっこう細かな伏線も貼られていて楽しめる。

そして、ベビーフェイスとのサバイバルを生き抜き、仮面の下の正体を突き止めたツリーは、一応死のループを閉じることには成功するが、1作目ではそもそもなぜ彼女がループにハマってしまったのか、その原因はほったらかしのまま終わってしまう。
世界観の秘密が明らかになるのが、「ハッピー・デス・デイ 2U」だ。
1作目では冒頭のユニバーサルロゴが、何度も巻き戻っていたが、今回は3つにスプリット。
勘のいい人なら、この時点で世界観がわかるだろう。
ループが作られたのは、1作目で彼女を助け、恋仲になったカーターのギークなルームメイト、ライアンのせい。
彼が大学の研究室で量子反応炉の実験をしたことが、たまたま近くにいたツリーの時間を狂わせてしまったのだが、物語はここからさらに複雑に展開。
今度はライアンが何者かに殺されるループに落ち、それを正すために再び量子反応炉を作動させた結果、ツリーがまたしても9月18日の誕生日、しかも元いた世界とは異なるマルチバースに飛ばされてしまうのだ。
この世界でもベビーフェイスの殺人鬼は出没しているものの、ツリーとは直接の関りはなく、なによりもあれほど会いたかった母親が生きているのである。

だから「2U」の彼女の目的は、「真犯人を探して生き残ること」ではない。
以前の経験を生かし、ベビーフェイスの犠牲者を救いつつ、カーターやライアンの協力を得て不安定な量子反応炉を完成させ、こんどこそループを閉じる。
元の世界との細かな差異が、彼女の目的達成の障害となるという、前作全体が伏線として作用する実に上手い構造。
ホラー色は限りなく薄まり、カテゴリ的には完全にSFの領域に入り、ライアンと仲間たちのギークな新キャラも加わったチーム戦のおもむきだ。
「恋はデジャ・ブ」に代わって、カーターが引き合いに出すのが「バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2」というのもいい。

前回の命がけのサバイバルを経験することで、すでにビッチを抜け出しているツリーは、今回はループを閉じる時にどちらの世界を選ぶのかという、重大な選択を迫られる。
元の世界では、ベビーフェイスとの戦いを通じて、“戦友”となったツリーとカーターは恋仲になっているが、こちらの世界の彼は、ツリーの天敵でもある同級生と付き合っている。
しかし元の世界では、母親は死んでしまっているのだ。
母親が生きているこちらの世界か、カーターが恋人の元の世界か、心の傷を抱えて本当の自分の人生を生きるのか、もう一人の自分の人生を奪うのか、物語は究極の選択を通じて、ツリーにさらなる成長を促すのである。
SF設定は少々強引ではあるものの、1作目同様のライフ減少とタイムリミットでハラハラさせて、ちょっとウルっとさせるあたり、人間ドラマとしてもなかなか良く出来ている。
「2U」に関しては完全な続きモノで、前作からの人間関係が複雑に絡み合っているので、1作目の鑑賞は必須。
観てないと訳が分からないだろう。
2本同時に上映されている間に、一気にハシゴするのがベストだと思う。

今回は誕生日に飲みたい、カリフォルニア産のスパークリングワイン「ブラン・ド・ブルー」をチョイス。
名前の通り、涼しげな青が美しいが、シャルドネのスパークリングにブルーベリーで色付けしたもの。
シルキーな泡と共に、豊かな果実香が立ち上がってくる。
ほのかなブルーベリーのフレーバーが、いいアクセントになっている。
パーティーを華やかに彩る、辛口でライトな味わいのスパークリングだ。

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ショートレビュー「ミュウツーの逆襲 EVOLUTION・・・・・評価額1600円」
2019年07月14日 (日) | 編集 |
私は誰だ?なぜ生まれてきたのか?

