酒を呑んで映画を観る時間が一番幸せ・・・と思うので、酒と映画をテーマに日記を書いていきます。 映画の評価額は幾らまでなら納得して出せるかで、レイトショー価格1200円から+-が基準で、1800円が満点です。
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リズと青い鳥・・・・・評価額1750円
2018年04月23日 (月) | 編集 |
本当に愛しているからこそ。

ちょっと何度か鳥肌が立った。
31歳の若さで、傑作「聲の形」をものにした、山田尚子の進化が止まらない。
高校の吹奏楽部でオーボエを演奏するみぞれと、彼女の親友でフルート奏者の希美。
彼女らは高校最後のコンクールの自由曲で、童話を元にした「リズと青い鳥」という楽曲の、掛け合いのソロパートを担当することになるのだが、みぞれは童話の主人公の行動がどうしても理解できず、それは演奏に如実に影響してしまう。
卒業と進路選択を控えた高校3年生。
お互いの関係に悩む二人の少女の成長を描く、ごく地味なストーリーなのだけど、何気にもの凄く高度なことをやっている。
山田尚子監督以下、脚本の吉田玲子、音楽の牛尾憲輔ら「聲の形」のスタッフが再結集。
武田彩乃原作のTVアニメ「響け!ユーフォニアム」の1年後を描く続編であり、スピンオフという位置付けだが、過去への言及はあるものの、独立した物語として成立しているので、TVアニメを知らなくても全く問題ない。
✳︎核心部分に触れています。

鎧塚みぞれ(種﨑敦美)と傘木希美(東山奈央)は、共に北宇治高校吹奏楽部の3年生。
高校最後のコンクールで演奏する「リズと青い鳥」で、二人は第三楽章のソロパートを担当することになる。
この曲は、孤独な少女リズ(本田望結)と、彼女の元にやってきた青い鳥(本田望結:二役)との出会いと別れを描いた作品。
しかしみぞれは、リズと青い鳥に自分と希美を重ね合わせ、リズがなぜ別れを選ぶのかが理解できない。
「リズと別れた青い鳥は、会いたくなったらまた来ればいいと思うんだよね」と、屈託無く笑う希美に対して、みぞれはそう遠くない現実の別れの時を恐れている。
そんな時、みぞれは外部指導者の新山先生から音大への進学を勧められ、それを知った希美も音大を志望先に加えると言うのだが・・・・


ベースとなった「響け!ユーフォニアム」は、個性的な吹奏楽部員たちが織り成す、熱い青春群像劇。
対して、本作はその中の二人だけをフィーチャーした内面的な心象劇
同じ世界観の作品で、ここまでベクトルが異なるのは珍しい。
西屋太志のキャラクターデザインも、基本はTVアニメ版の池田昌子のデザインを踏襲しつつ、内容とテーマの変化を反映し、より細っそりと生っぽさを感じるものに。
画のテイストは、碧系の寒色を基調に、「聲の形」を思わせる繊細で淡いタッチとなっている。

快活で誰とでも友人になれる希美と、人付き合いが苦手で、希美以外に“親友”と言える存在がいないみぞれ。
卒業後も、どうしても希美と離れたくないみぞれの心に、別離への不安と恐れが湧き上がる。
そんな時に課されたコンクールの自由曲が、まさに自分の心を映し出したような「リズと青い鳥」だったという訳だ。

『たった一人で湖畔の家に住んでいるリズは、森の動物たちだけが友だち。彼女は嵐の日の翌朝、家の前に倒れていた青い服の少女を助ける。その日から、少女はリズの家で暮らすようになり、リズにとって初めての親友になる。ところがある夜、リズは少女が青い小鳥に変身するのを見てしまう。自分が引き止めていることで、彼女の自由を奪っていると感じたリズは、少女と別れる決意をする。』

と、童話の内容はこんな感じ。
映画は、現実世界と童話の世界を平行に描いてゆくのだが、みぞれはリズに自分を、彼女の前に現れる青い鳥の少女を希美に当てはめて考えている。
この童話を元にした楽曲は四楽章に分かれ、リズの苦悩と決意を描く第三楽章、「愛ゆえの決断」で、オーボエとフルートの掛け合いが、二人の心をそれぞれ代弁する。
ところがみぞれは、せっかく手に入れた幸せの青い鳥を手放すリズの気持ちが、どうしても理解できないのである。

ここで描かれるのは、「聲の形」でモチーフとなったイジメと贖罪のような、分かりやすい善悪の葛藤からくる痛みではない。
友だちのことが好き、大好きだから離れたくない、離れられたくない、離したくない。
もし別れたら、自分はまた一人ぼっちになってしまう・・・怖い、嫌だ。
ポジティブな感情がいつの間にか裏返って暴走し、意識しないうちに相手も自分も束縛しようとする利己的な心のダークサイド
だが程度の差はあれ、多くの人が経験し理解出来る感情だろう。
私もどちらかといえば、みぞれタイプの内向的な子供で、はっきりと感情を表現することが苦手だったので、みぞれの内面にある友だちを失うことへの悶々とした恐れはよく分かる。
最近、友だちに避けられたくなくて、1000万円と言う大金を盗み、友だちに配っていたという女子中学生の事件があったが、これもみぞれが陥ってしまっているメンタルと少し共通するのかもしれない。

