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2006年09月27日 (水) | 編集 |
お洒落な水辺の家を舞台に、時を越える愛を描いてヒットした、チョン・ジヒョン主演の韓国産ラブファンタジーのハリウッド版リメイク。
オリジナル撮影当時、ヒロインのチョン・ジヒョンは19歳。
対してリメイク版のサンドラ・ブロックとキアヌ・リーヴスは共に42歳。
(物語上は30代の設定のようだ)
舞台も登場人物の年齢も、ずい分と変わった様だが、実際に観ると思った以上にオリジナルのムードを残している。
元々韓国版の「イルマーレ」自体が、極端に生活臭さを抜き取った無国籍なムードだったし、時を越えた文通が育むラブストーリーという設定は、ある意味でノーマン・ロックウェルの絵画以上に、アメリカのノスタルジーのアイコンである、ジャック・フィニイの名作短編小説「愛の手紙」が元ネタなのは確実だろう。
リメイクではあるが、物語が故郷に里帰りした様なものかもしれない。
湖畔の家に越してきた建築家のアレックス(キアヌ・リーヴス)の元に、この家の前の住人だというケイト(サンドラ・ブロック)と言う女性から手紙が届く。
彼女は、シカゴ市内に引っ越したので、自分に届く手紙を転送して欲しいと言う。
しかしアレックスが引っ越して来るまでは、この家は長年空家だったはず。
いぶかしんだアレックスは、彼女が今住んでいるというシカゴの住所に行ってみるが、そこはまだ建設中の建物だった。
手紙のやり取りをしているうちに、実はケイトの手紙は二年先の2006年から届いている事が判る。
ケイトはアレックスが出て行った後に、この家に引っ越してくるはずの未来の住人なのだ。
半信半疑のうちに、手紙のやり取りを重ねる二人。
やがて、彼らの内に仄かな恋心が目覚めるのだが・・・・
結論から言うと、これは成功したリメイクといえると思う。
オリジナルでは、非アジア的なムードをキープするために、主役二人以外の要素を極力排除して、ある種の閉鎖的なファンタジー世界を構築していた。
それが独特のムードのある作品にしていたのだが、同時にドラマ的な抑揚の無さに繋がっていた事も否めない。
リメイク版では、オリジナルのストーリーラインを生かしながら、主人公たちの年齢を倍に引き上げた事が、結果的にドラマに広がりと深みをもたらしている。
オリジナルでは設定されていたものの、積極的には描かれていなかった主人公たちのバックグラウンドが丁寧に描かれ、人生のターニングポイントの年齢に差し掛かった二人ゆえのドラマが紡がれる。
まだ、老け込む歳ではないが、それなりに人生経験も積んで、夢も現実も知っている。
この微妙な年代ならばこそのドラマをうまく作っているのだ。
建築家のアレックスは、同業の偉大な父親との関係に悩み、ある意味で父との葛藤を乗り越える為に、嘗て父が設計した湖畔の家へと帰ってくる。
父親は「家(house)」を作ったが、「家庭(home)」は作れなかったというアレックス。
オリジナルの舞台は広がりを感じる海辺の家(イルマーレは「海」の意)だったのに対して、こちらは閉じた世界である湖の「Lake house」なのは象徴的だ。
彼は長年疎遠だった父を理解しようとしつつ、ケイトと作る自分なりのhomeを求めている。
同時にケイトの医師という設定も、生と死の交錯するこの物語のもう一つの側面を象徴する。
オリジナルにもあった、約束の時間に彼がこられなかった理由、更にアレックスの父の最期のエピソードが、彼女の医師という生き方とリンクする。
さらりと触れられているケイトが医師を目指した理由、病院のベテラン女性医師の語る医師を目指す娘への思いなども、ドラマにさりげなく広がりを加えている。
愛と別離、生と死、父と息子、過去と未来、この映画ではいくつもの要素が対立しながらも、溶け合う場所を待っている。
ある意味で対照的なキャラクターである、アレックスとケイトもそう。
二年前を生きるアレックスが、何も知らない2004年のケイトに戸惑いながらアプローチするシーンは、まるで中学生の初デートを見ているみたいで、微笑ましくもイライラする(笑