記念すべきポケモン映画第一作「ミュウツーの逆襲」の21年ぶりのリメイク。
表現手法は手描きから3DCGに変わったが、監督、脚本はオリジナルと同じ湯山邦彦と首藤剛志だから、内容は非常に忠実。
というか、台詞からカメラワークに至るまでほとんど同じだ。
「名探偵ピカチュウ」のモフモフバージョンも良かったけど、こちらのCG化されたポケモン世界は、ゲームで見慣れたビジュアルに近く、全く違和感無し。
オトナ世代には懐かしく、ファーストジェネレーションのポケモンを知らない、今の子供世代には新鮮だろう。
幻のポケモン、ミューの遺伝子から作られた最強の人工ポケモン、ミュウツーのアイデンティティの葛藤は今見ても普遍的。
この部分は変える必要はないし、基本オリジナルの作者による新世代の観客に向けたセルフカバーなので、本作の作りで良いと思う。

とは言え、全くのカーボンコピーという訳ではない。
オリジナルの「ミュウツーの逆襲」には、75分の最初の「劇場公開版」と、日本ではTV放送された85分の「完全版」が存在する。
日本映画初の全米No.1の快挙を成し遂げた「Pokémon: The First Movie - Mewtwo Strikes Back」は完全版で、こちらではミュウツーの生みの親であるマッドサイエンティストのフジ博士が、なぜミューのコピーを作ろうとしたのか、その動機部分が語られている。
彼は事故で死んだ愛娘のアイから、意識のコピー「アイツー」を作り、ポケモンの遺伝子研究を通して、いつの日か肉体をも蘇られせようとしているのだ。
生まれたばかりのミュウツーは、テレパシーによってアイツーの意識体と出会い、彼女の“死”を目の当たりにすることで、コピーの悲しみを知る。

ところが、本作ではアイツーとのエピソードがばっさりカットされている。
完全版というからには、こちらがオフィシャルなオリジナルと思っていたので、これはちょっと驚いた。
確かにフジ博士の動機そのものは、完全版でも中途半端に放りっぱなしだったので、カットするのは理解できる。
しかしアイツーとの出会いと別れが、ミュウツーに自分がコピーであることを実感させ、「私は誰だ?なぜ生まれてきたのか?」とアイデンティティの葛藤を深めさせたのは確かだ。
アイツーの存在が無くなったことで、ミュウツーの動機は逆に弱くなってしまった。
「EVOLUTION」を名乗るのだから、なんとか博士の過去と絡めず、アイツーを生かす新しいアイディアがあっても良かったのではないだろうか。

冒頭部分以降、プロットは殆どオリジナルと変わらないが、アクションを中心に重要ポイントをじっくり描くことで、全体としてブラッシュアップを果たしている。
アイツーとのエピソードが無くなったのに、トータルの上映時間では98分と伸びているのも、見せ場の描写が大幅に増えているからだ。
物理的制約から解き放たれたCG化の恩恵もあり、リザードンの空中戦なんて迫力倍増。
オリジナルとコピーのポケモンたちがど付き合う、クライマックスの悲壮さも、CGキャラクターならではの実在感によって増幅している。
ここだけでも、意味のあるリメイクになっていたんじゃないだろうか。

しかし、オリジナルでも思ったが、本作で一番の名シーンは、ニャースが自分のコピーと出会うところだろう。
他のポケモンたちが戦っているのに、ニャースとニャースのコピーだけは、お互いの爪が痛そうだと、戦おうとはしない。
そして嵐に隠れて見えない月を想って、「今夜の月は丸いだろうニャー」と風流に語り合うのだ。
一度生まれてしまえば、それはもうコピーもオリジナルもない。
ひとつの生物として、ただ生きている。
強さイコール本物だと思い込もうとする、ミュウツーの葛藤の先にあるものが、真逆のキャラクターであるニャースによって示されるのが、本作の面白いところだ。

今回は最強のポケモンの話なので、世界最強の96度というアルコール度数を持つスピリタス・ウォッカを使ったカクテル、「ゴー・トゥー・ヘヴン」をチョイス。
スピリタスとラッテ・リ・ソッチラという超高アルコー度の酒を30mlずつミックスした、名前通りに昇天しちゃう一杯だ。
作り方は二種類の酒をソフトにシェイクして、カクテルグラスに注ぐだけ。
ちなみにこの酒はガンガンに燃えるので、タバコなどの火気には十分注意すること。

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トイ・ストーリー4・・・・・評価額1800円
2019年07月13日 (土) | 編集 |
内なる声を聞け。

