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2006年01月30日 (月) | 編集 |
熱帯モンスーンの強風が人々の善意の仮面を剥ぎ取り、生々しい内面の業を暴き出す様な異色の人間ドラマ。
ラテンアメリカの、咽返るような暑く重苦しい空気感が印象的だ。
舞台になっているエクアドルは高地の国だから、実際には大して暑くないらしいけどね。
マイアミのスペイン語テレビ局のリポーター、マノロとその一行はエクアドルを震撼させている「モンスター」という子供ばかりを襲う連続殺人鬼を追っていた。
ある被害者の葬儀を取材中、被害者の双子の兄弟が、聖書のセールスマン、ビニシオの運転するトラックに轢かれてしまうという事件が起こる。
マノロは逆上した群集によるリンチからビニシオを救うが、警察はビニシオを拘留する。
翌日、復讐を恐れるビニシオから、メディアの力で助けて欲しいと哀願されるマノロだが、そういう事は出来ないと断る。
だが食い下がるビニシオは、「ここから出してくれたら、モンスターに関して知ってる事を話す」とマノロに取引を持ちかける。
ビニシオが「モンスター」なのではないかと疑いを抱いたマノロは、スクープを狙い、警察に話さないままビニシオをインタビューして探り始める・・・
殺人鬼「モンスター」が誰なのかという、一般にミステリーが拘る部分は、冒頭からネタバレ全開でやってるような物なので、はっきり言ってどうでもいい。
犯人探しのミステリーではないのだ。
物語はいくつもの二重構造からなっている。
リンチ事件と連続殺人という二つの事件の真相が次第に重なっていくのと同時に、マノロの掲げる報道の正義と内面の野心、ビニシオの善良な父親の顔と内面の狂気などが徐々にあぶりだされ、人間の業の持つ二面性を暴き出す。
テーマ的には報道の正義とエゴって事なんだろうけど、実際セバスチャン・コルデロ監督が描きたかったのは、報道に限らず人間の業の持つ二面性と原罪だろう。
その点でこの映画はとてもラテンアメリカ的、というかカソリック的であると思う。
ビニシオの職業が聖書のセールスマンだと言う設定は象徴的だ。
この映画では、人間の行いに全て原罪が内包されている。
殺人鬼の「モンスター」が善良そうな市民の仮面を被っている様に、マノロもまた真実を追究するジャーナリストという仮面を被った「モンスター」なのだ。
取材する側とされる側、真実の追究者と殺人鬼、全く異なる立場の二人の人間性はどこかで交わっている。
野心に満ちたマノロをエネルギッシュに演じるジョン・レグイザモ、穏やかな表情の内に狂気を潜ませるダミアン・アルカザールの二人は、見た目もキャラクターも正反対だが、内面の葛藤と心の闇を感じさせる好演。
セバスチャン・コルデロ監督自身による脚本も緻密だ。
惜しむらくは重層的な物語構造が災いして、最終的に言いたい事が今ひとつクリアでない。
メッセージ性の強い映画は、あえてテーマの解釈を観客に委ねるというのも有効な手法だと思うが、この作品に関して言えば、メディアの正義の虚像という表のテーマと、人間の原罪と業という裏のテーマ、どっちつかずでもやもやした印象が残ってしまうのだ。
少なくともマノロの心の解釈は、もう少しクリアに表現出来ていた方が良かったと思う。
物語的には全く違うが、ミステリーの体裁を取りながら、深く静かに人間の内面を突いた韓国の傑作「殺人の追憶」に少し似たタイプの作品。
あの映画ほどのストイックさがあれば、ラストの後味の悪さももう少し突き抜けた物になっただろう。
この良くも悪くも暑苦しい映画の後には、あんまりヘビーな物は飲みたくない。
南米料理屋は探すのが大変なので、メキシコ料理屋でファヒータでもぱく付きながら、「ソル」あたりで喉をすっきりさせるのがベター。
ライトなビールで単体で飲んでも良いし、ラムなんかとカクテルにしてもいい。
そう言えば南国のビールはライトな物が多いが、やっぱり暑苦しい夜に暑苦しい酒は敬遠されるのだろう。
