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2006年11月04日 (土) | 編集 |
1959年のある日。
カンザス州の小さな町で、裕福な農家の一家四人が何者かによって惨殺されるという事件が起こる。
この事件を報じる新聞記事に、ふと目を止めた作家が一人。
彼の名は、トルーマン・カポーティ。
映画ファンには「ティファニーで朝食を」の原作者として知られ、脚本家としても活躍した現代文学の巨匠である。
カポーティは、この後執拗に事件を追い、膨大な資料を元に、1966年に一編の作品を発表する。
文学史上の金字塔、「冷血」である。
これは、一人の作家がテーマと出会い、自己の崩壊と引き換えに偉大な創作を生み出すまでを描いた物語だ。
トルーマン・カポーティ(フィリップ・シーモア・ホフマン)は人気作家だ。
原作を書いた映画は大ヒットし、連夜のパーティではいつも主役。
そんな彼が小さな新聞記事に目を止めたのは1959年の事。
カンザス州ホルカムで一家四人が惨殺された凄惨な事件の記事だった。
興味を引かれたカポーティは、幼馴染で作家の卵のネル・ハーパー・リー(キャサリン・キーナー)と共に現地で取材を始める。
やがて犯人として、ペリー・スミス(クリストフ・コリンズJr)とディック・ヒコック(マーク・ペレグリーノ)の二人が逮捕される。
カポーティは二人の犯人へのインタビューを開始し、独自の取材資料とあわせて、「冷血」の執筆を開始する。
裁判の結果二人には死刑の判決が下るが、二人のうちペリー・スミスに強く惹かれたカポーティは、彼らの控訴審のため弁護士を雇い、時間を引き延ばして事件の核心を聞き出そうとするのだが・・・
カポーティを演じるフィリップ・シーモア・ホフマンは、本作でオスカーを受賞した。
私は生前のカポーティの動画を、出演した映画「名探偵登場」くらいでしか見たことが無いので、実際どの程度似ているのかは判らないが、ホフマンが非常にユニークなキャラクターを造形しているのは確かだ。
独特の立ち振る舞い、不思議な喋り方、ビジュアル面だけ見ても一度観たら忘れられないキャラクターだと思う。
ベネット・ミラーの演出も、徹底的にカポーティのキャラクターをフィーチャーする。
二時間の間、殆ど出ずっぱりである。
もっとも、それ以外に撮りようが無かったのかも知れない。
何しろ物語はもの凄くシンプルだ。
殺人犯に惹かれたカポーティが、葛藤を抱えながら彼から真実を聞きだし、本にする。
それだけの物語である。
物語のスタイルは、ある種の対話劇と言える。
過去の作品で言えば、代表的なのはやはり「羊たちの沈黙」だろうか。
最近では「白バラの祈り」もこの類だ。
二人の主人公の対話を中心に物語が構成され、両者の精神的な対峙がドラマを生む。
この作品で言えば、普段は享楽主義者にも見えるカポーティが作家の冷酷な目で、ペリー・スミスの内面を自身の創作物の中に奪い取ろうとする。
逮捕後、拒食症になっていたスミスに、カポーティはまるで自分の子供に対する様にベビーフードを与え、足繁く刑務所に通い、話し相手になる。
なぜ彼はそこまで彼に惹かれたのか?貴重な取材源だったからか?
