2006年04月26日 (水) | 編集 |
デビュー以来三十数年間で、長編監督作品はこれを含めて僅か4本。
超寡作な天才監督テレンス・マリックの最新作は、意外にもアメリカでもっとも有名な「神話」を題材にした物だった。
1607年、アメリカ大陸東海岸のテナコマカ。
新世界を求めてやってきたイギリス人達は、ここにヴァージニア入植地ジェームスタウンを建設する。
それはまた、現地の先住民族ポウハタンと白人達の出会いでもあった。
未知の入植地での生活は過酷を極め、指揮官のニューポート(クリストファー・プラマー)は先住民の王ポウハタンとの交易の可能性を探るために、ジョン・スミス大尉(コリン・ファレル)に大河の上流の探検を命じる。
困難の末に、ポウハタンの元にたどり着いたスミスだったが、白人の干渉を嫌うポウハタンはスミスの処刑を命じる。
今にも殺され様とするスミスを助けたのは、ポウハタンの娘ポカホンタス(クオリアンカ・キルヒャー)だった。
娘の説得に、王も春までに白人達が国へ帰る事を条件に助命を許す。
聡明で美しいポカホンタスとスミスは直ぐに惹かれあった。
やがてスミスは入植地へ戻ったが、そこは食料も尽き、絶望が支配する荒廃した村になっていた。
厳しい冬が来て、見かねたポカホンタスは父の目を盗んで入植地に食料を届けるのだが、白人達が約束を破って帰国していない事を知ったポウハタンは怒り、白人達との間に戦争が起こってしまう。
白人達がポカホンタスを人質に取った事で、戦いはひとまず収まるのだが、責任を感じたジョン・スミスは、自分を死んだ事にして、ポカホンタスの前から姿を消す。
愛するスミスを失い、失意のポカホンタスの前に現れたのは、入植地でタバコ栽培を行っていたジョン・ロルフ(クリスチャン・ベール)だった。
スミスへの想いを引きずりながらも、ロルフの優しさに引かれたポカホンタスは、やがて彼と結婚する。
数年後、幸せに暮らすポカホンタスの耳に、死んだはずのスミスが生きているという噂が聞こえてくる・・・
正直言って、始まってから一時間ほどは、マリックの映像世界に魅了されつつも、半分失望していた。
それは物語があまりにも、「よく知られた事実」そのままだったから。
この物語を「神話」と書いたのは、ポカホンタスとジョン・スミス、ジョン・ロルフの物語は、アメリカ人の間で殆んど「神話的な事実」として確立しているからだ。
三人が実在し、ドラマチックなロマンスが存在したのは事実な様だが、物語のディティール部分には謎が多く、特にジョン・スミスとの個々のエピソードに関しては、懐疑的な研究の方が圧倒的に多い。
だが既に神話的な地位を確保した物語は、外野の学問的な論議に関係なく、一般に「事実」として信じられ、時としてその白人視点な神話性を強める傾向すらある。
ディズニーアニメの「ポカホンタス」などはその傾向のもっとも顕著なもので、あれを事実に基づく映画と宣伝するのは、歴史歪曲とも言える行為である。
そんな中で、テレンス・マリックほどの人物があえてこの物語を映像化するからには、従来とは違った解釈をしてくるに違いないと勝手に思い込んでいたのだ。
だが実際目にした物語は、マリックの比類なき映像テクニックに彩られているものの、物語自体はよく知られた神話的なポカホンタスの物語その物だった。
まあ最初の印象には私の勝手な思い込みもあったのだが、物語が進むにつれてだんだんと監督の意図と、この映画の凄さを実感してきた。
恐らくマリックは、ポカホンタスに関する最近の研究を知らなかった訳ではなく、あえて神話的な物語をそのまま使ったのだ。
映画の中心となる人物は三人。
突然訪れた異邦人に、憧れと淡い恋の炎を燃やすポウハタンの王女ポカホンタス。
歴戦の軍人であり、ポカホンタスへの愛に葛藤するジョン・スミス。
そしてポカホンタスのスミスへの想いを知りながら、彼女を優しく包み込む大人な男、ジョン・ロルフ。
映画はこの三人のモノローグによって進んでいくのだが、この作品の文法は通常の映画とは大きく異なる。
登場人物の内面の心情を描けていない、あるいは内面の描写が不足している映画は沢山ある。
だがこの「ニュー・ワールド」は、映画を構成する全ての要素が登場人物の内面の心理描写となっているのだ。
全てのシーンは物語を紡ぐためというよりも、彼らの心を描くためにある。
撮影監督エマニュエル・ルベツキによるアメリカ大陸の絵の様に美しい自然も、荒れ果てた入植地も、整然としているがどこか寂しい英国の庭園も、そして大地を流れる風の音も、何もかもが、三人の心の軌跡を描写するために存在している。
映し出される物は、客観的にそこに存在しているのではなく、登場人物が見た心情風景として存在しているのだ。
この作品では、物語が心を描写するのではなく、心の描写が物語を紡いでいくと言っても良いかもしれない。
マリックがあえてポカホンタスの物語を選んだのは、「わかりきった物語」の方が心の内面にフォーカスを絞りやすいからだろう。
ジョン・スミスを演じたコリン・ファレル、ジョン・ロルフを演じたクリスチャン・ベールも、決して突出しないが、心情風景の語り部として作品世界に根を下ろしている。(まあ見方によっては優柔不断な男たちに見えなくも無いが)
ポカホンタスを演じたクオリアンカ・キルヒャーはさすがに新人だけあって、抑えた演技という訳ではないが、こちらはマリックの方が彼女の持ち味を生かして輝かせる事に成功している。
ナチュラルで映像世界に溶け込んだ彼女の存在感は、この作品の見所の一つだ。
タイトルの「ニュー・ワールド」は、白人・ネィティブアメリカン双方にとって、未知の世界との接触を表しているのは勿論だが、それ以上に愛を交わす事で三人の心が見た、(彼らにとっての)新たな精神世界の事でもあるのだろう。
歴史ドラマとしてこの映画を観ると、意外性のない物語だが、心の物語としてみると実に非凡な作品だと言える。
ただほかのマリック作品と同様に、観客を選ぶ作品だと思う。
物語のトーンは極めてゆったりしているし、ドラマチックな物語の抑揚とは無縁な映画なので、人によっては退屈な作品に映るかもしれない。
逆に昔からのマリックファン、または「シン・レッド・ライン」が大好きだという人には至福の時間となるだろう。
もっとも、歴史物好きとしては、もっとリアルなポカホンタスの物語を観たかったのも事実なのだが、それはまたスピルバーグあたりが作ってくれる事を期待しよう。
さて、この悠久の時の流れを感じさせる大作の後には、同じく悠久の自然を感じさせる酒を飲みたくなる。
今回は山形県の地酒「秀鳳」の「特別純米無濾過 雄町」を。
純米酒の芳醇さと未踏の森林を思わせる深い味わいが印象的な酒。
出来を考えればコストパフォーマンスはすこぶる高い。
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超寡作な天才監督テレンス・マリックの最新作は、意外にもアメリカでもっとも有名な「神話」を題材にした物だった。
1607年、アメリカ大陸東海岸のテナコマカ。
新世界を求めてやってきたイギリス人達は、ここにヴァージニア入植地ジェームスタウンを建設する。
それはまた、現地の先住民族ポウハタンと白人達の出会いでもあった。
未知の入植地での生活は過酷を極め、指揮官のニューポート(クリストファー・プラマー)は先住民の王ポウハタンとの交易の可能性を探るために、ジョン・スミス大尉(コリン・ファレル)に大河の上流の探検を命じる。
困難の末に、ポウハタンの元にたどり着いたスミスだったが、白人の干渉を嫌うポウハタンはスミスの処刑を命じる。
今にも殺され様とするスミスを助けたのは、ポウハタンの娘ポカホンタス(クオリアンカ・キルヒャー)だった。
娘の説得に、王も春までに白人達が国へ帰る事を条件に助命を許す。
聡明で美しいポカホンタスとスミスは直ぐに惹かれあった。
やがてスミスは入植地へ戻ったが、そこは食料も尽き、絶望が支配する荒廃した村になっていた。
厳しい冬が来て、見かねたポカホンタスは父の目を盗んで入植地に食料を届けるのだが、白人達が約束を破って帰国していない事を知ったポウハタンは怒り、白人達との間に戦争が起こってしまう。
白人達がポカホンタスを人質に取った事で、戦いはひとまず収まるのだが、責任を感じたジョン・スミスは、自分を死んだ事にして、ポカホンタスの前から姿を消す。
愛するスミスを失い、失意のポカホンタスの前に現れたのは、入植地でタバコ栽培を行っていたジョン・ロルフ(クリスチャン・ベール)だった。
スミスへの想いを引きずりながらも、ロルフの優しさに引かれたポカホンタスは、やがて彼と結婚する。
数年後、幸せに暮らすポカホンタスの耳に、死んだはずのスミスが生きているという噂が聞こえてくる・・・
正直言って、始まってから一時間ほどは、マリックの映像世界に魅了されつつも、半分失望していた。
それは物語があまりにも、「よく知られた事実」そのままだったから。
この物語を「神話」と書いたのは、ポカホンタスとジョン・スミス、ジョン・ロルフの物語は、アメリカ人の間で殆んど「神話的な事実」として確立しているからだ。
三人が実在し、ドラマチックなロマンスが存在したのは事実な様だが、物語のディティール部分には謎が多く、特にジョン・スミスとの個々のエピソードに関しては、懐疑的な研究の方が圧倒的に多い。
だが既に神話的な地位を確保した物語は、外野の学問的な論議に関係なく、一般に「事実」として信じられ、時としてその白人視点な神話性を強める傾向すらある。
ディズニーアニメの「ポカホンタス」などはその傾向のもっとも顕著なもので、あれを事実に基づく映画と宣伝するのは、歴史歪曲とも言える行為である。
そんな中で、テレンス・マリックほどの人物があえてこの物語を映像化するからには、従来とは違った解釈をしてくるに違いないと勝手に思い込んでいたのだ。
だが実際目にした物語は、マリックの比類なき映像テクニックに彩られているものの、物語自体はよく知られた神話的なポカホンタスの物語その物だった。
まあ最初の印象には私の勝手な思い込みもあったのだが、物語が進むにつれてだんだんと監督の意図と、この映画の凄さを実感してきた。
恐らくマリックは、ポカホンタスに関する最近の研究を知らなかった訳ではなく、あえて神話的な物語をそのまま使ったのだ。
映画の中心となる人物は三人。
突然訪れた異邦人に、憧れと淡い恋の炎を燃やすポウハタンの王女ポカホンタス。
歴戦の軍人であり、ポカホンタスへの愛に葛藤するジョン・スミス。
そしてポカホンタスのスミスへの想いを知りながら、彼女を優しく包み込む大人な男、ジョン・ロルフ。
映画はこの三人のモノローグによって進んでいくのだが、この作品の文法は通常の映画とは大きく異なる。
登場人物の内面の心情を描けていない、あるいは内面の描写が不足している映画は沢山ある。
だがこの「ニュー・ワールド」は、映画を構成する全ての要素が登場人物の内面の心理描写となっているのだ。
全てのシーンは物語を紡ぐためというよりも、彼らの心を描くためにある。
撮影監督エマニュエル・ルベツキによるアメリカ大陸の絵の様に美しい自然も、荒れ果てた入植地も、整然としているがどこか寂しい英国の庭園も、そして大地を流れる風の音も、何もかもが、三人の心の軌跡を描写するために存在している。
映し出される物は、客観的にそこに存在しているのではなく、登場人物が見た心情風景として存在しているのだ。
この作品では、物語が心を描写するのではなく、心の描写が物語を紡いでいくと言っても良いかもしれない。
マリックがあえてポカホンタスの物語を選んだのは、「わかりきった物語」の方が心の内面にフォーカスを絞りやすいからだろう。
ジョン・スミスを演じたコリン・ファレル、ジョン・ロルフを演じたクリスチャン・ベールも、決して突出しないが、心情風景の語り部として作品世界に根を下ろしている。(まあ見方によっては優柔不断な男たちに見えなくも無いが)
ポカホンタスを演じたクオリアンカ・キルヒャーはさすがに新人だけあって、抑えた演技という訳ではないが、こちらはマリックの方が彼女の持ち味を生かして輝かせる事に成功している。
ナチュラルで映像世界に溶け込んだ彼女の存在感は、この作品の見所の一つだ。
タイトルの「ニュー・ワールド」は、白人・ネィティブアメリカン双方にとって、未知の世界との接触を表しているのは勿論だが、それ以上に愛を交わす事で三人の心が見た、(彼らにとっての)新たな精神世界の事でもあるのだろう。
歴史ドラマとしてこの映画を観ると、意外性のない物語だが、心の物語としてみると実に非凡な作品だと言える。
ただほかのマリック作品と同様に、観客を選ぶ作品だと思う。
物語のトーンは極めてゆったりしているし、ドラマチックな物語の抑揚とは無縁な映画なので、人によっては退屈な作品に映るかもしれない。
逆に昔からのマリックファン、または「シン・レッド・ライン」が大好きだという人には至福の時間となるだろう。
もっとも、歴史物好きとしては、もっとリアルなポカホンタスの物語を観たかったのも事実なのだが、それはまたスピルバーグあたりが作ってくれる事を期待しよう。
さて、この悠久の時の流れを感じさせる大作の後には、同じく悠久の自然を感じさせる酒を飲みたくなる。
今回は山形県の地酒「秀鳳」の「特別純米無濾過 雄町」を。
純米酒の芳醇さと未踏の森林を思わせる深い味わいが印象的な酒。
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2006年04月24日 (月) | 編集 |
「Vフォー・ヴェンデッタ」の舞台は、ナチスに似た超保守政党が支配する近未来のイギリス。
そこでは全ての自由は剥奪され、監視された国民は権力への服従しか許されない。
同性愛者、移民、重度障害者、信仰無き者は社会から排除され、アウシュビッツや731部隊を思わせる収容所で処刑される。
仮面の怪人「V」はそんな社会に反旗を翻したテロリストである。
超保守党政権による独裁下、自由を失ったイギリス。
両親を政治弾圧によって失ったイヴィー(ナタリー・ポートマン)は、ある夜外出禁止時間に外に出ていて自警団に逮捕されそうになるが、無気味な仮面を被ったテロリスト「V」(ヒューゴ・ウィービング)に助けられる。
Vは裁判所の爆破を皮切りに、党幹部の暗殺を続け、テレビ局を乗っ取って国民に対して独裁との対決を呼びかける。
「1年後の11月5日、国会の前に立とう」
政府は必死になってVを逮捕しようとするが、神出鬼没なVは政府をあざ笑うかの様に犯行を重ね、大衆は次第にVを英雄視するようになっていく。
ロンドン警視庁のフィンチ警視(スティーブン・レイ)は、Vの正体を追ううちに、20年前に超保守党が政権を握るきっかけとなった、ウィルステロ事件に隠された秘密を知ってしまう。
一方、Vの元を離れたイヴィーも権力の手に落ち、V逮捕に協力するように強要されるのだが・・・
テロリズムとは何か。
辞書にはこう書いてある。
テロリズム [terrorism] :
「一定の政治目的を実現するために暗殺・暴行などの手段を行使することを認める主義、およびそれに基づく暴力の行使。テロ。」(三省堂・大辞林より)
ではどこまでがテロでどこからが戦争なのか。
内戦とテロの区別は何か。
第二次世界大戦中のレジスタンスは?パレスチナの武装組織は?タリバーンは?
