酒を呑んで映画を観る時間が一番幸せ・・・と思うので、酒と映画をテーマに日記を書いていきます。 映画の評価額は幾らまでなら納得して出せるかで、レイトショー価格1200円から+-が基準で、1800円が満点です。
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ショートレビュー「最低。・・・・・評価額1650円」
2017年11月20日 (月) | 編集 |
それでも、人生は続く。

"AV女優"をモチーフにした、オムニバス的な人間ドラマ。

原作は紗倉まなの同名短編小説集で、元々四話だったものを、一話を除いて三話で再構成。
それぞれの物語の主人公は、夫との関係に悩みAVに出演する主婦・美穂、親バレした現役のAV女優・綾乃、嘗てAV女優だった母親に反発する女子高生・あやこ。

世代の違う三人の女性たちと、彼女らを取り巻く人々の物語は、肌触りも生々しくリアリティたっぷりだ。

三つの独立した物語が、キャラクターのエモーション、あるいはアクションのシンクロで細かく切り替わってゆくスタイルは、橋口亮輔監督の「恋人たち」にちょっと近い。


孤独を抱えた三人の主人公と、AVとの関わりにはそれぞれに異なる理由がある。
子どもを作ろうとしない夫との夫婦関係に悩み、閉塞した日常に閉じ込められた美穂は、現状から抜け出す“救い”としてAVを選ぶ。
鉄のアソコを持つ女を自認する綾乃には、そこは自らの才覚でのし上がれる“居場所”だ。
自由奔放な元AV女優の母親に振り回されるあやこにとっては、AVは自らに課された運命的な“呪縛”といえるだろう。
誰もがある日突然AVに出るわけではない。
本作にはそこに至るまでの物語、至った後の物語、そしてそのことが及ぼす影響に関する物語が、私たちの日常とのしっかりとした地続き感を持って語られていて、血の通ったキャラクターたちの人生の葛藤がある。

人前で裸になり、セックスを見せてそれを売ると言う仕事内容は確かに特殊かも知れないが、この映画はAV女優という生き方を、肯定も否定もしない。
世の中の多くの事象と同じく、特殊な中にも普通があり、日常の中にも非日常が、良いことがあれば悪いこともある。
私たちの社会はなにかにつけて白黒つけたがり、“あちら”と“こちら”の二元論で物事を語ろうとするが、実際にはほとんどの人がどちらでもないグレーの存在であり、生きることの喜びと悲しみを抱え、揺れ動きながら細やかな幸せを探している。
ふんばって毎日を生きて、そしていつか今よりも良い明日へ
だからこそ三人の人生が僅かに交錯し、まだ多くの迷いを残したまま、少しだけ前へと進む物語は、私たち観客の心にも生の実感をもって染み渡るのだ。

女優たちの体を張った演技は素晴らしく、裸体が葛藤を物語る。
瀬々敬久監督は「(この映画に)金は無いが、自由はあった」と仰ってたが、邦画で遠慮のないセックスシーンがキチンと意味を持って演出されていたのは、最近では本作と「あゝ、荒野」くらい。
悩める美穂の心情を繊細に演じたファーストロールの山口彩乃が、彼女のキャスティングを知ってエステを予約したという、アンパンマンこと佐々木心音は特に強い印象を残す。 
AVビギナーである美穂や、AVとは間接的な関係であるあやこと違って、現役としてガッツリ心を決めた綾乃の、ちょっと危うさを感じる不器用な生き方には思わず感情移入。
これが映画初出演となるあやこ役の山田愛奈も、青春の痛みを感じさせて良い。
映画オリジナルだというラストは、物語に余白を感じさせ、三人のその後に想像が広がる。