山田尚子監督は、初めての経験ゆえに自分では制御できない感情に揺れる、思春期の少女の心を丁寧に描く。
以前から、説明的な台詞に頼らない心理描写には定評がある人だが、本作でその演出はますます研ぎ澄まされ、写実的だがアニメーションならではの映像表現と、画とシンクロした綿密な音響演出と三位一体となって、キャラクターの心象風景をさらに細かく描き出す。
例えば冒頭、みぞれは朝練前に学校の入り口で希美を待つ。
彼女の耳に聞こえて来る、カツカツという軽快な足音。
性格をそのまま表すように、希美の歩幅は大きくリズミカル。
メトロノームのように綺麗に揺れるポニーテールを見つめるみぞれの視線は、希美に対する憧れとも恋ともつかぬ複雑な思慕の念を、ただ歩いているだけで雄弁に伝えてくる

逆に、彼女たちの口から出てくる言葉や行動は、必ずしも本心とは限らない。
人との会話で本心をごまかそうとする時、あるいは心ここに在らずという時、みぞれは無意識に髪を触る。
そんな時、彼女の本当の言葉は心の奥底に隠されている。
快活で裏表がなさそうな希美も、相手の言葉を忖度して反応することがあり、そのことは自分でもわかっていて、後ろめたさを感じていたりする。
寄り画なら目や口の微妙な表情が、引き画でも姿勢や手足の細かな芝居が、隅々まで作り込まれた画面を通して、彼女たちの心の機微を伝えてくるのだ。
キャラクターの演技の驚くべき繊細さとリアリティは、もう今や誰もかなわない、圧倒的と言っていいクオリティ。
私はこの映画に、日本アニメーション映画史の文脈の中で、確実に受け継がれてゆく高畑イズムを見た。

TVアニメ版と違って、学校の外がほとんど描写されないのも特徴的だ。
童話の「リズと青い鳥」が、基本的に湖畔の家とリズが働くパン屋のみ、彼女の世界で完結しているのと同様に、この作品では学校そのものが閉ざされた世界であり、少女たちはまだその外の世界を知らず、飛び立つ準備ができていない。
閉塞した状況をブレイクスルーする瞬間が、外部から来たもの、彼女らを見守っている人生の先輩からもたらされるのもいい。
みぞれは、ずっと自分をリズで、希美を青い鳥だと思っている。
リズだけに感情移入して、青い鳥の気持ちなど考えていなかった。
だけど、なぜ青い鳥は決別を受け入れたのだろうか
そのことに思い至り、自分を青い鳥に当てはめて、彼女の心理を考えた時、みぞれは初めて相手の立場に立って自分を見つめることができるのである。

冒頭に映し出される「disjoint」という言葉は、数学の用語で「互いに素」の意味。
二つの数字の互いに割り切れる正の整数が1しかない状態で、つまり共通の要素を持たない。
これが、物語の始まりの時のみぞれと希美の状態。
お互いのことが好きだけど、実は自分のことしか考えていない。
物語を通して、単なる憧れや思慕の念を包み込む、大いなる愛の意味を学んだみぞれは、「dis」が消えて「joint」、まだまだ未熟だけど少しだけ相手を理解して、ようやく思いやることができるようになる。
水彩絵の具のにじみをベン図に見立てて、みぞれと希美の心を表現したカットなど、細部に至るまでセンス抜群。
思春期の普遍的な葛藤を、リリカルな心象劇として昇華した、珠玉の青春映画である。
本作はみぞれの心の成長にフォーカスした物語だったが、たぶん近い将来に今度は希美がもう一つ成長しなければならない時が来るのだろう。
願わくば大人になった彼女たちの物語を、スピンオフのスピンオフとして観てみたいな。

しかしこの作品、単体として素晴らしいのだが、「響け!ユーフォニアム」の続編として期待すると、コレジャナイと感じる人もいるかもしれない。
そちらの方向性は、本作の後にもう一本、石原立也監督以下TVアニメ版のチームによる、オリジナル劇場版第二作が制作中なので、楽しみに待とう。

今回は幸せの青い鳥、ジンベースのカクテル「ブルーバード」をチョイス。
ドライジン50ml、ブルー・キュラソー10ml、アロマティック・ビターズ1dashをステアして、グラスに注ぐ。
最後にレモンピールを絞って完成。
美しいブルーが印象的な、ドライで飲みやすいカクテル。
ちなみにブルーバードとは、青い羽毛を持つツグミ科の鳥の総称だが、メーテル・リンクの「青い鳥」で、実は最初から家で飼っていた青い鳥は、ツグミではなくハト。
まあ確かに青っぽくはあるけどね・・・。

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レディ・プレイヤー1・・・・・評価額1800円
2018年04月21日 (土) | 編集 |
オタクの、オタクによる、オタクのための映画。

