酒を呑んで映画を観る時間が一番幸せ・・・と思うので、酒と映画をテーマに日記を書いていきます。 映画の評価額は幾らまでなら納得して出せるかで、レイトショー価格1200円から+-が基準で、1800円が満点です。
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ザ・フィースト・・・・・評価額1450円
2008年03月28日 (金) | 編集 |
そこはかとなく80年代の香り漂う、スプラッターホラー。
「ザ・フィースト」は、マット・デイモンとベン・アフレックの設立したライブ・プラネット社が手がける「プロジェクト・グリーンライト」というテレビのリアリティショーから生まれた作品。
脚本を公募して、選ばれた作品が映画として完成するまでを追うドキュメントなのだそうだ。
デイモンとアフレックと言えば若手演技派俳優の印象が強いが、「グッド・ウィル・ハンティング」でオスカーを受賞している脚本家でもある。
彼らが選んだ脚本ならば、当然ただのB級映画であるはずがないと結構期待していたのだ。
ちなみにタイトルの「FEAST」とは祝宴の意。
なるほどね(笑

寂れた田舎の街道に建つ、場末のバー。
そこに屯するのはマヌケ(バルサザール・ゲティ)、タフィー(クリスタ・アレン)ら、行き詰まり感漂う田舎者たち。
ある夜、ここに銃を手にした血まみれの男(エリック・ダーン)が駆け込んでくる。
彼によると、謎の人食い怪物に襲われ、既にこのバーは四匹の怪物に包囲されているという。
バーを封鎖しろと叫ぶ男だったが、窓際に立った瞬間何者かが窓を破って一瞬で男を引き裂いてしまう。
血まみれの死体を前にしてパニックに陥るバーの客たちだったが、今度は血まみれの女(ナヴィ・ラヴァット)が「私の夫はどこ!」と叫びながら飛び込んできた・・・・


この映画の魅力は、ハズシという一点に尽きる。
いかにもなB級モンスターホラーの設定とキャラクターを用意しながら、あえて「お約束」を守らない事で、予測不能な新鮮さを作りだしているのだ。
登場人物全員が「Tuffy(タフ)」「Bozo(マヌケ)」「Coach(指導者)」という様に、キャラクターを現す「あだ名」で呼ばれ、登場するときにもまるでゲームのキャラクター解説の様に「こういうキャラならすぐ死ぬかも?」的なご案内が表示される。
はたして映画の中では、B級映画のお約束なら確実にヒーローの役回り(実際役名もHero)の男がいきなり殺され、その後もディープなホラーファンの予想を逆手に取るような、ハズした展開によって観客を翻弄する。
おそらく相当なホラーフリークなのであろう、脚本家のパトリック・メルトン、マーカス・ダンスタンは、7、80年代のモンスターホラー映画を実によく分析し、ある種のパロディとして見事にぶっ壊している。
その意味でこの作品は、ディズニーが自ら作り出したお約束の破壊を試みた 「魔法にかけられて」に近い・・・・かもしれないけど、やっぱり違うかも(笑
とはいえ、ハズしてばっかりでは直ぐに裏を読まれて飽きられてしまうので、途中で急に正攻法なセオリー通りの展開があったりして、先を読ませず飽きさせない。

確実に言えるのは、一昔前のモンスターホラーに慣れ親しんで、このジャンルのお約束を熟知している観客の方がより楽しめるという事で、ある意味もの凄くヲタク向けの作品である。
普段ホラーなんて全く観ないけど、デイモンとアフレックの名前だけで観に行こうとしてる正しい映画ファンはおそらくついて行けないだろう。
ていうか、この二人って真面目そうな顔してこんなのが好きなんだと思うと、何だか親しみがわいて来る(笑

もっとも、ハズシ以外の物語そのものはごくごくオーソドックスな仕上がりで、特に新鮮味は無い。
まあこれがあまり奇抜な物語だと、パロディとして機能しなくなってしまうのだが、どうせならもう一ひねり何か欲しかった気はする。
あと、7、80年代のモンスターホラーを気取るなら、スプラッターシーンとモンスターをもうちょっとちゃんと見せて欲しかった。
ジョン・ギャラガー監督の演出はスピーディでテンポも良いのだが、最近の作品らしく、カット割りが激しすぎて、スプラッターシーンも殆ど何がどうなっているのか判らないし、モンスターの全体像もハッキリしない。
クラッシックと言われるモンスターホラーには、大抵一カットくらい、モンスターをじっくり見せるサービス精神があるものだ。

本作のモンスターは、何処から来たのか、何者なのか、一切明かされないし、物語の大半は動物の死体を被っていてその姿すら見ることは出来ない。
たぶん、ネイティブアメリカンの伝説にある、動物の死体を被って荒野を徘徊する死霊、スキン・ウォーカーをイメージしているのだろうが、その割には世にも珍しいモンスターの交尾シーンまで見せてくれて、神秘性は皆無だ。
色々な映画に登場したモンスターを、ごちゃ混ぜにして割った様な曖昧なイメージにしておきたいかもしれないが、やっぱりディテールが観たくなるのがホラーファンの性というもの。
このあたりは次回に期待したい。

本作の脚本・監督トリオは、既に「Feast 2: Sloppy Seconds 」と「Feast 3: The Happy Finish」というオバカな展開を予感させる副題を持つ続編2本が既に待機中。
更にパワーアップしてくれているといいのだけど。
ちなみにギャラガー監督は、数々のB級ホラーで名バイブレイヤーとして知られ、本作でもバーテンダーを演じているクルー・ギャラガーの息子さん。
血は争えないものだ。

