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2009年03月04日 (水) | 編集 |
国名そのものをタイトルにした映画というのは、極めて珍しいのではないかと思う。
オーストラリア出身のバズ・ラーマン監督が、同じくオーストラリア出身のニコール・キッドマンとヒュー・ジャックマンを主演に迎え、その他のメインキャストやスタッフもほぼオーストラリア出身者で固めた究極の郷土LOVE映画、その名も「オーストラリア」!!
総製作費1億3千万ドル、上映時間2時間45分に及ぶ超大作だが、本国オーストラリアでは健闘したものの、最大マーケットのアメリカでは残念ながら大コケし、批評的にもいまひとつだったため、オスカー戦線では早々に忘れ去られてしまった。
だが、少々とっ散らかった印象はあるものの、バズ・ラーマンらしい外連味たっぷりのスペクタクルな映像も楽しく、出来はそんなに悪く無い。
1939年。
第二次世界大戦前夜のオーストラリア。
イギリスの貴族、アシュレイ卿の婦人であるサラ・アシュレイ(二コール・キッドマン)は夫を探すために北西部の町ダーウィンに降り立つ。
案内人であるカウボーイのドローヴァー(ヒュー・ジャックマン)と共に、内陸部にある領地ファラウェイダウンズを目指すサラ。
ところが到着した時には、夫は既に何者かに殺されていた。
ファラウェイダウンズは北西部を支配する食肉王カーニー(ブライアン・ブラウン)に狙われており、唯一の希望は所有する1500頭の牛を期限までにダーウィンまで運び、軍に納入して資金を獲得する事。
サラはドローヴァーやアボリジニの少年ナラ(ブランドン・ウォルターズ)ら6人の仲間と共に、牛を追いながら遥かダーウィンを目指す旅に出る。
彼らの動向を察知したカーニーは、腹心のフレッチャー(デヴィッド・ウェンハム)を使って卑劣な妨害工作に出るのだが・・・
どこまでも広がる荒野、荒くれカウボーイに大地を埋め尽くす牛の群れ、ミステリアスな先住民族、そして迫りくる戦争の嵐。
バズ・ラーマンは、この壮大かつてんこ盛りのモチーフを背景に、オーストラリアという存在を象徴するような、スペクタクルなラブ・ロマンスを構築しようとした様だ。
要するに、これはラーマン版の「風と共に去りぬ」である。
一人の女性の燃える様な恋を通して、アメリカ南部そのものを描いてみせたあの映画を換骨奪胎し、裕福な貴族夫人の二コール・キッドマンがスカーレット・オハラで、一箇所に留まれない無骨な風来坊、ヒュー・ジャックマンがレット・バトラー、背景となる南北戦争が太平洋戦争に、クライマックスのアトランタ炎上が日本軍によるダーウィン空襲になったと思えばいい。
面白いのは、「風と共に去りぬ」と同じ年に作られた「オズの魔法使い」が、劇中で繰り返し引用されている事で、これまたある種のファンタジー・ロードムービーでもある本作のベースと見ることが出来る。
ちょうど本作の舞台となる1939年に、ヴィクター・フレミング監督が世に送り出した、この歴史的な2本の作品(「風と共に去りぬ」には複数の監督がいたのは周知の事実だが)を、ラーマン流にアレンジして再構成した物が、「オーストラリア」なのかも知れない。
ただ、3時間を切る上映時間にあれもこれもと詰め込んでいるためか、物語はやや大味な印象を受ける。
本作はナラというストーリーテラーがいるものの、実際には終始英国からオーストラリアにやってきたサラ目線で描かれ、いわばサラによる「オーストラリア体験記」だ。
前半は困難に直面しながらもダーウィンに牛を届け、カーニーの鼻を明かす西部劇風ロードムービーで、後半は恋に落ちたサラとドローヴァーが、すれ違いながらもお互いの人生に正直に向き合うまでを描くラブロマンスという、事実上の二部構成となっており、ここに戦争スペクタクルと、オーストラリア政府による先住民族アボリジニ迫害の歴史が絡む。
アボリジニのスピリチュアルな世界観を、ファンタジー的な味わいに使っているのは面白いが、それがストレートにサラの物語と絡む訳でもなく、オーストラリア史の暗部とも言うべき社会的なテーマを深く描いている訳でもない。
要するに全てはサラのロマンスと人間的な成長の糧という位置付けで、この辺りも「風と共に去りぬ」なのだが、肝心のサラの心の成長がいま一つ感じられないのが残念だ。