現実に絶望した人々が、すべての夢が可能となるVRワールド“オアシス”に生きる近未来。
亡くなった創業者が、オアシスのどこかに隠した5000億ドルの遺産を巡り、史上最大の争奪戦が繰り広げられる。
映画、音楽、TV、ゲームに漫画に小説と、20世紀ポップカルチャーの記憶とオマージュにあふれたアーネスト・クラインの同名小説(邦題「ゲームウォーズ」)を、現代ポップカルチャーの寵児、スティーブン・スピルバーグが映画化。
まさにオタクの夢が具現化した様な作品だが、さすがはスピルバーグだ。
オタクじゃなくても十分に楽しめる間口の広さと、現在性、社会性、予見性をも併せ持つのだから素晴らしい。
140分盛りに盛ったエンターテイメント活劇は、要素だけ見ると既視感だらけなのに、全体を通して観ると驚くべき未見性を感じさせる、ある意味現在までのスピルバーの集大成。
ポップカルチャーを愛するすべての人に向けた、“スキの塊”のような作品である。
✳︎ラストを含む核心部分に触れています。観る前には読まないで!

2045年、オハイオ州コロンバス。
荒廃した世界で親を亡くし、貧民街で叔母のトレーラーハウスに居候しているウェイド(タイ・シェリダン)は、“パーシヴァル”を名乗りVRワールド“オアシス”に入り浸っている。
五年前に死んだオアシスの創業者ハリデー(マーク・ライランス)は、彼の全財産とオアシスの管理権を“イースターエッグ”としてオアシスのどこかに隠した。
エッグを求めるものは、試練を受けて三つの鍵を得る必要があり、まず第一の鍵を得るために障害レースに勝たねばならないのだが、難しすぎてこの5年間誰も完走できていない。
ある時、パーシヴァルは、ハリデーの残した言葉から、隠しコースがあることを発見し、第一の鍵を獲得。
難関を始めて突破したパーシヴァルは、仲間のアルテミス(オリビア・クック)、エイチ(リナ・ウェイス)、ダイトウ(森崎ウィン)、ショウ(フィリップ・チャオ)らとともに一躍時の人になる。
しかし、オアシスの支配を狙うIOI社を率いるソレント(ベン・メンデルソーン)は、パーシヴァルの正体を探り出し、自分たちに協力させようと画策する。
その頃、パーシヴァルたちは、第一の鍵と共に現れたヒントを頼りに、第二の鍵の試練を見つけ出すのだが・・・


この映画を観た多くの人が「コレは私の映画だ!」と思うだろう。
キャラクターを含めて、各世代に思い入れのある、膨大な数のポップカルチャーのアイコンが登場するからだけではない。
身を削って虚構の夢を作った人々、そしてそれをこよなく愛する人々への、確信的な肯定感がそう思わせるのだ。
現実とVRワールドの二重構造自体は、今やそれほど珍しくない。
先日公開された「ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル」も、韓国映画の「操作された都市」も本作とよく似た構造を持つ。
現実世界ではパッとしない主人公が、ゲームの中ではヒーローになるという、キャラクターのギャップが面白さを生んでいるのも同じだ。
だが、本作が似た構造を持つ他作品と決定的に異なるのは、VRワールドそのものをクリエイターが丹精込めて作り上げた“作品”と捉えていて、その存在が持つ意味をフィーチャーしたことにある。

オアシスの創業者ハリデーが残したのは、彼の作り上げた世界全てを手に入れられる“イースターエッグ”へと通じる三つの鍵。
日本でもだんだん知られるようになって来たが、イースターはキリストが処刑されて三日後に復活したことを祝うキリスト教の祭り。
イースターの日付は毎年変わり、キリストの復活が日曜だったので、春分の後の満月から数えて最初の日曜日に催される。
命が生まれ出る卵は生命そのものの象徴とされ、イースターの日には家や庭に隠されたカラフルにペイントされた卵、イースターエッグを子供たちが探す、エッグハントという遊びをする。
この風習を、VRワールドでのお宝争奪ゲームに置き換えたのが本作という訳。

世界が荒廃し、人々が文字通りの心のオアシスに逃避する時代、ハリデーはデジタル時代の救世主でキリストだ。
映画の終盤に示唆されるように、オアシスは電子的存在となったハリデー自身であり、彼の肉体が死することで始めて完成したと言える。
だから、彼のイースターエッグを獲得するには、私たちが映画や本に秘められた作者の意図を読み解くように、ハリデー自身を深く知る必要がある。
ポップカルチャーオタクであるパーシヴァルやお仲間たちは、トレッキーにしてスーパーオタク、オアシスの創造主にして現実世界の救世主であるハリデーを深くリスペクトし、彼の心から試練の持つ意味を読み解こうとする。

