酒を呑んで映画を観る時間が一番幸せ・・・と思うので、酒と映画をテーマに日記を書いていきます。 映画の評価額は幾らまでなら納得して出せるかで、レイトショー価格1200円から+-が基準で、1800円が満点です。
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2008 unforgettable movies
2008年12月30日 (火) | 編集 |
2008年も、もうすぐ歴史の一部となる。
9月に起こった金融危機は、まるでパンドラの箱が開いたかのように全世界に波及し、どうやら暗い世相のまま新年を迎えなければならない様だ。
映画界も、近年稀な豊作の年ではあったのだが、世間の空気と歩調をあわせるように、後半失速気味だった様に思う。
ハリポタが来年に延期になったとは言え、正月映画の小粒な事もそれを物語っている。
しかし、そんな中でも、アメリカに「変革」を旗印にした新しいリーダーが誕生した様に、小さな希望は見えている。
来年は、そんな人々の思いが大きく育つ、そんな年になって欲しい。
それでは、今年の「忘れられない映画」を公開順に。

「アメリカン・ギャングスター」は、リドリー・スコット久々の傑作。
現在に繋がる灰色の時代の幕開けを、スタイリッシュな映像と重厚なドラマでじっくりと見せきった。
デンゼル・ワシントン、ラッセル・クロウの二人のオスカー俳優による火花散る演技合戦も見物で、名手スティーブン・ザイリアンの作劇ロジックを駆使した脚本も巧みだった。

「ノーカントリー」は、コーエン兄弟が原点回帰したようなクライム・ムービーの怪作。
レーガン時代が始まる1980年を、現在への繋がる根の時代と捉えている点で、「アメリカン・ギャングスター」に通じる物があるが、こちらはハビエル・バルデム演じる最凶の殺し屋のキャラクター見られるように、時代を寓話的にカリカチュアしてあるのが印象的だった。

「クローバーフィールド HAKAISYA」は、怪獣映画にこんな切り口があったのか!という目から鱗の超異色作。
なるほど、確実に一発屋ではあるだろうが、映画という物はどんな物をどんな風に撮りたいかというアイディアで十分勝負出来るのだという、当たり前の事実を今更ながら見せ付けられた。
企画のインパクトという点では、内容以上に高く評価したい作品だ。

「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」は、石油に取り付かれた男の一代記。
石油はまさに現代社会を支える血であり、荒涼とした風景に噴出す石油は、ダニエル・ディ=ルイス演じる石油王ダニエル・プレインヴューの欲望を吸い込み、神々しいまでのエネルギーを感じさせる。
ポール・トーマス・アンダーソンはそこに神学的な考察も加えて、唯心論と唯物論の対立が織り成すアメリカの原風景を見出した様だ。

「ミスト」は、スティーブン・キング×フランク・ダラボンという名コンビの新たな挑戦。
感動系だった前2作とは異なり、これは心理ホラーとモンスターホラーがダブルで襲い掛かる強烈に怖い作品。
原作者すら想定しなかった驚愕のオチは、まさに予測不可能。
もしエンディング・オブ・ザ・イヤーという賞があったら、受賞確実だろうが、単なる驚きだけでなく、そこに深いテーマ性が見て取れるのが見事だ。
映画としての完成度も極めて高く、文句なしの傑作となった。

「アフター・スクール」は、ものの見事に騙された。
内田けんじは、この作品で他の誰にも似ていない独自の映画世界を確立したように思える。
物語の展開によって得られるカタルシスを、この人はよく知っている。
俳優の生かし方も上手く、特に堺雅人の怪演が印象に残る。

「シークレット・サンシャイン」は、政界入りしていた異才イ・チャンドン五年ぶりの復帰作。
「秘密の陽だまり」という名を持つ小さな町を舞台に、あらゆる悲惨な運命に見舞われた一人の女性の内面世界を描く。
宗教によって救われる主人公が、宗教によって壊れてゆく様、そして信仰という物の本質的な意味を見出してゆく様は、チョン・ドヨンの好演もあり、圧倒的な説得力がある。
人間存在への深い興味と理解というイ・チャンドンの持ち味は、ブランクを経ても全く錆付いていない。