今回はB級テイスト漂うスピリッツ、サントリーの「カスタム」
このカスタムというお酒、モルトとグレーンが原材料のようだがウィスキーではなく、ニュー・スピリッツなのだという。
その特徴はとにかく安い事で、何しろ量販店なら二リットルで二千円を切るのだから、正真正銘の安酒と言っていい。
味の方は確かにウィスキー風ではあるものの、そこはかとなく人工的な香りがして、正直なところ上質な酒とは言いかねるのだけど、財布の軽い世の酒飲みにとって、この手の怪しい酒はしばしばありがたい存在なのもまた事実。
B級というのはどの世界でも、軽視されつつも無いなら無いで寂しい物なのかもしれない。

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紀元前1万年・・・・・評価額1200円
2008年03月24日 (月) | 編集 |
「紀元前1万年」というタイトルから想像した作品と、全く違っていた。
有史以前の人類の世界をリアルに再現した作品と言うと、ジャン・ジャック・アノーが1981年に発表した「人類創世」が印象深い。
失われた「火」を求めて、原始人の三人の若者が旅をする冒険映画だったが、一切の現代の言語を使わず、映画のために創作された原始語だけで表現された意欲作だった。
今回の「紀元前1万年」も、二十一世紀の映像テクノロジーを駆使して、原始の人類をリアルに再現した作品なのかと思ったが、そこはやっぱりローランド・エメリッヒ
これは決してナショナルジオグラフィック的な作品ではなくて、SFファンタジー映画ファンにはとても懐かしいタイプの、しかしある意味で生まれる時代を間違った様な石器時代ファンタジーだ。
まあ実にエメリッヒらしい作品で、予告編で何故かピラミッドが出てきたあたりで、こっちも気づけばよかったんだけど(笑

原始の世界。
寒冷地に住む若者デレー(スティーヴン・ストレイト)は、幼い時に父親が失踪し、部族の中でも孤独な存在。
だが、神秘的な青い目を持つエバレット(カミーラ・ベル)とはお互いに愛し合っていた。
ある朝、馬に乗った謎の集団に村が襲われ、多くの仲間が連れ去られてしまう。
その中にはエバレットもいた。
難を逃れたデレーは、父の友だったティク・ティク(クリフ・カーティス)と、母を殺されたカレン(モー・ジナル)と共に、誰も超えたことの無い大山脈を越えて、連れ去られたエバレットたちのあとを追う。
そこには見た事のない大ジャングル、不毛の砂漠、そして恐るべき超古代文明が存在していた・・・


映画の中で舞台が何処なのか明確な説明は無いが、主人公の男女はどう見てもヨーロッパ人種だし、物語の流れから言っても、ヨーロッパからアフリカにかけてが舞台となっていると容易に推察できる。
この映画を簡単に表現すれば、ヨーロッパからやって来た英雄が、謎のピラミッド文明に抑圧されるアフリカのヘタレな民衆を率いて立ち上がり、遂に開放するというお話である。
そう、これはエメリッヒのハリウッドにおける出世作である「スターゲイト」のプロットを、多少変形させて紀元前一万年の世界に移し変えた物だ。
またまた敵役がピラミッド文明なのは、元ネタの「スターゲイト」のアイディア自体が、旧約聖書の出エジプト記あたりにヒントを得た話だからなのだろうが、まあ実に白人至上主義的な寓話である。
「スターゲイト」の時はアメリカ軍というアイコンがあったので、単にアメリカ万歳映画にも見えたのだが、紀元前一万年の世界ともなると現在の国家は勿論、現代的な意味での民族すら存在しない訳で、よけいに人種の色分けが目立つ。

まあエメリッヒの場合、あまりにも能天気過ぎて、悪意が感じられないのが救いではあるのだが。
この人の映画は、とりあえずエイリアンの襲撃とか、天変地異とか、ハッタリの効いた壮大なホラ話をでっち上げて、後はひたすらスケールの大きな映像で見せる。
ぶっちゃけ、エメリッヒの映画はいつもただそれだけで、今回もそれは変わらない。
「紀元前1万年」というタイトルから連想するビジュアルはとりあえず詰め込まれており、壮大な自然描写はそれなりに見所になっているし、VFXを駆使したアクションシーンもまずまずの出来ばえだ。

ただ、スケールの大きさイコール大味なのは相変わらずで、特に考証は無茶苦茶である。
この時代にはとっくに絶滅しているはずの恐鳥類が、「ジュラシック・パーク」のヴェロキラプトルそっくりのやり方で人間を狩り立てたり、アメリカ大陸の動物であるはずのスミロドンがなぜかアフリカの砂漠地帯に生息していたり、15世紀以前には旧大陸に存在しなかった唐辛子がもう栽培されていたりと、動植物のリアリティ全く無視なのは、まあハリウッド的サービス精神として許せるとしても、いくらなんでも騎馬民族が登場しちゃうのはどうよ(笑
そして勿論、極めつけは紀元前1万年に超古代文明がピラミッドを作っていることだろう。
しかもこの文明には皇帝と僧侶しかおらず、市民の姿が全く描かれないのである。
まるでヤクザと情婦しかいない、東映仁侠映画の街の様だ。
要するにこの映画に描かれる紀元前1万年の世界とは、主人公たちが英語を喋っている事も含めて、懐かしのハマープロの「恐竜100万年」あたりと同じく、完全なファンタジーなのである。

