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2008年03月20日 (木) | 編集 |
夢見るお姫さま、ニューヨークへ行く。
新生ディズニーの「魔法にかけられて」は、アニメで描かれる御伽噺の世界を現実のニューヨークに投げ込んで、ギャグにしてしまうというある種のセルフパロディ。
ディズニーアニメのパロディというと、宿敵ドリームワークスの「シュレック」シリーズが有名だが、どちらかと言うと嘲笑のニュアンスを含んだ「シュレック」に対して、本家のこちらはあくまでもディズニー的な世界に対してリスペクトを欠かさない。
御伽の国、アダレーシアのジゼル(エイミー・アダムス)は、愛するエドワード王子(ジェームス・マースデン)との結婚式を控える身。
ところがエドワードの継母で魔女のナリッサ女王(スーザン・サランドン)の罠に掛けられて、現実のニューヨークに追放されてしまう。
夢も魔法も無いニューヨークで路頭に迷ったジゼルは、ひょんな事から弁護士のロバート・フィリップ(パトリック・デンプシー)父娘に助けられるのだが、超現実主義者のロバートには、ジゼルはちょっと頭の弱い女の子にしか見えないし、恋人のナンシー(イディナ・メンゼル)には誤解されるで大迷惑。
その頃、恋するジゼルを救出するため、エドワード王子と家来のナサニエル(ティモシー・スポール)もニューヨークにやって来るが、ナサニエルは密かに女王からジゼル暗殺の命令を受けていた・・・
冒頭のアンダレーシアのシークエンスは2Dアニメで、現実のNYのシーンは実写、現実世界でのジゼルの「お友達」の動物たちは3DCGアニメで描かれる。
ディズニーの持つ三つの表現方法が一本で味わえる、一粒で三回オイシイ一本である。
御伽の世界のキャラクターたちが、現実の世界で同じ事をやったら、どうなるかというのがギャグの基本になっていて、普通の会話の途中に突然歌いだすミュージカルや、人生の悲哀の部分には全く免疫が無いジゼルの反応はかなり笑える。
ディズニーアニメではお馴染みの、動物のお友達に手伝ってもらって、ドレスを作ったりお掃除したりの描写も、現実のNYに住んでいる動物たちが大集合。
ドバトにドブネズミにゴキブリ・・・え~と、こんなお友達はイヤダ(笑
中盤のセントラルパークでの、かなり長い実写ミュージカルシーンは、どことなく「メリー・ポピンズ」の様な雰囲気もあって、往年の作品へのオマージュたっぷりの実に楽しいシーンとなっている。
ジゼル役のエイミー・アダムスを始めとするアンダレーシアの住人たちは、実写になっても抑揚たっぷりのハイテンションな声優芝居で、パトリック・デンプシーらのリアリティのある芝居と対比も面白い。
勿論、パロディとは言ってもこれは正統派のディズニー映画。
監督は90年代の最後を飾ったディズニーの傑作アニメ、「ターザン」のケヴィン・リマだし、ミュージカルアニメに欠かせない楽曲は、「美女と野獣」や「アラジン」を始め、数々の名作スコアを世に送り出してきたアラン・メンケンと抜かりは無い。
決して笑い飛ばしっ放しにはせず、最終的にはディズニー的な世界の価値の再確認という所に持ってきているのだ。
面白いのは、御伽の世界では自分の役割に忠実に生きているキャラクターたちが、現実世界に投げ込まれた結果ピュアな世界への疑問を持ち始める事。
「約束された結婚」への疑問を持ち始めたジゼルのエピソードは判りやすいが、自分大好きなエドワード王子と自分大嫌いな家来のナサニエルの対比は特に興味深く、この能天気なホラ話にちょっとした深みを付け加えている。
残念なのは後半の展開が少々駆け足な事で、御伽の世界と現実世界とのギャップで悩み始めたジゼルやナサニエルの心も、それほど深く追求されない。
ジゼルとエドワード、ロバートと恋人のナンシーの四角関係がシャッフルされる終盤は、シンデレラのガラスの靴というアイコンで上手く纏めているものの、勢いで見せている感は否めない。
またクライマックスの魔女との戦いも、冒頭のアンダレーシアでのシークエンスが複線になっているのだが、ビジュアル的にあまり上手い見せ方とは言えず、あっけない印象が強い。