彼女たちのこれからの人生を想い、実りある未来を願う。
そんな風に思える本作は、とても幸せな映画である。

今回は、愛に関する物語でもあるので、「ピュアラブ」をチョイス。
ジン30ml、フランボワーズ・リキュール15ml、ライムジュース15mlをシェイクし、氷を入れたグラスに注ぐ。
適量のジンジャーエールを加えてステアし、スライスしたライムを添えて完成。
バーテンダーの上田和男さんが、1980年に日本バーテンダー協会のカクテルコンペティション用に考案し、優勝した作品。
美しいオレンジ色のカクテルは、爽やかだけどちょっと酸っぱい恋の味だ。

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密偵・・・・・評価額1650円
2017年11月19日 (日) | 編集 |
裏切り者が、なすべきこと。

1920年代、日本統治下の朝鮮と上海租界を舞台に、ソン・ガンホ演じる刑事のイ・ジョンチュルと、独立運動組織・義烈団を描く異色のスパイ映画だ。
朝鮮人でありながら、日本の警察に属する主人公は、日本の支配に一矢報いようとする義烈団へのシンパシーと、刑事としての職務の板挟みとなる。
自己保身か、自己犠牲か、英雄とは真逆の位置に立つ男は、図らずも直面することになる人生の岐路にどちらの道を選ぶのか。
監督はアーノルド・シュワルツェネッガーの復帰作、「ラストスタンド」でハリウッド進出も果たしたキム・ジウン。
ユン・ユ、ハン・ジミン、イ・ビョンホンら主役級の実力者がガッチリと脇を固める。
世界観の作り込みも素晴らしく、時代感のある美術や衣装は、名手キム・ジヨンのカメラによって細部に至るまで写し取られ、ゴージャスなビジュアルとしてスクリーンに結実。
韓国映画界の底力を実感できる秀作である。

京城の警察に所属するイ・ジョンチョル(ソン・ガンホ)は、上司のヒガシ(鶴見辰吾)から、上海を拠点に独立運動を展開している義烈団を監視しろとの命を受ける。
ジョンチョルは、義烈団の京城でのリーダーと目され、写真館を営むキム・ウジン(ユン・ユ)に近づき、懇意となる。
ウジンから上海での”仕事”に誘われたジョンチョルは、組織の全貌を掴むチャンスと考えて上海行きを決めるが、実はそれは義烈団の団長チョン・チェサン(イ・ビョンホン)が、ジョンチョルを組織に引き込むための餌だった。
次第に義烈団の面々に惹かれてゆくジョンチョルだったが、義烈団は京城でことを起こすために、上海から列車で爆弾を朝鮮に持ち込もうとしていた。
誰が敵で誰が味方なのか、本当の密偵は誰なのか、義烈団と警察が腹を探り合う。
同僚のハシモト(オム・テグ)の目が光る中、列車に乗り込んだジョンチョルに決断の時が迫る・・・


本作はフィクションだが、義烈団そのものは実在した組織で、朝鮮総督府への爆弾攻撃や、日本軍幹部への狙撃事件などを起こしている。
本作の直接の元ネタになっているのは、おそらく2013年に公開された、当時の英国情報部が作成した義烈団に関しての報告書。
それによると、青島に住むドイツ人が作成した爆弾160個のうち100個が、義烈団により朝鮮に持ち込まれたとあり、基本プロットはこの報告書に上海天長節爆弾事件を始めとする、朝鮮独立派の組織が日本側の官司を狙って起こした幾つかの事件を組み合わせた感じだ。

ここ数年の韓国映画には、日本統治時代の独立運動を描く”愛国的”な作品が目立ったが、これは多分に朴槿惠政権下で起こった、いわゆるチェ・スンシルゲートの影響がある模様。
映画会社を傘下に持つ財閥各社が、影の大統領に支配された保守政権のご機嫌とりに走った結果というわけだ。
この波に乗って作られた作品は、かなり無理のある作品が多く、例えばホ・ジノ監督の「ラスト・プリンセス 大韓帝国最後の皇女」など、朝鮮王族が日本でレジスタンスしちゃったり、朝鮮戦争ものの「オペレーション・クロマイト」では、本来アメリカ人だったはずの人物を韓国人に改変していたり、トンデモ設定だらけでほとんど歴史ファンタジー化してしまっていた。
本作はその種の作品とは一線を画し、最初からフィクションであることを前提に、史実との乖離も比較的少なく、なかなかの仕上がり。