しかしファンタジーとしては、これは生まれる時代を間違った作品かもしれない。
数十年前ならいざ知らず、科学知識が一通り一般の人々にも行き渡った現代において、人々は作品世界にのめり込むより先に、映画のウソに突っ込みを入れるだろう。
そうならないためには、突っ込まれないくらいリアルに作るか、開き直ったくらいのウソ話のどちらかにしてしまえば良いのだろうが、その点でこの映画は少々中途半端で、真面目にやるのかオバカに徹するのか、方向性があまり明確ではない。
どうせ考証などはなっから正確にやろうなんて思ってないだろうし、物語も主人公が予言に導かれていたり、スミロドンが味方になったりと、超自然的な要素がテンコ盛りなのだからもうちょっと開き直って、ピラミッド文明が小型恐竜を飼いならしているくらいやっちゃった方が面白かったのではないか。
そもそもこれって、恐鳥からピラミッドまで、時代に直せば紀元前6000万年から紀元前2600年頃までを無理やり一つの世界に押し込めてしまっているのだから、「紀元前1万年」なんて明言しなければよかったのに(笑

ビジュアルは確かに雄大で迫力があるものの、捉え方に工夫をしてるわけでもなく、物語全体としては最初から最後まで予定調和を崩すこともなく一本調子なため、正直なところ中ダレがけっこう激しくて、旅の描写は退屈だ。
原始動物も、スミロドンにマンモスと、後は詳細不明の恐鳥くらいしか出てこないので、「ジュラシック・パーク」的な「絶滅動物園」ムービーとしても不満が残る。
まあ、お金のかかった映画なのは見た目にも判るし、マンモス集団のスタンピードなどはさすがに観たことの無い映像なので、それなりに見応えはあるが、全体にまとまりが無くチグハグさを感じてしまう一作だ。

映画とは関係ないが、今年の二月にデンマークの学者が興味深い研究結果を発表している。
それによると、現在世界中にいる青い目を持つ人々は、約一万年前に現れた共通の先祖から枝分かれしているというのだ。
青い目の少女が重要な役回りの本作、撮影時期から言っても、エメリッヒがこの説を元にしているとは考えられないが、ちょっと面白い映画と現実の符号ではないだろうか。

今回は、古代人も飲んだ?人類の知る最古のお酒、ミード。
ドイツの「ドクター・ディムース ハニーワイン・ミード」をチョイス。
冷やしても美味しいが、暖めても良いのがミードの良いところ。
所謂ナイト・キャップにも向いている。
人類がいつミード作り始めたのかは定かではないが、恐らく最初は熊などに壊された蜂の巣に雨水がたまり、自然に醗酵した物を偶然誰かが飲んだのだろうといわれている。
狩人であった、この映画の登場人物がミードを飲んでいてもおかしくない訳だ。

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自家製ミード作りのキットもある


魔法にかけられて・・・・・評価額1500円
2008年03月20日 (木) | 編集 |
夢見るお姫さま、ニューヨークへ行く。
新生ディズニーの「魔法にかけられて」は、アニメで描かれる御伽噺の世界を現実のニューヨークに投げ込んで、ギャグにしてしまうというある種のセルフパロディ
ディズニーアニメのパロディというと、宿敵ドリームワークスの「シュレック」シリーズが有名だが、どちらかと言うと嘲笑のニュアンスを含んだ「シュレック」に対して、本家のこちらはあくまでもディズニー的な世界に対してリスペクトを欠かさない。

御伽の国、アダレーシアのジゼル(エイミー・アダムス)は、愛するエドワード王子(ジェームス・マースデン)との結婚式を控える身。
ところがエドワードの継母で魔女のナリッサ女王(スーザン・サランドン)の罠に掛けられて、現実のニューヨークに追放されてしまう。
夢も魔法も無いニューヨークで路頭に迷ったジゼルは、ひょんな事から弁護士のロバート・フィリップ(パトリック・デンプシー)父娘に助けられるのだが、超現実主義者のロバートには、ジゼルはちょっと頭の弱い女の子にしか見えないし、恋人のナンシー(イディナ・メンゼル)には誤解されるで大迷惑。
その頃、恋するジゼルを救出するため、エドワード王子と家来のナサニエル(ティモシー・スポール)もニューヨークにやって来るが、ナサニエルは密かに女王からジゼル暗殺の命令を受けていた・・・


冒頭のアンダレーシアのシークエンスは2Dアニメで、現実のNYのシーンは実写、現実世界でのジゼルの「お友達」の動物たちは3DCGアニメで描かれる。
ディズニーの持つ三つの表現方法が一本で味わえる、一粒で三回オイシイ一本である。
御伽の世界のキャラクターたちが、現実の世界で同じ事をやったら、どうなるかというのがギャグの基本になっていて、普通の会話の途中に突然歌いだすミュージカルや、人生の悲哀の部分には全く免疫が無いジゼルの反応はかなり笑える。
ディズニーアニメではお馴染みの、動物のお友達に手伝ってもらって、ドレスを作ったりお掃除したりの描写も、現実のNYに住んでいる動物たちが大集合。
ドバトにドブネズミにゴキブリ・・・え~と、こんなお友達はイヤダ(笑
中盤のセントラルパークでの、かなり長い実写ミュージカルシーンは、どことなく「メリー・ポピンズ」の様な雰囲気もあって、往年の作品へのオマージュたっぷりの実に楽しいシーンとなっている。
ジゼル役のエイミー・アダムスを始めとするアンダレーシアの住人たちは、実写になっても抑揚たっぷりのハイテンションな声優芝居で、パトリック・デンプシーらのリアリティのある芝居と対比も面白い。