意思を持ったおもちゃたちの世界を描く「トイ・ストーリー」シリーズ、2010年に公開された「トイ・ストーリー3」から9年ぶりとなる新作だ。
第1作からの持ち主だったアンディ少年が成長し、ウッディやバズ・ライトイヤーら必要とされなくなったおもちゃたちは、前作でボニーという新しい持ち主と出会い、再び安住の地を得た。
ピクサー・アニメーション・スタジオには、「オリジナルを上回る“語るべき物語”がある場合以外は続編を作らない」というポリシーがあるという。
愛する持ち主の子供時代の終わりという、おもちゃ生の根源的な葛藤に対するパーフェクトなアンサーと思えたあの作品の先に、何があるのか。
シリーズどころか、ピクサーそのものの生みの親でもあるジョン・ラセターの解雇後の紆余曲折を経て、短編「ジョージとAJ」で監督・脚本、「インサイド・ヘッド」では脚本を務めた、ピクサー生え抜きのジョシュ・クーリーが、圧巻のクオリティで見事な長編監督デビューを飾った。
※核心部分に触れています。

大学生となったアンディから、ボニー・アンダーソン(マデリーン・マックグロウ)の手に渡ったおもちゃたちは、相変わらず楽しい日々を過ごしていた。
しかしウッディ(トム・ハンクス)は最近ボニーに選ばれず、クローゼットの中に取り残されることが多くなっていることに寂しさを感じていた。
そんな時、幼稚園のお試し入園に行くことになったボニーは、工作の時間に先割れスプーンとアイスの棒を使って、フォーキー(トニー・ヘイル)というオリジナルのおもちゃを作る。
不恰好なフォーキーはボニーの一番のお気に入りになるのだが、当のフォーキーは自分をゴミだと思っていて、すぐにゴミ箱に入ろうとする。
ある日、アンダーソン一家がキャンプ旅行に行くことになり、ウッディが目を離した隙にフォーキーがキャンピングカーの窓から身投げしてしまう。
慌てたウッディは、ボニーが目を覚ます前にフォーキーを連れ戻そうと彼の後を追う。
なんとかフォーキーを説得することには成功したが、キャンプ場への途中にあったアンティークショップで、ウッディは遠い昔に別れた、ランプ人形のボー・ピープ(アニー・ポッツ)の電気スタンドを見つける・・・


これはビックリした。
ピクサーの企画力なめてた。
「トイ・ストーリー3」を観た時に、おもちゃモチーフで、これ以上「語るべき物語」のバリエーションは出てこないだろうと思ったが、まさかこんな結末にたどり着くとは。
なるほど、本作が描き出した通り、世界は既成概念と思い込みで出来ているのだなあ。

ボニーが幼稚園で作ったフォーキーは、先割れスプーンの体にカラーモールの手、アイスの棒の足を持つ。
全て使い捨ての素材からできている彼は、自分を無価値なゴミだと思っている。
ちょっと目を離すとゴミ箱に入ってしまうフォーキーに、ウッディは「君はゴミじゃない。おもちゃなんだ」と諭すのだが、そもそもおもちゃも捨てられたり失くされたりしたらゴミ。
おもちゃとゴミを分けるのは、持ち主の子供に愛されているかどうかという、境遇の違いでしかないのである。
消えたフォーキーを探す旅に出て、クローゼットの中で過ごす時間が増えていたウッディの心の中で、それまで感じたことのないアイデンティティの迷いが生まれる。

そして、彼をさらに動揺させるのが、「トイ・ストーリー2」以来20年ぶりの登場となる元カノだったボー・ピープの存在だ。
遠い昔にアンディの妹、モリーから知人男性に譲り渡された彼女は、そこからさらに流浪の日々を重ね、今は人間の子供に所有されるのではなく、「迷子のおもちゃ」の仲間と共に自立して自由に生きているのである。
時には不幸なおもちゃを救い出し、時には子供たちのパーティーに紛れ込んで一緒に遊ぶ。
おもちゃは、特定の子供の持ち物でないと幸せになれないのか?
今まで考えたこともない、新しい生き方をしているボーと再会して、ウッディの心は大きく揺れる。

劇中繰り返される、「内なる声を聞け」という台詞が全てだ。
前作までのシリーズは、基本的におもちゃと持ち主の子供の関係で物語が語られていた。
おもちゃたちは誰が持ち主の一番のお気に入りなのかと競い、いつか飽きられて捨てられてしまう未来を恐れ、持ち主を幸せにすることを唯一の目標にする。
まあ第1作に登場した、破壊大好きっ子のシドみたいな天敵も存在するが、基本的に子供に愛されることが、イコールおもちゃたちにとっての正しい生き方とされてきた。
ところが、本作で問われているのは、おもちゃ自身の生き方の問題なのだ。