たぶん答えは無い。
立場が変われば暴力への見方も変わるからだ。
イスラエルにとっては恐ろしいテロでも、パレスチナにとっては占領者からの解放闘争であろうし、第二次大戦中の欧州のレジスタンスだってナチスから見ればテロだっただろう。
近い所では、伊藤博文を暗殺した安重根も日本ではテロリストのイメージが強いが、韓国では「義士」だったりする。
この映画は1605年にロンドンで起こったガイ・フォークス事件(火薬陰謀事件:Gunpowder Plot)をモデルにしたコミックを原作としている。
ガイ・フォークスは、1605年にイギリス国会議事堂を爆破しようとして逮捕されたテロリストだ。
当時のイギリスは、国王ジェームズ一世を頂点とする英国国教会によるカソリック・清教徒への弾圧が激しく、ガイ・フォークスらラジカルなカソリックの一派は、国会議事堂を国王もろとも爆破する事で、クーデターを企てた。
しかし、計画は途中で察知され、フォークスは決行直前に逮捕され、仲間諸共翌年処刑される。
劇中で象徴的に語られる「11月5日」はフォークスが逮捕された日である。
イギリスではこの事件の知名度は極めて高く、映画の主人公Vが被っているマスクもフォークスを模した物だ。
原作が発表されたのは1982年で、当時のサッチャー保守政権への批判が根底にあるのだが、2005年に発表された映画版の批判対象は、明らかにアメリカのブッシュ政権だ。
彼らのキリスト教保守派への擦りより、少数派への不寛容、理念よりも力を信仰する政治姿勢などを、極端にカリカチュアしたのがこの映画の世界ともいえる。
暴力と理念、テロと平和、寛容と不寛容。
この極めて魅力的な難題を、「マトリックス」で良くも悪くも大衆の度肝を抜いたウォシャウスキー兄弟と、彼らの盟友であるジェイムズ・マクティーグ監督が、いかに映画的に料理するのか?
作り方によっては娯楽と社会派の垣根を軽々と飛び越える快作になるのでは、と期待した。
実際ダークな世界観や、ナイフ技を中心としたスピード感あるアクションは中々だし、風刺的に描かれる近未来の管理社会も興味深い。
しかし、しかし、この映画は何だか噛み合わないのだ。
ウォシャウスキー兄弟による脚本は、どうもピントがずれている。
Vの行動は政治的な目的のためというよりも、自分を苦しめた権力者への復讐だ。
確かにナタリー・ポートマンは理念に目覚めたかもしれないが、V自身の行動原理は理念というよりは私怨だろう。
彼は彼の行動によって大衆が立ち上がることを欲してはいたが、立ち上がってどうして欲しいとか、どんな世界になって欲しいとかの理念は全く語っていない。
物語を追っていっても、彼の目的は結局私怨を晴らすところで終わるので、革命には直接繋がらない。
Vにとっての革命とは、何か理念があっての物ではなくて、復讐の総決算としての革命であるようにしか見えないのだ。
映画の中の精神的なクライマックスとして、大雨の中「命よりも大切な理念」に目覚めたイヴィーが、フラッシュバックで炎の中のVと重なるシーンがある。
ここはイヴィーが、もう物言わぬ大衆ではなく、Vの様に理念を持って生まれ変わったという重要なシーンなのだが、元々Vの方に理念があるようには見えないから、観ている観客にとって二人は重ならない。
雨と炎という判りやすい対照によって、描こうとする事の意味は判るのだが、精神的なカタルシスを得る事は出来ない。
クライマックスで、権力の前に無数のVの仮面を着けた市民が立ちはだかるシーンも、物言わぬ大衆がVの理念に触発され、ついに国家と対決するという、本来は凄く感動的な場面なのだが、あまり盛り上がらない。
それは結局革命の象徴としてのVが、革命の理念を提示していないからではないか。
結局革命は、Vを「勘違い」した大衆によって成り立ってしまう。
Vの存在を問われたイヴィーはこんな意味の事を言う。
「Vは私であり貴方、Vは皆の中にある」
つまり理念は一人一人の中にあり、それを自覚するか否かであるという事で、Vが最後までマスクを取って「個」に戻らないのもそれを象徴するためだろう。
だがV自身が大衆を導くというよりも、政府とは別の意味で大衆を利用した存在なので、イヴィーの思わせぶりな語りにも、「いや、それアンタの勘違い・・・」と突っ込みたくなってしまった。
テロリズムの暴力をいかに解釈するのかという興味も、これが根本的には復讐劇であるところで、従来の映画の中の暴力と変わらなくなってしまった。
「Vフォー・ヴェンデッタ」はテーマ的には極めて興味深い作品だし、今日性もある。
だが、肝心のテーマから主人公が逃げてしまい、結果的に映画自体もテーマと内容がなんだか噛み合わないうちに終わってしまった。
もっとも、作者達がこのテーマともっと深く格闘したところで、物語的には自己矛盾に陥って破綻するだけだったかも知れない。
映画の中でVが英雄視するガイ・フォークスにしたって、彼の革命が目指したのは「カソリックが支配する世の中」だったのだから。
理念は個々の中で異なるから、その葛藤には終わりが無いのだ。
その意味で「Vフォー・ヴェンデッタ」は、少々不完全燃焼ながら、社会風刺を含む娯楽映画としてはギリギリのバランスの上に踏みとどまった、と言えるのかもしれない。
さて今回は、ガイ・フォークスが育ったヨークから「サミエル・スミス ぺールエール ビール」。
栓を抜くと立ち上がるモルトの香りが特徴的だけど、それほど癖は無く飲みやすい。
英国のビールがどうも苦手という人にでも、薦められる1本だ。
映画のほうは正直言って、もうちょっと癖があっても良かったと思うが、まあイギリスを舞台にした「イギリス映画風のハリウッド映画」だと思えば案外良いところを突いているのかもしれない(笑
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サミエルスミス ぺールエール ビール \408
そこでは全ての自由は剥奪され、監視された国民は権力への服従しか許されない。
同性愛者、移民、重度障害者、信仰無き者は社会から排除され、アウシュビッツや731部隊を思わせる収容所で処刑される。
仮面の怪人「V」はそんな社会に反旗を翻したテロリストである。
超保守党政権による独裁下、自由を失ったイギリス。
両親を政治弾圧によって失ったイヴィー(ナタリー・ポートマン)は、ある夜外出禁止時間に外に出ていて自警団に逮捕されそうになるが、無気味な仮面を被ったテロリスト「V」(ヒューゴ・ウィービング)に助けられる。
Vは裁判所の爆破を皮切りに、党幹部の暗殺を続け、テレビ局を乗っ取って国民に対して独裁との対決を呼びかける。
「1年後の11月5日、国会の前に立とう」
政府は必死になってVを逮捕しようとするが、神出鬼没なVは政府をあざ笑うかの様に犯行を重ね、大衆は次第にVを英雄視するようになっていく。
ロンドン警視庁のフィンチ警視(スティーブン・レイ)は、Vの正体を追ううちに、20年前に超保守党が政権を握るきっかけとなった、ウィルステロ事件に隠された秘密を知ってしまう。
一方、Vの元を離れたイヴィーも権力の手に落ち、V逮捕に協力するように強要されるのだが・・・
テロリズムとは何か。
辞書にはこう書いてある。
テロリズム [terrorism] :
「一定の政治目的を実現するために暗殺・暴行などの手段を行使することを認める主義、およびそれに基づく暴力の行使。テロ。」(三省堂・大辞林より)
ではどこまでがテロでどこからが戦争なのか。
内戦とテロの区別は何か。
第二次世界大戦中のレジスタンスは?パレスチナの武装組織は?タリバーンは?
たぶん答えは無い。
立場が変われば暴力への見方も変わるからだ。
イスラエルにとっては恐ろしいテロでも、パレスチナにとっては占領者からの解放闘争であろうし、第二次大戦中の欧州のレジスタンスだってナチスから見ればテロだっただろう。
近い所では、伊藤博文を暗殺した安重根も日本ではテロリストのイメージが強いが、韓国では「義士」だったりする。
この映画は1605年にロンドンで起こったガイ・フォークス事件(火薬陰謀事件:Gunpowder Plot)をモデルにしたコミックを原作としている。
ガイ・フォークスは、1605年にイギリス国会議事堂を爆破しようとして逮捕されたテロリストだ。
当時のイギリスは、国王ジェームズ一世を頂点とする英国国教会によるカソリック・清教徒への弾圧が激しく、ガイ・フォークスらラジカルなカソリックの一派は、国会議事堂を国王もろとも爆破する事で、クーデターを企てた。
しかし、計画は途中で察知され、フォークスは決行直前に逮捕され、仲間諸共翌年処刑される。
劇中で象徴的に語られる「11月5日」はフォークスが逮捕された日である。
イギリスではこの事件の知名度は極めて高く、映画の主人公Vが被っているマスクもフォークスを模した物だ。
原作が発表されたのは1982年で、当時のサッチャー保守政権への批判が根底にあるのだが、2005年に発表された映画版の批判対象は、明らかにアメリカのブッシュ政権だ。
彼らのキリスト教保守派への擦りより、少数派への不寛容、理念よりも力を信仰する政治姿勢などを、極端にカリカチュアしたのがこの映画の世界ともいえる。
暴力と理念、テロと平和、寛容と不寛容。
この極めて魅力的な難題を、「マトリックス」で良くも悪くも大衆の度肝を抜いたウォシャウスキー兄弟と、彼らの盟友であるジェイムズ・マクティーグ監督が、いかに映画的に料理するのか?
