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2006年06月25日 (日) | 編集 |
「ビックリした!」というのがファーストインプレッション。
ジョン・ラセター御大自らが、久々に送り出してきた作品が、これほどマニアックな代物だったとは。
「カーズ」は、勿論非常に優れたファミリー映画であるのだが、それ以上にアメリカの自動車文化とモータースポーツを愛する者にとっては、感涙必死のマニアックムービーである。
その意味で、これは子供向けの映画ではない。
私はあえて、この映画のコアターゲットは「嘗て少年であった、クルマを愛する大人気ないオッサン」であると言いたい。
今までのピクサーアニメと決定的に違うのは、作品が現実をかなり反映していて、物語の背景を知っているのと知らないのとではかなり作品の理解に差が出そうな事。
判る人には判るけど的な部分が多く、ファミリー映画としては減点なのだが、ある意味で早くもマンネリズムに陥っているアメリカCGアニメにあって、この冒険は高く評価したい。
新進レーシングカーのライトニング・マックイーン(オーウェン・ウィルソン)は、長年の憧れであったピストン・カップに挑むために、カリフォルニアに移動する事に。
ところがその途中で、ひょんな事からトランスポーターから落っこちてしまい、地図にも載っていない町、ラジエーター・スプリングスに迷い込んでしまう。
そこは訪れる車も無く、時間に忘れ去られた様な田舎町。
パトカーに追われて町の道路を壊してしまったマックイーンは、裁判で判事を勤める町の有力者、ドク・ハドソン(ポール・ニューマン)に自分が壊した道路の修復を命じられる。
渋々と道路を直し始めるマックイーンだったが、次第に町に住む車たち、トーイングカーのメーターや、都会からのIターン組のポルシェのサリー、フィアットのタイヤ屋ルイジたちの暖かさに触れ、不思議な居心地のよさを感じるのだったが・・・
考えてみればジョン・ラセターの監督作品というのは、「トイ・ストーリー」=「おもちゃ」、「バッグズ・ライフ」=「虫」、そして今回の「クルマ」と男の子が大好きなものばかりを扱ってきた。
他のピクサー作品の監督たちが、父性であったり、ミドルエイジクライシスであったり、それなりに大人の視点でファミリー映画を描いているのに対して、ラセター御大自身は実は大人になり切れない大人、究極の趣味人だったのかもしれない。
物語の舞台となるのは、地図から消えた町ラジエーター・スプリングス。
忘れ去られた旧街道、実在するルート66沿いの田舎町だ。
この映画を真に楽しむためには、このルート66への理解が不可欠であると思う。
アメリカ人は敬愛を込めて、この道をMother Roadと呼ぶ。
五大湖沿岸のイリノイ州シカゴから、カリフォルニア州サンタモニカを結ぶ全長2400マイルに及ぶ長大な街道で、正式に設置されたのは1926年。
合衆国最古の国道の一つである。
だがこのルート自体は、一部は西部開拓時代の幌馬車のルートであり、また古代ネイティブアメリカンの交易ルートでもあった。
その歴史はアメリカ合衆国の歴史よりも古く、正に大陸のMother Roadと呼ぶに相応しい。
ルート66は大陸の東と西を結ぶ大動脈として、半世紀以上に渡ってモノや人、そして文化を運んできた。
その存在がアメリカにとってどれほど重要だったかは、ルート66を描いた様々な小説や映画や音楽によっても知ることができる。
だが、この味わいのある街道も、1985年に近代的なインターステートフリーウェイの全線開通を受けて廃線となる。
映画の舞台となっているのは、ルート66の中でも最後にインターステートI-40号線に置き換えられた、ニューメキシコからアリゾナを抜けるエリアだ。
実際にこのあたりをドライブすると、I-40号線に寄り添うように、荒れた旧道が走り“Historic Route 66”の標識を見ることができる。
90年代頃から当時を懐かしむ人々によって、道路の保存運動が進められ、現在では沿線各州にルート66保存会が活動し、史跡指定されている。
「カーズ」の物語の直接的なアイディアは、このルート66保存運動から来ているのかも知れない。
このあたりには本当に時間に忘れ去られた様な、小さな寂れた街が点在しているのだ。
