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酒を呑んで映画を観る時間が一番幸せ・・・と思うので、酒と映画をテーマに日記を書いていきます。 映画の評価額は幾らまでなら納得して出せるかで、レイトショー価格1200円から+-が基準で、1800円が満点です。ネット配信オンリーの作品は★5つが満点。
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ジョン・ウィック:コンセクエンス・・・・・評価額1800円
2023年09月23日 (土) | 編集 |
最後にして最強。

これは途方もない映画だ。
伝説の殺し屋ジョン・ウィックの復讐を描く、シリーズ第四弾にして一応の完結編。
第二作の「チャプター2」で掟を破り、殺し屋の世界を仕切る主席連合から追われる身となったジョンが、自らの自由のために最後の戦いに赴く。
外連味たっぷり、全編に渡り徹底的に決め込まれた動くグラフィックノベルは、169分に渡って供されるアクションのフルコースの趣で、満腹感半端ない。
大団円ということで、キャストも思いっきり豪華。
主演はもちろんキアヌ・リーブスで、ローレンス・フィッシュバーンやイアン・マクシェーンのレギュラー陣は続投。
主席連合から送り込まれる新たな刺客にドニー・イェン、大阪コンチネンタルホテルの支配人に真田広之、アクション界の二大レジェンドがキャスティングされている。
監督は第一作から変わらず、スタント畑出身のチャッド・スタエルスキが務める。
※核心部分に触れています。

キング(ローレンス・フィッシュバーン)に匿われながら、首席連合に対する戦いを準備するジョン・ウィック(キアヌ・リーブス)は、モロッコで主席の一人を殺し宣戦布告。
首席連合の全権を取り付けたヴィンセント・デ・グラモン侯爵(ビル・スカルスガルド)は、ニューヨークのコンチネンタルホテルを廃棄し、支配人のウィンストン(イアン・マクシェーン)を追放、コンセルジュのシャロン(ランス・レディック)を処刑。
ジョンを良く知る盲目の殺し屋ケイン(ドニー・イェン)を呼び寄せ、ジョン抹殺を命令する。
大阪コンチネンタルホテルの支配人でもある旧友のシマズ・コウジ(真田広之)の元に身を寄せたジョンを、首席連合の暗殺部隊がホテルを急襲し、ケインと犬使いの賞金稼ぎミスター・ノーバディ(シャミア・アンダーソン)も加わり、大バトルが繰り広げられる。
コウジはケインと戦って殺され、娘のアキラ(リナ・サワヤマ)は復讐を誓う。
ニューヨークに戻ったジョンは、ウィンストンの助言を受け、首席連合を代表するグラモン侯爵と決闘することを決意。
必要な資格を得るために、かつて自分を殺し屋へと育てた組織ルスカ・ロマへ向かう・・・・・


第一作の「ジョン・ウィック」を観た時、コミック原作だろうと思った。
単体の実写作品としては、世界観の作り込みが異様に凝っていたからだが、その後完全なオリジナルだと聞いて驚いた。
この映画の世界には、基本殺し屋とその周囲の人物しか登場せず、一般の人たちは画面に映っていても殺し屋たちの抗争とは無関係
象徴的なのは、ベルリンで首席連合の一人で金歯の巨漢キラ・ハーカンと戦うシークエンスだ。
巨大なナイトクラブで殺し屋たちが銃やナイフで殺し合っているのに、周りの人々は意に介さずという感じで踊り狂っているのである。
パリの凱旋門でのカーアクションも同様で、逆走し撃ちまくる殺し屋たちの周りで、一般の車は普通に走っている。
これは日本の漫画によくある、戦闘が始まると戦いの舞台が異界となり、普通の街には影響を及ぼさない描写に近い、このシリーズの世界だけの「お約束」である。
実録路線に変更する前の東映任侠映画にも通じるものがあるが、この約束があるからどんな無茶なことしても「巻き添えは?」とか「警察は?」とかの疑問のノイズが入らないユニークな仕掛け。

