酒を呑んで映画を観る時間が一番幸せ・・・と思うので、酒と映画をテーマに日記を書いていきます。 映画の評価額は幾らまでなら納得して出せるかで、レイトショー価格1200円から+-が基準で、1800円が満点です。
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UDON・・・・・評価額1250円
2006年08月29日 (火) | 編集 |
お昼ご飯にたまたま讃岐うどんを食べ、そのままフラフラと劇場へ。
私をこの映画に誘ったのは、間違いなく「UDON」の力だ(笑
「踊る大捜査線」シリーズの本広克行監督が、故郷の香川県とソウルフード「讃岐うどん」への思いを詰め込んだグルメムービー。
とりあえず、讃岐うどんはウマイ!

NYでスタンダップコメディアンを目指していた松井香助(ユースケ・サンタマリア)は、巨額の借金を抱え、夢破れて故郷の香川に帰る。
香助の実家は、このうどんの国で製麺所を経営していた。
不人気なタウン情報誌に職を得た香助は、讃岐うどんを雑誌のウリにする事を思いつく。
ライターの恭子(小西真奈美)や幼馴染の広告マン・庄介(トータス松本)の助けを借りた香助は、次第に讃岐うどんのもつディープな世界に魅せられてゆく。
彼らの紹介する「UDON」の奥深い世界は日本全国に大ブームを巻き起こすのだが、それは同時に香助にとって一度は背を向けた父(木場勝己)との邂逅でもあった・・・


思い返してみると本広克行という人の映画は殆ど観ている。
「踊る~」シリーズは勿論、古くは「友子の場合」「サトラレ」「スペーストラベラーズ」から、昨年の「サマータイムマシン・ブルース」まで、この人の映画には共通した特徴がある。
よほどサービス精神が旺盛なのか、それともテレビ局&代理店主導のマーケッティング映画の世界にあまりにもどっぷり漬かりすぎなのか、一言で言ってくどいのだ。
せっかく出来の良い料理を作れるのに、最後に余計なスパイスを加えてぶち壊しにしてしまう、勿体無い料理人という印象がある。
決して嫌いではない。
嫌いだったらたぶんこんなに沢山観てないだろうし、どこか魅力のある映画を作っている人だとは思う。
しかし、何ともくどいのだ。
「サトラレ」のクライマックスで、泣かせの演出を延々と繰り返すシーン。
「踊る~」の1作目で青島のリハビリの頑張りをしつこく強調するシーン。
「スペーストラベラー」のアニメキャラへの妙なこだわりの強調。
どれももう少し控えめな演出をしておけば、ジンワリと感動が湧き上がってくるのに、演出があまりにも強調してくるから、逆にあざとく感じてしまう。
本広監督の映画を観ると、いつもくどい部分を編集して切りたい欲求におそわれる。

残念ながら、今回の作品にもその特徴はアリアリ。
まずは要素がてんこもり過ぎだろう。
この映画には、それぞれに一本の映画を構成できる要素が三つもある。
まず前半の、うどんブームを巡る物語。
次に父と子の葛藤を中心とした、松井製麺所の家族の物語。
さらにはセミドキュメント風に語られる、香川のうどん文化そのものの物語。
ぶっちゃけ、映画の中心となるのは松井製麺所の父子の物語だし、うどんブームのところは無くても映画は成立する。
たぶん、香助たちと同じように、本広監督も取材を進めていくうちに、あまりにも奥深くて面白い香川のうどん文化を盛り込みたくなって、切るに切れなくなってしまったのだろうと想像するが、後半の松井製麺の味を再現する過程でうどん文化に切り込むという展開もアリだったと思うし、もう少し要素を整理する方法はいくらでもあったと思う。

それに、かなりオーバーに語られる、うどんブームの描写は正直違和感があった。
何故なら、グルメの世界で讃岐うどんの「ブーム」っていうのは、だいぶ前から実際に来ているからだ。
讃岐うどんブームって言われ始めて、もう3、4年にはなるんじゃないだろうか?
現実世界でとっくにブームになっている物を、映画でいかにも作り物臭いブームの描写をしても、ウソに見えるだけではないか。
観客はとっくに、ブームが映画みたいな物ではない事を知っているのだ。

香助が子供の頃に夢想したという設定で、物語の中でかなりのウェイトを占める「キャプテンUDON」というキャラクターも今ひとつしっくり来なかった。
私は、子供はあんなキャラクターを考えないと思う。
父親の職業に憧れるなら、「かっこいいうどん屋になりたい」とか「かっこいい運ちゃんになりたい」とかは考えるだろうが、親父をスーパーヒーローに夢想する子供には、自分が子供だった頃を含めて、会った事が無い
ああいうのは代理店のマーケッティングの発想だろうと思う。
物語のオチにも繋がってくるキャラクターなのだが、これも不必要に過剰なサービス精神と商業主義の副産物に見えてしまうのが悲しい。
せっかく香川のソウルを表現する機会なのに、そのスタイルは劇中でうどんブームを仕掛けようとするテレビ局と同じに見えてしまう。

