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2006年01月05日 (木) | 編集 |
あけましておめでとうございます。
新年の一発目は角川春樹の起死回生の一打。
実妹の辺見じゅんのノンフィクション「男たちの大和」の映画化だ。
どうもヒットしているらしい。
大和世代からヤマト世代まで、その象徴性と悲劇的最後も相俟って、戦艦大和の物語はたぶん日本人の琴線に触れる部分があるんだろう。
正直言って、角川春樹と佐藤純彌って取り合わせは80年代で終わってる気がするし、ひたすらセンチメンタルなバカ映画なんだろうなあと思いつつ観に行った。
物語は現在から始まる。
戦後60年目の2005年。
戦艦大和の生き残りで、漁師として世捨て人の様に生きてきた神尾克己の元に、一人の女性が現れる。
彼女は大和で神尾の上官だった内田二曹の娘で、どうしても大和が沈んだ海に行きたいという。
戸惑いながらも彼女の要求を受け入れ、大和最後の海へと向かう神尾の脳裏に、昭和17年から20年にかけて、大和の中間達と共に過ごした激動の時代が蘇る・・・・
原作は未読だが、現在を基点に過去を回想するという手法は、まあ「タイタニック」と「プライベート・ライアン」をパクって・・・いや参考にしたのだろう。
映画全体も、上記二本の強い影響の元に作られているのは一目瞭然だ。
過ぎ去った60年前の過去を、現在の物語として蘇らせる。
ありきたりではあるが、映画的な文法としては正しい。
ただ本家の二本と違って、あまり成功しているとは言えない。
せっかく現在のフィルターをかけて過去を見るという文法で描いてるのに、「男たちの大和」には現在の視点が見えない。
この映画でライアン二等兵に当たる役は仲代達也なんだけど、彼自身があまりにも強烈な戦争体験のせいで、昭和20年で思考停止してしまってる設定なんで、結局映画のどこにも現在の視点はないのだ。
最後の最後で「何で60年も生かされてきたのか理由が判った」という台詞があるのだが、たった一言で片付けられてもねえ。
わたしゃ全然判らなかったよ。
仲代達也の戦後より、孤児を集めて11人も育て上げたという設定の、中村獅童演じる内田二曹の戦後の方がよほど興味深い。
設定だけで描かれてないんだけどね。(笑
本来この映画におけるテーマは「現在から眺めた大和とその時代とは」って事なんだろうけど、元々の映画の仕掛けが機能不全に陥っているので、何が言いたいのか全然判らない。
「ああ、激しく辛かったが、純粋で美しかったわが青春」という単なるセンチメンタルな泣かせ映画になってしまってるんではという予感的中。 (まあ泣ければ良いという人には良いかもしれない)
テーマが見えず、愛する者との別離と死という判りやすい泣かせのシチュエーションだけになってしまってる。
勿論それがテーマを描き出していれば、それでも良いのだが、中途半端に群像劇にしてしまってるだけに、個々を描くエピソードが断片的で弱い。
愛する者を守るため、あるいは新生日本の礎になるため、など劇中では幾つかの「死ぬ理由」が語られる。
でもねえ、正直言って無謀な戦争で死ぬしかない状況に置かれてしまったので、ヤケクソでそう思うしかなかった様にしか見えなかった。
大体映画ではあの戦争の意味も何も語られてないんだから、納得出来る死など描ける訳が無い。
登場人物達は、目の前の敵との戦いについては考え語っても、誰一人として戦争その物の意味には触れない。
「俺たちは新しい日本の礎になるために散る、それでイイではないか」とか言われても説得力無い。
右系の人に怒られるかも知れないが、私ならイヤだよ。散りたい人は勝手に散ってください。
少なくとも無能な為政者に皮肉の一つも言って散るね。
「いや、ヤケクソでもそう思うしかなかった時代だったんだ!」という意見もあるだろうが、それならはじめから現在を基点になどしなければ良かったのだ。
実際に60年前に生きた人々が、この映画に出てくるほど単純に死を受け入れた訳じゃないだろう。
彼らには「プライベート・ライアン」に描かれていたように、それぞれプライベートな戦う理由があった(又は見つけた)はずだし、もちろん中には映画の様に無理やり自分を納得させて死地へ赴いた人もいるだろう。
だが、六十年後に作られたこれは、当時の人々の個々の人生へのリスペクトというよりも、現代人の懐古趣味が勝ってしまったように思える。
劇中やたらと米軍の記録映像が出てくるのだが、この扱いのテキトーさを見ても、歴史的事実を描写する事への真摯さは全く見られない。
タイトルロールの「大和」もあまりキャラが立っているとは言えない。
でかいセットを作ったは良いけど、甲板ばっかり出てくるので、艦の全体像、若者たちを抱く「大和という存在」があまり見えない。
このあたりも「タイタニック」とのセンスの差が一目瞭然になってしまう。
全体に「男たちの大和 YAMATO」は、映画自体が時代遅れの巨大戦艦そのものだ。
映画としては破綻したB級映画だが、象徴性でなんとか持っているという感じだった。
さて、なんか正月の酔いも醒めてしまったけど、戦艦大和には日本酒の「加茂鶴」が乗っていたらしく、この映画でも乗組員が呑んでるシーンがある。
「加茂鶴」自体は広島のおいしいお酒なんでオススメ。