登場するキャラクターたちが体現する、いくつものおもちゃ生の悲喜こもごも。
アンティークショップで、長い間放置されている少女人形のギャビー・ギャビーは、不良品として生まれ、一度も誰からも愛されたことのない、空虚なおもちゃ生を過ごしている。
彼女は自分が不良品でなくなれば、子供に愛してもらえていると信じていて、そのために同じ発声機能を持つウッディから正常なパーツを奪い取ろうとするのだ。
でも、それは結局は子供の気分に左右される受け身のおもちゃ生
ギャビー・ギャビーも、最後には自らの意思で重大な決断をすることで、幸せを掴む。

おもちゃの幸せは、必ずしも人間に左右されない。
これはウッディにとって目から鱗であるのと同時に、作品としても世界観の大転換だ。
第1作以来、「トイ・ストーリー」は、「もしもおもちゃに意思があったら」という「IF」の世界だった。
おもちゃはあくまでもおもちゃであって、だから「おもちゃはこうあるべき」というベースの部分は普遍。
だが、本作の世界ではもはや「IF」のくくりは取れ、「おもちゃという一つの生き物」として存在している。
ウッディは序盤ではシリーズの過去の世界観に縛られているが、「もはや世界にそんなくくりは無くなっているんだよ、それは単なる既成概念と思い込みじゃないの?」という問いに葛藤してゆくのが、ここで描かれる物語なのだ。
本作がウッディとボーの、結構本格的なラブストーリーになっているのも、おもちゃという存在の意味付けが変わっているから出来ること。

「トイ・ストーリー4」がやっているのは、ある意味過去のシリーズで描いた価値観の、創造的破壊である。
もちろん、ここに至るシリーズの長い歴史があって初めて可能になったことだが、本作の賛否が意外と割れている理由も、この世界観の変化を受け入れられるかどうかだと思う。
「これじゃもう、おもちゃの話じゃないじゃん」という見方が出てくるのは、当然理解出来る。
しかし、ウッディは1950年代に作られたアンティークのおもちゃなのだ。
人間の子供に、最大限の愛情とロイヤリティを注ぎ続けて60年を超える、還暦を過ぎたおじいちゃんなのである。
おもちゃだから歳が分からないけど、相方のバズ・ライトイヤーはずっと若い。
もうウッディの肩の荷を下ろして、「仕事」から解放してあげてもいい頃だ。
24年間にわたって、彼と付き合ってきたピクサーのクリエイターたちも、そう思ったのではないか。
「誰かのおもちゃ」としての役割を終え「迷子のおもちゃ」という道を選んだウッディが、今度はボーと共に、新しいおもちゃたちが子供たちの元へと届くようにサポートをしているのも感慨深い。
本作は、いわば人間社会の生き方の多様性を、おもちゃの世界で比喩した作品で、その意味で非常に現在的で、過去のシリーズとはまた違った視点を持つ、「語るべき物語」となっている。
私はいい意味で予想を完全に裏切られたし、20年以上続いているシリーズなのに、マネリズムの付け入る隙もない作り手のスタンスに、もう脱帽するしかないと思った。

今回バズは脇役に徹しているが、ウッディの旅立ちの背中を押す、彼の友情にも涙。
ピクサー作品としては珍しく短編のオマケが付かないが、これ一作だけで充分以上にお腹いっぱいだった。
アンティークショップに隠れているおもちゃたちの中に、ピクサーの第1作であり、「トイ・ストーリー」の原型となった短編映画「ティン・トイ」の主人公がいたり、クライマックスで大活躍するカナダのスタントトイのデューク・カブーン役を、カナダ人のキアヌ・リーブスがノリノリで演じていたり、細かいところまで遊び心が満載だ。
エンドクレジット後のカンパニーロゴまでお見逃しなく。
はたして、「トイ・ストーリー5」はあるのだろうか。

ウッディとボーの未来を祝して、今回はモエ・エ・シャンドンの「ロゼ・アンペリアル」をチョイス。
ピノノワール、ピノムニエ、シャルドネが作り出す、透明感のあるピンクは華やかな気分を誘う。
喉ごしは柔らかくシルクの様で、フルーティで野いちごやりんごの様な豊かな果実香は、夏野菜や肉料理との相性が抜群。

