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教誨師・・・・・評価額1750円
2018年10月18日 (木) | 編集 |
“罪”と“罰”の密室。

これは心に染み入る珠玉の作品だ。
今年二月に死去した大杉漣が演じる拘置所の教誨師が、六人の確定死刑囚と対話する。
稀代の名優の最後の主演作だが、エグゼグティブ・プロデューサーも兼務し、最初で最後のプロデュース作品ともなった。
教誨師は、それぞれに個性的な死刑囚たちとの対話を通し、本当に神の言葉が伝わっているのか、彼らが安らかな死を迎えられるように導けているのか苦悩を深める。
そしていつしか、教誨師自身が心に封印してきた“罪”も見えてくるのである。
人が人を罰するとは、どういうことなのか。
生と死の淵にある教誨室で、深く考えさせられる濃密なる114分。
監督・脚本は、死刑に立ち会う刑務官を描いた「休暇」の脚本で知られる佐古大が務める。

プロテスタント教会の牧師・佐伯保(大杉漣)は拘置所の教誨師として、月に二回確定死刑囚たちと向き合っている。
佐伯の問いかけに一切言葉を返さない鈴木貴裕(古舘寛治)、人のいいヤクザの組長・吉田睦夫(光石研)、関西出身のおしゃべりな中年女性・野口今日子(烏丸せつこ)、年老いた文盲のホームレス・進藤正一(五頭岳夫)、会えない家族を思いやりぼそぼそと喋る小川一(小川登)、そして十七人もの人を殺めた高宮真司(玉置玲央)。
佐伯は、彼らが自らの罪と向き合い、しっかりと悔い改めて残された生を充実したものにできるよう、そして安らかなる死を迎えられるように、親身に彼らと対話し、神の言葉を伝える。
しかし、一癖も二癖もある死刑囚たちとの対話は、困難の連続。
空回りしたり、相手を怒らせたりしながらも、佐伯は少しずつ彼らの心を開いてゆくのだが、ただ一人、高宮だけは佐伯と社会に対する不満と攻撃性を隠そうとしない。
彼らとの対話を通して、佐伯自身もずっと心の中に秘めてきた自らの“罪”に向き合ってゆく。
だがクリスマスも近いある日、ついに死刑囚の一人に執行命令が出される・・・

恥ずかしながら、ずっと「教戒師」だと思っていた。
以前は「教戒」と「教誨」はごっちゃになっていたという。
だが、発音は同じでも、本来「教戒」は「戒める」で「教誨」は「(知らない者に)教え、諭す」と全く違う意味。
刑務所や拘置所での活動は「教誨」であるとして、当事者団体の全国教誨師連盟からの要望もあり、10年ほど前からマスコミなどでも「教誨師」で統一されているそうだ。
全国で約二千人の教誨師が刑務所や拘置所、少年院などで活動していて、そのうちの14パーセントがキリスト教系。
日本のキリスト教徒人口がわずかに1パーセント程度なのを考えると、意外と多いなと思うが、「人間はみな原罪を抱えた罪人である」というキリスト教の考え方は、実際に罪を犯して矯正施設に収容されている人たちにとって、受け入れやすいのかもしれない。


114分の間、教誨の一環として歌われる讃美歌を別として劇盤は全く無く、中盤と終盤の数シーンを除いて、舞台はほぼ全て拘置所の教誨室という演劇的な構造。
殺風景な教誨室は、スタンダードの狭い画面によってさらに切り取られる。
アスペクト比を生かした演出は「リバーズ・エッジ」が同じことをやっていたが、あちらは精神的に、こちらは物理的にも閉塞していて、その分会話劇の密度は物語の進行と共に高まってゆく。
密室で展開する映画だが、カメラとカッティングの妙によって単調には陥らず、観客は時には教誨師側から、時には死刑囚側から物語にグイグイと引き込まれる。

