2009年04月15日 (水) | 編集 |
「三国志」の前半部分でも特に人気の高い「赤壁の戦い」を描いた、ジョン・ウー監督のスペクタクル時代劇の完結編。
「レッドクリフ Part II ―未来への最終決戦―」は、もはや「演義」でも「正史」でもない。
ジョン・ウーという映画作家によって、独自の視点とテーマを与えられて新たに生み出された、オリジナルの「三国志」だ。
ドラマ、アクション、VFXとあらゆる面で「Part I」よりスケールアップしており、正にザ・クライマックス。
一瞬たりとも目が離せない。
長江を挟んで対峙する孫権軍と曹操軍。
戦力差は圧倒的だが、長引く遠征は確実に曹操軍の兵士の体力を奪い、疫病が蔓延し始めていた。
ところが曹操(チャン・フォンイー)は、疫病で死んだ兵士の遺体を対岸に流し、孫権軍にも病気を発生させる事に成功。
劣勢に疫病が追い討ちをかけ、ついに劉備(ヨウ・ヨン)が同盟を離脱し、夏口へと撤退してしまう。
単独で80万の曹操軍と戦う事になった孫権軍だが、総司令官の周瑜(トニー・レオン)は劉備撤退で足りなくなった矢の調達を、一人残った諸葛孔明(金城武)に命じる。
必要な矢の数は三日間で10万本。
誰もが不可能と思った無理難題だったが、気象を読み間もなく長江を濃霧が覆うと予測した孔明は、確実に矢を獲得する秘策を編み出す。
一方の周瑜も、孔明の矢の調達と同時に、戦況を決定的に有利にする謀を実行に移すのだが・・・。
前作が、さあこれからクライマックスという所で終わったので、「Part II」ではドラマ部分はそこそこに、赤壁の決戦でひたすら引っ張るのかと思いきや、意外と戦いに至るまでのドラマ部分が濃い。
しかもその脚色が、複線の張り方や映画独自のキャラクターの動かし方を含めてかなり良く出来ていて、十分に見応えがあるのだ。
もちろん、最後の戦いに至るまでには有名な諸葛孔明による十万本の矢の調達や、長江での水上戦を熟知した曹操軍の蔡瑁らの謀殺などの、「演義」のお約束の場面はきっちりと描かれているのだが、物語の中で持つ意味合いは映画オリジナルの解釈がなされ、それがドラマを大きく膨らませている。
これは主人公たる周瑜のキャラクターが、どちらかと言うと「正史」に近いためだが、「演義」では同盟しつつも反目するライバルだった諸葛孔明との関係が、映画では仁義で結ばれた友情である事がはっきりする。
老将軍黄蓋が自ら鞭打たれる所謂「苦肉の計」が周瑜の一言で却下されて、形を変えているのも、良い人キャラとなった彼なら当然か。
そしてジョン・ウーは、本来男たちのドラマの印象が強い「三国志」の世界に、自らの意思で考え、行動する女性たちを送り込み、彼女たちのドラマにかなりの比重を持たせている。
間者として曹操軍に潜入し、そこで敵兵との間に友情を育んでしまう孫権の妹、尚香のエピソードや、争いを止めるために単身曹操の元へ乗り込み、結果的に戦いの帰趨を決定付ける小喬のエピソードは、意外なほどに元の物語と上手く絡み合い、ウーがこの映画に持たせたテーマ性を際立たせているのだ。
原作ファンには異論もあろうが、私はこの脚色はかなり成功しているのではないかと思う。
男たちの荒々しい覇権争いに、女性の視点が入った事で、守るべきプライドと果て無き欲望、そして平和へ切実な願いが葛藤する物語となり、現代性とある程度の深みを獲得しているのである。
また連作として観ると、二本繋がることで意味のある複線が綿密に張られているのがわかる。
例えば「PartⅠ」の、孫権が戦を決意する虎狩りのシーンで放つ一矢の意味や、周瑜 と小喬が「平安」の書を書くシーンなどの細かな描写。
あるいは単にジョン・ウーの趣味かと思っていた白い鳩などが、「PartⅡ」の重要な複線になっているなど、かなりしっかりと良く練られた脚本である。
また曹操の愛人である麗姫の、小喬に対する複雑な想いを、一瞬ではあるがキチンと描写する1カットが入っていたりと、演出面も意外と細やかで抜かりが無い。
もちろん、アクション派ウーならではのスペクタクルシーンは迫力満点。
孔明による十万本の矢の調達は、蔡瑁謀殺のエピソードと上手く組み合わされ、前半の見せ場になっているし、長江の風向きが変わり、いざ決戦が始まるともはや怒涛の戦闘スペクタクルに息つく暇も無い。