物語自体はジョンの復讐と自由を求める戦いと非常にシンプルで、様々なシチュエーションのアクションを組み込むことをファーストプライオリティにした構成の考え方は、「ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE」に近い。
ただし、最終的な脚本の完成前に二部作の撮影に入った彼方と違い、本作は物語の終着点がはっきりしているのと、同じアクションでも目的が「殺す」ことに特化してるので、ストーリーを含めてベクトルが明快。
ここでアクションの華となるのが、共にジョンの旧友という設定のドニー・イェンと真田広之演じるケインとコウジだ。
ドニー・イェンは「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」でも、座頭市の影響を受けたと思しき盲目の戦士を演じていたが、ケインの武器は仕込み杖でモロ座頭市の現在版。
中盤の見せ場となる、ケインとコウジの殺陣の技術がぶつかり合う大迫力の刀対決には、アクション映画ファンなら思わず厨二な脳汁が迸ってしまうのでは。
本作で描かれる大阪は、サムライ&ニンジャのいわゆる「変な日本」なのだが、決して嫌な感じを受けないのは、二人のアジア人レジェンドへの作り手のリスペクトが滲み出ているからだろう。

本作の魅力は、アクションだけではなく凝りにこった世界観もだが、面白いのが美術や歴史への目配せと引用だ。
グラモン侯爵なる前時代的な肩書を持つボスキャラが、ウィンストンから決闘の挑戦状を受け取るのはなぜかルーブル美術館で、フランスの自由への闘争の象徴とされる“マリアンヌ”を描いたドラクロワの代表作「民衆を導く自由の女神」の前。
つまりこの男は、目の前の絵の意味を見ていないのである。
ジョンを育てたロマの犯罪組織「ルスカ・ロマ」の本部にはドイツのボーデ美術館が、キラ・ハーカンのナイトクラブにはベルリンの旧国立美術館の外観が使われている。
また殺し屋ラジオ局は、どういうことかエッフェル塔にある様だ。
これら美術館や博物館といった歴史的建造物の持つ重厚長大なデザイン性が、何世紀も続いているかのような殺し屋ソサエティの強固なイメージを形作り、単なるガンアクションの見本市に止まらない、それぞれに過去の重荷を背負った殺し屋たちの、ドラマチックな背景要素となっているのである。

クライマックスの決闘の舞台が、グラモンの主張したモダーンだが軽薄なポンピドゥー・センターではなく、モンマルトルの丘に聳えるサクレ・クール寺院なのも同じ文脈だろう。
ここへ通じるフォワイヤティエ通りの200段超えの階段を使った最終関門では、ジョンのイタタな階段落ちが最大の見どころ。
おそらく映画史上最も長い階段落ちで、なぜか真田広之も友情出演していた「蒲田行進曲」が頭によぎる(笑
犬好きに悪人なしという、ミスター・ノーバディのトンチの効いた役割もいい。
ところで彼は殺しで5000万ドル貯めることを目標としていたようだが、一体そんなに何に使うつもりだったのだろう。
劇中に何かヒントあったっけ?
それまでの大ドンパチとは対照的な、グラモン(と代理人のケイン)との決闘の駆け引きも、単純なようでいて実は頭脳戦という展開に参った。

日本公開まで一年も待たされた一作目から、ずいぶんと長い旅だったが、物語の中での経過時間はたぶん全部で1ヶ月程度?
最初は面白いがやや一本調子で、二作目で軽々と前作を超えて、豪華なブリッジ作品だった三作目を経て、修羅の道に生きる殺し屋たちのドラマとして、完璧な完結編だろう。
おそらく生身の人間にこれ以上のアクションを求めてしまうと、確実にやり過ぎになってしまうだろうし。
また勝手にジョン・ウィックの下町版だと思っている「ベイビーわるきゅーれ」の伊澤彩織が、リナ・サワヤマのスタントダブルで参加してるのも、個人的に胸熱だった。
いつか、この二つのシリーズのクロスオーバーが観たい。
ところでエンドクレジット後に「いやー、やっぱそう来るか」という重要なエピローグがあるので、絶対席を立たない様に。
この熱気がみなぎる傑作を作り上げた人たちには、盛大な拍手を贈りたい。

ジョン・ウィックの物語は完結したが、徹底的に作り込まれた殺し屋ワールドは、如何様にも活用可能。
すでにウィンストンの若き日を描く前日譚ドラマの「コンチネンタル」がAmazonプライムで配信中。
さらに第三作の「ジョン・ウィック:パラベラム」にチラリと登場した「バレリーナ」を主人公としたスピンオフが、アナ・デ・アルマス主演で制作中で、来年6月に本国公開されるという。
殺し屋ワールドは、まだまだ広がり続けそうだ。

