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アポカリプト・・・・・評価額1450円
2007年06月20日 (水) | 編集 |
一見歴史冒険物に見えるが、本質は真性Mによる変態さん映画である。
オスカーを受賞した「ブレイブハート」でもその気は見えたし、前作の「パッション」も痛さ全開だったが、これだけ続くともはや断言しても良いだろう。
メル・ギブソンが描きたい事の第一義は「痛さ」であり、その他のテーマは二義的な物に過ぎない。
中世マヤ文明を舞台とした「アポカリプト」は、何しろ全体のバランスを崩してまで執拗に描写されるサディスティックな描写で溢れている。

中世、中央アメリカのジャングル。
部族長の息子ジャガー・パウ(ルディ・ヤングブラッド)は、愛する家族と共に豊潤な森で幸せに暮らしていた。
しかし、ある時彼らの村はマヤの都会から派遣されてきた軍隊の奇襲攻撃を受ける。
臨月の妻(ダリア・ヘルナンデス)と幼い息子を、村はずれの涸れ井戸に隠したジャガー・パウは、村を守るために必死で戦うが多勢に無勢、村は壊滅し村人は奴隷として連行されてしまう。
もし雨が降れば、涸れ井戸は直ぐに水が流れ込み妻子は溺死してしまう。
何とか脱出の機会を探るジャガー・パウだったが、都市に連行された彼らを待っていたのは想像以上に過酷な運命だった・・・


残虐な描写に拘るんだからSじゃないの?という声もありそうだが、まず間違いなくメル・ギブソンはMだと思う。
正直に告白すると、私もちょっとMっ気があるから判るのだ(笑
自らの処刑シーンを喜々として演じていた「ブレイブハート」は言うに及ばず、この作品を含めて3作の監督作品は全て、ひたすら痛い思いをする主人公の目線で描かれている。
ああ、いろんな痛いシチュエーションを夢想しながら作ったんだろうなあ、ゾクゾクしただろうなあ・・・と、M仲間としては思ってしまった。

一応テーマとしては、台詞でも強調される「本質的な恐怖の克服」という事なんだろうけど、それがこれほどまでにスプラッターな描写に拘る理由にはなるまい。
当たり前だが、恐怖は痛みと繋がってはいるが、イコールではない。
にもかかわらず、ギブソンは刺され、斬られ、喰いちぎられ、破壊され、陵辱される人体そのものを、何かにとりつかれたかの様に徹底的に描写する。
ここまでやると、もはやビジュアル的な痛みが恐怖も何も覆い隠してしまって、恐怖の克服というテーマは台詞で思い出させてくれなければ忘れてしまう。
主人公はひたすら自らと家族に降りかかった生命の危機から逃れようと、本能的な闘争を続けているだけだし、映画で描写される事と、台詞で語られるテーマは今ひとつキッチリとはリンクしない。
勿論、痛みから逃れ打ち勝ち、生き延びること自体が恐怖の克服であるという事もいえるだろうが、それならばもう少し描写は精神的であるべきで、そういう意味では、この映画はかなり薄っぺらで、弱い。
この映画が後世に残るとすれば、アカデミー賞監督がその変態性を封じ込めた、カルトなスプラッター映画としての可能性の方が強いだろう。

もっともテーマ性の部分は置いといて、秘境冒険物としてみると、これはこれでかなり面白い。
ギブソンとファラド・サフィニアによる脚本はプロットだけ見ると、囚われた英雄が家族を救うために闘争するという、娯楽映画の王道というべきシンプルでベーシックな物。
ちょっとマイケル・マン監督の「ラスト・オブ・モヒカン」を思わせる密林での戦いは、濃密な緑の大気を感じさせるロケーションも素晴らしく、正に疾走するスピード感溢れる見せ場の連続で飽きさせない。
地上、水中から木の上までを使ったジャングルならではの立体的なアクション演出はさすがと言っていい仕上がりだ。

また、俳優出身の監督は役者の扱いが上手いものだが、メル・ギブソンもまた無名の俳優達をリアリティ溢れるキャラクターに生かしてみせる。
本作で印象的なのは、目線の演出だ。
父と子、夫と妻、大人と子供、敵と味方が目で表現する、愛情、憎しみ、慈愛、不安、絶望、希望。
ギブソン拘りのマヤ語による台詞回し以上に、どんな台詞よりも雄弁に語りかける登場人物たちの目の演技が素晴らしい。
それを可能としているのが、ネイティブ系俳優たちの圧倒的な目力であり、彼らの感情を引き出す演出である。
映画監督のもっとも重要な仕事は俳優の演技を引き出すことであり、その点でギブソンは見事な仕事をしている。

冒険映画として、変態映画として、「アポカリプト」はなかなかだ。
しかし、やはりとってつけたようなテーマ性が映画全体の印象としては邪魔をする。
「恐怖の克服」以外にも映画の冒頭の字幕で語られる「文明が征服される要因は、内部崩壊である」という文章も、映画を観ると要領を得ない。
少なくともこの映画において、「文明の征服」などは描かれていないし、「内部崩壊」というのが映画で描かれた腐敗したマヤの都市文明だとしたら、それはそれで疑問符を抱かざるを得ない。
このあたりの歴史をかじった人なら判ると思うが、この映画に描かれたマヤの都市文明はまるでマヤとアステカが合体した様でちょっと奇妙だし、マヤは必ずしも内部分裂を起こして征服された訳ではない。
それにギブソンは明らかに、ジャガー・パウらの暮らす森の村との対比で、マヤ文明を悪意を持って描いている。
これは例えば、作り手も観客も漫画と割り切っている「300 スリーハンドレッド」 でペルシャ軍の描写が荒唐無稽というのとは全く意味が違ってくると思うのだが・・・
タイトルの「アポカリプト」とはギリシャ語で「新時代」を意味する言葉だが、それが素直にラストから読み取れるかも疑問で、私はむしろ言い訳がましいこじつけに思えてしまった。
エンタメとしての潔い作りとは対照的に、「恐怖の克服」「文明の征服」「新時代」という言葉で明示される三つのテーマは最後まで輪郭がボケたままだった気がする。

今回は、結構暑苦しい映画なんで、ちょいサッパリ系。
マヤを受け継ぐメキシコのビール「テカテ」をチョイス。
テカテとはクチュマ山近くのテカテという街で今から60年以上前に生まれた、メキシコを代表するビールで、本国を含む北中米でシェアNo.1を誇る。
ライムと岩塩と一緒にグビグビやるのがメキシコ流だ。

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