この映画のもう一つの文化的な背景は、アメリカのモータースポーツだ。
アメリカではヨーロッパのモータースポーツとは全く別に、陸上競技場を巨大にしたようなオーバルトラックでのスタジアムモータースポーツが発展した。
その中でも特にアメリカ南部をバックグラウンドとするのが、NASCARに代表される、一見普通の車の形をしたレーシングカーで行われる、ストックカーレースである。
円周が最大3.2キロものオーバルトラックを時速200マイルで駆け抜けるストックカーレースは、一説には禁酒法時代に酒を満載してパトカーを振り切るために、特別に改造された車がルーツとも言われる。
ショーアップされた内容と見た目の判りやすさで、半世紀以上の歴史を持ち、二代、三代と「家業」として継承されているレーシングファミリーも少なくない。
この作品で、スーパースターの“the King”を堂々と演じているリチャード・ペティも、実際に現役時代キング・ペティと呼ばれた伝説のチャンピオンだ。
ペティ以外にもF1とインディカーのダブルタイトルホルダーであるマリオ・アンドレッティや、ミハエル・シューマッハら本物のレーシングドライバー達が自分の役(勿論車になっているが)で大挙ゲスト出演しているのも、ファンには涙もの。
同じように、主人公のライトニング・マックイーンは、伝説的なアクションスターであり、レーシングドライバーとしても知られるスティーブ・マックイーンをイメージしたキャラクターだろうし、その師匠となるドク・ハドソンを演じるポール・ニューマンも、自身が偉大なレーシングドライバーでもある。
こう言ったマニアックなディティールを眺めているだけでも、クルマ好きのオッサンは飽きないのだが、勿論物語もしっかりと良く出来ている。
基本的に、この物語は「スローライフの勧め」である。
主人公のライトニング・マックイーンは華やかなレーシングカーだが、本心から話せる友もいないし、心休まる時間も無い。
誰一人知る人のいない田舎町で「捕らわれの身」になって、初めてじっくりと自分を振り返る事が出来る。
そのラジエーター・スプリングスを地図から消し去った、インターステートフリーウェイも同じだ。
何よりも効率優先で、成功への強迫観念から疾走し続けるアメリカの姿そのもの。
ジョン・ラセターは、アメリカの持つ豊かな文化遺産である「クルマ」という素材を通して、効率化の果てに失ってしまったもの、古き良きアメリカンスピリッツを描き出す。
そんなに急いで何処行くの?
その成功は本当の幸せをもたらしてくれたの?
失ってしまったものは本当に無いの?
よくよく考えてみれば「クルマ」というものは不思議だ。
速く、快適に、安全に移動するという、効率を最大限追求した製品でありながら、時として効率とは真逆の趣味性を併せ持つ。
ラセターがこのテーマを描くのに、「クルマ」を選んだのは、彼の趣味もさる事ながらクルマの持つ二面性(それはある意味人間そのものだ)が、物語を象徴すると考えたからだろう。
地図から消えた町、ラジエーター・スプリングスは、ある意味で現代人の理想郷だ。
物語の最後で、町は再び賑わいを取り戻すが、それは決して効率化に飲み込まれた訳ではなく、人々(この作品の場合クルマたち)が、一歩立ち止まって考えたからに他ならない。
もしアメリカをクルマで旅する機会があれば、時にはインターステートから降りて、古き良き街道をゆっくりと走ってみる事をお勧めする。
この映画に登場する実に魅力的な風景は、決してアニメの中だけの創作ではなく、基本的に全て実在する。
幾つものラジエーター・スプリングスもまた、誰もがいける場所に存在するのだ。
余談だが、ラジエーター・スプリングスの住人に、フィアット500のルイジがいるのだが、私の知る限りアメリカでオフィシャルにフィアット500が売られた事は無い。
色から言っても、これは「ルパン三世/カリオストロの城」へのラセター流のオマージュの気がする。
そう言えば、宮崎駿もクルマオタクの趣味人だった。
さて、本作の主人公、ライトニング・マックイーンはストックカー。
ストックカーレースを見るにはやっぱり、水みたいに飲みやすいアメリカンビール以外にはあり得ない。
レースのスポンサーもやってる「バドワイザー」で良いでしょう。
青空の下のスタジアムで、バドで渇きを癒しながら、時速200マイルのバトルを堪能する。
