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2022年11月04日 (金) | 編集 |
第35回東京国際映画祭の鑑賞作品つぶやきまとめ。
ノースマン 導かれし復讐者・・・・・評価額1750円
ロバート・エガースは初の大作(たぶん過去の二作とは予算規模が10倍は違うはず)で、濃い作家性を保ったまま見事な傑作をものにした。
10世紀のアイスランドの荒涼とした風景の中で展開するのは、父を殺されたバイキングの王子、アムレートの神話的貴種流離譚。
シェイクスピアの「ハムレット」のモデルとなったバイキングの英雄が、残酷な運命に導かれながら目的を遂げるまでの物語は、とにかくダーク。
ジュリアン・ブラシュケの映像は、非常に重厚かつカッコいいのだが、終始陰鬱な空気がスクリーンに充満している。
超自然的な描写も多く、どこまでが現実なのか境界が分からない不思議なムードはエガースらしい。
中盤までは割とストレートな復讐譚なんだが、終盤になって価値観の逆転が起こる構造。
時代が時代ゆえ、人も動物もやたらと簡単に死ぬし、血もいっぱいでる。
命の価値が限りなく軽い時代だからこそ、バイキングは死に意味を求め、ヴァルハラの神話を生み出したのかも知れないな。
同じ英雄ものの歴史劇でも、例えば「バーフバリ」が燃えたぎる真っ赤な炎だとすれば、これは静かに燃える青白い情念の炎。
公開されたら再鑑賞は確定。
マンティコア・・・・・評価額1650円
タイトルは、体は虎で顔が人間の伝説上の人喰いの幻獣。
描かれるのは、ゲーム会社でモンスターの3Dモデラーをしている人付き合いが苦手で恋愛下手の主人公の、なんとも間の悪い青春。
孤独な主人公にも、人生で初めて恋人ができそうになるのだが、過去に行ったあることがきっかけとなり、自分が人喰いの怪物だという烙印を押されてしまう。
人の世では怪物は生きられない。
では主人公の存在が許される唯一の道は?という話。
大怪作「マジカル・ガール」の監督だから、終盤まで物語がどこに向かうのか、さっぱり分からないトリッキーさ。
ディテールの日本趣味も相変わらず。
結局、救われたんだか、そうじゃないんだかも、観る人によって解釈は180度異なるだろう。
青年の行為も、それをバッシングする側も、「やり過ぎ」と暗に批判してる様にも思えるし。
はたして、真のマンティコアは誰なのか、静かに毒を盛り込みつつ、不定形で掴み所の無い感触は実にこの作家らしい。
観客の意識を試すロールシャッハテストみたいな、ユニークな秀作。
バルド、偽りの記録と一握りの真実・・・・・評価額1600円
これは何とも形容し難い大怪作。
あえて言えば、おじさんのセカイ系。
アメリカで活躍するイニャリトゥ似のジャーナリストで映画監督の男が、故郷メキシコへ一時帰国する。
だが彼の目に写る懐かしの故郷は、現実と虚構、過去と現在、生者と死者がシームレスに入り混じった奇妙な世界。
荒野を歩く男の影が、鳥の様にフワリと浮かび上がるオープニングショットは「バードマン」を思わせるが、全編ワンカット風だったあの作品とは違う意味でのシームレス。
死の香りが漂う世界観は、イニャリトゥ色はもちろん強いのけど、過去の作品よりもむしろ大林宣彦の「戦争三部作」とか、ホドロフスキーの「リアリティのダンス」とかの“遺作”の匂いが。
一応、不思議な世界観には終盤論理的な理由付けがしてあるのだが、「ちょ、ちょっとイニャリトゥ死ぬん?早過ぎない?」と思ってしまった・・・(´;ω;`)
まあ終わってみれば、子供は大きくなり両親は旅立ち、色々思うところのある年齢を反映し、実験的な手法で心象風景を描いた極めて個人的な作品。
誰にでもオススメは出来ないが、超カッコいい長回しショットも多く、個人的にはこれはこれで好きな作品。
ドント・ウォーリー・ダーリン・・・・・評価額1450円
オリヴィア・ワイルドの監督二作目。
主人公のフローレンス・ピューは、砂漠の中に作られた50年代風の街に夫と共に暮らしている。
毎朝夫たちは、クリス・パインの経営する街の運営会社に働きに出るが、妻たちは優雅な暮らしを楽しんでる。
有能な夫たちと貞淑な妻たちの、完璧な生活。
ところが、あることがきっかけとなり、主人公はこの街の生活に疑念を抱く。
覚えのない記憶の断片は何なのか?夫たちは何の仕事をしているのか?
これ、世界観が映画化もされたアイラ・レヴィンのSF ホラー、「ステップフォードの妻たち」にそっくり。
もしかしてリメイク?オチまで同じ?と思ってたら、さすがにそこは変えてきた。
しかし結局陰謀の動機も小説とほぼ同じなので、強くインスパイアされているのは間違いないだろう。
いわゆる謎が謎を呼ぶ展開で、先を読ませずに面白いんだけど、ネタバラしで明らかになる秘密が、既視感バリバリなのと、設定の説明がちょっと雑なのが難点。
こっちでああすると、なぜあっちでそうなるのかよく分からない。
ダメ男たちのミソジニーがテーマだが、これも終盤の展開が矢継ぎ早過ぎて分かりにくいかも。
中間テストまでA-だったのが、期末試験で焦ってB-かC+になっちゃった印象。
終盤の組み立てのまずさと、描写不足が勿体無い。
クロンダイク・・・・・評価額1650円
2014年のウクライナ、ドンパス。
親露の分離派の支配する村で暮らす、ある農民夫婦の物語。
妻は間もなく臨月を迎えるが、家の壁は分離派に“誤射”されて大穴が空いている。
そしてまたしても“誤射”によって、家の近くに撃墜されたマレーシア航空機の残骸が降ってくる。
今起こっていることの根っこ。
ロシアの侵略は今年突然始まった訳ではなく、8年前からずっと続いている事実が赤裸々に描かれている。
本作の内容の様ななおぞましいことが、今年はウクライナ各地に広がったと思うと、胸が痛い。
終盤出てくる傭兵が、悪名高いワグネルだな。
早く逃げて!と思っちゃうのだが、それは今まで築いた物を全てを捨てるということ。
自分たちは何も悪くない訳だし、土地に根ざして生きてきた人たちには、そう簡単に決められものではないのだろう。
人生の岐路の決断がどっちに転ぶかは、トランプのゲームの様に予測不能。
しかし最悪に最悪が重なる状況の中でも、最後の最後に希望となるのは、やっぱり新しい命なんだな。
まさに今観るべき力作なんだけど、ちゃんと正式公開されるよな?
記事が気に入ったらクリックしてね
ノースマン 導かれし復讐者・・・・・評価額1750円
ロバート・エガースは初の大作(たぶん過去の二作とは予算規模が10倍は違うはず)で、濃い作家性を保ったまま見事な傑作をものにした。
10世紀のアイスランドの荒涼とした風景の中で展開するのは、父を殺されたバイキングの王子、アムレートの神話的貴種流離譚。
シェイクスピアの「ハムレット」のモデルとなったバイキングの英雄が、残酷な運命に導かれながら目的を遂げるまでの物語は、とにかくダーク。
ジュリアン・ブラシュケの映像は、非常に重厚かつカッコいいのだが、終始陰鬱な空気がスクリーンに充満している。
超自然的な描写も多く、どこまでが現実なのか境界が分からない不思議なムードはエガースらしい。
中盤までは割とストレートな復讐譚なんだが、終盤になって価値観の逆転が起こる構造。
時代が時代ゆえ、人も動物もやたらと簡単に死ぬし、血もいっぱいでる。
命の価値が限りなく軽い時代だからこそ、バイキングは死に意味を求め、ヴァルハラの神話を生み出したのかも知れないな。
同じ英雄ものの歴史劇でも、例えば「バーフバリ」が燃えたぎる真っ赤な炎だとすれば、これは静かに燃える青白い情念の炎。
公開されたら再鑑賞は確定。
マンティコア・・・・・評価額1650円
タイトルは、体は虎で顔が人間の伝説上の人喰いの幻獣。
描かれるのは、ゲーム会社でモンスターの3Dモデラーをしている人付き合いが苦手で恋愛下手の主人公の、なんとも間の悪い青春。
孤独な主人公にも、人生で初めて恋人ができそうになるのだが、過去に行ったあることがきっかけとなり、自分が人喰いの怪物だという烙印を押されてしまう。
人の世では怪物は生きられない。
では主人公の存在が許される唯一の道は?という話。
大怪作「マジカル・ガール」の監督だから、終盤まで物語がどこに向かうのか、さっぱり分からないトリッキーさ。
ディテールの日本趣味も相変わらず。
結局、救われたんだか、そうじゃないんだかも、観る人によって解釈は180度異なるだろう。
青年の行為も、それをバッシングする側も、「やり過ぎ」と暗に批判してる様にも思えるし。
はたして、真のマンティコアは誰なのか、静かに毒を盛り込みつつ、不定形で掴み所の無い感触は実にこの作家らしい。
観客の意識を試すロールシャッハテストみたいな、ユニークな秀作。
バルド、偽りの記録と一握りの真実・・・・・評価額1600円
これは何とも形容し難い大怪作。
あえて言えば、おじさんのセカイ系。
アメリカで活躍するイニャリトゥ似のジャーナリストで映画監督の男が、故郷メキシコへ一時帰国する。
だが彼の目に写る懐かしの故郷は、現実と虚構、過去と現在、生者と死者がシームレスに入り混じった奇妙な世界。
荒野を歩く男の影が、鳥の様にフワリと浮かび上がるオープニングショットは「バードマン」を思わせるが、全編ワンカット風だったあの作品とは違う意味でのシームレス。
死の香りが漂う世界観は、イニャリトゥ色はもちろん強いのけど、過去の作品よりもむしろ大林宣彦の「戦争三部作」とか、ホドロフスキーの「リアリティのダンス」とかの“遺作”の匂いが。
一応、不思議な世界観には終盤論理的な理由付けがしてあるのだが、「ちょ、ちょっとイニャリトゥ死ぬん?早過ぎない?」と思ってしまった・・・(´;ω;`)
まあ終わってみれば、子供は大きくなり両親は旅立ち、色々思うところのある年齢を反映し、実験的な手法で心象風景を描いた極めて個人的な作品。
誰にでもオススメは出来ないが、超カッコいい長回しショットも多く、個人的にはこれはこれで好きな作品。
ドント・ウォーリー・ダーリン・・・・・評価額1450円
オリヴィア・ワイルドの監督二作目。
主人公のフローレンス・ピューは、砂漠の中に作られた50年代風の街に夫と共に暮らしている。
毎朝夫たちは、クリス・パインの経営する街の運営会社に働きに出るが、妻たちは優雅な暮らしを楽しんでる。
有能な夫たちと貞淑な妻たちの、完璧な生活。
ところが、あることがきっかけとなり、主人公はこの街の生活に疑念を抱く。
覚えのない記憶の断片は何なのか?夫たちは何の仕事をしているのか?
これ、世界観が映画化もされたアイラ・レヴィンのSF ホラー、「ステップフォードの妻たち」にそっくり。
もしかしてリメイク?オチまで同じ?と思ってたら、さすがにそこは変えてきた。
しかし結局陰謀の動機も小説とほぼ同じなので、強くインスパイアされているのは間違いないだろう。
いわゆる謎が謎を呼ぶ展開で、先を読ませずに面白いんだけど、ネタバラしで明らかになる秘密が、既視感バリバリなのと、設定の説明がちょっと雑なのが難点。
こっちでああすると、なぜあっちでそうなるのかよく分からない。
ダメ男たちのミソジニーがテーマだが、これも終盤の展開が矢継ぎ早過ぎて分かりにくいかも。
中間テストまでA-だったのが、期末試験で焦ってB-かC+になっちゃった印象。
終盤の組み立てのまずさと、描写不足が勿体無い。
クロンダイク・・・・・評価額1650円
2014年のウクライナ、ドンパス。
親露の分離派の支配する村で暮らす、ある農民夫婦の物語。
妻は間もなく臨月を迎えるが、家の壁は分離派に“誤射”されて大穴が空いている。
そしてまたしても“誤射”によって、家の近くに撃墜されたマレーシア航空機の残骸が降ってくる。
今起こっていることの根っこ。
ロシアの侵略は今年突然始まった訳ではなく、8年前からずっと続いている事実が赤裸々に描かれている。
本作の内容の様ななおぞましいことが、今年はウクライナ各地に広がったと思うと、胸が痛い。
終盤出てくる傭兵が、悪名高いワグネルだな。
早く逃げて!と思っちゃうのだが、それは今まで築いた物を全てを捨てるということ。
自分たちは何も悪くない訳だし、土地に根ざして生きてきた人たちには、そう簡単に決められものではないのだろう。
人生の岐路の決断がどっちに転ぶかは、トランプのゲームの様に予測不能。
しかし最悪に最悪が重なる状況の中でも、最後の最後に希望となるのは、やっぱり新しい命なんだな。
まさに今観るべき力作なんだけど、ちゃんと正式公開されるよな?