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COLD WAR あの歌、2つの心・・・・・評価額1700円
2019年07月09日 (火) | 編集 |
マズルカの音色が、心に染み渡る。

50年代のポーランドを舞台にした「イーダ」で、孤児として育てられ、自らの出自を探す少女の旅を描き、第87回アカデミー外国語映画賞に輝いたパヴェウ・パヴリコフスキの最新作。
なるほど「ROMA/ローマ」が無かったら、これが今年のオスカーをとっていたかも知れないな。
第二次世界大戦後の40年代末、ポーランドの伝統的な民族舞踊、マズルカの舞踊団のオーディションで出会った、指導者でもあるピアニストのヴィクトルと、新人歌手のズーラの波乱万丈の愛の物語。
二人は直ぐに恋に落ちるも、タイトルにもなっている「冷戦の時代」という歴史の大波に翻弄されることになるのである。
運命の恋人たちを、トマシュ・スコットとヨアンナ・クーリグが好演。
名手ウカシュ・ジャルの手による、美しいモノクロのスタンダード画面で展開する、非常に純度の高いメロウなラブストーリーだ。

1949年、復興期のポーランド。
伝統民族舞踊のマズルカの舞踊団を組織するため、ピアニストのヴィクトル(トマシュ・スコット)は、パートナーのイレーナ(アガタ・クレシャ)とともに農村地帯を周り、団員のオーディションを開催する。
養成所に合格した若者たちの中に、美しい歌声を持つズーラ(ヨアンナ・クーリク)がいた。
やがてヴィクトルとズーラは愛し合う様になり、二人は舞踊団と共に各地を巡るが、次第に公演の内容が政治的なプロパガンダへと変貌してゆき、ヴィクトルも政府に監視される様になる。
祖国に嫌気がさしたヴィクトルは、自由を求めて単身パリに亡命。
舞踊団に残ったズーラとは、公演先で逢瀬を重ねるヴィクトルだったが、ある時彼女がシチリア人と結婚して出国し、パリでの音楽活動を始めることになる。
再び恋人関係になる二人だったが、突然ズーラがポーランドへ帰ってしまう。
彼女を忘れられないヴィクトルは、思い悩んでポーランド領事館に相談し、ある提案をされるのだが・・・


戦後、東ヨーロッパを勢力下に置いたソ連の衛星国として、共産主義体制に組み込まれたポーランドでは、「革命遂行のため」を旗印に社会のすべてが変わり始める。
500年以上の歴史を持つと言われるマズルカは、ポーランドではマズレクと呼ばれ、元々マゾフシェ地方の農民たちに伝わる、歌と楽器と踊りの掛け合いで展開する、リズミカルな舞踊だ。
それが徐々に広まり、19世紀にフレデリック・ショパンがマズルカの旋律を駆使して作曲活動をしたことで、芸術として全ヨーロッパに知られるようになった。
そして、農民たちの素朴な喜怒哀楽を表現していたマズルカは、スターリニズが恐怖によって支配する冷戦の時代に、党と指導者を称える政治的な舞踊へと歪められ、公演の場も政府の宣伝活動と化してゆく。
そんな現状に耐えられなくなったヴィクトルは、ベルリン公演の際に西側への亡命を決意し、ズーラも誘うのだが、待ち合わせの場所になぜか彼女が来ることはなく、別れ別れになってしまう。

ここからの展開は予想していたものとだいぶ違った。
本作はタイトル通りに冷戦時代を背景にしているのだが、てっきり強権的な体制によって、無理矢理引き離されるカップルの話だと思っていた。
ところがこの二人、愛し合いながらも、基本自分の意思でくっついたり別れたりを繰り返す。
確かに多少は権力の介入もあるが、お互いに別の相手と付き合ったり、結婚してたりしても、会えば必ず燃え上がり、相手のためなら自己犠牲も厭わない。
ポーランド、ベルリン、パリ、ユーゴスラビア、そしてまたパリ、ポーランド。
二人が煮え切らない関係を続けること、実に15年。
ここまでくると、限りなく腐れ縁に近いのだが、不思議な引力によって引き合う二人は、お互いが定められた運命の男・運命の女なのだろうな。
ヴィクトルとズーラのうち、基本の視点はヴィクトルに置かれている。
我々は彼とともに、いつ終わるとも分からない愛の真実を探す流浪の旅に出て、掴んだと思ったらその手をすり抜けてしまうズーラの心を追い続ける。
「父親殺し」という強烈な過去を持つ訳ありの彼女は、おそらくはヴィクトルにとっても初めて出会ったタイプの女性だったのだろう。

