2006年05月25日 (木) | 編集 |
映画は本来映像と音で表現される物だから、文章でその作品を説明するのは難しい物だが、これはその中でも極めつけだろう。
ミヒャエル・ハネケ監督の「隠された記憶」は、文章どころか目に見える映像と音すら直接作品の本質を表してはいない。
これは「スクリーンに投射されたモノ」を、観客が心の中でもう一度読み解き、初めて映画として完成する異色のスリラーなのだ。
テレビの人気キャスターのジョルジュ(ダニエル・オートゥイユ)は、妻のアン(ジュリエット・ビノシュ)と息子のピエロ(レクター・マクドンスキ)と共に幸せな生活を送っていた。
ある日、彼らの家を延々と写した奇妙なビデオテープが送られてくる。
最初のうちは単なるイタズラかと思っていたジョルジュだったが、ビデオは不気味な画と共に、何度も送られてくる。
その内容も、単に家を写した物から、他人の知らないジョルジュの過去に関係する映像へと変化してくる。
犯人の目的はなんなのか。
次第に恐怖に駆られる一家だったが、ジョルジュは遠い過去に封印した一つの記憶に思い当たる。
それはフランスがアルジェリアを支配していた40年以上昔、ジョルジュが幼い頃にアルジェリア移民の少年に犯した、小さな「罪」の記憶だった・・・
映画は一軒の家を延々と写したビデオテープから始まる。
何の変哲も無い日常の風景。
一体誰が、何のためにこんな物を送りつけてきたのか。
物語はここから、一人の男とその家族の、隠された内面を、深く静かに探っていく。
作品のタイトルでもある「HIDDEN( Caché)」は非常に象徴的だ。
確かに、この作品ではあらゆる物が隠されている。
主人公の隠された記憶というのが物語上の大きなファクターなのだが、ハネケは物語上だけではなく、表現のあちこちに「隠す」というキーワードを散りばめた。
この話は表面から隠された、見えない部分にこそ物語の本質があるという、映像メディアとして非常に大胆な構造を持っている。
この映画の場合、画面に写っているのは物語のほんの一部に過ぎず、観客は終始行間を読まなければならない。
もっともハネケはそれなりに親切な人の様で、特に意識せずとも観客の心理を自然と行間に導いてくれる。
例えば送られてきたビデオテープ。
画面はずっとそのビデオを見ているジョルジュの主観ショットだ。
またオフィスに届いた気味の悪い葉書。
これもジョルジュの主観ショットで、彼の顔は見えない。
ここは普通の映画であれば、切り返しで彼の顔を捉え、反応を見せるだろう。
だが、ハネケはあえてジョルジュの表情を観客から「隠す」ことで、ある種のもどかしさと不安感を煽り、見えない物への想像力を書き立てる。
この瞬間、ジョルジュはどんな表情をしているのだろうか?何を思っているのだろうか?
観客は自然にハネケの術中にはまり、写っていない行間を読む作業に没頭するのだ。
ビデオテープの映像自体も「隠す」事のメタファーになっている。
延々と写される家、しかし中は見えない。
物語の展開にしたがって、ビデオが写し出す対象が変わっても、それは部屋の中に入らない。
そしてジョルジュがビデオに導かれる様に過去の封印を解き、隠された過去と向き合う瞬間、ビデオの映像は突然部屋の真中に飛び出すのだ。
これはビデオテープの映像が、物語上の装置であるのと同時に、精神性に置いてはジョルジュの心象映像でもあるということだろう。
それは、この映画のビデオ画像に、走査線が表現されていない事からも想像できる。
映画の中で「ビデオ画像」という設定で映像を見せる場合、他のシーンと差別化するために質感を変えるのが普通だ。
しかしこの作品のビデオ画像は他のシーンと全く同じ質感で表現されている。
つまり、別ける必要が無いのだ。
様々なレトリックを駆使して、ハネケがこの作品に「隠した物」は何か。
それはたぶん一つではないのだろう。
想像力を逞しくすれば、この映画からは隠されたいろいろなテーマを読み取る事が出来る。
それは一人の人間の抱える心の闇の問題だったり、フランスとアルジェの間にある政治的なテーマだったり、人種間の葛藤だったりと様々だ。
あえて言えば、この映画自体が人間の心の本質を探る装置のような物かも知れない。
考えてみれば、ミヒャエル・ハネケの作品と言うのは、毎回スタイルは違うものの、いつだって人間の内面を炙り出すために存在している。
さて、色々と物議をかもしているラストだが、これはもう非常にシンプルに受け取って良いと思う。
このシーンのテーマ的な解釈については色々と想像できるだろう。
ただ私は、サスペンス映画としてのこの映画が、実は冒頭で既にネタバレしているというのを再確認出来たと受け取ったのだけど、いかがだろうか。
さて今回はハネケの故郷であるオーストリア産のワインをチョイス。
オーストリアは結構ワインどころであり、美味しいワインも多い。
そんな中でこちら、オーストリア独自の白葡萄、グリューナー・ヴェルトリーナーのワイン「ベルンハルト・オット・グリューナー・ヴェルトリーナー・ローゼンベルク・レゼルヴ」はなかなかの飲み応え。
映画の後は、ワインに隠された複雑な味を発見するのも良いのではなかろうか。
記事が気に入ったらクリックしてね

こちらもクリック!