「クライマーズ・ハイ」は、隔てられた二つの時が、ドラマによって結び付けられるという日本映画には珍しい時代感を持った作品。
新聞記者である主人公が、23年前に起こった日航機墜落事故という比喩的な「山」に挑む姿と、現在の年老いた主人公が、現実の山に登る姿を交互に描き、そこに父性を巡る濃密な人間ドラマを描き出している。
真夏の記者室の熱気がそのまま伝わってきそうな空気感が感じられ、個性的な記者たちのキャラクター造形も面白いが、ここでも堺雅人が強烈な印象を残す。

「イースタン・プロミス」は、円熟味を増すクローネンバーグが、再びヴィゴ・モーテンセンと組んだ超ハードなクライムムービー。
人身売買を扱った痛々しい内容だが、幽かに見える人間性が僅かな希望を感じさせる。
日本映画の「闇の子供たち」も似たテーマを描いた力作だったが、映画としての完成度ではこちらが一枚上だった。

「崖の上のポニョ」は、巨匠宮崎駿が起こした創作エネルギーの津波。
「芸術は爆発だ!」と言ったのは岡本太郎だったが、これはまさにアニメーションの大爆発だ。
物語的には正直ぶっ壊れているのだが、生きている事とはどういう事かという率直なテーマを、無機物に命を与えるアニメーション作家ならではのやり方で描き出した。
押井守の「スカイクロラ」は、「ポニョ」と同じテーマを異なるアプローチで描いた作品と感じた。

「ダークナイト」は、その圧倒的なパワーで2008年の夏を席巻した。
年間トータルで観ても、まさに真打、横綱、キング・オブ・ザ・ムービーズ2008であろう。
アメコミヒーローの枠を遥かに超えて、クリストファー・ノーランは、世界を比喩した恐るべき映画を生み出した。
複雑怪奇ながら、綿密な計算に裏打ちされた脚本は、恐らくノーランにしか書けまい。
これが遺作となったヒース・レジャーの鬼気迫るジョーカー像は、映画史のアイコンとなるだろう。

「おくりびと」は、良い意味で日本映画の伝統を感じられる良作。
納棺師というあまり馴染みの無い職業を丁寧に描き、人生の最後の旅立ちにまつわる人間ドラマを優しい視点で紡いだ、小山薫堂の脚本、滝田洋二郎の丁寧な演出も良い。
しっとりと心に染み渡る、出来の良い日本酒のような作品だった。

「ブタがいた教室」は、半分ドラマ、半分ドキュメンタリーのような構造を持つ異色作だ。
ブタを教室で育てて、卒業の時に食べる、という実際の授業を再現した究極の食育映画ともいえるだろう。
食べるのか食べないのか、シナリオ無しの真剣な討論シーンが圧巻で、観ている方もじっくりと考えさせられる。
普通の劇映画のセオリーからは外れるが、これはこれで映画の大切な役割に目を向けた真摯な作品で、学校で子供たちに見せるべき一本だ。

「WALL-E ウォーリー」は、夏のアメリカ公開から、ずいぶんと待たされたが、結果的に今ひとつ盛り上がりを欠く冬休み映画のラインナップにあって、一番華のある作品となった。
物語構成にぶれがあるのが残念だが、巨大なゴミ捨て場となった未来の地球を舞台に、ほぼ台詞無しでロボットの感情を描ききった前半の描写力は圧倒的。
大人から子供まで、老若男女誰でも楽しめる、お手本のようなファミリー映画だ。

他にも、ティム・バートンのミュージカル「スウィーニー・トッド」や、中島哲也の「パコと魔法の絵本」など、エキセントリックなビジュアルを持つファンタジーも面白かった。
老練さすら感じさせる新人監督、ジェームス・C・ストラウスの「さよなら。いつかわかること」や、是枝裕和の「歩いても 歩いても」など、大切な家族の死を巡る、静かな人間ドラマも印象に残った。
ハリウッド映画は、70~80年代初頭を、現在の時代性に通じる源流として位置づけ、考察して描いた作品が多かった様に思う。
アメリカでは、政治や社会の節目が30年おきに巡ってくるといわれる。
レーガンの保守革命を前回の節目と考えると、2009年は正しく新たな節目の年。
その意味で、現在脂の乗り切っている映画作家たちが、自分たちの原点としての時代を振り返った作品が多かったのかもしれない。
そう考えると、「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」「ランボー/最後の戦場」の様な同窓会的復活作も、現在から眺めた過去という視点で見ると面白い。
日本映画では、人間の生きる意味や人間同士のつながりを描いた暖かい作品が多かった。
全体に日本映画は、個と個の関係を注視していると感じるが、歴史を流れとして捉えて大局的な視点を持つ作品は少なかった様に思う。
今年は良い映画に沢山出会えたが、ヨーロッパ映画をあまり観る機会が無かったのが少し心残りだ。