勿論、パロディとは言ってもこれは正統派のディズニー映画
監督は90年代の最後を飾ったディズニーの傑作アニメ、「ターザン」のケヴィン・リマだし、ミュージカルアニメに欠かせない楽曲は、「美女と野獣」や「アラジン」を始め、数々の名作スコアを世に送り出してきたアラン・メンケンと抜かりは無い。
決して笑い飛ばしっ放しにはせず、最終的にはディズニー的な世界の価値の再確認という所に持ってきているのだ。
面白いのは、御伽の世界では自分の役割に忠実に生きているキャラクターたちが、現実世界に投げ込まれた結果ピュアな世界への疑問を持ち始める事。
「約束された結婚」への疑問を持ち始めたジゼルのエピソードは判りやすいが、自分大好きなエドワード王子と自分大嫌いな家来のナサニエルの対比は特に興味深く、この能天気なホラ話にちょっとした深みを付け加えている。

残念なのは後半の展開が少々駆け足な事で、御伽の世界と現実世界とのギャップで悩み始めたジゼルやナサニエルの心も、それほど深く追求されない。
ジゼルとエドワード、ロバートと恋人のナンシーの四角関係がシャッフルされる終盤は、シンデレラのガラスの靴というアイコンで上手く纏めているものの、勢いで見せている感は否めない。
またクライマックスの魔女との戦いも、冒頭のアンダレーシアでのシークエンスが複線になっているのだが、ビジュアル的にあまり上手い見せ方とは言えず、あっけない印象が強い。
もしかしたら、何がどうなって魔女を倒したのか判らなかった人もいたのではないだろうか。

夢も魔法も、現実だけでなくスクリーンの中でも説得力を失った世知辛い二十一世紀
「魔法にかけられて」は、魔法の力を失いつつあったディズニーのアニメ映画が、御伽の世界を一度現実に融合させることで、逆説的にその魅力を描き出そうとした作品で、そのコンセプトはまずまず成功していると思う。
古くからディズニーアニメに親しんだ人にとっては、びっくりする様な作品ではあるが、基本的にディズニーを愛する人による、ディズニーを愛する人のための作品になっているので、最終的な着地点は良い意味で予定調和な心地の良い物だ。
後半多少失速するのが残念ではあるが、107分の間ディズニーランドで遊んでいるようでとても楽しく、老若男女誰にでも薦められる一本だと思う。

ところで映画のジゼルは、得意の裁縫を生かしてNYでメルヘンチックなアンダレーシア・ブランドを立ち上げて何だか成功していたけど、これ実はディズニーが実際にそのままやっている事。
お姫さまに憧れる世界中の女の子の気持ちは、世代を問わないビッグビジネスになりえるらしく、ディズニーは自社のお姫様をイメージしたファッションブランドを大々的に展開して大成功を収めつつある。
御伽の世界へのリスペクトを作品の前面にだしつつ、作品自体を宣伝媒体としてしっかりと現世利益も追求する。
さすがディズニー、さすがハリウッドというべきか・・・(笑

今回は、世界最初のカラー長編アニメーションのヒロインの名にちなんだ「スノー・ホワイト」をチョイス。
彼女は、本作のジゼルにまで連なる、ディズニーのお姫様ヒロインの最初の一人である。
氷を入れたグラスにアップルワインとウォッカを2:1の割合でシェイクして注ぎ、スプーン一杯のグレナデン・シロップを加える。
甘酸っぱいリンゴの風味が広がる、ロマンチックなカクテルだ。

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実写とアニメのディズニーミュージカルといえばこれ

ノーカントリー・・・・・評価額1800円
2008年03月15日 (土) | 編集 |
ハビエル・バルデムの変な髪形だけではない、超一級のクライムサスペンス
監督デビュー作の「ブラッド・シンプル」以来コーエン兄弟が拘ってきたアメリカ南西部を舞台に、老いた保安官を語り部に展開する「ノーカントリー」は、200万ドルの現金をめぐる三人の男の運命の交錯を通して、時代の空気を表現する。
コーエン兄弟にとって「ファーゴ」以来の傑作であり、ベストと言って良い出来ばえとなった。

1980年テキサス。
ベトナム帰還兵のモス(ジョシュ・ブローリン)は、狩猟中に荒野の只中で麻薬組織同士の銃撃戦の跡に出くわす。
そこにあったのは死体の山と、トラック一杯の麻薬と、死んだ男が抱える現金200万ドル。
モスは愛する妻に楽をさせたい思いで、発信機がついているとも知らずに、その200万ドルを持ち帰ってしまう。
現金が持ち去られた事を知った麻薬組織は、酸素ボンベに繋がれた奇妙な空気銃を使う殺し屋シガー(ハビエル・バルデム)を送り込む。
組織に素性を知られたことを悟ったモスは、妻を実家に帰し、現金と共に逃亡する。
同じ頃、荒野の現場を発見した保安官のエド(トミー・リー・ジョーンズ)も、モスが現金を持ち逃げしている事に気づくのだが・・・・


「ブラッド・シンプル」は、焼け付くような南西部のギラギラした太陽とうだる熱気が印象的だった。
この「ノーカントリー」において、太陽は相変わらずギラギラしているが、不思議と熱気は感じない。
作品世界と観客の間に、一枚の透明なガラスがあって、それによって一定の引いた視点を維持している感じだ。
それは恐らく、この作品が語り部によって紡がれるという寓話的構造を持っている事と無関係ではない。