しかし、そういう表層的な表現の部分とは対照的に、本広監督が「大いなる自主映画」と語るように、この映画には彼自身の故郷香川への思いが一杯つまっているのも事実だ。
讃岐富士とも呼ばれる美しいフォルムの飯ノ山がそびえ、キラキラと陽光を反射する沢山の溜め池が点在する讃岐平野の風景は、ある意味日本のハートランドと呼ぶに相応しい。
殆どドキュメンタリーの様に登場する実在のうどん屋は、それだけで香川に飛んで行きたくなるほど食欲をそそる。
混乱した作劇のせいでややかすんでしまったが、松井製麺所の家族の物語をはじめ、恭子や庄介の人生がちらりと垣間見られるエピソードもなかなか良い。
香助と父の四十九日のエピソードには、正直言って少し泣かされた。
映画のベースには、素晴らしい作品になりえるポテンシャルは十分にあったのだ。

なのに、やっぱり・・・決定的に詰め込み過ぎでくどい。
四十九日のエピソードにしても、ああいうファンタジーは一回で良いのに、わざわざ二度見せるしつっこさが余韻を壊している。
観客はそんなに想像力が無くもなければ、バカでもない。
これが本広克行という演出家のスタイルなのかもしれない。
しかし私は、もうちょっと肩の力を抜いて、観客を信頼して映画を撮ってみるべきだと思う。
しっかりとした技術と情熱で打ったうどんは、素のままでも十分美味しい。
その事は彼自身が十分知っているだろうが、讃岐うどんにいえる事は、実は映画にもそのまま当てはまるのだ。
私は余計なスパイスや場違いな具の入っていない、素の本広克行監督作品が観てみたいと思う。
ソウルフードって、得てしてシンプルな物だと思うんだけどな。

さて、讃岐うどんにはやはり香川の地酒。
明治24年からこの地で酒作りを続ける川鶴酒造「無濾過 旨口 純米」を。
それほど辛口でなく、すっきりとしてとても飲みやすい。
うどんが小麦の美味さなら、こちらは米の美味さ。
釜上げの讃岐うどんに天麩羅を肴にしたら最高だろう。
冷でも燗でもいけるのも、うどんっぽい? 

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川鶴・無濾過 旨口  純米(1.8L)
川鶴・無濾過 旨口  純米(1.8L)\2550

■極上半生讃岐うどん・包丁切り
極上半生讃岐うどん・包丁切り \3460

手打ちうどんセット
家で打ってみる? 手打ちうどんセット \7000


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太陽・・・・・評価額1500円
2006年08月24日 (木) | 編集 |
不思議の国のヒロヒト。
昭和が歴史の彼方に去って、早十七年が経とうとしている。
昭和天皇崩御の1989年には、天皇とは別の意味で昭和を象徴する手塚治虫と美空ひばりが相次いで亡くなり、海外に目を向ければ11月にベルリンの壁が崩壊。
その後相次いで東欧の共産党政権が倒れ、91年のソビエト連邦消滅に繋がって行く。
第二次世界大戦の結果生まれた東西冷戦の時代が、その最後の生き証人の死と共に終わり、新しい時代の幕開けとなる、歴史の節目の年だった。
ロシアの異才、アレクサンドル・ソクーロフ監督が、二十世紀の歴史に残る怪物たちを描く三部作の三作目に選んだのは、その昭和天皇裕仁。
海洋生物学を愛する小柄な老人、千五百年もの歴史を持つ世界最古の王朝の現人神、あるいは二十世紀の一時期、東アジアのほぼ全域を支配した巨大帝国に君臨した”the Emperor”。
日本人ですら理解する事の難しい、神秘的な存在である天皇。
外国人がどう描くかはとても興味深かったのだが、ソクーロフの描く天皇像は、極力政治性を排し、徹底的にパーソナルで、ある意味でとても理解し易い「人間ヒロヒト」だった。

この映画に描かれる天皇の世界は恐ろしく現実感が無い。
まるで紗がかかったように彩度が低く、薄暗い映像は深海を思わせる。
物語は終戦を決めた御前会議で始まり、人間宣言の直後と思しき時期で終わる。
天皇が、自らの存在をドラスティックに変えた数ヶ月の物語だ。

天皇にとっては戦争すら別世界のようだ。
戦争中は迷宮の様な地下壕と、焼け残った研究所だけが彼の世界。
隔絶された世界で、彼は一人苦悩する。
天皇は孤独だ。
何故なら彼は、人間の世界で一人神であり、超越した存在だからだ。
この世界での彼は、ファンタジーの世界の魔法使いの様だ。
人間の愚かしい行為に内心憤りながらも、奥ゆかしいミステリアスな言葉で人間を導く。
誰も彼の言葉に逆らう事は出来ず、しかしながら「神」としての役割も心得なければならない。
映画の前半は皇居の地下の秘密の宮殿で、静かにゆったりと展開する悪夢的なファンタジーだ。

彼を一人の人間と認識して、魔法使いのマントを脱がせたのはむしろ戦後のアメリカ人かもしれない。
マッカーサーとの会見のために皇居を出た天皇は、廃墟と化した東京で、初めてリアルな戦争と出会う。
そして、彼を神どころか一人の戦犯容疑者として見るアメリカ人、マッカーサーとの出会い。
緊張した画面の中で、しかし天皇は確かに解放されつつある。
アメリカ兵の写真に納まり、「チャップリンに似ている」と揶揄されながら、どこか嬉しそうな天皇。
暗い靄の立ち込める東京から、神ではなく一人の人間として新しい国の「太陽」となろうとする。
やがて、疎開していた皇后との再会と、彼自身の「人間宣言」によって、重い扉が開かれるかのように思われるのだが、広間で待つ子供たちのもとへ、皇后とともに嬉しそうに急ごうとする天皇は、ふと立ち止まり侍従長に聞く。
「あの若者はどうしたかね?私の、人間宣言を録音した若者は?」
飛び立とうとする彼に侍従長の言葉が突き刺さる。
「・・・自決いたしました。」
天皇を神の座に縛り付けるのは法律でも国家でもなく、「日本」という得体の知れない巨大な共同体。
それは天皇にとって、世界そのものだ。

