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2008年05月21日 (水) | 編集 |
戒厳令下の韓国で、軍が市民デモを弾圧した事が切っ掛けになり、蜂起した市民と軍の武力衝突で数千人の死傷者を出し、韓国現代史上最大の暗部と呼ばれる所謂「光州事件」を描いた大作である。
映画は非常戒厳令が全国に発令された5月17日から、光州市が軍に制圧される5月27日までの激動の10日間を市民の目線から描く。
今だ抑圧と暴力が後を絶たないこの世界に、「光州5・18」は28年前から何を語りかけてくるのだろうか。
1980年5月、光州市。
タクシー運転手のミヌ(キム・サンギョン)は、たった一人の家族である弟のジヌ(イ・ジュンギ)の大学進学を楽しみにしている。
ジヌと同じ教会に通う美しい看護婦、シネ(イ・ヨウォン)に思いを寄せるミヌだが、奥手の彼はなかなか告白できないでいる。
その頃街では、戒厳令を布告した軍政に対する大学生のデモが拡大し、彼らを鎮圧するために軍部隊が派遣されてくる。
ミヌの勤めるタクシー会社社長で退役陸軍大佐のフンス(アン・ソンギ)は、軍の権力への野心に危惧を感じるが、大学生のデモを凄惨な暴力で鎮圧した軍に対し市民の怒りは高まり、遂に数万の市民が軍と対峙する事態となる。
遂に軍は市民に対し無差別発砲を開始、逃げまどう群集の中、ミヌは鮮血に染まるジヌの姿を見る・・・
「ハリウッド的」あるいは「邦画っぽい」など、映画をステロタイプに押し込めて観るのはあまり好きではないが、これは良くも悪くも非常に韓国映画らしい作品である。
シリアスな社会問題をテーマとしているにもかかわらず、あくまでも観客を飽きさせない娯楽映画でもあるというスタンス、物語を彩る過剰なくらいに個性を強調されたキャラクターは、韓国映画以外では余り観ることの無いカラーである。
この作品の場合、それは観客の心に極めて映画的なエモーションを呼び起こすが、同時にやや深みに欠ける世界観を形作ってしまっている。
1980年の5月に、光州で何が起こったかについては、事件後10年以上たってようやく全貌が明らかになり、現在でも様々な評価や研究が行われている。
事件の概要は、学生デモ鎮圧に出動した軍の実力行使が次第にエスカレートし、その仕打に怒った一般市民が大挙してデモに加わった事で衝突が拡大し、双方引くに引けない事態になってしまったと言う事でどの研究もほぼ一致している様だ。
映画でも、市民の野次やジョークを最初は笑って聞いていた兵士たちが、命令と共に憎しみをたぎらせて市民へと発砲するシーンはショッキング。
否応でも、現代のミャンマーやチベットの映像と被って見える。
私はどんな清廉潔白な組織であっても、権力を握った瞬間に腐敗しはじめると思っているが、この映画の軍部は正にその典型。
国民を守るはずの組織が、一番腐心しているのが自らの権力の拡大と維持で、そのためには手段を選ばない存在となっているのは皮肉としか言いようが無い。
映画では全ての市民が団結していた様に見えるが、実際には市民の間でも徹底抗戦派と軍との交渉を主張する穏健派の対立がかなり激しかったらしい。
この市民同士の葛藤をカットしてしまったのは、物語の構造を「軍VS市民」というわかりやすい形に纏めたかったからだろうが、それは結果的にこの事件の意味付けを単純化してしまっている嫌いがある。
作劇の意図は理解できるが、ここは多少複雑になっても、市民同士の葛藤を盛り込んだ方が、より深い内容になったのではないだろうか。
これが長編第二作となるキム・ジフン監督は、光州事件当時は小学生。
脚本のナ・ヒョンとジフン監督は、当時を知る多くの人々に取材し、複数のモデルを組み合わせて登場人物を造形。
彼ら一人一人を丁寧に描写してゆく。
朴訥な主人公ミヌをキム・サンギョン、「王の男」の美青年で注目されたイ・ジュンギが優等生の弟ジヌを好演している。
ミヌが思いを寄せるシネを演じるイ・ヨウォンは、初めてスクリーンで見る役者さんだが、見事に80年代という時代の衣装をまとい、当時の女性をリアリティたっぷりに演じる。
若い俳優たちに混じって、市民義勇軍を指揮する事になるパク・フンス退役大佐を名優アン・ソンギが演じ、びしっと画面を引き締める。