六人の死刑囚の起こした事件は、最初のうちはフォーカスされない。
それぞれに個性的ではあるが、どこにでもいそうな彼らとの対話は、まるで近所の誰々さんとの世間話を聞いているよう。
彼らの事件はそれぞれに実際に起こった事件を思わせるもので、佐伯との対話を通して徐々に「ああ、あの事件か」と記憶を呼び起こされる。
死刑囚としてではなく、あくまでも一人の“人間”としての印象を先行させ、徐々に彼らの罪を露見させてゆくことで、「凶悪殺人犯」という記号化されたキャラクターを生身の人間に戻してゆく。
それと共に、たとえば一見すると豪放に見えるヤクザの吉田が、刑の執行を心底から恐れていること、ストーカー殺人を犯した鈴木が、被害者の幽霊と対話していること、おしゃべりが止まらない野口が、もはや妄想の世界にいて、リストカットを繰り返していることなど、いつ命が終わるとも知れない死刑囚としての毎日で、生きながら人間が壊れていっているのが見えてくるのだ。
また気弱な小川の告白によって、犯した罪の意味合いが変わっていく事例も描かれる。


教誨毎に徐々に印象が異なってゆく彼らに対して、玉置玲央が演じる高宮は、最初から2016年に相模原で起こった大量殺傷事件の被告人をモデルとしているのが明白。
それは彼が他の死刑囚と異なり、ある種の思想犯でもあり、凡ゆる点で佐伯のアンチテーゼだからだ。

佐伯は、独りよがりな“正義”を振りかざし、一切の贖罪の姿勢を見せないこの男と会話することで、彼の心にぽっかりと空いた決して埋められない“穴”を見つめる。

それは同時に、佐伯が自らの心に封印してきた彼自身の“罪”と向き合う時間でもあり、彼の目を通して、私たち観客自身が生命倫理や死刑制度の在り方について考える時間でもあるのだ。

高宮のほかにもう一人、ほかの死刑囚と異なる描かれ方をしている人物がいる。
それは文盲のホームレスの進藤だ。
彼に関しては、教誨の大半が文字を教えることに費やされ、具体的に彼が何をして死刑判決を受けたのかは語られない。
このような描き方をするのは、彼に対して観客が先入観を持つことを避けるためだろう。

教誨中に倒れ言葉を失った進藤が佐伯に渡す、拙いひらがなで書かれた聖書の一節が心に刺さって忘れられない。
「あなたがたのうち だれがわたしにつみがあると せめうるのか」
これはヨハネによる福音書の第八章四十六節の前半部分だが、パリサイの民(ユダヤ教の一派)との対話の中で発されたイエスの言葉だ。
神から使わされたというイエスのあかしをパリサイの民は信じようとしないが、「わたしは真理を語っているのに、なぜあなたがたは、わたしを信じないのか」とイエスは言う。
またこの章の初めで、姦淫の罪で捕まって人々の前に引き出された女を見たイエスは、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」と語る。
その結果、誰一人として石を投げることができなかった。
人間がみな罪人だとしたら、はたして罪人が罪人を罰することができるのか?私たちはパリサイの民や姦淫していた女を捕えた人々と同じなのではないか?
初めての死刑執行に立ち会った上で、ニュートラルな存在である進藤から、この根源的な葛藤が込められた一節を突き付けられた佐伯は、真理を求めて罪と罰の混沌に彷徨うしかないのである。


タイトルロールを演じる大杉漣は、全てを包み込むような懐の深い見事な演技を見せ、代表作の一つとなるのは間違いない。
佐古大監督によると、これを「遺作にするから」と冗談で言うほど惚れ込んでいた彼は、「教誨師」を三部作とする構想を抱いていたそうだ。
だからこそ、本作は佐伯の迷いのうちに幕を閉じるのだろう。
教誨師は、私たちの心に決して解くことのできない重い問いを残して、永遠に去ってしまった。
しかし、最後の主演作品が生と死を巡る本作だなんて、まるで映画の神が演出したかの様。

秀作揃いの今年の邦画の中でも、是非とも口コミで広がっていって欲しい作品だ。

それでこそ多くの作品で楽しませてくれた名優・大杉漣への、映画ファンからの恩返しにもなるのではないだろうか。

今回は、キリスト教の儀式には欠かせない赤ワイン、ココファーム・ワイナリーの「農民ロッソ」をチョイス。
ここは嘗て、知的障害を持つ「こころみ学園」の生徒と教師たちが、社会とかかわれるようにと、自ら山を切り開いて58年前に開設したワイナリー。
「農民ロッソ」はその名の通り、“ザ・葡萄酒”いう感じの素朴で柔らかな味わいで、コストパフォーマンスにも優れ、収穫の喜びに満ちた一本だ。