赤壁と言えば、やはり火攻めであるのだけど、夜間の水上戦闘のシーン、そして夜が明けた後の陸上戦のシーンも、とにかく炎の迫力が古代の戦場をド派手に演出する。
東洋の合戦物では、ウーが敬愛すると語る黒澤明以来のインパクトといっても過言ではなく、黒澤映画の合戦と言えば土砂降りの雨だったが、こちらでは雨の代わりに炎が降り注ぐという訳だ。
もっとも、ただ爆発して燃えるだけでは単調になってしまうから、戦いながらも登場人物それぞれのドラマがいくつもの流れとなって展開し、ビジュアル的にも工夫が凝らされている。
「PartⅠ」でも圧巻だった、盾を戦場の壁として使う、他に例を見ない特異な戦闘シーンは今回も魅せるが、さすがに前回の様な孫権軍楽勝とは行かず、双方の膨大な犠牲は戦う事の痛みをビジュアル面からしっかりと描写する。
また戦場で敵味方として再会した尚香と曹操軍の友との悲しいエピソードは、良い意味で感傷を刺激し、物語の持つテーマ性を思い起こさせるのである。
一方で、曹操のキャラクターが深く描かれた事で、敵役としてかなり魅力的になり、小喬を巡る曹操と周瑜の葛藤も、戦いの背景にあるドラマを盛り上げる。
まあ代わりに劉備軍の三将が今ひとつキャラの深みに欠けるのだが、彼らは個人技のアクション担当として、長大な戦闘シーンのメリハリになっているので、これはこれで良しとすべきか。
そして、文字通り役者の揃うクライマックスでは、ウーのガンアクション映画ではお馴染みの、三すくみの描写まで剣で再現してくれているのだから、正にお腹一杯の戦闘シーンのフルコースである。
戦い終わった周瑜 が戦場を眺めて発する、テーマを率直に表した一言など、「七人の侍」の志村喬の台詞を思わせ、黒澤へのオマージュすら感じさせるのは、これだけの作品をやり切ったという余裕なのかもしれない。
「レッドクリフ Part II ―未来への最終決戦―」は、映画史に残るであろう壮絶な合戦シークエンスだけではなく、物語としてもなかなかの仕上がりだ。
これを観ると、「Part I」はやはりプロローグであって、ドラマが大きく動き、キャラクターたちも明確に個性を発揮するこちらの方が圧倒的に面白い。
まあ拘りのある原作ファンには、受け入れがたい脚色でもあるだろう。
だが、もしも「演義」に描かれた「赤壁」を限りなく忠実に映像化したとしたら、ぶっちゃけ映画としては酷くつまらない物になったと思う。
なぜなら「演義」の物語構造、キャラクターの配置は、お世辞にも映画向きとは言えないからだ。
ジョン・ウーの選んだ方向性がベストとは言わないが、誰が作ったとしてもこの上映時間に収めるには大幅な脚色が不可避であり、私としてはこれはこれで一人の映画作家が21世紀と言う時代の中で作った、新しい「三国志」として大いに楽しんだ。
ハリウッド映画に全く遜色ない良く出来たVFXに、スケールの大きな美術、迫力満点の殺陣に加え、耳に残る岩代太郎の楽曲も、ちょっとNHK大河ドラマ調な気もするが、長江の流れの如き悠久の歴史を感じさせる優美な仕上がりだ。
前後編合わせて上映時間4時間50分、見所には事欠かない。
ちなみにテレビCMでは前半観て無くても大丈夫とか言ってるが、やはりこれは2本で一つの映画。
前作の観賞が、楽しむための大前提である。
それにしても、十年前だったら日本資本やハリウッドを巻き込んだ、これほどの規模の中国語映画というのはちょっと考えられなかった。
本作のジョン・ウーはもちろんの事、今世紀に入ったあたりからの中国系映画人の国際進出は目覚しいものがある。
映画というソフトパワーの世界でも、中国はハリウッドに比類しうるスーパーパワーとして台頭してゆくのかもしれない。
今回は「PartⅠ」でも付け合せた静岡県三和酒造の「臥龍梅」の、今度は最高峰の「純米大吟醸」をチョイス。
臥龍とは、司馬徽が諸葛孔明を眠れる龍に例えて評した言葉。
大吟醸らしいふくらみのある優しい味で、香りは実にフルーティー。
三和酒造の酒は近年非常に人気が高まっているのだが、知名度がまだそれほどでもないので、出来を考えればコストパフォーマンスも高い。
少量生産なのですぐ売切れてしまい、なかなか買えないのが残念なところだが、名前の通りに何時か天下を取ってもおかしくない酒である。