作り方によっては娯楽と社会派の垣根を軽々と飛び越える快作になるのでは、と期待した。
実際ダークな世界観や、ナイフ技を中心としたスピード感あるアクションは中々だし、風刺的に描かれる近未来の管理社会も興味深い。
しかし、しかし、この映画は何だか噛み合わないのだ。
ウォシャウスキー兄弟による脚本は、どうもピントがずれている。
Vの行動は政治的な目的のためというよりも、自分を苦しめた権力者への復讐だ。
確かにナタリー・ポートマンは理念に目覚めたかもしれないが、V自身の行動原理は理念というよりは私怨だろう。
彼は彼の行動によって大衆が立ち上がることを欲してはいたが、立ち上がってどうして欲しいとか、どんな世界になって欲しいとかの理念は全く語っていない。
物語を追っていっても、彼の目的は結局私怨を晴らすところで終わるので、革命には直接繋がらない。
Vにとっての革命とは、何か理念があっての物ではなくて、復讐の総決算としての革命であるようにしか見えないのだ。
映画の中の精神的なクライマックスとして、大雨の中「命よりも大切な理念」に目覚めたイヴィーが、フラッシュバックで炎の中のVと重なるシーンがある。
ここはイヴィーが、もう物言わぬ大衆ではなく、Vの様に理念を持って生まれ変わったという重要なシーンなのだが、元々Vの方に理念があるようには見えないから、観ている観客にとって二人は重ならない。
雨と炎という判りやすい対照によって、描こうとする事の意味は判るのだが、精神的なカタルシスを得る事は出来ない。
クライマックスで、権力の前に無数のVの仮面を着けた市民が立ちはだかるシーンも、物言わぬ大衆がVの理念に触発され、ついに国家と対決するという、本来は凄く感動的な場面なのだが、あまり盛り上がらない。
それは結局革命の象徴としてのVが、革命の理念を提示していないからではないか。
結局革命は、Vを「勘違い」した大衆によって成り立ってしまう。
Vの存在を問われたイヴィーはこんな意味の事を言う。
「Vは私であり貴方、Vは皆の中にある」
つまり理念は一人一人の中にあり、それを自覚するか否かであるという事で、Vが最後までマスクを取って「個」に戻らないのもそれを象徴するためだろう。
だがV自身が大衆を導くというよりも、政府とは別の意味で大衆を利用した存在なので、イヴィーの思わせぶりな語りにも、「いや、それアンタの勘違い・・・」と突っ込みたくなってしまった。
テロリズムの暴力をいかに解釈するのかという興味も、これが根本的には復讐劇であるところで、従来の映画の中の暴力と変わらなくなってしまった。
「Vフォー・ヴェンデッタ」はテーマ的には極めて興味深い作品だし、今日性もある。
だが、肝心のテーマから主人公が逃げてしまい、結果的に映画自体もテーマと内容がなんだか噛み合わないうちに終わってしまった。
もっとも、作者達がこのテーマともっと深く格闘したところで、物語的には自己矛盾に陥って破綻するだけだったかも知れない。
映画の中でVが英雄視するガイ・フォークスにしたって、彼の革命が目指したのは「カソリックが支配する世の中」だったのだから。
理念は個々の中で異なるから、その葛藤には終わりが無いのだ。
その意味で「Vフォー・ヴェンデッタ」は、少々不完全燃焼ながら、社会風刺を含む娯楽映画としてはギリギリのバランスの上に踏みとどまった、と言えるのかもしれない。
さて今回は、ガイ・フォークスが育ったヨークから「サミエル・スミス ぺールエール ビール」。
栓を抜くと立ち上がるモルトの香りが特徴的だけど、それほど癖は無く飲みやすい。
英国のビールがどうも苦手という人にでも、薦められる1本だ。
映画のほうは正直言って、もうちょっと癖があっても良かったと思うが、まあイギリスを舞台にした「イギリス映画風のハリウッド映画」だと思えば案外良いところを突いているのかもしれない(笑

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サミエルスミス ぺールエール ビール \408
2006年04月18日 (火) | 編集 |
「プロミス」での扱いはかなりアレだったが・・・こっちはチャン・ドンゴン本来のギラギラした男臭さを前面に押し出した、熱血ポリティカルアクション。
二つの祖国に裏切られ、両親を殺され、たった一人の姉とも生き別れになった男が、海賊として成長し国家に復讐する話だが、この復讐劇はかなりスケールが大きい。
何しろ朝鮮半島全体に核廃棄物をばら撒き、死の世界に変えてしまおうというのだ。
物語も太平洋から始まり、タイ、シンガポール、ロシア、そして朝鮮半島と、大陸と大洋を巡り、大作らしい雄大なスケールを醸し出している。
アメリカの機密物資を載せた貨物船が、太平洋上で海賊に襲撃され、物資を奪われた。
奪われたのは、アメリカが密かに台湾で製造した核ミサイル誘導装置。
韓国海軍のカン・セジョン大尉(イ・ジョンジェ)は、極秘のうちにこの事件を捜査するように命じられる。
タイに飛んだセジョンは、事件を起こしたシン(チャン・ドンゴン)と呼ばれる海賊が、20年前に北京で韓国に亡命申請した脱北者のチェ一族の少年である事を突き止める。
チェ一族は、韓国政府に亡命を拒否され、北朝鮮に送還される途中で銃殺されたのだが、幼い姉弟の二人が生き延びていたのだ。
シンの行方を追うセジョンは、シンの姉のミョンジョンがウラジオストックでロシア人相手の娼婦に身を落していることを知る。
セジョンはウラジオストックでミョンジョンを保護すると、彼女を囮にしてシンを捉えようとする。
やがてウラジオストックに姿を表したシンは、核ミサイル誘導装置をロシアに売り渡し、代わりに30トンもの核廃棄物を手に入れる。
シンの本当の狙いは、自分達を裏切った南北二つの祖国に対する復讐だった・・・・
この作品の最大の美点は、とにかくキャラクターが立っている事だ。
チャン・ドンゴンは勿論だが、セジョン大尉を演じるイ・ジョンジェも負けず劣らず素晴らしい。
ビシッと姿勢が良く、鋭さの中に優しさを感じさせる目。
どこから見ても、役柄通りの人間味溢れる本物の軍人に見える。
シンの生き別れの姉ミョンジュを演じるイ・ミヨンは、もう見るからに薄幸そうで、シンとの二十年ぶりの再会シーンでは、来るぞ来るぞと判っていても泣かされてしまった。
彼らのキャラクターはある意味もの凄く判りやすく、ベタベタではあるのだが、存在に十分な説得力があるのだ。
メインキャラクターだけではない。
シンには幼馴染として育ったトトとソムチャイという二人の腹心がいるのだが、この二人も実に魅力的だし、終盤にセジョンと共に出動する同期の軍人達も、ほんの僅かな登場シーンにも関わらず、強い印象を残す。
これはビジュアルを含めたキャラクター造形が非常にしっかりしていると共に、脚本の表現の仕方が絶妙だからだ。
例えばシンの幼馴染トトが、好きな女の子に肉を多めに配給しようとして、彼女の兄でもあるソムチャイに叱られるシーン。
これだけで彼らの性格や関係が見て取れる。
セジョンの国情院の上司が、何度注意されてもタバコを止めないシーンや、セジョンが独身隊員だけで特攻隊を組織した時のやり取りなど、ちょっとしたシーンで、登場人物の人となりが理解できるように工夫が凝らされている。
クァク・キョンテク監督の演出もキャラクターの魅力を抽出しながら、テンポ良く進む。
「友へ/チング」でもそうだったが、この人の演出は男を輝かせる。
少々気合が入り過ぎて暑苦しい気もしないでもないが、この映画のチャン・ドンゴンやイ・ジョンジェは韓流オバサマよりは「男が惚れる男」だろう。
この監督が東映任侠映画全盛の頃に日本にいたら、超売れっ子になっていたに違いない。
アクションシーンの出来も中々の物で、オープニングのアメリカ船襲撃からウラジオストックでの銃撃戦、クライマックスの台風の中の特攻攻撃まで、ハリウッドの派手なアクションを見慣れた目にも決して遜色の無い仕上がりだ。
しかし、キャラクターやアクションに関しては非常に魅力的なこの作品も、全体を通してみると妙に居心地が悪い。
それは作品のテーマとも重なる、物語上の設定が大味で漫画チックだからだ。
物語を動かす政治的な設定やサスペンスの構造にリアリティが無くて甘い。
物語が設定の矛盾を解消できず、キャラクターの力に頼って場当たり的に進んでいってしまうのだ。
政治的なメッセージを持つポリティカルアクションの体裁を取る以上、これは致命的。
具体的に言えば、まずアメリカの機密が盗まれたのに、何故いきなり韓国の情報機関が動くのかが判らない。
積荷が奪われた時点では、シンが脱北者であることも、朝鮮半島への核テロを計画している事も判っていなかったはず。
普通に考えれば奪われた当事者であるアメリカが捜査するはずで、関係ない韓国に掻き回されたらそりゃ怒るだろ。
最終的にシンの狙いは朝鮮半島の滅亡にある事が判るが、途中までセジョン達が何故動いてるのか判らない。
設定が矛盾だらけだから、セジョンがいかにしてシンやミョンジュを探し出すのかという、本来ならスリリングな展開を期待できる部分も、殆ど物語に生かされる事なくあっさりと通り過ぎてしまう。
またシンは自分の計画を遂行するために、巨大台風を効果的に使おうとするのだが、都合よく台風が来なかったらどうするつもりだったのか。
アイディア自体は面白いが、二十年もかけた復讐計画が最終的には天気任せとはあまりと言えばあんまりだろう。
キッチリと描きこまれたキャラクターや心理描写の的確さから比べると、この物語設定の甘さは別の脚本家が書いたのかと思えるくらいスカスカだ。
この作品のテーマは国家に裏切られた脱北者の問題であって、脱北者を生み出す北朝鮮、それに見て見ぬフリをする韓国の双方を批判している。
実にタイムリーだし、日々伝えられる報道を見ても、シンの家族がたどった悲惨な運命が決して絵空事ではない事は理解できる。
だからこそ、背景となる政治的なサスペンスには説得力とリアリティが必要だったはず。
残念ながらその部分が出来の悪い007並みだったので、せっかくの強いメッセージも観客には中途半端にしか届かなかっただろう。
テーマへのアプローチは真摯だし、ラストを含めて印象的なシーンも多いから、なんだか勿体無いなあと思ってしまう映画だった。
今回は結構暑苦しい映画だったので、あっさり系にしようかと思ったが、ちょっと象徴的なお酒として「ムンベ酒」を合わせたい。
ムンベとは山梨の事で、その香りがする事から名付けられた蒸留酒で、韓国の地酒の中でも最高ランクのものだ。
この酒が世界的に有名になったのは、その味以上に南北首脳会談時の乾杯の酒として選ばれたからだ。
この酒で南北首脳が乾杯した後も、多くの脱北者が困難に直面している訳で、一体あの会談は何だったのかと6年を経過した今になって思う。
ちなみに香りはフルーティだが、お味は政治家の腹同様に、結構癖がある。
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ムンベ酒 \8431
二つの祖国に裏切られ、両親を殺され、たった一人の姉とも生き別れになった男が、海賊として成長し国家に復讐する話だが、この復讐劇はかなりスケールが大きい。
何しろ朝鮮半島全体に核廃棄物をばら撒き、死の世界に変えてしまおうというのだ。
物語も太平洋から始まり、タイ、シンガポール、ロシア、そして朝鮮半島と、大陸と大洋を巡り、大作らしい雄大なスケールを醸し出している。
アメリカの機密物資を載せた貨物船が、太平洋上で海賊に襲撃され、物資を奪われた。
奪われたのは、アメリカが密かに台湾で製造した核ミサイル誘導装置。
韓国海軍のカン・セジョン大尉(イ・ジョンジェ)は、極秘のうちにこの事件を捜査するように命じられる。
タイに飛んだセジョンは、事件を起こしたシン(チャン・ドンゴン)と呼ばれる海賊が、20年前に北京で韓国に亡命申請した脱北者のチェ一族の少年である事を突き止める。
チェ一族は、韓国政府に亡命を拒否され、北朝鮮に送還される途中で銃殺されたのだが、幼い姉弟の二人が生き延びていたのだ。
