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2007年10月29日 (月) | 編集 |
「EX MACHINA -エクスマキナ-」というヘンテコなタイトルだが、英語タイトルに「Apple seed」が入っている事からも判るように、2004年に公開された士郎正宗原作のSFアニメ「アップルシード」の続編的な作品。
前作同様に荒牧伸志が監督を務め、主人公のデュナンを演じる声優も共通で、今回はプロデュースにジョン・ウー、音楽監修に細野晴臣が参加している。
西暦2138年。
世界に壊滅的な打撃を与えた非核大戦後に、世界の平和を維持するために築かれた理想都市オリュンポス。
ここは人間とサイボーグ、そして人間のDNAを元に感情を抑制し、クローン技術で作られたバイオロイドが共存する街。
特殊部隊ES.W.A.T.の隊員デュナン(小林愛)と彼女のパートナーでサイボーグのブリアレオス(山寺宏一)はある作戦に参加するが、そこでデュナンをかばったブリアレオスが瀕死の重傷を負ってしまう。
戦線離脱となった彼の代わりに、デュナンの新たなパートナーとしてテレウスが配属されるが、彼はブリアレオスのDNAによって作られたバイオロイドで、肉体を失う前の彼の顔を持っていた・・・・
これは間違いなく「アップルシード」なのだが、公開が近かったせいか、どうしても「ベクシル 2077日本鎖国」とイメージがかぶる。
元々「ベクシル」自体、「アップルシード」をプロデュースした曽利文彦が監督しているし、キャラクターや美術などは同一の作品と思えるほどによく似ていて、いわば異母兄弟のような関係にある作品だ。
だが、あちらが「日本人絶滅」という超豪快なホラ話とサプライズな世界観で、派手に見せるSFにもって行ったのに対して、こちらの話は本質的にはずっと小さい。
もちろん、派手なドンパチの見せ場も盛りだくさんではあるのだが、本作で中心となるのは、主人公デュナンと機械の肉体を持つパートナー、ブリアレオス、そして人間だった頃のブリアレオスの顔を持つテレウスの間の三角関係だ。
彼らは人間、サイボーグ、バイオロイドを象徴するキャラクターで、そこには異なる存在間での寛容性というテーマも持っているのだが、本質的にはこの三人の関係だけで完結する物語であり、それをマッドサイエンティストによるクーデター計画という大仕掛けが外側から揺さぶる構造になっている。
ある意味で、近年の日本のSFらしいのは「ベクシル」よりもこちらだろうし、テーマ的にも興味深いのだが、話が小さくて繊細な分だけ、細かい脚本のアラが目に付くのが残念。
奇妙な全体主義思想に凝り固まったマッドサイエンティスト集団が、携帯端末を利用して人々をコントロールしようとするのに、ES.W.A.T.がなかなか気がつかなかったりするのはかなりマヌケ。
怪電波が発信されて、人々が狂うのだから、真っ先に電波の受信装置を疑うだろうよ・・・普通は。
そもそもマッドサイエンティストたちの主張する、一つの意識っていうのは、例えば「インベージョン」で提示された全体意識みたいな概念だが、映画を観る限りではどう考えても単なる暴力的ヒステリー状態にしか見えないのが辛い。
この映画の最も大きな仕掛けの部分で、結局マッドサイエンティストたちは何がやりたかったの?という印象になってしまう。
また肝心のクライマックスが「天空の城ラピュタ」の中で「マトリックス・レボリューションズ」をやったようなオリジナリティの無い物だったのも少々がっかり。
過去の作品にオマージュを捧げ、引用するのは決して悪いことではないが、上手くやらないと単なるパクリに見えてしまう。
またこれも「ベクシル」とかぶるのだが、この手の3DCGのキャラクター造形は、どうもマネキン人形が喋っているようで不気味さが拭えない。
