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2008年02月25日 (月) | 編集 |
フィリップ・プルマンのベストセラーファンタジー小説、「ライラの冒険」シリーズの映画化第一弾。
主人公のライラを演じるのは新人のダコダ・ブルー・リチャーズだが、脇を二コール・キッドマン、ダニエル・クレイグ、エヴァ・グリーンとオールスターキャストが固め、総製作費は一億八千万ドルに及ぶ超大作となった。
本来はこの第一部「黄金の羅針盤」を皮切りに、第二部の「神秘の短剣」、第三部の「琥珀の望遠鏡」と続くはずだったのだが、開始早々シリーズ存続の危機に陥ってしまっているという。
イギリスのオックスフォード。
ただし、それは我々の世界ではなく、無数に存在するパラレルワールドの一つだ。
事故で両親を亡くした12歳の少女ライラ・ベラクア(ダコダ・ブルー・リチャーズ)は、魂が具現化した精霊(ダイモン)のパンタライモンとジョーダン学寮で暮らしている。
ライラの叔父のアスリエル卿(ダニエル・クレイグ)は探検家で、北極で見られるこの世界の真理に繋がる「ダスト」という現象を探っている。
ライラの周りではゴブラーという組織が暗躍し、子供たちが次々と誘拐される事件が起こっている。
ある時、学寮長から真実を指し示すという真理計(アレシオメーター)を渡されたライラは、有力者のコールター夫人(ニコール・キッドマン)に預けられる事になるのだが・・・・
一言でファンタジーといってもその中に様々なジャンルが存在するが、パラレルワールドを舞台とした「ライラの冒険」は、ある種の異世界ファンタジーと言って良いだろう。
名作といわれる異世界ファンタジーには、その世界を特徴付ける「何か」が設定されていることが多い。
例えばル=グィンの「ゲド戦記」シリーズの世界では、全ての物に本質を表す「まことの名」があり、それを他人に知られると心を支配されてしまうので、人々はまことの名を隠して生きている。
本作の場合は、人間の魂がダイモンと呼ばれる動物の形の精霊として体の外に現れるという設定がユニークで、世界観だけでなく物語のベースにもなっている。
ダイモンと人間は文字通り一心同体で、人間が死ねばダイモンも消滅し、ダイモンと人間が切り離されると、どうやら魂を奪われた様な状態になってしまうらしい。
恐らくネイティブアメリカンの一部に見られる様な、動物の守護精霊の信仰から着想を得ているのだろうが、我々の世界と似ている様で違う異世界を実感させる、うまい設定だと思う。
「アバウト・ア・ボーイ」のクリス・ワイツ監督は自ら脚本も描いているが、原作にあるエピソードは一通り盛り込んでいる。
しかしやはり二時間弱の上映時間では無理があったのではないか。
物語の進行があまりにも駆け足で、ドラマの緩急というものがほとんど感じられない。
アレシオメーターの謎やコールター夫人の正体、誘拐された子供たちの運命など、ドラマチックな要素はテンコ盛りなのだが、謎解きのワクワクを感じるまもなく、次々と回答を見せられてしまうので、物語に浸るための間を与えられないまま勢いで見せられているような印象だ。
私は原作の第一部しかまだ読んでないので、言い切ることは出来ないのだが、既に完結している物語なのだから、もう少しエピソードを取捨選択して、シンプルなストーリーラインとする事は可能だったのではないだろうか。
もし原作全てをきちんと映像化しようとするなら、この上映時間は決定的に不足していると思うし、原作未読者には次々と出てくる不思議な用語や世界観の設定を追うだけでも一苦労だろう。
キャラクターたちはユニークで魅力的だし、現実世界からちょっとずれたパラレルワールドのビジュアルも、ジューヌ・ベルヌか宮崎駿のアニメみたいで楽しい。
その世界に行ってみたくなる、という異世界ファンタジーの鉄則は満たされているし、物語その物も良く出来ているだけに、二時間弱の尺にギュウギュウに押し込まれてダイジェストを感じさせてしまっているのは残念だ。
実は、この作品を観て一番感じたのは、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズがまさに奇跡の様な作品だったという事だ。
トールキンの緻密かつ膨大な原作を、ピーター・ジャクソンが愛情を込めて映像化したあの作品は、劇場公開版でも一作あたり三時間、ジャクソン自身が正式版と呼ぶ素晴らしいスペシャル・エクステンデット版では最長四時間十一分に達する。