シンの行方を追うセジョンは、シンの姉のミョンジョンがウラジオストックでロシア人相手の娼婦に身を落していることを知る。
セジョンはウラジオストックでミョンジョンを保護すると、彼女を囮にしてシンを捉えようとする。
やがてウラジオストックに姿を表したシンは、核ミサイル誘導装置をロシアに売り渡し、代わりに30トンもの核廃棄物を手に入れる。
シンの本当の狙いは、自分達を裏切った南北二つの祖国に対する復讐だった・・・・
この作品の最大の美点は、とにかくキャラクターが立っている事だ。
チャン・ドンゴンは勿論だが、セジョン大尉を演じるイ・ジョンジェも負けず劣らず素晴らしい。
ビシッと姿勢が良く、鋭さの中に優しさを感じさせる目。
どこから見ても、役柄通りの人間味溢れる本物の軍人に見える。
シンの生き別れの姉ミョンジュを演じるイ・ミヨンは、もう見るからに薄幸そうで、シンとの二十年ぶりの再会シーンでは、来るぞ来るぞと判っていても泣かされてしまった。
彼らのキャラクターはある意味もの凄く判りやすく、ベタベタではあるのだが、存在に十分な説得力があるのだ。
メインキャラクターだけではない。
シンには幼馴染として育ったトトとソムチャイという二人の腹心がいるのだが、この二人も実に魅力的だし、終盤にセジョンと共に出動する同期の軍人達も、ほんの僅かな登場シーンにも関わらず、強い印象を残す。
これはビジュアルを含めたキャラクター造形が非常にしっかりしていると共に、脚本の表現の仕方が絶妙だからだ。
例えばシンの幼馴染トトが、好きな女の子に肉を多めに配給しようとして、彼女の兄でもあるソムチャイに叱られるシーン。
これだけで彼らの性格や関係が見て取れる。
セジョンの国情院の上司が、何度注意されてもタバコを止めないシーンや、セジョンが独身隊員だけで特攻隊を組織した時のやり取りなど、ちょっとしたシーンで、登場人物の人となりが理解できるように工夫が凝らされている。
クァク・キョンテク監督の演出もキャラクターの魅力を抽出しながら、テンポ良く進む。
「友へ/チング」でもそうだったが、この人の演出は男を輝かせる。
少々気合が入り過ぎて暑苦しい気もしないでもないが、この映画のチャン・ドンゴンやイ・ジョンジェは韓流オバサマよりは「男が惚れる男」だろう。
この監督が東映任侠映画全盛の頃に日本にいたら、超売れっ子になっていたに違いない。
アクションシーンの出来も中々の物で、オープニングのアメリカ船襲撃からウラジオストックでの銃撃戦、クライマックスの台風の中の特攻攻撃まで、ハリウッドの派手なアクションを見慣れた目にも決して遜色の無い仕上がりだ。
しかし、キャラクターやアクションに関しては非常に魅力的なこの作品も、全体を通してみると妙に居心地が悪い。
それは作品のテーマとも重なる、物語上の設定が大味で漫画チックだからだ。
物語を動かす政治的な設定やサスペンスの構造にリアリティが無くて甘い。
物語が設定の矛盾を解消できず、キャラクターの力に頼って場当たり的に進んでいってしまうのだ。
政治的なメッセージを持つポリティカルアクションの体裁を取る以上、これは致命的。
具体的に言えば、まずアメリカの機密が盗まれたのに、何故いきなり韓国の情報機関が動くのかが判らない。
積荷が奪われた時点では、シンが脱北者であることも、朝鮮半島への核テロを計画している事も判っていなかったはず。
普通に考えれば奪われた当事者であるアメリカが捜査するはずで、関係ない韓国に掻き回されたらそりゃ怒るだろ。
最終的にシンの狙いは朝鮮半島の滅亡にある事が判るが、途中までセジョン達が何故動いてるのか判らない。
設定が矛盾だらけだから、セジョンがいかにしてシンやミョンジュを探し出すのかという、本来ならスリリングな展開を期待できる部分も、殆ど物語に生かされる事なくあっさりと通り過ぎてしまう。
またシンは自分の計画を遂行するために、巨大台風を効果的に使おうとするのだが、都合よく台風が来なかったらどうするつもりだったのか。
アイディア自体は面白いが、二十年もかけた復讐計画が最終的には天気任せとはあまりと言えばあんまりだろう。
キッチリと描きこまれたキャラクターや心理描写の的確さから比べると、この物語設定の甘さは別の脚本家が書いたのかと思えるくらいスカスカだ。
この作品のテーマは国家に裏切られた脱北者の問題であって、脱北者を生み出す北朝鮮、それに見て見ぬフリをする韓国の双方を批判している。
実にタイムリーだし、日々伝えられる報道を見ても、シンの家族がたどった悲惨な運命が決して絵空事ではない事は理解できる。
だからこそ、背景となる政治的なサスペンスには説得力とリアリティが必要だったはず。
残念ながらその部分が出来の悪い007並みだったので、せっかくの強いメッセージも観客には中途半端にしか届かなかっただろう。
テーマへのアプローチは真摯だし、ラストを含めて印象的なシーンも多いから、なんだか勿体無いなあと思ってしまう映画だった。
今回は結構暑苦しい映画だったので、あっさり系にしようかと思ったが、ちょっと象徴的なお酒として「ムンベ酒」を合わせたい。
ムンベとは山梨の事で、その香りがする事から名付けられた蒸留酒で、韓国の地酒の中でも最高ランクのものだ。
この酒が世界的に有名になったのは、その味以上に南北首脳会談時の乾杯の酒として選ばれたからだ。
この酒で南北首脳が乾杯した後も、多くの脱北者が困難に直面している訳で、一体あの会談は何だったのかと6年を経過した今になって思う。
ちなみに香りはフルーティだが、お味は政治家の腹同様に、結構癖がある。

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ムンベ酒 \8431
2006年04月18日 (火) | 編集 |
カリスマ映画論の睦月さんから映画バトンが回ってきたのでやってみました。
案外普通・・・?
自分の映画の原点がわかるみたいで面白かったな。
-----------------------------------------------------------------
ほんじゃま、ぼちぼち行きましょう。
1、持っているDVD、あるいはビデオの数
ざっと数えてみると、全部でちょうど100本!
ただしこのうち30本は、意地で買い続けてるディアゴスチーニの隔週刊「X-ファイル」(笑
仕事関連から貰った短編映画やPV、Vシネもあるから純粋な劇映画は50本ほど。
ただし半分ぐらいは買っただけで封を切ってない。だって忙しくてさ。
昔はビデオテープを300本くらい持ってた頃もあるけど、引越しのたびに泣く泣く処分したりでだいぶ減りました。
最近買ったのは、知る人ぞ知る邦画の名作「薄れゆく記憶の中で」。
2、あなたのお気に入りの監督・俳優・脚本家などの映画人(5人まで)
多すぎるんで、とりあえず現役の監督限定でいきますわ。
全体に、わりと正攻法で適度に個性のある作家監督が好き。
以下の監督作品はデビュー作から全部観てる。
■スティーブン・スピルバーグ
何だかんだ言って、私の世代にとっては映画といえばスピルバーグ。
神です。拝んでます(マヂで)。
■アラン・パーカー
不思議な透明感と英国人らしいシニカルな映画文法。
学生時代に嵌って大きな影響を受けた人。
■ポン・ジュノ
同世代では断然この人。
「殺人の追憶」は「参った!」としか言葉が出ない。
新作の「怪物」も楽しみ。
■デビット・リンチ&デビット・クローネンバーグ
なぜか私の中ではこの二人はセット。
多感だった十代の頃に、この二人の映像ドラックでかなり脳をやられました。
■ピーター・ジャクソン
生涯のベスト1作品の監督をあげない訳にはいかないよね。
この人の魅力は愚直なまでの映画への愛かな。
3、一番最近観た映画
「タイフーン」レビュー書いてます。
本当は「リバティーン」を観るつもりだったけど、時間を間違えてこれになった。
DVDで最近観たのは「アナコンダ2」。見事な地雷にて爆死。
4、人生で初めて観た映画
映画館で観たのは、邦画「キングコングvsゴジラ」(旧日劇で東宝チャンピオンまつりのリバイバル)、洋画「スターウォーズ」(今は無きテアトル東京のシネラマ)。
子供の頃は映画に行く=東京に行くだったので、ちょっとした祭りだった。
未だにSFと怪獣と聞くと観に行きたくなるのは、初体験の刷り込みによるものと思われる。
テレビで最初に観たのはどれか覚えてないけど、印象に残ってるのは「吸血鬼ゴケミドロ」と「東海道四谷怪談」(たぶん中川信夫版)。
この二つは夏休みに田舎の祖父の家で観て、あまりの恐ろしさにトラウマになった。
5、今、観たい映画
「ダ・ヴィンチ・コード」
ミステリ好き、歴史ヲタクとしては外せない。
「花よりもなほ」
是枝監督の作品は嫌いな物が無い。これもかなり楽しみ。
「怪物」
ポン・ジュノの新作で、しかも怪獣が出てくると聞けば観るしかないでしょ。
「父たちの星条旗」&「硫黄島からの手紙」
イーストウッド&ポール・ハギス。楽しみです。
6、何度も観てしまう映画、あるいは特別な思い入れがある映画(5本)
■「ロード・オブ・ザ・リング/旅の仲間」
ちょうど人生の転機になる頃に観た映画。
この頃あの9.11事件とかがあって、世相的にも自分的にも色々先行き不安で、映画の世界と自分のメンタルが重なったのか異常に嵌り、結局映画館で9回も観てしまった。
三部作トータルで自分の中で生涯のベスト1。
■ 「レイダース/失われたアーク」
今ではジェットコースタームービーなんて言われてるけど、連続活劇というジャンルを復活させた傑作。
小学校の高学年か中学の頃に観て、あまりにも面白すぎて3回くらい連続で観た気がする。
映画館に通い始めたのはこれがきっかけ。
■「E.T」
これが公開された頃に、テレビでスピルバーグの特番をやたらと放送してて、彼に憧れて自分も8ミリを廻し始めた。
この作品がなければ違う人生を歩んでいたはず。
■「バーディ」
アラン・パーカーにはまるきっかけになった作品。何ともいえない不思議な透明感と、思いっきり人を馬鹿にしたようなオチ。ある意味で映画の理想形。最高です。
■「七人の侍」
中学生の頃テレビではじめて観たんだけど、面白すぎてビックリした。後にニュープリント版がアメリカで復元された時も劇場に駆けつけ、やっぱり凄いと再確認。
う~ん五本じゃ足りない。しかしこうしてみるとやっぱり十代の頃観た作品が多いな。
その頃に観た作品が映画観を形作るんだろうね。
この他にあげるとすると「ゴッドファーザー」「生きる」「遊星からの物体X」「鴛鴦歌合戦」「ベティ・ブルー」・・・・etc、我ながら全然脈略が無い・・・。
7、バトンを回したい人
う~ん、困った。
交友関係広くないからなあ・・・。
とりあえず自分の興味で勝手に送らせてもらいます。
■ 「映画を観たよ」のなななさん
いつもレビューを拝見していて、しっかりした目を持ってるなあと感心しきりです。
自分が十代の頃はもっとアホでした。
■「Hard Rock Life'n Travels」 のhebimetasanMさん
映画バトンを受け取ってくれるか不安ですが、さすらいのテレビマン。映画レビュー以外でも面白い記事を楽しみにしてます。
■シャーロットの涙のcharlotteさん
観てる数も凄いし、レビューも親しみの持てる文体でとても判りやすく、楽しみに読ませてもらってます。
----------------------------------------------------------------
まあこんなんでよろしゅう・・・
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案外普通・・・?
自分の映画の原点がわかるみたいで面白かったな。
-----------------------------------------------------------------
ほんじゃま、ぼちぼち行きましょう。
1、持っているDVD、あるいはビデオの数
ざっと数えてみると、全部でちょうど100本!