今回はフランスが舞台なので、血のようなボルドーの赤「シャトーラグランジュ 2017」をチョイス。
カベルネソーヴィニヨン78%、メルロ18%、プティヴェルド4%で作られるワインは、口当たり滑らかなフルボディの辛口。
つけ合わせるなら絶対お肉!
赤身のステーキとの相性は抜群だ。
このシャトーは40年前からサントリーが経営権を持っていて、長く安定的に質の高いワインを供給してくれている。

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アリスとテレスのまぼろし工場・・・・・評価額1750円
2023年09月18日 (月) | 編集 |
僕らはみんな、生きている。

これは色々な意味で凄い映画だ。
アニメーションユニット「超平和バスターズ」の一員であり、「さよならの朝に約束の花をかざろう」で長編監督デビューを飾った岡田麿里の監督第二作。
製鉄の街・見伏に暮らす14歳の中学生たちの物語だが、ここは普通の街では無い。
ある冬の夜、製鉄所で起こった謎の爆発事故の結果、見伏は外界から切り離されただけでなく、時間も流れなくなってしまったのだ。
永遠の冬に閉ざされた街では、子どもたちの成長も止まる。
大人たちは、このままの状態を保っていれば、いつか元の世界に戻れる日が来ると信じ、住民に「変化」することを禁じる
人間は、変化しない人生を受け入れることが出来るのか?はたしてそれは「生きている」と言えるのか?
これは永遠の子どもであることを義務付けられた中学生たちによる、反乱の物語である。
※核心部分に触れています。

菊入正宗(榎木淳弥)は、見伏に住む14歳の中学生。
この街は、ある年の冬に起こった原因不明の製鉄所爆発事故によって、時間と空間が元の世界から切り離されてしまった。
人々の肉体の時間も止まり、老いることも死ぬこともない。
大人たちはいつか元の世界に戻れた時、自分たちが変わっていると色々不都合があると考え、子どもたちに変化することは罪だと教える。
元の自分を忘れないために、将来の夢や髪型、好きな人嫌いな人まで書き込む「自分確認票」の提出を義務付けているが、正宗はずっと拒んでいる。
ある日、正宗は同級生の佐上睦実(上田麗奈)に誘われて、廃墟となっている製鉄所の第五高炉を訪ね、そこで言葉も話せない野生のオオカミの様な少女・五実(久野美咲)と出会う。
五実は幼い頃に外の世界からやって来た娘で、時間の止まったこの街でただ一人成長する存在。
街を仕切る睦実の義父・衛は、五実の心が成長しなければ、この街は永遠に続くと信じている。
だが正宗と出会ったことによって、五実の心に化学反応が生じ、街の空を巨大な亀裂が覆い尽くす・・・・


異才・岡田麿里が、フルスロットルの作家性で大爆走。
濃縮された人間の感情全部入り、全力で心が叫びたがってる
出口なき時間の止まった街に閉じ込められ、永遠に14歳を生きることになった中学生たちの物語は、相変わらず凝った設定だが、ここから更に世界観を捻って来るのだ。
大人になることの出来ない子どもと言うモチーフは、萩尾望都の傑作短編「金曜の夜の集会」やティム・バートン監督の映画「ミス・ペレグリンと奇妙な子どもたち」などにも共通するが、本作の場合はこれらの作品の様に、時間ループに閉じ込められているわけではない。
見伏の街からは、時間の流れそのものが消えてしまっているのだ。

事故が起こった原因は、劇中でも明示されない。
一応、神職の末裔である佐上衛の説によると、山を削って鉄鋼を生産していた見伏の民に対する神罰みたいなことらしいが、何らかの超自然的な現象が起こって街は丸ごと異界となった。
この謎めいた世界の正体に対する知的好奇心と、「この世界の片隅に」のMAPPAが手掛ける超絶クオリティの映像が、先ずは作品の両輪となって観客の心を掴み取る。
やがて大人たちが隠していた五実という変数が投げ込まれ、この世界は現実ではなく、現実の一瞬を模した写しの様なもので、いわば「まぼろし」だということが明らかになる。
だから現実世界では元通りに時間が流れ、成長し大人になった正宗たちがいる。
異界の見伏が元の世界と再び合流するのは、最初から不可能なのである。
この事実を知ったことによって、正宗たちの中で何かが大きく動き出す。

