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2006年08月04日 (金) | 編集 |
マーベル社の人気コミックを原作とする、社会派SFアクションシリーズ第3弾。
1、2作目を手がけたブライアン・シンガー監督が、ライバルDCコミックの「スーパーマン・リターンズ」に浮気してしまったので、監督は「ラッシュアワー」シリーズのブレッド・ラトナーにバトンタッチ。
今回は、ミュータントを普通の人間に変えてしまう新薬「キュア」を巡って、人類に代わって地球の支配者になろうとするマグニート一派と、X-MENたちが激突する。
ミュータント能力を一種の病と考え、普通の人間にする事のできる新薬「キュア」が開発された。
ミュータントこそ人類に代わる新たな種だと考える、マグニートらブラザーフッド達は激しく反発、人類に対して戦争を宣言する。
同じ頃、嘗て仲間を救うべく、自ら犠牲となったジーン・グレイ(ファムケ・ヤンセン)が復活。
しかし復活したジーンは、内面に眠っていた強大なパワーと共に、邪悪な人格を覚醒してしまう。
あらゆるミュータントの中でも最強のジーンのパワーを狙うマグニートは、彼女を自分達のサイドに招き入れるための策謀を巡らす。
一方、エグゼビア・スクールのプロフェッサーX(パトリック・スチュアート)とウルヴァリン(ヒュー・ジャックマン)、ストーム(ハル・ベリー)らX-MENたちは、マグニートを阻止するためにジーンを追うのだが・・・・・
監督や脚本が変わっても、シリーズ物としてのカラーや全体のムードはしっかりと統一されている。
自らもゲイである事を公言しているブライアン・シンガーは、ミュータントたちを移民や同性愛者という社会的マイノリティのメタファーとして描き、このシリーズを社会派ヒーローアクションとも言うべき、一種独特の世界に作り上げていた。
今回の作品にどの程度シンガーのアイディアが残っているのかは判らないが、少なくともプロットに関しては相当社会派色が強い。
ミュータントを医学的に「治療」しようとする試みは、同性愛を病と考え医学的に治療しようとする一部の勢力のメタファーだろうし、人間との共存を拒否して戦争を宣言するマグニートらブラザーフッドの姿は、人種や宗教間の対立の激化をイメージさせる。
制作時期を考えれば偶然だろうが、この作品を観ながらフランスを中心に吹き荒れた移民暴動を連想した人も多かっただろう。
しかし、そうは言ってもブライアン・シンガーとブレッド・ラトナーの資質の差は明らかで、ラトナーはシンガー程にはマイノリティの内面には興味が無いと見える。
今回は新キャラクターがやたらと増えたのだが、もともとのシリーズのレギュラーもしっかりと出さなければならないし、物語は風雲急を告げる展開だから全体にかなり駆け足。
別に計った訳ではないが、印象としては3分おきくらいに話が別のエピソードにどんどん移っていく感じだ。
例えば若いミュータント同士の恋や、自らキュアを選択するローグの苦悩なども描かれるのだが、どれもこれからグッと深くなる、という直前で別の話になってしまうので、どうも尻切れトンボ。
息子を「病」から救おうとキュアを開発した父親と、ミュータントの息子の葛藤も、表層的な描写で終ってしまっている。
レギュラーキャラをわりとあっさり殺して、とりあえず描く対象を間引いてはいるものの、減った対象より増えた対象のほうが圧倒的に多いので、全体的にはどうしても詰め込みすぎの印象だ。
その分、画の派手さはシリーズで一番かも知れない。
中でも、サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジを90度捻じ曲げて、キュアの研究所があるという設定のアルカトラズ島に、無理やり橋をかけてしまうシーンは圧巻。
その後のミュータントたちの能力を最大限ビジュアル化した大バトルも含めて、アメコミ大作らしい派手なクライマックスは、これでもかという見せ場の連続で、もうお腹一杯。
全体にブレッド・ラトナーのX-MENは、ブライアン・シンガーよりも若干大味だが、娯楽大作としてのポイントは抑えた作りとなっている。
ヒュー・ジャックマンのウルヴァリンやハル・ベリーのストームら、レギュラーのX-MENたちは何時もと変わらず活躍するが、今回はどちらかと言うと個々のキャラクターよりも全体の画の派手さで見せるタイプの映画なので、それほど印象は強くない。