テキーラやラムにしても強いけど後を引かないしね。
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ラテンアメリカの、咽返るような暑く重苦しい空気感が印象的だ。
舞台になっているエクアドルは高地の国だから、実際には大して暑くないらしいけどね。
マイアミのスペイン語テレビ局のリポーター、マノロとその一行はエクアドルを震撼させている「モンスター」という子供ばかりを襲う連続殺人鬼を追っていた。
ある被害者の葬儀を取材中、被害者の双子の兄弟が、聖書のセールスマン、ビニシオの運転するトラックに轢かれてしまうという事件が起こる。
マノロは逆上した群集によるリンチからビニシオを救うが、警察はビニシオを拘留する。
翌日、復讐を恐れるビニシオから、メディアの力で助けて欲しいと哀願されるマノロだが、そういう事は出来ないと断る。
だが食い下がるビニシオは、「ここから出してくれたら、モンスターに関して知ってる事を話す」とマノロに取引を持ちかける。
ビニシオが「モンスター」なのではないかと疑いを抱いたマノロは、スクープを狙い、警察に話さないままビニシオをインタビューして探り始める・・・
殺人鬼「モンスター」が誰なのかという、一般にミステリーが拘る部分は、冒頭からネタバレ全開でやってるような物なので、はっきり言ってどうでもいい。
犯人探しのミステリーではないのだ。
物語はいくつもの二重構造からなっている。
リンチ事件と連続殺人という二つの事件の真相が次第に重なっていくのと同時に、マノロの掲げる報道の正義と内面の野心、ビニシオの善良な父親の顔と内面の狂気などが徐々にあぶりだされ、人間の業の持つ二面性を暴き出す。
テーマ的には報道の正義とエゴって事なんだろうけど、実際セバスチャン・コルデロ監督が描きたかったのは、報道に限らず人間の業の持つ二面性と原罪だろう。
その点でこの映画はとてもラテンアメリカ的、というかカソリック的であると思う。
ビニシオの職業が聖書のセールスマンだと言う設定は象徴的だ。
この映画では、人間の行いに全て原罪が内包されている。
殺人鬼の「モンスター」が善良そうな市民の仮面を被っている様に、マノロもまた真実を追究するジャーナリストという仮面を被った「モンスター」なのだ。
取材する側とされる側、真実の追究者と殺人鬼、全く異なる立場の二人の人間性はどこかで交わっている。
野心に満ちたマノロをエネルギッシュに演じるジョン・レグイザモ、穏やかな表情の内に狂気を潜ませるダミアン・アルカザールの二人は、見た目もキャラクターも正反対だが、内面の葛藤と心の闇を感じさせる好演。
セバスチャン・コルデロ監督自身による脚本も緻密だ。
惜しむらくは重層的な物語構造が災いして、最終的に言いたい事が今ひとつクリアでない。
メッセージ性の強い映画は、あえてテーマの解釈を観客に委ねるというのも有効な手法だと思うが、この作品に関して言えば、メディアの正義の虚像という表のテーマと、人間の原罪と業という裏のテーマ、どっちつかずでもやもやした印象が残ってしまうのだ。
少なくともマノロの心の解釈は、もう少しクリアに表現出来ていた方が良かったと思う。
物語的には全く違うが、ミステリーの体裁を取りながら、深く静かに人間の内面を突いた韓国の傑作「殺人の追憶」に少し似たタイプの作品。
あの映画ほどのストイックさがあれば、ラストの後味の悪さももう少し突き抜けた物になっただろう。
この良くも悪くも暑苦しい映画の後には、あんまりヘビーな物は飲みたくない。
南米料理屋は探すのが大変なので、メキシコ料理屋でファヒータでもぱく付きながら、「ソル」あたりで喉をすっきりさせるのがベター。
ライトなビールで単体で飲んでも良いし、ラムなんかとカクテルにしてもいい。
そう言えば南国のビールはライトな物が多いが、やっぱり暑苦しい夜に暑苦しい酒は敬遠されるのだろう。
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