一方で、この世界にはパーシヴァルたちを利用しようとするIOI社という敵役がいる。
この会社は、オアシスに逃避した人々の射幸心を煽ってサービスを展開し、ユーザーに多額の債務を背負わせた後、現実世界で彼らを逮捕・拘束、VRワールドでの労役を課すという、まるで未来版の「カイジ」みたいな悪辣な企業。
彼らがやってるのは、現在のソーシャルゲームのアイテム課金のアップグレード版みたいなことだが、いわばハリデーが作った心の拠り所としてのオアシスを、別の意図で乗っ取ろうとする思想の侵略者、癌細胞のようなものである。

面白いのは、IOIを率いるソレントとその側近連中はポップカルチャーに全く興味無しなのに対して、一般社員たちはむしろパーシヴァルたちに近く、オタクっぽいということ。
オアシスは基本的に巨大なゲームSNSなので、この中で仕事をしたがるのは結局オタクのゲーマーたち。
一般社員たちが頑張って遂行していることを、ソレントらが利益として吸い上げるという構図は、今の日本のコンテンツ業界に蔓延する“スキの搾取”と全く同じことで実に興味深い。
自分たちの愛するものを、ぶち壊すために働いているIOIの社員たちの姿は、ある意味でこの国の鏡像であって涙なしには見られないのである。

誰よりもフィクションの持つ力を信じていた、ハリデーが仕掛けたイースターエッグ争奪戦は、自らの後継者にふさわしい思想と能力の持ち主を探し出すプロセス。
自由な心の拠り所としてのオアシスを守ろうとするパーシヴァルたちと、金のためにオアシスを支配しようとするIOIの戦いは、最後の鍵の試練の場を巡って、最終決戦に突入する。
全編オマージュだらけの本作だが、このクライマックスの盛り方は凄まじい。
事前に映像が公開されていたけど、ダイトウの「オレはガンダムでいく」からのキメポーズ「シャキーン!」には、厨二心が燃えた。
オアシスを守るために集まった、無数の人々のアバターが突撃する中、パーシヴァルのデロリアンが疾走する。
そしてソレントの操る敵のボスキャラ、メカゴジラが伊福部昭のゴジラのテーマと共に突進し、アイアンジャイアントとガンダムと戦うという、夢のような光景が繰り広げられるのだ。

まあ出てくるキャラクターやアイコンに関しては、さすがに多すぎて切りがないし、各方面でスペシャリストたちが語っていると思うのでこれくらいに。
しかし、膨大な数のコピーライトは本当によく使用許諾が取れたなと感心。
“ゼメキスのキューブ”や「ターミネーター2」のパロディの、アイアンジャイアントのサムズアップみたいなマニアな遊び心の描写も楽しいが、一瞬しか映らなかったり、画面の隅っこの方にいたりして、一度鑑賞しただけでは認識すらできないキャラクターの数も物凄い。
やはりスピルバーグの名前が無ければ成立しない企画だろうが、日本人にとっては彼から日本のポップカルチャーへのラブレターのように感じられて嬉しくなる。

そしてVRワールドでの決戦は、いつしか現実世界と重なり合い、ポップカルチャーを搾取の場としか見ない者たちは、どちらの世界でも、大好きなものを守ろうとする人々によって打ち倒される。
クソみたいな現実からの逃避の場だったとしても、それがあるから救われる人もいるし、虚構から現実を変えることだって出来るのだ。
虚構と現実は対立するのではなく、現実を生きるために虚構が必要だという肯定的なジンテーゼに、クリエイターの矜持がにじみ出る。
ここまで来ると、劇中のハリデーがだんだんとスピルバーグ本人に見えてきたのは私だけではあるまい。
フィクションを形作るのは、現実世界での色々な経験に裏打ちされた、誰かに知ってもらいたいクリエイターの想い。
オタクの夢の世界としてのオアシスは、さらにディープなオタクだったハリデー=スピルバーグの、埋もれていった夢や涙や後悔の墓場でもある。
だからこそ、遂に対面を果たしたハリデーと、究極のファンたるパーシヴァルと会話は、とても切なくて優しいのである。

今回は、いつでもどこでも見られる夢の世界の話なので、「デイドリーム・マティーニ」をチョイス。
シトラスウォッカ90ml、オレンジジュース30ml、トリプルセック15ml、シロップ1dashを氷を入れたミキシンググラスでステアし、冷やしたグラスに注ぐ。
柑橘類のフレッシュな香りが、甘味と酸味のバランスを引き立てる。
VRワールドを堪能しつつ、飲みたいお酒だ。
本作に触発された天才が、本当にオアシスを作ってくれないかしら。
あんな楽しい世界があったら、確実に入り浸って課金するわ(笑

ところで、間口が広い作品とは言っても、オタク度が高まるほど加速度的に楽しみが増えるのは間違いない。
本作を心底楽しむために観ておいてもらいたい作品は何本もあるのだが、今から元ネタ映画を一本観るなら「シャイニング」がおススメ。
劇場名がオーバールックだったり、あのシークエンスは大笑いした。

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ショートレビュー「ワンダーストラック ・・・・・評価額1600円」
2018年04月18日 (水) | 編集 |
この街は、すべてがワンダー。