イッセー尾形の演じる天皇は、肉体的にはかなりくたびれた中年男だが、記憶の中にある昭和天皇に確かに通じる。
私が物心ついたころ、天皇は既にかなりの老人だったし、子供心には変な喋り方をするお爺さんという印象しかなかった。
しかし、記憶の中の昭和天皇を数十年若返らせ、記録映像などの若き天皇と刷り合わせると、確かにイッセー尾形の天皇となる。
形態模写を超えて、この作品の彼の役作りは本当に見事だと思う。
この作品唯一の女性の登場人物であり、天皇を人間の世界へ導こうとする皇后役には桃井かおり
時間にして僅か五分足らずの出演だが、鮮烈な印象を残す。

考えてみれば、神であれ象徴であれ、国の精神性の頂点に立つというのは大変な事だ。
好むと好まざるとに関わらず、一億二千万の意識(太平洋戦争当時は7千万人ほど)が自分に圧し掛かるのに、「人間」は耐えられるだろうか。
しかも彼の神聖な名の元に、敵味方数百万、数千万の人間が死んだとしても。

エンドクレジットで、一羽の白い鳥が画面右隅にループ映像で繰り返し登場する。
靄の中から現れて、天空へ上昇しようと羽ばたく姿。
記紀神話を読んだ事のある人なら判ると思うが、白鳥はしばしば御霊の象徴として描かれる。
靄が立ち込める地上から、必死に飛び立とうとするあの鳥が、私には悲しき天皇の心に思えた。

この映画はソクーロフという映画作家の目を通してみた、日本という不思議な国の司祭であり王である天皇の物語だ。
所謂実録歴史物とは違うし、正確な人物評伝でもない。
だが、天皇を見つめるソクーロフの視線はとても優しく、真摯だ。
21世紀の現代から、歴史の一ページになろうとしている昭和と、その時代と同じ名を持つ一人の人物を考えたい人には、観て損の無い作品だと思う。

最後に、私自身の天皇制に対する考えを記しておく。
私は、ある種の精神文化としての天皇制は認めても良いのではないかと思っている。
勿論、天皇という超越した存在を制度として認める事が、あらゆる社会的差別の温床であるという考えも理解する。
しかし、それは何も天皇の存在だけに起因する物ではないし、天皇のいない社会でも同様に存在する問題だ。
近代的な意味の国家ではなく、古代から脈々と続くクニの精神的な拠り所として、天皇の果してきた役割は一定の評価をすべきだし、現在においてもそれはあまり変わらないのではないかと思っている。
しかしまあ、こんな事を言えるのも昭和天皇が人間宣言してくれたおかげなのかも知れない・・・・
現在、世界で君主の存在する国は28ヶ国。
しかし”Emperor”の称号を使うのは明仁天皇ただ一人。
文字通りのラスト・エンペラーである。

さて今回は、昭和天皇の御大典の儀でも使われた歴史のある、福井の地酒「梵」の純米大吟醸「日本の翼」(凄い名前・・・)を。
二年熟成の古酒で、マイルドでありながらキレのある飲み口。
この蔵には硬質献上品という触れ込みの「超吟」という酒もあるが、流石にお高いのでこちらは未体験。

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梵 日本の翼 720ml





スーパーマン・リターンズ・・・・・評価額1700円
2006年08月16日 (水) | 編集 |
何とロマンチックな映画だろうか。
ほぼ20年ぶりに蘇った元祖アメリカンヒーロー「スーパーマン・リターンズ」は、正しくファンが待ち望んでいた形で帰って来た。
’78年に発表された「スーパーマン」は、リチャード・ドナー監督以下、原案・共同脚本マリオ・プーゾ、美術ジョン・バリー、音楽ジョン・ウィリアムズと、70年代を代表するスタッフが送りだしたSFアドベンチャーの古典にして、過去何度も映像化された「スーパーマン」の決定版だ。
バットマンなどと違って素顔を常に晒しているスーパーマンの復活は、一歩間違えるとファンから総スカンを喰らう危険性を孕んでいる。
しかし、熱烈なスーパーマンファンであるという、ブライアン・シンガー監督入魂の「スーパーマン・リターンズ」は、オリジナルを内包しつつ、現代的なテーマ性と最新テクノロジーによるダイナミックな映像を加えられ、見事な復活作となったと思う。

スーパーマンことクラーク・ケント(ブランドン・ラウス)が地球を去ってから五年。
故郷クリプトン星を探す旅の果てに、スーパーマンは地球に帰って来た。
久しぶりにデイリープラネット社に出社したクラークだったが、想いを寄せていたロイス・レイン(ケイト・ボスワース)はなんと既に一児の母。
しかも「スーパーマン不要論」でピューリッツア賞を受賞していた。
複雑な思いを抱えるクラークだったが、ロイスの乗った飛行機に事故が発生。
スーパーマンに変身したクラークは、間一髪でロイスを救出する。
再会した二人だったが、五年間の時間はそう簡単には埋まらない。
同じ頃、刑務所を出所したレックス・ルーサーは、北極圏にあるスーパーマンの「孤独なる砦」からクリプトン星の知識を治めたクリスタルを盗み出していた・・・