ジャクソンは、これだけの上映時間をかけても、原作の中から注意深く切り取れるエピソードを探し、ストーリーラインをコンパクト化しているのだ。
「ライラの冒険」の原作は「LOTR」ほどの物量は無いが、映画の駆け足な展開を見ると、やはり二時間半以上は必要だったのではないだろうか。
「ナルニア国」の様に、原作自体がコンパクトな物は別にして、長大なファンタジー小説を僅か二時間弱に押し込めるのは無理があるのは「LOTR」以降に作られた多くのファンタジー映画が、原作の動く挿絵にしかなっていない事が物語っていると思う。
描く内容の量と必要上映時間の間には、一定の法則が存在し、もしそれを崩したければ大胆な脚色をするしかない。
内容を削れば原作ファンが怒る、しかし上映時間が長くなれば興行的に苦しいというジレンマは判るが、結果的に原作の熱烈なファン以外にはそっぽを向かれる様な作品にしてしまっては本末転倒だと思うし、長くても誰もが納得する良い物を作って、結果的に大ヒットした「LOTR」の成功のロジックを何故踏襲しないのか不思議だ。
「ライラの冒険 黄金の羅針盤」も、シリーズ物として今後の展開が楽しみな作品なのだが、全米興行では予想を大きく下回り、今後の続編の行方は不透明になってしまった。
続編の可否は、全米に次ぐ巨大市場である日本の結果が大きく影響しそうで、日本の観客がどんなジャッジを下すのか興味深い。
個人的には決して嫌いではないし、続きが観たいのでがんばって欲しいけど、「LOTR」以降二匹目三匹目の泥鰌を狙った濫作によって、ファンタジーというジャンル自体の信頼性が低下している気がしている。
「エラゴン」の二の舞にならなければ良いのだけど。
今回はゴールデン・コンパスならぬ「ゴールデン・ドリーム」をチョイス。
黄金色のリキュール、ガリアーノとホワイト・キュラソー、オレンジジュース、生クリームを1:1:1:1の割合でシェイクし、グラスに注ぐ。
ガリアーノのスミレの香りと柑橘類の香りが甘く混ざり合い、滑らかな口当たりのファンタステックなカクテル。
駆け足な映画にちょっと疲れたら、デザート代わりにこちらをいかが。
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主人公のライラを演じるのは新人のダコダ・ブルー・リチャーズだが、脇を二コール・キッドマン、ダニエル・クレイグ、エヴァ・グリーンとオールスターキャストが固め、総製作費は一億八千万ドルに及ぶ超大作となった。
本来はこの第一部「黄金の羅針盤」を皮切りに、第二部の「神秘の短剣」、第三部の「琥珀の望遠鏡」と続くはずだったのだが、開始早々シリーズ存続の危機に陥ってしまっているという。
イギリスのオックスフォード。
ただし、それは我々の世界ではなく、無数に存在するパラレルワールドの一つだ。
事故で両親を亡くした12歳の少女ライラ・ベラクア(ダコダ・ブルー・リチャーズ)は、魂が具現化した精霊(ダイモン)のパンタライモンとジョーダン学寮で暮らしている。
ライラの叔父のアスリエル卿(ダニエル・クレイグ)は探検家で、北極で見られるこの世界の真理に繋がる「ダスト」という現象を探っている。
ライラの周りではゴブラーという組織が暗躍し、子供たちが次々と誘拐される事件が起こっている。
ある時、学寮長から真実を指し示すという真理計(アレシオメーター)を渡されたライラは、有力者のコールター夫人(ニコール・キッドマン)に預けられる事になるのだが・・・・
一言でファンタジーといってもその中に様々なジャンルが存在するが、パラレルワールドを舞台とした「ライラの冒険」は、ある種の異世界ファンタジーと言って良いだろう。
名作といわれる異世界ファンタジーには、その世界を特徴付ける「何か」が設定されていることが多い。
例えばル=グィンの「ゲド戦記」シリーズの世界では、全ての物に本質を表す「まことの名」があり、それを他人に知られると心を支配されてしまうので、人々はまことの名を隠して生きている。
本作の場合は、人間の魂がダイモンと呼ばれる動物の形の精霊として体の外に現れるという設定がユニークで、世界観だけでなく物語のベースにもなっている。
ダイモンと人間は文字通り一心同体で、人間が死ねばダイモンも消滅し、ダイモンと人間が切り離されると、どうやら魂を奪われた様な状態になってしまうらしい。