それでは皆さん、良いお年を。

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ワールド・オブ・ライズ・・・・・評価額1550円
2008年12月27日 (土) | 編集 |
激動の中東を舞台に、リドリー・スコット監督が、レオナルド・デ・カプリオラッセル・クロウの二大スター共演で描くスパイサスペンス大作。
「007」などのアクション系とは違って、こちらはあくまでも頭脳戦が中心なので、ホリディシーズンのお気楽娯楽大作と思って観に行くと、困惑するかもしれない。
スパイ同士の騙し合いが見所の、ある種のコン・ゲーム映画だ。

中東で活動するCIAエージェント、ロジャー・フェリス(レオナルド・デ・カプリオ)は、ヨーロッパで発生した連続爆破事件の黒幕が、大物テロリスト、アル・サリーム(アロン・アブトゥブール)である事を掴む。
現場のフェリスを管轄するのは、遠く離れたアメリカ本国で、平和な日常を送りながら電話で指示を出すエド・ホフマン(ラッセル・クロウ)。
ホフマンの指示でヨルダンに飛んだフェリスは、ヨルダン情報機関トップのハニ・サラーム(マーク・ストロング)の協力を得て、サリームの居場所を探ろうとするのだが・・・


スパイ物と言っても、アクション映画とは明らかにジャンルが違うし、かといって中東の今を描く社会派映画でもない。
フィーチャーされているのは、同じ目的を持ち、同じ組織に属しながら、仕事内容があまりにも対照的な二人の男。
まあどの組織にも、現場と本部の軋轢というのはあるらしく、一言で言えばスパイ版の「踊る大捜査線」か(笑
現場で死の危険にさらされながら、必死で情報を追うフェリス
そんな彼を遥か上空の無人偵察機で眺めながら、殆どゲーム感覚でアメリカ本国から指示をだすホフマン
中東を舞台にした緊迫した諜報戦を通して、やがて彼らは協力しつつも互いに騙し合うようになる、というのが本作の骨子。

物語的にも、捻りがある。
立場は違えど、世界を動かしていると自負するCIAの二人に対して、中盤以降もう一つの個性が割ってはいる。
CIAにとっては、彼らの描く戯曲の登場人物の一人に過ぎない、ヨルダンの情報機関トップ、ハニ・サラームだ。
膨大な人員と資金、ハイテク機器を駆使して情報戦を行い、地球のフィクサー気取りのCIAに対して、サラームが生きているのは昔ながらの「諜報」の世界だ。
完全ネタバレになるので詳しくは書けないが、物語の後半はこのハニの登場で大きく物語が動く。
そして、それまで観ていた物語が、実は物事のある面に過ぎないという事を浮かび上がらせてくるのである。
ハニが繰り返しフェリスに言う「私に嘘はつくな」という言葉の意味が、最後の最後で生きてくるのだが、このあたりは観てのお楽しみ。

フェリスを演じたレオナルド・デ・カプリオは、この手の必死に生きる青年が良く似合う。
出世作のタイタニックもそうだったが、昨年の「ブラッド・ダイヤモンド」や「ディパーテッド」も痛々しいくらいに懸命に、自らの使命を全うしようとする姿が印象的だった。
本作もそれは変わらないのだが、そろそろもう一つ演技の引き出しが欲しいところ。
対するラッセル・クロウは、今ひとつ影が薄い。
これは彼のせいではなくて、物語がCIA内部の対比から、彼らを取り巻く世界へとどんどん広がりを持ってしまうためで、クロウは基本的にデ・カプリオに電話で指示を出す役なので、単独で物語を引っ張って行けるキャラクターではないのだ。
もっとも、与えられた役柄に対するアプローチという点では、20キロも体重を増やし、嫌みったらしいメタボ上司を巧みに演じており、オスカー俳優の面目躍如。
ただ、この作品のテーマを真に体現するのは、三人目の主役とも言うべき、ハニ・サラームを演じたマーク・ストロングだろう。
冷静沈着で昔気質ながら、戦慄すべき残酷さも併せ持つ。
まあ物語的にも、最終的に一番美味しいところを持ってゆくのはこのキャラクターだ。