もしかしたら、何がどうなって魔女を倒したのか判らなかった人もいたのではないだろうか。
夢も魔法も、現実だけでなくスクリーンの中でも説得力を失った世知辛い二十一世紀。
「魔法にかけられて」は、魔法の力を失いつつあったディズニーのアニメ映画が、御伽の世界を一度現実に融合させることで、逆説的にその魅力を描き出そうとした作品で、そのコンセプトはまずまず成功していると思う。
古くからディズニーアニメに親しんだ人にとっては、びっくりする様な作品ではあるが、基本的にディズニーを愛する人による、ディズニーを愛する人のための作品になっているので、最終的な着地点は良い意味で予定調和な心地の良い物だ。
後半多少失速するのが残念ではあるが、107分の間ディズニーランドで遊んでいるようでとても楽しく、老若男女誰にでも薦められる一本だと思う。
ところで映画のジゼルは、得意の裁縫を生かしてNYでメルヘンチックなアンダレーシア・ブランドを立ち上げて何だか成功していたけど、これ実はディズニーが実際にそのままやっている事。
お姫さまに憧れる世界中の女の子の気持ちは、世代を問わないビッグビジネスになりえるらしく、ディズニーは自社のお姫様をイメージしたファッションブランドを大々的に展開して大成功を収めつつある。
御伽の世界へのリスペクトを作品の前面にだしつつ、作品自体を宣伝媒体としてしっかりと現世利益も追求する。
さすがディズニー、さすがハリウッドというべきか・・・(笑
今回は、世界最初のカラー長編アニメーションのヒロインの名にちなんだ「スノー・ホワイト」をチョイス。
彼女は、本作のジゼルにまで連なる、ディズニーのお姫様ヒロインの最初の一人である。
氷を入れたグラスにアップルワインとウォッカを2:1の割合でシェイクして注ぎ、スプーン一杯のグレナデン・シロップを加える。
甘酸っぱいリンゴの風味が広がる、ロマンチックなカクテルだ。
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実写とアニメのディズニーミュージカルといえばこれ
新生ディズニーの「魔法にかけられて」は、アニメで描かれる御伽噺の世界を現実のニューヨークに投げ込んで、ギャグにしてしまうというある種のセルフパロディ。
ディズニーアニメのパロディというと、宿敵ドリームワークスの「シュレック」シリーズが有名だが、どちらかと言うと嘲笑のニュアンスを含んだ「シュレック」に対して、本家のこちらはあくまでもディズニー的な世界に対してリスペクトを欠かさない。
御伽の国、アダレーシアのジゼル(エイミー・アダムス)は、愛するエドワード王子(ジェームス・マースデン)との結婚式を控える身。
ところがエドワードの継母で魔女のナリッサ女王(スーザン・サランドン)の罠に掛けられて、現実のニューヨークに追放されてしまう。
夢も魔法も無いニューヨークで路頭に迷ったジゼルは、ひょんな事から弁護士のロバート・フィリップ(パトリック・デンプシー)父娘に助けられるのだが、超現実主義者のロバートには、ジゼルはちょっと頭の弱い女の子にしか見えないし、恋人のナンシー(イディナ・メンゼル)には誤解されるで大迷惑。
その頃、恋するジゼルを救出するため、エドワード王子と家来のナサニエル(ティモシー・スポール)もニューヨークにやって来るが、ナサニエルは密かに女王からジゼル暗殺の命令を受けていた・・・
冒頭のアンダレーシアのシークエンスは2Dアニメで、現実のNYのシーンは実写、現実世界でのジゼルの「お友達」の動物たちは3DCGアニメで描かれる。
ディズニーの持つ三つの表現方法が一本で味わえる、一粒で三回オイシイ一本である。
御伽の世界のキャラクターたちが、現実の世界で同じ事をやったら、どうなるかというのがギャグの基本になっていて、普通の会話の途中に突然歌いだすミュージカルや、人生の悲哀の部分には全く免疫が無いジゼルの反応はかなり笑える。
