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2006年09月10日 (日) | 編集 |
「マイアミ・バイス」と言えば、派手なアクションとスタイリッシュな映像で80年代を代表する、大ヒット刑事ドラマ。
しかし、テレビドラマのスケールアップ版を期待して行くと拍子抜けする。
タイトルだけは同じだが、全くの別物と言っていい。
何しろ誰でも一度は聞いた事があるであろう、あの有名なテーマ曲すら流れないのだ。
テレビシリーズでドン・ジョンソンとフィリップ・マイケル・トーマスが演じたマイアミ警察特捜課の刑事、ソニー・クロケットとリカルド“リコ”・タブスは、コリン・ファレルとジェイミー・フォックスに代変りしたが、まあ何となくオリジナルキャストと似た雰囲気のある二人ではある。
主役二人が、刑事のくせにやたらと目立つフェラーリに乗っていたりする「お約束」は踏襲しているが、ぶっちゃけテレビ版との共通点はソニーとリコのキャラクターだけと言っていい。
テレビ版で製作総指揮を務めていた、シリーズの生みの親、マイケル・マン監督自らによるリメイクの狙いは、80年代的な明るくお気楽なテレビシリーズの世界を大胆にぶち壊し、二十一世紀の新しい「マイアミ・バイス」を作る事だった様だ。
マイアミ警察の特捜課刑事、ソニー(コリン・ファレル)とリコ(ジェイミー・フォックス)が使っていた情報屋の家族が殺され、本人は自殺するという事件が起こる。
情報屋は、ソニーたちがFBIの麻薬組織への捜査に協力させていた人物で、同時に麻薬組織に潜入していたFBI捜査官も殺された。
どうやら捜査組織内に情報の漏洩があるらしい。
FBIは麻薬組織に顔の割れていないソニーとリコに、麻薬組織への潜入捜査を依頼する。
組織の幹部ホセ・イエロ(ジョン・オーティス)に、「運び屋」として接触した二人は、マイアミへの運びを成功させた事で、組織の財務を担当するアジア系の美女イザベラ(コン・リー)の信頼を得る事に成功するのだが・・・・
なかなかムーディなフィルムノワールとなっている。
マイケル・マンの映画といえば、どちらかというとスタイリッシュで男臭いハードボイルドというイメージがある。
魅力的な男性キャラとは対照的に、女性の影が薄くて、実際のところ彼の映画の女性キャラは殆んど覚えていない。
今回も、話の本筋はワイルドなクライムアクションではあるのだが、コン・リー演じるイザベラとソニーのロマンスが、物語の傍流として設定されていて、過去の作品とはかなり印象が異なる。
フロリダから南米、キューバへ、007ばりに展開する大走査線に、最初は捜査のために接近したソニーとイザベラの情熱的な恋愛が絡み合い、アクションとロマンスの二層構造で楽しめる様になっている。
ストレートな物語を映像の力で味付けする、マン流のノワールに、初めて魅力的なファム・ファタールが登場したというところだろうか。
しかし、ドラマとしてのバランスはあまり良いとは言えない。
巨大犯罪組織への潜入捜査という本筋と、ソニーとイザベラのロマンスが乖離してしまっている。
確かに、この物語の場合、ソニーとイザベラの仲が深まれば深まるほど、ドラマチックなジレンマが生まれ、サスペンスが高まる、という構造にはなっているのだが、少々そっちに力が入りすぎている。
キューバでのバカンスのシークエンスなどは、いくらなんでも長すぎる。
二人のロマンスの間、他のキャラクターの動きは殆ど描かれないから、突然別種の映画になった様に感じてしまう。
おかげで刑事二人のコンビ物なのに、イザベラとのシークエンスがあるソニーの方にドラマの比重が圧倒的に傾いてしまい、リコは殆ど脇役状態。
よくジェイミー・フォックスがこの脚本でOKしたものだ。(その分、コン・リーが儲け役になっているのだが)
ソニーとイザベラのロマンスと並行して、リコや敵側組織の動きを描いた方がドラマ的なメリハリも出るし、バランスも良くなるのだが、現状ではフィルムノワールの真ん中が突然情熱的なラブストーリーになって、物語が両断されてしまっている。
本来ならば、中間部分で盛り上がったソニーとイザベラの関係が、後半の展開に効いてくるはずなのだが、あまり生かされていないのも残念だ。
マイケル・マンの描く男たちの世界は、あくまでもストイックでそれが魅力でもあるのだが、少し艶っぽい展開を盛り込んだ今回は、もう少しキャラクターの感情の機微をドラマに組み込んだ方が良かったのではないだろうか。
逆にベタベタな展開ながらも、恋愛感情を上手くサスペンスの盛り上げに使っていたのが、「M.i.Ⅲ」だった。
もっともマンのスタイルからすると、あんな判り易い展開はダサ過ぎて考えられないのかもしれないが。
映像は相変わらず格好良いし、アクションもそれ自体は見応え十分。
しかし、マイケル・マンの男臭いフィルムノワールを期待していくと少々不完全燃焼だし、往年のテレビシリーズの映画版としてはあまりにも違い過ぎる。
それなりに楽しめるし、悪くは無いけど、何となく中途半端な居心地の悪い作品だ。
完成された古いものを壊して、その基礎を変えずに全く新しい物を築くというのは、オリジナルの作者であってもなかなかに難しいものであるらしい。
映画の後は焼ける程に熱いテキーラを。
カリブ海の海風の様に、香りが強くコクのある「ミラグロ・レポサド」は、ボトルデザインは洒落ているが、味の方は男臭く、ストイックだ。