邦題は「ワールド・オブ・ライズ」つまり、「嘘の世界」だが、原題は「Body of Lies」となっている。
この「Body」には「体」の他にも「機関」や「実質」など様々な意味があるという事を知っておくと、本作の描こうとした事もわかりやすいだろう。
リドリー・スコットは、複雑に入り組んだ騙し合いを通して、バーチャルなパワーで世界を支配していると信じ込んでいたアメリカに対する、イギリス人らしいシニカルな寓話を作り上げている。
眩暈を覚えるほどスピーディーに場面が展開し、二時間を越える上映時間の間、緊張感がずっと持続する。
運命的に絡み合う、対照的な二人の男の物語、という点では傑作「アメリカン・ギャングスター」を思わせるところもあり、この手のサスペンスを撮らせたら、スコットはさすがに上手い。
ただ、凝りに凝った作劇が裏目に出て、テーマへのアプローチは全体に浅く、わかり難くなってしまっている。
中東という生々しい舞台も、結局のところ舞台装置以上には描かれておらず、良くも悪くもシニカルなコン・ゲームという以上の印象は薄いのが残念なところだ。

渋いサスペンス映画には、渋いシングルモルトウィスキーが似合う。
今回は英国から「スプリングバンク 100プルーフ」の10年物をチョイス。
パワフルなボディでアルコール度数は57度もあり、冬の寒さも一気に吹き飛ぶ。
水割りやロックもいいが、この季節はホットで飲むのも良いだろう。

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地球が静止する日・・・・・評価額1300円
2008年12月20日 (土) | 編集 |
異色のファースト・コンタクトSF。
オリジナルは、1951年に、巨匠ロバート・ワイズ監督が発表した古典SF「地球の静止する日」で、57年ぶりのリメイクとなる。
新作のほうは「地球が静止する日」なので、格助詞一字違い。
激しさを増す冷戦が、朝鮮半島で本物の戦争となった翌年に公開された旧作は、宇宙人が核戦争へ突き進む人類へ警告をするためにやって来るという、当時の世相を繁栄した社会派SFとも言うべき内容だった。
宇宙人イコール侵略者というステロタイプしか存在しなかった時代に、平和的なメッセンジャーとしての宇宙人が登場する作品で、後の「未知との遭遇」や「E.T」などの友好的なファースト・コンタクトを描いたSF映画のパイオニアでもある。
しかし冷戦が二十世紀と共に去った現在、「エミリー・ローズ」で注目を浴びたスコット・デリクソン監督は、極めて現代的な新たなテーマをリメイク版に盛り込んでいる。

宇宙生物学者のヘレン・ベンソン(ジェニファー・コネリー)は、突然家を訪れた政府関係者に同行を求められる。
実は宇宙から正体不明の飛行物体が地球に接近しつつあり、政府は緊急事態として関連のある科学者を急遽集めていたのだ。
物体は地球に衝突する直前になって速度を落とし、NYのセントラルパークに着陸する。
その巨大な光る球体から、異星人が現れるのだが、恐怖に駆られた軍の発砲によって大怪我を負わせてしまう。
秘密施設に運ばれた異星人の宇宙服の下からは、人間の男性そっくりの生物が現れる。
クラトゥと名乗ったその男(キアヌ・リーブス)は、地球へ来た目的を問われると「地球を救いに来た」と答えるのだが・・・・


基本的なストーリーラインは旧作とそれほど変わらない。
簡単に言えば、放漫な人類に絶滅か生存かのラストチョイスを迫りに来たメッセンジャーを、おバカな軍がいきなり攻撃してしまい、おまけにメッセンジャーが警告を発する機会を奪ってしまう。
この喧嘩腰の対応に、メッセンジャーはもはや人類を滅ぼすしかないと考えるのだが、一部の善意の人々の存在が人類への僅かな可能性を彼に感じさせるという物だ。
旧作の人気キャラである無敵の巨大ロボット、ゴートも当然出てくる。