ドローヴァーとの恋の顛末はともかく、結局のところオーストラリア流、というかアボリジニ流の生き方を受け入れただけで終わってしまい、物語を通した主人公の変化、あるいは成長の跡は乏しいと言わざるを得ない。
映画のビジュアル的なクライマックスは、1942年2月19日の日本軍によるダーウィン空襲だが、映画で描写されたのはもしかして初めてではないだろうか。
オーストラリアは1942年から43年にかけて、日本軍による本土攻撃を繰り返し受けたが、ハリウッド映画でも日本映画でもめったに描かれる事が無い、というか一方の当事者である日本ですらほとんど忘れられている戦争である。
オーストラリアという国は一大陸一国家という極めて稀な地政学的な条件もあって、建国以来外敵の攻撃はおろか周辺に明確な仮想敵国すら存在しなかったために、日本軍による本土攻撃は強烈なインパクトがあった様で、私もオーストラリアに行った時にオージーにこの件に関して日本での歴史見解を聞かれ、不勉強のためにろくに答えられなかった記憶がある。
もっとも、映画ではこのあたりの顛末もスペクタクルな戦闘描写以上に深く描かれる事は無く、考証的にもかなりいい加減。
何しろ日本軍が本土間近の島に上陸して、地上戦まで行ってしまうのだ。
戦争描写も、基本的にはこの映画に盛り込まれた様々なモチーフと同じく、サラとドローヴァーに降りかかる試練の一つ、要するに「オズの魔法使い」の竜巻の様な物に過ぎないのである。
「オーストラリア」は、アボリジニ関連の描写も含めて、決して深く正確に史実を描写した映画ではなく、イギリス生まれの一人の女性が、彼女の中のオーストラリアを発見する、寓話的なファンタジーだ。
歴史物と考えればいろいろと突っ込み所も多いが、バズ・ラーマンの作家映画と考えればこれはこれでアリだろうし、私は結構面白く観る事が出来た。
ただ作者の資質を考えると、むしろもっとぶっ飛ばして、オーストラリアの持つイメージをひたすらカリカチュアした世界観にしてしまった方が、魅力的な映画になった様な気がする。
サイケデリックという言葉を思い浮かべるほど、虚構の世界を徹底的に構築した「ムーラン・ルージュ」が、本物よりも魅力的でロマンチックな「パリ」を見事に描き出していたように。
あるいは、アボリジニのナラのストーリーテラーとしての役割をもっと明確にして、完全に彼の語る「物語」として全体を構成しても良かった。
現状はナラ目線とサラ目線が入り混じり、ナラの位置づけがちょっと中途半端だ。
全体を流れる隠れテーマである、ラーマンにとっての物語論としてはその方がスッキリしたのではないだろうか。
さて、オーストラリアといえば、現在ではワイン大国だったりするのだが、元々この国でもっともポピュラーな酒といえばラムだったという。
18世紀末の流刑移民時代初期には、ラムが通貨の代わりとしても流通したと言われ、1806年には英国から着任したウィリアム・ブライ総督が、ラムの取引を規制しようとした事から、軍の反乱まで起こっているのだから、どれほど重要な物だったのかがわかる。
映画の中でも、ラムが印象的な小道具として用いられれているのは、こうした歴史的な背景があるのだ。
今回は現在のオーストラリアを代表するラム、「バンダバーグ(Bundaberg Rum)」 をチョイス。
長い歳月のうちに、ラムの消費が低迷していたオーストラリアで、ラム復活のきっかけになったのがこのバンダバーグ。
残念ながら日本では公式には未発売だが、白熊バンディのラベルで知られるバンダバーグは、オーストラリア以外でも手に入る国は多いので、見かけたらお試しあれ。
クセはなく、とても口当たりは柔らかいのだが、ほのかな甘みと旨みが口に広がる。
お勧めはオージーが大好きなコーラ割り。
オーストラリアに行くと、割られた状態でボトリングされているのだが、もちろん自分で割っても良い。
http://www.bundabergrum.com.au
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オーストラリア出身のバズ・ラーマン監督が、同じくオーストラリア出身のニコール・キッドマンとヒュー・ジャックマンを主演に迎え、その他のメインキャストやスタッフもほぼオーストラリア出身者で固めた究極の郷土LOVE映画、その名も「オーストラリア」!!