物語は「スーパーマン2/冒険編」でスーパーマンが地球を去ってから5年後という設定になっている。
なぜかギャグに走って、ファンの間で評判の悪い「スーパーマン3/電子の要塞」と、予算不足でB級テイスト漂う「スーパーマン4/最強の敵」は無かった事にされているが、まあ妥当な判断だろう。
監督のブライアン・シンガーは、自ら育て上げた「X-MEN3」を蹴ってまで、こちらを撮りたかった程のファンだから、流石に「スーパーマン」のツボを知っている。
続編の形をとってはいるが、物語的にはリメイクの色彩も濃い。
オープニングで、宇宙空間に懐かしいスリットスキャン映像のクレジットタイトルが登場し、ジョン・ウィリアムズのテーマ曲が響いた瞬間、もうオールドファンは胸の高鳴りを覚えてしまう。
悪役にレックス・ルーサーを持ってくるあたりや、旧作でスーパーマンの父・ジョー=エルを演じたマーロン・ブランドの、映像と音声での再登場、回想シーンで描かれるスーパーマンの少年時代やクリプトン星の最後など、リチャード・ドナー監督による第一作のテイストをあえて再現している。
大西洋に新大陸を作ってアメリカを沈めてしまうという、ルーサーの凄いんだかマヌケなんだかよく判らない悪の計画も、一作目でルーサーが企んだカリフォルニア沈没計画を思わせる。

物語の筋立ても最近のマーベル系アメコミ映画にくらべると、ある程度おおらかで荒唐無稽。
リアリズムに基づいて、物語を厳密に考えれば、突っ込みどころはいくらでもある。
元々スーパーマンというキャラクター自体が、普通に素顔を晒しているのに、眼鏡をかけて髪形を変えただけで誰も気付かないという、あり得ない設定なので、リアリズムを追求するような作りには向いてないのだ。
シンガーはそのあたりをしっかりと心得ていて、ウソがリアルで通じるスーパーマン世界を作りこんでいる。
一言で言えば、ロマンチックで牧歌的。
作品のリズムも、少々クラシックなゆったりとした物で、アクションシーンも最近のハリウッドアクションの様に細かいカットを繋ぐやり方はしていない。
細切れの映像で強引に見せるのではなく、一カットの中で、何が起こっているのかしっかりと見せる。
シンガー自身の「X-MEN」シリーズと比べても、全体のテンポは明らかにスローだ。
しかしスローテンポとは言っても、単に無駄なカットや間延びしたカットが多くてスローなのとは違う。
いわば計算されたスローテンポであって、観客をスーパーマンの世界に自然に誘うための「映画的時間」なのだ。
現代の映画的テンポに慣れてしまった観客の中には、もしかしたらこの作品のテンポを「たるい」と感じる人もいるかもしれないが、私はこのハリウッド黄金時代を思わせる適度にゆったりしたテンポにすっかり魅了されてしまった。

勿論、単に懐古趣味に走っただけの作品ではない。
旧作に最大限のリスペクトを捧げつつ、テーマ性や映像表現では「今」を追及している。
最初のアメリカンヒーロとも言うべきスーパーマンは、言わばアメリカの善意のメタファーだ。
元々アメリカは、迫害された清教徒たちが自由と博愛を求めて作り上げた実験的な国であり、国の始まりが理想主義からスタートしているのである。
勿論その歴史が必ずしも理想通りではなく、むしろ暴力と血に塗れているのも周知の事実ではあるが、自由・博愛・平等に基づく善意の精神は、多くのアメリカ人にとって理想であり、無償の善意が尊ばれる社会である事には変わりがない。
ところが、スーパーマンが地球を離れている間に、世界は変わってしまった。
9.11が起こり、善意のアメリカは世界中で嫌われ者になり、猜疑心が敵を生むという悪循環に陥ってしまっている。
善意は利権の衣に包まれ、当のアメリカ人自身が、自分達の価値観に対して疑念を抱くようになってしまった。
地球に帰って来たスーパーマンを迎えるのが、ロイス・レインの執筆した「スーパーマン不要論」なのは象徴的だ。
帰って来たスーパーマンは、自分の存在意義に悩むが、結局導き出したものは原点回帰だった。
愚直なまでの無償の善意。
今回のスーパーマンは、いつの間にか暗闇に迷ってしまい、善意の本質に帰ろうとするアメリカのメタファーである。
傷つき、倒れても、人々のために行動しようとするスーパーマンは、アメリカが本来理想としていたはずの美しいキリスト教的精神そのものなのだ。

映像的に特筆すべきは、旧作では技術的に限界のあったスーパーマンの飛翔感で、優美な軌跡を描くカメラワークと共に、実に見事なものとなっている。
まるで頬を撫ぜる風すら感じられそうで、これほどの飛翔感を映像で表現したのは、宮崎駿のアニメ以来ではないだろうか。
お約束のロイス・レインとの空中デートのシーンも、なんとも美しくロマンチックに仕上がっている。