原作はコーマック・マッカーシー「血と暴力の国」だが、残念ながら未読。
全体の雰囲気は「ブラッドシンプル」や「ファーゴ」に似ているが、平凡な男が犯罪現場から金を持ち逃げすることから始まるドラマというのは、コーエン兄弟の盟友サム・ライミの「シンプルプラン」を連想させる。
勿論持ち逃げしてからの展開は全く異なるのだが、平凡な主人公が色々と策を練って行動するのに、どんどんドツボに嵌っていくあたりは似ている。
ただ「ノーカントリー」が「シンプルプラン」と決定的に異なるのが、人間性の悲しさをドラマの中心に置いたライミに対して、こちらは人間の行動を通して時代を描いたというあたりだろう。

追跡劇の主役は三人。
ベトナム帰還兵のモスと、凄腕の殺し屋シガー、そして保安官のエド。
物語の中心にいて、ドラマを展開させていくのはモスであり、彼とシガーの追いつ追われつの追跡劇が物語の大半を占める。
奇妙なルックスの殺し屋シガーのキャラクターは際立っており、映画史上に登場した数々の殺し屋たちの中でも一、二を争う強烈なキャラクターとなっているが、実は物語のテーマ性の部分は、一見して事態の傍観者にも見えるエドが担っているのである。
原題の「No Country for Old Men」は、イェイツの詩の引用で「年寄りにとってこの国には居場所が無い」とでも訳せるだろうか。
今でこそ、南が北を支配しているなんて言う人もいるくらいだが、元々米国の南西部は南北戦争で敗れた南軍地域だったり、遅くに開拓された地域だったり、米国内においては遅れた貧しい地域であり、それゆえに古き良き伝統が残っていた土地でもあった。
ところが、今はもうそんな国は無くなっちまったんだよ、と嘆いているのがこの原題なのである。

舞台となるのが「1980年」というのがキーだ。
激動の60、70年代は、古き良き南西部にも大きな変化をもたらした。
勿論、公民権運動などポジティブな変化も大きかったのだが、同時にそれはドラッグの蔓延や国境を越えた犯罪組織の暗躍、治安の悪化を招き、反発する土地の人間の暴力性にも火をつけた。
保守的な土地だからこそ影響も大きく、「イージーライダー」や「悪魔のいけにえ」の様な70年代のアメリカンニューシネマに描かれた、退廃し血と暴力に塗れた南西部のイメージはその事を雄弁に物語っている。
この作品の物語に見え隠れする、ベトナム、ドラッグ、貧困、暴力と言った要素はどれも時代を表すキーワードなのである。

1980年は、激動の時代が一息つき、共和党のレーガン政権がスタートした、いわゆる80年代の保守回帰が始まった年。
この物語は、いわば混沌の時代に変質してしまった南部そのものを、象徴的に表現した物語と捉える事が出来ると思う。
殺し屋シガーの変な髪形に話題が集まっているが、よくよく見れば彼の髪型やファッションは6,70年代の都市の若者の流行その物なのがわかる。
シガーに追い回されるモスはカウボーイハットの典型的田舎者だが、貧困層が多く、ベトナムに借り出された者も多かった混沌とした時代の南西部文化の象徴と言えるだろう。
そう考えると、彼ら二人のスリリングだがある意味滑稽な追いかけっこは、古き良き南西部が時代という得たいの知れない巨大な力によって、否応無しに変質していった事のメタファーなのではないか。
そして彼らを眺めながら、未来には実質的には何も手を出すことが出来ない、去り行くオールド南西部がエド保安官と捉える事が出来る。

ハリウッド映画を観てよく感じるのだが、あちらの映画作家は娯楽映画の中にも時代性を盛り込むのが実に上手い。
ここしばらくの映画に6,70年代を描いた物が目立つのは、今脂ののった時期を迎えている作家たちが、この時代に思春期や青年期を過ごした事が大きいと思うが、同時に現代アメリカの抱える様々なドラマチックなひずみが噴出したルーツといえる時期だからでもあるのだろう。

「ノーカントリー」は非常にスリリングなサスペンス映画で、二時間二分の上映時間の間、ずっと緊迫感が持続する。
同時に微妙なユーモアと寓話性に富み、鑑賞後に深い味わいと物語の意味について考える機会を与えてくれる。
上記した私の解釈もあくまでも一つの見方であり、この作品中にはまだまだ様々なメタファーがパズルのピースの様に隠されている。
もう一度観れば、もしかしたら全く違った解釈をしたくなるかもしれない。

今回は、素晴らしい映画に負けぬ、素晴らしいテキサスのウィスキーを。
「ロングホーン・クリーク」はテキサスのマッケンドリック社によるユニークなウィスキーで、ほぼバーボンと同じ作り方だが、独自のメスキート・メロウド製法によって独特の味と香りに仕上がっている。
スモーキーだが、意外と軽く爽やかな飲み味。
開拓時代を描いた派手なラベルも楽しく、舌と目で楽しめる一品だ。

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ミラクル7号・・・・・評価額1400円
2008年03月10日 (月) | 編集 |
「カンフーハッスル」以来3年ぶりとなる、香港の爆笑王チャウ・シンチー(周星馳)待望の新作。
今回の「ミラクル7号」は今までの過激なギャグ路線から少し外れて、シンチー自身が大いにリスペクトすると語る、スピルバーグのあの名作へのオマージュが詰まったSFファンタジー。
とは言っても、やっぱり笑いはたっぷりなのだけど。