ユニークなのは主人公のジョンチュルを、朝鮮人でありながら日本の警察に勤務し、日々独立派を取り締まるという、アイデンティティに迷った"裏切り者"に設定したこと。
とは言っても別に悪人というわけではなく、併合後10年以上を経た日本統治下の社会を生き抜くために、長いものに巻かれてる人物に過ぎない。
彼にとって義烈団などの独立運動組織は、その理想は理解するものの、帝国主義の時代に到底不可能な夢を追っているだけにしか思えないのだ。
ソン・ガンホがキャスティングされている時点で、キャラクター造形の方向性は想像がつくが、基本的にジョンチュルは情に厚く、頼られると断れない。
だから実際に信念を持った義烈団のメンバーと接すると、その心情は簡単に揺れ動く。

アイデンティティの葛藤を抱えたジョンチュルが義烈団を探る工作と、ミイラ取りをミイラにとばかり、逆に彼を二重スパイとして組織に引き込む工作とが絶妙に絡み合う。
基本”裏切り者が正しい道に戻る”話なので、最終的に行き着く所に驚きはないのだが、他にも組織に送り込まれた密偵がいる状況で、駆け引きはどんどん複雑化してゆく。
キム・ジウン監督は、緻密に構成された物語を、ベテランらしく正攻法かつ骨太の演出できっちりと魅せる。
特筆すべきは、上海から朝鮮に向かう列車上のシークエンスで、義烈団のメンバー、彼らを追う警察、そして板挟みのジョンチュルという、三つ巴のサスペンス。
本当の裏切り者は誰か、敵味方とも疑心暗鬼の状況で、熾烈な騙し合いの推移に手に汗握り、ハラハラドキドキ。
爆弾運搬を担う義烈団のリーダーがユン・ユなので、密室の列車内を行き来しての展開は、ちょっと「新感染 ファイナル・エクスプレス」を連想した。

前記した「ラスト・プリンセス」やチェ・ドンフン監督の「暗殺」など、朝鮮独立運動を描いた作品は、悪の日本人を愛国者たちが成敗する話かと思わせておいて、実はどの作品もかなり自虐的。
日本の支配という枠組みの中で、分断された朝鮮人同士が殺し合い、自滅してゆく話しになっている。
朝鮮半島は常に中国をはじめとした外部勢力の影響を受け、内部の理念対立が伝統的に激しい。
今でも韓国のメディアなどに「韓国人は身内同士で争ってばかり」という論調の記事をよく見るが、そんな民族的メンタルが映画にも確実に影響を与えていて、実は日本人が観てもあまり悪役にされている感は少ないのだ。

ところが、本作には珍しく鶴見辰吾演じる日本人の悪漢がいる。
裏切り者がなすべきことを見つけ、人生をやり直す展開には、やはり動機となる明確な敵対者が必要だからだ。
このキャラクターがまた、わざとらしい悪役でなく、ジョンチュルの上司として、あくまでも冷静に仕事として酷いことをする、典型的な官僚に造形されているのも良い。
敵役の突き放したキャラクター造形が、映画が過度にエモーショナルになるのを避け、主人公の心に灯った暗く冷たい炎を感じさせるのである。

日本円にして15億円をかけたこの作品を成功させたことで、キム・ジウン監督は念願の押井守原作、沖浦啓之監督のアニメーション映画、「人狼 JIN-ROH」の実写リメイクのプロジェクトに入ったそうだ。
日英同盟が独伊枢軸に敗戦したという架空の”戦後”を舞台に、いくつもの勢力が入り乱れる超分断社会を描く「人狼 JIN-ROH」は、なるほど韓国で映画化するのにピッタリな題材。
いかにしてキム・ジウンが料理するのか、楽しみに待ちたい。