「心が叫びたがってるんだ。」「空の青さを知る人よ」など、岡田麿里は現実とは少しズレたファンタジーの設定の中で、少年少女の生々しい心情を巧みに描き出す人だが、今回はその特質を自らさらに掘り下げいる。
映画を観ていると男子中学生たちの下ネタや、睦実の正宗に対する挑発的な行為、さらに最初は言葉を話せず、まるで無垢な幼女のように振舞う五実といった、キャラクターの「性」を感じさせる描写に戸惑いを感じる。
だがこれは敢えてであり、物語全体を通せば絶対に必要なものなのだ。

時の止まった見伏で、人々はどれほどの歳月を過ごしているのか。
亀裂から見える現実世界の正宗たちから推測するに、おそらくは20年以上。
つまり正宗たちは、見た目は14歳でも中身は30代の大人である。
14歳を20周もすれば心は自然に成熟してゆくが、それを表に出すことは許されない。
彼らは現状維持で良しとする大人たちによって、中学生を演じることを強要されているのだ。
物語の中の正宗たちは、以前社会問題となった失神ゲームとか、高いところから飛び降りるゲームとか、わざと痛みを感じる遊びをしている。
それは物凄く歪な世界で、歪に生きることが当たり前とされている状況で、自分が何のために存在しているのかも分からなくなって、少しでも生の実感が欲しいゆえの衝動的行動。

そんな彼らが、自分たちがまぼろしで、生きてもおらず死んでもおらず、明日弾けて消えてしまうかも知れない不安定な存在だと知った時、どうするのか。
物語の中で、いつか大人になったらラジオのDJになりたいと語っていた少年は、それが叶わない夢だと悟ると、自らに亀裂を生じさせて消滅してしまう。
でもたとえまぼろしであっても、そこに住む人々は体感としては生きている。
全てを諦めてしまえばそこで終わりだが、いつ終わるとも分からない世界で懸命にかりそめの生を追求したっていいのである。
その覚悟を決めた正宗に、もう中学生を演じる必要はなく、彼は睦実と激しくキスをする。
このキスシーンは、観てる方が背徳感をおぼえるほど生々しいものだが、この作品で性を感じさせる行為は、まさに生きていることの証であり、まぼろしゆえの精一杯の抵抗なのである。
さらに終盤になると、五実を巻き込んださらに歪な三角関係が形作られ、本来の現実世界へと五実を返すための冒険と、この世界を終わらせないための挑戦が、新たな物語の両輪となり怒涛の勢いで突っ走る。
逆「銀河鉄道の夜」的な列車を使ったスペクタクルな見せ場は、文字通りのノンストップ大活劇で、登場人物の溢れ出す感情を燃料に、息苦しいほどの熱気を感じさせる。

変化が罪とされる見伏は、先の展望を描けず、閉塞した現在日本をカリカチュアした街と言えるだろう。
同時に「君の名は。」の大ヒット以来、少年少女を主人公としたファンタジーの「求められる」テンプレートのメタファーなのかも知れない。
新海誠が「天気の子」を経由して「すずめの戸締り」で、自らセカイ系を否定してみせたように、岡田麿里もまた「独自の道を行く」とこの作品で宣言したように思える。
台詞の一字一句、画面の隅々まで作者独特のカラーが行き渡った、ある意味最強の作家映画。
未来へ進む人へエールを贈る、中島みゆきのエンディングテーマ「心音(しんおん」がダメ押しで心を打つ。
おそらく、心の奥底まで刺さる人がいる反面、ある程度の読解力が必要な作品で、中身大人とは言えディープな14歳のキスなど、危うい描写もてんこ盛りなので、そこだけで拒絶反応を示す人も多いと思う。
しかし、こういう尖りまくった作品が、それなりにメジャーなパッケージで出てくる層の厚さと、本当の意味での多様性こそが、日本のアニメーションの最大の強みなのだ。
岡田麿里と「アリスとテレスのまぼろし工場」は、2023年の映画史に忘れられない爪痕を残した。

ところで、素晴らしい作品なのは間違いないのだが、なぜこのタイトルなのだろう?
行けども行けどもアリスもテレスもまぼろし工場も出てこないので、途中まで間違えて別の映画来ちゃったんじゃないかと思ってしまった。
インタビューを読むと、10年前に作者が執筆しようとしていて、映画の雛形となった小説のタイトルが「狼少女のアリスとテレス」だったそうだけど、実際の映画には「アリス」と「テレス」出てこないじゃん(笑
劇中に出てくる「希望とは、めざめている者の見る夢」という格言もアリストテレスの言葉だというが、ちょっと弱い。
まあ、ぶっちゃけ観てるうちに忘れてたけどさ。
「君たちはどう生きるか」とはまた違った意味で、中身とタイトルが乖離している作品だった。

