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2006年10月02日 (月) | 編集 |
タイトル通り、泣ける。
この映画の原作は、夏川りみがカバー版を唄って大ヒットした、BEGINの名曲「涙そうそう」だ。
森山良子によるこの切ない歌詞は、彼女が若くして逝った実の兄への想いを綴ったものだという。
映画は、歌詞のイメージを忠実に映像化していると言って良いだろう。
沖縄本島で、飲食店を開く夢を追う洋太郎(妻夫木聡)の元に、島で暮らしていた妹カオル(長澤まさみ)が高校進学のために引っ越してくる。
幼い頃に両親の再婚で義理の兄妹となり、父の失踪と母(小泉今日子)の死を乗り越えて支え合いながら生きてきた二人。
久々に再会した妹が大人っぽくなっていたことに、ちょっとドキドキする洋太郎。
彼は、「どんな時でもカオルを守る」という亡き母との約束を忘れた事は無かった。
自分の店を持とうとした洋太郎だったが、詐欺にあって全財産を失い、借金を背負ってしまう。
それでも親代わりとして、借金を返して妹を大学に行かせるために、洋太郎は昼夜を問わず働き始めるのだが・・・
ただでさえ泣ける曲をモチーフに、描かれるのは懸命に生きる血のつながらない兄妹の物語。
幼い頃の両親との不幸な別れ、母との約束を果そうと必死で妹を守ろうとする兄、自分たちを捨てた父親との邂逅、妹の自立。
そして永遠の別れ。
殆んど韓流ドラマ並に設えられた泣かせの設定を料理するのは、ファンタジー映画の傑作「いま、会いにゆきます」の土井裕泰監督。
この企画は元々福澤克雄の監督作品として準備されていたのだが、彼の急病で急遽土井裕泰がピンチヒッターに立って撮影に入ったという経緯がある。
制作途中での交代劇は、何かと大変だっただろうが、完成した作品は見事なまでに土井カラーに染められている。
「いま、会いにゆきます」では、長野県の田舎町を、まるでスタジオジブリのアニメーションに出てくる、理想化された日本のハートランドの様に写し取ったビジュアルが印象的だったが、この作品でも同様のセンスは生きている。
元々本土とは違った、ゆったりとした空気の流れる沖縄が舞台ではあるが、洋太郎とカオルの住む廃屋を改造したペントハウス(?)や、宜野湾のカオルのアパート、洋太郎の夢であった手作りのお店などの、ありそうで現実には無い和洋折衷の美術、そして明るく彩度の高いカメラによって、この作品の世界はある種のファンタジーの様な独特のムードを醸し出している。
てっきり「いま会い」のスタッフが続投しているのかと思いきや、撮影は柴主高秀から浜田毅へ、美術は種田陽平から小川富美夫にそれぞれ代わっているから、この映像センスは土井監督の物であると言って良いだろう。
この美しい理想郷に、ドロドロの愛憎劇は似合わない。
「いま会い」もそうだったが、この映画にも船越英一郎の詐欺師を除けば、悪人は登場しない。
家族を捨てた父親も含めて、皆それぞれの生を一生懸命に生きている人々だ。
愛と憎しみの葛藤を見せるのではなく、描かれるのは愛と愛の葛藤だ。
妻夫木聡が抜群に良い。
爽やかで人の良さそうな、元々彼の持っているイメージ通りの役柄ではあるのだが、逆に言えばリアリティという点では嘘臭くなりがちなキャラクターである。
淡々とした生活の描写の中、例えば愛しい妹を見つめる視線一つとっても、幾つもの感情を演じわける。
丁寧な、良い芝居である。
カオルを演じる長澤まさみも、イメージ通りの役を無難にこなして十分存在感を発揮しているが、ここは文字通り妻夫木の役者が上だ。
をまあこんなかわいい妹がいたら、お兄ちゃん無条件に頑張っちゃうけどね。
この二人の切なくも小さな世界を、沖縄出身のバイブレイヤーたちがしっかりと固め、リアリティを与えている。
特に二人の育ての親であるオバアを演じる平良とみは、相変わらず存在そのものが「映画」であるとしか言い様がない。
カオルに愛する者の生と死の意味を、まるで一遍の詩の様な響きのウチナーグチの訛りで、切々と語るシーンは、喜びも悲しみも全てを包み込んで、ゆったりと波打つ沖縄の海の様に美しく、本編の白眉だ。