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2021年12月31日 (金) | 編集 |
コロナ禍の2年目も、今日で終わり。
今年も劇場がクローズする時期はあったものの、公開延期となっていた作品もほとんど劇場公開されたし、昨年公開された「鬼滅の刃」は遂に前人未到の興収400億に達した。
新作では「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」も、そのマニアックさと長尺をものともせずに、興収百億を突破し、少なくとも日本の映画館界隈は世界基準だとだいぶマシだったと言えるだろう。
一方で、配信シフトはますます進み、映画の未来形はまだ不確かだ。
それでは、今年の“忘れられない映画たち”をブログでの紹介順に。
選出基準はただ一つ、“今の時点でより心に残っているもの”だ。
「花束みたいな恋をした」ひょんなことから知り合った21歳の同い年カップルの、恋の始まりと終わりを描くリリカルな青春物語。一見バブル期のトレンディドラマのような、美男美女のお洒落な恋愛映画かと見せてかけて、実は若いオタクの青春の行き着く先を描いた、相当にエグい話だ。
「ヤクザと家族 The Family」90年代からはじまって現在まで、三つの時代を描くクロニクル。暴対法の影響で、徐々に滅びてゆくヤクザというモチーフから、21世紀の日本社会の閉塞を象徴的に描き出す。藤井道人監督の、キャリア・ベストの仕上がりと言える傑作だ。
「すばらしき世界」役所広司が演じる、元殺人犯のヤクザ者が長い刑期を終えて出所。すっかり浦島太郎化した男の奮闘を描く。西和美和監督らしい、社会からちょっとはみ出したアウトローの悲哀の物語が、半分くらい「ヤクザと家族 The Family」とかぶるのが面白い。
「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」25年間に作られた過去作の全てをアーカイブ的に内包し、全ての葛藤に決着をつける完結編。庵野秀明の究極の私小説であり、αでありω、極大でありながら極小。星をつぐものの壮大な神話が、超パーソナルな内面の葛藤に帰結するのは、実に日本的だ。
「ノマドランド」不況で家を失い、手製のキャンピングカーに荷物を詰め込んで旅に出た主人公が、各地で一期一会を繰り返しながら、日々を懸命に生きてゆく物語。劇映画でありながら、ドキュメンタリー的手法を盛り込んでいるのが新しい。本作でオスカーをかっさらったクロエ・ジャオ監督は、MCUの超大作「エターナルズ」でも自分のスタイルを貫いた。
「JUNK HEAD」“超大作”と形容したくなるスケール感を持つ、ストップモーションアニメーションの大労作。一つの世界を、ここまで徹底的に作り込んだ作品は久々に観た。本作がデビュー作となる堀貴秀監督が、7年をかけてゼロから全てを作り上げた、驚くべき没入感を持つ傑作だ。
「街の上で」今泉力哉監督が、円熟の技を見せる群像劇。端的に言えば、舞台となる下北沢を大きなフレームとして捉えた、点描画のような作品だ。一つひとつの小さなセカイは混じり合い、弾き合い、一つのユニークな風景となって、いつの間にか下北沢という”世界”の一部となっている。
「マ・レイニーのブラックボトム」うだるような熱波に包まれた1927年のシカゴで、伝説的なブルース歌手、マ・レイニーのレコーディングが行われる。幾つもの不協和音がぶつかり合い、浮かび上がってくるのは、ブルースに隠された哀しい歴史と、100年後の今なお続く差別と絶望への抵抗だ。
「ファーザー」ロンドンに住む老人と、彼を介護する娘の物語。この作品が特徴的なのは、認知症を患う老人の視点で描かれていること。認知症モチーフの作品は無数にあるが、この病気をこれほどディープに、体験的に理解させてくれる作品ははじめて。アンソニー・ホプキンスが圧巻。
「茜色に焼かれる」中学生の息子の視点で描かれる、母さんの生き様の物語。夫を交通事故で亡くしたシングルマザーに、ありとあらゆる理不尽が降りかかる。めっちゃヘビーで痛いけど、目が離せない。石井裕也監督が描き出したのは、コロナ禍の今の時代を映し出した、懸命に生きる庶民の物語だ。
「トゥルーノース」悪名高い北朝鮮の政治犯強制収容所の実態を、3DCGアニメーションで描く大労作。多くの脱北者からの聞き取り調査した内容をもとに構成された、ドキュメンタリーアニメーションだ。これは今も明日をも知れぬ強制収容所の中で苦しんでいる、実在する人々の物語。
「アメリカン・ユートピア」デヴィッド・バーンが2018年に発表した同名アルバムを元に、ブロードウェイで上演したコンサートショウを、スパイク・リーがドキュメンタリー映画化した作品。これは本当に、まだ見ぬユートピアを求めるバーンの、いやアメリカの遠大な旅を描いた骨太の作品だった。
「るろうに剣心 最終章 The Beginning」シリーズ最終作にしてベスト。幕末の動乱期、血の雨を降らせ、多くの人を殺めた抜刀斎は、いかにして心優しいるろうに剣心となったのか。前作までのド派手なスウォードアクションとは違い、最後の侍の時代を描くいぶし銀の本格時代劇だ。
「オクトパスの神秘:海の賢者は語る」ドキュメンタリストのおじさんが出会ったのは、貝殻のドレスをまとった一匹の若いタコ。彼女に魅了されたおじさんは、いつの間にかタコストーカーと化し彼女を追いはじめる。まるでドキュメンタリー版「シェイプ・オブ・ウォーター」の様な、異種純愛ラブストーリー。
「映画大好きポンポさん」映画オタクだが何の実績もない主人公が、天才映画プロデューサーのポンポさんから、いきなり長編映画の監督を任される。映画制作の内幕を巡る喜怒哀楽が、90分の尺に凝縮された傑作。おそらく映画史上はじめて、“編集”というプロセスをフィーチャーした作品だ。
「ジャスティス・リーグ: ザック・スナイダーカット」今年も素晴らしいアメコミ映画がたくさんあったが、「ブラック・ウィドウ」も「シャン・チー/テン・リングスの伝説」も、作者の執念ではこの作品にかなわない。愛娘の急逝で「ジャスティス・リーグ」を降板したザック・スナイダーが、作品本来の姿を取り戻した傑作。
「Arc アーク」人気作家ケン・リュウ作品初の映画化。人類で初めて不老不死の体を得た女性の、17歳から135歳までを描くクロニクル。必滅の存在である人間が、死する運命から解放された時、一体何が起こるのか。大いなる流れに身を委ね、静かに、ディープに命の円弧を考察する、深淵なる127分だ。
「ゴジラvsコング」怪獣クロスオーバー企画“モンスターバース”のクライマックスは、どこまでも正しい怪獣プロレス。まるで少年漫画のような圧倒的な熱量を持つ日米ライバル対決に、メカゴジラまで参戦し、怒涛のバトルのてんこ盛りにお腹いっぱい。まるで遊園地のライドの様な、実に楽しい作品だった。
「竜とそばかすの姫」細田守3本目のインターネットモチーフ作品は、「サマーウォーズ」の世界観の延長線上に、「美女と野獣」を独自の解釈でリメイクしたもの。映画作家として描きたいことはより純化されていて、いわば夏休み娯楽大作の仮面をつけたゴリゴリの作家映画となっている。
「少年の君」瑞々しくも痛々しい、ボーイ・ミーツ・ガール映画の傑作。凄惨ないじめの被害者となってしまうチョウ・ドンユイと、ひょんなことから彼女を守るナイトとなる不良少年のチェン・ニェン。最悪の状況の中でお互いを思う若い二人の、狂おしいまでの愛と罪の葛藤で魅せる。
「フリー・ガイ」ゲームの世界のモブキャラに、もし人格があったら?というメタ構造を最大限に利用して、ワクワクするエンターテイメンに仕上げたショーン・レビ監督のアドベンチャー映画。「この世界に“モブキャラ”はいない。さあ、想像力を広げよう!」というメッセージが自然に入ってくる。
「ドライブ・マイ・カー」今年の賞レースを席巻する三時間の大長編。わだかまりを抱えたまま妻に先立たれた舞台演出家が、全てを受け入れるまでの物語が、チェーホフの「ワーニャ伯父さん」の上演プロセスとして表現されている。濱口竜介監督はオムニバス映画「偶然と想像」も素晴らしい仕上がりだった。
「アイダよ、何処へ?」ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争末期、スレブレニツァで起こった虐殺事件の顛末を、一人の女性の目線で描いたハードな人間ドラマ。どんな残酷な事実があったとしても、戦いが終われば全てを許すことはできるのか?いつまで経っても繰り返される、人類の罪と罰の物語。
「由宇子の天秤」ドキュメンタリー作家の主人公の身にふりかかった、家族が犯した罪。社会正義のために仕事をしている主人公は、我が身を守るためにあっさりと嘘をつく。分かりやすいダブルスタンダードの葛藤から始まって、やがて浮かび上がるのは、決して埋まることのない“真実の空白”だ。
「DUNE/デューン 砂の惑星」フランク・ハーバードの古典SF、27年ぶりの映画化。まだ前後編の前編のみとは言え、ハーバートの原作の映画化としても、ドゥニ・ヴィルヌーヴの作家映画としても、これ以上何を望む?という見事な仕上がり。後編制作にはGOサインが出たそうなので、非常に楽しみ。
「最後の決闘裁判」中世フランスで起こった強姦事件。しかし加害者とされた男は疑惑を否定。被害者の夫は神のみぞ知る真実を証明するために、敗者が死刑となる決闘裁判の決行を王に訴える。関係者の言い分が異なる、典型的ラショウモンケースから浮かび上がるのは、男性中心の歴史の歪さだ。
「アイの歌声を聴かせて」なぜか人を幸せにしたがるアンドロイドの”シオン”に振り回される、高校生の主人公と仲間たち。シオンの隠された目的が明らかになる時、観客は皆涙腺を決壊させるだろう。「イヴの時間」の吉浦康裕が、人とAIの未来を希望的に描いた、爽やかな青春SFファンタジー。
「マリグナント 凶暴な悪夢」現在最高のホラー・マイスター、ジェームズ・ワン監督が、80年代ホラーにオマージュを捧げたグチャグチャドロドロのモンスターホラー。小出しされる恐怖の正体が、遂にその姿を表す瞬間は、脳内で変な声が出た(笑 )いい意味で悪趣味な、懐かしいテイストのジャンル映画だ。
「パワー・オブ・ザ・ドッグ」名匠ジェーン・カンピオン、12年ぶりの新作。100年前のモンタナ州の農場を舞台に、ある秘密を抱えた牧場主の物語が描かれる。二つの世界大戦の戦間期で、様々な価値観が生まれた過渡期の時代。秘められた愛によって、雁字搦めになってしまった男の哀しい寓話だ。
「tick, tick... BOOM!: チック、チック…ブーン!」若くして亡くなったミュージカル作家、ジョナサン・ラーソンの物語を、現代ブロードウェイを代表するリン=マニュエル・ミランダが描く。青春の終わりに怯えるラーソンの葛藤を、現在から俯瞰することで、切なくも輝かしい一つの青春の物語が浮かび上がる。
「ラストナイト・イン・ソーホー」現在のソーホーに引っ越してきた霊媒体質の主人公が、1965年に同じ部屋に住んでいた女性の心とシンクロする。華やかな大都会の影に見えてくるのは、成功を夢見る若い女性たちが、男たちに搾取される恐ろしい時代。エドガー・ライトのキレキレの演出を堪能できる。
「ドント・ルック・アップ」アダム・マッケイ節が冴え渡る、社会風刺SFの怪作。巨大彗星の接近で地球に滅亡の時が半年後に迫る中、人々は危機そっちのけで争い、分断を深めてゆく。彗星は地球温暖化のメタファーで、人々が信じたいものだけを見たトランプの時代が徹底的に戯画化される。
「レイジング・ファイア」アクション全部入りの豪華幕の内弁当。どんな不正も許せないドニー・イェン刑事が、因縁の敵ニコラス・ツェーと戦う。悪と正義は紙一重ではあるが、結局その紙一枚分の矜持を持ち続けられるかどうかで運命が決まる。ベニー・チャン監督の遺作にして最高傑作。
以上、洋邦取り混ぜて33本。
これ以外では、洋画なら「聖なる犯罪者」「ミナリ」「サウンド・オブ・メタル ~聞こえるということ~」「モーリタニアン 黒塗りの記録」などが印象的だった。