本作の舞台となる見伏市は架空の街だが、製鉄所のモデルになったのは君津市にある日本製鐵の日本製鉄の製鉄所。
今回は君津の地酒、森酒造店の「上望陀 特別純米生原酒」をチョイス。
木更津の上望陀地区産の、千葉県産の酒造好適米「総の舞」100%で作られる、まさにザ・地酒。
やや辛口でスッキリした味わい、冷で美味しいがぬる燗でもいけそう。
房総の海の幸とあわせたい。

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ショートレビュー「禁じられた遊び・・・・・評価額1600円」
2023年09月11日 (月) | 編集 |
あんた、呪っちゃうよ。

交通事故で死んだ妻に黄泉がえりの儀式をしたら、嫉妬のオバケになって帰ってくる。
が、それだけで終わりでは無いんだな。
予告編を観て、あ~「ペットセメタリー」の日本版パク・・・もといオマージュね、と思ってたら想像の斜め上をゆく大珍品だった。
橋本環奈演じる主人公はweb番組のディレクター、倉沢比呂子。
彼女はOL時代に重岡大毅演じる同僚の伊原直人に恋心を抱いていたのだが、その妻・美雪の生き霊に呪われるという恐怖経験をして退職し、ずっと距離を置いていた。
ところが、美雪の事故死のニュースを聞いた後、再び彼女を怪異が襲い始める。
死んだはずの美雪の霊が、なぜ今になって?という謎から、物語が広がってゆく。

Jホラーのジワジワしたムード演出とは無縁で、終始びっくらかす系の賑やかさ。
マジなんだかふざけてるのか、怖がらせたいのか笑わせたいのか分からない、やり過ぎギリギリの感覚は、日本映画というよりもハリウッド製のB級ホラーに近い。
シソンヌの長谷川忍の生臭坊主と猪塚健太のホスト系弟子のコンビなんて、笑かすために出て来たようなもんで、日本映画離れしたキャラクター。
主役の二人もちょうどツッコミとボケの関係で、橋本環奈も変顔全開だ(笑
ファーストサマーウィカが大怪演するモンスター美雪は、伽耶子や貞子と違って肉体を持っているので、人間との物理的ど突き合いまで見せてくれる。
かつてJホラーの未見性で世界に衝撃を与え、ハリウッド進出まで果たした中田秀夫監督が自らの手でJホラーの型をぶっ壊してゆくのは爽快。
思えばこの恐怖と笑いの境界というあたりは、前作の「それがいる森」とか、その前の「事故物件 恐い間取り」にも見え隠れしていたのだけど、過去作は全体のバランスが悪すぎる上に、ドラマ部分があまりにも陳腐で生かされていなかった。

ところが、本作ではいい意味でのB級テイストが徹底され、美雪の過去を探るミステリーすら、自らの代表作である「リング」へのパロディに近いセルフオマージュで、そこから更に展開を捻ってくる。
本作の「どっひゃ〜」感覚に印象の近い作品をあえて探せば、かなり好意的に観たら「マリグナント 凶暴な悪夢」だろう。
もっとも低予算なのは明らかで、終盤はかなり駆け足になってしまい、クライマックスの炎のビジュアルとか、何とかならなかったのかとは思う。
全ての怪異を起こしているボスキャラも、もうちょっと禍々しく感じさせることは出来たのではないか。
ともあれ、欠点は欠点でいっぱいあるものの、予想を裏切りまくる展開は、かなり楽しかった。

先日の「ミンナのウタ」と言い、清水崇と中田秀夫というJホラーの先駆者でありながら、近年はガッカリ作品の方が多かった二人が、揃って今までのスタイルとは違う快(怪)作を放ったのは注目すべきことだ。
あんまりお客さんが入ってないのは残念だけど、今の世にコテコテのB級テイストはあんまり一般ウケはしないのかも知れない。
個人的には大好物なので、またこのノリを見せて欲しい。

今回は、嫉妬のオバケの話なので「ジェラシー」をチョイス。
チェリー・ブランデー20ml、スイート・ベルモット10ml、パイナップル・ジュース10ml、レモン・ジュース10ml、グレナデン・シロップ10mlをシェイクし、グラスに注ぐ。
同一の名前で複数のレシピが存在するカクテルで、こちらは目にも鮮やかなルビー色。
甘味と適度な酸味がまったりと味わえるので、嫉妬に狂った時はコレを飲んで気を落ち着けよう。