あえて今回の主役をあげれば、イアン・マッケランが嬉々として演じているマグニートだろう。
またキュアの鍵となるミュータント少年の役で、キャメロン・ブライト少年が出演しているが、これが妙に「ウルトラヴァイオレット」と被る役で、デジャヴを感じてしまった。
やはりこの子はSF顔だ。
映画の内容とは直接関係ないが、ちょっと面白いと思ったのが日米の副題の違いだ。
映画の原題は「X-MEN:The Last Stand」で、「The Last Stand」=「最後の戦い」となるが、邦題には「ファイナルディシジョン」=「最後の決断」という副題が付いている。
ちょっとこのタイトルをつけた人に、真意を聞いてみたくなった。
この映画は、元々人間社会とミュータントたちの不協和をテーマにしているので、社会派的な側面が強いのは上に書いた通りだ。
作品の社会的テーマを考えれば、人間の側に立ったX-MEN、敵対するマグニートたちどちらの側に立っても、集団としての「The Last Stand」=「最後の戦い」なのだろうが、その中の一人一人にスポットを当てれば、個々の生き方の「ファイナルディシジョン」=「最後の決断」となるのだろう。
マイノリティとの共生が、社会全体の問題として受け入れられているアメリカの原題と、マィノリティ問題がそれほど身近でなく、どちらかと言うと個人で消化する日本での邦題に、映画そのもよりも、受け取る社会のスタンスが見えて興味深かった。
どちらの副題でも、今回が完結編であることが示唆されているのだが、映画の最後まで観ると、案外そうでも無さそうな?
はたして「X-Ⅳ」はあるのか?とりあえずクレジットが終っても席を立たれぬように。
さて実際どうなるかはともかく、一応は「終わり」という事なので、デザートワインで乾杯しましょう。
サンタバーバラワイナリーの「ジンファンデル エッセンス」を。
同じカリフォルニアのデザートワインでも、ドルチェほど値は張らず、まずまず美味しい。
あま~くて、ちょっと酸味があって、わりと軽いので、デザートワインが苦手な人にも勧められる。
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サンタ・バーバラ・ワイナリージンファンデル エッセンスサンタ・イネス・ヴァレー 2001
1、2作目を手がけたブライアン・シンガー監督が、ライバルDCコミックの「スーパーマン・リターンズ」に浮気してしまったので、監督は「ラッシュアワー」シリーズのブレッド・ラトナーにバトンタッチ。
今回は、ミュータントを普通の人間に変えてしまう新薬「キュア」を巡って、人類に代わって地球の支配者になろうとするマグニート一派と、X-MENたちが激突する。
ミュータント能力を一種の病と考え、普通の人間にする事のできる新薬「キュア」が開発された。
ミュータントこそ人類に代わる新たな種だと考える、マグニートらブラザーフッド達は激しく反発、人類に対して戦争を宣言する。
同じ頃、嘗て仲間を救うべく、自ら犠牲となったジーン・グレイ(ファムケ・ヤンセン)が復活。
しかし復活したジーンは、内面に眠っていた強大なパワーと共に、邪悪な人格を覚醒してしまう。
あらゆるミュータントの中でも最強のジーンのパワーを狙うマグニートは、彼女を自分達のサイドに招き入れるための策謀を巡らす。
一方、エグゼビア・スクールのプロフェッサーX(パトリック・スチュアート)とウルヴァリン(ヒュー・ジャックマン)、ストーム(ハル・ベリー)らX-MENたちは、マグニートを阻止するためにジーンを追うのだが・・・・・
監督や脚本が変わっても、シリーズ物としてのカラーや全体のムードはしっかりと統一されている。
自らもゲイである事を公言しているブライアン・シンガーは、ミュータントたちを移民や同性愛者という社会的マイノリティのメタファーとして描き、このシリーズを社会派ヒーローアクションとも言うべき、一種独特の世界に作り上げていた。
今回の作品にどの程度シンガーのアイディアが残っているのかは判らないが、少なくともプロットに関しては相当社会派色が強い。