作品世界構築に関しては、ビジュアル、キャラクター共に、撮影前のゴタゴタを感じさせない高い完成度を持つこの作品だが、残念ながら物語の練り込み不足までは誤魔化せていない。
キャラクターの魅力で何とか持ってはいるが、前半の展開は一本調子でドラマ的な起伏に欠ける。
いや、ドラマチックな事件は起こっているのだが、それを受けたキャラクターの心理描写までもが妙にあっさりしているので、ドラマとしての抑揚に繋がっていない。
逆に、後半のカオルの独立からの展開は、あまりにもご都合主義で強引だ。
結果的に、深読みしない限り、物語を通して何を言いたいのか判り難い作品になってしまっている。
画面からは、丁寧な映画作りが伝わってくるだけに、肝心の設計図たる脚本の完成度の低さが心底勿体無いと思う。
しかし、こうした欠点を抱えつつも、「涙そうそう」は「泣ける映画」というこの作品本来の目的に対して、確実な結果を出していると言って良い。
私の涙腺は、前半の母と洋太郎の「約束」の所から既に決壊。
そして詩の様に美しい、平良とみの語りの後で、洋太郎が最後の最後に仕掛けたサプライズには、もう判っていても号泣せざるを得なかった。
多分、「フラガール」に泣いた人は、こちらも泣けるだろう。
映画としての完成度にはずい分と差があるが、少なくとも「泣き」に関しては互角の勝負である。
秋にはやはりしんみりと泣ける映画が似合う。
あと、エンドクレジットで席を立たないように。
この作品の場合、単なる「おまけ」ではなく、本当のラストはクレジットの後にある。
今回は、沖縄の生んだスピリッツ、泡盛の古酒を。
「瑞泉の17年物」はホンノリと色付いて、味もマイルドに変化しつつある。
嘗ては100年を超える物も珍しくなかったという、泡盛の古酒だが、残念ながら戦争で殆んどが破壊されてしまった。
現在では数十年ものまで出回るようになっているが、歳月を経た泡盛は、この映画の登場人物の心の様に、おおらかで優しい。
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この映画の原作は、夏川りみがカバー版を唄って大ヒットした、BEGINの名曲「涙そうそう」だ。
森山良子によるこの切ない歌詞は、彼女が若くして逝った実の兄への想いを綴ったものだという。
映画は、歌詞のイメージを忠実に映像化していると言って良いだろう。
沖縄本島で、飲食店を開く夢を追う洋太郎(妻夫木聡)の元に、島で暮らしていた妹カオル(長澤まさみ)が高校進学のために引っ越してくる。
幼い頃に両親の再婚で義理の兄妹となり、父の失踪と母(小泉今日子)の死を乗り越えて支え合いながら生きてきた二人。
久々に再会した妹が大人っぽくなっていたことに、ちょっとドキドキする洋太郎。
彼は、「どんな時でもカオルを守る」という亡き母との約束を忘れた事は無かった。
自分の店を持とうとした洋太郎だったが、詐欺にあって全財産を失い、借金を背負ってしまう。
それでも親代わりとして、借金を返して妹を大学に行かせるために、洋太郎は昼夜を問わず働き始めるのだが・・・
ただでさえ泣ける曲をモチーフに、描かれるのは懸命に生きる血のつながらない兄妹の物語。
幼い頃の両親との不幸な別れ、母との約束を果そうと必死で妹を守ろうとする兄、自分たちを捨てた父親との邂逅、妹の自立。
そして永遠の別れ。
殆んど韓流ドラマ並に設えられた泣かせの設定を料理するのは、ファンタジー映画の傑作「いま、会いにゆきます」の土井裕泰監督。
この企画は元々福澤克雄の監督作品として準備されていたのだが、彼の急病で急遽土井裕泰がピンチヒッターに立って撮影に入ったという経緯がある。
制作途中での交代劇は、何かと大変だっただろうが、完成した作品は見事なまでに土井カラーに染められている。
「いま、会いにゆきます」では、長野県の田舎町を、まるでスタジオジブリのアニメーションに出てくる、理想化された日本のハートランドの様に写し取ったビジュアルが印象的だったが、この作品でも同様のセンスは生きている。