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ショートレビュー「福田村事件・・・・・評価額1650円」
2023年09月07日 (木) | 編集 |
普通の人が、一番怖い。

1923年9月6日に起こった、関東大震災直後。
混乱のどさくさに紛れて、反体制派抹殺を狙う官製デマが吹き荒れる中、千葉の福田村で香川から来た薬の行商人一行が朝鮮人と間違われ、村人たちが組織した自警団に虐殺された「福田村事件」の顛末を描く。
佐伯俊道、井上淳一、荒井晴彦という濃い面々の共同脚本を、「FAKE」などの作品で知られるドキュメンタリストの森達也がメガホンを取り、初の長編劇映画として仕上げた。

特定の主人公を置かない群像劇のスタイルだが、物語の一応の軸となるのは井浦新と田中麗奈演じる澤田夫妻。
夫はこの村の出身だが、朝鮮で教師をしていたインテリで、日本軍の虐殺行為を目撃したことがトラウマになっている。
集団となった時、人間がいかに恐ろしいことをしでかすか理解している人物で、物語を客観的に見通す役割だ。
この事件は加害者側、被害者側双方が口を閉ざしているために謎が多く、終盤に描かれる虐殺事件のあらましは、裁判で明らかとなった事実に即しているが、村人や行商人たち一人ひとりのキャラクターなどは基本的にフィクションである。

映画の前半は、震災が起こる前の村人たちの人間模様と、各地を回ってゆく行商人の一行、朝鮮人や社会主義者への憎悪を煽る記事を書かされる、地元新聞の女性記者が苦悩を深めてゆく様子が並行に描かれる。
映画の福田村では不倫と寝取られが横行している設定で、グチャグチャドロドロのメロドラマはいかにも荒井晴彦らしい。
後から振り返ると、一応全てのエピソードは伏線として機能しているものの、やや冗長に感じるし、夫の徴兵を妻の浮気の理由にしたがるのは、意図は分かるが昭和のロマンポルノみたいで女性キャラクターの描き方としてどうなんだ?とモヤモヤする。
東出昌大演じる渡し船の船頭のキャラクターが、不倫大好きなプレイボーイなのはちょい悪意を感じて可笑しいのだけど。

中盤で震災が起こってからは、撒き散らされるデマによって人々が疑心暗鬼となり、やがて凄惨な事件に繋がるのだが、これが震災のずっと以前から権力の意を受けたマスコミの印象操作が招いた結果であることを、前半丁寧に描いていることが効いてくる。
権力の座にある為政者は、いつの時代も変化を嫌う。
大正デモクラシーで社会主義運動が盛り上がりを見せ、朝鮮半島では1919年に三・一独立運動が起こったことは、権威主義的な当時の為政者にとっては脅威。
そんな時に起こった震災は、彼らにとってはどさくさに紛れて邪魔者を一掃するチャンスと思えたのかも知れない。
劇中で描写される、プロレタリア劇作家の平澤計七が警察署内で殺された「亀戸事件」の他にも、この時に起こった反体制派弾圧をモチーフとした作品は「金子文子と朴烈」「菊とギロチン」なども記憶に新しい。

福田村で殺された行商人たちが被差別部落の出身で、永山瑛太演じるリーダーの沼部が同じく差別を受ける朝鮮人に同情的なのも、歴史を通じて存在して来た、支配と被支配、差別と被差別の構造を強く印象付ける。
一方で加害者となった自警団の中心である在郷軍人会のメンバーも、1918年から22年まで、ロシア革命に干渉するためにシベリアに展開するも、三千人以上と言われる甚大な犠牲者を出しただけで、何も得られなかったと評される“シベリア出兵”の帰還兵がほとんどだ。
無意味な戦争に駆り出された挙句、今度は官製デマに踊らされて、無実の人を殺してしまうのだから、強烈なアイロニー。

ここに描かれているのは100年前に起こった事件だが、扇動された民衆は一度理性のタガが外れると、いかに簡単に狂気の沙汰に走るかは、現在でも世界のあちこちで目にすること。
フェイクニュースが作り出す分断の罪なども含めて、人間はいつの時代も変わらないことを、改めて突きつけられる。
本作は間違いなく力作だが、この映画の作り手たちのSNSでの言動には、作品内容との不一致が見られるのは残念。
やはり人間というのは、自分のことが一番見えないのかも知れないな。