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バッド・ジーニアス 危険な天才たち・・・・・評価額1650円
2018年10月14日 (日) | 編集 |
天才少女の危険なビジネス。

実際に起こった組織的なカンニング事件をモチーフとして、タイで作られた異色のクライム・サスペンス。
裕福とは言えない父子家庭で育った頭脳明晰な少女・リンが、父親が無理をして入学させた名門校で、“カンニング・ビジネス”に手を染めてゆく。
最初は友達を救うための、誰もが身に覚えのあるちょっとしたカンニング。
しかし、リンの頭の良さが校内に知れ渡ると、金と引き換えにその恩恵に与ろうとする輩が大量発生。
彼女は、自らの頭脳と協力者のネットワークを駆使すると、驚くほどの大金を手に出来ることを知ってしまう。
もはや止まらなくなったカンニング・ビジネスは、校内どころか国境をも超え、大規模な犯罪に発展してゆく。
監督はナタウット・プーンピリヤ、ファッション・モデル出身のチュティモン・ジョンジャルーンスックジンが天才少女・リンを演じる。
※核心部分に触れています。

成績優秀な少女・リン(チュティモン・ジョンジャルーンスックジン)は、教師をしている父親と二人暮らし。
奨学金を得た彼女は名門校に入学し、人はいいが成績はイマイチのグレース(イッサヤー・ホースワン)と友達になる。
ある時、グレースの数学の点数が規定に足りず、演劇部の活動が禁じられることを知ったリンは、テストでカンニングをさせて彼女を救う。
ところが、グレースがリンのことをボーイフレンドのパット(ティーラドン・スパパンピンヨー)に話したことから、事態は急展開。
金持ちの御曹司であるパットは、大金と引き換えに彼と彼の友人たちにカンニングをさせることを持ち掛けてくる。
リンは、試験会場にいる多数の依頼人に同時に答えを伝えるために、ピアノの手の動きからハンドシグナルを考案するのだが、そこには予想外の落とし穴があった・・・・


“カンニング”をモチーフとした映画といえば、クロード・ジディ監督の「ザ・カンニング[IQ=0]」というかなりおバカなフランスのコメディ映画があって、日本でもヒットして続編も作られた。
ぶっちゃけ、本作はあれのタイ版みたいのかと思ってたのだが、ユーモアはあるもののだいぶシリアスな映画だ。
切っ掛けは、友人のグレースのためにやった、消しゴムにマークシートの答えを書いてカバーで隠して後ろの席に渡すという、古典的で他愛ないカンニング
消しゴム作戦は私の通っていた中学校でも流行って、試験中は消しゴムカバーが禁止されたのを思い出した。

ともあれ、どんな悪事も一回やってしまうと歯止めが利かなくなるもので、グレースがボーイフレンドで悪知恵の働く金持ちのボンボン、パットに話したことで”カンニング・ビジネス”が始動する。
一対一ではなく、多くの“顧客”に同時に答えを伝えるために、リンが編み出すのがピアノを演奏する手の動きをパターン化して、マークシートの番号に当てはめるハンドシグナル
これならば、手の動きをリレーすることで、遠く離れた席にも伝えられ、彼女の顧客は順調に増えて実入りも増大してゆく。
だが敵もさるもの引っ掻くもの。
二種類の問題をランダムに配るという学校側の対策に焦り、ミスを犯したリンのカンニングは、別の奨学生であるバンクの告発によって発覚。
彼女は娘を信じていた父からも、学校からも叱責され、奨学金もはく奪、シンガポールへの留学の夢も潰える。
失敗を改心に繋げれば良いものの、ギャンブルの損はギャンブルで取り戻すとばかりに、リンはパットのさらなる誘いにのってしまう。