脇で強い印象を残すのが、お調子者のタクシー運転手を演じた、くりぃむしちゅーの上田晋也そっくりのパク・チョルミンと、女たらしの遊び人を演じたふかわりょうみたいな髪型のパク・ウォンサン。
この二人のそっくりさんは、実録物には似つかわしくないほどハイテンションで軽いキャラクターなのだが、逆にその軽さゆえに彼らの最期は観客の感情を強く揺さぶるのもまた事実。
また最初はデモに反対しているが、最後は教え子を庇って死ぬ高校教師や、最後まで市民に抵抗を呼びかけるシネの姿などは実際のエピソードから再現されているそうで、物語全体の構図がやや型にはまってしまっている反面、こうしたリアリティを感じさせるディテールは、この作品に強い説得力を与えている。
「光州5・18」は、幾つかの欠点を抱えながら、見ごたえのある骨太の大作である。
今なお独裁時代の亡霊によって、社会の分裂が問題となる韓国ではもちろん意義のある映画だろうし、世界中に存在する第二、第三の「光州」を考える上で、私たちにとっても十分に観る価値ある作品だと思う。
映画で語られる様に、光州事件は悲劇的な結末を迎えるわけだが、そこで起こった事は戒厳令下の韓国で、人から人へと静かに、しかし広く伝えられ、その後の民主化運動の精神的な基盤となったと言う。
その意味で、光州の犠牲者たちは決して犬死ではなかったと思いたい。
民主化運動に抗し切れなくなった軍部が民主化を宣言し、軍政が終わりを告げるのは事件から7年後の事である。
ちなみに原題の「華麗なる休暇」とは、当時の軍の作戦名。
市民の弾圧作戦にこんな名をつけるとは、軍上層部にもかなりの皮肉屋がいたのだろうか。
今回は、韓国市民の爆発的なエネルギーの源(?)爆弾酒。
作り方は簡単。
まず大き目のグラスにビールを注ぎ、次にショットグラスに韓国焼酎をなみなみと入れる。
そして焼酎のグラスをそのまま落としてビールに沈める。
本来はこれを一気飲みして、飲み終わったらグラスを掲げてカラカラ鳴らしてみせるのが韓国流だが、飲みすぎるともの凄く悪酔いするキケンなお酒でもある。
まあこれも考えようによってはある種のカクテル。
悪酔いしない程度にほどほどに・・・・
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「光州事件」はこの作品でも重要な要素だった
映画は非常戒厳令が全国に発令された5月17日から、光州市が軍に制圧される5月27日までの激動の10日間を市民の目線から描く。
今だ抑圧と暴力が後を絶たないこの世界に、「光州5・18」は28年前から何を語りかけてくるのだろうか。
1980年5月、光州市。
タクシー運転手のミヌ(キム・サンギョン)は、たった一人の家族である弟のジヌ(イ・ジュンギ)の大学進学を楽しみにしている。
ジヌと同じ教会に通う美しい看護婦、シネ(イ・ヨウォン)に思いを寄せるミヌだが、奥手の彼はなかなか告白できないでいる。
その頃街では、戒厳令を布告した軍政に対する大学生のデモが拡大し、彼らを鎮圧するために軍部隊が派遣されてくる。
ミヌの勤めるタクシー会社社長で退役陸軍大佐のフンス(アン・ソンギ)は、軍の権力への野心に危惧を感じるが、大学生のデモを凄惨な暴力で鎮圧した軍に対し市民の怒りは高まり、遂に数万の市民が軍と対峙する事態となる。
遂に軍は市民に対し無差別発砲を開始、逃げまどう群集の中、ミヌは鮮血に染まるジヌの姿を見る・・・
「ハリウッド的」あるいは「邦画っぽい」など、映画をステロタイプに押し込めて観るのはあまり好きではないが、これは良くも悪くも非常に韓国映画らしい作品である。
シリアスな社会問題をテーマとしているにもかかわらず、あくまでも観客を飽きさせない娯楽映画でもあるというスタンス、物語を彩る過剰なくらいに個性を強調されたキャラクターは、韓国映画以外では余り観ることの無いカラーである。
この作品の場合、それは観客の心に極めて映画的なエモーションを呼び起こすが、同時にやや深みに欠ける世界観を形作ってしまっている。
1980年の5月に、光州で何が起こったかについては、事件後10年以上たってようやく全貌が明らかになり、現在でも様々な評価や研究が行われている。