相変わらず豊作の日本映画は「あのこは貴族」「いとみち」「騙し絵の牙」「浜の朝日の嘘つきどもと」「BLUE ブルー」「空白」など。
劇場用アニメーションも「サイダーのように言葉が湧き上がる」や「漁港の肉子ちゃん」など優れた作品が多かったが、イラストレーターのloundrawが、自主制作体制で作り上げた「サマーゴースト」は注目すべき作品だ。
「MINAMATA ミナマタ」や「ONODA 一万夜を越えて」など、外国人監督による日本の話も一昔前には考えられない完成度。
世界的に女性監督の活躍が目立ったのと、今年はやっぱり有村架純イヤーだったな。
さて、コロナ禍は三年目で終わるのか。
それでは皆さん、よいお年をお迎えください。
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今年も劇場がクローズする時期はあったものの、公開延期となっていた作品もほとんど劇場公開されたし、昨年公開された「鬼滅の刃」は遂に前人未到の興収400億に達した。
新作では「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」も、そのマニアックさと長尺をものともせずに、興収百億を突破し、少なくとも日本の映画館界隈は世界基準だとだいぶマシだったと言えるだろう。
一方で、配信シフトはますます進み、映画の未来形はまだ不確かだ。
それでは、今年の“忘れられない映画たち”をブログでの紹介順に。
選出基準はただ一つ、“今の時点でより心に残っているもの”だ。
「花束みたいな恋をした」ひょんなことから知り合った21歳の同い年カップルの、恋の始まりと終わりを描くリリカルな青春物語。一見バブル期のトレンディドラマのような、美男美女のお洒落な恋愛映画かと見せてかけて、実は若いオタクの青春の行き着く先を描いた、相当にエグい話だ。
「ヤクザと家族 The Family」90年代からはじまって現在まで、三つの時代を描くクロニクル。暴対法の影響で、徐々に滅びてゆくヤクザというモチーフから、21世紀の日本社会の閉塞を象徴的に描き出す。藤井道人監督の、キャリア・ベストの仕上がりと言える傑作だ。
「すばらしき世界」役所広司が演じる、元殺人犯のヤクザ者が長い刑期を終えて出所。すっかり浦島太郎化した男の奮闘を描く。西和美和監督らしい、社会からちょっとはみ出したアウトローの悲哀の物語が、半分くらい「ヤクザと家族 The Family」とかぶるのが面白い。
「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」25年間に作られた過去作の全てをアーカイブ的に内包し、全ての葛藤に決着をつける完結編。庵野秀明の究極の私小説であり、αでありω、極大でありながら極小。星をつぐものの壮大な神話が、超パーソナルな内面の葛藤に帰結するのは、実に日本的だ。
「ノマドランド」不況で家を失い、手製のキャンピングカーに荷物を詰め込んで旅に出た主人公が、各地で一期一会を繰り返しながら、日々を懸命に生きてゆく物語。劇映画でありながら、ドキュメンタリー的手法を盛り込んでいるのが新しい。本作でオスカーをかっさらったクロエ・ジャオ監督は、MCUの超大作「エターナルズ」でも自分のスタイルを貫いた。
「JUNK HEAD」“超大作”と形容したくなるスケール感を持つ、ストップモーションアニメーションの大労作。一つの世界を、ここまで徹底的に作り込んだ作品は久々に観た。本作がデビュー作となる堀貴秀監督が、7年をかけてゼロから全てを作り上げた、驚くべき没入感を持つ傑作だ。
「街の上で」今泉力哉監督が、円熟の技を見せる群像劇。端的に言えば、舞台となる下北沢を大きなフレームとして捉えた、点描画のような作品だ。一つひとつの小さなセカイは混じり合い、弾き合い、一つのユニークな風景となって、いつの間にか下北沢という”世界”の一部となっている。
「マ・レイニーのブラックボトム」うだるような熱波に包まれた1927年のシカゴで、伝説的なブルース歌手、マ・レイニーのレコーディングが行われる。幾つもの不協和音がぶつかり合い、浮かび上がってくるのは、ブルースに隠された哀しい歴史と、100年後の今なお続く差別と絶望への抵抗だ。
「ファーザー」ロンドンに住む老人と、彼を介護する娘の物語。この作品が特徴的なのは、認知症を患う老人の視点で描かれていること。認知症モチーフの作品は無数にあるが、この病気をこれほどディープに、体験的に理解させてくれる作品ははじめて。アンソニー・ホプキンスが圧巻。
「茜色に焼かれる」中学生の息子の視点で描かれる、母さんの生き様の物語。夫を交通事故で亡くしたシングルマザーに、ありとあらゆる理不尽が降りかかる。めっちゃヘビーで痛いけど、目が離せない。石井裕也監督が描き出したのは、コロナ禍の今の時代を映し出した、懸命に生きる庶民の物語だ。
「トゥルーノース」悪名高い北朝鮮の政治犯強制収容所の実態を、3DCGアニメーションで描く大労作。多くの脱北者からの聞き取り調査した内容をもとに構成された、ドキュメンタリーアニメーションだ。これは今も明日をも知れぬ強制収容所の中で苦しんでいる、実在する人々の物語。
「アメリカン・ユートピア」デヴィッド・バーンが2018年に発表した同名アルバムを元に、ブロードウェイで上演したコンサートショウを、スパイク・リーがドキュメンタリー映画化した作品。これは本当に、まだ見ぬユートピアを求めるバーンの、いやアメリカの遠大な旅を描いた骨太の作品だった。
「るろうに剣心 最終章 The Beginning」シリーズ最終作にしてベスト。幕末の動乱期、血の雨を降らせ、多くの人を殺めた抜刀斎は、いかにして心優しいるろうに剣心となったのか。前作までのド派手なスウォードアクションとは違い、最後の侍の時代を描くいぶし銀の本格時代劇だ。
「オクトパスの神秘:海の賢者は語る」ドキュメンタリストのおじさんが出会ったのは、貝殻のドレスをまとった一匹の若いタコ。彼女に魅了されたおじさんは、いつの間にかタコストーカーと化し彼女を追いはじめる。まるでドキュメンタリー版「シェイプ・オブ・ウォーター」の様な、異種純愛ラブストーリー。
「映画大好きポンポさん」映画オタクだが何の実績もない主人公が、天才映画プロデューサーのポンポさんから、いきなり長編映画の監督を任される。映画制作の内幕を巡る喜怒哀楽が、90分の尺に凝縮された傑作。おそらく映画史上はじめて、“編集”というプロセスをフィーチャーした作品だ。
「ジャスティス・リーグ: ザック・スナイダーカット」今年も素晴らしいアメコミ映画がたくさんあったが、「ブラック・ウィドウ」も「シャン・チー/テン・リングスの伝説」も、作者の執念ではこの作品にかなわない。愛娘の急逝で「ジャスティス・リーグ」を降板したザック・スナイダーが、作品本来の姿を取り戻した傑作。
「Arc アーク」人気作家ケン・リュウ作品初の映画化。人類で初めて不老不死の体を得た女性の、17歳から135歳までを描くクロニクル。必滅の存在である人間が、死する運命から解放された時、一体何が起こるのか。大いなる流れに身を委ね、静かに、ディープに命の円弧を考察する、深淵なる127分だ。
「ゴジラvsコング」怪獣クロスオーバー企画“モンスターバース”のクライマックスは、どこまでも正しい怪獣プロレス。まるで少年漫画のような圧倒的な熱量を持つ日米ライバル対決に、メカゴジラまで参戦し、怒涛のバトルのてんこ盛りにお腹いっぱい。まるで遊園地のライドの様な、実に楽しい作品だった。
「竜とそばかすの姫」細田守3本目のインターネットモチーフ作品は、「サマーウォーズ」の世界観の延長線上に、「美女と野獣」を独自の解釈でリメイクしたもの。映画作家として描きたいことはより純化されていて、いわば夏休み娯楽大作の仮面をつけたゴリゴリの作家映画となっている。
「少年の君」瑞々しくも痛々しい、ボーイ・ミーツ・ガール映画の傑作。凄惨ないじめの被害者となってしまうチョウ・ドンユイと、ひょんなことから彼女を守るナイトとなる不良少年のチェン・ニェン。最悪の状況の中でお互いを思う若い二人の、狂おしいまでの愛と罪の葛藤で魅せる。
「フリー・ガイ」ゲームの世界のモブキャラに、もし人格があったら?というメタ構造を最大限に利用して、ワクワクするエンターテイメンに仕上げたショーン・レビ監督のアドベンチャー映画。「この世界に“モブキャラ”はいない。さあ、想像力を広げよう!」というメッセージが自然に入ってくる。
「ドライブ・マイ・カー」今年の賞レースを席巻する三時間の大長編。わだかまりを抱えたまま妻に先立たれた舞台演出家が、全てを受け入れるまでの物語が、チェーホフの「ワーニャ伯父さん」の上演プロセスとして表現されている。濱口竜介監督はオムニバス映画「偶然と想像」も素晴らしい仕上がりだった。
「アイダよ、何処へ?」ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争末期、スレブレニツァで起こった虐殺事件の顛末を、一人の女性の目線で描いたハードな人間ドラマ。どんな残酷な事実があったとしても、戦いが終われば全てを許すことはできるのか?いつまで経っても繰り返される、人類の罪と罰の物語。
「由宇子の天秤」ドキュメンタリー作家の主人公の身にふりかかった、家族が犯した罪。社会正義のために仕事をしている主人公は、我が身を守るためにあっさりと嘘をつく。分かりやすいダブルスタンダードの葛藤から始まって、やがて浮かび上がるのは、決して埋まることのない“真実の空白”だ。
「DUNE/デューン 砂の惑星」フランク・ハーバードの古典SF、27年ぶりの映画化。まだ前後編の前編のみとは言え、ハーバートの原作の映画化としても、ドゥニ・ヴィルヌーヴの作家映画としても、これ以上何を望む?という見事な仕上がり。後編制作にはGOサインが出たそうなので、非常に楽しみ。
「最後の決闘裁判」中世フランスで起こった強姦事件。しかし加害者とされた男は疑惑を否定。被害者の夫は神のみぞ知る真実を証明するために、敗者が死刑となる決闘裁判の決行を王に訴える。関係者の言い分が異なる、典型的ラショウモンケースから浮かび上がるのは、男性中心の歴史の歪さだ。
「アイの歌声を聴かせて」なぜか人を幸せにしたがるアンドロイドの”シオン”に振り回される、高校生の主人公と仲間たち。シオンの隠された目的が明らかになる時、観客は皆涙腺を決壊させるだろう。「イヴの時間」の吉浦康裕が、人とAIの未来を希望的に描いた、爽やかな青春SFファンタジー。
「マリグナント 凶暴な悪夢」現在最高のホラー・マイスター、ジェームズ・ワン監督が、80年代ホラーにオマージュを捧げたグチャグチャドロドロのモンスターホラー。小出しされる恐怖の正体が、遂にその姿を表す瞬間は、脳内で変な声が出た(笑 )いい意味で悪趣味な、懐かしいテイストのジャンル映画だ。
「パワー・オブ・ザ・ドッグ」名匠ジェーン・カンピオン、12年ぶりの新作。100年前のモンタナ州の農場を舞台に、ある秘密を抱えた牧場主の物語が描かれる。二つの世界大戦の戦間期で、様々な価値観が生まれた過渡期の時代。秘められた愛によって、雁字搦めになってしまった男の哀しい寓話だ。
「tick, tick... BOOM!: チック、チック…ブーン!」若くして亡くなったミュージカル作家、ジョナサン・ラーソンの物語を、現代ブロードウェイを代表するリン=マニュエル・ミランダが描く。青春の終わりに怯えるラーソンの葛藤を、現在から俯瞰することで、切なくも輝かしい一つの青春の物語が浮かび上がる。
「ラストナイト・イン・ソーホー」現在のソーホーに引っ越してきた霊媒体質の主人公が、1965年に同じ部屋に住んでいた女性の心とシンクロする。華やかな大都会の影に見えてくるのは、成功を夢見る若い女性たちが、男たちに搾取される恐ろしい時代。エドガー・ライトのキレキレの演出を堪能できる。