映画ではSTICという架空の国際学力テストがクライマックスとなるが、外国人が米国の大学に留学しようとすると、大学進学適正テストのSAT か ACT、大学院の場合はGREの点数の提出が義務付けられていいる。
本作の直接の元ネタになっているのは、2014年に中国と韓国でSATテストの大規模な不正が発覚した事件だが、アジアではこの種の不正が繰り返されていて、過去に起こったいくつもの事件を組み合わせて構成している感じだ。
時差のあるオーストラリアのシドニーで試験を受けて、タイで試験が始まる前に答えを伝えるという“時間差カンニング”は、2007年に摘発された事件が元ネタだろう。
この時は、タイで試験を受けて答えが韓国に伝えられ、実に900人もの韓国人学生が成績取り消しの処分を受けている。
このスケールの大きな作戦を成立させるため、リンが自らのカンニングを告発したバンクを仲間に引きれようとし、止むに止まれぬ理由からバンクも誘いを受けたことで、格差社会を背景とした「倫理」という明確なテーマが浮かび上がる仕組みだ。

物語の軸となる四人のキャラクターが良い。
とことん真面目で清貧を絵に描いたような父に育てられたリン、親が印刷工場を経営していて容姿にも恵まれたものの勉強は苦手なグレース、金持ちの御曹司でリンにカンニング・ビジネスを持ちかけるパット、そしてリンと同じ様に方親のもとに育った苦学生のバンク。
リンとバンク、グレースとパットの家庭環境の差は、経済発展著しいタイの格差社会の縮図であり、それぞれ父子家庭と母子家庭で育った秀才のリンとバンクの対比は、倫理観の対照を形作る。
リンとグレースの普通の友だち関係から始まった繋がりは、カンニング・ビジネスが始まってからは、利害関係のセンシティブなバランスで保たれる運命共同体のプチ犯罪組織となってゆく。

リンは自分のカンニングビジネスを、学校が金持ちの親から授業料以外に寄付(ワイロ)で儲けているのと同じだと言う。
親から金を受け取った学校は、その子供たちに便宜を図る。
ならば自分がカンニングをさせて、勉強が苦手な生徒に高得点を与えても同じではないかと言うのだ。
素直に肯定は出来ないが、主人公の行動に一定の理屈は通る、ピカレスク・ロマンの構造を持つ。

クライマックスの国境を超えた壮大なカンニング作戦は、いわば点数を獲物とした学生版「オーシャンズ」シリーズであり、典型的なケイパームービー。
シドニーに飛んだ現場担当のリンとバンク、タイでバックアップするグレースとパット、それぞれがその能力や特技を生かして、厳格なテスト管理の裏をかき、リスキーな作戦を遂行するプロセスは極めてスリリング。
プーンピリヤ監督は、臨場感を最大限に高める凝ったカメラワークと、細かくリズミカルなカッティングによって、観客をまるで自分がテスト会場にいてリンと行動を共にしているがごとく錯覚させる。
冒頭から映画の進行に四人が取り調べを受けるシーンを取り混ぜ、失敗を予見させる伏線を生かしたのも上手く、非常によく考えられたプロットだ。
そして、予想外のトラブルがリンとバンクの運命を交錯させる波乱によって、物語は単純な善悪の二元論に陥らない、絶妙な着地点を見いだすのである。
観る前はてっきりライトなコメディだと思っていたので、ビターでハードな展開は予想外だったが、これは単なるケイパームービーの枠を超えた、優れた社会派エンターテイメントだ。

今回はタイを代表する国民的ビール、ブーンロード・ブルワリーの「シンハー」をチョイス。
1933年にドイツとの技術提携により、ジャーマンビールをベンチマークして生まれた。
東南アジアのビールの例に漏れず、すっきり爽やか系のキレのある味わいで、スパイシーなタイ料理にとてもよく合う。
ビールはその土地で飲むのが一番美味しく感じる物だが、日本も熱帯の気候に近づいているので、案外丁度よく感じられる。

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ショートレビュー「運命は踊る・・・・・評価額1650円」
2018年10月10日 (水) | 編集 |
見えざる力のマリオネット。