カポーティは言う。
「スミスと自分は同じ家で育って、彼は裏口から、自分は表玄関から出て行った様なもの」
幼少期の複雑な家庭事情という共通点以上に、カポーティはスミスの中に自分を見たのだろう。
ゆえにカポーティは、スミスから離れなれなくなり、時には嘘を並べてまで彼の口から真実を聞き出そうとする。
だがそれは同時に、自分の半身を裏切る様な、耐え難い精神的苦痛を伴うものだった。
故に、物語の執筆に必要な話を聞きだした後、度重なる死刑の延期に動揺し、一度は逃げ出す。
最初、カポーティにとって、スミスは単なる取材対象に過ぎなかったのかもしれないが、いつの間にか、彼はスミスの中に目にしたくないもう一人の自分を見るのだ。
私にとって「冷血」は、カレッジのクラスでこれに関するレポートを書かなくてはならなくなって、死ぬ思いで原語で読んだ思い出の本だ。(だって、ぶあついんだもの・・・)
その頃はカポーティなんて知らなかったが、後年「ティファニーで朝食を」などの以前の彼の本を読み、「冷血」とのタッチの差にずい分驚いた記憶がある。
なぜ「冷血」が特異な作品だったのか、この作品を観てようやく判った。
カポーティにとって、この作品とこれ以前の「創作」は本質的に異なった体験だったのだろう。
「カポーティ」はとても丁寧に作られている。
しかし、この作品は対話劇の代表として前記した2作品ほどには、心に迫ってこない。
対話劇は、拮抗する存在感をもつ二人が対峙してこそ、スリリングな緊張が持続する。
カポーティは文句無しだが、ペリー・スミスが弱い。
事実を元にしているから、ある程度は仕方がないのかもしれないが、作家が切望し、彼の心を支配した「冷血」の闇が今ひとつ見えないのだ。
同時に、映画からは幼少期の不幸な境遇という共通項以外に、カポーティがスミスに肩入れする理由も映画からは明確には伝わってこない。
スミスの内面描写が不十分で、カポーティが彼の中にもう一人の自分を見出す実感が掴めないためだ。
一人の奇異な作家の評伝としては、なかなか良く出来ているものの、ホフマンの見事な役作りにばかり目が行ってしまい、キャラクターの内面を抉り取るまでは出来ていないと思う。
ベネット・ミラーの演出も、これが実質的に長編デビュー作とは思えない完成度の高さを見せるが、ここはむしろ冒険が必要だった気がする。
さて今回の付け合せは難しい。
晩年のカポーティは酒びたりの生活だったらしく、この映画にもお酒を飲む印象的なシーンがいくつか出てくる。
今回は映画があっさり味だったので、濃いテイストでコクのある強い酒をグイッとやりたい。
ケンタッキーバーボンの逸品、オールド・グランダッドの「114」を。
創業200年を超える歴史ある蒸留所で、オールド・グランダッドとは創業者のベーシル・ヘイデンを指す。
アルコール度数57度。
ヘヴィで、まろやかな本物のバーボンだ。
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カポーティ本人の出演作
映像化された「冷血」
ホフマンが悪役を好演
カンザス州の小さな町で、裕福な農家の一家四人が何者かによって惨殺されるという事件が起こる。
この事件を報じる新聞記事に、ふと目を止めた作家が一人。
彼の名は、トルーマン・カポーティ。
映画ファンには「ティファニーで朝食を」の原作者として知られ、脚本家としても活躍した現代文学の巨匠である。
カポーティは、この後執拗に事件を追い、膨大な資料を元に、1966年に一編の作品を発表する。
文学史上の金字塔、「冷血」である。
これは、一人の作家がテーマと出会い、自己の崩壊と引き換えに偉大な創作を生み出すまでを描いた物語だ。
トルーマン・カポーティ(フィリップ・シーモア・ホフマン)は人気作家だ。
原作を書いた映画は大ヒットし、連夜のパーティではいつも主役。
そんな彼が小さな新聞記事に目を止めたのは1959年の事。
カンザス州ホルカムで一家四人が惨殺された凄惨な事件の記事だった。
興味を引かれたカポーティは、幼馴染で作家の卵のネル・ハーパー・リー(キャサリン・キーナー)と共に現地で取材を始める。
やがて犯人として、ペリー・スミス(クリストフ・コリンズJr)とディック・ヒコック(マーク・ペレグリーノ)の二人が逮捕される。
カポーティは二人の犯人へのインタビューを開始し、独自の取材資料とあわせて、「冷血」の執筆を開始する。
裁判の結果二人には死刑の判決が下るが、二人のうちペリー・スミスに強く惹かれたカポーティは、彼らの控訴審のため弁護士を雇い、時間を引き延ばして事件の核心を聞き出そうとするのだが・・・
カポーティを演じるフィリップ・シーモア・ホフマンは、本作でオスカーを受賞した。
私は生前のカポーティの動画を、出演した映画「名探偵登場」くらいでしか見たことが無いので、実際どの程度似ているのかは判らないが、ホフマンが非常にユニークなキャラクターを造形しているのは確かだ。
独特の立ち振る舞い、不思議な喋り方、ビジュアル面だけ見ても一度観たら忘れられないキャラクターだと思う。
ベネット・ミラーの演出も、徹底的にカポーティのキャラクターをフィーチャーする。
二時間の間、殆ど出ずっぱりである。
もっとも、それ以外に撮りようが無かったのかも知れない。
何しろ物語はもの凄くシンプルだ。
殺人犯に惹かれたカポーティが、葛藤を抱えながら彼から真実を聞きだし、本にする。
それだけの物語である。
物語のスタイルは、ある種の対話劇と言える。
過去の作品で言えば、代表的なのはやはり「羊たちの沈黙」だろうか。
最近では「白バラの祈り」もこの類だ。
二人の主人公の対話を中心に物語が構成され、両者の精神的な対峙がドラマを生む。
この作品で言えば、普段は享楽主義者にも見えるカポーティが作家の冷酷な目で、ペリー・スミスの内面を自身の創作物の中に奪い取ろうとする。
逮捕後、拒食症になっていたスミスに、カポーティはまるで自分の子供に対する様にベビーフードを与え、足繁く刑務所に通い、話し相手になる。
なぜ彼はそこまで彼に惹かれたのか?貴重な取材源だったからか?