映画的には、対立する沢山の要素をどう融合させるかが落としどころとなり、それぞれに大体の結論をつけると、最後はいよいよ主役たちの番となる。
これがハリウッド進出第一作となる、アルゼンチンのアレハンドロ・アグレスティ監督は、主人公二人にリアルな人間性を与えた上で、重すぎず、軽すぎず、ラブストーリーとして適度なバランスをもってドラマを引っ張る。
デビッド・オーバーンの脚本も、オリジナルを尊重しつつ、人間ドラマとして膨らませる事に成功していると思う。
だが、オリジナルよりも物語が複雑化した結果、元々はあまり気にならなかったタイムパラドックスの疑問点が浮き上がってしまったり、一部の描写が御都合主義に見えてしまうのも事実。
また、狙ってやってるとは思うが、2004年と2006年、そして2008年が交錯する後半の描写は、しっかりと画面を観てないと混乱する。
あえて複雑な構造にして、観客を騙そうとしてる割には、一番重要な物語のオチが途中で読めてしまい、しかも何のひねりもなくそのまんま描写されるのは少し興醒めだ。
全体に、良い感じで作られている佳作だけに、物語の収束点がストレート過ぎて情感の無いラストになってしまったのは実に勿体無い気がする。
ちなみにハリウッド版は「Lake house」が舞台だから、「イルマーレ」じゃ無いじゃんと思って観ていたら、「イルマーレ」はドラマの中でキーとなるレストランの名前としてちゃんと登場。
この辺は、オリジナルへのさり気無いリスペクトで、好感度アップ。
さて、映画のオチが今ひとつ締まらなかったので、プチプチと口の中で弾けるスパークリングワインの刺激でオチをつけよう。
タイトルそのまんま。
イタリアはドネリの「イル・マーレ・スプマンテ」を。
スプマンテはイタリア語で発泡の意味。
喉越しスッキリ。名前の通り青い海のようなすがすがしいワインだ。
イタリアのスプマンテは日本ではまだマイナーな分、中味の割にはリーズナブルに楽しめる物が多くてお勧めだ。
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イル・マーレ スプマンテ

スプマンテ三本セット
「愛の手紙」はじめ表題作「ゲイルズバーグの春を愛す」ほか傑作ぞろいのフィニイ短編集。
アマゾンで画像が出ないのが残念だけど、表紙の画がまた良い。
オリジナル
オリジナル撮影当時、ヒロインのチョン・ジヒョンは19歳。
対してリメイク版のサンドラ・ブロックとキアヌ・リーヴスは共に42歳。
(物語上は30代の設定のようだ)
舞台も登場人物の年齢も、ずい分と変わった様だが、実際に観ると思った以上にオリジナルのムードを残している。
元々韓国版の「イルマーレ」自体が、極端に生活臭さを抜き取った無国籍なムードだったし、時を越えた文通が育むラブストーリーという設定は、ある意味でノーマン・ロックウェルの絵画以上に、アメリカのノスタルジーのアイコンである、ジャック・フィニイの名作短編小説「愛の手紙」が元ネタなのは確実だろう。
リメイクではあるが、物語が故郷に里帰りした様なものかもしれない。
湖畔の家に越してきた建築家のアレックス(キアヌ・リーヴス)の元に、この家の前の住人だというケイト(サンドラ・ブロック)と言う女性から手紙が届く。
彼女は、シカゴ市内に引っ越したので、自分に届く手紙を転送して欲しいと言う。
しかしアレックスが引っ越して来るまでは、この家は長年空家だったはず。
いぶかしんだアレックスは、彼女が今住んでいるというシカゴの住所に行ってみるが、そこはまだ建設中の建物だった。
手紙のやり取りをしているうちに、実はケイトの手紙は二年先の2006年から届いている事が判る。
ケイトはアレックスが出て行った後に、この家に引っ越してくるはずの未来の住人なのだ。
半信半疑のうちに、手紙のやり取りを重ねる二人。
やがて、彼らの内に仄かな恋心が目覚めるのだが・・・・
結論から言うと、これは成功したリメイクといえると思う。
オリジナルでは、非アジア的なムードをキープするために、主役二人以外の要素を極力排除して、ある種の閉鎖的なファンタジー世界を構築していた。