故クリストファー・リーヴからバトンを受け継ぎ、新世代のスーパーマンを演じるブランドン・ラウスは、どことなく面影がリーヴに似ている。
今、リーヴのスーパーマンが、人々の頭にあるスーパーマンのスタンダードである事を考えれば、これは納得。
登場した瞬間から、ラウスのスーパーマンは違和感無く観客に受け入れられるだろう。
ロイス・レインを演じるケイト・ボスワースは、チャーミングだがちょっと気が強そうな顔立ち。
実は旧作のキャスティング最大の欠点といわれたのが、マーゴット・キダーが演じたロイス・レインだった。
彼女自身は優れた女優なのだが、どちらかというとホラー映画のスクリーミングクィーンの印象が強く、神経質そうな顔立ちもあまり「ロイス・レイン」ぽくは無かった。
当時のSF雑誌などでは、SWのキャリー・フィッシャーなども引き合いにだして、「何故SF映画のヒロインはブサイクなのか」などという、非常に失礼な記事があったりしたものだ。
今回のボスワースは、個人的には合格点で、「スーパーマンの彼女」に相応しいと思う。
ジーン・ハックマンからレックス・ルーサー役を受け継いだケビン・スペイシーは、全く顔は似てないが、邪悪ながらどこかマヌケで憎めないハックマンのルーサーを思い起こさせる。
キャラのイメージを壊さず、しかし自分の物にして再生させる。
オスカー俳優の、流石の名演である。

「スーパーマン・リターンズ」には、黄金時代のハリウッド映画のオーラがある。
そしてファンタジーのオブラートに包まれてはいるが、2006年の現実を全く忘れさせる作品でもない。
偶然だろうが、この作品には9.11を描いた「ユナイテッド93」を思わせるシーンが含まれている。
スーパーマンの存在しない現実の厳しさと、映画に垣間見られるロマンチックなアメリカの理想。
スーパーマンの様にありたい、というアメリカの試行錯誤はまだまだ続くのだろう。
そしてもう一つ、この作品では原作コミックでも起こった事の無い、ある意味でとてもショッキングな事実が明かされる。
それは古い物を取り込んで新しい血を作り出すという、作り手が自らに課した、この作品の隠れテーマにもつながるのだが、今後のシリーズとしての展開に大きな影響を与えそうだ。
そう、人類にとっても、映画ファンにとっても、まだまだスーパーマンは必要なのだ。

スーパーマンの舞台となるメトロポリスは、NYをイメージした架空の都市。
ならばNYの愛称である「ビッグ・アップル」で映画をしめよう。
多目の氷を入れたタンブラーにウォッカを注ぎ、アップルジュースを適量加えて軽くステアして完成。
マンハッタンの空中デートの後、カクテルで口説かれたら、誰だってスーパーマンに惚れてしまうだろう。

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ストリチナヤ ウォッカ 500ml











ユナイテッド93
2006年08月15日 (火) | 編集 |
2001年9月11日の朝。
当時アメリカに住んでいた私は、日本からの電話で起こされた。
「今すぐ、テレビをつけろ!大変な事になっているぞ!」
ニュースを見ても、正直最初は何が起こっているのか判らなかった。

え・・・・これ何?映画?

CNNは、WTCのツインタワーに相次いで激突する二機の旅客機の映像を、繰り返し放送していた。
やがてペンダゴンも炎上しているというニュースが流れ、ついにはWTCが巨大な爆煙と共に倒壊した。
日常が突然映画の中に放り込まれた様な、まるで現実感の無い、不思議な感覚だった。
外に出ても、街は死んだようだった。
高層ビルのオフィスが閉鎖され、人が集まる場所は必然的に避けられたので、ダウンタウンからは人通りが消え、人々は生気を失った顔で家路を急いだ。
都市の上空には軍の戦闘機が舞っていた。
やがてニュースの映像は、倒壊するWTCと、日本軍の空襲で炎上するパールハーバーの記録映像へと変わり、新聞には「AMERICA UNDER ATTACK!」の文字が躍った。
何と言うか、漠然と「ああ、戦争が始まったんだ」と思った。
敵も見えない、勝利や敗北すら存在するのか判らない、新しいタイプの戦争。
闇の中をライト無しに走る様な、不安感が社会を覆っていったのを覚えている。

9.11で乗っ取られた飛行機は4機。
3機は目標に到達したが、ワシントンの国会議事堂かホワイトハウスを狙ったと思われる、ユナイテッド93便だけは、目標の遥か手前で墜落した。
墜落直前まで乗客と家族との間で交わされていた電話の内容から、自分たちの運命を知った乗客たちが、犯人グループに戦いを挑んだ結果墜落したと推測されている。
このユナイテッド93便の物語を映画にすると聞いたとき、正直私は嫌悪感を覚えた。
私自身、学生時代の知人をこの事件で亡くしている事もあり、あれからたった5年しか経っていないのに、もう金儲けのネタにするのかと思った。
たぶん犯人と戦った乗客たちの話を、安っぽい英雄物語にするんだろうなという「ハリウッドセオリー」への失望もあった。
実際、映画館で初めて予告編を観た時、自分でも予期しない激しい動悸におそわれて、自分の中での9.11の大きさを実感すると共に「やはりこれは早過ぎるよ」と思ったものだ。
そんな訳で元々観る気はなかったのだが、アメリカ公開時の絶賛に近い評判や、日本で試写を観た人たちの反応、そして何よりもポール・グリーングラス監督が、93便の犠牲者全ての遺族の了承を得て映画化した事を知り、予想していた様な映画とは違うかもしれないと思い、覚悟を決めて観に行った。