「ドント・ルック・アップ」アダム・マッケイ節が冴え渡る、社会風刺SFの怪作。巨大彗星の接近で地球に滅亡の時が半年後に迫る中、人々は危機そっちのけで争い、分断を深めてゆく。彗星は地球温暖化のメタファーで、人々が信じたいものだけを見たトランプの時代が徹底的に戯画化される。
「レイジング・ファイア」アクション全部入りの豪華幕の内弁当。どんな不正も許せないドニー・イェン刑事が、因縁の敵ニコラス・ツェーと戦う。悪と正義は紙一重ではあるが、結局その紙一枚分の矜持を持ち続けられるかどうかで運命が決まる。ベニー・チャン監督の遺作にして最高傑作。
以上、洋邦取り混ぜて33本。
これ以外では、洋画なら「聖なる犯罪者」「ミナリ」「サウンド・オブ・メタル ~聞こえるということ~」「モーリタニアン 黒塗りの記録」などが印象的だった。
相変わらず豊作の日本映画は「あのこは貴族」「いとみち」「騙し絵の牙」「浜の朝日の嘘つきどもと」「BLUE ブルー」「空白」など。
劇場用アニメーションも「サイダーのように言葉が湧き上がる」や「漁港の肉子ちゃん」など優れた作品が多かったが、イラストレーターのloundrawが、自主制作体制で作り上げた「サマーゴースト」は注目すべき作品だ。
「MINAMATA ミナマタ」や「ONODA 一万夜を越えて」など、外国人監督による日本の話も一昔前には考えられない完成度。
世界的に女性監督の活躍が目立ったのと、今年はやっぱり有村架純イヤーだったな。
さて、コロナ禍は三年目で終わるのか。
それでは皆さん、よいお年をお迎えください。

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2020年12月30日 (水) | 編集 |
コロナが世界を変えた2020年も、もうすぐ終わり。
日本では映画館が二ヶ月間クローズした後、少しずつ興行街に客足が戻り、19年ぶりに興行記録ナンバーワンが書き換えられたりもしたが、世界ではいまだ映画館が再開できない所も多い。
ハリウッドの大手スタジオが作品を配給しないので、春以降まともな洋画大作が殆ど無いという異常事態。
しかし、一方で日本映画は秀作・傑作が目白押しで、日本映画奇跡の年だった2016年以来の大豊作となったが、劇場スルーしてNetflixなどの配信オンリー、または劇場と配信が同時というケースも目立った。
コロナは、映画の形そのものを変えてしまったのかもしれない。
それでは今年の“ベスト”ではなく“忘れられない映画たち”を、ブログでの紹介順に。
「パラサイト 半地下の家族」昨年から続いた快進撃は、ついに本家アカデミー賞までも制した。鬼才ポン・ジュノが作り上げたのは、半地下のさらに地下に埋れた超格差社会を描くブラック・コメディ。ぶっ飛んだ内容ではあるが、絵空事と言い切れないのが恐ろしい。
「フォードvsフェラーリ」60年代のル・マン24時間耐久レースで、無敵を誇ったフェラーリに挑んだ新参者、フォードの悪戦苦闘を描く。なんちゅうベタなタイトル・・・と思ったが、さすがジェームズ・マンゴールド。不可能に挑むお仕事映画は見ごたえたっぷり、いぶし銀の熱血バディドラマだ。
「ジョジョ・ラビット」ヒトラーがイマジナリーフレンドという軍国少年、ジョジョの物語。ある時、自分の家にユダヤ人の少女が匿われていることを知って、信じていた世界が揺らぎだす。そして少年は、愛する人の突然の喪失と共に、「人間の一番強い力」だと教えられた、愛の意味を知るのである。
「ラストレター」岩井俊二が、故郷の宮城県を舞台に、手紙のやり取りから始まる初恋の記憶の覚醒と、二つの世代の喪失と再生を描くリリカルなラブストーリー。出世作「Love Letter」へのセルフ アンサームービーでもあり、同じ物語を中国で撮った「チィファの手紙」も興味深い作品だった。
「37セカンズ」生まれた時に37秒間だけ呼吸が止まったことで、脳性麻痺となった23歳の女性の成長を描く青春ストーリー。アイデンティティを探す主人公の想いと共に、映画は国境を超えて、愛ゆえにバラバラになった一つの家族の歴史を描き出す。これはある種の神話的貴種流離譚だ。
「1917 命をかけた伝令」第一次世界大戦の西部戦線を舞台に、ドイツ軍の罠に誘い込まれたイギリス軍部隊を救うため、二人の兵士が伝令として走る。塹壕から森林まで、第一次世界大戦の全てのステージを駆け抜ける旅は、まるでビデオゲームの様な構造を持つ。観客を“第三の伝令”として物語に巻き込む工夫がユニークだ。
「ミッドサマー」燦々と降り注ぐ白夜の陽光の下で展開する、世にも恐ろしい奇祭を描くアリ・アスターの大怪作。ここで起こっていることは、私たちの価値観から見ると狂気の蛮行だが、見方を変えればこの上なく美しい至福の時でもある。これは祝祭か、それとも忌まわしい呪いか。
「初恋」三池崇史久々の快作。共に愛されることを知らない孤独な二人が出会ったとき、地獄行きの初恋逃避行が始まる。現在ではもう漫画となってしまったヤクザ映画というジャンルの虚構の中、孤独でイノセンスな心を持つ、若い二人の繊細な再生劇を描き出すというセンスに脱帽。
「レ・ミゼラブル」ユゴーの名作が生まれ、今では移民たちの街となったモンフェルメイユを舞台とした現代劇。ここでは正義感や倫理観は無力だ。悪役も善玉もいない。未来も希望もない。ユゴーが19世紀初頭を舞台に描いた格差と社会分断の悲劇は、形を変えて今も繰り返されている。
「娘は戦場で生まれた」1秒たりとも目が離せない。内戦が続くシリア最大の都市アレッポで、スマホを使って映像を撮り始めた一人の女子学生が見た5年間の戦場の記録。過酷な日常が続く中、彼女は妻となり、母となる。これはこの時代のアレッポに生きた人々の記憶の器だ。
「ナイチンゲール」植民者と先住民族との、果てしない戦争が続くタスマニア島を舞台とした、アイルランド人流刑囚の女性の復讐劇。オーストラリアの血塗られた歴史を背景に、どうしようもなく弱く愚かな人間たちの悲劇を通し、描かれるのはこの世界に必要な愛や寛容の物語だ。
「許された子どもたち」同級生をいじめ殺した加害者の少年を軸に、事件によって人生を狂わされてしまった、狂わせてしまった人々のドラマが描かれる。果たして、法律で「無罪」とされ贖罪の機会を失うことは、加害者にとって幸せに繋がるのだろうか?観る者の倫理観が試される。
「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」何度も映画化されてきた古典文学の新解釈。基本的プロットは原作に忠実に、四姉妹の物語を通して、女性の生き方や幸せの意味が描かれる。しかし主人公の次女ジョーを原作者と同一視するメタ構造により、モダンな視点を獲得している。
「ハニーランド 永遠の谷」北マケドニアの人里離れた谷に暮らす、ヨーロッパ最後の自然養蜂家の女性を描く。400時間に及ぶ膨大なフッテージは、ドキュメンタリーでありながら劇映画の様な三幕構造を可能とし、生身の女性の人生のドラマがリアリティたっぷりに浮かび上がってくる。
「はちどり」四半世紀前の高度成長期のソウルを舞台に、中学二年生の少女が自分と家族を含めた社会との関係を発見してゆく物語。今よりももっと女性が生き辛かった時代の、思春期の揺れ動く心をリリカルに描いた。ある意味、本作の主人公の大人になった姿とも言える「82年生まれ、キム・ジヨン」も素晴らしかった。
「劇場」売れない劇作家兼演出家が、役者志望の学生・沙希と恋に落ちてから、およそ10年間の物語。主人公を演じる山崎賢人のダメ人間っぷりが最高。これは言わば演劇という虚構の現実を夢見た若者の、青春の始まりと終わりを描いた行定勲版の「ラ・ラ・ランド」だ。
「アルプススタンドのはしの方」高校野球の応援に駆り出された問題を抱えた高校生たちが、それぞれの挫折とどう向き合うのかの物語。一度も映らないグランドでは、高校野球の熱闘が繰り広げられていて、その試合の展開が登場人物たちの心を変えてゆく。演劇ベースのユニークな作品だ。
「海辺の映画館 キネマの玉手箱」元祖映像の魔術師・大林宣彦の、過去作を全て内包する集大成にして遺作。映画を観に来ていた三人の若者たちは、いつの間にかスクリーンの世界に飛び込み、映画のヒロインたちが戦争の犠牲となるのを目撃する。文字通りに命を削って作り上げた最後のメッセージ。監督、お疲れ様でした。
「マロナの幻想的な物語り」一匹の犬が車に轢かれて死ぬ瞬間から、彼女の波乱万丈の犬生を回想する、リリカルなアニメーション映画。犬の視点で描かれ、ディフォルメされた抽象アニメーションは視覚的な驚きに満ちている。動物の持つ共感力に感銘を受け、その深い愛情に涙する。
「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」感情を持たない“武器”として戦争を生き抜いた少女ヴァイオレットの物語。あの痛ましい事件と、コロナ禍による二度の公開延期を乗り越え、京都アニメーションの復活の狼煙となる心ふるえる魂の傑作だ。TVシリーズから追い続けたファンに、観たかったものを見せてくれる完璧な完結編となった。
「ミッドナイトスワン」草彅剛演じるトランスジェンダー女性と、母に捨てられた中学生の少女、生き辛さを抱えた二人が出会った時、彼女らの人生にドラマチックな化学反応が起こる。バレエ「白鳥の湖」をベースにした、とことんまで俗っぽく、泥臭い人間たちにより真実の愛を巡る物語だ。
「鬼滅の刃 無限列車編」19年ぶりに映画興行記録を塗り替えた大ヒット作。作品としても面白かったが、社会現象となるほどの作品は久しぶりで、これほど”unforgettable”な作品もないだろう。ただ、コロナで作品が少なかったから出来た“全集中の興行”は、ある意味パンドラの箱とも言えるもので、今後の日本の映画興行のスタイルを変えるかも知れない。
「朝が来る」特別養子縁組制度で子供を授かった夫婦と、産んだ子を養子に出さざるを得なかった少女。河瀬直美は、深い共感を持って二人の“母”の葛藤を描いてゆく。なぜ少女は6年後に我が子の前に再び現れたのか。一つの事象を多面から丁寧に捉え、映画的な完成度が非常に高い。
「罪の声」星野源演じる主人公が、過去の犯罪の脅迫テープに、子供の頃の自分の声が使われていたことに気付いた時、止まっていた時計が動き出す。本当に最悪の罪を犯したのは誰なのか?昭和の日本を震撼させた劇場型犯罪「グリコ・森永事件」をモチーフに、真実の罪の所在を明らかにする傑作ミステリ。
「タイトル、拒絶」都内のデリヘルに勤める女と男の群像劇。全員が社会不適合者で、いつかは沈む同じ泥舟に乗っている。地べたに這いつくばって生きる、クソみたいな人生にタイトルなんて上等なものはいらない・・・とは言うものの全ての人生に、たとえタイトルは無くてもしっかり物語はあるのだ。
「Mank /マンク」脚本家ハーマン・J・マンキーウィッツ、通称“マンク”は、いかにして映画史に輝く「市民ケーン」をものにしたのか。映画は1930年代のハリウッドを舞台に、皮肉屋でウィットに富むマンクの目を通し、虚飾の街ハリウッドを描き出す。そこに見えてくるのは現在のアメリカだ。
「シカゴ7裁判」1968年のシカゴで、暴動を先導したとして逮捕された左翼活動家たちの裁判劇。今年の大統領選挙にぶつけた企画で、50年前の物語に描かれる、デモ隊と警察と人種差別、そして権力の側からの扇動といったモチーフは、まさに先日までニュースで見ていた映像そのもの。
「ミセス・ノイズィ」落ち目の小説家が、隣家の迷惑おばさんを題材に新作を発表したことから、世間を巻き込み人生を変える大騒動に。これは、あらゆるコミュニケーションツールが存在しているのに、根本の部分で不通である現代ニッポン人の物語で、日常を舞台としたもう一つの「羅生門」だ。
「燃ゆる女の肖像」すべての女性にとって“自由”が特別の権利だった時代。フランスの孤島で出会った画家とモデルが、人生で一度だけの真実の恋をする。視線のドラマであり、お互いを見つめ合う双方の眼差しの交錯によって感情が語られる。まるで格調高い少女漫画のような世界観が印象的。