旧作でクラトゥが地球に来た理由は、戦争を止めない人類への警告
核を手にした人類が、核戦争でも起こそうものなら、その被害は宇宙にも及ぶ(らしい)、よって予防的に滅ぼされるか、悔い改めて争いを止めるかの選択を突きつける。
対して21世紀に作られたリメイク版の掲げるテーマは、ズバリ環境問題だ。
宇宙的に観ても極めて希少な、地球の複雑で多様な生態系は、人類という病巣によって滅ぼされようとしている。
クラトゥは「地球の死は人類の死と同義だが、人類が滅びれば地球は生き残れる」という究極の選択を迫りにきたのだが、例によっていきなり攻撃されてしまうことで、問答無用で人類絶滅の決断に傾いてしまう。
人類を救うために何とかクラトゥの考えを変えようとするのが、ただ一人彼と心を通じようとする地球人であるヘレンという訳だ。

突如として現れる未知なる存在とのファースト・コンタクトから、クラトゥが超能力を使って秘密施設から逃亡するまでの前半は、物語的にはほぼ旧作と同じ
ここまでは演出もスリリングかつテンポ良く、ビジュアル的にも旧作を良い意味で踏襲しつつ最新の技術でアップグレードし、非常に良く出来ていている。
しかし、クラトゥが一般社会に出て、彼が地球に来た理由が明かされるあたりから、少しずつ映画が崩れ始めるのだ。
前記したように、今回は提示されるテーマが旧作と異なる故に、物語の出発点は同じでも徐々に異なった流れに成って行かざるをえない。
残念ながらデビット・スカルパの脚本は、この後半の出来が悪い。

自らが問いかけたテーマに対する、物語上での回答、つまりクラトゥが人類絶滅計画の中止を決断する理由に、全く説得力が無いのだ。
何しろ逃亡後に彼がコンタクトした人間は、ヘレンとその義理の息子、ヘレンの師匠格であるノーベル賞科学者の3人だけ。
一応、リメイク版では、地球人に感化された同郷のスパイと出会うエピソードが加えられているが、物語の展開する世界が実質クラトゥと一組の親子の間だけというのはあまりにも小さい。
テレビの視聴率を算出するのにすら、600世帯のサンプルがあるというのに、人類全体を滅ぼすかどうか決めるのに、調査対象がたった3人って統計学的にもどうなのさ?(笑

クラトゥが滅ぼさない選択をしたのは、どうやらヘレンたちの互いを思いやる心に打たれたという事の様なのだが、それを感じさせるほどのドラマがあった様にも思えない。
少なくとも私が宇宙人だったら、あの程度の浪花節よりも、最後の最後まで対話をしようとせず、性懲りも無く無駄な攻撃を繰り返す米軍のバカさ加減を見て、迷わず絶滅を決断するだろう。
劇中に大統領の姿は登場しないが、間違いなくオバマではなくブッシュであろう。
旧作でのクラトゥは、あくまでも警告を届ける事にプライオリティを置いていて、人類の英知を代表する世界の科学者たちがクラトゥの話を聞きに来るシーンをクライマックスに持ってきていた。
対してリメイク版のクラトゥは、一応先に警告しようとしているものの、どうやら最初から滅ぼす気満々なのに、最終的に思い直して救済という結論に達するまでの過程が決定的に弱く、結果クライマックスらしいクライマックスも存在しない。
とりあえず、ヘレン親子は救われたけど、恐らく人類は全く変わらないまま、つまりは何の解決も提示されないまま、映画は唐突に幕を閉じてしまう。

「地球が静止する日」は、前半だけならリメイクの御手本のような素晴らしい出来栄えなのだが、全体を通して観ると、新たに盛り込んだテーマに対しての答えを上手く導きだしている様には思えない。
果たして人類は自らの意思で変われるのか?というテーマは、今まさに人類が直面しているタイムリーかつ意義のある内容だと思うのだが、残念ながら映画は、答えを妙に矮小化してしまっている様に思う。
スコット・デリクソンは、オカルト映画に裁判劇としての新しい視点を持ち込んで成功した「エミリー・ローズ」に続いて、本作では現在人類が直面している問題の深刻さをSFで比喩的に描く事を狙ったのだと思うが、明らかに練り込み不足。
まあ娯楽SFとしてのスペクタクルな映像は良く出来ているから、それを観てるだけでも飽きはしないと思う。