事件の概要は、学生デモ鎮圧に出動した軍の実力行使が次第にエスカレートし、その仕打に怒った一般市民が大挙してデモに加わった事で衝突が拡大し、双方引くに引けない事態になってしまったと言う事でどの研究もほぼ一致している様だ。
映画でも、市民の野次やジョークを最初は笑って聞いていた兵士たちが、命令と共に憎しみをたぎらせて市民へと発砲するシーンはショッキング。
否応でも、現代のミャンマーやチベットの映像と被って見える。
私はどんな清廉潔白な組織であっても、権力を握った瞬間に腐敗しはじめると思っているが、この映画の軍部は正にその典型。
国民を守るはずの組織が、一番腐心しているのが自らの権力の拡大と維持で、そのためには手段を選ばない存在となっているのは皮肉としか言いようが無い。
映画では全ての市民が団結していた様に見えるが、実際には市民の間でも徹底抗戦派と軍との交渉を主張する穏健派の対立がかなり激しかったらしい。
この市民同士の葛藤をカットしてしまったのは、物語の構造を「軍VS市民」というわかりやすい形に纏めたかったからだろうが、それは結果的にこの事件の意味付けを単純化してしまっている嫌いがある。
作劇の意図は理解できるが、ここは多少複雑になっても、市民同士の葛藤を盛り込んだ方が、より深い内容になったのではないだろうか。
これが長編第二作となるキム・ジフン監督は、光州事件当時は小学生。
脚本のナ・ヒョンとジフン監督は、当時を知る多くの人々に取材し、複数のモデルを組み合わせて登場人物を造形。
彼ら一人一人を丁寧に描写してゆく。
朴訥な主人公ミヌをキム・サンギョン、「王の男」の美青年で注目されたイ・ジュンギが優等生の弟ジヌを好演している。
ミヌが思いを寄せるシネを演じるイ・ヨウォンは、初めてスクリーンで見る役者さんだが、見事に80年代という時代の衣装をまとい、当時の女性をリアリティたっぷりに演じる。
若い俳優たちに混じって、市民義勇軍を指揮する事になるパク・フンス退役大佐を名優アン・ソンギが演じ、びしっと画面を引き締める。
脇で強い印象を残すのが、お調子者のタクシー運転手を演じた、くりぃむしちゅーの上田晋也そっくりのパク・チョルミンと、女たらしの遊び人を演じたふかわりょうみたいな髪型のパク・ウォンサン。
この二人のそっくりさんは、実録物には似つかわしくないほどハイテンションで軽いキャラクターなのだが、逆にその軽さゆえに彼らの最期は観客の感情を強く揺さぶるのもまた事実。
また最初はデモに反対しているが、最後は教え子を庇って死ぬ高校教師や、最後まで市民に抵抗を呼びかけるシネの姿などは実際のエピソードから再現されているそうで、物語全体の構図がやや型にはまってしまっている反面、こうしたリアリティを感じさせるディテールは、この作品に強い説得力を与えている。
「光州5・18」は、幾つかの欠点を抱えながら、見ごたえのある骨太の大作である。
今なお独裁時代の亡霊によって、社会の分裂が問題となる韓国ではもちろん意義のある映画だろうし、世界中に存在する第二、第三の「光州」を考える上で、私たちにとっても十分に観る価値ある作品だと思う。
映画で語られる様に、光州事件は悲劇的な結末を迎えるわけだが、そこで起こった事は戒厳令下の韓国で、人から人へと静かに、しかし広く伝えられ、その後の民主化運動の精神的な基盤となったと言う。
その意味で、光州の犠牲者たちは決して犬死ではなかったと思いたい。
民主化運動に抗し切れなくなった軍部が民主化を宣言し、軍政が終わりを告げるのは事件から7年後の事である。
ちなみに原題の「華麗なる休暇」とは、当時の軍の作戦名。
市民の弾圧作戦にこんな名をつけるとは、軍上層部にもかなりの皮肉屋がいたのだろうか。
今回は、韓国市民の爆発的なエネルギーの源(?)爆弾酒。
作り方は簡単。
まず大き目のグラスにビールを注ぎ、次にショットグラスに韓国焼酎をなみなみと入れる。
そして焼酎のグラスをそのまま落としてビールに沈める。
本来はこれを一気飲みして、飲み終わったらグラスを掲げてカラカラ鳴らしてみせるのが韓国流だが、飲みすぎるともの凄く悪酔いするキケンなお酒でもある。
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