「アンダードッグ 前編/後編」ボクシング映画の新たな金字塔。かつての栄光を忘れられず、今では“咬ませ犬=アンダードッグ”に身を落とした主人公を軸に描かれる、それぞれに閉塞を抱えた三人のプロボクサーの物語。これは“終わらせ方”に関する物語で、ボクシングというジャンル映画以上の普遍性がある。
「私をくいとめて」のんさん演じるお一人さま生活を満喫する主人公が、年下男性に恋をして、お二人さま目指して葛藤する。主人公と脳内の心の声の掛け合いで展開するのがユニーク。ストーリーの基本骨格は、大九明子監督の前作「甘いお酒でうがい」とも共通だが、非常に共感力が強いのが特徴だ。
「FUNAN フナン」70年代、クメール・ルージュ支配下のカンボジア。デニス・ドゥ監督の母をモデルとした一人の女性の苦難の旅路が描かれる。コンパクトな上映時間の中で、描かれている辛いことが多すぎて、本来ならば悲劇であるはずの終盤のある事件すら、“希望”と感じてしまうのが悲しい。
以上、劇場・配信取り混ぜての32本。
うち12本が女性監督の作品で過去最多だが、彼女たちによるフェミニズム的視点を持った作品に、印象深いものが多かったと思う。
今年は劇場鑑賞が減った分、Netflixとアマプラを観まくったので、トータルの本数は例年とあまり変わらなかった。
下半期はハリウッド大作が「TENET テネット」と「ワンダーウーマン 1984」くらいしか公開されなかったが、配信に流れた作品も多く「タイラー・レイク-命の奪還-」や「ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから」「ザ・ファイブ・ブラッズ」など秀作が多くあった。
また、日本映画や他の国の作品は豊作。
特にアニメーションは邦洋共に素晴らしく、「ドラえもん のび太の新恐竜」や「ポケットモンスター ココ」、「魔女見習いを探して」といったシリーズ作品は、ディープでワイドなアニメーション文化を持つ、日本以外では生まれない作品。
一方で「失くした体」や「ウルフウォーカー」、「ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒」、「羅小黒戦記~ぼくが選ぶ未来~」といった洋画作品は、表現の多様性の豊さを見せてくれる。
2021年は、とりあえず元日が映画の日。
新年のレビューは東京国際映画祭で鑑賞した「新感染半島 ファイナル・ステージ」から再開する予定。
果たしてコロナは終息するのか、皆さんもお気をつけてお過ごしください。
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日本では映画館が二ヶ月間クローズした後、少しずつ興行街に客足が戻り、19年ぶりに興行記録ナンバーワンが書き換えられたりもしたが、世界ではいまだ映画館が再開できない所も多い。
ハリウッドの大手スタジオが作品を配給しないので、春以降まともな洋画大作が殆ど無いという異常事態。
しかし、一方で日本映画は秀作・傑作が目白押しで、日本映画奇跡の年だった2016年以来の大豊作となったが、劇場スルーしてNetflixなどの配信オンリー、または劇場と配信が同時というケースも目立った。
コロナは、映画の形そのものを変えてしまったのかもしれない。
それでは今年の“ベスト”ではなく“忘れられない映画たち”を、ブログでの紹介順に。
「パラサイト 半地下の家族」昨年から続いた快進撃は、ついに本家アカデミー賞までも制した。鬼才ポン・ジュノが作り上げたのは、半地下のさらに地下に埋れた超格差社会を描くブラック・コメディ。ぶっ飛んだ内容ではあるが、絵空事と言い切れないのが恐ろしい。
「フォードvsフェラーリ」60年代のル・マン24時間耐久レースで、無敵を誇ったフェラーリに挑んだ新参者、フォードの悪戦苦闘を描く。なんちゅうベタなタイトル・・・と思ったが、さすがジェームズ・マンゴールド。不可能に挑むお仕事映画は見ごたえたっぷり、いぶし銀の熱血バディドラマだ。
「ジョジョ・ラビット」ヒトラーがイマジナリーフレンドという軍国少年、ジョジョの物語。ある時、自分の家にユダヤ人の少女が匿われていることを知って、信じていた世界が揺らぎだす。そして少年は、愛する人の突然の喪失と共に、「人間の一番強い力」だと教えられた、愛の意味を知るのである。
「ラストレター」岩井俊二が、故郷の宮城県を舞台に、手紙のやり取りから始まる初恋の記憶の覚醒と、二つの世代の喪失と再生を描くリリカルなラブストーリー。出世作「Love Letter」へのセルフ アンサームービーでもあり、同じ物語を中国で撮った「チィファの手紙」も興味深い作品だった。
「37セカンズ」生まれた時に37秒間だけ呼吸が止まったことで、脳性麻痺となった23歳の女性の成長を描く青春ストーリー。アイデンティティを探す主人公の想いと共に、映画は国境を超えて、愛ゆえにバラバラになった一つの家族の歴史を描き出す。これはある種の神話的貴種流離譚だ。
「1917 命をかけた伝令」第一次世界大戦の西部戦線を舞台に、ドイツ軍の罠に誘い込まれたイギリス軍部隊を救うため、二人の兵士が伝令として走る。塹壕から森林まで、第一次世界大戦の全てのステージを駆け抜ける旅は、まるでビデオゲームの様な構造を持つ。観客を“第三の伝令”として物語に巻き込む工夫がユニークだ。
「ミッドサマー」燦々と降り注ぐ白夜の陽光の下で展開する、世にも恐ろしい奇祭を描くアリ・アスターの大怪作。ここで起こっていることは、私たちの価値観から見ると狂気の蛮行だが、見方を変えればこの上なく美しい至福の時でもある。これは祝祭か、それとも忌まわしい呪いか。
「初恋」三池崇史久々の快作。共に愛されることを知らない孤独な二人が出会ったとき、地獄行きの初恋逃避行が始まる。現在ではもう漫画となってしまったヤクザ映画というジャンルの虚構の中、孤独でイノセンスな心を持つ、若い二人の繊細な再生劇を描き出すというセンスに脱帽。
「レ・ミゼラブル」ユゴーの名作が生まれ、今では移民たちの街となったモンフェルメイユを舞台とした現代劇。ここでは正義感や倫理観は無力だ。悪役も善玉もいない。未来も希望もない。ユゴーが19世紀初頭を舞台に描いた格差と社会分断の悲劇は、形を変えて今も繰り返されている。
「娘は戦場で生まれた」1秒たりとも目が離せない。内戦が続くシリア最大の都市アレッポで、スマホを使って映像を撮り始めた一人の女子学生が見た5年間の戦場の記録。過酷な日常が続く中、彼女は妻となり、母となる。これはこの時代のアレッポに生きた人々の記憶の器だ。
「ナイチンゲール」植民者と先住民族との、果てしない戦争が続くタスマニア島を舞台とした、アイルランド人流刑囚の女性の復讐劇。オーストラリアの血塗られた歴史を背景に、どうしようもなく弱く愚かな人間たちの悲劇を通し、描かれるのはこの世界に必要な愛や寛容の物語だ。
「許された子どもたち」同級生をいじめ殺した加害者の少年を軸に、事件によって人生を狂わされてしまった、狂わせてしまった人々のドラマが描かれる。果たして、法律で「無罪」とされ贖罪の機会を失うことは、加害者にとって幸せに繋がるのだろうか?観る者の倫理観が試される。
「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」何度も映画化されてきた古典文学の新解釈。基本的プロットは原作に忠実に、四姉妹の物語を通して、女性の生き方や幸せの意味が描かれる。しかし主人公の次女ジョーを原作者と同一視するメタ構造により、モダンな視点を獲得している。
「ハニーランド 永遠の谷」北マケドニアの人里離れた谷に暮らす、ヨーロッパ最後の自然養蜂家の女性を描く。400時間に及ぶ膨大なフッテージは、ドキュメンタリーでありながら劇映画の様な三幕構造を可能とし、生身の女性の人生のドラマがリアリティたっぷりに浮かび上がってくる。
「はちどり」四半世紀前の高度成長期のソウルを舞台に、中学二年生の少女が自分と家族を含めた社会との関係を発見してゆく物語。今よりももっと女性が生き辛かった時代の、思春期の揺れ動く心をリリカルに描いた。ある意味、本作の主人公の大人になった姿とも言える「82年生まれ、キム・ジヨン」も素晴らしかった。
「劇場」売れない劇作家兼演出家が、役者志望の学生・沙希と恋に落ちてから、およそ10年間の物語。主人公を演じる山崎賢人のダメ人間っぷりが最高。これは言わば演劇という虚構の現実を夢見た若者の、青春の始まりと終わりを描いた行定勲版の「ラ・ラ・ランド」だ。
「アルプススタンドのはしの方」高校野球の応援に駆り出された問題を抱えた高校生たちが、それぞれの挫折とどう向き合うのかの物語。一度も映らないグランドでは、高校野球の熱闘が繰り広げられていて、その試合の展開が登場人物たちの心を変えてゆく。演劇ベースのユニークな作品だ。
「海辺の映画館 キネマの玉手箱」元祖映像の魔術師・大林宣彦の、過去作を全て内包する集大成にして遺作。映画を観に来ていた三人の若者たちは、いつの間にかスクリーンの世界に飛び込み、映画のヒロインたちが戦争の犠牲となるのを目撃する。文字通りに命を削って作り上げた最後のメッセージ。監督、お疲れ様でした。
「マロナの幻想的な物語り」一匹の犬が車に轢かれて死ぬ瞬間から、彼女の波乱万丈の犬生を回想する、リリカルなアニメーション映画。犬の視点で描かれ、ディフォルメされた抽象アニメーションは視覚的な驚きに満ちている。動物の持つ共感力に感銘を受け、その深い愛情に涙する。
「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」感情を持たない“武器”として戦争を生き抜いた少女ヴァイオレットの物語。あの痛ましい事件と、コロナ禍による二度の公開延期を乗り越え、京都アニメーションの復活の狼煙となる心ふるえる魂の傑作だ。TVシリーズから追い続けたファンに、観たかったものを見せてくれる完璧な完結編となった。
「ミッドナイトスワン」草彅剛演じるトランスジェンダー女性と、母に捨てられた中学生の少女、生き辛さを抱えた二人が出会った時、彼女らの人生にドラマチックな化学反応が起こる。バレエ「白鳥の湖」をベースにした、とことんまで俗っぽく、泥臭い人間たちにより真実の愛を巡る物語だ。
「鬼滅の刃 無限列車編」19年ぶりに映画興行記録を塗り替えた大ヒット作。作品としても面白かったが、社会現象となるほどの作品は久しぶりで、これほど”unforgettable”な作品もないだろう。ただ、コロナで作品が少なかったから出来た“全集中の興行”は、ある意味パンドラの箱とも言えるもので、今後の日本の映画興行のスタイルを変えるかも知れない。
「朝が来る」特別養子縁組制度で子供を授かった夫婦と、産んだ子を養子に出さざるを得なかった少女。河瀬直美は、深い共感を持って二人の“母”の葛藤を描いてゆく。なぜ少女は6年後に我が子の前に再び現れたのか。一つの事象を多面から丁寧に捉え、映画的な完成度が非常に高い。
「罪の声」星野源演じる主人公が、過去の犯罪の脅迫テープに、子供の頃の自分の声が使われていたことに気付いた時、止まっていた時計が動き出す。本当に最悪の罪を犯したのは誰なのか?昭和の日本を震撼させた劇場型犯罪「グリコ・森永事件」をモチーフに、真実の罪の所在を明らかにする傑作ミステリ。
「タイトル、拒絶」都内のデリヘルに勤める女と男の群像劇。全員が社会不適合者で、いつかは沈む同じ泥舟に乗っている。地べたに這いつくばって生きる、クソみたいな人生にタイトルなんて上等なものはいらない・・・とは言うものの全ての人生に、たとえタイトルは無くてもしっかり物語はあるのだ。
「Mank /マンク」脚本家ハーマン・J・マンキーウィッツ、通称“マンク”は、いかにして映画史に輝く「市民ケーン」をものにしたのか。映画は1930年代のハリウッドを舞台に、皮肉屋でウィットに富むマンクの目を通し、虚飾の街ハリウッドを描き出す。そこに見えてくるのは現在のアメリカだ。
「シカゴ7裁判」1968年のシカゴで、暴動を先導したとして逮捕された左翼活動家たちの裁判劇。今年の大統領選挙にぶつけた企画で、50年前の物語に描かれる、デモ隊と警察と人種差別、そして権力の側からの扇動といったモチーフは、まさに先日までニュースで見ていた映像そのもの。