今回は、大陸の列車で飲みたい「青島ビール」をチョイス。
青島は1898年にドイツの租借地となり、ドイツ人投資家が1903年に醸造所を開設しビール生産をスタート。
その後第一次世界大戦後には日本資本に買収されたり、第二次世界大戦後には共産党に国営化されたり、改革解放で民営化されたり、激動の中国史の中でしぶとく生き残ってきた中国最古のビール銘柄の一つ。
血統はドイツだが、味わいとしてはむしろアメリカンビールに近く、しっかりしたビールらしさを残しながら、非常にマイルドかつクリア。
スムーズな喉越しと清涼感のある口当たりは、中華料理の脂っこさを中和し、何杯でも飲めてしまう。

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ショートレビュー「ラストレシピ〜麒麟の舌の記憶〜・・・・・評価額1600円」
2017年11月15日 (水) | 編集 |
そのレシピに、何が託されたのか。

なかなかに良く出来た娯楽映画だ。

二宮和也が好演する主人公の佐々木満は、一度食べた味を決して忘れず、どんな料理でも再現してしまう“麒麟の舌”と呼ばれる絶対味覚の持ち主。
嘗て経営していた店の借金を返すため、富裕層のために高額なギャラで思い出の味を再現する、料理版ブラックジャックみたいな主人公が、天皇の料理番が作り70年前の満州で行方不明となった究極のレシピ、その名も“大日本帝国食彩全席”を探す、というのがプロットの骨子。
料理映画でありながら、探偵ものとしても楽しめるジャンルレスムービーだ。


腕は抜群だが心に問題を抱えた傲慢な天才料理人・満が、西島秀俊演じる歴史の闇に消えたもう一人の天才・山形直太郎と彼のレシピの行方を追ううちに、料理を大陸侵略の道具として使おうとする関東軍と、戦争の時代に抗おうとした人々の想いが浮かび上がってくる。

日本人、漢人、満州人、朝鮮人、蒙古人の“五族協和”をスローガンに掲げる新しい国、満州国に天皇を迎えるため、直太郎は様々な民族の食文化を融合させた究極のレシピを作ろうとするが、その実彼を雇った関東軍は、建前にしか過ぎない五族協和ではなく、自分たちによる満州支配を進めるために、レシピを利用したある陰謀を巡らせてゆく。

直太郎もまた満と同じく絶対味覚の持ち主で、料理を極めることを全てに優先し、周りの人間を信じない。
そんな男が、数年に及ぶ全112品目のレシピ作りを通して少しずつ変わってゆき、料理と人間への愛に生きたことを、彼を知る人々との出会いによって満が追体験してゆくのである。
原作の田中経一は90年代に一世を風靡し、世界的な大ヒット作となった料理バラエティ「料理の鉄人」を手掛けた演出家。
料理を格闘技に見立てたあの番組を思わせる部分もあるが、やはりキャラクター相関も含め本作に強い影響を与えているのは、“究極のメニュー”を探してウン十年の「美味しんぼ」だと思う。
やはり頑なな拗らせキャラクターだった主人公の山岡士郎が、料理の持つ物語とそこに込められた人の想いを学ぶことで、深みのある人間となっていったように、当初非共感キャラクターである満もまた、レシピの行方を探す旅を通し、そもそも料理とは何かという根本に立ち戻ることで、殻を破り大きく成長してゆく。

滝田洋二郎の演出は、キャラクターの感情の機微を丁寧に見せ、料理人の所作などの描写も魅力的。
全編に渡って登場する、数々の豪華料理のシズル感はなかなかのものだ。
プロットは全体的に非常にロジカルに構成されており、違和感のある部分はきっちり伏線として回収される。