ブリアレオスみたいに完全にメカフェイスだとあまり違和感が無いのだが、80年代の日本アニメから抜け出してきたようなアニメ顔で、でかい黒目を持つヒトミ政務次官などは特に気持ち悪かった。
この方向性のCGアニメはハリウッドのものとは一線を画すスタイルだし、日本の2Dアニメの延長線上にある物としてポテンシャルは感じるのだが、キャラクターをどう描くかに関しては一考の余地ありだ。
「EX MACHINA -エクスマキナ-」は、デュナンを挟んで、機械の肉体を持った人間ブリアレオスと、感情を抑制されたもう一人のブリアレオスであるテレウスが対峙するという構造は興味深いし、心理劇としてはまずまず面白いのだが、アクションSFとしての作りの荒っぽさが、本質の部分の邪魔をしてしまっているように思う。
それなりに楽しめる作品なのは確かだが、繊細なテーマにあわせて物語ももう少し丁寧に作れば、もっと奥行きのある作品になったと思う。
同じようなスタイルの作品で比較すれば、まるで70年代のSFの様な豪快さで、細部の破綻を吹き飛ばしてしまうパワーを持った「ベクシル」に軍配を挙げたくなる。
それにしても、この商売っ気の全く感じられないタイトルは何とかならなかったのか。
一体どれだけの日本人が「エクスマキナ」のラテン語の意味を解るのだろう。
演劇用語である「deus ex machina」=「機械仕掛けの神」から採ったのだろうけど、これでは大半の観客には全くイメージが伝わらないだろう。
同じ事は「ベクシル 2077日本鎖国」の時にも思ったのだが、どうも日本のSF物はタイトルのつけ方が妙に内向きで、センスが感じられない作品が多い。
タイトルって、単に内容を表すだけじゃなくて、それを的確に観客にイメージさせる役割があると思うのだけどな。
今回はギリシャ神話をモチーフにした作品だけに、ギリシャのワイン「アヴァンテス シラー」をチョイス。
ギリシャは元々神話時代からのワインの歴史を持つ国だが、こちらは複雑で繊細な香りと、豊かなボディを持つ赤。
バランス、という点では映画にもこのくらいのレベルを期待したかったところだが、力強い味わいが補ってくれそうだ。
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前作同様に荒牧伸志が監督を務め、主人公のデュナンを演じる声優も共通で、今回はプロデュースにジョン・ウー、音楽監修に細野晴臣が参加している。
西暦2138年。
世界に壊滅的な打撃を与えた非核大戦後に、世界の平和を維持するために築かれた理想都市オリュンポス。
ここは人間とサイボーグ、そして人間のDNAを元に感情を抑制し、クローン技術で作られたバイオロイドが共存する街。
特殊部隊ES.W.A.T.の隊員デュナン(小林愛)と彼女のパートナーでサイボーグのブリアレオス(山寺宏一)はある作戦に参加するが、そこでデュナンをかばったブリアレオスが瀕死の重傷を負ってしまう。
戦線離脱となった彼の代わりに、デュナンの新たなパートナーとしてテレウスが配属されるが、彼はブリアレオスのDNAによって作られたバイオロイドで、肉体を失う前の彼の顔を持っていた・・・・
これは間違いなく「アップルシード」なのだが、公開が近かったせいか、どうしても「ベクシル 2077日本鎖国」とイメージがかぶる。
元々「ベクシル」自体、「アップルシード」をプロデュースした曽利文彦が監督しているし、キャラクターや美術などは同一の作品と思えるほどによく似ていて、いわば異母兄弟のような関係にある作品だ。
だが、あちらが「日本人絶滅」という超豪快なホラ話とサプライズな世界観で、派手に見せるSFにもって行ったのに対して、こちらの話は本質的にはずっと小さい。
もちろん、派手なドンパチの見せ場も盛りだくさんではあるのだが、本作で中心となるのは、主人公デュナンと機械の肉体を持つパートナー、ブリアレオス、そして人間だった頃のブリアレオスの顔を持つテレウスの間の三角関係だ。