「ミセス・ノイズィ」落ち目の小説家が、隣家の迷惑おばさんを題材に新作を発表したことから、世間を巻き込み人生を変える大騒動に。これは、あらゆるコミュニケーションツールが存在しているのに、根本の部分で不通である現代ニッポン人の物語で、日常を舞台としたもう一つの「羅生門」だ。
「燃ゆる女の肖像」すべての女性にとって“自由”が特別の権利だった時代。フランスの孤島で出会った画家とモデルが、人生で一度だけの真実の恋をする。視線のドラマであり、お互いを見つめ合う双方の眼差しの交錯によって感情が語られる。まるで格調高い少女漫画のような世界観が印象的。
「アンダードッグ 前編/後編」ボクシング映画の新たな金字塔。かつての栄光を忘れられず、今では“咬ませ犬=アンダードッグ”に身を落とした主人公を軸に描かれる、それぞれに閉塞を抱えた三人のプロボクサーの物語。これは“終わらせ方”に関する物語で、ボクシングというジャンル映画以上の普遍性がある。
「私をくいとめて」のんさん演じるお一人さま生活を満喫する主人公が、年下男性に恋をして、お二人さま目指して葛藤する。主人公と脳内の心の声の掛け合いで展開するのがユニーク。ストーリーの基本骨格は、大九明子監督の前作「甘いお酒でうがい」とも共通だが、非常に共感力が強いのが特徴だ。
「FUNAN フナン」70年代、クメール・ルージュ支配下のカンボジア。デニス・ドゥ監督の母をモデルとした一人の女性の苦難の旅路が描かれる。コンパクトな上映時間の中で、描かれている辛いことが多すぎて、本来ならば悲劇であるはずの終盤のある事件すら、“希望”と感じてしまうのが悲しい。
以上、劇場・配信取り混ぜての32本。
うち12本が女性監督の作品で過去最多だが、彼女たちによるフェミニズム的視点を持った作品に、印象深いものが多かったと思う。
今年は劇場鑑賞が減った分、Netflixとアマプラを観まくったので、トータルの本数は例年とあまり変わらなかった。
下半期はハリウッド大作が「TENET テネット」と「ワンダーウーマン 1984」くらいしか公開されなかったが、配信に流れた作品も多く「タイラー・レイク-命の奪還-」や「ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから」「ザ・ファイブ・ブラッズ」など秀作が多くあった。
また、日本映画や他の国の作品は豊作。
特にアニメーションは邦洋共に素晴らしく、「ドラえもん のび太の新恐竜」や「ポケットモンスター ココ」、「魔女見習いを探して」といったシリーズ作品は、ディープでワイドなアニメーション文化を持つ、日本以外では生まれない作品。
一方で「失くした体」や「ウルフウォーカー」、「ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒」、「羅小黒戦記~ぼくが選ぶ未来~」といった洋画作品は、表現の多様性の豊さを見せてくれる。
2021年は、とりあえず元日が映画の日。
新年のレビューは東京国際映画祭で鑑賞した「新感染半島 ファイナル・ステージ」から再開する予定。
果たしてコロナは終息するのか、皆さんもお気をつけてお過ごしください。

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2019年12月29日 (日) | 編集 |
2010年代最後の年、映画を特徴付けたのは二つの「A」、即ちアメコミとアニメーションだった。
アメコミ映画では、集大成の「アベンジャーズ /エンドゲーム」を放ったマーベルはもちろん、昨年まではライバルに水を開けられていたDCも驚くべき傑作を連発。
もう一つの「A」に関しては日米という馴染みのアニメーション大国だけでなく、様々な国から手法的にも内容的にもバラエティに富んだ秀作が揃った。
年の最後に、「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」という、ディケイドを代表する逸品が現れたのも印象深い。
一方で、多くの才能あるクリエイターが理不尽な暴力で攻撃された、京都アニメーションの放火殺人事件は、世界に衝撃を与える痛ましい記憶となってしまった。
改めて、犠牲者のご冥福と、心と体に傷を負われた方々の回復を祈りたい。
それでは、今年の「忘れられない映画たち」をブログでの紹介順に。
例によって、評価額の高さや作品の完成度は関係なく、あくまでも12月末の時点での“忘れられない度”が基準。
「バジュランギおじさんと、小さな迷子」パキスタンから来た小さな迷子を故郷へと帰すため、ハヌマーン神に誓いを立てたインド人のバジュランギおじさんが奮闘する。インドとパキスタン、二つの国の絡み合った憎しみの関係が、国境を越えてやってきた愛によって溶けてゆくプロセスは感動的だ。
「サスペリア」ルカ・グァダニーノ監督の最新作は、背徳感全開の挑戦的な怪作。伝説的な作品のリメイクという体裁をとりながら、20世紀のドイツ史をモチーフにした、驚くべき暗喩劇に仕上げている。ここで我々は、常に人間の罪と悲しみと共にあり、残酷で慈悲深き真の魔女の誕生譚を目撃するのである。
「バーニング 劇場版」巨匠イ・チャンドン監督が、村上春樹の「納屋を焼く」を映画化した作品。謎の青年ベンの言葉「時々ビニールハウスを燃やす」の意味とは。原作に忠実な95分のテレビドラマ版と、これを内包する148分の劇場版が存在するユニークなプロジェクト。見えてくるのは韓国現代社会のカリカチュアだ。
「アクアマン」一昨年の「ジャスティス・リーグ」でデビューした、海のヒーローの単体作。破天荒な内容とジェームズ・ワンの演出の相性が抜群で、ムチャクチャ楽しい娯楽大作に仕上がっている。神話の再構築である本作は、鉄板の安定感で調理され、刺激的なスパイスで味付けされた“ザ・貴種流離譚”。DCEUのベストだ。
「ファースト・マン」デミアン・チャゼルの新境地。人類を未知の世界へと導いた、アポロ11号のニール・アームストロング船長とは何者だったのか。アメリカの世紀の栄光の神話に、“英雄”として閉じ込められていたアームストロングを、心に深い悲しみを抱えた一人の父親、一人の夫、一人の人間として解き放った作品だ。
「あの日のオルガン」東京に空襲の脅威が迫る中、若い保母たちが多くの幼い子供たちを連れて農村に避難し、“疎開保育園”を開設したという実話ベースの物語。しかしそれでも、戦争の暴力は彼女たちを脅かしてゆく。「どこまで逃げても、戦争が追いかけてくる」恐ろしさが、実感を持って描かれている。
「スパイダーマン:スパイダーバース」長年にわたるディズニー・ピクサーの牙城を崩し、アカデミー長編アニメーション映画賞を受賞した傑作。並行宇宙から現れた個性豊かな五人のスパイダーマンの戦いは、まるでコミックが動き出したかのような奇抜なビジュアルで描かれ、驚くべき未見性を生み出している。
「グリーンブック」人種差別が公然のものだった50年代。危険な“デイープ・サウス”へのツアーに向かう天才黒人ピアニストと、彼の運転手として雇われたイタリア系の強面用心棒の、友情のグランドツーリングを描くロードムービー。最大公約数に訴求する普遍性と今の時代にも響くテーマ性は、アカデミー作品賞に相応しい。
「ブラック・クランズマン」白人至上主義団体のKKKを摘発するため、黒人刑事と白人刑事のコンビが実行した、まさかの潜入捜査を描く実話ベースの作品。ハリウッドの映画産業に対するメタ的な視点も含めて、スパイク・リーらしい熱い怒りを秘めた寓話。優等生的な「グリーンブック」のアンチテーゼとしても面白い。
「バイス」ブッシュ政権の副大統領として知られる、ディック・チェイニーの半生を描いた批判的ブラックコメディ。その日暮らしのダメ人間が、いかにして“影の大統領”と呼ばれるほどの権力者となり得たのか。まだ存命中の政財界の大物を、ここまで辛辣にこき下ろしちゃうのが、アメリカという国の面白いところだ。
「アベンジャーズ/エンドゲーム」マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)の12年間、22本目の総決算。ここには映画で描ける人間の感情のすべてがある。MCUは前日譚にあたる「キャプテン・マーベル」も本作の後日譚にあたる「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」も素晴らしい仕上がりだった。
「響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜」京都アニメーションの青春音楽群像劇、シリーズ完結編に相応しい見事な仕上がり。キャラクターと時系列を共有するスピンオフ「リズと青い鳥」との対比も面白い。7月に起こった恐ろしい事件では、本作のスタッフも多くが犠牲となってしまったが、この素晴らしい映画が彼らが生きた何よりの証だ。
「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」レジェゴジ第二弾は、大迫力の怪獣プロレス。ゴジラだけでなく、ギドラ、ラドン、モスラの東宝4大怪獣が登場し、惜しげも無く大バトルを展開する。怪獣の足元からの人間目線のショットは凄まじい迫力で、まったく生きた心地がせず、荒ぶる神たちにひれ伏して祈りたくなるほど。
「小さな恋のうた」沖縄出身の人気バンド、MONGOL800の代表作、「小さな恋のうた」をモチーフにした青春音楽映画。あえて沖縄的な要素を封印することで、米軍基地のある生活を普遍的な日常へと落とし込んだ。基地のフェンスをこえる歌声は、複雑な葛藤が折り重なる沖縄の未来に対する希望とオーバーラップする。
「海獣の子供」我々はどこから来て、どこへ向かっているのか。海洋の神秘の世界を舞台にした、五十嵐大介の同名傑作漫画のアニメーション映画化。少年少女の、リリカルな夏休みジュブナイルから始まる物語は、生と死が混じり合う海と陸の境界を超えて、地球の深層に隠されたこの宇宙の秘密を描き出す。
「トイ・ストーリー4」おもちゃとゴミの違いとは?前作までは、基本的におもちゃと持ち主の子どもの関係で物語が語られていたが、本作で問われるのはおもちゃ自身の生き方の問題。いわば人間社会の多様性を、いくつものおもちゃ生で比喩した作品で、劇中繰り返される「内なる声を聞け」という台詞が全てだ。
「天気の子」前作の大ヒットのプレッシャーもなんのその。作家性全開、やりたい放題の大怪作だ。少女にかわって少年が疾走する本作の展開は、時間巻き戻しという、ある意味究極の禁じ手を使った前作よりも強引。新海誠の作品世界では“アイ”に勝る価値のあるものは無く、そのためならどんなことでも許される。
「アルキメデスの大戦」戦艦大和はなんのために作られたのか。当時の軍備を大規模な公共事業として経済の視点から捉え、数字から読み解くと同時に、遠い未来までも視野に入れた、ある種の“日本論”となっている非常にユニークな作品だ。数式では定義しきれないのが、人間の歴史。大和建造の、本当の目的が語られる瞬間は、思わず背筋がゾーッ。
「存在のない子供たち」レバノンの貧民街に生まれ育った12歳の少年が、「勝手に僕を産んだ罪」で両親を訴える。両親は二級市民で、少年は教育も受けられず、自分の年齢すら知らない。社会のセーフティーネットから抜け落ちた、“インビジブル・ピープル”としての誕生は、はたして祝いなのか、それとも呪いなのか。
「エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ」ミドルスクールの最終学年、「エイス・グレード(8年生)」の卒業までの最後の2週間を描く瑞々しい青春映画。内向的でネット中毒気味の少女の、自分を知って欲しい、見て欲しいという承認欲求は空回り。娘が心配でたまらないお父さんとの、愛おしくもイタタな日常の物語。