結果的に言えば、観て良かったと思う。
私にとって、この映画はあまりにも生々しすぎて、一本の「作品」として観る事は出来なかった。
したがって客観的な評価も出来ないのだが、ポール・グリーングラスはとても真摯に9.11に対してアプローチしていると思う。
映画はユナイテッド93便の運命と、9.11当日の航空管制官や軍の混乱を交互に描いてゆく。
エンドクレジットを読むと、航空管制官や軍人役の人々はキャストに「as himself」が多くて驚かされる。
当日あの現場にいた自分自身を再現する事は、ある意味とても辛い事だと思うのだが、そうまでしても伝えたい物があったのだろう。
この映画に描かれる現場の混乱ぶりは、今までメディアでもあまり触れられなかった部分なので、とても興味深かった。
全く予想外の事態に混乱し、恐れ、それでも何とか事態をコントロールしようとする人々の姿が恐ろしくリアルに描かれている。
ユナイテッド93便は、最後に乗っ取られた飛行機なので、最後の瞬間まで乗客と家族の間に電話のやり取りが続き、機内で何が起こっていたかに関してかなりの部分がわかっている。
映画の後半は、乗っ取られた93便の乗客たちが家族との電話で状況を把握しながら、何とか飛行機を取り返そうとするプロセスが中心となる。
一番印象的だったのは、やはり家族への最後の言葉が皆「I love you」だった事かもしれない。
ユナイテッド93便はニューアークから、当時私の住んでいたサンフランシスコへ向かう便。
私もこの路線は何度か乗った事がある。
あの乗客の中に、偶然自分がいても不思議は無かった。
いや、私は映画を観ている間中あの客席にいた。
もし私だったら、最後に何を伝えるだろうか、どんな行動を取っただろうか・・・・・

映画の最後は、既に誰もが知っている訳だが、この映画には英雄も悪人もいない。
ただ、とてつもなく邪悪な行為と、それに翻弄されながら正気を保とうとする葛藤、生きようとする当たり前の戦いがあるだけだ。
ポール・グリーングラス監督は、映画作家として、また一人の人間として、この事件に対して多くの「言いたい事」があったと思う。
製作経緯や内容のデリケートさを考えれば、強い主張を盛り込むのは始めから難しかったとは思うが、グリーングラスは自分の意見を封印して、あえてこの映画を事象だけで描いた。
それは結果的に良かったと思う。
9.11から世界は変わってしまった。
あれから早5年の歳月が流れたが、世界はまだ見えない戦争の中にある。
事件当日の数千人の犠牲者やその遺族は勿論だが、直接的な犠牲者以外にも、あの事件はもの凄く多くの人の人生を変えただろう。
9.11が何らかの人生の転機となった人は無数にいると思う。
私が十数年暮らしたアメリカを引き払い、今日本で暮らしているのも、決してあの事件と無縁ではない。
そんな多くの人々にとって、9.11という事象を淡々と描いたこの映画は「9.11とは何だったのか?」を考える検証の機会となるだろう。
答えはいまだ見えない。
だが、この事件は社会的にも個人的にも語り継ぎ、考え続けなければならないのだろうと思う。

やはり普通の映画の様には観られなかったので、評価額は付けられない。
この映画に関して、私が言えることは一つ。
もし商業主義的な嫌悪感を感じて、観るのを迷っている人がいたら、そういう人こそ観るべき映画だと思う。
観終わると、あの日の感情が蘇ってきて、どっと疲れる。
しかし、9.11が心のどこかに引っかかっている人にとっては、何かを考える切っ掛けとなりえる映画だろう。

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ハードキャンディ・・・・・評価額1350円
2006年08月09日 (水) | 編集 |
赤頭巾ちゃんの狼狩り。
サンダンス映画祭で大いに話題になり、高い評価を集めた異色のスリラー。
援交女子高生が客の男を襲って金を奪ったという、日本で起こった事件にヒントを得て作られたのだというから、観る前はオヤジ狩りの映画だと思っていた。
しかし実際の映画は、元の事件とは全く異なる、舞台劇のような構造を持つスリリングな密室劇だった。
登場人物は実質二人。
たった一本のロープによって、立場を逆転された狼と赤頭巾ちゃん。
はたして赤頭巾ちゃんの行為は、復讐なのか、それとも無邪気なゲームなのか?

32歳のカメラマン、ジェフ(パトリック・ウィルソン)は、ネットの出会いサイトで知り合った14歳の少女ヘイリー(エレン・ペイジ)を家へ連れ込む。
チョロイ相手と思って喜んだのもつかの間、ヘイリーの作ったカクテルを飲んだジェフは、縛られて意識朦朧とした状態で目を覚ます。
全てはヘイリーの仕掛けた巧妙な罠だった。
失踪したドナという女性の行方を、ジェフに「尋問」するヘイリー。
知らないと言い張るジェフの股間に、ヘイリーは氷を押し当てて感覚を奪う。
「右と左のタマ、どっちを先に切る?」
ヘイリーの、「恐怖のゲーム」が次第にジェフを追い詰めて行く・・・


シチュエーション物として、よく出来ていると思う。
少女はいったい何者なのか、男は真実を語っているのか?
映画の流れの中で、男はどうやら常習的な小児性愛者であり、ドナという女性の失踪に関わりがあるらしい事が判る。
そして少女は男の過去、特にドナとの関わりに関する「自白」を男から引き出そうとする。
この二人の対決は綿密に作りこまれ、互いの人格を抉り取ろうとする言葉のやり取りは実にスリリングだ。
男はその心の中に少女の侵入を許すまじとし、少女は巧みに言葉を操り男の心を手玉に取ろうとする。
このプロセスはよく出来た犯罪映画の、刑事と容疑者の心理戦に近い物があり、ずっと緊迫感が持続する。
ディヴィッド・スレッド監督脚本のブライアン・ネルソンという、共にこれが劇場用映画デビュー作となる二人は、103分という比較的コンパクトな上映時間に、密度の濃いドラマを詰め込み、決して観客を飽きさせない。
一本のロープの存在だけで、男と女、大人と子供という当たり前の立場を逆転させてしまう発想は面白いし、場面転換に少女と男の心を象徴する濃緑の壁を使い、登場人物の心理的流れを途切れさせない工夫なども、なかなか考えられている。