今回は千葉の地酒、飯沼本家の「甲子(きのえね) 純米吟醸 氷室瓶囲い」をチョイス。
純米吟醸らしいフルーティーな吟醸香が広がり、口あたりはソフトでまろやか。
適度な酸味と甘味がほどよくバランスし、微ガス感も特徴的。
今の季節なら、山菜の天ぷらなどと合わせると美味しい。

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あしたの少女・・・・・評価額1750円
2023年09月02日 (土) | 編集 |
「次のソヒ」を出さないために。

韓国の職業高校の実習生が、過酷な労働環境に耐えられず自殺した事件を、イ・チャンドン門下生のチョン・ジュリ監督が描いた作品。
長編デビュー作となった「私の少女」から、あらゆる面で進化を遂げていて、スクリーンから全く目が離せない。
本作は特異な二部構成となっていて、前半一時間はダンス好きの快活な高校生ソヒが、学校から斡旋されてある企業のコールセンターの実習生となり、やがて自殺するまでを描く。
後半になると、ペ・ドゥナ演じる刑事ユジンが登場し、捜査を通してなぜソヒは死を選ばねばならなかったのか、社会が抱える構造的な問題を解き明かしてゆく。
韓国特有の事情もあるが、ここに描かれている非人間的な搾取の構造は、日本を含む多くの国でも当てはまるもの。
前半の主人公、ソヒ役に抜擢された新鋭キム・シウンが、深い爪痕を残す。
カンヌ国際映画祭では、韓国作品としてはじめて、批評家週間のクロージング作品に選ばれ、7分間に及ぶスタンディングオーベーションを受けた問題作だ。
※核心部分に触れています。

2016年秋。
全州の職業高校に通うソヒ(キム・シウン)は、担任から大手通信社傘下のコールセンターの仕事を紹介され、実習生として働きはじめる。
センターの仕事は、顧客の解約要求をあの手この手で阻止することで、実習生にも厳しいノルマが課される。
個人の成績が壁に掲示され、さらに複数のセンター間でも競争があり、成績の低い者は厳しく叱責される。
しかも会社は、約束されていた成果給も「実習生だから」と払おうとしない。
ある朝、直属の上司だった若いチーム長が会社の駐車場で自殺し、ショックを受けたソヒの心は次第に疲弊してゆくが、就業率が下がることを恐れる学校は、辞めることを許してくれない。
そして仕事をはじめて四ヶ月が過ぎた真冬の朝、山間の貯水池から凍りついたソヒの遺体が発見される。
捜査を担当する刑事のユジン(ペ・ドゥナ)は、同じダンススタジオに通う顔見知りだったソヒがなぜ死を選んだのか、その真相を探りはじめる・・・・・


映画のモチーフとなった、実際の事件のあらましはこうだ。
2017年1月22日に、LGグループの大手通信会社LG U+の子会社、LBヒューネットが運営する全州カスタマーセンターに勤務していた、実習生のホン・スヨンが自殺
彼女は通信事業とは全く関係のない、生物系の学科の学生だったが、学校の斡旋でカスタマーセンターに勤務することになるも、次第にうつ状態となり以前にも自殺未遂を起こしていた。
会社は自殺の原因とは一切の関係性を否定、彼女の死は小さく報道されただけだった。
しかしその後、労働団体が調査を行った結果、LBヒューネットが過酷なノルマを課しており、残業続きの長時間労働の実態や、実習生には約束していた手当を支払っていなかったこと、同じ職場では以前にも自殺者が出ていたのに、何の対策も取っていなかったことなど、問題が次々と明るみに出て、事件から5ヶ月後になってようやく会社は遺族に謝罪。
労働団体との協議で、遺族への補償、時間外勤務の中止、労働者の心のケアなどの対策を取ることとなった。

映画では自殺する少女の名がソヒとなっている以外、前半部分の事実関係はほぼノンフィクション。
後半部分はフィクションなのだが、ユジン刑事の捜査は実際の事件で判明した企業の問題に留まらず、監督官庁や学校側の問題にも切り込んでゆく。
浮かび上がるのは、強固で巨大な搾取のヒエラルキーだ。
韓国の学校は基本セメスター制で、職業高校は8月下旬に後期が始まると、10月までに三年生を企業へ実習生として送り出す、職業斡旋所の様な機能を持つ。
大学進学率が世界最高の8割を超える超学歴社会の韓国では、高卒を採用する職場は限られており、職業高校は斡旋先の企業開拓に必死。
生徒の専攻科とは無関係でも、仕事があるだけでもマシと送り込む。
要するに、企業に対して職業高校の方が弱い立場で、ある種の企業にとっては右も左も分からない実習生は、安くて使い捨てられる駒のようなもの。
劇中のコールセンターでは、働いている全員が実習生だという設定だ。