ただしこのうち30本は、意地で買い続けてるディアゴスチーニの隔週刊「X-ファイル」(笑
仕事関連から貰った短編映画やPV、Vシネもあるから純粋な劇映画は50本ほど。
ただし半分ぐらいは買っただけで封を切ってない。だって忙しくてさ。
昔はビデオテープを300本くらい持ってた頃もあるけど、引越しのたびに泣く泣く処分したりでだいぶ減りました。
最近買ったのは、知る人ぞ知る邦画の名作「薄れゆく記憶の中で」。
2、あなたのお気に入りの監督・俳優・脚本家などの映画人(5人まで)
多すぎるんで、とりあえず現役の監督限定でいきますわ。
全体に、わりと正攻法で適度に個性のある作家監督が好き。
以下の監督作品はデビュー作から全部観てる。
■スティーブン・スピルバーグ
何だかんだ言って、私の世代にとっては映画といえばスピルバーグ。
神です。拝んでます(マヂで)。
■アラン・パーカー
不思議な透明感と英国人らしいシニカルな映画文法。
学生時代に嵌って大きな影響を受けた人。
■ポン・ジュノ
同世代では断然この人。
「殺人の追憶」は「参った!」としか言葉が出ない。
新作の「怪物」も楽しみ。
■デビット・リンチ&デビット・クローネンバーグ
なぜか私の中ではこの二人はセット。
多感だった十代の頃に、この二人の映像ドラックでかなり脳をやられました。
■ピーター・ジャクソン
生涯のベスト1作品の監督をあげない訳にはいかないよね。
この人の魅力は愚直なまでの映画への愛かな。
3、一番最近観た映画
「タイフーン」レビュー書いてます。
本当は「リバティーン」を観るつもりだったけど、時間を間違えてこれになった。
DVDで最近観たのは「アナコンダ2」。見事な地雷にて爆死。
4、人生で初めて観た映画
映画館で観たのは、邦画「キングコングvsゴジラ」(旧日劇で東宝チャンピオンまつりのリバイバル)、洋画「スターウォーズ」(今は無きテアトル東京のシネラマ)。
子供の頃は映画に行く=東京に行くだったので、ちょっとした祭りだった。
未だにSFと怪獣と聞くと観に行きたくなるのは、初体験の刷り込みによるものと思われる。
テレビで最初に観たのはどれか覚えてないけど、印象に残ってるのは「吸血鬼ゴケミドロ」と「東海道四谷怪談」(たぶん中川信夫版)。
この二つは夏休みに田舎の祖父の家で観て、あまりの恐ろしさにトラウマになった。
5、今、観たい映画
「ダ・ヴィンチ・コード」
ミステリ好き、歴史ヲタクとしては外せない。
「花よりもなほ」
是枝監督の作品は嫌いな物が無い。これもかなり楽しみ。
「怪物」
ポン・ジュノの新作で、しかも怪獣が出てくると聞けば観るしかないでしょ。
「父たちの星条旗」&「硫黄島からの手紙」
イーストウッド&ポール・ハギス。楽しみです。
6、何度も観てしまう映画、あるいは特別な思い入れがある映画(5本)
■「ロード・オブ・ザ・リング/旅の仲間」
ちょうど人生の転機になる頃に観た映画。
この頃あの9.11事件とかがあって、世相的にも自分的にも色々先行き不安で、映画の世界と自分のメンタルが重なったのか異常に嵌り、結局映画館で9回も観てしまった。
三部作トータルで自分の中で生涯のベスト1。
■ 「レイダース/失われたアーク」
今ではジェットコースタームービーなんて言われてるけど、連続活劇というジャンルを復活させた傑作。
小学校の高学年か中学の頃に観て、あまりにも面白すぎて3回くらい連続で観た気がする。
映画館に通い始めたのはこれがきっかけ。
■「E.T」
これが公開された頃に、テレビでスピルバーグの特番をやたらと放送してて、彼に憧れて自分も8ミリを廻し始めた。
この作品がなければ違う人生を歩んでいたはず。
■「バーディ」
アラン・パーカーにはまるきっかけになった作品。何ともいえない不思議な透明感と、思いっきり人を馬鹿にしたようなオチ。ある意味で映画の理想形。最高です。
■「七人の侍」
中学生の頃テレビではじめて観たんだけど、面白すぎてビックリした。後にニュープリント版がアメリカで復元された時も劇場に駆けつけ、やっぱり凄いと再確認。
う~ん五本じゃ足りない。しかしこうしてみるとやっぱり十代の頃観た作品が多いな。
その頃に観た作品が映画観を形作るんだろうね。
この他にあげるとすると「ゴッドファーザー」「生きる」「遊星からの物体X」「鴛鴦歌合戦」「ベティ・ブルー」・・・・etc、我ながら全然脈略が無い・・・。
7、バトンを回したい人
う~ん、困った。
交友関係広くないからなあ・・・。
とりあえず自分の興味で勝手に送らせてもらいます。
■ 「映画を観たよ」のなななさん
いつもレビューを拝見していて、しっかりした目を持ってるなあと感心しきりです。
自分が十代の頃はもっとアホでした。
■「Hard Rock Life'n Travels」 のhebimetasanMさん
映画バトンを受け取ってくれるか不安ですが、さすらいのテレビマン。映画レビュー以外でも面白い記事を楽しみにしてます。
■シャーロットの涙のcharlotteさん
観てる数も凄いし、レビューも親しみの持てる文体でとても判りやすく、楽しみに読ませてもらってます。
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2006年04月13日 (木) | 編集 |
なんだか「ふわ~」とか「ほへ~」とか脱力系の擬音が出ちゃいますな。
この心地よさは一体何だろう。
友達の家でも彼女の家でもいいや、自分が凄くリラックスできる空間で、腹八分目程度に美味しいご飯を食べて、ま~たりしてる感じと言えば、この映画の空気を想像できるだろうか。
是非この映画をイラクの戦場で上映してほしい。
「かもめ食堂」は、観た人の戦闘意欲を100%取り除き、のんびり優しい良い気分にしてくれる、副作用なしの精神安定剤みたいな映画だ。
北欧フィンランドはヘルシンキの街の片隅に、その小さなお店「かもめ食堂」はある。
日本人のサチエさん(小林聡美)が一月前に開いたお店は、まだ一人もお客が来ない。
ある日、初めて店にやってきた日本かぶれのフィンランド人青年トンミ(ヤルッコ・ニエミ)に、「ガッチャマンの唄」の歌詞を聞かれたサチエさんは、偶然本屋で会った旅行者のミドリさん(片桐はいり)に声をかける。
二人は意気投合し、ミドリさんはしばらく「かもめ食堂」を手伝う事になる。
ガッチャマン青年はミドリさんに「豚身昼斗念」と日本名を命名してもらい大喜び。
コーヒーに詳しいマッティさん(マルック・ペルトラ)に教えてもらった、コーヒーを美味しく入れる呪文も効き、サチエさんの焼くシナモンロールの匂いつられて、近所のおばさんたちも店にやってきた。
しかし段々と賑わってきた店を、憎々しげに見つめる一人の女リーサ(タリア・マルクス)の姿が。
同じ頃、ヘルシンキ空港で荷物を無くされたマサコさん(もたいまさこ)も、運命に導かれるように「かもめ食堂」のドアをくぐった・・・
あらゆる物がシンプル、かつ絶妙に調和している。
映画文法における引き算の素晴しさを堪能できる作品だ。
お話はゆるいし、テンポも鈍い。
物語の起承転結が明確にあるわけでもなく、三人の日本人女性と彼女達の働く「かもめ食堂」を中心に、のんびりした日常を淡々と描くだけである。
そもそも、なぜ「かもめ食堂」がフィンランドのヘルシンキに存在してるのかすら明確には描写されないし、三人がヘルシンキを訪れた理由も明かされない。
「まあ人生色々あるよね」って想像できる程度だ。
普通の映画で「ドラマチック」に使われる要素は全て物語りの裏側に隠され、隠し味のスパイス的に扱われる。
それでもこの作品の持つ独特の空気は観る人を魅了する。
何よりも舞台となる「かもめ食堂」が良い。
飲食店で働いた事のある人なら判ると思うが、このお店のキッチンには所謂業務用の器具は殆ど無い。
北欧の淡い光がほんのりと射し込み、胎内を思わせる縦長のお店は、家庭のオープンキッチンの延長みたいな作りで、優しい色使いのインテリアと相俟って、とてもリラックスできる空間に仕上げてある。
また家具やちょっとしたキッチンウェア、登場人物のファッションなども、華美では無いがとても細やかに選択されており、画面の隅々までしっかりと作りこまれている。
そして特筆すべきは、劇中に登場するご飯がとても美味しそうなのである。
邦画に出てくる食べ物は、豪華な物でも全然美味しそうに見えない事が多くてがっかりするのだが、この作品に出てくる食べ物は、目の前にあれば思わず手を伸ばしたくなるくらい美味しそうだ。
その物自体はおにぎりだったり、鮭の塩焼きだったり、シナモンロールだったりと、ちっとも豪華でも特別な物でもない。
だがきちんとフードコーディネーターを立てているのだと思うが、「かもめ食堂」の空間とのマッチングが絶妙で、映画的にはとても見栄えがする。
観客はお店のお客となって、心地よい時間を過ごしながら、登場人物の繰り広げる小さな悲喜劇を眺めるのだ。
それも過度にドラマチックでなく、いかようにも解釈できるような曖昧さを持つから、逆に観る人それぞれの人生に当てはめて色々想像して楽しめる。
登場人物に共通するのは、今日と言う日を誠実に生きている事。
サチエさんはお客が来なくても、毎日毎日お皿を磨いているし、幼い頃からやっている合気道の練習も欠かさない。
そんな彼女の店にやってくる人々は、ちょっと狂ってしまった「日常のリズム」みたいな物を取り戻して帰ってゆく。
平凡な毎日をしっかりと生きる事が、なんだかとてもステキに見える。
荻上直子監督とは、ずい分昔に一度仕事をしたことがある。
当時彼女はまだ学生だったが、読ませてもらったプロットなども人間の内面への深い興味が印象的だった。
デビュー作の「バーバー吉野」、二作目の「恋は五・七・五」は共に意欲作だったが、若干空回りしている部分があったし、ギクシャク感もあった。
しかしこの「かもめ食堂」では、肩の力が抜けたように、映画を構成する全ての要素に心地よい調和が感じられる。
舞台となるかもめ食堂の空間デザイン、それをそっと包み込むヘルシンキの街。
必要最小限の音楽と、静寂の中に聞こえてくる街の息吹。
そしてそこに登場する多様な登場人物と、彼らの持つ生き方の「間」。
一切の無駄が無いとも言えるし、逆に無駄なシーンだけで映画が構成されていると言えるかもしれない。
でも、こんなステキな無駄なら無駄も良いではないか。
荻上監督は、小津安二郎に匹敵するような、心地よい映画のリズムを掴んだ様だ。
観終わってもジンワリと後を引く。
「かもめ食堂」の人々は、映画の後どうなるのだろうか。
サチエさんの言葉を借りれば「人は皆変わっていく」ものだし、いつかみんな再び旅を始めるのだろう。
でも渡り鳥であるカモメが、毎年同じ港に帰ってくるように、ヘルシンキの「かもめ食堂」は、旅人が帰る事の出来る場所として優しく存在し続けるに違いない。
さあて気持ちよい映画のあとは、気持ちよい酒が最高!
