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ゾディアック・・・・・評価額1600円
2007年06月16日 (土) | 編集 |
今から38前、全米を恐怖に陥れたシリアルキラーがいた。
自らを「ゾディアック(十二宮)」と名乗り、マスコミに暗号のような声明文を送りつけ、まるでゲームを楽しむように犯罪を犯し、警察とマスコミを翻弄する。
デビット・フィンチャー監督の「ゾディアック」は、日本でもあの酒鬼薔薇聖斗が崇拝していた事で知られる、前代未聞の猟奇殺人犯の正体を追い求めた、四人の男たちの物語だ。

1969年、カリフォルニア州サンフランシスコ近郊の街で、ドライブ中のカップルが襲撃され、女性は死亡、男性も重症を負う事件が起こった。
1ヵ月後、新聞社に犯人と思しき人物から犯行声明と暗号文が届けられる。
犯人曰く、暗号文を新聞に載せないと無差別大量殺人を実行するという。
暗号は新聞に掲載され、サンフランシスコ市警のデビッド(マーク・ラファエロ)とウィリアム(アンソニーエドワーズ)両刑事、そして新聞記者のエイブリー(ロバート・ダウニーJr.)や風刺漫画家のグレイスミス(ジェイク・ギレンホール)は姿なき殺人鬼「ゾディアック」の謎解きに次第にのめり込んで行くのだが、それは数十年に渡る戦いの序章に過ぎなかった・・・


映画の宣伝では、まるで「羊たちの沈黙」の様な、ホラーテイストのサスペンス風味を強調しているが、正直言って看板に偽りあり。
そういった要素が全く無いとは言わないが、恐怖やスリルを求めてこの映画を観ようという人は、やめておいた方が良い。
これは、サスペンスの形をとってはいるが、実際に存在するのかどうかも判らない、「ゾディアック」という見えない恐怖に取り付かれ、人生を狂わされた男たちの数十年に渡る情念の物語だ。
実は、私はこの作品を観て、二本の映画を思い出した。
一本は、本作と同じジェイク・ギレンホール主演の「ブロークバック・マウンテン」
勿論ジャンルも描かれる感情もまるで違うのだが、一つのイメージに取り付かれ、それ以上何も進めなくなってしまった男たちの、悲しくも純粋な生き様にはどこか共通点があるような気がする。
そしてもう一本は、80年代末に韓国で起こった華城連続殺人事件を描いたポン・ジュノの傑作「殺人の追憶」だ。
ゾディアックと同じように、自己の存在を誇示する見えない犯人を執拗に追う二人の刑事のドラマは、内容そのもの以上に、物語への時代を俯瞰したアプローチという点で、本作に強い影響を与えていそうだ。

おそらくそのテーマから、「セブン」を期待した人も多いのだろうが、デビット・フィンチャーの演出は、いつもの外連味を押さえた淡々としたもので、ビジュアルも地味。
今までのフィンチャーのファンなら、本作の演出スタイルは、まるで人が違ったかの様に感じるかもしれない。
もっともビジュアル的に地味といっても、そこはフィンチャー、実際にはものすごく凝った映像を駆使して、重厚なイメージを作り出している。
オールデジタル撮影で、70年代のフィルム調で仕上げた映像に加え、60年代末から30年間のサンフランシスコの風景を再現したVFXと美術は実に見事な仕上がりだ。
まったく自然なので、殆どの人は意識しないだろうが、私の様な映像畑の人間が観れば驚嘆せざるを得ない。
偶然ながら、私は70年代と80年代にサンフランシスコを訪れた事があり、90年代にはずっと住んでいた第二のホームタウンなので、その懲りに凝った再現の見事さ、時代の息遣いまで感じられそうな細部まで神経の行き届いた演出は素直に凄いと思う。

四人の男たちのうち、新聞漫画家のグレイスミスがこの物語の原作者であり、語り部の役割を果たす。
演じるジェイク・ギレンホールは、やはりどことなく「ブロークバック~」を連想させるが、ドラマのコアとして一番客観的で、しかし内面に情熱を秘めたキャラクターを好演している。
ロバート・ダウニーJr演じる、狂気すら感じられる事件記者エイブリーとはドラマの上で好コントラスト。
刑事では、やや受身で影の薄いウィリアムに対して、刑事コロンボの様な70年代ルックに身をつつんだマーク・ラファエロのデビッドが、いかにも切れ者という感じでやはり良いコントラストを形作る。
フィンチャーは、映像のムードだけではなく、徹底的に四人の主人公の三十年という時間の断片一つ一つを綿密に再現することで、実際にその時間を生きた彼らの人生を臨場感たっぷりに紡いでゆく。
ゾディアックとの終わりなきゲームから、途中でドロップアウトする者、その存在の重さに潰されてしまう者、追求の欲求に蓋をして生きる者、そして地味にしつこく追い続ける者。
なぜこの事件は、これほどまでに彼らの生き方を狂わせたのか。
あるいは、なぜ彼らはこれほどまでにゾディアックという怪物を、自らの中で成長させてしまったのか。
映画は明確にはその理由を提示しない。
しかし、そこには確実に血の通った人間たちの生き様が刻まれており、そこにどのような意味を見出すかは、観客一人一人に委ねられている。

ちなみに、ゾディアックは、「ダーティハリー」の悪役スコーピオンのモデルとしても知られているが、本作にもそのプレミアのシーンがある。
何でもサンフランシスコ市警は、自己顕示欲の強いゾディアックが自分がモデルになった映画のプレミアに姿を見せるかも知れないと推定し、劇場のアンケート箱の中に刑事を潜ませていたらしい。
昔この話を聞いたときは笑い話だと思ったが、この映画を観たら姿無きゾディアックに警察組織がどれほど追い詰められていたのかを逆に実感してしまった。

「ゾディアック」は、デビット・フィンチャーという映画作家が新境地を切り開いた力作である。
サスペンス映画として観に行くと、おそらく拍子抜けだろうが、じっくりと人間の生き様を描いた人間ドラマとしては十分に見応えがあり、上映時間2時間37分は決して長くない。
果たして、真の殺人者は天空の十二宮のどこに隠れているのか。
それとも、星座というものが古代の人類の想像力が夜空に見出したイリュージョンであるように、姿なき殺人者自身もまた、あの時代の人間たちの心が作り出した幻影に過ぎないのだろうか。
ゾディアック・キラー事件は、2007年現在公式にはいまだ未解決である。

今回はその十二宮の一つ、蠍座からテキーラの「スコーピオン・ブルー」を。
幻想的な美しい青色が印象的だが、シトラスのフレーバーで後味はさっぱり。
映画がドヨーンとヘヴィに圧し掛かってくるタイプなので、鑑賞後のお酒は強くてもあまり後に引かないテキーラあたりがぴったりだろう。


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