テルアビブに暮らす建築家のミハエルとダフナ夫婦が、軍の役人から息子ヨナタンの戦死報告を受け取るところから始まる物語。
監督・脚本は、自らの体験をもとに一台の戦車の中から見た“戦争”を描いた異色作「レバノン」で、ベネチア国際映画祭金獅子賞に輝いた、イスラエルの異才サミュエル・マオズ。
前作も非常にユニークな作品だったが、今回もモチーフの切り口がとても面白く、ベネチアで二作品連続受賞となる銀獅子賞を獲得している。
息子の戦死の話は、やがて軍が同姓同名の兵士と間違えたと分かるものの、誤報に振り回されたミハエルは激昂し、「今すぐ息子を連れ戻せ!」と連絡役の軍人を怒鳴りつけるのだ。
※核心部分に触れています。


一方その頃、息子のヨナタンは戦う相手がいない無人の“戦場”で、シュールな日常を過ごしている。
湿地に沈みつつあるコンテナの兵舎に暮らし、荒野の一本道に作られた検問所で日がな一日中見張りを続け、暇を持て余せば小銃を相手に情熱的にダンスを踊る。
通りかかるのは、野良ラクダと僅かな数の車のみ。
ヨナタンらの部隊は、車が通りかかる度に停止を求め、「未来世紀ブラジル」あたりに出てきそうな年代物の照合機で乗っている人々のI.D.をチェックする。
彼ら自身も、自分たちが何と戦っているのか、何のために駐留しているのか分からない、まるで白日夢を見ている様な象徴的な虚無の戦場だ。
しかし、ある事件によって夢うつつな世界の静寂が破られ、ヨナタンが不可抗力とはいえ大きな罪を犯すと、彼の運命も世界の理によって変わってゆく。

英題の「Foxtrot」は、ダンスのステップの名前。

前へ、前へ、右へ、後ろへ、後ろへ、左へ。

四角形を形作るステップは、どこまで踊っても必ず元に戻ってくる。

分かりやすい三幕構成に分かれた映画には、Foxtrotのステップの様に見えざる手に導かれたいくつもの運命のループが組み込まれていて、それが家族の歴史と絡み合い、三幕それぞれの“今”を形作る構造。
監督は古典的なギリシャ悲劇が作りたかったそうだが、自らは与り知らない運命に翻弄され、どこかに行こうとして結局どこにも行けない人間たちの織りなすドラマは、たしかに悲劇的でなおかつ滑稽だ。

第一幕の舞台となるミハエルとダフナの家は、成功した建築家の自宅らしく、極めて機能的で無機質。
すべてに均等と完璧さを感じさせる舞台だが、そこへ齎された息子の戦死の報は、両親が作り上げた揺るぎなき日常に予期せぬ衝撃を与える。
そして、亀裂が入った世界を修復すべく、ミハエルが第二幕で非日常の世界にいたヨナタンを強引に呼び戻したことによって、図らずも世界は再び崩壊してしまう。
ミハエルは、息子の死は間違いだったという事実を認めるだけでは飽き足らず、本来運命を正す役割の連絡係の軍人の頭越しに、無理やり息子を帰還させようとする。
ダフナはミハエルを止めようとするが、同時に息子と同姓同名の誰かの死を喜びと考えたことに気づいていない。
二人の犯した小さな罪は、結果的に息子を二度殺して事態を振り出しに戻すことになるのだが、虚構を紡ぐコミックアーティストでもあるヨナタンによって、映画は第三幕で歴史に秘められた家族の運命の円環をエモーショナルに描き出すのである。

新約聖書の「ヨハネの黙示録」には、主の言葉として「私はアルファであり、オメガである」と綴られている。
始めを知り、今を知り、終わりを知る。
本作ではギリシャ悲劇の導入のプロロゴスが終章のエクソダスとのループを作り出すが、時の輪を超越し、全てを知るのは全知全能の神のみ。
これは一つの家族の悲劇を通して、理由のある偶然が作り出す人間の運命の不条理と、その偶然を演出する見えざる手への畏怖の念を感じさせる優れた寓話である。

今回は、イスラエルを代表する銘柄の一つ、ゴラン・ハイツ・ワイナリーの「ヤルデン シャルドネ」の2016をチョイス。
フルボディのドライな白で、洋梨やレモンの果実香が広がる。
コストパフォーマンスも高く、普段使いには丁度いいが、まだ若いのでもう2、3年くらい寝かせると深みが出てくるだろう。

関係ないけど、イスラエル軍のレーションてあんな不味そうな缶詰だけなの?
 