今回はやっぱり、劇中にも登場する「コスケンコルヴァKOSKENKORVA」だねえ。
日本では手に入り難いし、フィンランドウォッカというと「フィンランディア」の方が有名だけど、私はコスケンコルヴァの方が好き。
度数やフレーバーも何種類かあるが、強いストレートの物を口に含むと若干塩っぽい後味を引き、特にスモークサーモンとの相性は絶妙。
たぶんフィンランディアの方がフルーティなテイストなので、飲みやすいのだと思うが、こちらも日本でも手に入りやすくして欲しい酒だ。
ただし、強いから二日酔いにならない程度に・・・・ね。
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こちらは日本でも手に入る「フィンランディア 40°700ml」 \1800
この心地よさは一体何だろう。
友達の家でも彼女の家でもいいや、自分が凄くリラックスできる空間で、腹八分目程度に美味しいご飯を食べて、ま~たりしてる感じと言えば、この映画の空気を想像できるだろうか。
是非この映画をイラクの戦場で上映してほしい。
「かもめ食堂」は、観た人の戦闘意欲を100%取り除き、のんびり優しい良い気分にしてくれる、副作用なしの精神安定剤みたいな映画だ。
北欧フィンランドはヘルシンキの街の片隅に、その小さなお店「かもめ食堂」はある。
日本人のサチエさん(小林聡美)が一月前に開いたお店は、まだ一人もお客が来ない。
ある日、初めて店にやってきた日本かぶれのフィンランド人青年トンミ(ヤルッコ・ニエミ)に、「ガッチャマンの唄」の歌詞を聞かれたサチエさんは、偶然本屋で会った旅行者のミドリさん(片桐はいり)に声をかける。
二人は意気投合し、ミドリさんはしばらく「かもめ食堂」を手伝う事になる。
ガッチャマン青年はミドリさんに「豚身昼斗念」と日本名を命名してもらい大喜び。
コーヒーに詳しいマッティさん(マルック・ペルトラ)に教えてもらった、コーヒーを美味しく入れる呪文も効き、サチエさんの焼くシナモンロールの匂いつられて、近所のおばさんたちも店にやってきた。
しかし段々と賑わってきた店を、憎々しげに見つめる一人の女リーサ(タリア・マルクス)の姿が。
同じ頃、ヘルシンキ空港で荷物を無くされたマサコさん(もたいまさこ)も、運命に導かれるように「かもめ食堂」のドアをくぐった・・・
あらゆる物がシンプル、かつ絶妙に調和している。
映画文法における引き算の素晴しさを堪能できる作品だ。
お話はゆるいし、テンポも鈍い。
物語の起承転結が明確にあるわけでもなく、三人の日本人女性と彼女達の働く「かもめ食堂」を中心に、のんびりした日常を淡々と描くだけである。
そもそも、なぜ「かもめ食堂」がフィンランドのヘルシンキに存在してるのかすら明確には描写されないし、三人がヘルシンキを訪れた理由も明かされない。
「まあ人生色々あるよね」って想像できる程度だ。
普通の映画で「ドラマチック」に使われる要素は全て物語りの裏側に隠され、隠し味のスパイス的に扱われる。
それでもこの作品の持つ独特の空気は観る人を魅了する。
何よりも舞台となる「かもめ食堂」が良い。
飲食店で働いた事のある人なら判ると思うが、このお店のキッチンには所謂業務用の器具は殆ど無い。
北欧の淡い光がほんのりと射し込み、胎内を思わせる縦長のお店は、家庭のオープンキッチンの延長みたいな作りで、優しい色使いのインテリアと相俟って、とてもリラックスできる空間に仕上げてある。
また家具やちょっとしたキッチンウェア、登場人物のファッションなども、華美では無いがとても細やかに選択されており、画面の隅々までしっかりと作りこまれている。
そして特筆すべきは、劇中に登場するご飯がとても美味しそうなのである。
邦画に出てくる食べ物は、豪華な物でも全然美味しそうに見えない事が多くてがっかりするのだが、この作品に出てくる食べ物は、目の前にあれば思わず手を伸ばしたくなるくらい美味しそうだ。
その物自体はおにぎりだったり、鮭の塩焼きだったり、シナモンロールだったりと、ちっとも豪華でも特別な物でもない。
だがきちんとフードコーディネーターを立てているのだと思うが、「かもめ食堂」の空間とのマッチングが絶妙で、映画的にはとても見栄えがする。
観客はお店のお客となって、心地よい時間を過ごしながら、登場人物の繰り広げる小さな悲喜劇を眺めるのだ。
それも過度にドラマチックでなく、いかようにも解釈できるような曖昧さを持つから、逆に観る人それぞれの人生に当てはめて色々想像して楽しめる。
登場人物に共通するのは、今日と言う日を誠実に生きている事。
サチエさんはお客が来なくても、毎日毎日お皿を磨いているし、幼い頃からやっている合気道の練習も欠かさない。
そんな彼女の店にやってくる人々は、ちょっと狂ってしまった「日常のリズム」みたいな物を取り戻して帰ってゆく。
平凡な毎日をしっかりと生きる事が、なんだかとてもステキに見える。
荻上直子監督とは、ずい分昔に一度仕事をしたことがある。
当時彼女はまだ学生だったが、読ませてもらったプロットなども人間の内面への深い興味が印象的だった。
デビュー作の「バーバー吉野」、二作目の「恋は五・七・五」は共に意欲作だったが、若干空回りしている部分があったし、ギクシャク感もあった。
しかしこの「かもめ食堂」では、肩の力が抜けたように、映画を構成する全ての要素に心地よい調和が感じられる。
舞台となるかもめ食堂の空間デザイン、それをそっと包み込むヘルシンキの街。
必要最小限の音楽と、静寂の中に聞こえてくる街の息吹。
そしてそこに登場する多様な登場人物と、彼らの持つ生き方の「間」。
一切の無駄が無いとも言えるし、逆に無駄なシーンだけで映画が構成されていると言えるかもしれない。
でも、こんなステキな無駄なら無駄も良いではないか。
荻上監督は、小津安二郎に匹敵するような、心地よい映画のリズムを掴んだ様だ。
観終わってもジンワリと後を引く。
「かもめ食堂」の人々は、映画の後どうなるのだろうか。
サチエさんの言葉を借りれば「人は皆変わっていく」ものだし、いつかみんな再び旅を始めるのだろう。
でも渡り鳥であるカモメが、毎年同じ港に帰ってくるように、ヘルシンキの「かもめ食堂」は、旅人が帰る事の出来る場所として優しく存在し続けるに違いない。
さあて気持ちよい映画のあとは、気持ちよい酒が最高!
今回はやっぱり、劇中にも登場する「コスケンコルヴァKOSKENKORVA」だねえ。
日本では手に入り難いし、フィンランドウォッカというと「フィンランディア」の方が有名だけど、私はコスケンコルヴァの方が好き。
度数やフレーバーも何種類かあるが、強いストレートの物を口に含むと若干塩っぽい後味を引き、特にスモークサーモンとの相性は絶妙。
たぶんフィンランディアの方がフルーティなテイストなので、飲みやすいのだと思うが、こちらも日本でも手に入りやすくして欲しい酒だ。
ただし、強いから二日酔いにならない程度に・・・・ね。

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2006年04月09日 (日) | 編集 |
ハリソン・フォードの映画を劇場で観たのは「ホワット・ライズ・ビニーズ」以来だから6年ぶりになる。
「ハリウッド的殺人事件」は食指が動かず未見だし、「K-19」は飛行機の機内映画で観てしまった。
久しぶりに大スクリーンで観ると、さすがに白髪が目立つし、顔の皺も深い。
もう63歳だから、そらハン・ソロも年をとるわな・・・。
ジャック・スタンフィールド(ハリソン・フォード)は、シアトルのランドロックパシフィック銀行のセキュリティ担当者。
銀行は合併に伴う作業中で、色々と問題も出ているが、彼の張り巡らせた鉄壁のファイアウォールは、全米でも屈指の性能を誇り、何者も侵入できない。
ジャックは郊外の高級住宅地で、妻のべスと二人の子供と幸せに暮らしているが、ある夜家に武装したグループが押し入り、家族を人質に捕られてしまう。
ビル・コックス(ポール・ベタニー)と名乗る犯人の若い男は、家族の命と引き換えに、ジャックに自らが構築したファイアウォールを破り、一億ドルを指定口座に送金する様に命じる。
果たしてジャックは家族を救う事が出来るのだろうか・・・
人質に取られた家族を救うべく、お父さんが孤軍奮闘する「正しい」ハリウッド映画である。
リッチな家族は絵に描いたように幸せで、海辺の住宅地に高級セダンとSUVを所有。
勿論犬も飼っている。
悪役は悪役らしく狡猾で、ボスキャラはちょっと知的な印象。
犯人グループにオタクっぽいパソコン青年がいたりするのも、最近のハリウッド映画のお約束。
あらゆる面が予定調和で強い個性は無いが、リチャード・ロンクレイン監督の、見せ場のツボを押さえた手堅い演出は安心して観ていられる。
全体に、ちょっとテレビっぽい感が無きにしも非ずだが、プロフィールを見ると映画よりもむしろテレビで豊かなキャリアを持つ監督の様で、なるほどナットク。
まあテレビっぽい印象なのは、メアリー・リン・ライスカブやロバート・パトリックなど、どちらかというと映画よりもテレビで印象的な俳優たちが目立っているのも一因かもしれない。
タイトルの「ファイアウォール」で判るように、コンピューターセキュリティをサスペンスのネタにしたのがこの作品の特徴。
しかしこの点においてあまり成功しているとは思えない。
ハイテク犯罪物としては、肝心のファイアウォールの突破、そして犯人から金を奪い返すための頭脳戦の部分があまりにもあっさり、単純で物足りない。
物語は二時間の間よどみなく進んでいくが、徹底的にジャックを調べ上げているはずの犯人グループが、銀行の合併でセキュリティ部門が移転する可能性を把握していなかったり、細かい脚本の穴が沢山あり、いちいち興ざめしてしまう。
携帯カメラや犬用GPSといった、ハイテク小道具を使っての複線の張り方などは良く出来ているだけに、対照的に大味な描写がもったいない。
もっと脚本を練ればよかったのに。
クライマックスでは結局肉弾戦になってしまうし、サスペンスなのかアクションなのかどっちつかずの印象になってしまているのも、作品の印象を曖昧にしている。
アクションシーンは単体としては良く出来ていると思うが、この作品では徹底的にハイテクサスペンスに徹して頭脳戦の面白さを前面に出したほうが良かったんじゃないだろうか。
タイトルもせっかく「ファイアウォール」な訳で。
それにしても今回のハリソン・フォードは頑張る。
息子ほど若いポール・ベタニー相手に、どつかれるは、二階から蹴り落とされるは、爆発に吹っ飛ばされるは、(かなりの部分がスタントにしろ)まだまだ立派に現役アクションスターしている。
「インディ4」でまともな動きが出来るのか心配だったが、これならまだ大丈夫そうだ。
そんなフォードが、命をかけて守る妻のベスにはバージニア・マドセン。
最近では「サイドウェイ」が記憶に新しいが、私の中では断然「エレクトリックドリーム」(84)でコンピューターに恋をされる美少女である。
あれから早22年。
この人ももう45歳か・・・・歳月の流れを実感する今日この頃。
儲け役なのはジャックの秘書で、途中から窮地の彼を助けるジャネット役のメアリー・リン・ライスカブ。
この人は美人じゃないけど、何とも愛嬌のある特徴的な顔で強い印象を残す。
テレビの「24」でも地味に印象的だったが、この作品でも結果的に美味しいところを持っていく。
まあ全体にまずまずよく出来た娯楽映画だと思うが、あえてこれを映画館で観なければという理由は見つけにくい。
「家族が一番!」という定番中の定番フレーズ以外、テーマ性も見当たらないし、金の掛かったテレビの2時間ドラマみたいな印象なのだ。
まあ暇つぶしという映画の観方においては、これほど最適な作品もあるまい。
映画館のドアを出た瞬間に、もう映画のことは忘れてたけど、観てる間は退屈せずにそこそこ楽しめた。
まあ余韻が残らないから、付け合せも何でも良いんだけど、私は観終わって直ぐにアメリカンファミレスのシズラーで、「キリン一番絞り」を呑みながらサラダバーをいただいた。
ファミレスに一番身近なビール、正しくそんな感じの映画だった。
ハリソン・フォードは「インディ」が終わったら、もうちょっと作家性の強い監督と組んで欲しいな。
80年代はピーター・ウェアーやロマン・ポランスキーと癖のある作品も作ってたんだから。
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「ハリウッド的殺人事件」は食指が動かず未見だし、「K-19」は飛行機の機内映画で観てしまった。
久しぶりに大スクリーンで観ると、さすがに白髪が目立つし、顔の皺も深い。
もう63歳だから、そらハン・ソロも年をとるわな・・・。
ジャック・スタンフィールド(ハリソン・フォード)は、シアトルのランドロックパシフィック銀行のセキュリティ担当者。
銀行は合併に伴う作業中で、色々と問題も出ているが、彼の張り巡らせた鉄壁のファイアウォールは、全米でも屈指の性能を誇り、何者も侵入できない。
ジャックは郊外の高級住宅地で、妻のべスと二人の子供と幸せに暮らしているが、ある夜家に武装したグループが押し入り、家族を人質に捕られてしまう。
ビル・コックス(ポール・ベタニー)と名乗る犯人の若い男は、家族の命と引き換えに、ジャックに自らが構築したファイアウォールを破り、一億ドルを指定口座に送金する様に命じる。
果たしてジャックは家族を救う事が出来るのだろうか・・・
人質に取られた家族を救うべく、お父さんが孤軍奮闘する「正しい」ハリウッド映画である。
リッチな家族は絵に描いたように幸せで、海辺の住宅地に高級セダンとSUVを所有。
勿論犬も飼っている。
悪役は悪役らしく狡猾で、ボスキャラはちょっと知的な印象。