恐らくネイティブアメリカンの一部に見られる様な、動物の守護精霊の信仰から着想を得ているのだろうが、我々の世界と似ている様で違う異世界を実感させる、うまい設定だと思う。
「アバウト・ア・ボーイ」のクリス・ワイツ監督は自ら脚本も描いているが、原作にあるエピソードは一通り盛り込んでいる。
しかしやはり二時間弱の上映時間では無理があったのではないか。
物語の進行があまりにも駆け足で、ドラマの緩急というものがほとんど感じられない。
アレシオメーターの謎やコールター夫人の正体、誘拐された子供たちの運命など、ドラマチックな要素はテンコ盛りなのだが、謎解きのワクワクを感じるまもなく、次々と回答を見せられてしまうので、物語に浸るための間を与えられないまま勢いで見せられているような印象だ。
私は原作の第一部しかまだ読んでないので、言い切ることは出来ないのだが、既に完結している物語なのだから、もう少しエピソードを取捨選択して、シンプルなストーリーラインとする事は可能だったのではないだろうか。
もし原作全てをきちんと映像化しようとするなら、この上映時間は決定的に不足していると思うし、原作未読者には次々と出てくる不思議な用語や世界観の設定を追うだけでも一苦労だろう。
キャラクターたちはユニークで魅力的だし、現実世界からちょっとずれたパラレルワールドのビジュアルも、ジューヌ・ベルヌか宮崎駿のアニメみたいで楽しい。
その世界に行ってみたくなる、という異世界ファンタジーの鉄則は満たされているし、物語その物も良く出来ているだけに、二時間弱の尺にギュウギュウに押し込まれてダイジェストを感じさせてしまっているのは残念だ。
実は、この作品を観て一番感じたのは、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズがまさに奇跡の様な作品だったという事だ。
トールキンの緻密かつ膨大な原作を、ピーター・ジャクソンが愛情を込めて映像化したあの作品は、劇場公開版でも一作あたり三時間、ジャクソン自身が正式版と呼ぶ素晴らしいスペシャル・エクステンデット版では最長四時間十一分に達する。
ジャクソンは、これだけの上映時間をかけても、原作の中から注意深く切り取れるエピソードを探し、ストーリーラインをコンパクト化しているのだ。
「ライラの冒険」の原作は「LOTR」ほどの物量は無いが、映画の駆け足な展開を見ると、やはり二時間半以上は必要だったのではないだろうか。
「ナルニア国」の様に、原作自体がコンパクトな物は別にして、長大なファンタジー小説を僅か二時間弱に押し込めるのは無理があるのは「LOTR」以降に作られた多くのファンタジー映画が、原作の動く挿絵にしかなっていない事が物語っていると思う。
描く内容の量と必要上映時間の間には、一定の法則が存在し、もしそれを崩したければ大胆な脚色をするしかない。
内容を削れば原作ファンが怒る、しかし上映時間が長くなれば興行的に苦しいというジレンマは判るが、結果的に原作の熱烈なファン以外にはそっぽを向かれる様な作品にしてしまっては本末転倒だと思うし、長くても誰もが納得する良い物を作って、結果的に大ヒットした「LOTR」の成功のロジックを何故踏襲しないのか不思議だ。
「ライラの冒険 黄金の羅針盤」も、シリーズ物として今後の展開が楽しみな作品なのだが、全米興行では予想を大きく下回り、今後の続編の行方は不透明になってしまった。
続編の可否は、全米に次ぐ巨大市場である日本の結果が大きく影響しそうで、日本の観客がどんなジャッジを下すのか興味深い。
個人的には決して嫌いではないし、続きが観たいのでがんばって欲しいけど、「LOTR」以降二匹目三匹目の泥鰌を狙った濫作によって、ファンタジーというジャンル自体の信頼性が低下している気がしている。
「エラゴン」の二の舞にならなければ良いのだけど。
今回はゴールデン・コンパスならぬ「ゴールデン・ドリーム」をチョイス。
黄金色のリキュール、ガリアーノとホワイト・キュラソー、オレンジジュース、生クリームを1:1:1:1の割合でシェイクし、グラスに注ぐ。
ガリアーノのスミレの香りと柑橘類の香りが甘く混ざり合い、滑らかな口当たりのファンタステックなカクテル。
駆け足な映画にちょっと疲れたら、デザート代わりにこちらをいかが。

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