元々本土とは違った、ゆったりとした空気の流れる沖縄が舞台ではあるが、洋太郎とカオルの住む廃屋を改造したペントハウス(?)や、宜野湾のカオルのアパート、洋太郎の夢であった手作りのお店などの、ありそうで現実には無い和洋折衷の美術、そして明るく彩度の高いカメラによって、この作品の世界はある種のファンタジーの様な独特のムードを醸し出している。
てっきり「いま会い」のスタッフが続投しているのかと思いきや、撮影は柴主高秀から浜田毅へ、美術は種田陽平から小川富美夫にそれぞれ代わっているから、この映像センスは土井監督の物であると言って良いだろう。
この美しい理想郷に、ドロドロの愛憎劇は似合わない。
「いま会い」もそうだったが、この映画にも船越英一郎の詐欺師を除けば、悪人は登場しない。
家族を捨てた父親も含めて、皆それぞれの生を一生懸命に生きている人々だ。
愛と憎しみの葛藤を見せるのではなく、描かれるのは愛と愛の葛藤だ。
妻夫木聡が抜群に良い。
爽やかで人の良さそうな、元々彼の持っているイメージ通りの役柄ではあるのだが、逆に言えばリアリティという点では嘘臭くなりがちなキャラクターである。
淡々とした生活の描写の中、例えば愛しい妹を見つめる視線一つとっても、幾つもの感情を演じわける。
丁寧な、良い芝居である。
カオルを演じる長澤まさみも、イメージ通りの役を無難にこなして十分存在感を発揮しているが、ここは文字通り妻夫木の役者が上だ。
をまあこんなかわいい妹がいたら、お兄ちゃん無条件に頑張っちゃうけどね。
この二人の切なくも小さな世界を、沖縄出身のバイブレイヤーたちがしっかりと固め、リアリティを与えている。
特に二人の育ての親であるオバアを演じる平良とみは、相変わらず存在そのものが「映画」であるとしか言い様がない。
カオルに愛する者の生と死の意味を、まるで一遍の詩の様な響きのウチナーグチの訛りで、切々と語るシーンは、喜びも悲しみも全てを包み込んで、ゆったりと波打つ沖縄の海の様に美しく、本編の白眉だ。
作品世界構築に関しては、ビジュアル、キャラクター共に、撮影前のゴタゴタを感じさせない高い完成度を持つこの作品だが、残念ながら物語の練り込み不足までは誤魔化せていない。
キャラクターの魅力で何とか持ってはいるが、前半の展開は一本調子でドラマ的な起伏に欠ける。
いや、ドラマチックな事件は起こっているのだが、それを受けたキャラクターの心理描写までもが妙にあっさりしているので、ドラマとしての抑揚に繋がっていない。
逆に、後半のカオルの独立からの展開は、あまりにもご都合主義で強引だ。
結果的に、深読みしない限り、物語を通して何を言いたいのか判り難い作品になってしまっている。
画面からは、丁寧な映画作りが伝わってくるだけに、肝心の設計図たる脚本の完成度の低さが心底勿体無いと思う。
しかし、こうした欠点を抱えつつも、「涙そうそう」は「泣ける映画」というこの作品本来の目的に対して、確実な結果を出していると言って良い。
私の涙腺は、前半の母と洋太郎の「約束」の所から既に決壊。
そして詩の様に美しい、平良とみの語りの後で、洋太郎が最後の最後に仕掛けたサプライズには、もう判っていても号泣せざるを得なかった。
多分、「フラガール」に泣いた人は、こちらも泣けるだろう。
映画としての完成度にはずい分と差があるが、少なくとも「泣き」に関しては互角の勝負である。
秋にはやはりしんみりと泣ける映画が似合う。
あと、エンドクレジットで席を立たないように。
この作品の場合、単なる「おまけ」ではなく、本当のラストはクレジットの後にある。
今回は、沖縄の生んだスピリッツ、泡盛の古酒を。
「瑞泉の17年物」はホンノリと色付いて、味もマイルドに変化しつつある。
嘗ては100年を超える物も珍しくなかったという、泡盛の古酒だが、残念ながら戦争で殆んどが破壊されてしまった。
現在では数十年ものまで出回るようになっているが、歳月を経た泡盛は、この映画の登場人物の心の様に、おおらかで優しい。

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