「見えない目撃者」視力を失った元女性警察官が、猟奇殺人犯と対決する。韓国映画のリメイクだが、オリジナル韓国版も中国リメイク版も軽々と超え、ぶっちゃけはるかに面白い。クライマックスで拉致された少女を守るため、見えない目で犯人に立ちはだかる吉岡里帆は、ダーティーハリー並みのカッコ良さ。
「ジョーカー」DCを代表するスーパーヴィラン誕生譚。しかし、本作の世界にヒーローは登場せず、超格差社会の中で居場所を失った青年が、いかにして心を病んで世間そのものを憎悪する新たな人格“ジョーカー”となったのかを描く。社会格差の広がりは、昨今の映画を語る上での重要なキーワードだが、今年の世相に一番フィットした作品と言えるかも知れない。
「空の青さを知る人よ」痛くて切なくて優しい、超平和バスターズの三作目。幼い頃に親を亡くし、13歳年上の姉と暮らす高校生の主人公の元に、姉の元カレがなぜか13年前の姿で現れる。超自然的なシチュエーションを通し、三人はお互いの想いを知って成長してゆく。昭和世代としては、懐かしの「ガンダーラ」が重要なモチーフ曲になっているのが嬉しい。
「エセルとアーネスト ふたりの物語」レイモンド・ブリッグスが、最愛の両親のために作った、愛情たっぷりの“記憶の器”。1928年にはじまり、40年以上にわたる結婚生活が描かれる。時代は移り変わっても、二人の間にはゆったりとした時間が流れ、対照的に英国の社会は急速に変貌してゆく。個人史と社会史の、流れる速度の違いが面白い。
「IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。」前作から27 年後、大人になったルーザーズたちが、再び現れたペニー・ワイズと対決する完結編。大人編ならではの、酸いも甘いも嚙み分けたビターなテイストも加わり、ギミック満載のホラーと見応えある人間ドラマがバランスした、再びの快作となった。
「アイリッシュマン」本来劇場用ではなく、NETFLIXオリジナル作品として作られた実に210分の大長編。マーティン・スコセッシにとっては、アメリカ現代史の裏側を描く、ある意味で集大成的な作品となった。必ずしも劇場向きの作品ではないと思うが、配信と割り切った作りが予想外の面白さに繋がっていることが、映画の新しい可能性を感じさせる。
「幸福路のチー」蒋介石が死んだ日に生まれ、台北の幸福路で育ったチーの“幸せ”を探す物語。幼い頃の思い出、必死の受験勉強、大学で学生運動にのめり込み、就職して記者となり、やがて人生に疲れ切ってアメリカへ。この作品も、戦後の台湾現代史のクロニクルが、主人公の個人史とシンクロしてゆくのがとても興味深い。
「ヒックとドラゴン 聖地への冒険」三部作、有終の美。似た者同士の落ちこぼれ少年とぼっちドラゴンは、お互いに影響し合って大人になり、恋の季節の到来とともに責任を伴う居場所を見つける。愛する存在を本当に守りたいと思った時、とるべきチョイスは何か。ヒックとトゥースレスの成長物語として、これ以上の物語のおとし方はないだろう。
「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」10年代の最後に登場した、このディケイドのベスト・オブ・ベスト。オリジナルを内包しながら、40分以上伸びた尺の分、主人公のすずさんの内面はディープに掘り下げられ、彼女の目を通した“さらにいくつもの”世界の片隅に生きる人々の物語が紡がれる。もはやそのバリューはプライスレス。永久保存すべき国宝級の名作である。
以上29本。
今年は実話ベースの歴史ドラマに秀作が多く、第二次世界大戦末期にドイツで起こった事件を元にした「ちいさな独裁者」、関東大震災後に帝国を揺るがした恋人たちを描く「金子文子と朴烈」、アン女王時代の英国を舞台としたヨルゴス・ランティモスの大怪作「女王陛下のお気に入り」、記憶に新しいムンバイ同時多発テロを描いた「ホテル・ムンバイ」などが素晴らしかった。
実話ではないが、毛沢東時代への愛憎が入り混じる「芳華-Youth-」や、冷戦期のポーランドを舞台とした「COLD WAR あの歌、2つの心」も心に残る。
そして、年の瀬に83歳の巨匠ケン・ローチから届けられた「家族を想う時」は、「存在のない子供たち」や「ジョーカー」でもモチーフとなった格差の問題が、もはや汎世界的イシューであることを端的に示している。
何気に「IT/イット」以外のホラー映画も豊作で、色々ツッコミどころは多いものの、ジョーダン・ピールの「アス」は、格差をモチーフにしたユニークな作品だったし、「ハッピー・デス・デイ/ハッピー・デス・デイ 2U」二部作の色々振り切った主人公は、今年の私的ベストキャラクター(笑
それでは皆さま、良いお年を。
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アメコミ映画では、集大成の「アベンジャーズ /エンドゲーム」を放ったマーベルはもちろん、昨年まではライバルに水を開けられていたDCも驚くべき傑作を連発。
もう一つの「A」に関しては日米という馴染みのアニメーション大国だけでなく、様々な国から手法的にも内容的にもバラエティに富んだ秀作が揃った。
年の最後に、「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」という、ディケイドを代表する逸品が現れたのも印象深い。
一方で、多くの才能あるクリエイターが理不尽な暴力で攻撃された、京都アニメーションの放火殺人事件は、世界に衝撃を与える痛ましい記憶となってしまった。
改めて、犠牲者のご冥福と、心と体に傷を負われた方々の回復を祈りたい。
それでは、今年の「忘れられない映画たち」をブログでの紹介順に。
例によって、評価額の高さや作品の完成度は関係なく、あくまでも12月末の時点での“忘れられない度”が基準。
「バジュランギおじさんと、小さな迷子」パキスタンから来た小さな迷子を故郷へと帰すため、ハヌマーン神に誓いを立てたインド人のバジュランギおじさんが奮闘する。インドとパキスタン、二つの国の絡み合った憎しみの関係が、国境を越えてやってきた愛によって溶けてゆくプロセスは感動的だ。
「サスペリア」ルカ・グァダニーノ監督の最新作は、背徳感全開の挑戦的な怪作。伝説的な作品のリメイクという体裁をとりながら、20世紀のドイツ史をモチーフにした、驚くべき暗喩劇に仕上げている。ここで我々は、常に人間の罪と悲しみと共にあり、残酷で慈悲深き真の魔女の誕生譚を目撃するのである。
「バーニング 劇場版」巨匠イ・チャンドン監督が、村上春樹の「納屋を焼く」を映画化した作品。謎の青年ベンの言葉「時々ビニールハウスを燃やす」の意味とは。原作に忠実な95分のテレビドラマ版と、これを内包する148分の劇場版が存在するユニークなプロジェクト。見えてくるのは韓国現代社会のカリカチュアだ。
「アクアマン」一昨年の「ジャスティス・リーグ」でデビューした、海のヒーローの単体作。破天荒な内容とジェームズ・ワンの演出の相性が抜群で、ムチャクチャ楽しい娯楽大作に仕上がっている。神話の再構築である本作は、鉄板の安定感で調理され、刺激的なスパイスで味付けされた“ザ・貴種流離譚”。DCEUのベストだ。
「ファースト・マン」デミアン・チャゼルの新境地。人類を未知の世界へと導いた、アポロ11号のニール・アームストロング船長とは何者だったのか。アメリカの世紀の栄光の神話に、“英雄”として閉じ込められていたアームストロングを、心に深い悲しみを抱えた一人の父親、一人の夫、一人の人間として解き放った作品だ。
「あの日のオルガン」東京に空襲の脅威が迫る中、若い保母たちが多くの幼い子供たちを連れて農村に避難し、“疎開保育園”を開設したという実話ベースの物語。しかしそれでも、戦争の暴力は彼女たちを脅かしてゆく。「どこまで逃げても、戦争が追いかけてくる」恐ろしさが、実感を持って描かれている。
「スパイダーマン:スパイダーバース」長年にわたるディズニー・ピクサーの牙城を崩し、アカデミー長編アニメーション映画賞を受賞した傑作。並行宇宙から現れた個性豊かな五人のスパイダーマンの戦いは、まるでコミックが動き出したかのような奇抜なビジュアルで描かれ、驚くべき未見性を生み出している。
「グリーンブック」人種差別が公然のものだった50年代。危険な“デイープ・サウス”へのツアーに向かう天才黒人ピアニストと、彼の運転手として雇われたイタリア系の強面用心棒の、友情のグランドツーリングを描くロードムービー。最大公約数に訴求する普遍性と今の時代にも響くテーマ性は、アカデミー作品賞に相応しい。
「ブラック・クランズマン」白人至上主義団体のKKKを摘発するため、黒人刑事と白人刑事のコンビが実行した、まさかの潜入捜査を描く実話ベースの作品。ハリウッドの映画産業に対するメタ的な視点も含めて、スパイク・リーらしい熱い怒りを秘めた寓話。優等生的な「グリーンブック」のアンチテーゼとしても面白い。
「バイス」ブッシュ政権の副大統領として知られる、ディック・チェイニーの半生を描いた批判的ブラックコメディ。その日暮らしのダメ人間が、いかにして“影の大統領”と呼ばれるほどの権力者となり得たのか。まだ存命中の政財界の大物を、ここまで辛辣にこき下ろしちゃうのが、アメリカという国の面白いところだ。
「アベンジャーズ/エンドゲーム」マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)の12年間、22本目の総決算。ここには映画で描ける人間の感情のすべてがある。MCUは前日譚にあたる「キャプテン・マーベル」も本作の後日譚にあたる「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」も素晴らしい仕上がりだった。
「響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜」京都アニメーションの青春音楽群像劇、シリーズ完結編に相応しい見事な仕上がり。キャラクターと時系列を共有するスピンオフ「リズと青い鳥」との対比も面白い。7月に起こった恐ろしい事件では、本作のスタッフも多くが犠牲となってしまったが、この素晴らしい映画が彼らが生きた何よりの証だ。
「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」レジェゴジ第二弾は、大迫力の怪獣プロレス。ゴジラだけでなく、ギドラ、ラドン、モスラの東宝4大怪獣が登場し、惜しげも無く大バトルを展開する。怪獣の足元からの人間目線のショットは凄まじい迫力で、まったく生きた心地がせず、荒ぶる神たちにひれ伏して祈りたくなるほど。
「小さな恋のうた」沖縄出身の人気バンド、MONGOL800の代表作、「小さな恋のうた」をモチーフにした青春音楽映画。あえて沖縄的な要素を封印することで、米軍基地のある生活を普遍的な日常へと落とし込んだ。基地のフェンスをこえる歌声は、複雑な葛藤が折り重なる沖縄の未来に対する希望とオーバーラップする。
「海獣の子供」我々はどこから来て、どこへ向かっているのか。海洋の神秘の世界を舞台にした、五十嵐大介の同名傑作漫画のアニメーション映画化。少年少女の、リリカルな夏休みジュブナイルから始まる物語は、生と死が混じり合う海と陸の境界を超えて、地球の深層に隠されたこの宇宙の秘密を描き出す。
「トイ・ストーリー4」おもちゃとゴミの違いとは?前作までは、基本的におもちゃと持ち主の子どもの関係で物語が語られていたが、本作で問われるのはおもちゃ自身の生き方の問題。いわば人間社会の多様性を、いくつものおもちゃ生で比喩した作品で、劇中繰り返される「内なる声を聞け」という台詞が全てだ。
「天気の子」前作の大ヒットのプレッシャーもなんのその。作家性全開、やりたい放題の大怪作だ。少女にかわって少年が疾走する本作の展開は、時間巻き戻しという、ある意味究極の禁じ手を使った前作よりも強引。新海誠の作品世界では“アイ”に勝る価値のあるものは無く、そのためならどんなことでも許される。
