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2008年02月19日 (火) | 編集 |
台湾の異才、アン・リーの最新作「ラスト、コーション」は、やはり一筋縄ではいかない。
前作「ブロークバック・マウンテン」は、ゲイのカウボーイ同士の数十年に渡る切ない愛の物語だったが、今回は日中戦争下の上海を舞台に、敵味方の間に交わされた濃密にして激しい性愛模様が描かれる。
1938年、日中戦争が激化する時代の香港。
本土から疎開してきた大学生のワン・チアチー(タン・ウェイ)は、クァン(ワン・リーホン)たちの抗日演劇運動に参加する。
最初は演劇を通して募金を募る運動だったが、次第に直接的なレジスタンスを志向したグループは、日本軍の傀儡である汪兆銘政権の大物イー(トニー・レオン)を暗殺のターゲットとする。
ワンは上流階級の「マイ夫人」としてイーに接近するが、学生たちの暗殺計画はイーの突然の転出によってあっけなく失敗する。
四年後、上海で国民党の工作員となっていたクァンに再開したワンは、特務機関の長官となって上海に赴任しているイーに再び接近する事を依頼される。
マイ夫人として、四年ぶりにイーと再会したワンは、やがて彼の愛人として奇妙な恋に囚われてゆく・・・・
戦時下で、レジスタンスのスパイ活動に身を投じた女性が、ターゲットと危険な恋愛関係を結んでゆくという本作の設定は、第二次大戦中のオランダを舞台としたポール・バーホーベン監督の「ブラックブック」と全体的な印象が似ている。
勿論、アン・リーとバーホーベンでは作家としての資質は天と地ほど違うし、サスペンス色の強い「ブラックブック」に対して、「ラスト、コーション」はずっとラブストーリーとしての色彩が濃い。
ただ物語のコアとなる部分は、女スパイが本来憎むべき敵であるはずの男と、いつの間にか心の奥底でつながってしまうという設定であり、この点で二本は共通していると言っていい。
もっとも、戦争という命がもっとも軽んじられる状況下で、敵味方同士で互いの生を確認するかのような、抜き差しならない恋愛が成立するという設定は決して目新しい物ではなく、例えばリリアーナ・カヴァーニ監督の「愛の嵐」などもこの変形と捉える事が出来るだろう。
「恋人たちの食卓」「グリーン・デスティニー」でアン・リーとコンビを組んだワン・フィリンの脚本は、ほとんど主人公であるワンの視点で物語を紡いでいるが、適度な客観性を保ち、2時間38分の長尺の中で彼女と交錯する他の登場人物の目線を取り込んで物語を重層化している。
ワンとイーの関係の切っ掛けを作りながら、ワンの想い人であり、自身も彼女への複雑な想いを抱くクァンや、毎日の様に麻雀卓を囲み、周りの女たちと心を探り合っている様なイーの妻のキャラクターは、映画に屈折した深みをもたらしている。
「ブロークバック・マウンテン」、イニャリトゥの「バベル」などで知られるロドリゴ・プリエトのカメラは重厚で、パン・ライの手による見事な美術も相まって、陰影の美しい映像設計は登場人物の心理を映像面から描写する。
はたしてこの映画に描かれる複雑な男女の感情は、本質としての愛だったのだろうか。
戦時下の上海という、ある種の閉鎖空間で育まれる情愛は、しばしば誘拐事件などで犯人と人質が閉ざされた状態で体験を共有する事で、人質が犯人に共感や愛情を持つようになるというストックホルム症候群の様にも見えなくはない。
またワンは英国に渡った父親に戦火の中国に置き去りにされたという設定もあり、親子ほど歳の離れたイーに対しての感情は、倒錯したファーザーコンプレックスの様な物も垣間見られる。
トニー・レオンとタン・ウェイの激しいラブシーンは公開前から物議をかもして、中国本土では7分間もカットされたという。
日本公開版も、さすがにこれだけ赤裸々な描写はまだ問題になってしまうのか、久々にボカシだらけのラブシーンを観た気がする。
この長く、激しい性愛描写は、ワンとイーの命の交錯であるから激しいのは必然であるが、何で四十八手みたいなアクロバティックな体位ばっかりなのかは謎(笑
変なAVみたいで、笑ってしまった。
もっともアン・リーとしては、ここに描かれる変則的な恋愛の本質を描くのに、激しくて変な体位を象徴的に使いたかったのかも知れないが、演出意図がストレートに伝わるかどうかはちょっと疑問だ。
アン・リーの映画はいつもタイトルが意味深だが、今回の原題は「色、戒」。
タイトルの「ラスト、コーション」の「ラスト」は「Last」ではなく「Lust」、つまり色欲の事である。
「Lust(色欲)、Caution(戒め)」とは、自らの欲望を戒めるという意味だが、はたしてこれは誰に掛かる言葉なのか。
イーはワンとの情愛に溺れるが故に、自らを危険に晒した。
一方でワンは色を仕掛けたつもりで、いつの間にか自らがその罠に絡まってしまっていた。
誰よりもつながりを求めていたのは、実はイーではなくワンの方だったのかも知れない。
今回は、上海の夜に飲みたい紹興酒ベースのカクテル、「シャンハイ・ハイボール」をチョイス。
紹興酒をタンブラーに注ぎ、好みの量のスパークリングウォーターで割る。
風味の独特のクセが和らぎ、とても飲みやすくなる。