犯人グループにオタクっぽいパソコン青年がいたりするのも、最近のハリウッド映画のお約束。
あらゆる面が予定調和で強い個性は無いが、リチャード・ロンクレイン監督の、見せ場のツボを押さえた手堅い演出は安心して観ていられる。
全体に、ちょっとテレビっぽい感が無きにしも非ずだが、プロフィールを見ると映画よりもむしろテレビで豊かなキャリアを持つ監督の様で、なるほどナットク。
まあテレビっぽい印象なのは、メアリー・リン・ライスカブやロバート・パトリックなど、どちらかというと映画よりもテレビで印象的な俳優たちが目立っているのも一因かもしれない。
タイトルの「ファイアウォール」で判るように、コンピューターセキュリティをサスペンスのネタにしたのがこの作品の特徴。
しかしこの点においてあまり成功しているとは思えない。
ハイテク犯罪物としては、肝心のファイアウォールの突破、そして犯人から金を奪い返すための頭脳戦の部分があまりにもあっさり、単純で物足りない。
物語は二時間の間よどみなく進んでいくが、徹底的にジャックを調べ上げているはずの犯人グループが、銀行の合併でセキュリティ部門が移転する可能性を把握していなかったり、細かい脚本の穴が沢山あり、いちいち興ざめしてしまう。
携帯カメラや犬用GPSといった、ハイテク小道具を使っての複線の張り方などは良く出来ているだけに、対照的に大味な描写がもったいない。
もっと脚本を練ればよかったのに。
クライマックスでは結局肉弾戦になってしまうし、サスペンスなのかアクションなのかどっちつかずの印象になってしまているのも、作品の印象を曖昧にしている。
アクションシーンは単体としては良く出来ていると思うが、この作品では徹底的にハイテクサスペンスに徹して頭脳戦の面白さを前面に出したほうが良かったんじゃないだろうか。
タイトルもせっかく「ファイアウォール」な訳で。
それにしても今回のハリソン・フォードは頑張る。
息子ほど若いポール・ベタニー相手に、どつかれるは、二階から蹴り落とされるは、爆発に吹っ飛ばされるは、(かなりの部分がスタントにしろ)まだまだ立派に現役アクションスターしている。
「インディ4」でまともな動きが出来るのか心配だったが、これならまだ大丈夫そうだ。
そんなフォードが、命をかけて守る妻のベスにはバージニア・マドセン。
最近では「サイドウェイ」が記憶に新しいが、私の中では断然「エレクトリックドリーム」(84)でコンピューターに恋をされる美少女である。
あれから早22年。
この人ももう45歳か・・・・歳月の流れを実感する今日この頃。
儲け役なのはジャックの秘書で、途中から窮地の彼を助けるジャネット役のメアリー・リン・ライスカブ。
この人は美人じゃないけど、何とも愛嬌のある特徴的な顔で強い印象を残す。
テレビの「24」でも地味に印象的だったが、この作品でも結果的に美味しいところを持っていく。
まあ全体にまずまずよく出来た娯楽映画だと思うが、あえてこれを映画館で観なければという理由は見つけにくい。
「家族が一番!」という定番中の定番フレーズ以外、テーマ性も見当たらないし、金の掛かったテレビの2時間ドラマみたいな印象なのだ。
まあ暇つぶしという映画の観方においては、これほど最適な作品もあるまい。
映画館のドアを出た瞬間に、もう映画のことは忘れてたけど、観てる間は退屈せずにそこそこ楽しめた。
まあ余韻が残らないから、付け合せも何でも良いんだけど、私は観終わって直ぐにアメリカンファミレスのシズラーで、「キリン一番絞り」を呑みながらサラダバーをいただいた。
ファミレスに一番身近なビール、正しくそんな感じの映画だった。
ハリソン・フォードは「インディ」が終わったら、もうちょっと作家性の強い監督と組んで欲しいな。
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2006年04月07日 (金) | 編集 |
MTV育ちで、カッコいい映像を作る事にしか興味が無い人が映画を作るとこうなる。
「ロシア版マトリックス」、「全米大ヒット」などコピーは凄いけど、中身は全く新味の無いB級映画だ。
正直言って、終わるまでにこんなに何度も時計を見た映画は久しぶりだった。
1000年の昔、人間以上の力を持つミュータントである「異種」たちは、光と闇の部族に分かれ激しい戦争を繰り広げた。
戦いを続ければどちらも滅びると悟った光の王ゲッサー(ウラジミール・メニショフ)と闇の王ザヴロン(ヴィクトル・ヴェルズビツキー)は、互いに監視する事を条件に休戦協定を結んだ。
光の一族の戦士達は「ナイトウォッチ」として闇の一族を監視し、闇の一族は「ディウォッチ」として光の一族の行動を監視していた。
時は流れて1992年。
モスクワに住む平凡な若者アントン(コンスタンチン・ハベンスキー)は、他の男に逃げた妻を取り戻すため、闇の一族の魔女に呪いを依頼する。
その現場にナイトウォッチ達が踏み込み、協定違反の魔女を逮捕した事から、アントンの中の異種の能力が覚醒する。
12年後。
光の一族のナイトウォッチとなったアントンは、協定違反をして人間の少年を襲った闇の一族のバンパイアを殺してしまう。
死者が出た事から二つの部族の間には不穏な空気が流れ、そこへ伝説の「呪いの渦」を持つ女が出現し、千年前の協定は危機に瀕するのだが・・・
とりあえず、話がさっぱり盛り上がらない。
二つの種族が人知れず対立してるという設定自体「アンダーワールド」とか「ブレイド」とかのハリウッド製バンパイア映画の定番なんだけど、これはそれに「ロード・オブ・ザ・リング」や「コンスタンティン」やその他色々のファンタジー映画の要素をごちゃ混ぜにしてる。
光と闇の一族、呪いの渦を巻き起こす女、予言された超異種、発電所の爆発、飛行機事故、と要素だけはテンコモリなのだが、これらがまったくと言っていいほど「物語」を形作らない。
そもそも異種に生まれた者が何で光か闇を選ばなければいけないのか判らないし、登場人物の行動原理もそれぞれ唐突で全く意味不明だ。
発電所や飛行機のエピソードは、単に画を派手にしたいという以外に存在する意義が無い。
要するにこの映画は、パズルのピースをカッコいい映像で描いただけで、誰もパズル全体を完成させようとしていないのだ。
ぶっちゃけブツ切りの映像を詰め込んだ、2時間の予告編を見てるような気分だった。
まあそれでも凄いアクションを見せてくれたら、B級はB級なりの存在価値があるというものだが、この映画はその点でも全く期待はずれ。
そもそもこの映画にアクションらしいアクションシーンは無い。
主人公は妙に虚弱体質で、あっという間に敵にナイフで刺され、前半から既にボロボロ。
途中から出てきた女の相棒は、何かの罪でフクロウにされてたらしいが、単に出てきただけで何もしない。
主人公とチームを組んでるらしい他のナイトウォッチ達は、どうやら動物に変身したり、予言したりと色々な特殊能力を持ってるらしいけど、それを使う描写はほとんど無い。
結局アクションと言えるのは冒頭のチャンバラシーンくらいで、あとはMTV風の細かいカット割りの映像を延々見せられるだけなのだ。
正直、目が疲れる。
あえてこの映画の価値を探せば、やはりスタイリッシュな映像という事になる。
英語字幕のビジュアル表現にまで拘った映像に関しては、確かに一見の価値があるし、VFXクルーは低予算で非常にクオリティの高い仕事をしている。
またハリウッド製ダークファンタジーとは一線を画す、彩度の低いザラついた質感の(ロシアらしい?)カメラも見所と言えば見所だ。
だが、素晴らしい映像も、映画全体の破綻に比べれば焼け石に水。
ティムール・ペクマンペトフ監督はCM出身の俊英らしいが、画の斬新さだけで持たせられるのは精々ビデオクリップ1本分の時間であることを知るべきだ。
ひたすら映像に頼り、物語を語ることを拒否しているという点では邦画の「キャシャーン」を思わせるが、少なくともあっちにはテーマがあったし、(いかに青臭くて底が浅かろうと)作者の想いは伝わってきた。
残念ながら、この映画から作者の訴えたい何かを感じることは出来なかった。
元々シリーズ化前提の企画みたいだけど、正直言ってこの出来では次を劇場で観たいとは思わない。
よほどの高評価が伝わってくれば観るかもしれないけど、たぶん劇場はスルーしてビデオ観賞で十分だろう。
そんなわけで、映画には相当不満が残る。
もっとも観終わってクレジットが終わる頃までには、全く余韻など忘れて晩御飯の事を考えていたから、付け合せは迷わない(笑
今日は行きつけの居酒屋さんで、美味しいお料理と共に「天狗舞 純米吟醸」をいただいて、気分を直した。
石川は車多酒造の歴史ある名酒。
最高の日本酒の一つである。
次はこの酒くらい満足できる映画を観たいものだ。
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天狗舞 山廃純米吟醸 720ml \2857
![[石川県]天狗舞・古々酒・大吟醸酒・1.8L](http://image.rakuten.co.jp/wshop/data/ws-mall-img/jizakenoshimaya/img64/img1026392631.jpeg)
天狗舞・古々酒・大吟醸酒・1.8L \10000
日本酒を長期保存した酒。少々お高いが、ある意味究極の味です。
原作本です。
こちらはロシア製ファンタジーの古典。
「ロシア版マトリックス」、「全米大ヒット」などコピーは凄いけど、中身は全く新味の無いB級映画だ。
正直言って、終わるまでにこんなに何度も時計を見た映画は久しぶりだった。
1000年の昔、人間以上の力を持つミュータントである「異種」たちは、光と闇の部族に分かれ激しい戦争を繰り広げた。
戦いを続ければどちらも滅びると悟った光の王ゲッサー(ウラジミール・メニショフ)と闇の王ザヴロン(ヴィクトル・ヴェルズビツキー)は、互いに監視する事を条件に休戦協定を結んだ。
光の一族の戦士達は「ナイトウォッチ」として闇の一族を監視し、闇の一族は「ディウォッチ」として光の一族の行動を監視していた。
時は流れて1992年。
モスクワに住む平凡な若者アントン(コンスタンチン・ハベンスキー)は、他の男に逃げた妻を取り戻すため、闇の一族の魔女に呪いを依頼する。
その現場にナイトウォッチ達が踏み込み、協定違反の魔女を逮捕した事から、アントンの中の異種の能力が覚醒する。
12年後。
光の一族のナイトウォッチとなったアントンは、協定違反をして人間の少年を襲った闇の一族のバンパイアを殺してしまう。
死者が出た事から二つの部族の間には不穏な空気が流れ、そこへ伝説の「呪いの渦」を持つ女が出現し、千年前の協定は危機に瀕するのだが・・・
とりあえず、話がさっぱり盛り上がらない。
二つの種族が人知れず対立してるという設定自体「アンダーワールド」とか「ブレイド」とかのハリウッド製バンパイア映画の定番なんだけど、これはそれに「ロード・オブ・ザ・リング」や「コンスタンティン」やその他色々のファンタジー映画の要素をごちゃ混ぜにしてる。
光と闇の一族、呪いの渦を巻き起こす女、予言された超異種、発電所の爆発、飛行機事故、と要素だけはテンコモリなのだが、これらがまったくと言っていいほど「物語」を形作らない。
そもそも異種に生まれた者が何で光か闇を選ばなければいけないのか判らないし、登場人物の行動原理もそれぞれ唐突で全く意味不明だ。
発電所や飛行機のエピソードは、単に画を派手にしたいという以外に存在する意義が無い。
要するにこの映画は、パズルのピースをカッコいい映像で描いただけで、誰もパズル全体を完成させようとしていないのだ。
ぶっちゃけブツ切りの映像を詰め込んだ、2時間の予告編を見てるような気分だった。
まあそれでも凄いアクションを見せてくれたら、B級はB級なりの存在価値があるというものだが、この映画はその点でも全く期待はずれ。
そもそもこの映画にアクションらしいアクションシーンは無い。
主人公は妙に虚弱体質で、あっという間に敵にナイフで刺され、前半から既にボロボロ。
途中から出てきた女の相棒は、何かの罪でフクロウにされてたらしいが、単に出てきただけで何もしない。
主人公とチームを組んでるらしい他のナイトウォッチ達は、どうやら動物に変身したり、予言したりと色々な特殊能力を持ってるらしいけど、それを使う描写はほとんど無い。
結局アクションと言えるのは冒頭のチャンバラシーンくらいで、あとはMTV風の細かいカット割りの映像を延々見せられるだけなのだ。
正直、目が疲れる。
あえてこの映画の価値を探せば、やはりスタイリッシュな映像という事になる。
英語字幕のビジュアル表現にまで拘った映像に関しては、確かに一見の価値があるし、VFXクルーは低予算で非常にクオリティの高い仕事をしている。
またハリウッド製ダークファンタジーとは一線を画す、彩度の低いザラついた質感の(ロシアらしい?)カメラも見所と言えば見所だ。
だが、素晴らしい映像も、映画全体の破綻に比べれば焼け石に水。
ティムール・ペクマンペトフ監督はCM出身の俊英らしいが、画の斬新さだけで持たせられるのは精々ビデオクリップ1本分の時間であることを知るべきだ。
ひたすら映像に頼り、物語を語ることを拒否しているという点では邦画の「キャシャーン」を思わせるが、少なくともあっちにはテーマがあったし、(いかに青臭くて底が浅かろうと)作者の想いは伝わってきた。
残念ながら、この映画から作者の訴えたい何かを感じることは出来なかった。
元々シリーズ化前提の企画みたいだけど、正直言ってこの出来では次を劇場で観たいとは思わない。
よほどの高評価が伝わってくれば観るかもしれないけど、たぶん劇場はスルーしてビデオ観賞で十分だろう。
そんなわけで、映画には相当不満が残る。
もっとも観終わってクレジットが終わる頃までには、全く余韻など忘れて晩御飯の事を考えていたから、付け合せは迷わない(笑
