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2008年10月31日 (金) | 編集 |
勝新太郎の代表作、「座頭市」のリメイク。
近年には北野武による金髪・碧眼の市という異色作もあったが、今回は綾瀬はるか主演女座頭市だ。
「ベクシル 2077日本鎖国」曽利文彦がメガホンをとり、脚本はドラマ「大奥」を手がけた浅野妙子
国内外で何度もリメイクされている物語だけあって、素材の質は文句なし。
女座頭市という設定も、料理の仕方によってはかなり面白くなりそうなのだが、実際に出来上がった作品はどうもピンと来ない。

三味線片手の盲目の旅芸人、市(綾瀬はるか)。
幼い頃に、やはり盲目の男に居合の技を仕込まれ、父と信ずるその男を捜す旅をしている。
極力他人とのかかわりを避けて生きてきた市は、同じ盲目の女が野盗の男たちに襲われていても助けようとしない。
通りかかった一人の侍が止めに入るが、その男は刀を抜くことが出来ない。
野盗が侍を切ろうとした瞬間、市の仕込杖が電光石火に煌き、瞬く間に野盗を斬り倒す。
結果的に助けられた侍の名は、藤平十馬(大沢たかお)。
近くの宿場町に辿り着いた市と十馬は、ひょんな事から野盗の集団「万鬼党」と戦うことになる。
「万鬼党」の頭領・万鬼(中村獅童)は元侍で剛剣を振るうという。
市が斬り捨てた万鬼党の死体を見たやくざの虎次(窪塚洋介)に、達人と勘違いされた十馬は、用心棒として雇われることになるのだが・・・


女座頭市というモチーフは、今回が初めてではない。
棚下照生の劇画を松山容子主演で映画化した「めくらのお市」シリーズは69年から70年にかけて4作が作られているし、誰も覚えてないだろうけど91年には山口弘美主演の「座頭女子高生ナミ」なんていう珍品もあった。
力のぶつかり合いではなく、スピードと感覚で敵を切る座頭市は、実は女性剣客という設定が成り立ちやすい世界だと思う。
実際、綾瀬はるかの市は、その容姿が時代劇向きかどうかはともかくとして、画面として実に格好良く、予告編を観た時から結構楽しみにしていたのだ。

ところが、映画が進むにつれて、どうも違和感が強まってくる。
一体、この現実感の無さはなんだろう。
実写にもかかわらず、CGアニメの「ベクシル」よりもキャラクターに生身を感じないのはどういうことか。
これは曽利文彦監督のデビュー作、「ピンポン」でも感じたのだが、おそらく曽利監督にとって、キャラクターは世界を構成する記号に過ぎないのだろう。
設定は細かくされている。
ただそれは、市は薄幸の旅芸人だからこういう設定、万鬼は悪役だからこう、十馬はトラウマを抱えていた方が面白いからこう、とすべて設定のための設定に留まっており、そこからキャラクターを育てているようには見えない。
その結果、登場人物が皆プログラムどおりに動くゲームのキャラクターの様に表面的で、感情の無いロボットに見えてくる。

まあ、まだ市に関しては過去の座頭市というベンチマークがあるだけ、キャラクター造形はそれなりに説得力がある。
一番悲惨なのは大沢たかおが演じた藤平十馬で、彼は幼い頃に真剣を使った剣術の稽古中に、事故で母親を失明させてしまったというトラウマを抱えており、そのために剣を抜くことが出来ないという設定になっている。
まあトラウマの原因になった事故にしたところで、かなりご都合主義が漂っているのだが、彼が戦いの最中に必死に剣を抜こうとする、馬鹿げた芝居はあんまりだ。
大沢たかおは、こんな出来の悪いコントみたいな演技を要求されて怒らなかったのだろうか。
もっとも、これは演出の責任だけとは言えず、たぶん脚本家も描写を突き詰めて考えるタイプではないのかもしれない。
剣が抜けないなら、誰かが抜き身の剣を渡してやれば済むことで、そもそも木刀での試合なら無敵というなら、最初から木刀で戦えば良いではないか。
達人の振るう木刀は十分な殺傷力があり、実際に竹刀が発明されるまで、剣術の稽古中の死傷事故は珍しい物ではなかった。
シチュエーションを考えれば、何がリアルかはわかるはずだが、この映画の作り手は、あくまでもキャラクターに貼り付けた設定を忠実に描写する事を選んでしまい、結果表現されたのはうそ臭さだけである。
本来はキャラクターを掘り下げるための設定のはずなのに、設定のためのキャラクターになってしまっていて、物語の中で感情の流れが見えない。
だから本来なら大いに盛り上がるはずの十馬が初めて剣を抜く瞬間も、何がトラウマを克服させたのかさっぱりわからず、戸惑いしか浮かんでこない。

同じ事は他のキャラクターにも言え、悪役である万鬼も色々と設定はされているものの、彼が本質的にどういう人物なのかは最後まで伝わってこない。
幕府の剣術指南役に推されたほどの剣豪でありながら、顔に大きな傷があり、差別のために役職を追われたらしいのだが、その傷の原因は何か、なぜ彼は野盗にまで身を落とし、今何を思うのかという肝心の点は描かれていないため、キャラクターの内面は全く見えず、存在感は薄い。
万鬼と対立するやくざの虎次も、偉大な父親にコンプレックスを感じているという設定はされているのだが、なぜそういうコンプレックスを抱くようになったのか、彼自身はどう在りたいのかは描写されない。

現実感の無さはラストまで同様で、市は父と信ずる男から貰った小さな鈴を大切にしているのだが、それをラストで逗留先の子供に渡す。
鈴は彼女にとって帰るべき場所の象徴だったはずなのだが、なぜ彼女がこれを子供に渡したのか理解できない。
なぜなら、映画では市が逗留先の家族と心を通わせるような描写はほとんど無いので、彼女がそこを帰るべき場所と考える理由が見えないのだ。
だからこのラストはとって付けたような、妙に違和感のある物になってしまっている。

勿論、映画において設定は大切だ。
時代劇というある種の異世界を舞台にした作品ならなお更の事だが、本来設定は何のためにあるのかという事を忘れてしまうと、木を見て森を見ずという事に成りかねない。
「ICHI」の場合、残念ながら監督と脚本家が同じようなタイプで、ドラマの本質たる人間にあまり興味が無かった様に思える。
盲目の市の回想シーンにフラッシュバックの手法を使うなど、このキャラクターを深く考察して表現していたらあり得ない選択だろう。
え~と、この画は誰目線のフラッシュバックですか?と突っ込んだのは私だけではないはずだ。
まあ、なんだかんだと詰め込んで飽きさせない工夫はしているし、全くつまらない訳ではないのだが、端的に言って色々な意味で中途半端。
ビジュアル的な活劇に徹したとしても、クライマックスで肝心の主役がほとんど活躍の機会を与えられないという決定的な構成ミスは致命的だと思う。
どうせなら、斬って斬って斬りまくり、修羅の涙を流す市の姿が観たかったなあ。

今回はやはり日本酒。
凍てつく荒野に咲く花の様な市をイメージして、新潟は高野酒造の「越乃冬雪花」をチョイス。
やや辛口で純米酒らしく芳醇でまろやか。
透明感のある吟醸香も楽しめる。
勝新版の「座頭市」でも肴に楽しむのが良いかも。

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