彼らは人間、サイボーグ、バイオロイドを象徴するキャラクターで、そこには異なる存在間での寛容性というテーマも持っているのだが、本質的にはこの三人の関係だけで完結する物語であり、それをマッドサイエンティストによるクーデター計画という大仕掛けが外側から揺さぶる構造になっている。
ある意味で、近年の日本のSFらしいのは「ベクシル」よりもこちらだろうし、テーマ的にも興味深いのだが、話が小さくて繊細な分だけ、細かい脚本のアラが目に付くのが残念。
奇妙な全体主義思想に凝り固まったマッドサイエンティスト集団が、携帯端末を利用して人々をコントロールしようとするのに、ES.W.A.T.がなかなか気がつかなかったりするのはかなりマヌケ。
怪電波が発信されて、人々が狂うのだから、真っ先に電波の受信装置を疑うだろうよ・・・普通は。
そもそもマッドサイエンティストたちの主張する、一つの意識っていうのは、例えば「インベージョン」で提示された全体意識みたいな概念だが、映画を観る限りではどう考えても単なる暴力的ヒステリー状態にしか見えないのが辛い。
この映画の最も大きな仕掛けの部分で、結局マッドサイエンティストたちは何がやりたかったの?という印象になってしまう。
また肝心のクライマックスが「天空の城ラピュタ」の中で「マトリックス・レボリューションズ」をやったようなオリジナリティの無い物だったのも少々がっかり。
過去の作品にオマージュを捧げ、引用するのは決して悪いことではないが、上手くやらないと単なるパクリに見えてしまう。
またこれも「ベクシル」とかぶるのだが、この手の3DCGのキャラクター造形は、どうもマネキン人形が喋っているようで不気味さが拭えない。
ブリアレオスみたいに完全にメカフェイスだとあまり違和感が無いのだが、80年代の日本アニメから抜け出してきたようなアニメ顔で、でかい黒目を持つヒトミ政務次官などは特に気持ち悪かった。
この方向性のCGアニメはハリウッドのものとは一線を画すスタイルだし、日本の2Dアニメの延長線上にある物としてポテンシャルは感じるのだが、キャラクターをどう描くかに関しては一考の余地ありだ。
「EX MACHINA -エクスマキナ-」は、デュナンを挟んで、機械の肉体を持った人間ブリアレオスと、感情を抑制されたもう一人のブリアレオスであるテレウスが対峙するという構造は興味深いし、心理劇としてはまずまず面白いのだが、アクションSFとしての作りの荒っぽさが、本質の部分の邪魔をしてしまっているように思う。
それなりに楽しめる作品なのは確かだが、繊細なテーマにあわせて物語ももう少し丁寧に作れば、もっと奥行きのある作品になったと思う。
同じようなスタイルの作品で比較すれば、まるで70年代のSFの様な豪快さで、細部の破綻を吹き飛ばしてしまうパワーを持った「ベクシル」に軍配を挙げたくなる。
それにしても、この商売っ気の全く感じられないタイトルは何とかならなかったのか。
一体どれだけの日本人が「エクスマキナ」のラテン語の意味を解るのだろう。
演劇用語である「deus ex machina」=「機械仕掛けの神」から採ったのだろうけど、これでは大半の観客には全くイメージが伝わらないだろう。
同じ事は「ベクシル 2077日本鎖国」の時にも思ったのだが、どうも日本のSF物はタイトルのつけ方が妙に内向きで、センスが感じられない作品が多い。
タイトルって、単に内容を表すだけじゃなくて、それを的確に観客にイメージさせる役割があると思うのだけどな。
今回はギリシャ神話をモチーフにした作品だけに、ギリシャのワイン「アヴァンテス シラー」をチョイス。
ギリシャは元々神話時代からのワインの歴史を持つ国だが、こちらは複雑で繊細な香りと、豊かなボディを持つ赤。
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