ミュータントを医学的に「治療」しようとする試みは、同性愛を病と考え医学的に治療しようとする一部の勢力のメタファーだろうし、人間との共存を拒否して戦争を宣言するマグニートらブラザーフッドの姿は、人種や宗教間の対立の激化をイメージさせる。
制作時期を考えれば偶然だろうが、この作品を観ながらフランスを中心に吹き荒れた移民暴動を連想した人も多かっただろう。
しかし、そうは言ってもブライアン・シンガーとブレッド・ラトナーの資質の差は明らかで、ラトナーはシンガー程にはマイノリティの内面には興味が無いと見える。
今回は新キャラクターがやたらと増えたのだが、もともとのシリーズのレギュラーもしっかりと出さなければならないし、物語は風雲急を告げる展開だから全体にかなり駆け足。
別に計った訳ではないが、印象としては3分おきくらいに話が別のエピソードにどんどん移っていく感じだ。
例えば若いミュータント同士の恋や、自らキュアを選択するローグの苦悩なども描かれるのだが、どれもこれからグッと深くなる、という直前で別の話になってしまうので、どうも尻切れトンボ。
息子を「病」から救おうとキュアを開発した父親と、ミュータントの息子の葛藤も、表層的な描写で終ってしまっている。
レギュラーキャラをわりとあっさり殺して、とりあえず描く対象を間引いてはいるものの、減った対象より増えた対象のほうが圧倒的に多いので、全体的にはどうしても詰め込みすぎの印象だ。
その分、画の派手さはシリーズで一番かも知れない。
中でも、サンフランシスコのゴールデンゲートブリッジを90度捻じ曲げて、キュアの研究所があるという設定のアルカトラズ島に、無理やり橋をかけてしまうシーンは圧巻。
その後のミュータントたちの能力を最大限ビジュアル化した大バトルも含めて、アメコミ大作らしい派手なクライマックスは、これでもかという見せ場の連続で、もうお腹一杯。
全体にブレッド・ラトナーのX-MENは、ブライアン・シンガーよりも若干大味だが、娯楽大作としてのポイントは抑えた作りとなっている。
ヒュー・ジャックマンのウルヴァリンやハル・ベリーのストームら、レギュラーのX-MENたちは何時もと変わらず活躍するが、今回はどちらかと言うと個々のキャラクターよりも全体の画の派手さで見せるタイプの映画なので、それほど印象は強くない。
あえて今回の主役をあげれば、イアン・マッケランが嬉々として演じているマグニートだろう。
またキュアの鍵となるミュータント少年の役で、キャメロン・ブライト少年が出演しているが、これが妙に「ウルトラヴァイオレット」と被る役で、デジャヴを感じてしまった。
やはりこの子はSF顔だ。
映画の内容とは直接関係ないが、ちょっと面白いと思ったのが日米の副題の違いだ。
映画の原題は「X-MEN:The Last Stand」で、「The Last Stand」=「最後の戦い」となるが、邦題には「ファイナルディシジョン」=「最後の決断」という副題が付いている。
ちょっとこのタイトルをつけた人に、真意を聞いてみたくなった。
この映画は、元々人間社会とミュータントたちの不協和をテーマにしているので、社会派的な側面が強いのは上に書いた通りだ。
作品の社会的テーマを考えれば、人間の側に立ったX-MEN、敵対するマグニートたちどちらの側に立っても、集団としての「The Last Stand」=「最後の戦い」なのだろうが、その中の一人一人にスポットを当てれば、個々の生き方の「ファイナルディシジョン」=「最後の決断」となるのだろう。
マイノリティとの共生が、社会全体の問題として受け入れられているアメリカの原題と、マィノリティ問題がそれほど身近でなく、どちらかと言うと個人で消化する日本での邦題に、映画そのもよりも、受け取る社会のスタンスが見えて興味深かった。
どちらの副題でも、今回が完結編であることが示唆されているのだが、映画の最後まで観ると、案外そうでも無さそうな?
はたして「X-Ⅳ」はあるのか?とりあえずクレジットが終っても席を立たれぬように。
さて実際どうなるかはともかく、一応は「終わり」という事なので、デザートワインで乾杯しましょう。
サンタバーバラワイナリーの「ジンファンデル エッセンス」を。
同じカリフォルニアのデザートワインでも、ドルチェほど値は張らず、まずまず美味しい。
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