重厚かつ複雑な後味を残す映画の後では、このくらいさっぱりとしたお酒が良い。
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前作「ブロークバック・マウンテン」は、ゲイのカウボーイ同士の数十年に渡る切ない愛の物語だったが、今回は日中戦争下の上海を舞台に、敵味方の間に交わされた濃密にして激しい性愛模様が描かれる。
1938年、日中戦争が激化する時代の香港。
本土から疎開してきた大学生のワン・チアチー(タン・ウェイ)は、クァン(ワン・リーホン)たちの抗日演劇運動に参加する。
最初は演劇を通して募金を募る運動だったが、次第に直接的なレジスタンスを志向したグループは、日本軍の傀儡である汪兆銘政権の大物イー(トニー・レオン)を暗殺のターゲットとする。
ワンは上流階級の「マイ夫人」としてイーに接近するが、学生たちの暗殺計画はイーの突然の転出によってあっけなく失敗する。
四年後、上海で国民党の工作員となっていたクァンに再開したワンは、特務機関の長官となって上海に赴任しているイーに再び接近する事を依頼される。
マイ夫人として、四年ぶりにイーと再会したワンは、やがて彼の愛人として奇妙な恋に囚われてゆく・・・・
戦時下で、レジスタンスのスパイ活動に身を投じた女性が、ターゲットと危険な恋愛関係を結んでゆくという本作の設定は、第二次大戦中のオランダを舞台としたポール・バーホーベン監督の「ブラックブック」と全体的な印象が似ている。
勿論、アン・リーとバーホーベンでは作家としての資質は天と地ほど違うし、サスペンス色の強い「ブラックブック」に対して、「ラスト、コーション」はずっとラブストーリーとしての色彩が濃い。
ただ物語のコアとなる部分は、女スパイが本来憎むべき敵であるはずの男と、いつの間にか心の奥底でつながってしまうという設定であり、この点で二本は共通していると言っていい。
もっとも、戦争という命がもっとも軽んじられる状況下で、敵味方同士で互いの生を確認するかのような、抜き差しならない恋愛が成立するという設定は決して目新しい物ではなく、例えばリリアーナ・カヴァーニ監督の「愛の嵐」などもこの変形と捉える事が出来るだろう。
「恋人たちの食卓」「グリーン・デスティニー」でアン・リーとコンビを組んだワン・フィリンの脚本は、ほとんど主人公であるワンの視点で物語を紡いでいるが、適度な客観性を保ち、2時間38分の長尺の中で彼女と交錯する他の登場人物の目線を取り込んで物語を重層化している。
ワンとイーの関係の切っ掛けを作りながら、ワンの想い人であり、自身も彼女への複雑な想いを抱くクァンや、毎日の様に麻雀卓を囲み、周りの女たちと心を探り合っている様なイーの妻のキャラクターは、映画に屈折した深みをもたらしている。
「ブロークバック・マウンテン」、イニャリトゥの「バベル」などで知られるロドリゴ・プリエトのカメラは重厚で、パン・ライの手による見事な美術も相まって、陰影の美しい映像設計は登場人物の心理を映像面から描写する。
はたしてこの映画に描かれる複雑な男女の感情は、本質としての愛だったのだろうか。
戦時下の上海という、ある種の閉鎖空間で育まれる情愛は、しばしば誘拐事件などで犯人と人質が閉ざされた状態で体験を共有する事で、人質が犯人に共感や愛情を持つようになるというストックホルム症候群の様にも見えなくはない。
またワンは英国に渡った父親に戦火の中国に置き去りにされたという設定もあり、親子ほど歳の離れたイーに対しての感情は、倒錯したファーザーコンプレックスの様な物も垣間見られる。
トニー・レオンとタン・ウェイの激しいラブシーンは公開前から物議をかもして、中国本土では7分間もカットされたという。
日本公開版も、さすがにこれだけ赤裸々な描写はまだ問題になってしまうのか、久々にボカシだらけのラブシーンを観た気がする。
この長く、激しい性愛描写は、ワンとイーの命の交錯であるから激しいのは必然であるが、何で四十八手みたいなアクロバティックな体位ばっかりなのかは謎(笑
変なAVみたいで、笑ってしまった。
もっともアン・リーとしては、ここに描かれる変則的な恋愛の本質を描くのに、激しくて変な体位を象徴的に使いたかったのかも知れないが、演出意図がストレートに伝わるかどうかはちょっと疑問だ。
アン・リーの映画はいつもタイトルが意味深だが、今回の原題は「色、戒」。
タイトルの「ラスト、コーション」の「ラスト」は「Last」ではなく「Lust」、つまり色欲の事である。
「Lust(色欲)、Caution(戒め)」とは、自らの欲望を戒めるという意味だが、はたしてこれは誰に掛かる言葉なのか。
イーはワンとの情愛に溺れるが故に、自らを危険に晒した。
一方でワンは色を仕掛けたつもりで、いつの間にか自らがその罠に絡まってしまっていた。
誰よりもつながりを求めていたのは、実はイーではなくワンの方だったのかも知れない。
今回は、上海の夜に飲みたい紹興酒ベースのカクテル、「シャンハイ・ハイボール」をチョイス。
紹興酒をタンブラーに注ぎ、好みの量のスパークリングウォーターで割る。
風味の独特のクセが和らぎ、とても飲みやすくなる。
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