ただ、おそらくは原作由来だと思うが、林民夫による脚本はまるでコース料理の様に、ピタッ、ピタッとパズルのピースがハマってゆき、あまりに綺麗にまとまり過ぎて、ちょい出来過ぎに感じてしまう所もある。
これは30年代を描く過去の物語が、関東軍の陰謀によって、レシピを探す満を描く現在の物語も、別の見えざる手によって導かれており、本来の主人公たち、特に満の主体性が希薄なことも影響していると思う。
はじめから結論ありきなのが全体を縛っているのだが、この構造こそ本作の核心なので、悩ましいところ。
物語のあり方として好みは別れるだろうが、端正な娯楽映画として十分な見応え。
継承されるスピリットを具現化した、エンドクレジットの工夫も素敵だ。
あれは撮影後にスタッフが美味しくいただいたのだろうか。
出番は短いものの、山形直太郎の妻を演じる宮崎あおいが、凛としたキャラクターで強い印象を残す。
やっぱりこの人上手いわ。

今回は中国の酒宴に欠かせない高級白酒「貴州茅台酒(キシュウマオタイ酒)」をチョイス。
300年以上の歴史を持ち、本作にもチラッと登場する日中国交回復の式典でも振舞われた、中国を代表する蒸留酒だ。

酒を買うとついてくる小さなグラスで一気にグイッと飲むのが一般的。

独特の香りと濃厚なコクがある非常に強い酒だが、この飲み方だと意外とどんどんいけてしまう。
量を飲んでも悪い良いし難いのも嬉しい。

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KUBO/クボ 二本の弦の秘密・・・・・評価額1700円
2017年11月13日 (月) | 編集 |
瞬きをやめ、全てを見届けよ。

3DCG全盛のこのご時世に、100年を超える歴史を持つストップモーション技法による作品を作り続けている拘りのアニメーションスタジオ、ライカの最新作「KUBO/クボ 二本の弦の秘密」は、古の日本を舞台にしたオリジナルの貴種流離譚だ。
月の魔王の娘サリアツと人間の侍ハンゾウとに間に生まれた運命の少年クボが、魔王を倒すために長い旅に出る。
それはクボがにとって家族のルーツを辿り、自分が何者なのかを知る道程ともなるのだ。
監督はライカの現CEOであり、「コララインとボタンの魔女」「パラノーマン ブライス・ホローの謎」などのリードアニメーターとして活躍したトラビス・ナイト。
幼い頃に、父の仕事の関係で日本を訪れて以来、日本文化に魅了されているというアニメーションの名手が、見事な監督デビューを飾った。

むかしむかしの物語。
少年クボ(アート・パーキンソン)は、心を病んだ母サリアツ(シャーリーズ・セロン)と共に、村はずれの岩山にある洞窟に住んでいる。
サリアツは、冷酷な月の魔王ライデン(レイフ・ファインズ)の娘。
人間の侍ハンゾウ(マシュー・マコノヒー)との結婚が父の逆鱗に触れ、ハンゾウは殺され、人間界に逃げたサリアツは幼いクボが魔王に見つからないように、ひっそりと隠れて暮らしてきたのだ。
月の魔力の及ばない日中、クボは三味線片手に村に出て、生まれ持った魔術で折り紙を自在に動かし、父ハンゾウの物語を語る。
しかしやがて、二人の存在は魔王の知るところとなり、クボを守るために双子の姉カラスとワシ(ルーニー・マーラー)と対決したサリアツは倒されてしまう。
クボは、母が最後の力を振り絞って命を与えたサルの置物と、嘗て父の配下にあり、呪いで姿を変えられてしまった巨大なクワガタを”保護者”に、ハンゾウの物語に登場する、魔力を持った三つの武具を探す摩訶不思議な旅に出るのだが・・・