さて本作の主演キアヌ・リーブスは、知る人ぞ知るラーメンフリーク
アメリカの日系ラーメン屋は言うに及ばず、来日するたびにラーメンを食べ歩き、時には仕事も無いのにラーメンを食べるためだけにお忍びで日本に立ち寄る事もあると聞く。
今回もたぶんプロモーションの合間に食べに行っているのだろうけど、確かに今は麺類が美味しい季節。
冬のラーメンにあうのはやはり冬のビール、という事で「サッポロ冬物語」をチョイス。
個人的には数年前に麦芽100%になってからの味の方が好みで、麺料理とのマッチングもベター。
やや物足りない映画の後は、熱々のラーメンにビールというのが冬の大きな楽しみだ。

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252 生存者あり・・・・・評価額1200円
2008年12月12日 (金) | 編集 |
予告編を観た時、「え、『海猿』の後日談?」と思ってしまった。
何しろレスキュー隊の話で主演は伊藤英明だし、原作も同じ小森陽一で、製作も日テレなので、デジャヴを感じてしまうのも無理は無い。
もっとも実際の映画を観てみると、レスキュー隊員の青春にスポットを当てていた「海猿」とは異なり、こちらは未曾有の大災害に見舞われた東京で、生き残ろうとする人々と救い出そうとする人々の想いが交錯する群像劇。
どちらかと言うと、70年代に一世を風靡した、アーウィン・アレン製作によるパニック・スペクタクル映画の現代版という印象だ。

小笠原沖で起こった地震が原因で、太平洋のメタンハイドレートが融解を始め、上昇した海面温度によって超大型台風が発生し、その影響で発生した大潮が東京沿岸部を襲う。
洪水による地面の陥没で、新橋駅地下に閉じ込められた元ハイパーレスキュー隊員の篠原祐司(伊藤英明)は、聴覚障害を抱える娘のしおり(大森絢音)、研修医の重村(山田孝之)、大阪から出張中の藤井(木村祐一)、韓国人女性のキム・スミン(MINJI)らを束ね、何とか安全な場所を探そうと、出口の無い地下をさ迷う。
一方地上では、祐司の兄の静馬(内田聖陽)が率いるハイパーレスキュー隊が、必死の捜索活動を行っていたが、超大型台風の上陸で、新橋の地盤はいつ完全に崩落してもおかしくない状態となっていた。
そんな時、音響探査機が地下から聞こえてくる「2・5・2(生存者あり)」というシグナルをキャッチする・・・


最初から最後まで、どこかで観た様なシーンの連続だ。
大洪水によって壊滅的な打撃を受けた東京で、地下に閉じ込められて救助を待つ人々と、悪天候の中なんとか救出活動を続けようとするレスキュー隊のドラマが交互に描かれる。
救う側と救われる側のドラマが二元的に絡み合ってゆくのは「タワーリング・インフェルノ」だし、レスキュー隊の兄弟の話は「バックドラフト」、トラウマを抱えたリーダーが、生き残るために様々なバックグラウンドを持つ人々を束ねてゆくのは「ポセイドンアドベンチャー」を連想させる。
大都市が大潮によって水没するというのは、つい最近日本でもテレビ放送された「デイ・アフター 首都水没」というB級イギリス映画そのまんま。
他にも大なり小なり、様々な映画の引用だらけで、正直なところオマージュと言うほどには昇華し切れておらず、オリジナリティは限りなくゼロに近い。

東京を襲う大災厄が、今ひとつリアルに感じられないのも残念だ。
地震を起点として、様々な要因が折り重なって予測不能な超大型台風が発生するというのが、そもそもかなりご都合主義を感じさせるのだが、仮にそうなったとしてあんな巨大な大潮が発生する事などありえるのだろうか。
映像で見る限り、高さ100メートルはあったし、そうだとすると新橋どころかもっと内陸まで滅茶苦茶になっているのではないか。
フジテレビの「丸」が海にプカプカ浮いている様な状態で、新橋のホテルは大して汚れた形跡も無く、そのまま残っているという中途半端な被害状態も今ひとつ説得力が無い。
インド洋巨大地震で起こった現実の津波の映像を見てしまった後では、テレビ番組の災害予想シミュレーション映像程度のリアリティしか感じられなかった。
そういえば劇中では日テレのニュースは普通に流れていたけど、日テレのある汐留シオサイトも洪水に呑み込まれていた描写があったと思うのだが、あのニュースはどこから放送していたのだろう(笑

