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私は貝になりたい・・・・・評価額1550円
2008年11月30日 (日) | 編集 |
捕虜を殺した容疑で逮捕された元兵士が、戦犯として処刑されるまでの日々を描いた「私は貝になりたい」のリメイク。
伝説的な脚本家、橋本忍の代表作の一つであり、監督デビュー作として知られる作品だが、今回のリメイクでは御歳90歳の橋本自らが脚本をリライトし、テレビドラマで多くの秀作を手がけてきた福沢克雄が、劇場用映画初のメガホンを取っている。
戦後僅か13年の時点で作られたオリジナルに対して、半世紀の時を経てリメイクされる本作には、どの様な意味付けがなされているのか、極めて興味深い。

昭和19年。
高知の田舎で床屋を営んでいた清水豊松(中居正広)は、妻の房江(仲間由紀恵)と息子の健一(加藤翼)を残して出征する。
新兵として激しい訓練の日々を送っていたある日、豊松の部隊は撃墜されたB-29搭乗員の捜索に駆りだされる。
山中で瀕死の米兵が捉えられるが、司令部からの「米兵を適切に処置せよ」という命令を「処刑せよ」という意味だと受け取った指揮官によって、豊松は縛られた米兵を銃剣で刺殺するように命じられる。
やがて戦争が終わり、復員して家族と平穏に暮らしていた豊松の元へ、突然米軍のMPが訪れ、豊松は捕虜を殺した戦犯容疑者として逮捕されてしまうのだが・・・


元々オリジナルは、1958年に現在のTBSの前身であるラジオ東京テレビが放送したフランキー堺主演のテレビドラマで、翌1959年に同じくフランキー堺主演、橋本忍監督作品として映画版が作られている。
テレビドラマとしては、1994年にも所ジョージ主演でリメイクされており、今回の映画化は通算四度目の映像化となる。
なお同タイトルのドラマが昨年日本テレビ系でも作られているが、こちらは橋本忍と原作権を巡って長年裁判を繰り広げた加藤哲太郎の著作を直接の原作としており、内容的にも橋本版とは大幅に異なるため、別の作品と考えるべきだろう。

タイトルの「私は貝になりたい」とは、処刑される豊松が家族に残した遺書の中で、最期に語られる一文である。
絶対服従の命令に従っただけで、実際には捕虜を殺してすらいない豊松が、自らに降りかかった理不尽な運命に対して、もし生まれ変わってももう人間にはなりたくない、戦争の無い深海の貝になりたい、という悲痛な心情を吐露した言葉だ。
不朽の名作とされているオリジナルのドラマだが、実は脚本を読んだ黒澤明「橋本よ、これじゃあ貝にはなれんのじゃないか」と感想を述べたと伝えられており、黒澤組の同僚だった菊島隆三も同様の苦言を呈していたらしい。
一度完成させた脚本は、基本的に手をつけないという橋本忍が、今回半世紀ぶりに本格的なリライトに踏み切ったのは、どうやらこの黒澤の言葉が彼自身の中でも引っかかっていたからの様だ。

私がオリジナルのドラマを観たのは、25年ほど前に再放送された時の事だと思う。
あまりにも理不尽な運命に翻弄される豊松の姿に、深く心を打たれたものの、観終わった時に何かモヤモヤしたものが残ったのを覚えている。
中学生だった私には、それがなぜなのか良く判らなかったのだが、後に観直して理解出来た。
オリジナルでフランキー堺が演じた豊松は、最初からずっと希望を失っていない。
自分は処刑されるような事はしていないし、判決は何かの間違いだ、米軍もそのうちきっと判ってくれると思い続けているのである。
それゆえに、刑務所の房を移る事を命じられた時、自分は減刑されて助かるんだと思い込み、実際には処刑が執行される事を知った時に、深い絶望に突き落とされ、タイトルとなる遺書を残すのだが、この遺書の中で豊松は自らが捨て去りたい人間社会の思い出に、愛しているはずの妻子も含めているのである。
中学生の私は、豊松の遺書に同情しながらも、家族に対する裏切りを同時に感じ取って戸惑ったのだろうと思う。

黒澤明の言葉の真意は、今となっては判らないが、私も物語の流れから豊松の心情を考えれば「貝」にはならないだろうなと感じたのは事実だ。
もっとも、最愛の家族にすら背を向けるほどの絶望感に豊松が陥ったと言う解釈も出来るし、橋本忍がこの言葉を最期に持ってきた意図はそちらではないかという気もしている。
今回のリメイクでは、深海の貝になりたいというイメージを補足するために、豊松の暮らす街外れの岬から見える海の映像を、象徴的に使っている。
豊松の人生の節目節目に描写される岬は、帰るべき家と外界とを隔てる境界のイメージだろうし、ここから見た海の映像にインパクトがあるおかげで、ラストで人間社会への絶望が海底の貝へと転化する事は自然に感じられる。
しかし、個人的には豊松の遺書の持つ裏切りの印象は、かえって増幅されてしまっているように思える。
それはオリジナルに比べると、痛々しいくらいに献身的な妻、房江の比重が増している事と、刑務所での豊松が希望と絶望を半々に持ち合わせているキャラクターに描写されている事で、最期の絶望感への落差がオリジナルよりもむしろ和らいでいる事が原因だろう。
遺書の中の「房江や、健一のことを心配することもない」という部分には、やはりそりゃないよと思わざるを得なかった。
この遺書は、加藤哲太郎の「狂える戦犯死刑囚」からの引用なのは、裁判沙汰になった事でよく知られているが、元になった文章の妻子に言及した部分とは、若干ニュアンスが異なっている。

もっとも、ラストのモヤモヤは相変わらずながら、映画としての完成度は高く、執筆後半世紀を経た物語も、その意義を失っていない。
人間にとって世界がより小さく、そして複雑に絡み合った現在、「平和と人道に対する罪」を問う事の難しさはむしろ実感を増しているのではないだろうか。
戦争が単に物理的な破壊だけでなく、様々な形で人間を翻弄し、絶望を植えつける残酷なものだと言う事も、強いリアリティを持って描写されているし、物語上妻の比重が増えた事で、臭いものには蓋をして忘れ去ろうとする日本社会の歪みもしっかりと印象に残る。
福沢克雄の演出は風格もあり、テンポも良く、2時間20分の間スクリーンから目を離せないし、体重を9キロ落として豊松役に挑んだ中居正広、夫を救うために行動する房江を演じた仲間由紀恵は予想以上の好演と言える。
ただ、テレビ番組のつながりを露骨に感じさせるゲスト出演者の使い方や、演出と役者の芝居だけで十分エモーショナルなのに、喧しさを感じさせるくらいに鳴り響く久石譲の音楽は少々テレビ的な過剰さを感じさせて余計だった。

今回は、豊松が帰りたかった高知の代表的な酒「酔鯨 吟麗 純米吟醸」をチョイス。
高知の地酒らしく端麗で軽快。
フレッシュな吟醸香も心地よく、適度な酸味も食欲を高めてくれる。
美味い肴と一緒に、グイグイと飲んでしまいそうな酒だ。
太平洋を悠々と泳ぐ鯨の姿は、あの岬からも見えたに違いない。

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