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闇の子供たち・・・・・評価額1650円
2008年08月18日 (月) | 編集 |
熱帯のスラムの淀み湿った空気が、スクリーンを通して客席にも漂ってきそうだ。
幼児の臓器売買、買春というおぞましい現実を描いた梁石日の小説を、坂本順治監督が映画化した「闇の子供たち」は、私たちに人間の暗部を突きつける大変な力作である。
鋭いテーマを持った社会派映画でありながら、ドラマチックな展開はサスペンス映画としても一級品であり、2時間18分の間、観客の目はスクリーンに釘付けされる。

日本の新聞社のバンコク支社に勤務する南部(江口洋介)は、日本の子供の心臓移植がタイで行われるという情報を入手する。
裏社会の情報網を使って、臓器ブローカーと接触した南部は、提供者の子供は生きながら心臓を奪われて殺されるというショッキングな事実を知る。
取材を続ける南部は、社会福祉NGOを通じて情報を集めようとするが、そこで日本人ボランティアの恵子(宮崎あおい)と出会う。
あまりにも理想主義的な恵子に苛立つ南部だが、彼女たちが監視する幼児売春の組織は、実は臓器売買とも深いかかわりがあった。
南部は、フリーカメラマンの依田(妻夫木聡)と共に、臓器売買の証拠を押さえようとするのだが・・・


ジャーナリズムと小児性愛という要素から、セバスチャン・コルデロ監督の「タブロイド」を思い出した。
観終わった後の、心に重石をされたような感触も少し似ている。
「タブロイド」は、小児性愛者による連続殺人事件と、それを取材するジャーナリズムを通して、人間の二面性と原罪を描き出していた。
実は「闇の子供たち」においても、それは物語の重要なキーではあるのだが、どちらかというと隠しテーマ的な感じで巧みに物語の底に隠されており、最後に浮かび上がってくる複雑な物語構造となっている。

タイの裏社会を舞台とした物語だが、作り手の視点は、例えば「タイの恥部を暴く!」などというセンセーショナルなスタンスとは違う。
むしろここに描かれている現実が、スクリーンを鏡として観ている側の問題として跳ね返ってくるような作りになっており、グローバリズムの一つの現実として極めて冷静かつ公平な視点で描かれている。
もっとも、扱っているテーマがテーマだけに、観ていて居た堪れない気持ちになってくるのは確かだ。
わずかな金で人身売買組織に買われて来て、都会の売春宿で客をとらされる年端も行かない少年・少女たち。
エイズに罹り、使い道が無くなれば、ゴミ袋に詰められて生ゴミとして捨てられる。
最後の力を振り絞って、ボロボロになって故郷にたどり着いたとしても、そこで更に愛する者たちから見捨てられるのである。
そして、金持ちの外国人のために、生きながら臓器を抜き取られ殺される少女。
正に神も仏も無い
実際は、ここまで凄惨ではないのではないかと思ったが、個別の事例はフィクションではあるものの、全体としてはかなり実態を正確に描写している様である。

タイの名誉のために言っておけば、人身売買に対する法整備などに関しては、むしろ日本よりも進んでいる。
ただ、法の裏をかいてでも、この手の犯罪が行われているのは、結局のところ貧困と社会格差がそれだけ激しいという事だろう。
映画の中で印象的なのが、人身売買組織の男も、少年時代に小児性愛者に陵辱されて育ってきていて、この現実を当然と考える一方、買手の小児性愛者に対しても憎悪の感情を抱いている事で、事を単純な善悪の構造から描くのではなくて、もっと問題の内面に入り込もうという意欲を感じる。

もちろん、これがビジネスとして成立しているということは、そこに需要があるということでもある。
タイまで行って、少年少女たちを陵辱するのは、金持ちの欧米人であり、日本人だ
この映画に登場する彼らは、とてつもなく醜い。
坂本順治は一切の曖昧さを排し、この冷徹な現実を写し取ってゆく。
観客は、事態を取材する日本人ジャーナリスト、あるいはボランティアの女性の目を通してこの物語を観る。
しかしこの作品の真の凄さは、正義感やヒューマニズムすら、あっさりと突き放す冷徹さにある。
物語の結末は、正に驚愕としか言いようがなく、ある意味で観客が一番観たくなかった瞬間ではないだろうか。
原作を読んでないので、確証は無いのだが、映画と原作の結末は異なるのではないかと推測している。
おそらく文章では、これほどのインパクトを与えるのは難しく、実に映画的な処理という気がするのだが、間違いなく映画の物語の起点はこの結末であり、ここに至るまでの物語を、原作のプロットを分解して構成していったのではないだろうか。
坂本順治は演出だけでなく、脚本構成でも見事な仕事をしていると思う。

心の奥底に闇を抱えた、南部を演じる江口洋介が良い。
南部の持つ、ジャーナリストとしての冷静な正義感に感情移入する観客は多いだろう。
しかし、映画は観客が物語に見出したそんな小さな希望を、木っ端微塵に打ち砕く。
南部は、恐ろしい事実に蓋をして、知らないフリをしている我々日本人のメタファーとしてのキャラクターだ。
彼の中にわずかでも自分を見た観客は、これを他人事とは考えられなくなるだろう。
江口洋介にとっても代表作となった。

もっとも、映画の本当のラスト、落とし方は少し疑問がある。
私は、鏡に写った妻夫木聡の顔でカットアウトした方が、ズーンと余韻が残ったと思う。
オープニングとイメージを対比させたかったのだと思うが、ラストカットは意図が伝わりにくいし、正直なところ桑田佳祐の主題歌は作品のカラーにまるで合っていない。
もちろん彼自体は素晴らしいミュージシャンであるし、この主題歌もそれ自体は決して悪い曲ではないのだけど、残念ながらこの映画と彼の音楽のスタイルは水と油だ。
懐石料理の〆にフルーツパフェが出てきたような違和感があった。
おそらく、製作にアミューズが加わっているためのタイアップなのだろうが、せめて歌詞をテロップで入れるのはやめて欲しかった。
突然カラオケビデオが始まったのかと思ったよ。
確かに、桑田佳祐の歌は、歌詞を聞き取りにくいのだけど・・・

今回は難しい。
このむせかえる様な熱気の後には、やはりビールを飲んで少しさっぱりと喉を潤したい。
タイのビール「シンハー」をチョイス。
ビールはその土地で飲むのが一番美味しく感じる物だが、年々熱帯の気候に近くなっている真夏の東京。
案外とこのビールは合う。
しかし、タイ料理の様にピリリと辛いこの映画、決して酒を飲んで忘れていい内容ではない。

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