「アルキメデスの大戦」戦艦大和はなんのために作られたのか。当時の軍備を大規模な公共事業として経済の視点から捉え、数字から読み解くと同時に、遠い未来までも視野に入れた、ある種の“日本論”となっている非常にユニークな作品だ。数式では定義しきれないのが、人間の歴史。大和建造の、本当の目的が語られる瞬間は、思わず背筋がゾーッ。
「存在のない子供たち」レバノンの貧民街に生まれ育った12歳の少年が、「勝手に僕を産んだ罪」で両親を訴える。両親は二級市民で、少年は教育も受けられず、自分の年齢すら知らない。社会のセーフティーネットから抜け落ちた、“インビジブル・ピープル”としての誕生は、はたして祝いなのか、それとも呪いなのか。
「エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ」ミドルスクールの最終学年、「エイス・グレード(8年生)」の卒業までの最後の2週間を描く瑞々しい青春映画。内向的でネット中毒気味の少女の、自分を知って欲しい、見て欲しいという承認欲求は空回り。娘が心配でたまらないお父さんとの、愛おしくもイタタな日常の物語。
「見えない目撃者」視力を失った元女性警察官が、猟奇殺人犯と対決する。韓国映画のリメイクだが、オリジナル韓国版も中国リメイク版も軽々と超え、ぶっちゃけはるかに面白い。クライマックスで拉致された少女を守るため、見えない目で犯人に立ちはだかる吉岡里帆は、ダーティーハリー並みのカッコ良さ。
「ジョーカー」DCを代表するスーパーヴィラン誕生譚。しかし、本作の世界にヒーローは登場せず、超格差社会の中で居場所を失った青年が、いかにして心を病んで世間そのものを憎悪する新たな人格“ジョーカー”となったのかを描く。社会格差の広がりは、昨今の映画を語る上での重要なキーワードだが、今年の世相に一番フィットした作品と言えるかも知れない。
「空の青さを知る人よ」痛くて切なくて優しい、超平和バスターズの三作目。幼い頃に親を亡くし、13歳年上の姉と暮らす高校生の主人公の元に、姉の元カレがなぜか13年前の姿で現れる。超自然的なシチュエーションを通し、三人はお互いの想いを知って成長してゆく。昭和世代としては、懐かしの「ガンダーラ」が重要なモチーフ曲になっているのが嬉しい。
「エセルとアーネスト ふたりの物語」レイモンド・ブリッグスが、最愛の両親のために作った、愛情たっぷりの“記憶の器”。1928年にはじまり、40年以上にわたる結婚生活が描かれる。時代は移り変わっても、二人の間にはゆったりとした時間が流れ、対照的に英国の社会は急速に変貌してゆく。個人史と社会史の、流れる速度の違いが面白い。
「IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。」前作から27 年後、大人になったルーザーズたちが、再び現れたペニー・ワイズと対決する完結編。大人編ならではの、酸いも甘いも嚙み分けたビターなテイストも加わり、ギミック満載のホラーと見応えある人間ドラマがバランスした、再びの快作となった。
「アイリッシュマン」本来劇場用ではなく、NETFLIXオリジナル作品として作られた実に210分の大長編。マーティン・スコセッシにとっては、アメリカ現代史の裏側を描く、ある意味で集大成的な作品となった。必ずしも劇場向きの作品ではないと思うが、配信と割り切った作りが予想外の面白さに繋がっていることが、映画の新しい可能性を感じさせる。
「幸福路のチー」蒋介石が死んだ日に生まれ、台北の幸福路で育ったチーの“幸せ”を探す物語。幼い頃の思い出、必死の受験勉強、大学で学生運動にのめり込み、就職して記者となり、やがて人生に疲れ切ってアメリカへ。この作品も、戦後の台湾現代史のクロニクルが、主人公の個人史とシンクロしてゆくのがとても興味深い。
「ヒックとドラゴン 聖地への冒険」三部作、有終の美。似た者同士の落ちこぼれ少年とぼっちドラゴンは、お互いに影響し合って大人になり、恋の季節の到来とともに責任を伴う居場所を見つける。愛する存在を本当に守りたいと思った時、とるべきチョイスは何か。ヒックとトゥースレスの成長物語として、これ以上の物語のおとし方はないだろう。
「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」10年代の最後に登場した、このディケイドのベスト・オブ・ベスト。オリジナルを内包しながら、40分以上伸びた尺の分、主人公のすずさんの内面はディープに掘り下げられ、彼女の目を通した“さらにいくつもの”世界の片隅に生きる人々の物語が紡がれる。もはやそのバリューはプライスレス。永久保存すべき国宝級の名作である。
以上29本。
今年は実話ベースの歴史ドラマに秀作が多く、第二次世界大戦末期にドイツで起こった事件を元にした「ちいさな独裁者」、関東大震災後に帝国を揺るがした恋人たちを描く「金子文子と朴烈」、アン女王時代の英国を舞台としたヨルゴス・ランティモスの大怪作「女王陛下のお気に入り」、記憶に新しいムンバイ同時多発テロを描いた「ホテル・ムンバイ」などが素晴らしかった。
実話ではないが、毛沢東時代への愛憎が入り混じる「芳華-Youth-」や、冷戦期のポーランドを舞台とした「COLD WAR あの歌、2つの心」も心に残る。
そして、年の瀬に83歳の巨匠ケン・ローチから届けられた「家族を想う時」は、「存在のない子供たち」や「ジョーカー」でもモチーフとなった格差の問題が、もはや汎世界的イシューであることを端的に示している。
何気に「IT/イット」以外のホラー映画も豊作で、色々ツッコミどころは多いものの、ジョーダン・ピールの「アス」は、格差をモチーフにしたユニークな作品だったし、「ハッピー・デス・デイ/ハッピー・デス・デイ 2U」二部作の色々振り切った主人公は、今年の私的ベストキャラクター(笑
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2019年09月17日 (火) | 編集 |
18年4月に亡くなった日本アニメーション界の至宝、高畑勲の回顧展。
東映動画時代に始まり、日本アニメーションで手がけた世界名作劇場を経て、スタジオジブリ設立から遺作となった「かぐや姫の物語」まで。
残した仕事にふさわしく、質量ともに圧倒的なボリュームで、下手な映画を何本か観るよりも一日中ここに詰めていたい。

原画やレイアウトの展示も豊富なのだけど、基本的に絵を描かない演出家だけあって、見どころはメモ書きなどの膨大な文書資料だ。
女性的な丸みのある美しい文字で書かれた文章は、静かな情熱を雄弁につたえてくる。
高畑さんはスタッフ全員がプロジェクト全体を把握するべきとして、“制作現場の民主化”を進めた人だから、多くのスタッフによる様々な提案書も残されている。
日本アニメーション史のターニングポイントなった、「太陽の王子 ホルスの大冒険」制作中の、予算を抑えたい会社と、妥協したくない現場の辛辣なやりとりの記録は初めて見たし、宮崎駿が主人公の名前をホルスとヒルダから、パズーとシータに変えたがっていたのは笑った。
確かに出自に秘密を抱える少女と活発な少年の話は共通点があり、ホルスをパズーにしてヒルダをシータに、グルンワルドをムスカ大佐に当てはめれば、ラピュタの原点がホルスなのは納得。
一番唸らされたのは、高畑さん一流の音楽演出の資料で、この人の仕事はやはり圧倒的に豊かな知識と教養に支えられているのがよく分かる。
内田吐夢監督の幻のアニメーション映画企画「竹取物語」のために、東映動画に入社したばかりの高畑さんが書いたメモには、竹取の翁が美しく成長し親離れしてゆくかぐや姫に嫉妬し、彼女を呪うという驚きの愛憎劇の案が書かれているが、これは物語全般への深い素養がないと書けない。
そして「この案はアニメーションには適さないだろう」という冷静な自己分析。
若い時のインプットって、ほんとうに大切なのだなと思わされる。
図録は頑張っているけど、さすがに展示資料全ては載せられていないし、ルーペが無いと読めないレベルにちっちゃくなっているので、現物をじっくり見るのが正解。
常設展も合わせて1500円は安すぎるくらいだし、文書資料をじっくり読んでいくと一日では終わらない量なので、複数回通ってもいい。
ちなみに音声ガイドの声は、アニメーション史をモチーフにしたNHKの朝ドラ「なつぞら」で、高畑さんをモデルとした坂場一久を演じている中川大志。
ドラマでは物腰穏やかな優男風だが、実際にこの天才と仕事をするのは相当な覚悟と実力が必要だっただろう。
オリジナルの登場人物がやたらと多かった「母をたずねて三千里」で、キャラクターデザインと作画監督を務めた小田部羊一は、あまりの激務に妻の奥山玲子に作画監督補佐となることを要請しなんとか乗り切るも、プロジェクト終了後にはマルコの絵を一切描けなくなったそうだ。
現場の高畑さんを知る多くの人は、一度は共に仕事をしたいが、二度はやりたくないと言う。
まさに狂気を秘めた孤高の存在だった。
東京国立近代美術館で10月6日まで。

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東映動画時代に始まり、日本アニメーションで手がけた世界名作劇場を経て、スタジオジブリ設立から遺作となった「かぐや姫の物語」まで。
残した仕事にふさわしく、質量ともに圧倒的なボリュームで、下手な映画を何本か観るよりも一日中ここに詰めていたい。

原画やレイアウトの展示も豊富なのだけど、基本的に絵を描かない演出家だけあって、見どころはメモ書きなどの膨大な文書資料だ。
女性的な丸みのある美しい文字で書かれた文章は、静かな情熱を雄弁につたえてくる。
高畑さんはスタッフ全員がプロジェクト全体を把握するべきとして、“制作現場の民主化”を進めた人だから、多くのスタッフによる様々な提案書も残されている。
日本アニメーション史のターニングポイントなった、「太陽の王子 ホルスの大冒険」制作中の、予算を抑えたい会社と、妥協したくない現場の辛辣なやりとりの記録は初めて見たし、宮崎駿が主人公の名前をホルスとヒルダから、パズーとシータに変えたがっていたのは笑った。
確かに出自に秘密を抱える少女と活発な少年の話は共通点があり、ホルスをパズーにしてヒルダをシータに、グルンワルドをムスカ大佐に当てはめれば、ラピュタの原点がホルスなのは納得。
一番唸らされたのは、高畑さん一流の音楽演出の資料で、この人の仕事はやはり圧倒的に豊かな知識と教養に支えられているのがよく分かる。
内田吐夢監督の幻のアニメーション映画企画「竹取物語」のために、東映動画に入社したばかりの高畑さんが書いたメモには、竹取の翁が美しく成長し親離れしてゆくかぐや姫に嫉妬し、彼女を呪うという驚きの愛憎劇の案が書かれているが、これは物語全般への深い素養がないと書けない。
そして「この案はアニメーションには適さないだろう」という冷静な自己分析。
若い時のインプットって、ほんとうに大切なのだなと思わされる。
図録は頑張っているけど、さすがに展示資料全ては載せられていないし、ルーペが無いと読めないレベルにちっちゃくなっているので、現物をじっくり見るのが正解。
常設展も合わせて1500円は安すぎるくらいだし、文書資料をじっくり読んでいくと一日では終わらない量なので、複数回通ってもいい。
ちなみに音声ガイドの声は、アニメーション史をモチーフにしたNHKの朝ドラ「なつぞら」で、高畑さんをモデルとした坂場一久を演じている中川大志。
ドラマでは物腰穏やかな優男風だが、実際にこの天才と仕事をするのは相当な覚悟と実力が必要だっただろう。
オリジナルの登場人物がやたらと多かった「母をたずねて三千里」で、キャラクターデザインと作画監督を務めた小田部羊一は、あまりの激務に妻の奥山玲子に作画監督補佐となることを要請しなんとか乗り切るも、プロジェクト終了後にはマルコの絵を一切描けなくなったそうだ。
現場の高畑さんを知る多くの人は、一度は共に仕事をしたいが、二度はやりたくないと言う。
まさに狂気を秘めた孤高の存在だった。
東京国立近代美術館で10月6日まで。