今日は行きつけの居酒屋さんで、美味しいお料理と共に「天狗舞 純米吟醸」をいただいて、気分を直した。
石川は車多酒造の歴史ある名酒。
最高の日本酒の一つである。
次はこの酒くらい満足できる映画を観たいものだ。

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![[石川県]天狗舞・古々酒・大吟醸酒・1.8L](http://image.rakuten.co.jp/wshop/data/ws-mall-img/jizakenoshimaya/img64/img1026392631.jpeg)
天狗舞・古々酒・大吟醸酒・1.8L \10000
日本酒を長期保存した酒。少々お高いが、ある意味究極の味です。
原作本です。
こちらはロシア製ファンタジーの古典。
2006年04月03日 (月) | 編集 |
観る前から期待してはいけない映画なのは判っていた。
何しろ昨年の全米公開時は、800館強という決して多いとは言えないスクリーンで公開されたのだが、僅か2週間で60館ほどに・・・
事実上の打ち切りのうえに、批評的には袋叩きにあってる作品なのだ。
それでもこの作品を観に行ったのは、敬愛するレイ・ブラットベリの「いかずちの音」を原作にしているという事と、監督がピーター・ハイアムズであったからだ。
古くは「カプリコン1」「アウトランド」、最近(もう十年前だけど)では「レリック」など、一応メジャーなんだけど、B級テイスト溢れる小品で楽しませてくれた職人監督ハイアムスへの、一片の信頼が劇場へ向かわせたのだ。
西暦2055年。
タイムトラベルを実現したタイムサファリ社は、金持ち相手に6000万年前の白亜紀で恐竜狩りをさせるツアーを組んで大儲けしていた。
絶滅動物の再生を夢見る動物学者のトラビス(エドワード・バーンズ)は、自分の研究も兼ねてツアーガイドをしている。
だがタイムサファリの事業に、もともとのタイムトラベルの開発者であったソニア(キャサリン・マコーミック)は強く反対していた。
タイムトラベルは歴史を変え、人類を滅ぼす可能性すらあるという。
しかしタイムサファリ社長のハットン(ベン・キングズレー)は、そんな意見を一笑にふす。
タイムトラベルは周到に計画・監視され、決して現代からの物を過去へ持ち込まず、逆に過去の物を現代に持ち込む事もしない。
狩猟の対象になる恐竜も、もともとその場所で自然死するはずの恐竜を撃つので、歴史への干渉は防げるはずだった。
だが有る日、ちょっとした銃の故障からツアーが恐竜に襲われ、メンバーがパニックになる事故が起こる。
トラビスの気転で何とか事なきを得て、全員が無事に現在に帰ることが出来たのだが、その日から何かが変わり始める。
植物の異常な繁殖、冬なのに真夏の太陽、奇妙な肉食昆虫の出現。
次第に歴史の変動は大きくなり、やがて街は謎の人食い生物が跋扈するジャングルと変貌する。
原因を調べるトラビスたちは、あの事故の日にメンバーの誰かが白亜紀の世界から1.3gの「何か」を持ち帰ってしまった事を突き止める。
トラビスとソニアは、その「何か」の正体を究明し、歴史を元に戻そうとするのだが・・・・
予告編から大体予測はしていたけど、この映画妙にチープだ。
BoxofficeMojoによると直接製作費だけで8000万ドルに及ぶ大作なのだが、一体どこにそんなにお金がかかっているのか判らない。
不思議に思ってちょっと調べてみると、この映画は2002年に撮影開始されたが、製作元のフランチャイズ・ピクチャーズが経営破綻し、何度も制作が中断した結果、公開までに3年もかかっている。
まあありがちな話だが、どうやら途中でお金を使い果たしてしまったらしい。
そう思ってみると、明らかにシーンが足りなくて、後から追加撮影して辻褄を合わせたような所が何箇所かある。
美術も最初に作ったであろう、タイムマシンの基地みたいなセットはそれなりによく出来ているのだが、後半に行くに従ってどんどんハリボテ感が強くなり、暗闇や蔦で誤魔化してるのがアリアリ(笑
バンクカット(再利用カット)はやたら多いし、CGのデータの使いまわしもかなり目立つ。
画に関して言えば完全にB級であり、正直なところ日本でそれなりの大作扱いで公開されたのがむしろ不思議だ。
いきなりビデオ屋の棚に並んでいても決しておかしくない仕上がりである。
ブラットベリの「いかずちの音」は、過去へ行って狩猟して、帰ってくるまでで終わっている短編なので、原作はあくまでもアイディアという程度。
キーになる部分は使っているが、事実上オリジナルの物語だろう。
ただし、そのオリジナルの部分は決して上出来とは言えない。
全体のプロットは「ジュラシックパーク」の焼き直しだ。
最新科学をビジネスに利用しようとした企業が、ちょっとした人災で大きな危機を招く。
男女二人組みの科学者は、自分たちの知識を駆使してなんとか危機を食い止めようと奮闘するのだが、彼らの行く手には凶暴な生物たちが待ち構えている。
まあ時間旅行とバイオテクノロジーという違いはあれど、基本的な話の流れはほぼ同じ。
そういえば「ジュラシックパーク」もこれも、物語のベースにはカオス理論のバタフライエフェクトを使っていた。
ただし、同じような話でも、最終的な出来には松竹梅と越乃寒梅くらいの差があるのだが。
特にスリリングなサバイバルの途中に、「歴史が元に戻れば死んだ仲間も帰ってくる」みたいなセルフネタバレを平然と言わせてるのは如何なものか。
こんな事言われたら、登場人物がクリーチャーにさらわれようが喰われようが、どうせ最後は皆助かるんだし・・・と思ってしまって緊張感が全く無くなってしまったではないか。
ハイアムズほどのベテランが、そのくらい考えなかったんだろうかと理解に苦しむ。
まあ批判すれば幾らでも出来そうだが、それでも私はこの映画を結構楽しんだ。
ぶっちゃけ面白いかつまらないかと言われたら、凄く面白いとは言いにくい。
脚本は穴だらけだし、映画としての仕上げは荒いし、この映画のたどった悲惨な運命が伺い知れるような出来ではあるのだが、それでも何とかお客さんに楽しんでもらえる物を作ろうとしたスタッフの思いは伝わってくる。
あと基本的に、私は妙な生物が出てくるクリーチャー映画が大好きなのだ。
ハイアムズ監督では「レリック」の巨大ヤモリも良かったけど、この映画のなんだか「アフターマン」に出てきそうな「別の進化の種」はそれだけでワクワクしてしまった。
そんな訳で、客観的にみると決して高評価は出来ないのだが、ある種のダメ映画に愛着を感じる層には、確実にアピールする物を持っていると言っておこう。
あえて劇場まで出かけるのはお勧めは出来ないけど、ビデオ屋の棚の片隅で見かけたら、ちょっと借りてみて損は無いと思う。
さて、今回はバタフライの名を冠したワイン、ドイツのモーゼルは「ツィリケン・バタフライ・リースリング」を。
映画がチープだったので、こちらは軽めながらも香り豊かなリッチな味。
物足りなさを十分に補ってくれるだろう。
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![蝶のように艶やかに軽やかに美しいリースリング! バタフライ・リースリングQ.b.A.[2002]750ml](http://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/miyakata/cabinet/mosel01/bata.jpg?_ex=128x128)
バタフライ・リースリングQ.b.A.[2002]750ml¥2690
何しろ昨年の全米公開時は、800館強という決して多いとは言えないスクリーンで公開されたのだが、僅か2週間で60館ほどに・・・
事実上の打ち切りのうえに、批評的には袋叩きにあってる作品なのだ。
それでもこの作品を観に行ったのは、敬愛するレイ・ブラットベリの「いかずちの音」を原作にしているという事と、監督がピーター・ハイアムズであったからだ。
古くは「カプリコン1」「アウトランド」、最近(もう十年前だけど)では「レリック」など、一応メジャーなんだけど、B級テイスト溢れる小品で楽しませてくれた職人監督ハイアムスへの、一片の信頼が劇場へ向かわせたのだ。
西暦2055年。
タイムトラベルを実現したタイムサファリ社は、金持ち相手に6000万年前の白亜紀で恐竜狩りをさせるツアーを組んで大儲けしていた。
絶滅動物の再生を夢見る動物学者のトラビス(エドワード・バーンズ)は、自分の研究も兼ねてツアーガイドをしている。
だがタイムサファリの事業に、もともとのタイムトラベルの開発者であったソニア(キャサリン・マコーミック)は強く反対していた。
タイムトラベルは歴史を変え、人類を滅ぼす可能性すらあるという。
しかしタイムサファリ社長のハットン(ベン・キングズレー)は、そんな意見を一笑にふす。
タイムトラベルは周到に計画・監視され、決して現代からの物を過去へ持ち込まず、逆に過去の物を現代に持ち込む事もしない。
狩猟の対象になる恐竜も、もともとその場所で自然死するはずの恐竜を撃つので、歴史への干渉は防げるはずだった。
だが有る日、ちょっとした銃の故障からツアーが恐竜に襲われ、メンバーがパニックになる事故が起こる。
トラビスの気転で何とか事なきを得て、全員が無事に現在に帰ることが出来たのだが、その日から何かが変わり始める。
植物の異常な繁殖、冬なのに真夏の太陽、奇妙な肉食昆虫の出現。
次第に歴史の変動は大きくなり、やがて街は謎の人食い生物が跋扈するジャングルと変貌する。
原因を調べるトラビスたちは、あの事故の日にメンバーの誰かが白亜紀の世界から1.3gの「何か」を持ち帰ってしまった事を突き止める。
トラビスとソニアは、その「何か」の正体を究明し、歴史を元に戻そうとするのだが・・・・
予告編から大体予測はしていたけど、この映画妙にチープだ。
BoxofficeMojoによると直接製作費だけで8000万ドルに及ぶ大作なのだが、一体どこにそんなにお金がかかっているのか判らない。
不思議に思ってちょっと調べてみると、この映画は2002年に撮影開始されたが、製作元のフランチャイズ・ピクチャーズが経営破綻し、何度も制作が中断した結果、公開までに3年もかかっている。
まあありがちな話だが、どうやら途中でお金を使い果たしてしまったらしい。
そう思ってみると、明らかにシーンが足りなくて、後から追加撮影して辻褄を合わせたような所が何箇所かある。
美術も最初に作ったであろう、タイムマシンの基地みたいなセットはそれなりによく出来ているのだが、後半に行くに従ってどんどんハリボテ感が強くなり、暗闇や蔦で誤魔化してるのがアリアリ(笑
バンクカット(再利用カット)はやたら多いし、CGのデータの使いまわしもかなり目立つ。
画に関して言えば完全にB級であり、正直なところ日本でそれなりの大作扱いで公開されたのがむしろ不思議だ。
いきなりビデオ屋の棚に並んでいても決しておかしくない仕上がりである。
ブラットベリの「いかずちの音」は、過去へ行って狩猟して、帰ってくるまでで終わっている短編なので、原作はあくまでもアイディアという程度。
キーになる部分は使っているが、事実上オリジナルの物語だろう。
ただし、そのオリジナルの部分は決して上出来とは言えない。
全体のプロットは「ジュラシックパーク」の焼き直しだ。
最新科学をビジネスに利用しようとした企業が、ちょっとした人災で大きな危機を招く。
男女二人組みの科学者は、自分たちの知識を駆使してなんとか危機を食い止めようと奮闘するのだが、彼らの行く手には凶暴な生物たちが待ち構えている。
まあ時間旅行とバイオテクノロジーという違いはあれど、基本的な話の流れはほぼ同じ。
そういえば「ジュラシックパーク」もこれも、物語のベースにはカオス理論のバタフライエフェクトを使っていた。
ただし、同じような話でも、最終的な出来には松竹梅と越乃寒梅くらいの差があるのだが。
特にスリリングなサバイバルの途中に、「歴史が元に戻れば死んだ仲間も帰ってくる」みたいなセルフネタバレを平然と言わせてるのは如何なものか。
こんな事言われたら、登場人物がクリーチャーにさらわれようが喰われようが、どうせ最後は皆助かるんだし・・・と思ってしまって緊張感が全く無くなってしまったではないか。
ハイアムズほどのベテランが、そのくらい考えなかったんだろうかと理解に苦しむ。
まあ批判すれば幾らでも出来そうだが、それでも私はこの映画を結構楽しんだ。
ぶっちゃけ面白いかつまらないかと言われたら、凄く面白いとは言いにくい。
脚本は穴だらけだし、映画としての仕上げは荒いし、この映画のたどった悲惨な運命が伺い知れるような出来ではあるのだが、それでも何とかお客さんに楽しんでもらえる物を作ろうとしたスタッフの思いは伝わってくる。
あと基本的に、私は妙な生物が出てくるクリーチャー映画が大好きなのだ。
ハイアムズ監督では「レリック」の巨大ヤモリも良かったけど、この映画のなんだか「アフターマン」に出てきそうな「別の進化の種」はそれだけでワクワクしてしまった。
そんな訳で、客観的にみると決して高評価は出来ないのだが、ある種のダメ映画に愛着を感じる層には、確実にアピールする物を持っていると言っておこう。
あえて劇場まで出かけるのはお勧めは出来ないけど、ビデオ屋の棚の片隅で見かけたら、ちょっと借りてみて損は無いと思う。
さて、今回はバタフライの名を冠したワイン、ドイツのモーゼルは「ツィリケン・バタフライ・リースリング」を。
映画がチープだったので、こちらは軽めながらも香り豊かなリッチな味。
物足りなさを十分に補ってくれるだろう。

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