ティ(チャウ・シンチー)とディッキー(シュー・チャオ)の親子は超貧乏な父子家庭。
人生に大切なものはお金じゃないと語るティは、工事現場で働きながら一人息子のディッキーを名門小学校へ通わせている。
ある日、いつものようにゴミ捨て場に生活に使える物が無いかと探しに来たティは、緑色の不思議なボールを拾って、ディッキーのおもちゃにと与える。
ところが、それはただのボールではなかった。
その晩ディッキーが遊んでいると、突然ボールが奇妙に変形しだして・・・・


シンチー映画といえば、彼自身が演じるヘタレの男が、どん底に突き落とされながら一念発起し、最後には痛快な大逆転で幕というのがパターンだが、今回は少々毛色が違う。
シンチー演じるティは、今までの作品の流れを汲むヘタレ男なのだが、今回の主人公は彼ではなくて、その息子のディッキーなのだ。
映画の本筋は息子のディッキーと地球に取り残されたエイリアン(のペット)CJ7の物語で、彼らにティを含む周りの人間たちが絡む構造になっている。
そう、これはシンチー流の「E.T」の解釈であり、彼にとって始めてのファミリー映画
原題にもなっている「CJ7(長江七號)」というエイリアンの奇妙な名前は、劇中で金持ちの子供が自慢している犬型のトイロボットの名前がCJ1で、それに対抗してディッキーが名付けたもの。

CJ7の飼い主(?)となったディッキー少年は、きっとコイツはエイリアンのスーパーパワーを持っていて、自分を助けてくれるだろうと勝手に妄想するのだが、実際にはCJ7は少年の妄想の様には全く使えないどころか、彼に責められてウンコ攻撃を繰り出す始末。
このあたりの妄想と現実のギャップ、ディッキーの周りにいるエキセントリックな大人たちや同級生が笑いどころになる。
もっともCJ7は、元ネタとなった「E.T」から受け継いだたった一つのスーパーパワーを持っていて、それが物語のクライマックスに大きく影響してゆくのだけど。

面白いのは、ネタそのものは「E.T」ながら、全体の雰囲気がやはり何となくアジア
どちらかと言うとスピルバーグよりは、藤子・F・不二雄の漫画みたいで、特に他力本願なディッキーとCJ7の関係なんかは「ドラえもん」を思わせる。
余談だが、このディッキー役のシュー・チャオは、本当は女の子なのだそうだ。
ものの見事に小汚い小僧になりきっていたから、全然判らなかった・・・・

タイトルロールのCJ7のデザインは、写真だけ見るとアメリカの安いテレビアニメのキャラクターみたいで、あんまりイケテない感じだったのだが、実際に映画で見るとこいつが健気で可愛く思えてくる。
フサフサの顔が思いのほか表情豊かで、観ているとだんだんと欲しくなってくるから、まあキャラクターとしては成功と言っても良いだろう。

「ミラクル7号」はチャウ・シンチーが新ジャンルに挑戦した意欲作だが、彼本来のパワフルなギャグ描写と、ファミリー物のSFファンタジーの融合は微妙な印象だ。
巨体同級生男女のギャグや神経質な先生のギャグなど、得意のコメディ描写にかなり長い時間をとっているのだが、それがCJ7との話に絡んで来ないので、ちょっと二つの世界が乖離して存在しているようなアンバランスさを覚える。
「食神」や「カンフーハッスル」で見られた破天荒なパワーはあまり感じられず、その意味でシンチー映画のファンにはやや不満が残るかもしれないが、反面残酷描写やお下品すぎる描写も無いので、親子で安心して楽しめるファミリー映画としてはまずまずの出来ばえにはなっていると思う。
まあゴキブリ潰しゲームはちょっと微妙だけど・・・・
ぶっ飛んだギャグ炸裂は、この後に控える「カンフーハッスル2」に御期待という所か。

今回はキュートなCJ7のイメージから、カクテルの「グリーンカルピス」をチョイス。
グラスにサントリーのメロンリキュール、ミドリとカルピスを1:1の割合で注ぎ、適量のソーダで割る。
カルピスの仄かな酸味がメロンリキュールとうまくマッチし、甘酸っぱいメロンソーダの様な、デザート感覚のカクテル。
ジュースみたいだが、映画と違ってお子様には勿論まだ早い。

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クローバーフィールド HAKAISHA・・・・・評価額1550円
2008年03月06日 (木) | 編集 |
「ロスト」 「M.i.Ⅲ」J.J.エイブラムスがプロデュースした「クローバーフィールド HAKAISHA」は、よくぞこんな冒険的な企画が、現在のハリウッドメジャーで通ったと驚かされるくらいの超異色作
謎の巨大生物がNYを襲撃するらしいという以外、一切のインフォメーションが公開まで封印され、当初は正式なタイトルすら明らかにされなかったという秘密主義もさることながら、実際に公開された作品を観ても、既存の娯楽映画のセオリーを全く無視した作りに驚嘆しきり。

映画は、近々日本に発つらしいロブという青年のフェアウェルパーティーから始まる。
最初の15分程度はパーティーの準備やパーティーの喧騒が続き、特に何も起こらない。
そして、パーティーが佳境に差し掛かったころ、突如としてNYが得体の知れない巨大怪獣の襲撃を受けてパニック状態となり、後はロブとその仲間たちが逃げ惑う姿が延々と映し出されるのである。