カポーティは言う。
「スミスと自分は同じ家で育って、彼は裏口から、自分は表玄関から出て行った様なもの」
幼少期の複雑な家庭事情という共通点以上に、カポーティはスミスの中に自分を見たのだろう。
ゆえにカポーティは、スミスから離れなれなくなり、時には嘘を並べてまで彼の口から真実を聞き出そうとする。
だがそれは同時に、自分の半身を裏切る様な、耐え難い精神的苦痛を伴うものだった。
故に、物語の執筆に必要な話を聞きだした後、度重なる死刑の延期に動揺し、一度は逃げ出す。
最初、カポーティにとって、スミスは単なる取材対象に過ぎなかったのかもしれないが、いつの間にか、彼はスミスの中に目にしたくないもう一人の自分を見るのだ。
私にとって「冷血」は、カレッジのクラスでこれに関するレポートを書かなくてはならなくなって、死ぬ思いで原語で読んだ思い出の本だ。(だって、ぶあついんだもの・・・)
その頃はカポーティなんて知らなかったが、後年「ティファニーで朝食を」などの以前の彼の本を読み、「冷血」とのタッチの差にずい分驚いた記憶がある。
なぜ「冷血」が特異な作品だったのか、この作品を観てようやく判った。
カポーティにとって、この作品とこれ以前の「創作」は本質的に異なった体験だったのだろう。
「カポーティ」はとても丁寧に作られている。
しかし、この作品は対話劇の代表として前記した2作品ほどには、心に迫ってこない。
対話劇は、拮抗する存在感をもつ二人が対峙してこそ、スリリングな緊張が持続する。
カポーティは文句無しだが、ペリー・スミスが弱い。
事実を元にしているから、ある程度は仕方がないのかもしれないが、作家が切望し、彼の心を支配した「冷血」の闇が今ひとつ見えないのだ。
同時に、映画からは幼少期の不幸な境遇という共通項以外に、カポーティがスミスに肩入れする理由も映画からは明確には伝わってこない。
スミスの内面描写が不十分で、カポーティが彼の中にもう一人の自分を見出す実感が掴めないためだ。
一人の奇異な作家の評伝としては、なかなか良く出来ているものの、ホフマンの見事な役作りにばかり目が行ってしまい、キャラクターの内面を抉り取るまでは出来ていないと思う。
ベネット・ミラーの演出も、これが実質的に長編デビュー作とは思えない完成度の高さを見せるが、ここはむしろ冒険が必要だった気がする。
さて今回の付け合せは難しい。
晩年のカポーティは酒びたりの生活だったらしく、この映画にもお酒を飲む印象的なシーンがいくつか出てくる。
今回は映画があっさり味だったので、濃いテイストでコクのある強い酒をグイッとやりたい。
ケンタッキーバーボンの逸品、オールド・グランダッドの「114」を。
創業200年を超える歴史ある蒸留所で、オールド・グランダッドとは創業者のベーシル・ヘイデンを指す。
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カポーティ本人の出演作
映像化された「冷血」
ホフマンが悪役を好演
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