総製作費1億3千万ドル、上映時間2時間45分に及ぶ超大作だが、本国オーストラリアでは健闘したものの、最大マーケットのアメリカでは残念ながら大コケし、批評的にもいまひとつだったため、オスカー戦線では早々に忘れ去られてしまった。
だが、少々とっ散らかった印象はあるものの、バズ・ラーマンらしい外連味たっぷりのスペクタクルな映像も楽しく、出来はそんなに悪く無い。
1939年。
第二次世界大戦前夜のオーストラリア。
イギリスの貴族、アシュレイ卿の婦人であるサラ・アシュレイ(二コール・キッドマン)は夫を探すために北西部の町ダーウィンに降り立つ。
案内人であるカウボーイのドローヴァー(ヒュー・ジャックマン)と共に、内陸部にある領地ファラウェイダウンズを目指すサラ。
ところが到着した時には、夫は既に何者かに殺されていた。
ファラウェイダウンズは北西部を支配する食肉王カーニー(ブライアン・ブラウン)に狙われており、唯一の希望は所有する1500頭の牛を期限までにダーウィンまで運び、軍に納入して資金を獲得する事。
サラはドローヴァーやアボリジニの少年ナラ(ブランドン・ウォルターズ)ら6人の仲間と共に、牛を追いながら遥かダーウィンを目指す旅に出る。
彼らの動向を察知したカーニーは、腹心のフレッチャー(デヴィッド・ウェンハム)を使って卑劣な妨害工作に出るのだが・・・
どこまでも広がる荒野、荒くれカウボーイに大地を埋め尽くす牛の群れ、ミステリアスな先住民族、そして迫りくる戦争の嵐。
バズ・ラーマンは、この壮大かつてんこ盛りのモチーフを背景に、オーストラリアという存在を象徴するような、スペクタクルなラブ・ロマンスを構築しようとした様だ。
要するに、これはラーマン版の「風と共に去りぬ」である。
一人の女性の燃える様な恋を通して、アメリカ南部そのものを描いてみせたあの映画を換骨奪胎し、裕福な貴族夫人の二コール・キッドマンがスカーレット・オハラで、一箇所に留まれない無骨な風来坊、ヒュー・ジャックマンがレット・バトラー、背景となる南北戦争が太平洋戦争に、クライマックスのアトランタ炎上が日本軍によるダーウィン空襲になったと思えばいい。
面白いのは、「風と共に去りぬ」と同じ年に作られた「オズの魔法使い」が、劇中で繰り返し引用されている事で、これまたある種のファンタジー・ロードムービーでもある本作のベースと見ることが出来る。
ちょうど本作の舞台となる1939年に、ヴィクター・フレミング監督が世に送り出した、この歴史的な2本の作品(「風と共に去りぬ」には複数の監督がいたのは周知の事実だが)を、ラーマン流にアレンジして再構成した物が、「オーストラリア」なのかも知れない。
ただ、3時間を切る上映時間にあれもこれもと詰め込んでいるためか、物語はやや大味な印象を受ける。
本作はナラというストーリーテラーがいるものの、実際には終始英国からオーストラリアにやってきたサラ目線で描かれ、いわばサラによる「オーストラリア体験記」だ。
前半は困難に直面しながらもダーウィンに牛を届け、カーニーの鼻を明かす西部劇風ロードムービーで、後半は恋に落ちたサラとドローヴァーが、すれ違いながらもお互いの人生に正直に向き合うまでを描くラブロマンスという、事実上の二部構成となっており、ここに戦争スペクタクルと、オーストラリア政府による先住民族アボリジニ迫害の歴史が絡む。
アボリジニのスピリチュアルな世界観を、ファンタジー的な味わいに使っているのは面白いが、それがストレートにサラの物語と絡む訳でもなく、オーストラリア史の暗部とも言うべき社会的なテーマを深く描いている訳でもない。
要するに全てはサラのロマンスと人間的な成長の糧という位置付けで、この辺りも「風と共に去りぬ」なのだが、肝心のサラの心の成長がいま一つ感じられないのが残念だ。