NYが怪獣に襲撃された後、元々セントラルパークがあった場所で発見されたビデオカメラの映像という触れ込みの本作は、ある種のフェイクドキュメンタリーであり、要するに「ブレア・ウチッチ・プロジェクト」だ。
しかしあの作品はごく低予算の自主映画であり、もしかしたら本当かもしれない?という興味からインターネットの口コミでヒットした。
フェイクドキュメンタリーというジャンルに括られる他の作品も、総じてその低予算と、いかにもありそうなシチュエーションを売りにしたものが殆どだ。
対して「クローバーフィールド HAKAISHA」は、巨大怪獣の襲撃によるNY壊滅の記録という、全くありえないし、あったことも無い事実を、それなりの予算をかけて大真面目に作ってしまった。
しかもそれはたった一台カメラによる一個人の目線からの怪獣映画であり、これは今までに存在しなかったタイプの作品と言って良い。

脚本は「ロスト」のドリュー・ゴダード
監督はやはりテレビ畑出身のマット・リーブスで、良い意味で映画の既成概念にとらわれないテレビっぽいライブ感が生きている。
ただ、この映画が上手いのは、ドキュメンタリーの体裁をとりながら、実は流れそのものは綿密に作りこまれた物語映画の構造を持っており、さりげなく、しかししっかりと構成されているので、観客が比較的自然に見ていられる事だ。
一台のカメラによって撮られた映像という設定なので、視点が限定される分、流れは主人公(?)であるロブたちの行動にそっており、彼らの行動に自然に三幕構成的な展開を組み込んでいる。
また限定された視点からは、観客に限られた情報しか与えられないので、主人公たちと同じように観客も情報に飢え、不安感を増幅する効果をもたらしている。
既存の映画の構造を持ちながら、その表現方法を大幅に変える事で、観たことの無い斬新さを生み出していると言えるだろう。
テープの随所に上書きされる前の映像、つまり怪獣に襲撃される前の平和な風景が残っており、それが恐怖に逃げ惑う映像と対比を形作るあたりも小技が効いていてニクイ。
まあ厳密に考えれば、あんな状況で決してカメラを放さないのは不自然とか、7時間もバッテリーの持つカメラがあるかい、とか色々突っ込みは入れられるのだけど(笑

公開前に色々と憶測を呼んだ怪獣のデザインも、逃げ惑う人間の手持ちカメラで捕らえられているので、殆ど全体像を捉える事は無く、正直なところ良くわからないが、何となくゴジラ系の怪獣よりは「エヴァンゲリヲン」「使徒」みたいな雰囲気だ。
これはデザイン以上にその存在が持つ不条理さがそう見せるのかもしれない。
サイズ的にはアメリカ版ゴジラより少し大きいくらいに見えるが、ミサイル攻撃であっさり死んだあちらと違い、戦車砲、ミサイルは勿論、B2爆撃機の絨毯爆撃にも無傷で耐えるくらいだから、不死身の東宝怪獣にずっと近い。
日本の大怪獣は、現在の荒ぶる神であり、人類文明の負のメタファーとしての性格を持っていた。
ケロイドの皮膚を持ち、放射能の火炎を吐くゴジラが、ビキニ環礁の核実験による第五福竜丸の被爆事件にインスパイアされて誕生した、核兵器のメタファーなのはあまりにも有名だ。

では今回突如として出現し、NYを壊滅させたこの名無しの怪獣はどうか。
これはやはり、誰でも9.11を思い出さざるを得ないだろう。
何の前触れも説明も無く、正体すら判らず、ただただ破壊の限りを尽くす「クローバーフィールド HAKAISHA」の怪獣は、9.11で噴出した不条理な恐怖のメタファーと言えるのではないだろうか。
「キング・コング」にルーツを持つハリウッドの怪獣たちは、巨大ではあるものの、あくまでも生物であるという原則を頑なに保ってきて、それはアメリカ版「ゴジラ」でも変わらなかった。
生物としての一定のリアリズムを持つが故に、象徴としてのメタファーにはなかなかなり得なかったのだが、今回ハリウッド映画の歴史上初めて、人知を超えた日本型怪獣が登場したと言えるかもしれない。
そういえば音楽というものが存在しないこの作品の中で、唯一の楽曲であるエンドクレジットのテーマ曲はどことなく伊福部調だった。

「クローバーフィールド HAKAISHA」は、娯楽映画の歴史に一石を投じる意欲作だ。
ある意味で、既存の概念に喧嘩を売っている様な作品であり、映画にあくまでも物語とカタルシスを求める観客にはお勧め出来る作品ではないかもしれない。
実際に、あまりといえばあまりに唐突な幕切れに、本国の封切り時には怒り出す観客も少なからずいたようである。
また、いくら斬新でもこれが新たなスタンダードになる訳も無く、一発屋の徒花である事も間違いないだろう。
しかしネタ切れで、リメイク、続編ばかりのハリウッドメジャーの世界に痛快な変化球を見舞ったのは間違いなく、このチャレンジ精神と遊び心は高く評価したい。
個人的には「ロスト」「エヴァンゲリヲン」のファンになら、このとんがり具合は理解されるのではないかと思うのだが。

今回は、文字通りクローバーフィールドから作られたお酒を。
高知県の菊水酒造の蜂蜜酒ミード「はちみつのお酒」をチョイス。
ミードといえば、最近では「ベオウルフ」で印象的に使われていたが、ワインやビール以上に長い歴史を持つ酒。
日本では比較的珍しいミードだが、こちらはクローバーの花の蜜から作られているという。
欧米のものに比べるとアルコール度も低めで非常にあっさりしており、フルーツワインの様な感覚で飲める。
映画は手持ちカメラの映像のおかげで、それ自体がかなり酔えるので、鑑賞後はあっさりがお勧めだ(笑