しかし、観ている最中も、観終った後も、どうにもモヤモヤとした未消化な感覚が残り、映画全体の印象はあまり明快ではない。
面白いことは面白いけど、この映画が何を表現したかったのかがイマイチよく判らないのだ。
作品からテーマを額面どおり受け取れば、小児性愛者や性犯罪者への糾弾という事になるのか、それとも少女の持つ二面性の恐ろしさなのか。
どちらともとれるし、どちらだとしても、そのまま受け取って良いのか戸惑いを感じる。
観ている自分の意識が主人公の二人に入っていけない。
何故か?だって二人の主人公はぶっちゃけどっちも犯罪者なのだ。
男はどうやら小児性愛癖のある変態さんの様だが、少女の方もどう見てもいかれたサディスト
ローティーンの少女を毒牙にかけるロリコン男も、クスリで男を眠らせて、タマを切ろうとする暴力少女も、どっちも十分すぎるくらい友達になりたくない存在だ(笑

しかし、戸惑いの決定的な原因は、やはり少女ヘイリーが何者か明かされない事だろう。
物語の流れからすると、どう考えてもドナの関係者かと思わされるのだが、今ひとつはっきりしない。
あまりにも用意周到な罠の仕掛け方、凄惨な拷問の途中で、友達に映画に行こうと電話をするお気楽さ。
一体お前は何者なのかと問う男には、「あなたの手にかかった全ての少女」と嘯く。
演じたエレン・ペイジは圧倒的な熱演で、無邪気な微笑みに隠された凶暴さという、男にとって実に恐ろしいキャラクターを作り上げているのだが、どうもこのキャラクターの元々の設定にリアリティを感じられない。
ちょっと出来過ぎているのだ。
私は途中で、もしかしたらこの娘は実在しないか、本物の幽霊?とM・ナイト・シャマラン的オチを想像したくらいなのだが、どうもそっち系の存在でも無さそうだ。
結局のところ、彼女の行為が復讐なのか、それとも単にスケベ男に対するリンチなのかがわからないので、この物語をどう受け取れば良いのか、観ている自分の中で消化できなかった。

勿論、全てを明かさない事が深みやカタルシスに繋がっている映画もたくさんあるし、最近の作品なら、「隠された記憶」などは、正に「何も明かさない事」が観客の想像力を掻き立てて、映画の世界をグッと深める事に成功していた。
明かさない事を効果として映画に織り込むのであれば、もう少しその事を前提とした脚本作りが必要で、よく出来た密室スリラーである事を認めつつも、私にはこの作品は少しばかり中途半端に感じた。

もし、この作品に魅力を感じた人がいたなら、私は似て非なる作品として「クローゼット・ランド」をお勧めしたい。
1991年のラダ・バラドワジ監督作品。
ある国で絵本作家をしている主人公の女性が、反体制思想の疑いをかけられて拷問にかけられる。
93分のコンパクトな上映時間の間、物語りはたった一つの拷問室で展開し、登場人物はマデリーン・ストウの作家と、アラン・リックマンの拷問官のみ。
恐らくこの作品にも大きな影響を与えた作品だと思う。
知る人ぞ知る心理サスペンスの佳作。
機会があれば是非ご覧あれ。

今回は赤頭巾ちゃんの男狩りのイメージで、カクテル「ハンター」を。
スコッチウィスキーとチェリーリキュールを3:1の割合でステアして完成。
シンプルながら甘味とコクが交じり合って、なかなかに複雑な味わいだ。
深いレッドのビジュアルは、この映画を観てからだと、狩られた狼の血のようにも見える。
くわばらくわばら。

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バランタイン ファイネスト
バランタイン ファイネスト 40°1000ml ?2500


残念ながらビデオ絶版、未DVD化の作品で、字幕付きで観たければ、レンタルビデオを探すか中古品を買うしかない。
しかし、一見の価値のある作品である。




X-MEN ファイナルディシジョン・・・・・評価額1500円
2006年08月04日 (金) | 編集 |
マーベル社の人気コミックを原作とする、社会派SFアクションシリーズ第3弾。
1、2作目を手がけたブライアン・シンガー監督が、ライバルDCコミックの「スーパーマン・リターンズ」に浮気してしまったので、監督は「ラッシュアワー」シリーズのブレッド・ラトナーにバトンタッチ。
今回は、ミュータントを普通の人間に変えてしまう新薬「キュア」を巡って、人類に代わって地球の支配者になろうとするマグニート一派と、X-MENたちが激突する。

ミュータント能力を一種の病と考え、普通の人間にする事のできる新薬「キュア」が開発された。
ミュータントこそ人類に代わる新たな種だと考える、マグニートらブラザーフッド達は激しく反発、人類に対して戦争を宣言する。
同じ頃、嘗て仲間を救うべく、自ら犠牲となったジーン・グレイ(ファムケ・ヤンセン)が復活。
しかし復活したジーンは、内面に眠っていた強大なパワーと共に、邪悪な人格を覚醒してしまう。
あらゆるミュータントの中でも最強のジーンのパワーを狙うマグニートは、彼女を自分達のサイドに招き入れるための策謀を巡らす。
一方、エグゼビア・スクールのプロフェッサーX(パトリック・スチュアート)とウルヴァリン(ヒュー・ジャックマン)、ストーム(ハル・ベリー)らX-MENたちは、マグニートを阻止するためにジーンを追うのだが・・・・・