例によって、映像的なクオリティは圧巻だ。
冒頭の嵐の海のダイナミックな描写で、もう既に驚愕するしかない。
3Dプリンターの出現によって、ストップモーション・アニメーションの可能性は劇的に広がった。
もやは、3DCG並みに描くシチュエーションを選ばず、顔のパーツを入れ替えるパペトゥーンの技法で表現されるキャラクターの感情は、驚くほど豊かだ。
カメラのブレが起こらないことによるフリッカーなど、ストプモーションならではの味わいは残るものの、技術が洗練されればされるほど、CG表現との境界が薄れてゆくのは皮肉な気もするが。
とは言っても素材が物理的に存在している分、他のアニメーション表現と比べ、より多くの工夫と作り手の情熱が必要とされる、非常に贅沢な手法なのは間違いない。

日本人にとって一番興味深いのは、本作がアニメーションで描かれるアメリカ製の時代劇という点だろう。
封建時代の日本を舞台としたハリウッド映画というと、21世紀に入ってからの作品では、渡辺謙を一躍世界のスターにした「ラスト・サムライ」、キアヌ・リーヴス版の「忠臣蔵」という触れ込みの「47RONIN」あたりが記憶に新しい。
どちらも映画として面白いかどうかは別として、やはり日本人からすると違和感を禁じえない描写が多々あるのも事実(後者の場合、もはや日本であるかどうかも怪しい)。
フィクションである以上、考証として正しい日本よりイメージとして正しい日本が求められるのだからある程度は致し方ないし、日本映画で描かれるアメリカだって相当に変なので、人のことばかりは言えないのだけど。
ところが、アニメーションという表現で作られた本作は、最初からリアリティラインが実写とは大きく異なる。
数多の実写作品には到底作り得ない、入念にデザインされ作り込まれた、アニメーションならではの世界を見せてくれるのだ。

何時でもなく、何処でもない、ファンタジー映画の舞台としての日本は極めて魅惑的。
手法は違えど、70年代にNHKで放送されていた人形劇「真田十勇士」や「笛吹童子」に夢中になっていた世代としては、妙な懐かしさも感じる。
幾つもの時代や場所、さらには「ロード・オブ・ザ・リング」など西洋のファンタジーが融合したような世界観は、既成概念に縛られた我々日本人には、なかなか発想出来ない大胆でユニークなものだが、三味線や折り紙を始め、随所に滲み出る日本文化へのリスペクトが熱い。
こんな風に、折り紙を魔術と絡めて使うアイディアなんて思いもよらなかった。
折り紙の作り出す直線的でシャープなイメージは、衣装や美術のデザインにも及んでいる。
衣装デザインはイッセイミヤケのプリーツや着物の折りの技術を参考にし、美術は伝統的な浮世絵や20世紀の版画家、斎藤清からもインスパイアされているという。
特に斎藤清の版画は、ビジュアルイメージ全体のコンセプトに影響を及ぼしているのが一目で分かるほどだ。

アクションやキャラクターの所作は、黒澤明の映画を参考に実際に人間が演じ、それを最終的にパペットに置き換えていったそうで、入念な制作プロセスはきちんと映像として結実している。

感情を知らず永遠の命を持つ月の者と、有限の命ながらも溢れんばかりの情熱をもつ人間との、真実の愛の結晶であるクボの旅は、設定的にもテーマ的にも、高畑勲監督の「かぐや姫の物語」のアクションファンタジー版といった趣。

クボが三味線片手のストーリーテラー設定ゆえ、そこに物語論も組み込まれているのが面白い。
本作における物語の本質とは、語り継がれる誰かの命の記憶だ。
月の魔王ライデンは、不浄なこの世のを見せないために生まれたばかりのクボから片目を奪い、残ったもう一つの目をも奪おうとしているが、クボの曇りなき目に映るこの世界は美しい愛で満ちている。
人間は不完全で滅びる存在ゆえに、愛する者の記憶の中で物語として昇華されることではじめて永遠となり、ここに根底を貫くわびさびの心が浮かび上がるのである。