ドローヴァーとの恋の顛末はともかく、結局のところオーストラリア流、というかアボリジニ流の生き方を受け入れただけで終わってしまい、物語を通した主人公の変化、あるいは成長の跡は乏しいと言わざるを得ない。
映画のビジュアル的なクライマックスは、1942年2月19日の日本軍によるダーウィン空襲だが、映画で描写されたのはもしかして初めてではないだろうか。
オーストラリアは1942年から43年にかけて、日本軍による本土攻撃を繰り返し受けたが、ハリウッド映画でも日本映画でもめったに描かれる事が無い、というか一方の当事者である日本ですらほとんど忘れられている戦争である。
オーストラリアという国は一大陸一国家という極めて稀な地政学的な条件もあって、建国以来外敵の攻撃はおろか周辺に明確な仮想敵国すら存在しなかったために、日本軍による本土攻撃は強烈なインパクトがあった様で、私もオーストラリアに行った時にオージーにこの件に関して日本での歴史見解を聞かれ、不勉強のためにろくに答えられなかった記憶がある。
もっとも、映画ではこのあたりの顛末もスペクタクルな戦闘描写以上に深く描かれる事は無く、考証的にもかなりいい加減。
何しろ日本軍が本土間近の島に上陸して、地上戦まで行ってしまうのだ。
戦争描写も、基本的にはこの映画に盛り込まれた様々なモチーフと同じく、サラとドローヴァーに降りかかる試練の一つ、要するに「オズの魔法使い」の竜巻の様な物に過ぎないのである。
「オーストラリア」は、アボリジニ関連の描写も含めて、決して深く正確に史実を描写した映画ではなく、イギリス生まれの一人の女性が、彼女の中のオーストラリアを発見する、寓話的なファンタジーだ。
歴史物と考えればいろいろと突っ込み所も多いが、バズ・ラーマンの作家映画と考えればこれはこれでアリだろうし、私は結構面白く観る事が出来た。
ただ作者の資質を考えると、むしろもっとぶっ飛ばして、オーストラリアの持つイメージをひたすらカリカチュアした世界観にしてしまった方が、魅力的な映画になった様な気がする。
サイケデリックという言葉を思い浮かべるほど、虚構の世界を徹底的に構築した「ムーラン・ルージュ」が、本物よりも魅力的でロマンチックな「パリ」を見事に描き出していたように。
あるいは、アボリジニのナラのストーリーテラーとしての役割をもっと明確にして、完全に彼の語る「物語」として全体を構成しても良かった。
現状はナラ目線とサラ目線が入り混じり、ナラの位置づけがちょっと中途半端だ。
全体を流れる隠れテーマである、ラーマンにとっての物語論としてはその方がスッキリしたのではないだろうか。
さて、オーストラリアといえば、現在ではワイン大国だったりするのだが、元々この国でもっともポピュラーな酒といえばラムだったという。
18世紀末の流刑移民時代初期には、ラムが通貨の代わりとしても流通したと言われ、1806年には英国から着任したウィリアム・ブライ総督が、ラムの取引を規制しようとした事から、軍の反乱まで起こっているのだから、どれほど重要な物だったのかがわかる。
映画の中でも、ラムが印象的な小道具として用いられれているのは、こうした歴史的な背景があるのだ。
今回は現在のオーストラリアを代表するラム、「バンダバーグ(Bundaberg Rum)」 をチョイス。
長い歳月のうちに、ラムの消費が低迷していたオーストラリアで、ラム復活のきっかけになったのがこのバンダバーグ。
残念ながら日本では公式には未発売だが、白熊バンディのラベルで知られるバンダバーグは、オーストラリア以外でも手に入る国は多いので、見かけたらお試しあれ。
クセはなく、とても口当たりは柔らかいのだが、ほのかな甘みと旨みが口に広がる。
お勧めはオージーが大好きなコーラ割り。
オーストラリアに行くと、割られた状態でボトリングされているのだが、もちろん自分で割っても良い。
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