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しかし、テレビドラマのスケールアップ版を期待して行くと拍子抜けする。
タイトルだけは同じだが、全くの別物と言っていい。
何しろ誰でも一度は聞いた事があるであろう、あの有名なテーマ曲すら流れないのだ。
テレビシリーズでドン・ジョンソンとフィリップ・マイケル・トーマスが演じたマイアミ警察特捜課の刑事、ソニー・クロケットとリカルド“リコ”・タブスは、コリン・ファレルとジェイミー・フォックスに代変りしたが、まあ何となくオリジナルキャストと似た雰囲気のある二人ではある。
主役二人が、刑事のくせにやたらと目立つフェラーリに乗っていたりする「お約束」は踏襲しているが、ぶっちゃけテレビ版との共通点はソニーとリコのキャラクターだけと言っていい。
テレビ版で製作総指揮を務めていた、シリーズの生みの親、マイケル・マン監督自らによるリメイクの狙いは、80年代的な明るくお気楽なテレビシリーズの世界を大胆にぶち壊し、二十一世紀の新しい「マイアミ・バイス」を作る事だった様だ。
マイアミ警察の特捜課刑事、ソニー(コリン・ファレル)とリコ(ジェイミー・フォックス)が使っていた情報屋の家族が殺され、本人は自殺するという事件が起こる。
情報屋は、ソニーたちがFBIの麻薬組織への捜査に協力させていた人物で、同時に麻薬組織に潜入していたFBI捜査官も殺された。
どうやら捜査組織内に情報の漏洩があるらしい。
FBIは麻薬組織に顔の割れていないソニーとリコに、麻薬組織への潜入捜査を依頼する。
組織の幹部ホセ・イエロ(ジョン・オーティス)に、「運び屋」として接触した二人は、マイアミへの運びを成功させた事で、組織の財務を担当するアジア系の美女イザベラ(コン・リー)の信頼を得る事に成功するのだが・・・・
なかなかムーディなフィルムノワールとなっている。
マイケル・マンの映画といえば、どちらかというとスタイリッシュで男臭いハードボイルドというイメージがある。
魅力的な男性キャラとは対照的に、女性の影が薄くて、実際のところ彼の映画の女性キャラは殆んど覚えていない。
今回も、話の本筋はワイルドなクライムアクションではあるのだが、コン・リー演じるイザベラとソニーのロマンスが、物語の傍流として設定されていて、過去の作品とはかなり印象が異なる。
フロリダから南米、キューバへ、007ばりに展開する大走査線に、最初は捜査のために接近したソニーとイザベラの情熱的な恋愛が絡み合い、アクションとロマンスの二層構造で楽しめる様になっている。
ストレートな物語を映像の力で味付けする、マン流のノワールに、初めて魅力的なファム・ファタールが登場したというところだろうか。
しかし、ドラマとしてのバランスはあまり良いとは言えない。
巨大犯罪組織への潜入捜査という本筋と、ソニーとイザベラのロマンスが乖離してしまっている。
確かに、この物語の場合、ソニーとイザベラの仲が深まれば深まるほど、ドラマチックなジレンマが生まれ、サスペンスが高まる、という構造にはなっているのだが、少々そっちに力が入りすぎている。
キューバでのバカンスのシークエンスなどは、いくらなんでも長すぎる。
二人のロマンスの間、他のキャラクターの動きは殆ど描かれないから、突然別種の映画になった様に感じてしまう。
おかげで刑事二人のコンビ物なのに、イザベラとのシークエンスがあるソニーの方にドラマの比重が圧倒的に傾いてしまい、リコは殆ど脇役状態。
よくジェイミー・フォックスがこの脚本でOKしたものだ。(その分、コン・リーが儲け役になっているのだが)
ソニーとイザベラのロマンスと並行して、リコや敵側組織の動きを描いた方がドラマ的なメリハリも出るし、バランスも良くなるのだが、現状ではフィルムノワールの真ん中が突然情熱的なラブストーリーになって、物語が両断されてしまっている。
本来ならば、中間部分で盛り上がったソニーとイザベラの関係が、後半の展開に効いてくるはずなのだが、あまり生かされていないのも残念だ。
マイケル・マンの描く男たちの世界は、あくまでもストイックでそれが魅力でもあるのだが、少し艶っぽい展開を盛り込んだ今回は、もう少しキャラクターの感情の機微をドラマに組み込んだ方が良かったのではないだろうか。
逆にベタベタな展開ながらも、恋愛感情を上手くサスペンスの盛り上げに使っていたのが、「M.i.Ⅲ」だった。
もっともマンのスタイルからすると、あんな判り易い展開はダサ過ぎて考えられないのかもしれないが。
映像は相変わらず格好良いし、アクションもそれ自体は見応え十分。
しかし、マイケル・マンの男臭いフィルムノワールを期待していくと少々不完全燃焼だし、往年のテレビシリーズの映画版としてはあまりにも違い過ぎる。
それなりに楽しめるし、悪くは無いけど、何となく中途半端な居心地の悪い作品だ。
完成された古いものを壊して、その基礎を変えずに全く新しい物を築くというのは、オリジナルの作者であってもなかなかに難しいものであるらしい。
映画の後は焼ける程に熱いテキーラを。
カリブ海の海風の様に、香りが強くコクのある「ミラグロ・レポサド」は、ボトルデザインは洒落ているが、味の方は男臭く、ストイックだ。

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