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ショートレビュー「食べる女・・・・・評価額1600円」
2018年10月06日 (土) | 編集 |
恋とセックスと美味いご飯。


小泉今日子演じる文筆家・餅月敦子(トン子)が営むレトロな古書店を中心に、直接的あるいは間接的に関わりを持つことになる、小学生から五十路までの10人の女たちの日常を描く群像劇。
筒井ともみの同名小説を本人が作品企画兼任で脚色し、「手紙」の生野慈朗が監督を務める。

登場人物は、トン子の親友で店の従業員の若い男を“食べちゃう”、肉食系小料理屋店主の鴨舌美冬(鈴木京香)、惰性で付き合っているイマカレとの関係に悩む白子多実子(前田敦子)、ユースケ・サンタマリア演じる出張料理人と、恋人でもなく友人でもない不思議な関係になる小麦田圭子(沢尻エリカ)。
料理下手過ぎて結婚が破綻してしまい、トン子の元へと転がり込む豆乃・リサ・マチルダはシャーロット・ケイト・フォックスが好演。
本津あかり(広瀬アリス)は付き合った男に、必ずお手軽なひき肉料理を食べさせ、別れた夫の子を産もうとしている茄子田珠美(山田優)のバーに入り浸る。
そして、ひょんなことからトン子の“友だち”となるのが、近所に住む小学生の桃井由香羅(宇田琴音)と米坂ミドリ(鈴木優菜)で、ミドリの母が別れた夫への未練を断ち切れない米坂ツヤコ(壇蜜)。

食材の名を持つ10人(本津あかりだけ違うのは何でだろう?)それぞれに独自の考えがあり、行動にも説得力もあるので、キャラクターとして全員が面白い。
小学生の二人は別として、8人の大人の女たちの食=生=性=愛の連環は、同じ女でも全く違った情景となって描かれている。
豊富な人生経験に裏打ちされた、作家の多角的な人間観察眼が際立つユニークな作品だ。


何しろ10人分のエピソードが描かれているので、明確な三幕構造は持たない、というか持たせられない。
作者の分身であるトン子が映画のホストになって、それぞれのキャラクターの人生の1シーンを垣間見るようなテイストだ。

唯一シャーロット・ケイト・フォックスのエピソードは、「原因・葛藤・結果」がハッキリとした分かりやすい作りになっている。

料理が出来ないコンプレックスを抱えた彼女が、映画のホストにして狂言回しのトン子の所に下宿しながら美冬の店で働いて成長し、自立するまでの物語は「美味しんぼ」あたりにありそうな話で、残りのエピソードをつなぎとめる軸として機能する仕組み。

群像劇でこのまとまりの良さは、やっぱりベテランの作り手の円熟した味わい。

女たちを描く作品なので、彼女たちの糧となっちゃう男たちは完全にサブなのだけど、こちらもそれぞれが役割を持ってしっかり造形されているのはさすが。
彼らのキャラクターがステロタイプ気味なのは、おそらくは狙いなのだろう。

ユースケの変な言葉責めとか、地味に気持ち悪くて可笑しい。

緩い共感と共に、ゆったりと彼女たちの人間模様を楽しむ作品で、観ているうちにやっぱり腹が減る。

男たちを食べて、命を生み育てる女たちが、最後にそろって卵かけご飯を食べるのは象徴的。
人生に何が起こったとしても、美味いご飯は絶対の正義なのだ。

今回は、東京の地酒「屋守 純米 荒走り」をチョイス。
「金婚」で知られる東村山市久米川町の豊島屋酒造の四代目が、「東京の旨い酒を全国に発信したい」と15年ほど前に立ち上げた銘柄。