も一回お願い!
![ベルンハルト・オット・グリューナー・ヴェルトリーナー・ローゼンベルク・レゼルヴ[2003]年B...](http://image.rakuten.co.jp/wshop/data/ws-mall-img/wineuki/img64/img10161983660.jpeg)
ベルンハルト・オット・グリューナー・ヴェルトリーナー・ローゼンベルク・レゼルヴ[2004]年 \3580
ミヒャエル・ハネケ監督の「隠された記憶」は、文章どころか目に見える映像と音すら直接作品の本質を表してはいない。
これは「スクリーンに投射されたモノ」を、観客が心の中でもう一度読み解き、初めて映画として完成する異色のスリラーなのだ。
テレビの人気キャスターのジョルジュ(ダニエル・オートゥイユ)は、妻のアン(ジュリエット・ビノシュ)と息子のピエロ(レクター・マクドンスキ)と共に幸せな生活を送っていた。
ある日、彼らの家を延々と写した奇妙なビデオテープが送られてくる。
最初のうちは単なるイタズラかと思っていたジョルジュだったが、ビデオは不気味な画と共に、何度も送られてくる。
その内容も、単に家を写した物から、他人の知らないジョルジュの過去に関係する映像へと変化してくる。
犯人の目的はなんなのか。
次第に恐怖に駆られる一家だったが、ジョルジュは遠い過去に封印した一つの記憶に思い当たる。
それはフランスがアルジェリアを支配していた40年以上昔、ジョルジュが幼い頃にアルジェリア移民の少年に犯した、小さな「罪」の記憶だった・・・
映画は一軒の家を延々と写したビデオテープから始まる。
何の変哲も無い日常の風景。
一体誰が、何のためにこんな物を送りつけてきたのか。
物語はここから、一人の男とその家族の、隠された内面を、深く静かに探っていく。
作品のタイトルでもある「HIDDEN( Caché)」は非常に象徴的だ。
確かに、この作品ではあらゆる物が隠されている。
主人公の隠された記憶というのが物語上の大きなファクターなのだが、ハネケは物語上だけではなく、表現のあちこちに「隠す」というキーワードを散りばめた。
この話は表面から隠された、見えない部分にこそ物語の本質があるという、映像メディアとして非常に大胆な構造を持っている。
この映画の場合、画面に写っているのは物語のほんの一部に過ぎず、観客は終始行間を読まなければならない。
もっともハネケはそれなりに親切な人の様で、特に意識せずとも観客の心理を自然と行間に導いてくれる。
例えば送られてきたビデオテープ。
画面はずっとそのビデオを見ているジョルジュの主観ショットだ。
またオフィスに届いた気味の悪い葉書。
これもジョルジュの主観ショットで、彼の顔は見えない。
ここは普通の映画であれば、切り返しで彼の顔を捉え、反応を見せるだろう。
だが、ハネケはあえてジョルジュの表情を観客から「隠す」ことで、ある種のもどかしさと不安感を煽り、見えない物への想像力を書き立てる。
この瞬間、ジョルジュはどんな表情をしているのだろうか?何を思っているのだろうか?
観客は自然にハネケの術中にはまり、写っていない行間を読む作業に没頭するのだ。
ビデオテープの映像自体も「隠す」事のメタファーになっている。
延々と写される家、しかし中は見えない。
物語の展開にしたがって、ビデオが写し出す対象が変わっても、それは部屋の中に入らない。
そしてジョルジュがビデオに導かれる様に過去の封印を解き、隠された過去と向き合う瞬間、ビデオの映像は突然部屋の真中に飛び出すのだ。
これはビデオテープの映像が、物語上の装置であるのと同時に、精神性に置いてはジョルジュの心象映像でもあるということだろう。
それは、この映画のビデオ画像に、走査線が表現されていない事からも想像できる。
映画の中で「ビデオ画像」という設定で映像を見せる場合、他のシーンと差別化するために質感を変えるのが普通だ。
しかしこの作品のビデオ画像は他のシーンと全く同じ質感で表現されている。
つまり、別ける必要が無いのだ。
様々なレトリックを駆使して、ハネケがこの作品に「隠した物」は何か。
それはたぶん一つではないのだろう。
想像力を逞しくすれば、この映画からは隠されたいろいろなテーマを読み取る事が出来る。
それは一人の人間の抱える心の闇の問題だったり、フランスとアルジェの間にある政治的なテーマだったり、人種間の葛藤だったりと様々だ。
あえて言えば、この映画自体が人間の心の本質を探る装置のような物かも知れない。
考えてみれば、ミヒャエル・ハネケの作品と言うのは、毎回スタイルは違うものの、いつだって人間の内面を炙り出すために存在している。
さて、色々と物議をかもしているラストだが、これはもう非常にシンプルに受け取って良いと思う。
このシーンのテーマ的な解釈については色々と想像できるだろう。
ただ私は、サスペンス映画としてのこの映画が、実は冒頭で既にネタバレしているというのを再確認出来たと受け取ったのだけど、いかがだろうか。
さて今回はハネケの故郷であるオーストリア産のワインをチョイス。
オーストリアは結構ワインどころであり、美味しいワインも多い。
そんな中でこちら、オーストリア独自の白葡萄、グリューナー・ヴェルトリーナーのワイン「ベルンハルト・オット・グリューナー・ヴェルトリーナー・ローゼンベルク・レゼルヴ」はなかなかの飲み応え。
映画の後は、ワインに隠された複雑な味を発見するのも良いのではなかろうか。

記事が気に入ったらクリックしてね

こちらもクリック!

も一回お願い!
![ベルンハルト・オット・グリューナー・ヴェルトリーナー・ローゼンベルク・レゼルヴ[2003]年B...](http://image.rakuten.co.jp/wshop/data/ws-mall-img/wineuki/img64/img10161983660.jpeg)
ベルンハルト・オット・グリューナー・ヴェルトリーナー・ローゼンベルク・レゼルヴ[2004]年 \3580
スポンサーサイト
| ホーム |