いや~久々に日本でも開催してくれないかねえ。
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ジョン・ラセター御大自らが、久々に送り出してきた作品が、これほどマニアックな代物だったとは。
「カーズ」は、勿論非常に優れたファミリー映画であるのだが、それ以上にアメリカの自動車文化とモータースポーツを愛する者にとっては、感涙必死のマニアックムービーである。
その意味で、これは子供向けの映画ではない。
私はあえて、この映画のコアターゲットは「嘗て少年であった、クルマを愛する大人気ないオッサン」であると言いたい。
今までのピクサーアニメと決定的に違うのは、作品が現実をかなり反映していて、物語の背景を知っているのと知らないのとではかなり作品の理解に差が出そうな事。
判る人には判るけど的な部分が多く、ファミリー映画としては減点なのだが、ある意味で早くもマンネリズムに陥っているアメリカCGアニメにあって、この冒険は高く評価したい。
新進レーシングカーのライトニング・マックイーン(オーウェン・ウィルソン)は、長年の憧れであったピストン・カップに挑むために、カリフォルニアに移動する事に。
ところがその途中で、ひょんな事からトランスポーターから落っこちてしまい、地図にも載っていない町、ラジエーター・スプリングスに迷い込んでしまう。
そこは訪れる車も無く、時間に忘れ去られた様な田舎町。
パトカーに追われて町の道路を壊してしまったマックイーンは、裁判で判事を勤める町の有力者、ドク・ハドソン(ポール・ニューマン)に自分が壊した道路の修復を命じられる。
渋々と道路を直し始めるマックイーンだったが、次第に町に住む車たち、トーイングカーのメーターや、都会からのIターン組のポルシェのサリー、フィアットのタイヤ屋ルイジたちの暖かさに触れ、不思議な居心地のよさを感じるのだったが・・・
考えてみればジョン・ラセターの監督作品というのは、「トイ・ストーリー」=「おもちゃ」、「バッグズ・ライフ」=「虫」、そして今回の「クルマ」と男の子が大好きなものばかりを扱ってきた。
他のピクサー作品の監督たちが、父性であったり、ミドルエイジクライシスであったり、それなりに大人の視点でファミリー映画を描いているのに対して、ラセター御大自身は実は大人になり切れない大人、究極の趣味人だったのかもしれない。
物語の舞台となるのは、地図から消えた町ラジエーター・スプリングス。
忘れ去られた旧街道、実在するルート66沿いの田舎町だ。
この映画を真に楽しむためには、このルート66への理解が不可欠であると思う。
アメリカ人は敬愛を込めて、この道をMother Roadと呼ぶ。
五大湖沿岸のイリノイ州シカゴから、カリフォルニア州サンタモニカを結ぶ全長2400マイルに及ぶ長大な街道で、正式に設置されたのは1926年。
合衆国最古の国道の一つである。
だがこのルート自体は、一部は西部開拓時代の幌馬車のルートであり、また古代ネイティブアメリカンの交易ルートでもあった。
その歴史はアメリカ合衆国の歴史よりも古く、正に大陸のMother Roadと呼ぶに相応しい。
ルート66は大陸の東と西を結ぶ大動脈として、半世紀以上に渡ってモノや人、そして文化を運んできた。
その存在がアメリカにとってどれほど重要だったかは、ルート66を描いた様々な小説や映画や音楽によっても知ることができる。
だが、この味わいのある街道も、1985年に近代的なインターステートフリーウェイの全線開通を受けて廃線となる。
映画の舞台となっているのは、ルート66の中でも最後にインターステートI-40号線に置き換えられた、ニューメキシコからアリゾナを抜けるエリアだ。
実際にこのあたりをドライブすると、I-40号線に寄り添うように、荒れた旧道が走り“Historic Route 66”の標識を見ることができる。
90年代頃から当時を懐かしむ人々によって、道路の保存運動が進められ、現在では沿線各州にルート66保存会が活動し、史跡指定されている。
「カーズ」の物語の直接的なアイディアは、このルート66保存運動から来ているのかも知れない。
このあたりには本当に時間に忘れ去られた様な、小さな寂れた街が点在しているのだ。
この映画のもう一つの文化的な背景は、アメリカのモータースポーツだ。