ところで、古の日本のストーリーテラーと言えば、先ず琵琶法師が思い浮かぶが、本作はあえて比較的時代の新しい三味線を選んだ。
なぜ三味線でなければならなかったのか?
原題が「Kubo and the Two Strings(クボと二本の弦)」であることの、本当の意味が明かされる瞬間には、思わず涙腺が決壊。
シャーリーズ・セロン、マシュー・マコノヒーのオスカー俳優コンビ、さらにはルーニー・マーラー、レイフ・ファインズにジョージ・タケイまで、やたらと豪華な声優陣の演技も聞き応えたっぷりだ。
アニメーション・スーパーバイザーのブラッド・シフ曰く、「私たちは撮影に使ったパペットをリトル・ヴァンパイアと呼んでいます。撮影するたびに私たちの生命力を吸うんです」。
世界最高峰のストップモーションアニメーションスタジオが作り上げた、まほろばの日本に酔いしれる魅惑の103分は、文字どおり作り手たちが命を吸わせて作った魂の結晶。
スリルあり笑いあり涙ありの冒険譚は、万人にオススメできる、娯楽ファンタジーの傑作だ。

少し残念なのは、かなり3Dを意識した演出がなされているのだけど、日本公開ではどうやら3D版が用意されないということ。
比較的小規模な公開だから仕方がない点もあるが、これは是非とも劇場の大スクリーンで3D鑑賞したかった。

今回は、日本をイメージしたカクテル、その名も「ジャパニーズ」をチョイス。
1860年にアメリカを訪れたサムライの使節団は大きな話題になり、特に通訳を務めた当時16歳の立石斧次郎は全米の女性を虜にし、”トミー”のニックネームでアイドル並みの人気だったという。
このフィーバーに目を付けた伝説のバーテンダー、ジェリー・トーマスによって考案されたのがこのカクテル。
コニャック60ml、オルゲート・シロップ15ml、アンゴスチュラ・ビターズ3dashを、氷と共にミキシンググラスでステアし、冷やしたグラスに注ぐ。
最後に捻ったレモンピールを飾って完成。
アンゴスチュラ・ビターズの苦味がアクセントとなる、甘口のカクテル。
洋酒ライターの石倉一雄氏の説では、紹興酒をイメージしたのではないかということだが、確かに味わいは通じるものがある。
今の日本ではあまり知られていないカクテルだが、海外ではビンテージカクテルとしてそこそこ目にする。

ちなみに主人公の名前のクボは、「久保?それとも公方?」と疑問だったのだが、どちらでもなく原案のシャノン・ティルドンの日系の友人のニックネームだそう。

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ショートレビュー「ノクターナル・アニマルズ・・・・・評価額1700円」
2017年11月10日 (金) | 編集 |
彼女の中で、蠢く獣。

ジワジワ締め付けられる、オトナの心理スリラーだ。
トム・フォード監督、演出だけかと思っていたら脚本も自分で書いているとは驚き!
本当に天から二物も三物も貰った人はいるのだなあ。
こんなにも完成度の高く、映像的にもパンチのあるスリラーを、二作目の異業種監督が撮ってしまうのだから凄い。

何しろファーストショットからインパクト抜群である。
ブクブクに太った裸の女たちが奇妙なダンスを踊る映像から、彼女たちが“オブジェ”として横たわる展覧会の会場へ。
あえて嫌悪感を抱かせる退廃的な世界観は、そのまま作品が描こうとするテーマを示唆する。
※以降、なるべく予備知識無しで観ることをお勧めします。