自由を求めてベルリンからパリへと流れついたヴィクトルが、結局マズルカではなくジャズで生計を立てているのが面白い。
各国の音楽シーンというのは流行り廃りがあるものだが、ジャズはロックに押されてアメリカで人気が低迷すると日本やフランスが買支え、逆にフランスのシャンソンは日本での人気に支えられた時代があるという。
50年代後半のフランスでは、米国での差別を逃れた多くの黒人ミュージシャンが活動しており、ロジェ・ヴァディムやルイ・マルと言った映画作家たちが、ジャズを自作に取り入れたことはシネ・ジャズというムーブメントとなった。
マルの「死刑台のエレベーター」が、マイルズ・ディヴィスの音楽によって鮮烈な輝きを得たことは、誰も異論はないだろう。
本作でもヴィクトルが映画音楽の仕事で、パリの音楽業界にそれなりの地位を築く描写がある。

しかし、それでもやはり彼の居場所はそこには無いのである。
体がどこにあっても、心は常にズーラを追い求める。
ロックの時代の幕開けを告げた大ヒット曲、「ロック・アラウンド・ザ・クロック」にのって、ズーラが激しくステップを踏み、それをくたびれた表情のヴィクトルが見つめるシーンは、冷戦という時代の大波と同時にズーラという予測不能の天気に翻弄される、歳上の中年男の心情を切実に伝えてくる。
映画は1949年を起点に、数年おきの「今」を描く構造ゆえ、時間が飛ぶごとに二人の関係性も変わっていて、その間に何があったのか、観客も想像力を働かせることを要求される。
ポーランド語からフランス語へ、変遷しながらも劇中で繰り返し使われている「2つの心」の印象的なフレーズ、「2つの心と4つの瞳 昼も夜もずっと泣いている オーヨーヨイ」が、実質的なテーマ曲として二人の時代を繋ぐ。
はたして愛は、歴史や社会に翻弄される運命を超えて、本当に永遠たりえるのか。
冷戦という時代と組み合わせ、音楽というバックボーンを通すことで、どこにでもありそうな男女の物語が、一気に現代ポーランドのクロニクルとしての性格を帯びてくるのが見事だ。
「イーダ」と同様、ウカシュ・ジャルによる、叙情的なモノクロ映像が素晴らしい。
スタンダードの画面は、時代の閉塞を表現する意味もあるのだろうが、キャラクターを画面の端に寄せ、余白の雄弁さを生かす構図はまるでフェルメールの絵画のようだ。
観終わっても、じわりと余韻が後を引き、「オーヨーヨイ」が脳内で無限リフレインしている。

ポーランドの伝統の酒といえば、やはりウォッカ。
今回は「ベルヴェデール ウォッカ」をチョイス。
非常にまろやかな口当たりの、プレミアムウォッカ。
ジェームズ・ボンドの愛飲酒、スペクター・マティーニのオフィシャルとしても知られる。
今の季節なら冷凍庫でキンキンに冷やし、シャーベット状にしてそのまま飲むと美味しい。

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ショートレビュー「劇場版 ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん・・・・・評価額1700円」
2019年07月03日 (水) | 編集 |
お父さん、いざ共に冒険へ!

いやー、これは素晴らしい。
野口照夫監督以下、同一チームが手がけたTVドラマ版は未見、原作のブログ「一撃確殺SS日記」はまだ読んでいる途中だが、一本の劇映画として非常に良く出来ている。
吉田鋼太郎が好演する、仕事一筋で重役昇進を目前としていた父が、ある日突然会社を辞め、単身赴任先から抜け殻のようになって戻ってくる。
一体何があったのか、黙して語らない父に、家族は戸惑うばかり。
「この人が死んだ時、(自分も)泣いたりするのだろうか?」
自分が子供の頃から、何を考えているのか分からず、大人になった今も、ますます分からなくなった父の姿を見て、坂口健太郎演じる息子のアキオは、あるアイディアを思い付く。
趣味のオンラインゲーム、「ファイナルファンタジーXIV(FFXIV)」の世界に父を導き、息子であることを隠してフレンドとなり、何があったのか聞き出そうと言うのだ。
「FF」の世界では、プレイヤーを“光の戦士”と呼ぶことから、名付けて「光のお父さん計画」(笑