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「レッドクリフ Part II ―未来への最終決戦―」は、もはや「演義」でも「正史」でもない。
ジョン・ウーという映画作家によって、独自の視点とテーマを与えられて新たに生み出された、オリジナルの「三国志」だ。
ドラマ、アクション、VFXとあらゆる面で「Part I」よりスケールアップしており、正にザ・クライマックス。
一瞬たりとも目が離せない。
長江を挟んで対峙する孫権軍と曹操軍。
戦力差は圧倒的だが、長引く遠征は確実に曹操軍の兵士の体力を奪い、疫病が蔓延し始めていた。
ところが曹操(チャン・フォンイー)は、疫病で死んだ兵士の遺体を対岸に流し、孫権軍にも病気を発生させる事に成功。
劣勢に疫病が追い討ちをかけ、ついに劉備(ヨウ・ヨン)が同盟を離脱し、夏口へと撤退してしまう。
単独で80万の曹操軍と戦う事になった孫権軍だが、総司令官の周瑜(トニー・レオン)は劉備撤退で足りなくなった矢の調達を、一人残った諸葛孔明(金城武)に命じる。
必要な矢の数は三日間で10万本。
誰もが不可能と思った無理難題だったが、気象を読み間もなく長江を濃霧が覆うと予測した孔明は、確実に矢を獲得する秘策を編み出す。
一方の周瑜も、孔明の矢の調達と同時に、戦況を決定的に有利にする謀を実行に移すのだが・・・。
前作が、さあこれからクライマックスという所で終わったので、「Part II」ではドラマ部分はそこそこに、赤壁の決戦でひたすら引っ張るのかと思いきや、意外と戦いに至るまでのドラマ部分が濃い。
しかもその脚色が、複線の張り方や映画独自のキャラクターの動かし方を含めてかなり良く出来ていて、十分に見応えがあるのだ。
もちろん、最後の戦いに至るまでには有名な諸葛孔明による十万本の矢の調達や、長江での水上戦を熟知した曹操軍の蔡瑁らの謀殺などの、「演義」のお約束の場面はきっちりと描かれているのだが、物語の中で持つ意味合いは映画オリジナルの解釈がなされ、それがドラマを大きく膨らませている。
これは主人公たる周瑜のキャラクターが、どちらかと言うと「正史」に近いためだが、「演義」では同盟しつつも反目するライバルだった諸葛孔明との関係が、映画では仁義で結ばれた友情である事がはっきりする。
老将軍黄蓋が自ら鞭打たれる所謂「苦肉の計」が周瑜の一言で却下されて、形を変えているのも、良い人キャラとなった彼なら当然か。
そしてジョン・ウーは、本来男たちのドラマの印象が強い「三国志」の世界に、自らの意思で考え、行動する女性たちを送り込み、彼女たちのドラマにかなりの比重を持たせている。
間者として曹操軍に潜入し、そこで敵兵との間に友情を育んでしまう孫権の妹、尚香のエピソードや、争いを止めるために単身曹操の元へ乗り込み、結果的に戦いの帰趨を決定付ける小喬のエピソードは、意外なほどに元の物語と上手く絡み合い、ウーがこの映画に持たせたテーマ性を際立たせているのだ。
原作ファンには異論もあろうが、私はこの脚色はかなり成功しているのではないかと思う。
男たちの荒々しい覇権争いに、女性の視点が入った事で、守るべきプライドと果て無き欲望、そして平和へ切実な願いが葛藤する物語となり、現代性とある程度の深みを獲得しているのである。
また連作として観ると、二本繋がることで意味のある複線が綿密に張られているのがわかる。
例えば「PartⅠ」の、孫権が戦を決意する虎狩りのシーンで放つ一矢の意味や、周瑜 と小喬が「平安」の書を書くシーンなどの細かな描写。
あるいは単にジョン・ウーの趣味かと思っていた白い鳩などが、「PartⅡ」の重要な複線になっているなど、かなりしっかりと良く練られた脚本である。
また曹操の愛人である麗姫の、小喬に対する複雑な想いを、一瞬ではあるがキチンと描写する1カットが入っていたりと、演出面も意外と細やかで抜かりが無い。
もちろん、アクション派ウーならではのスペクタクルシーンは迫力満点。
孔明による十万本の矢の調達は、蔡瑁謀殺のエピソードと上手く組み合わされ、前半の見せ場になっているし、長江の風向きが変わり、いざ決戦が始まるともはや怒涛の戦闘スペクタクルに息つく暇も無い。
赤壁と言えば、やはり火攻めであるのだけど、夜間の水上戦闘のシーン、そして夜が明けた後の陸上戦のシーンも、とにかく炎の迫力が古代の戦場をド派手に演出する。