この展覧会の主催者であるエイミー・アダムス演じるスーザンは、アートディーラーとして成功し、ハンサムな夫とロサンゼルスの豪邸で暮らしていのだが、その実夫のビジネスは火の車で、夫婦関係にも秋風が吹いている。
そんなある日、突然スーザンの元に、19年前に別れた元夫のエドワードから一冊の小説が送られてくるのだ。
彼女との別れから着想を得たという小説のタイトルは、「ノクターナル・アニマルズ(夜の獣たち)」で、これは結婚していた当時、エドワードが不眠症のスーザンに付けたあだ名。
しかし、小説の内容は結婚生活とは何の関係もなく、嘗て二人が暮らしたテキサスの田舎を舞台にした暴力的な犯罪ものなのである。

小説の主人公のトニーは、ある夜ハイウェイで交通トラブルに巻き込まれ、三人の男たちに妻と娘と誘拐され、自分は荒野に置き去りにされる。
やがて、妻と娘は無惨な遺体で見つかり、トニーはマイケル・シャノンがいぶし銀で演じる刑事のボビーと共に犯人を捜し始める。
この小説で“夜の獣”たちが指すのは、犯人の男たちだろう。
ならば何故、エドワードは元妻の呼び名を、凄惨な犯罪小説の悪役に使ったのか。
虚構と現実が、相似するビジュアルイメージによってシンクロするなど、全編に渡って画的なセンスが抜群にいい。
読み進めるうちに、えも言われぬ不安に襲われるスーザンの精神を、何時しか小説の物語が浸食し、徐々に彼女の中の過去の記憶が呼び起こされてゆく。
映画の中盤、彼女は巨大な文字で「REVENGE」と描かれた美術作品から目が離せなくなるが、実は自分で買い付けたことを忘れている。
この描写を含め、トム・フォードは過度な説明を避けつつ、秘められたスーザンの心の中を巧みに暗喩してゆく。

小説のパートでトニーを演じるジェイク・ギレンホールが、過去パートのエドワードと一人二役を演じているのがキーだ。
スーザンは無意識のうちに、小説の主人公がエドワードだと感じ取っているのである。
ならば小説で描かれる犯罪と復讐は、エドワードとスーザンの過去の比喩なのか。
俗っぽく刺激的な小説部分が映画をグイグイ引っ張り、現在と過去とのコントラストにより、スーザンの本当の内面が見えてくる。
この作品を端的に言えば、現在にも過去にも問題を抱えている主人公が、自分がいったい何者なのかを知る物語だ。

そしてそれは、彼女自身が決して認めたくない自分でもある。
作家志望のエドワードと付き合い始めた頃、保守的でブルジョワな母親から、先の分からない彼との結婚を反対されたスーザンは、「私は母さんとは違う」と反発するのだが、母親は嘲笑しながらこう言うのだ。
「みていなさい、娘はいずれ母親の様になるのよ」と。

その言葉通り、彼女はわずか1、2年の結婚生活でエドワードの才能に見切りをつけ、最も残酷な形で彼を裏切り、分かりやすい成功への道を選んだものの、その心は未だ満たされない。
小説「ノクターナル・アニマルズ」に、19年前には感じなかった非凡さを感じとったスーザンが、エドワードとの会食に出かける時、胸の空いたセクシーな服を選びながら、土壇場でリップをふき取るあたりに、彼に対する複雑な心境が感じ取れる。
だが、この時点で彼女はまだ、既にプライドの鎧を内側からはぎ取られていること、エドワードが小説に込めた真の意図に気付いていないのである。
限りなく完璧な映像設計と、名優たちの怪演に彩られた、最も恐ろしい復讐譚にして、純粋過ぎる愛の物語。
トム・フォード恐るべし、この才能はホンモノだ。

今回は、“夜の獣たち”に引っかけて「レッド・アイ」をチョイス。
夜通し飲み通した後の迎え酒として知られるビアカクテルで、そのまま寝不足の充血した目が名前の由来。
トマト・ジュースをタンブラーの四割ほどまで注ぎ、ビールを同分量注いで、軽くステアする。
ビール風味のトマト・ジュースという感覚で、トマトの味わいが強い。
持たれた胃には炭酸ののど越しと、トマトの酸味が効いてスッキリ飲める。

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