それが独特のムードのある作品にしていたのだが、同時にドラマ的な抑揚の無さに繋がっていた事も否めない。
リメイク版では、オリジナルのストーリーラインを生かしながら、主人公たちの年齢を倍に引き上げた事が、結果的にドラマに広がりと深みをもたらしている。
オリジナルでは設定されていたものの、積極的には描かれていなかった主人公たちのバックグラウンドが丁寧に描かれ、人生のターニングポイントの年齢に差し掛かった二人ゆえのドラマが紡がれる。
まだ、老け込む歳ではないが、それなりに人生経験も積んで、夢も現実も知っている。
この微妙な年代ならばこそのドラマをうまく作っているのだ。
建築家のアレックスは、同業の偉大な父親との関係に悩み、ある意味で父との葛藤を乗り越える為に、嘗て父が設計した湖畔の家へと帰ってくる。
父親は「家(house)」を作ったが、「家庭(home)」は作れなかったというアレックス。
オリジナルの舞台は広がりを感じる海辺の家(イルマーレは「海」の意)だったのに対して、こちらは閉じた世界である湖の「Lake house」なのは象徴的だ。
彼は長年疎遠だった父を理解しようとしつつ、ケイトと作る自分なりのhomeを求めている。
同時にケイトの医師という設定も、生と死の交錯するこの物語のもう一つの側面を象徴する。
オリジナルにもあった、約束の時間に彼がこられなかった理由、更にアレックスの父の最期のエピソードが、彼女の医師という生き方とリンクする。
さらりと触れられているケイトが医師を目指した理由、病院のベテラン女性医師の語る医師を目指す娘への思いなども、ドラマにさりげなく広がりを加えている。
愛と別離、生と死、父と息子、過去と未来、この映画ではいくつもの要素が対立しながらも、溶け合う場所を待っている。
ある意味で対照的なキャラクターである、アレックスとケイトもそう。
二年前を生きるアレックスが、何も知らない2004年のケイトに戸惑いながらアプローチするシーンは、まるで中学生の初デートを見ているみたいで、微笑ましくもイライラする(笑
映画的には、対立する沢山の要素をどう融合させるかが落としどころとなり、それぞれに大体の結論をつけると、最後はいよいよ主役たちの番となる。
これがハリウッド進出第一作となる、アルゼンチンのアレハンドロ・アグレスティ監督は、主人公二人にリアルな人間性を与えた上で、重すぎず、軽すぎず、ラブストーリーとして適度なバランスをもってドラマを引っ張る。
デビッド・オーバーンの脚本も、オリジナルを尊重しつつ、人間ドラマとして膨らませる事に成功していると思う。
だが、オリジナルよりも物語が複雑化した結果、元々はあまり気にならなかったタイムパラドックスの疑問点が浮き上がってしまったり、一部の描写が御都合主義に見えてしまうのも事実。
また、狙ってやってるとは思うが、2004年と2006年、そして2008年が交錯する後半の描写は、しっかりと画面を観てないと混乱する。
あえて複雑な構造にして、観客を騙そうとしてる割には、一番重要な物語のオチが途中で読めてしまい、しかも何のひねりもなくそのまんま描写されるのは少し興醒めだ。
全体に、良い感じで作られている佳作だけに、物語の収束点がストレート過ぎて情感の無いラストになってしまったのは実に勿体無い気がする。
ちなみにハリウッド版は「Lake house」が舞台だから、「イルマーレ」じゃ無いじゃんと思って観ていたら、「イルマーレ」はドラマの中でキーとなるレストランの名前としてちゃんと登場。
この辺は、オリジナルへのさり気無いリスペクトで、好感度アップ。
さて、映画のオチが今ひとつ締まらなかったので、プチプチと口の中で弾けるスパークリングワインの刺激でオチをつけよう。
タイトルそのまんま。
イタリアはドネリの「イル・マーレ・スプマンテ」を。
スプマンテはイタリア語で発泡の意味。
喉越しスッキリ。名前の通り青い海のようなすがすがしいワインだ。
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