「キャロル」のトッド・ヘインズ監督の最新作は、ニューヨークを舞台に、時系列の異なる二つの小さな冒険物語が絡み合う、ミステリアスな寓話劇。
1977年、ミネソタ州ガンフリントに暮らす少年ベンは、最愛の母を突然亡くし、自らも事故で聴覚を失う。
彼は母の残した一冊の本、「ワンダーストラック 」を手がかりに、顔も見たことのない父親を探して未知の世界へと旅立つ。
一方、1927年のニュージャージー州ホーボーケンでは、聾唖の少女ローズが、銀幕のスター、リリアン・メイヒューと会うために、ハドソン川の対岸にそびえる摩天楼の都を目指す。
共に耳が聞こえない2人の子供が、自分にとって大切な人物を探すために、異なる時代のニューヨークを訪れる。
方や70年代風のカラー・トーキー、方やモノクロ・サイレント映画風に語られる二つの物語は、一見無関係に進むのだが、やがてどちらもマンハッタンのアッパー・ウェスト・サイド、セントラルパークに面して建つ、アメリカ自然史博物館へ。

映画「ナイトミュージアム」シリーズの舞台としても知られるこの博物館は、主に自然史と自然科学をフィーチャーし、150年の歴史を持つ全米でも有数の壮大な博物館だ。
入り口ホールで出迎えてくれる三頭の恐竜の全身骨格は有名だが、広大な館内を隅々までじっくり見学しようと思ったら、1日ではとても巡り終わらない。
タイトルの「ワンダーストラック」とは、博物館のミュージアムショップで売られている本で「大変な驚き」とか「大いなる目覚め」の意味。
母の遺品の中にあったこの本には、マンハッタンの書店のしおりが挟まれていて、その裏には「愛してるよ、ダニーより」というメモ書きが残されていた。
ベンはこの“ダニー”こそ父だと確信し、書店の名を頼りに、素性を知らない彼の居場所を探そうとする。
1977年のニューヨークを彷徨うベンの物語を、この本がアメリカ自然史博物館へ、そして1964年のニューヨーク万博の記憶を宿すクィーンズ美術館へ、やがて半世紀前のローズの物語へと導いて行く。

映画に仕込まれた、いくつもの暗喩と二重性の仕掛けが楽しい。
天空の“スター”が好きなベン、銀幕の“スター”を探すローズ。
「ヴァレリアン 千惑星の救世主」にも使われていた、デヴィッド・ボウイの「スペース・オデッセイ」と、「2001年宇宙の旅(原題:2001: A Space Odyssey)」の「ツァラトゥストラはかく語りき」。
より主観的なベンの物語と、客観的なローズの物語。
二つの時系列をそれぞれの時代の映画のスタイルで語り、耳が聞こえない二人の子供の物語に、映像芸術としての映画を象徴させる。
特にベンは聞こえなくなったばかりだから、会話によるイージーなコミュニケーションを封じ、回り道させることで彼の様々な気づきを強調する効果的な設定だ。

原作・脚本はブライアン・セルズニック。
黄金時代のハリウッドの大立役者、セルズニック一族に生まれ、自身も古い映画のファンであると語る彼の作品では、映画も重要なモチーフ。
今回は、映画の父ジョルジュ・メリエスを再発見する「ヒューゴの不思議な発明」ほど前面に出してはいないが、映画史を隠し味に、歴史の記憶を宿した博物館が二つの物語を結びつける。

一見脈略のない沢山のものが、次第に意味を持ってくる。
色々な記憶が集まる博物館や博覧会は、いわば万物が集う知のタイムマシン
そこに集積された、ニューヨークという巨大な街が持つマクロな記憶が、個人のミクロな記憶と素敵に重なり合うのだ。
「ヒューゴの不思議な発明」や、9.11で父を亡くした少年が、残された謎を解くためにニューヨーク中を冒険する「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」などが好きな人にオススメ。
まあよくよく考えると、最初からある人物が本当のことを語っていれば、こんな面倒な事態にはならなかったのだけど、それを言っちゃうのは野暮というもの。
子供たちが成長する寓話においては、全ての出会いも困難も冒険の必然なのである。

今回はニューヨークの地ビール「ブルックリンラガー」をチョイス。
禁酒法以前のニューヨークに多く存在した、ドイツ系醸造所の味を復活させるため、1998年に創業した銘柄。
伝統のウィンナースタイルで作られるこのビールは、バドやミラーといった一般的なマスプロビールに比べればずっと欧州風で、フルーティで適度な苦みと深いコク、ホップ感を持つ。
この一本にも、ニューヨークの生きた歴史が秘められている。

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ショートレビュー「パシフィック・リム:アップライジング・・・・・評価額1400円」
2018年04月14日 (土) | 編集 |
おかえり「パシフィック・リム」、さよならデル・トロ。