アメリカではヨーロッパのモータースポーツとは全く別に、陸上競技場を巨大にしたようなオーバルトラックでのスタジアムモータースポーツが発展した。
その中でも特にアメリカ南部をバックグラウンドとするのが、NASCARに代表される、一見普通の車の形をしたレーシングカーで行われる、ストックカーレースである。
円周が最大3.2キロものオーバルトラックを時速200マイルで駆け抜けるストックカーレースは、一説には禁酒法時代に酒を満載してパトカーを振り切るために、特別に改造された車がルーツとも言われる。
ショーアップされた内容と見た目の判りやすさで、半世紀以上の歴史を持ち、二代、三代と「家業」として継承されているレーシングファミリーも少なくない。
この作品で、スーパースターの“the King”を堂々と演じているリチャード・ペティも、実際に現役時代キング・ペティと呼ばれた伝説のチャンピオンだ。
ペティ以外にもF1とインディカーのダブルタイトルホルダーであるマリオ・アンドレッティや、ミハエル・シューマッハら本物のレーシングドライバー達が自分の役(勿論車になっているが)で大挙ゲスト出演しているのも、ファンには涙もの。
同じように、主人公のライトニング・マックイーンは、伝説的なアクションスターであり、レーシングドライバーとしても知られるスティーブ・マックイーンをイメージしたキャラクターだろうし、その師匠となるドク・ハドソンを演じるポール・ニューマンも、自身が偉大なレーシングドライバーでもある。
こう言ったマニアックなディティールを眺めているだけでも、クルマ好きのオッサンは飽きないのだが、勿論物語もしっかりと良く出来ている。
基本的に、この物語は「スローライフの勧め」である。
主人公のライトニング・マックイーンは華やかなレーシングカーだが、本心から話せる友もいないし、心休まる時間も無い。
誰一人知る人のいない田舎町で「捕らわれの身」になって、初めてじっくりと自分を振り返る事が出来る。
そのラジエーター・スプリングスを地図から消し去った、インターステートフリーウェイも同じだ。
何よりも効率優先で、成功への強迫観念から疾走し続けるアメリカの姿そのもの。
ジョン・ラセターは、アメリカの持つ豊かな文化遺産である「クルマ」という素材を通して、効率化の果てに失ってしまったもの、古き良きアメリカンスピリッツを描き出す。
そんなに急いで何処行くの?
その成功は本当の幸せをもたらしてくれたの?
失ってしまったものは本当に無いの?
よくよく考えてみれば「クルマ」というものは不思議だ。
速く、快適に、安全に移動するという、効率を最大限追求した製品でありながら、時として効率とは真逆の趣味性を併せ持つ。
ラセターがこのテーマを描くのに、「クルマ」を選んだのは、彼の趣味もさる事ながらクルマの持つ二面性(それはある意味人間そのものだ)が、物語を象徴すると考えたからだろう。
地図から消えた町、ラジエーター・スプリングスは、ある意味で現代人の理想郷だ。
物語の最後で、町は再び賑わいを取り戻すが、それは決して効率化に飲み込まれた訳ではなく、人々(この作品の場合クルマたち)が、一歩立ち止まって考えたからに他ならない。
もしアメリカをクルマで旅する機会があれば、時にはインターステートから降りて、古き良き街道をゆっくりと走ってみる事をお勧めする。
この映画に登場する実に魅力的な風景は、決してアニメの中だけの創作ではなく、基本的に全て実在する。
幾つものラジエーター・スプリングスもまた、誰もがいける場所に存在するのだ。
余談だが、ラジエーター・スプリングスの住人に、フィアット500のルイジがいるのだが、私の知る限りアメリカでオフィシャルにフィアット500が売られた事は無い。
色から言っても、これは「ルパン三世/カリオストロの城」へのラセター流のオマージュの気がする。
そう言えば、宮崎駿もクルマオタクの趣味人だった。
さて、本作の主人公、ライトニング・マックイーンはストックカー。
ストックカーレースを見るにはやっぱり、水みたいに飲みやすいアメリカンビール以外にはあり得ない。
レースのスポンサーもやってる「バドワイザー」で良いでしょう。
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