監督や脚本が変わっても、シリーズ物としてのカラーや全体のムードはしっかりと統一されている。
自らもゲイである事を公言しているブライアン・シンガーは、ミュータントたちを移民や同性愛者という社会的マイノリティのメタファーとして描き、このシリーズを社会派ヒーローアクションとも言うべき、一種独特の世界に作り上げていた。
今回の作品にどの程度シンガーのアイディアが残っているのかは判らないが、少なくともプロットに関しては相当社会派色が強い。
ミュータントを医学的に「治療」しようとする試みは、同性愛を病と考え医学的に治療しようとする一部の勢力のメタファーだろうし、人間との共存を拒否して戦争を宣言するマグニートらブラザーフッドの姿は、人種や宗教間の対立の激化をイメージさせる。
制作時期を考えれば偶然だろうが、この作品を観ながらフランスを中心に吹き荒れた移民暴動を連想した人も多かっただろう。

しかし、そうは言ってもブライアン・シンガーとブレッド・ラトナーの資質の差は明らかで、ラトナーはシンガー程にはマイノリティの内面には興味が無いと見える。
今回は新キャラクターがやたらと増えたのだが、もともとのシリーズのレギュラーもしっかりと出さなければならないし、物語は風雲急を告げる展開だから全体にかなり駆け足。
別に計った訳ではないが、印象としては3分おきくらいに話が別のエピソードにどんどん移っていく感じだ。
例えば若いミュータント同士の恋や、自らキュアを選択するローグの苦悩なども描かれるのだが、どれもこれからグッと深くなる、という直前で別の話になってしまうので、どうも尻切れトンボ。
息子を「病」から救おうとキュアを開発した父親と、ミュータントの息子の葛藤も、表層的な描写で終ってしまっている。
レギュラーキャラをわりとあっさり殺して、とりあえず描く対象を間引いてはいるものの、減った対象より増えた対象のほうが圧倒的に多いので、全体的にはどうしても詰め込みすぎの印象だ。

その分、画の派手さはシリーズで一番かも知れない。
中でも、サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジを90度捻じ曲げて、キュアの研究所があるという設定のアルカトラズ島に、無理やり橋をかけてしまうシーンは圧巻。
その後のミュータントたちの能力を最大限ビジュアル化した大バトルも含めて、アメコミ大作らしい派手なクライマックスは、これでもかという見せ場の連続で、もうお腹一杯。
全体にブレッド・ラトナーのX-MENは、ブライアン・シンガーよりも若干大味だが、娯楽大作としてのポイントは抑えた作りとなっている。

ヒュー・ジャックマンのウルヴァリンハル・ベリーのストームら、レギュラーのX-MENたちは何時もと変わらず活躍するが、今回はどちらかと言うと個々のキャラクターよりも全体の画の派手さで見せるタイプの映画なので、それほど印象は強くない。
あえて今回の主役をあげれば、イアン・マッケランが嬉々として演じているマグニートだろう。
またキュアの鍵となるミュータント少年の役で、キャメロン・ブライト少年が出演しているが、これが妙に「ウルトラヴァイオレット」と被る役で、デジャヴを感じてしまった。
やはりこの子はSF顔だ。

映画の内容とは直接関係ないが、ちょっと面白いと思ったのが日米の副題の違いだ。
映画の原題は「X-MEN:The Last Stand」で、「The Last Stand」=「最後の戦い」となるが、邦題には「ファイナルディシジョン」=「最後の決断」という副題が付いている。
ちょっとこのタイトルをつけた人に、真意を聞いてみたくなった。
この映画は、元々人間社会とミュータントたちの不協和をテーマにしているので、社会派的な側面が強いのは上に書いた通りだ。
作品の社会的テーマを考えれば、人間の側に立ったX-MEN、敵対するマグニートたちどちらの側に立っても、集団としての「The Last Stand」=「最後の戦い」なのだろうが、その中の一人一人にスポットを当てれば、個々の生き方の「ファイナルディシジョン」=「最後の決断」となるのだろう。
マイノリティとの共生が、社会全体の問題として受け入れられているアメリカの原題と、マィノリティ問題がそれほど身近でなく、どちらかと言うと個人で消化する日本での邦題に、映画そのもよりも、受け取る社会のスタンスが見えて興味深かった。
どちらの副題でも、今回が完結編であることが示唆されているのだが、映画の最後まで観ると、案外そうでも無さそうな?
はたして「X-Ⅳ」はあるのか?とりあえずクレジットが終っても席を立たれぬように。

さて実際どうなるかはともかく、一応は「終わり」という事なので、デザートワインで乾杯しましょう。
サンタバーバラワイナリーの「ジンファンデル エッセンス」を。
同じカリフォルニアのデザートワインでも、ドルチェほど値は張らず、まずまず美味しい。
あま~くて、ちょっと酸味があって、わりと軽いので、デザートワインが苦手な人にも勧められる。


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サンタ・バーバラ・ワイナリージンファンデル エッセンスサンタ・イネス・ヴァレー 2001ハー...
サンタ・バーバラ・ワイナリージンファンデル エッセンスサンタ・イネス・ヴァレー 2001