映画で泣けた人には勿論、泣けなかった人には口直しの一杯として良いかも。
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純米 加茂鶴 1900円
新幹線大爆破 佐藤純彌のこれは傑作
新年の一発目は角川春樹の起死回生の一打。
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どうもヒットしているらしい。
大和世代からヤマト世代まで、その象徴性と悲劇的最後も相俟って、戦艦大和の物語はたぶん日本人の琴線に触れる部分があるんだろう。
正直言って、角川春樹と佐藤純彌って取り合わせは80年代で終わってる気がするし、ひたすらセンチメンタルなバカ映画なんだろうなあと思いつつ観に行った。
物語は現在から始まる。
戦後60年目の2005年。
戦艦大和の生き残りで、漁師として世捨て人の様に生きてきた神尾克己の元に、一人の女性が現れる。
彼女は大和で神尾の上官だった内田二曹の娘で、どうしても大和が沈んだ海に行きたいという。
戸惑いながらも彼女の要求を受け入れ、大和最後の海へと向かう神尾の脳裏に、昭和17年から20年にかけて、大和の中間達と共に過ごした激動の時代が蘇る・・・・
原作は未読だが、現在を基点に過去を回想するという手法は、まあ「タイタニック」と「プライベート・ライアン」を
映画全体も、上記二本の強い影響の元に作られているのは一目瞭然だ。
過ぎ去った60年前の過去を、現在の物語として蘇らせる。
ありきたりではあるが、映画的な文法としては正しい。
ただ本家の二本と違って、あまり成功しているとは言えない。
せっかく現在のフィルターをかけて過去を見るという文法で描いてるのに、「男たちの大和」には現在の視点が見えない。
この映画でライアン二等兵に当たる役は仲代達也なんだけど、彼自身があまりにも強烈な戦争体験のせいで、昭和20年で思考停止してしまってる設定なんで、結局映画のどこにも現在の視点はないのだ。
最後の最後で「何で60年も生かされてきたのか理由が判った」という台詞があるのだが、たった一言で片付けられてもねえ。
わたしゃ全然判らなかったよ。
仲代達也の戦後より、孤児を集めて11人も育て上げたという設定の、中村獅童演じる内田二曹の戦後の方がよほど興味深い。
設定だけで描かれてないんだけどね。(笑
本来この映画におけるテーマは「現在から眺めた大和とその時代とは」って事なんだろうけど、元々の映画の仕掛けが機能不全に陥っているので、何が言いたいのか全然判らない。
「ああ、激しく辛かったが、純粋で美しかったわが青春」という単なるセンチメンタルな泣かせ映画になってしまってるんではという予感的中。 (まあ泣ければ良いという人には良いかもしれない)
テーマが見えず、愛する者との別離と死という判りやすい泣かせのシチュエーションだけになってしまってる。
勿論それがテーマを描き出していれば、それでも良いのだが、中途半端に群像劇にしてしまってるだけに、個々を描くエピソードが断片的で弱い。
愛する者を守るため、あるいは新生日本の礎になるため、など劇中では幾つかの「死ぬ理由」が語られる。
でもねえ、正直言って無謀な戦争で死ぬしかない状況に置かれてしまったので、ヤケクソでそう思うしかなかった様にしか見えなかった。
大体映画ではあの戦争の意味も何も語られてないんだから、納得出来る死など描ける訳が無い。
登場人物達は、目の前の敵との戦いについては考え語っても、誰一人として戦争その物の意味には触れない。
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右系の人に怒られるかも知れないが、私ならイヤだよ。散りたい人は勝手に散ってください。
少なくとも無能な為政者に皮肉の一つも言って散るね。
「いや、ヤケクソでもそう思うしかなかった時代だったんだ!」という意見もあるだろうが、それならはじめから現在を基点になどしなければ良かったのだ。
実際に60年前に生きた人々が、この映画に出てくるほど単純に死を受け入れた訳じゃないだろう。
彼らには「プライベート・ライアン」に描かれていたように、それぞれプライベートな戦う理由があった(又は見つけた)はずだし、もちろん中には映画の様に無理やり自分を納得させて死地へ赴いた人もいるだろう。
だが、六十年後に作られたこれは、当時の人々の個々の人生へのリスペクトというよりも、現代人の懐古趣味が勝ってしまったように思える。
劇中やたらと米軍の記録映像が出てくるのだが、この扱いのテキトーさを見ても、歴史的事実を描写する事への真摯さは全く見られない。
タイトルロールの「大和」もあまりキャラが立っているとは言えない。
でかいセットを作ったは良いけど、甲板ばっかり出てくるので、艦の全体像、若者たちを抱く「大和という存在」があまり見えない。
このあたりも「タイタニック」とのセンスの差が一目瞭然になってしまう。
全体に「男たちの大和 YAMATO」は、映画自体が時代遅れの巨大戦艦そのものだ。
映画としては破綻したB級映画だが、象徴性でなんとか持っているという感じだった。
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