カイジュウ・プロレス第二章は、太平洋の海底での決戦で、次元の裂け目が閉じてから10年後の物語。
今回の主人公は、前作で壮絶な最期を遂げたペントコスト司令官の息子、ジョン・ボイエガ演じるジェイクだ。
父の背中を追って、イェーガーのパイロットになったものの、落ちこぼれて軍を離れていたジェイクは、ひょんなことから復帰を果たし、教官としてパイロット候補生の指導に当たることに。
復興途中の人類は、再びのカイジュウの襲来に備え、イェーガーも進化させている。
引き続きパイロットを養成しているだけでなく、中国企業が開発した遠隔操作のドローンタイプも配備間近。
この辺り、現実に米軍の内部で航空機をどこまでドローン化するかの葛藤があったり、中国が世界一のドローン大国となったことを反映していて面白い。

レジェンダリー・ピクチャーズ自体が中国資本になったことで、前作以上に中華な要素が増えたが、それでもなお作り手の日本型カイジュウ、ロボットへの愛は十分に伝わってくる。
もとより、米国で興行的にパッとしなかった作品の続編が作れたのは、ひとえに中国での起死回生の大ヒットのおかげなのだから、この作品に関しては中国様々。
イェーガーメーカーのツンデレ社長を演じたジン・ティエンは相変わらず美しいが、せっかくマックス・チャンをキャスティングしているのに、見せ場なく終わっちゃったのは、ちょっと残念だったな。

私は前作のブログレビューで、「バトルシークエンスが、全て暗いところばっかりなのがもったいない」と書いた。
おそらく同じ意見が多かったのだろう、今回は「分かったよ、明るいところで見せてやるよ!」とばかりにオール・デイシーン。
冒頭の巨大イェーガーと、ボスボロットみたいなチビっ子イェーガーとの追いかけっこから始まって、日本での決戦までずーっとどピーカン。
夜のシーンでは分かりにくかった、イェーガーのメカのディテールまでよく見える。
特に、東京での市街戦から、全てのカイジュウの聖地“マウント・フジ”を目指す、クライマックスのラスト30分は、正に見たかったものを全て見せてくれる大サービスだ。
異なる個性を持つ四体のイェーガーと、予想だにしない驚きのスゴ技を持つ三大カイジュウとの戦いは、大いに盛り上がる。

しかし・・・本作は、そこへたどり着くまでが、あんまり面白くないのである。
科学考証がむちゃくちゃだったり、展開が色々強引なのは前回もそうだったからそこはいい。
問題はやはり、大味過ぎる物語の構成で、ドラマに目の置き所がないことだ。
前作は、対カイジュウ戦で兄を死なせてしまったローリーと、幼い頃に家族をカイジュウに殺されたマコのシンプルな成長物語だったが、今回はペントコストの落ちこぼれ息子と、やはりカイジュウによって家族を失った少女アマーラが同様のポジションにある。
ところが、パイロット候補生を集めて中途半端に群像劇を目指したため、各キャラクターが埋没し、ドラマの軸が失われてしまった。
そもそも、ジェイクはなんで落ちこぼれてるのかもよく分からないし、候補生たちの訓練シーンもほとんど描かれないのでアマーラ以外は全く印象に残らず、クライマックスでは誰が誰で、どのイェーガーに乗っているのかも不明瞭。
当然、誰にも感情移入するに至らない。

また、二番煎じを避けた敵の正体は、意外性があってよかったのだが、そのせいで肝心のカイジュウがなかなか出てこないのはいかがなものか。
ジプシーvs偽ジプシーという、いかにも日本の特撮ものにありそうなシチュエーションが二度あり、アクションとしては見応えがあるが、見たいのはやはりvsカイジュウなのである。
せめてドローン・イェーガーがカイジュウ細胞に侵食された、エヴァっぽい奴らとイェーガーのバトルがあればよかったのだが、つなぎのエピソードであんまり見せ場にはならず。

外連味たっぷりだったデル・トロほど、スティーヴン・S・デナイトの演出にクセが無いのも逆に欠点が目立つ理由かも知れない。
デル・トロの迸るオタク心は、幾つもの震えるほどカッコイイ画として結実していたが、今回はアクションの流れは良くできているものの、止め画として圧倒的に印象的なショットが無い。
イェーガーやカイジュウの演技に、前作の様な“見得を切る”演出が見られないことも、インパクトの弱さにつながっている。
前作はデル・トロの作家映画だったことで、様々な欠点が帳消しにされていたが、今回のデナイトの仕事は多分に職人的で、その分アラが目立ってしまった。
繰り返すが、クライマックスはそこだけで観る価値十分な位燃えるし、本国で酷評されたほど悪くはない。
だけど、もう少し全体をブラッシュアップ出来ていたら・・・と思うのも事実だ。

今回は、富士山の地ビール「富士桜高原麦酒 ヴァイツェン」をチョイス。
オクトーバーフェストなどでもお馴染み、河口湖に醸造所を持つ地ビールだ。
ここの醸造士たちはドイツで醸造技術を学んでいて、どれも本場仕込みの本格的な味わいが楽しめる。
南ドイツで生まれたヴァイツェンスタイルで作られるこちらは、バナナを思わせる香りでとてもフルーティ。
苦味が少なく、ビールが苦手な人でも、飲みやすいのが特徴だ。

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ダンガル きっと、つよくなる・・・・・評価額1700円
2018年04月14日 (土) | 編集 |
すべての壁を、超えてゆけ。

