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スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師・・・・・評価額1700円
2008年01月21日 (月) | 編集 |
ティム・バートンジョニー・デップといえば、90年代から数々の傑作を物にしてきた名コンビ。
毎回変わった趣向を打ち出す彼らの最新作は、スティーブ・ソンドハイムが1979年に発表した舞台ミュージカル「スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師」の映画化だ。
舞台は煤煙と霧に煙る19世紀のロンドン。鮮血とブラックなユーモアを伴奏に、耽美にして華麗な悲劇の幕が開く。

嘗てロンドン一の理髪師として、妻と生まれたばかりの娘と幸せに暮らしていたベンジャミン・バーカー(ジョニー・デップ)は、妻に横恋慕したターピン判事(アラン・リックマン)の罠に落ち、終身刑を宣告される。
十五年後、脱獄したバーカーは、復讐者スウィーニー・トッドとなってロンドンに舞い戻る。
だが大家のミセス・ラベット(ヘレナ・ボナム・カーター)によると、妻は毒を飲んで死に、赤ん坊だった娘は長年の間ターピンに囚われたままだという。
復讐の鬼と化したトッドは、ターピンを店に誘い込んで殺すために、計画を練り始めるのだが・・・


オリジナルの舞台は残念ながら未見なのだが、かなり忠実な映画化だという。
冒頭、霧の中から忽然と現れる船に乗った、スウィニー・トッドの帰還によって幕が開き、ドラマの大半を数日間の出来事に集約する作劇は、確かに舞台の構成を思わせる。
だからと言って映画的でない訳では勿論無く、むしろ限りなく映画的といえる。
ティム・バートンの演出は、いつも以上にけれん味たっぷりだが、例えば「チャーリーとチョコレート工場」の様に、勢い余って上滑りしてしまう部分がなく、この作品世界をガッチリと掴んで離さない。
世界観を一気に見せる冒頭から、個性たっぷりにカリカチュアされたキャラクターへの細やかな演出、そして鮮血が飛び散る殺戮シーンの残酷な美しさまで、「スウィーニー・トッド」の世界は、バートンのイマジネーションの大地にしっかりと足をつけている様に思える。
それを具現化し、迷宮のようなロンドンの街並みを生かしたダリウス・ウォルスキーのカメラとダンテ・フェレッティの美術は、まるで銅版画を思わせる質感と相まって、悪夢的な幻想世界をスクリーンに映し出し、アカデミー賞級の出来ばえだ。

逃亡者スウィーニー・トッドが、旅路の果てにロンドンに持ち帰ったのは、人間の悲しみとあまりにも暗く歪んだ情念。
このダークな世界を表現するキャストは、ほとんど完璧と言って良い。
まるでブラック・ジャックの様な、ツートンカラーの扮装のスウィーニー・トッドを演じるジョニー・デップのパフォーマンスは、彼のベストアクトの一つと言えるだろう。
歌唱力は正直言って素晴らしいとは思えなかったが、そこはさすがに役者。
単純な歌の上手い下手以上に、詩にこめられた感情の表現は圧巻である。
心の闇を切々と歌い上げるデップの目力には、彼のファンでなくても魅了されてしまうだろう。
バートンは執拗にクローズアップを多用してトッドの表情を描写するが、普通あまり映画的で無いという事で敬遠されるアップの演出が、逆に素晴らしく映画的に見えるのも、ジョニー・デップという役者とスウィーニー・トッドというキャラクターの幸福な出会いの賜物と言えるかもしれない。
また、トッドの犠牲者達を細切れのひき肉にして、何とミートパイの具として売ってしまうという、ミセス・ラベットを演じるヘレナ・ボナム・カーターも良い。
女の情念と滑稽さ、残酷さをカリカチュアして表現したようなキャラクターで、トッドの復讐に手を貸すうちに、切ない恋心を抱いてしまった彼女が、秘めていた夢を歌い上げるシーンで、私は恥ずかしながら落涙してしまった。
腹黒いターピン判事を演じるアラン・リックマン、彼の腰巾着の役人のティモシー・スポールもぴったりとしか言いようの無いはまり具合だ。
トッドのライバル(?)のインチキ理髪師を演じていたのは、どこかで見た事があると思っていたら、「ボラット」の怪優サシャ・バロン・コーエン
色彩の無いこの世界で、唯一ド派手なカラーを身にまとい、強いインパクトのあるオイシイ役だった。

映像も演出も演技も、そして勿論素晴らしい楽曲も含めて非常に満足度の高いこの作品だが、わずかながら不満を感じる部分もある。
ターピン判事に囚われているトッドの娘ジョアンナと、若い船乗りアンソニーのロマンスは少々中途半端だ。
彼らはこの物語の中で、血に塗られたトッドの復讐の世界から、唯一外れた場所にいるキャラクターであり、映画のラスとでトッドの物語が見事に完結しても、彼らの物語は閉じていない。
ゆえに、忘れられた様な彼らの物語の結末が、この物語のオチに微妙な未消化感を残してしまっている。
また、ターピン暗殺に失敗したトッドが、人の世に絶望して突如として人々を殺しまくる展開は、少し説明不足かもしれない。
スウィニー・トッドになる前のベンジャミン・バーカーがどの様にして罠に落ち、どの様にしてこの世界に絶望していったかが僅かしか描かれないので、トッドとミセス・ラベットの厭世的心情が今ひとつ理解出来ないのだ。
もっとも、実際に華麗なる殺戮が始まってしまうと、トッドのエキセントリックなキャラクターによって、半ば強引に納得させられてしまうのだが。

「スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師」は、残酷で美しく、恐ろしくパワフルな悲劇で、久々にティム・バートンの力技を感じさせる快作だ。
思うに、バートンという映画作家にとっては、「物語」という根源的なテーマを描いた傑作「ビッグ・フィッシュ」が一つのターニング・ポイントだったと思うのだが、以降の作品はどうも作者と物語との距離感、というか感情の浮遊感が気になっていた。
だが、これは内容と作家性が見事にマッチして、久々に吹っ切れた様にバートン節全開である。
ここしばらくの作品に、今ひとつ納得できていなかったファンも、この鮮血の歌劇は堪能出来るのではないだろうか。

今回は、血まみれの映画に相応しい「ブラッディ・メアリー」をチョイス。
プロテスタントを弾圧し、数百人の宗教指導者を処刑した事で知られる英国の女王メアリー一世の名にちなんでいる。
ちなみに「ブラッディ・マリー」と呼ばれる事もあるが、原語に近いのはメアリーである。
氷を入れたタンブラーにウオッカとトマトジュースを1:4で注ぐ。
好みでタバスコや塩を添えたり、トマトソース感覚でセロリを入れたりしても楽しい。
恐らく血の様な赤から名付けられたのだろうが、見た目とは違ってさっぱりして飲みやすい。
トッドの暗い情念に当てられたら、これで口直しを。

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