物語を通して何度も耳にするのが「ノルマ」という言葉だ。
コールセンターで働く実習生には一人ひとりにクリアすべきノルマが課され、競争がある。
そのコールセンターも本社からのノルマがあり、センター同士も競争させられている。
職業高校の教師にも生徒の就業率を高めるノルマがあり、高校間でも競い合う。
高校を監督する教育庁の職員も、それぞれが中央から課されたノルマを達成するために働いている。
つまり全てがピラミッドのようなヒエラルキー構造の中で動いていて、下に行けば行くほど立場が弱くなり、搾取されるようになっているのである。
ここには仕事をする喜びもなければ、教育者の矜持もない。
まるで誰も彼もが、ひたすらノルマという数字を消化するために存在している、全体主義の歯車だ。

しかもソヒが勤めることになるコールセンターは、顧客に解約を思い止まらせるように無理にでも仕向けるのが任務で、「子供が死んだので解約したい」という顧客に対してまで、マニュアル通りの対応をさせられる。
日常的にクレーマーに罵声を浴びせられ、さらに良心の呵責にも苦しむ仕事は、純粋な10代の若者の心を容赦なく削ってゆく。
仕事を辞めたくても、学校の担任は就業率が下がるし斡旋先とも禍根を残したくないので、辞めないようにソヒを説得し、就職先が見つかって喜んでいる両親にも心配をかけたくないので言い出せない。
いきなり弱肉強食の社会の中に放り出され、頼れる者がどこにもいないソヒは、いつしかこの世界に居場所を失ってしまうのだ。
ダンスが好きな快活な高校生だったソヒは、社会によって心を折られ、絶望の末に殺された。
それがユジン刑事の導き出した、事件の真相だ。

チョン・ジュリ監督は前半と後半で明らかにタッチを変えてきていて、後半の自由なフレーミングに対し、前半の特にコールセンターのシーンでは四方が詰まったノッペリした画作りで、あえて杓子定規さを感じさせ、ソヒの閉塞感を加速させる。
仕事を辞めたいソヒが、思い止まらせようとする教師と対話するシーンでは、完全に正対するカメラで、追い込まれてゆく彼女の心情をストレートに掘り下げる。
ソヒが自殺する直前、ある商店で最後の晩餐をするシーンで、扉の隙間から差し込んだ夕陽が、彼女の足元に届く。
ユジンが同じ店を訪れた時にも同じ描写があるのだが、ソヒが太陽を見ることは二度とない。
発見された彼女のスマートフォンに、唯一残されていたのは、まだこの社会の残酷な現実を知る前のソヒが元気いっぱいに踊る動画。
全ての真相を知りながら、一人では何もできないユジンの焦燥感が、ビターな余韻となって長く尾を引く。

原題は「다음 소희(次のソヒ)」だ。
このままの状況が続けば、ソヒの様に死を選ぶ若者が次々と出てきてしまうという、静かな怒りと危機感に満ちたタイトル。
監督の前作と関連付けたかったのかも知れないが、出来れば邦題も作品の趣旨を尊重したものにして欲しかった。
韓国では今年の春に労働基準法が改正され、職業高校の実習生の待遇は少しずつ改善されてきているという。
また実習生という言葉からは、日本では外国人技能実習生を思い出す人も多いだろうが、劣悪な労働環境に相対的低賃金、相談できる相手の不足など問題点までよく似ている。
実習生でなくとも、長時間労働やハラスメントよる自殺者も後を絶たないし、次のソヒを出しては行けないのは、日本も全く同じだと思う。

少女の体験する悪夢のような現実を描く本作には、ビターなカクテル「ナイトメア・オブ・レッド」をチョイス。
ドライ・ジン30ml、カンパリ30ml、パイナップル・ジュース30ml、オレンジ・ビターズ2dashを氷で満たしたグラスに注ぎ、ステアする。
パイナップルのすっきりした甘さと、カンパリとビターズの苦みをドライ・ジンが清涼にまとめ上げる。

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