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ジャンパー・・・・・評価額1400円
2008年03月03日 (月) | 編集 |
銀座と渋谷、近っ!・・・あ、でも良いのか、彼らは「ジャンパー」だから。
二十一世紀のスパイサスペンスの快作、「ボーン・アイデンティティー」ダグ・リーマン監督の新作は、「ジャンパー」と呼ばれる超能力者と彼らを異端視し、殺害しようとする謎の組織の戦いを描いたアクション大作。
しかし、狙ってやっているのか、結果的にそうなったのか、映画のテイストはシリアスとオバカ映画の境界線ギリギリだ。

気弱な少年デビッド(ヘイデン・クリステンセン)は、ある日凍った川に転落し、突然テレポートの超能力を覚醒する。
家出したデビッドは、銀行の金庫に痕跡も残さず侵入する怪盗となり、巨額の金を手に入れる。
気の向くままに世界中をジャンプして、自由な暮らしを楽しむデビッドだったが、彼の知らぬ間に、ジャンパーを抹殺しようとする謎の組織、パラディンの殺し屋、ローランド(サミュエル・L・ジャクソン)がデビッドに迫っていた・・・


ジャンパーとは、つまりテレポート能力を持つ超能力者の事。
地球上のどんな場所にでもジャンプできてしまう彼らの活躍を描く本作は、その能力を最大限魅力的に描くべく、88分というかなりコンパクトな上映時間の間、実にスピーディに物語が進む。
冒頭の能力覚醒から、怪盗デビッド誕生、パラディンの登場と終盤まで続く世界を又に駆けた追いかけっこは、息をもつかせぬテンポで展開するが、本来話が単純で登場人物も絞られているため、窮屈な感じは無い。
ダグ・リーマンはアニメーション的なカリカチュアの上手い演出家だが、今回もそれは生きていて、見せたいものが何なのか、キャラクターの色付けも含めて実に判りやすい。

限りなく単純な本作の柱となるのは、数千年も続いているというジャンパーと、彼らを追跡し、一人残らず抹殺しようとするパラディンとの戦いだ。
このパラディンという組織の設定に、納得できるかどうかが本作を心から楽しめるか否かの境界線になるだろう。
最初この組織は、ジャンパーという超能力を危険視する政府機関なのかと思ったが、話が進んでゆくうちに、実はジャンパーの能力を神への冒涜と考える狂信的な宗教組織だという事が判る。
正直な所、私はこの設定があまりにも漫画チックに思えて、少し白けてしまった。
何しろこの組織、もの凄く強大なのだ。
世界中のどこへでも飛んでいって、各国政府や捜査機関すら全く恐れない力を持ち、ワームホールをこじ開けてしまう様な超テクノロジーすら持っている。
ジャンパーが世界中に何人いるのか知らないけど、ほんの僅かな数の超能力者を駆り立てるのに、いったいどれだけ巨大な組織が存在しとるねん!と突っ込みたくなってしまう。

デビッドたちは、ひたすらローランドのグループだけに気をとられていて、彼らを倒せば助かる様に考えているが、そもそもそんな凄い組織を相手にしているなら、殺し屋一人倒した所で、何の解決にもなってない様な気がする。
デビッドには五歳の時に別離した母親がいて、この母親との関係も設定上重要な意味を持つのだが、正直なところあまり生かされているとは思えない。
物語の勢いと単純化に長けた演出に誤魔化されそうになるが、よくよく考えると矛盾点続出だ。

まあ、厳密に物語を考え出すと、突っ込みどころ満載の映画なのだが、東京を含む世界の観光名所めぐりをしながらの観光追いかけっこと考えると、これはこれで十分に楽しい。
外国人が東京に来たら、必ず行ってみたい場所だという「渋谷のスクランブル交差点」もしっかり出てくる(笑

主人公のデビッドを演じるのはヘイデン・クリステンセンで、対するローランドはサミュエル・L・ジャクソン
そういえば「スター・ウォーズ」では、この二人ジェダイの師弟関係だった。
このキャスティングを見ても、漫画チックさはあえて狙っている様に思えてくる。
ヒロインのミリーを演じるのはレイチェル・ビルソンだが、中学生時代のミリー役で「テラビシアにかける橋」アナソフィア・ロブが顔を見せている。
「テラビシア」からたった一年しか経ってないのに、ずいぶんと大人びていて驚いた。
子供の成長は早い・・・。

「ジャンパー」は、早い話がアメコミ原作物以上に漫画チックなB級アクションである。
テーマ性は全くと言って良いほど見えないし、特に感動する事も無い。
88分という上映時間の間、ジェットコースターの様な展開をアトラクション的に楽しむ映画で、その意味では非常に潔い「エンターテイメント」であると言えるだろう。
とりあえず、観終わって唯一心に残るのは、自由気ままなジャンパー生活は楽しそうだったなあという事ぐらいか(笑

今回は、薄味な映画なので、後味を引き締めるお酒を。
この映画で、パラディンたちはジャンパーの超能力の痕跡を追跡するが、「マジック・トレース(魔法の痕跡)」というカクテルをチョイスしよう。
バーボン・ウィスキーとドランブイ、ドライ・ベルモットとオレンジ・ジュース、レモン・ジュースをそれぞれ4:3:1:1:1でシェイクする。
芳醇なウィスキーに柑橘類の酸味と適度な甘みが広がる大人なカクテルである。

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