しかしまあ、東京大洪水というビジュアルそのものは結構良く出来ていて、新橋地下街壊滅のスペクタクルもなかなか迫力がある。
伊藤英明たち生き残りが、様々な危険を乗り越えてゆくドラマも、シチュエーションは過去の作品の焼き直しで、キャラクターも見事に型どおりとは言え、成功作のセオリーを踏襲している分、安心して観ていられる。
登場人物一人一人のバックグラウンドはそれなりにきちんと考えられており、我が身に降りかかった大災厄を通して、少しだけ人生を前進させるのも、お約束ながら、まあこれしかないよねという展開だ。
物語的には、大きな期待をしなければ、退屈する事もないだろう。

ただ、日テレのドラマ出身の水田伸生の演出は見せ場でややしつこさを感じさせ、特にクライマックスの救出シーンからラストまでの流れは、これでもかこれでもかという演出が逆に映画的なテンポを失わせて冗長な印象にしてしまっている。
十把一絡げにはしたくないが、どうもテレビ出身の演出家は、観客の事を信じていないというか、自分の演出力を信じていないというか、既に十分伝わっている事を、駄目押しの強引な演出で強調し過ぎて、逆にシラケさせてしまっている人が多い気がする。
色々な情報にさらされながら、家庭のリビングで観るテレビドラマと違って、映画館の暗闇では観客は最初からスクリーンに集中しているという事が判らないのだろうか。
テレビドラマと演出の方法論が同じで良いはずが無いのだ。

「252 生存者あり」は、まるで20世紀からタイムスリップしてきた様な古色蒼然としたパニック映画で、正直なところ一級品とは言い難い。
ただ、まあスペクタクルな映像は良く出来ているし、ベタベタではあるものの、群像劇としてはそこそこ纏まりも良い。
前提となる設定にあまり説得力が無いのが残念だが、もしも東京が大洪水に見舞われたら、という一種のシミュレーションと考えるとまあまあ楽しめるだろう。

今回は、東京壊滅のディザスタームービーという事で、東京の名を持つ黒ビール「東京ブラック」をチョイス。
コクのある本格的な黒ビールながら、クリーミーさはある程度抑えられ、スッキリとしてとても飲みやすい。
個人的には、日本の夏には辛口のあっさりビールも良いと思うが、冬に美味しいのはやはりこういう濃厚な味。
作っているのは「よなよなエール」や「軽井沢高原ビール」などで知られる、少量生産のスペシャリスト、長野県のヤッホー・ブルーイング
映画は正直安手の企画物の味なので、こだわりの詰まった黒ビールで物足りなさを補完しよう。

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1408号室・・・・・1350円
2008年12月07日 (日) | 編集 |
スティーブン・キング原作で、ホテルを舞台としたゴーストストーリーと言えば「シャイニング」が思い浮かぶが、今回恐怖への扉が開くのは、雪深い田舎の大ホテルではなく、ニューヨークの一等地にあるホテルの一室。
宿泊客が次々と変死し、何時しか開かずの間となった「1408号室」がそのままタイトルとなっている。

娘を病で失い、心に喪失感を抱えたオカルト作家のマイク・エンズリン(ジョン・キューザック)の元へ、差出人不明のハガキが届く。
それはニューヨークにあるドルフィンホテルのポストカードで、ただ一言「1408号室に入るな」とだけ書かれていた。
恐怖スポットのルポを得意とするエンズリンは、1408号室に泊まるためにホテルを訪ねるのだが、支配人(サミュエル・L・ジャクソン)はこの部屋で過去56人もの宿泊客が変死したと告げ、宿泊を思いとどまるよう説得する。
しかし自らは幽霊を信じないエンズリンは、説得を意に介さず1408号室に足を踏み入れるのだが・・・


