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武士の一分・・・・・評価額1650円
2006年12月03日 (日) | 編集 |
木村拓哉、毒にあたって苦しんでても、高熱にうなされてても・・ええ男やなあ・・・。

私も風邪をひいて、一週間以上体調が最悪。
キムタクじゃないので、もう人前に出ることすら出来ないボロボロの状態だ。
映画を観る気力も無かったのだが、ようやくある程度回復してきたので、ずっと期待していたこの作品をチョイスした。
山田洋次による、藤沢周平原作の時代小説の映画化第三弾。
タイトルの「武士の一分」の一分とは、つまり「面目」の事。
盲目の剣士が、命を賭しても守らねばならないと考えた一分とは、はたして何だったのか。

奥州・海坂藩の三十石の下級武士、三村新之丞(木村拓哉)は、妻の加世(壇れい)と慎ましくも幸せな日々を送っていた。
新之丞は藩主の毒見役という御役目が嫌で、早めの隠居を考えていた。
剣の腕には覚えがあり、自宅で小さな道場を開こうと考えていたのだ。
そんな小さな夢を加世に打ち明けた矢先、新之丞は御役目で季節外れの貝の毒に当たり、生死の境を彷徨う事に。
ようやく一命を取り留めたが、新之丞の目は二度と光を見る事が出来なくなっていた。
自暴自棄になる新之丞を、この世に繋ぎとめたのは、加世の深い愛だった。
やがて落ち着きを取り戻し、目が見えなくても一日一日をしっかりと生きていこうと考える新之丞だったが、生活は次第に立ち行かなくなる。
しかし、かねてから美しい加世に邪な思いを寄せていた番頭の島田(坂東三津五郎)が、三村家の窮状に付け込んで、密かに加世をわがものにしようと狙っていた・・・・


慎ましい夫婦の愛を、静かに描いた秀作である。
物語の大半は、新之丞と妻・加世の日常の描写に費やされる。
特に新之丞が毒にあたって失明してからの物語は、三村家の中間・徳平とのコミカルなやり取りを別とすれば、新之丞の元同僚や親戚がたまにやってきては、物語を展開するきっかけを与える以外、ほぼ夫婦二人だけの描写が続く。
この日常の描写がすごい。
美術や演技の細やかさは言うまでも無いが、雷鳴、風の音、季節ごとの虫の声、蛍や蝶といった庭の生き物といった自然のディテールが、これでもかと言うくらいに徹底的に描写され、画面に生命を与えている。
小さな家と庭だけでも、時の流れと季節があり、盲目の主人公もまた、それを一部で感じながら、妻と二人の生活を送る。
変わらない様に見える日常も、実は毎日が少しずつ違い、夫婦の心もまた変わる。
その微妙な変化を巧みに表現しているからこそ、この作品の「日常」は観る者にとって、決して飽きる事無く流れて行く。

映画の中で象徴的に使われているのが、何度も出てくる食事のシーンだ。
勿論これは新之丞が毒見役であり、食事によって人生が大きく変わった事とかけてあるのだが、家で彼がとる食事のシーンに、主人公夫婦の心情がしっかりと描かれている。
一汁一菜のシンプルな食事。
しかし、その中でも幸せな食事、絶望の縁の食事、再び希望を取り戻した食事など、様々な意味があり、小説で言えば「章」の様な役割で、物語の節々に用意されている。

そして、この夫婦のささやかな日常が、卑劣な上司の謀によって破壊されると、一転して新之丞の「武士の一分」即ち侍としての誇りと、加世への愛を賭けた、戦いの物語となってゆく。
それまで淡々とした日常の描写が続いていたが故に、クライマックスの果し合いのシーンは、突如として異質の緊張感に包まれる。
片方が盲目の斬り合いというと、どうしても「座頭市」を連想してしまうが、漫画チックなあちらと違って、こちらはあくまでもリアリズム重視。
山田洋次は過去の藤沢周平物でも、クライマックスに時代劇ならではの見事な殺陣の見せ場を作ってきたが、この作品の物も中々の仕上がり。
盲目という圧倒的不利を抱えた新之丞の戦いに、観客は目が離せない。
山田洋次の演出は、ファーストカットからラストカットまで、画面の真ん中から四つの隅々まで、全く隙無く行き届いており、殆んどアニメーション演出並の計算を感じさせつつも、エモーショナルな躍動を忘れない。
観客は、円熟という言葉の意味を、この作品から感じ取るだろう。

主人公の三村新之丞を演じる木村拓哉が実に良い。
彼はデ・ニーロの様にカメレオン的に役に成りきるタイプではないが、三船敏郎やジョン・ウェインの様に役を自分の方へ引き寄せる力を持った本物のスター俳優だ。
もっともカリフォルニア訛りのモンゴル人を平然と演じたジョン・ウェインほどには、自らのスター性に頼る事も無く、実際今回の三村新之丞役においても、かなり細やかな役作りを行っている。
ただ、方言を使って、みすぼらしい姿をして、江戸時代の盲目の侍・三村新之丞をリアルに作り上げても、そこ写っているのが他ならぬ「木村拓哉」であることが画面にオーラを加えているのだ。

そして、新之丞と深い愛で結ばれた加世を演じる壇れいがまた良い。
宝塚出身で、映画はこれがデビュー作だそうだが、しっとりとした情感を感じさせる佇まいといい、極めて高いレベルの演技力といい、これほどの演技者がいままで映画に出ていなかったのが不思議なくらいだ。
宝塚というのは、本当に才能の宝庫なんだなあと今更ながら感心した。

「武士の一分」は非常に丁寧に作られた秀作だが、例えば同じ山田洋次の藤沢物「たそがれ清兵衛」あたりと比べると、映画的なスケール感では多少物足りなさも感じる。
あの作品では、幕末の心優しき侍という主人公を通して、侍の存在その物のたそがれ時を表現するという時代性で作品世界に物語的な広がりをもたせ、更に奥州という土地柄を生かした雄大なロケーションでビジュアル的な広がりをも持たせていた。
その点、この作品では一つ一つのシーンは実に細かく作りこまれているものの、物語は感情的にはあくまでも新之丞と加世の心の葛藤以外には広がらず、また舞台の大半は新之丞の家の中で展開してしまい、自然の風景も殆んど出てこないので、極めて完成度は高いものの、やや箱庭的な印象になってしまう。
もっとも、それはあくまでも「比較すれば」という話であって、「たそがれ~」とは内容もテーマも違うこの作品に対しては、無い物ねだりのような欲求かもしれない。
「武士の一分は間違いなく、現在日本映画でもっともクオリティの高い仕事を観ることの出来る作品であり、観終わった観客は「良い物を観た」という深い満足感に包まれて劇場を後にするだろう。

今回は、藤沢周平の故郷であり、時代劇三部作の舞台のモデルでもある山形県は庄内の地酒「くどき上手」の大吟醸を。
華やかさを保ちつつも、すっきりとした爽やかな飲み口は、なるほど知らぬ間に酔わされていそうな酒だ。
キムタクのような美男子に生まれなかった身としては、せめてくどき上手にはなりたいものである。

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