「荒走り」は、日本酒の最初の搾り部分を瓶詰めしたもの。

軽快だが、いわゆる端麗辛口系とは異なり、米の香りと仄かな甘味、豊潤な旨味が特徴。
鈴木京香のお店で、秋の味覚と共に楽しみたい一本だ。

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クレイジー・リッチ!・・・・・評価額1650円
2018年10月03日 (水) | 編集 |
彼のママの落とし方。

この秋最高のデートムービー。
ニューヨーク大学で経済学の教授をしている中国系米国人のレイチェルが、付き合っている彼氏のシンガポールの実家へ行ってみたら、ウルトラスーパー大金持ちだった!という、どストレートなシンデレラ・ストーリー。
だが彼氏の最愛のママは“アメリカ的価値観”に反感を持ち、最初からレイチェルに対して臨戦態勢で、ついでに“王子”を奪われた周りの女たちの嫉妬爆弾も炸裂。
はたして二人は様々な障害を乗り越えて、幸せなゴールにたどり着けるのか?という物語は、いわば21世紀版の「プリティ・ウーマン」だ。
監督のジョン・M・チュウをはじめ、主演のコンスタンス・ウー、ヘンリー・ゴールディングらキャストのほとんどがアジア系で占められた異色のハリウッド映画。
米国ボックスオフィスで2週連続1位の快挙を成し遂げ、全世界で現在までに2億2千万ドルを稼ぎ出している大ヒット作だ。

カリフォルニア州クパティーノ生まれのレイチェル・チュー(コンスタンス・ウー)は、若くしてニューヨーク大学で教鞭をふるう中国系アメリカ人女性。
ある時、恋人のニック・ヤング(ヘンリー・ゴールディング)に誘われて、彼の親友のコリン・コー(クリス・パン)とアミランタ・リー(ソノヤ・ミズノ)の結婚式に出席するために、実家のあるシンガポールへと旅行する。
ところがニックのファミリーは、シンガポールどころか世界にその名を知られる桁違いの大富豪であることが判明。
レイチェルは、巨額の資産を受け継ぐニックを狙う女たちから羨望と嫉妬の入り混じった目で見られ、さらに宮殿の様な大邸宅でレイチェルを迎えたニックの母親のエレノア(ミシェル・ヨー)は、露骨に彼女を見下した態度をとる。
クレイジー・リッチなスーパーセレブ達の世界を目の当たりにしたレイチェルも動揺し、ニックとこれからも上手くやっていけるのか、自信が持てなくなってゆくのだが・・・・


1993年に作られた「ジョイ・ラック・クラブ」は中国からアメリカにやってきた四人の母親と、アメリカ人として育った彼女らの四人の娘を描いた物語。
エイミー・タンのベストセラー小説を、オリバー・ストーン製作総指揮、ウェイン・ワン監督で映画化し、主要キャストのほとんどをアジア系が占め、批評的・興行的にまずまずの成績を収めた。
しかしその後同様の作品が出現することはなく、本作は「ジョイ・ラック・クラブ」から実に四半世紀ぶりにハリウッドで作られた、監督と主要キャストがオールアジアンズの映画なのである。
真面目な文芸作品とド派手なパーティームービーと言う違いはあるが、本作の予想外の大ヒットはアメリカでのアジア系の人口増加や社会的な地位の向上、国際社会での中国の勃興、インド映画のアメリカ市場への浸透など、いろいろな要素が重なった結果だろう。
いずれにしても、大きな壁がブレイクスルーされた、記念碑的作品なのは間違いない。

名門ニューヨーク大学の最年少教授というレイチェルだって、本当に何の才覚もない一般人から見たら相当な人物。
だが、彼女の前に立ちはだかるニックの家族や関係者は、どいつもこいつも大金持ちで、学歴だってケンブリッジだのオックスフォードだのトップクラスばかり。
そのセレブ軍団の頂点に君臨するのが、ミシェル・ヨー姐さん演じるニックの最愛のママ、エレノアだ。
ミシェル自身が、ジャッキー映画から007まで、世界を又にかけた中国語圏最高のアクション女優にして、現国際自動車連盟会長のジャン・トッド夫人という文字通りのスーパーセレブで、立っているだけで威圧感半端無い(笑
ホンモノが醸し出すオーラに、普通の人のレイチェルはタジタジになりながらも、勇気を奮い立たせて立ち向かってゆく。