インド版星一徹みたいな実在の熱血レスリングおやじ、マハヴィル・シン・フォーガットと彼の教えを受けた二人の娘、ギータとバビータの半生を描く物語。
保守的なインド社会にあって、秘められた娘の才能を見抜き、人々の嘲笑も意に介さずに、ひたすら二人の才能を開花させるために突き進む。
「きっと、うまくいく」「PK ピーケー」などのスーパースター、アーミル・カーンが、プロデューサーも兼務してマハヴィルを演じ、さすがの存在感。
監督、脚本を務めたのはニテーシュ・ティワーリー。
ドンと力強く背中を押される様な、スポ根ものの王道プロットに、ジェンダーイコーリティーのイッシューを組み込み、パワフルで深みのある娯楽快作となった。
※核心部分に触れています。

レスリングをこよなく愛する男、マハヴィル(アーミル・カーン)。
彼は国際大会の金メダルを夢見ながら、経済的な理由で選手生活に終止符を打つ。
せめて自分の息子に夢を託そうと思うが、生まれてきた子供は四人連続で女の子ばかり。
すっかり諦めていた頃、長女のギータ(ザイラー・ワシーム/ファーティマー・サナー)と次女のバビータ(スハーニー・バトナーガル/サニヤー・マルホートラ)が、喧嘩で男の子をボコボコにやっつける。
二人に、生まれついてのレスラーとしての才能を見出したマハヴィルは、早速英才教育を開始。
最初は嫌がっていた二人も、次第に父の想いを受け入れて、レスリングの実力はうなぎのぼり。
地方のアマチュア大会で男相手に連勝を重ね、ついにギータがナショナル・チーム入りすることになる。
マハヴィルにとって長年の夢である、“国際大会の金メダル”はもう不可能ではない。
一方でそれは、長年手塩にかけて育てたギータが、自分の手を離れることを意味していた・・・


タイトルになっている「Dangal」とはなんぞや?
インド映画ならではの、やたらとリズミカルなエンディングテーマ曲が頭に残り、「ダンガル♪ダンガル♪」と思わず口ずさみたくなるが、調べてみるとヒンズー語で「土の上で行う伝統的なレスリング」のことらしい。
映画の前半で、マハヴィルが畑を切り開いて作る土俵の様な練習場、レスリングマットのない街中の広場で行われるアマチュアの大会、あれが本来のダンガルなのだな。
アーミル・カーン演じる頑固一徹のマハヴィルは、どんどんと我らが星一徹に見えてくる。
そういえば、インドでは野球をクリケットに置き換えた「巨人の星」リメイク版、「スーラジ ザ・ライジングスター」が放送されたりしているから、日本のスポ根ものとの親和性は高いのかもしれない。

熱血のマハヴィルに、図らずもレスリングの才能を発見されてしまったギータとバビータ。
男の子の様な短パンをはかされ、練習の邪魔になると長い髪を切られ、問答無用の過酷なトレーニングを課される姉妹は、当然反発する。
インドは保守的な社会で、特に田舎には様々な不文律がある。
女性が肌を見せるのは破廉恥だと思われるし、男と組み合ってレスリングするなど、当然もってのほか。
街の人たちは、レスリング狂人のおやじが、かわいそうな娘たちを使って叶うはずのない夢を追いかけていると笑いものにするが、マハヴィルは決して止まらない。
レスラーにはタンパク質が必要だが、インドの多くの家庭は厳格なベジタリアンで、そもそも肉は高い。
マハヴィルは妻の反対を押し切って鶏を調理すると、娘たちにたっぷり与える。
親が果たせなかった夢を子に押し付ける、というのはよくある話で、娘たちも最初はそう考えていて、なんとか父親を思いとどまらせようとする。
しかし、14歳にして結婚させられる友達に、「インドの女は子を産む道具。あなたたちは違う」と諭されて、ふと振り返る。
姉妹は、レスリングをすることで、この国の女性を縛る、多くの理不尽な因習から解放されていることに気づくのだ。
「女だからしてはいけない、女だから出来っこない」マハヴィルはそんなことを一言も言わない。
男尊女卑が強く残る社会にあって、少々偏屈でも父の愛が特別だということを知ってから、インド初の国際大会金メダルという夢が三人の間で共通化。