この種のオンオフ二重構造を持つ作品はもはや珍しくないが、韓国の「操作された都市」やスピルバーグの「レディ・プレイヤー1」など、海外作品だとサスペンやSF系が多い。
物理的にも精神的にも、本来一番近くにいるはずの家族同士の人間ドラマを、あえてこの設定でやろうという、逆説的なアイディアが秀逸だ。
元々実話のブログだから、ゲームを家族のコミュケーションツールにすることを考え付いた作者のマイディーさんが凄いのだが、ブログ記事の「光のお父さん計画」によると、彼の父は元々かなりのゲーマーだったそうで、ゲームの知識など80年代で止まっている吉田鋼太郎とはだいぶ違う印象。
TVドラマ版も手掛けた吹原幸太の脚色の、いい意味で日本の家族のステロタイプな設定と描写が絶妙な塩梅だ。
アバターで身元も知らない同士だからこそ、リアルな世界よりもホンネの人間関係が結べるというのは、思春期からは距離があって当たり前な父と息子ならではのものかも知れない。
面白いのは気まずさから不通が普通になってる父息子に対し、家族の女性陣には元から壁がなく、アキオの妹のミキが二人の間のメッセンジャーみたいになっていること。
これは微笑ましくもあるのだが、結構日本の家族あるあるじゃなかろうか。

アキオが「光のお父さん計画」を思いつくのは、遠い昔にほんの僅かだけ、一緒にファミコン時代の「FF」をプレイしていた時期があり、それが彼にとって数少ない父との思い出だから。
そして「一緒にゲームをクリアする」という、その時の約束が果たされなかったことが、アキオと父との間に溝ができた最初のきっかけ。
だから嘗ての父と同じサラリーマンとなった今、アキオが父と「FFXIV」に挑むのは、やり直しの再出発の意味もある。
ぶっちゃけ、話はどストレートで、オチまですぐに予想はついちゃうが、二人の細かなエピソードが、丁寧に親子の新しい関係を紡いでゆき、ゲーム内で親しくなればなるほど、本当のことをいつ明かすのか、アキオの葛藤がドラマに一本筋を通す。
アキオのサラリーマン生活を描くサブプロットも、いいアクセントとして機能していて、ドラマの緩急に大いに貢献。
どうやら広告代理店らしい、職場で繰り返される「シズル感」のフレーズには、ちょうど私も最近やった仕事で散々聞いた後だったから思わず苦笑。

作中かなりの比重を占める、ゲーム内の描写も良く出来ていて、エオルゼアの大地をプチ冒険。
「FF」なんて長いことやってないけど、これ観ると久々にプレイしたくなった。
しかし、この作品が成立するのは、ゲームが一般家庭に入ってきてから間もなく50年になろうとする歴史あってのこと。
本作のモチーフとなっている「FFXIV」の関係者はもちろんのこと、すべてのゲームクリエイターはこの作品を観たら、自分たちの成し遂げた結果に感慨無量なのではないだろうか。
スピルバーグは「レディ・プレイヤー1」で、虚構と現実は対立するのではなく、現実を生きるために虚構が必要だという肯定的なジンテーゼを導き出したが、本作の現実とゲームも同じ結論にたどり着く。
ちなみに坂口健太郎よりもだいぶ年上で、むしろ吉田鋼太郎に近い私が、父とゲームやった記憶が残っているのは、ファミコン以前のアタリの時代だったりする。
振り返ると、ゲームの世界はプラットフォームもタイトルも栄枯盛衰が激しかったな。
そんな中で30年以上人々を楽しませ続けているのだから、「ファイナルファンタジー」ってタイトルはやっぱり凄いわ。

今回は光のお父さんと飲みたいサラリーマンの酒、キリリと冷えた「ハイボール」をチョイス。
タンブラーに氷をたっぷり入れ、ウィスキー30ml、ソーダ90mlを注ぎ、マドラーで縦に一回混ぜる。
炭酸ガスが抜けてしまうので、何度もかき混ぜないこと。
梅雨時のムシムシする夜に飲むと、炭酸の喉越しが本当にスッキリとして気持ちいい。
アメリカ生まれだが、日本の気候にピッタリで大人気になったのも分かる。

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