原作は1999年にオーディオブック様に発表された短編で、2002年に短編集「幸福の25セント硬貨」に所収された。
残念ながら未読だが、映画を観る限りいろいろな意味で実にキングらしい一編である。
1408号室で起こる恐怖に関しては、余計な説明は一切無く、そもそもマイクにハガキを出したのが誰なのかも判らないし、一度部屋に足を踏み入れてからは視覚的なギミックの限りを尽くした恐怖の仕掛けがこれでもかというくらい続き、飽きさせない。
劇中で、「本物の幽霊に会いたければどこへ行けば良い?」と聞かれたマイクが「オーランドの(ディズニーワールドの)ホーンテッド・マンション」と応えるシーンがあるが、本作の悪霊が繰り出すあの手この手の恐怖の釣瓶打ちは、まさにテーマパークのライドの様で、最近ハリウッドでも影響の濃いJホラーの観念的な恐怖とは対照的。
怖がらせるために、悪霊の費やす労力を考えると、同情したくなるくらいだ(笑
まるでセルフパロディの様な、幽霊を信じないオカルト作家、マイク・エンズリンのキャラクターも含めて、キング自身が「キング的なる物」を悪意をもって具現化したようなイメージがある。

マイクが幽霊ルポ生業にしながら、その存在を信じないと言い放つのは、幼い娘を病で亡くした事から深い自責の念を抱き、そのトラウマから神も仏も信じられなくなってしまったと言う訳だ。
傷心は彼を一流の小説家からB級心霊ルポライターに転落させ、妻のいるニューヨークにも足を踏み入れられないでいる。
そんなマイクがニューヨークのドルフィンホテル1408号室にやって来るのは、ある意味内面の分裂を抱えた彼自身の葛藤のためでもある。
ジョン・キューザックがこの役を好演。
ポスターではキューザックとサミュエル・L・ジャクソンのダブル主演の様に見えるが、実際にはほとんどのシーンがキューザックの一人芝居で、見えない悪意を相手に上手く間を持たせている。
ジャクソンはキング作品によくある、「恐怖への案内人」と言った役回りで、これはこれではまり役である。

キングは自作の短編の映画化権を、ハリウッド映画だけでなく、学生や自主映画作家にも認めるために、76年の「キャリー」以来何らかの形で映像化された作品は、実に100本を越える。
「ミスト」のフランク・ダラボン監督が24歳の時に撮った最初の自主映画は、キングから映画化権を1ドルで買った「The Woman in the Room」という短編作品だったという。
おそらく映画史においても、最も多くの小説が映像化されてきた作家の一人だと思うが、作品の出来栄えにおいては、「シャイニング」や「スタンド・バイ・ミー」や「ミスト」と言った映画史上に残るクラスの傑作がある一方、箸にも棒にも引っかからないZ級作品も数多く、特にキング自身が「好き」と公言している作品は、どちらかというと映画的には駄作が多かったりする。
今回の「1408号室」は、まあ・・・中間という感じだろうか。
スウェーデン出身のミカエル・ハフストローム監督は、PCやデジタル目覚まし時計といった現代的なアイテムから、不気味な絵画や半透明の幽霊といった古典的な物まで、地味派手とりまぜたギミックで、たった一つの部屋で起こる一人芝居の幽霊譚という、本来映画向きとは言えない作品を盛り上げようと奮闘している。
実際結構怖いし、面白い。
ただ、残念ながら後半は息切れを感じさせ、火責め水責めと恐怖のギミックが派手になればなるほど、恐怖感は逆に薄れてしまった。
仕掛けは良く出来ているし、キャラクターも面白いのだけど、ちょっと引っ張り過ぎたか。
キング原作のホラー映画としては、それなりに楽しめるが、傑作とまでは言えないという平均点の作品となった。

実はこの作品には別バージョンのエンディングがあったらしく、YouTubeなどで観る事ができる。
ボツになったバージョンは、ある意味よりキングらしいので興味のある人はチェックしてみると良いだろう。
まあどちらが好きかは好みの問題だと思うが、個人的には「シャイニング」を思わせるボツバージョンが好きだ。

さて、キングと言えばボストン・レッドソックスの熱狂的ファンという事は有名だ。
今回はそのボストンを代表する「サミュエル・アダムス・ボストンラガー」をチョイス。
銘柄は18世紀に活躍したボストン出身の政治家、サミュエル・アダムスから名を取られている。
バドやミラーなどのメジャービールとは一線を画す作りで、マイルかつコクがあり、モルトの強い風味を楽しめる。
アメリカで最も有名な地ビールである。

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