結婚式までの約一週間の物語は、月下美人の鑑賞パーティーだとか、バチュラーパーティーだとか、基本ずーっと続く各種パーティーが舞台で華やか。
その裏側で、ワチャワチャドロドロしたドラマが展開する。
レイチェルが割と真面目なキャラクターで見た目も地味な分、他のキャラクターは漫画チックなくらい個性的に造形されており、その中でもむっちゃ目立ってるのが、レイチェルの友人でシンガポールの小金持ちの娘、ペク・リン。
演じるオークワフィナは、元々女性器をモチーフにした曲で大いに物議をかもしたラジカルなラッパーで、最近では「オーシャンズ8」でも存在感を放っていたが、今回も強烈なキャラクター。
シンガポール事情を知らないレイチェルを助けつつ、自分もゴシップ的にセレブ達の世界を楽しんじゃう。
ちなみに彼女のパパ役は「ハング・オーバー!」シリーズのレスリー役で知られるケン・チョンで、父娘ともども悪ノリ気味にお下品パワーを見せつける。

主人公カップルの話の他にも、ニックのいとこ夫婦の格差婚の悲哀のサブストーリーなども配されて、物語が一本調子に陥らないよう工夫されているが、ドラマのゴールは当然ながらいかにして頑固なママに結婚を認めさせるか。
エレノアはシンガポールがまだ一面のジャングルだった時代に土地を切り開き、世界的な大都市を作り上げた一族を支えることに誇りを感じ、自分の幸せよりも家族の幸せを願う利他の愛を信じていて、見た目は中国人でも生まれも育ちも“アメリカ人”であるレイチェルの愛を利己的なものと考えている。
レイチェルはそれが間違いであるということを、エレノアに知らしめなければならないのだが、伏線をうまく生かしたクライマックスは、それまでの派手なビジュアルから一転の心理戦でなかなか見事。
対峙するレイチェルとエレノアは、共に中国にルーツを持つ“移民の子孫”であり、今は全く違った境遇にいても、二人の女の矜持には利他を重んじる明確な共通点を持たせてある。
そのことにエレノアが気づかされるアイテムが麻雀なのだけど、前記した「ジョイ・ラック・クラブ」でも麻雀が重要なアイテムだったのはおそらく偶然ではないだろう。
アメリカの息子は父とキャッチボールをすることで多くを学ぶという話があるが、中国の母と娘は麻雀を通じてお互いの心を知るのかもしれない。

本作は王道のシンデレラストーリーで物語的には新しくは無いけど、視覚的未見性に富み、愛に関する寓話として一本筋が通っている。
まあ、かりにも経済学の先生が世界有数の財閥一族のことを知らない訳がないとか、細かいツッコミどころはあるのだけど、それ言うのは野暮。
ニュートン・フードセンターからラッフルズ・ホテル、マリーナベイ・サンズなどのシンガポールの観光地巡り、まるでテーマパークのアトラクションみたいな凝った結婚式とか、タイトル通りにクレイジー・リッチなアジアンテイストがゴージャスで、実に楽しい映画だ。
多分にアメリカ視点で色々盛ってはあるものの、ハリウッドがアジアの文化をエキゾチズム優先で魔改造することなく、そのまま内包した作品としても画期的だろう。
既に続編の企画も動き出しているようで、楽しみだ。
オール世代のカップルにオススメできる、心がアガる娯楽映画である!

今回は、舞台となるシンガポール生まれの名カクテル「シンガポール・スリング」をチョイス。
ラッフルズ・ホテルのバーテンダー、厳崇文によって1915年に考案された。

ドライ・ジン45ml、レモンジュース20ml、砂糖1tsをシェイク、氷を入れたタンブラーに注ぎ、ソーダでわってステアする。
そこにチェリー・ブランデー15mlを静かに加えて、お好みでチェリーやパインといったフルーツを添えて完成。
美しくて華やか、まさに繁栄するアジアを象徴するなエキゾチックなカクテルである。

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