映画は、前半が少女編、後半が大人編の構成で、前半はマハヴィルとギータ、バビータの三人を比較的均等に描いてゆくのだが、中盤以降は長女のギータが明確な主人公となってゆく。
着々と実力をつけ、ついに全国チャンピオンとなったギータは、インド代表として国立スポーツ・アカデミーの寮に住み込み、ナショナル・チームのコーチから教えを受けることになる。
レスリング一色で厳格だった実家の生活から解放され、都会で練習の合間にオシャレや娯楽を楽しむことが出来る様になった一方、コーチからは「父親の教えはすべて忘れろ」と指導される。
いつかはやってくる親離れ子離れの葛藤が、試合に勝ちたいというギータのもう一つの葛藤と絡み、実に上手い具合にクライマックスへと収束する。
日本版予告では、まるでロンドン五輪がクライマックスになるかの様な表現をしてるが、本作に五輪はほぼ無関係。
確かにギータは、ロンドン五輪にインド初の女子レスリング代表として参加しているのだけど、本作のクライマックスはその2年前、2010年にデリーで開催されたコモンウェルス・ゲームズだ。
日本ではほとんど馴染みがないが、コモンウェルス・ゲームズは嘗ての大英帝国植民地諸国からなる英連邦加盟国のスポーツ大会。
域内人口は23億人に及び、52カ国が参加して、オリンピックと同じく4年に一度開催される一大イベントだ。
日本やロシアといった女子レスリングの最強豪国は出ていないので、比較的メダルに手が届きやすい・・・といっても、後発国のインドにとっては、国際大会のメダル自体が遠い。

マハヴィルから長年受けてきたコーチングと、ナショナル・チームで受けた新しいコーチングとの方向性の違いに戸惑い、国際試合で勝てなくなったギータは、コモンウェルス・ゲームズを前に、父の教えに回帰することを決断する。
個人スポーツは、選手の実力だけじゃなくコーチとの相性も大切なんだな。
一度はナショナル・チームのコーチに感化されるギータと、姉の後を追って代表入りするも、あくまでも父の教えを大切にするバビータとのコントラストも効果的なアクセントになっている。
大会に挑むギータに、マハヴィルは国際大会の金メダルに拘る理由を明かす。
「銀メダルならお前はいつか忘れられる。しかし金メダルなら、お前はこれからの子供たちの目標になって、たくさんの女の子たちを勝利に導くことになるんだ」と。
この父の言葉を胸に、すべてをかけたコモンウェルス・ゲームズを含めて、レスリング・シークエンスはボリュームたっぷりだ。
役者がきちんと体を作っていて、ビジュアル的にも演出的にも十分なリアリティがあり、まるで本物の試合を見ているような緊張感。
多分フィクションなんだろうけど、マハヴィルとナショナル・チームのコーチとの間のひと悶着もギータの成長を後押しし、父娘それぞれがたどり着いた到達点に感極まり、思わず涙。

ギータ役を少女と大人でリレーしたザイラー・ワシームとファーティマー・サナー、バビータを演じたスハーニー・バトナーガルとサニヤー・マルホートラの四人は、8ヶ月かけてレスリングのトレーニングを積んだそうで、見事な説得力で素晴らしい。
だが彼女ら以上に、マハヴィル役のアーミル・カーンのカメレオンっぷりが凄いのである。
今回は一歩引いて、主役ではなく娘たちを引き立てる役なのだけど、冒頭の筋肉ムキムキ青年から後年のでっぷり太ったメタボおやじまで見事な演じ分け。
なんでも70キロだった体重を97キロまで増やし、中年パートを撮影した後に、筋肉をつけながら再び70キロまで落とし、あの冒頭シーンを撮ったのだとか。
あまりの変わりっぷりに、特殊メイクかと思ったくらい。
まあ40代で無理なく大学生役やってた人だから、驚くことではないかもしれないが。
役柄的には主役ではないと言っても、終始映画を支配するのはやはり圧倒的なオーラを持つこの人なのだ。

実話ベースを脚色した正攻法の物語に、インド映画特有の外連味を適度に抑制した演出、そして物語に説得力を与える俳優たち。
自分の果たせなかった夢を子供に叶えて欲しいという、パーソナルな親の我欲は、いつしかインド社会の全ての娘たちの夢となり、ギータとバビータもまた幾多の葛藤と苦難の先に、自らの生きる道をつかみ取る。
140分の長尺もあっという間、まさに娯楽映画の金メダル、誰が見ても楽しめる普遍的な作品だが、特に世界中の女の子たちに観てほしい!

ところでこれ、日本レスリング協会が後援してるんだが、女子レスリングの話だし、ナショナル・チームのコーチと、選手指導を続ける元のコーチ(父親)との確執が大きな要素で、練習センターの出禁や嫌がらせのエピソードがあったりするので、どうしても現実のパワハラ騒動を思い出しちゃう。
辞任した前強化本部長も本作の試写を観て、選手たちに訓示を垂れたというから、シニカルなブラックジョーク以外の何ものでもない。
まあ後援を決めた時には、「敵は女を下に見る全ての人たち」ってマハヴィルの台詞がブーメランになって戻って来るとは、1ミリも思ってなかったのだろうけど、別の意味でタイムリーになっちゃったな。
相撲協会の時代錯誤というか、思考停止な不見識もひどいし、日本もまだまだ問題だらけだ。

今回はインドのビール、マハヴィルをイメージして、その名も「ゴッドファーザー ラガー」をチョイス。
名前はものすごく強そうだが、スタンダードな下面発酵のピルスナー。
熟成期間が通常のラガーの倍以上あり、わりと香りが強くしっかりしたコクがあるのが特徴。
暑い国のビールらしく、基本的には清涼で飲みやすいので、日本人好みだと思う。

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