ディズニーアニメではお馴染みの、動物のお友達に手伝ってもらって、ドレスを作ったりお掃除したりの描写も、現実のNYに住んでいる動物たちが大集合。
ドバトにドブネズミにゴキブリ・・・え~と、こんなお友達はイヤダ(笑
中盤のセントラルパークでの、かなり長い実写ミュージカルシーンは、どことなく「メリー・ポピンズ」の様な雰囲気もあって、往年の作品へのオマージュたっぷりの実に楽しいシーンとなっている。
ジゼル役のエイミー・アダムスを始めとするアンダレーシアの住人たちは、実写になっても抑揚たっぷりのハイテンションな声優芝居で、パトリック・デンプシーらのリアリティのある芝居と対比も面白い。
勿論、パロディとは言ってもこれは正統派のディズニー映画。
監督は90年代の最後を飾ったディズニーの傑作アニメ、「ターザン」のケヴィン・リマだし、ミュージカルアニメに欠かせない楽曲は、「美女と野獣」や「アラジン」を始め、数々の名作スコアを世に送り出してきたアラン・メンケンと抜かりは無い。
決して笑い飛ばしっ放しにはせず、最終的にはディズニー的な世界の価値の再確認という所に持ってきているのだ。
面白いのは、御伽の世界では自分の役割に忠実に生きているキャラクターたちが、現実世界に投げ込まれた結果ピュアな世界への疑問を持ち始める事。
「約束された結婚」への疑問を持ち始めたジゼルのエピソードは判りやすいが、自分大好きなエドワード王子と自分大嫌いな家来のナサニエルの対比は特に興味深く、この能天気なホラ話にちょっとした深みを付け加えている。
残念なのは後半の展開が少々駆け足な事で、御伽の世界と現実世界とのギャップで悩み始めたジゼルやナサニエルの心も、それほど深く追求されない。
ジゼルとエドワード、ロバートと恋人のナンシーの四角関係がシャッフルされる終盤は、シンデレラのガラスの靴というアイコンで上手く纏めているものの、勢いで見せている感は否めない。
またクライマックスの魔女との戦いも、冒頭のアンダレーシアでのシークエンスが複線になっているのだが、ビジュアル的にあまり上手い見せ方とは言えず、あっけない印象が強い。
もしかしたら、何がどうなって魔女を倒したのか判らなかった人もいたのではないだろうか。
夢も魔法も、現実だけでなくスクリーンの中でも説得力を失った世知辛い二十一世紀。
「魔法にかけられて」は、魔法の力を失いつつあったディズニーのアニメ映画が、御伽の世界を一度現実に融合させることで、逆説的にその魅力を描き出そうとした作品で、そのコンセプトはまずまず成功していると思う。
古くからディズニーアニメに親しんだ人にとっては、びっくりする様な作品ではあるが、基本的にディズニーを愛する人による、ディズニーを愛する人のための作品になっているので、最終的な着地点は良い意味で予定調和な心地の良い物だ。
後半多少失速するのが残念ではあるが、107分の間ディズニーランドで遊んでいるようでとても楽しく、老若男女誰にでも薦められる一本だと思う。
ところで映画のジゼルは、得意の裁縫を生かしてNYでメルヘンチックなアンダレーシア・ブランドを立ち上げて何だか成功していたけど、これ実はディズニーが実際にそのままやっている事。
お姫さまに憧れる世界中の女の子の気持ちは、世代を問わないビッグビジネスになりえるらしく、ディズニーは自社のお姫様をイメージしたファッションブランドを大々的に展開して大成功を収めつつある。
御伽の世界へのリスペクトを作品の前面にだしつつ、作品自体を宣伝媒体としてしっかりと現世利益も追求する。
さすがディズニー、さすがハリウッドというべきか・・・(笑
今回は、世界最初のカラー長編アニメーションのヒロインの名にちなんだ「スノー・ホワイト」をチョイス。
彼女は、本作のジゼルにまで連なる、ディズニーのお姫様ヒロインの最初の一人である。
氷を入れたグラスにアップルワインとウォッカを2:1の割合でシェイクして注ぎ、スプーン一杯のグレナデン・シロップを加える。
甘酸っぱいリンゴの風味が広がる、ロマンチックなカクテルだ。

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