東洋の合戦物では、ウーが敬愛すると語る黒澤明以来のインパクトといっても過言ではなく、黒澤映画の合戦と言えば土砂降りの雨だったが、こちらでは雨の代わりに炎が降り注ぐという訳だ。
もっとも、ただ爆発して燃えるだけでは単調になってしまうから、戦いながらも登場人物それぞれのドラマがいくつもの流れとなって展開し、ビジュアル的にも工夫が凝らされている。
「PartⅠ」でも圧巻だった、盾を戦場の壁として使う、他に例を見ない特異な戦闘シーンは今回も魅せるが、さすがに前回の様な孫権軍楽勝とは行かず、双方の膨大な犠牲は戦う事の痛みをビジュアル面からしっかりと描写する。
また戦場で敵味方として再会した尚香と曹操軍の友との悲しいエピソードは、良い意味で感傷を刺激し、物語の持つテーマ性を思い起こさせるのである。
一方で、曹操のキャラクターが深く描かれた事で、敵役としてかなり魅力的になり、小喬を巡る曹操と周瑜の葛藤も、戦いの背景にあるドラマを盛り上げる。
まあ代わりに劉備軍の三将が今ひとつキャラの深みに欠けるのだが、彼らは個人技のアクション担当として、長大な戦闘シーンのメリハリになっているので、これはこれで良しとすべきか。
そして、文字通り役者の揃うクライマックスでは、ウーのガンアクション映画ではお馴染みの、三すくみの描写まで剣で再現してくれているのだから、正にお腹一杯の戦闘シーンのフルコースである。
戦い終わった周瑜 が戦場を眺めて発する、テーマを率直に表した一言など、「七人の侍」の志村喬の台詞を思わせ、黒澤へのオマージュすら感じさせるのは、これだけの作品をやり切ったという余裕なのかもしれない。
「レッドクリフ Part II ―未来への最終決戦―」は、映画史に残るであろう壮絶な合戦シークエンスだけではなく、物語としてもなかなかの仕上がりだ。
これを観ると、「Part I」はやはりプロローグであって、ドラマが大きく動き、キャラクターたちも明確に個性を発揮するこちらの方が圧倒的に面白い。
まあ拘りのある原作ファンには、受け入れがたい脚色でもあるだろう。
だが、もしも「演義」に描かれた「赤壁」を限りなく忠実に映像化したとしたら、ぶっちゃけ映画としては酷くつまらない物になったと思う。
なぜなら「演義」の物語構造、キャラクターの配置は、お世辞にも映画向きとは言えないからだ。
ジョン・ウーの選んだ方向性がベストとは言わないが、誰が作ったとしてもこの上映時間に収めるには大幅な脚色が不可避であり、私としてはこれはこれで一人の映画作家が21世紀と言う時代の中で作った、新しい「三国志」として大いに楽しんだ。
ハリウッド映画に全く遜色ない良く出来たVFXに、スケールの大きな美術、迫力満点の殺陣に加え、耳に残る岩代太郎の楽曲も、ちょっとNHK大河ドラマ調な気もするが、長江の流れの如き悠久の歴史を感じさせる優美な仕上がりだ。
前後編合わせて上映時間4時間50分、見所には事欠かない。
ちなみにテレビCMでは前半観て無くても大丈夫とか言ってるが、やはりこれは2本で一つの映画。
前作の観賞が、楽しむための大前提である。
それにしても、十年前だったら日本資本やハリウッドを巻き込んだ、これほどの規模の中国語映画というのはちょっと考えられなかった。
本作のジョン・ウーはもちろんの事、今世紀に入ったあたりからの中国系映画人の国際進出は目覚しいものがある。
映画というソフトパワーの世界でも、中国はハリウッドに比類しうるスーパーパワーとして台頭してゆくのかもしれない。
今回は「PartⅠ」でも付け合せた静岡県三和酒造の「臥龍梅」の、今度は最高峰の「純米大吟醸」をチョイス。
臥龍とは、司馬徽が諸葛孔明を眠れる龍に例えて評した言葉。
大吟醸らしいふくらみのある優しい味で、香りは実にフルーティー。
三和酒造の酒は近年非常に人気が高まっているのだが、知名度がまだそれほどでもないので、出来を考えればコストパフォーマンスも高い。
少量生産なのですぐ売切れてしまい、なかなか買えないのが残念なところだが、名前の通りに何時か天下を取ってもおかしくない酒である。

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