酒を呑んで映画を観る時間が一番幸せ・・・と思うので、酒と映画をテーマに日記を書いていきます。 映画の評価額は幾らまでなら納得して出せるかで、レイトショー価格1200円から+-が基準で、1800円が満点です。
■ お知らせ
※基本的にネタバレありです。ご注意ください。
※当ブログはリンクフリーです。内容の無断転載はお断りいたします。
※ブログ環境の相性によっては、TB・コメントのお返事が出来ない事があります。ご了承ください
エロ・グロ・出会い系のTB及びコメントは、削除の上直ちにブログ管理会社に通報させていただきます。 また記事と無関係な物や当方が不適切と判断したTB・コメントも削除いたします。
■TITLE INDEX
タイトルインディックスを作りました。こちらからご利用ください。
■ ツイッターアカウント
noraneko285でつぶやいてます。ブログで書いてない映画の話なども。
■ FILMARKSアカウント
noraneko285ツイッターでつぶやいた全作品をアーカイブしています。
スター・トレック・・・・・評価額1650円
2009年05月31日 (日) | 編集 |
このところ、老舗シリーズの「ビギニング」が目立つハリウッド映画。
遂に、1966年以来43年もの歴史を誇る「スター・トレック」も、この流れの俎上に載せられた。
手がけるのは、ヒットメーカーとして台頭著しいJ・J・エイブラムス
意外にも、オリジナルにはそれほど思い入れが無いというエイブラムスだが、今回の場合はそれが良かったのかもしれない。
旧作を徹底的に研究し尽くした上で、壊すべきところは大胆に壊し、パワフルで魅力的な新たな「スター・トレック」を生み出す事に成功している。

23世紀。
宇宙艦隊の士官だった父を、赤ん坊の頃に亡くしたジェームス・T・カーク(クリス・ペイン)は、ケンカとナンパに明け暮れる日々を送っている。
ある日、父の友人だった宇宙艦隊のパイク艦長(ブルース・グリーンウッド)から、父が身を犠牲にして800人を救い、その一人がカーク自身だという話を聞き、宇宙艦隊への入隊を決意する。
三年後、艦隊でも問題児と成っていたカークは、どさくさにまぎれてパイクの指揮する最新鋭艦「U.S.Sエンタープライズ」に乗り込む事に成功するのだが、突然バルカン星を襲った謎の敵、ネロとの戦闘に直面する事になる。
血気盛んなカークは、あらゆる事を論理的に考えるバルカン人副官のスポック少佐(ザカリー・クィント)とことごとく対立し、遂には船を追い出されてしまう・・・


久しぶりに冒険心を掻き立てられる、スケールの大きな宇宙SFの快作だ。
冒頭、いきなりエモーションを揺さぶられる怒涛のバトルシーンから始まり、すわ若きカーク提督登場かと思いきや、これはカーク父のエピソード。
そこから少年カークのヤンチャっぷり、喧嘩っ早い青年時代、亡き父の後を追うようにしての宇宙艦隊入隊とスポックとの出会い、エンタープライズ号の処女航海に出るまでが矢継ぎ早に語られる。
カークってこんなにエキセントリックなキャラだっけ?と思わなくも無いが、傲慢ギリギリの若さ溢れる主人公はなかなかに魅力的。
今回は、旧シリーズ通しての名コンビであった、スポックとの実質的なダブル主役であり、未曾有の危機に襲われたバルカン星と地球を救うミッションを通して、彼らの葛藤と友情の絆が生まれるまでが描かれる。

元々テレビドラマのザ・ムービーであるこのシリーズは、劇場版も基本的にテレビの世界観とキャラクターをベースとしている。
そのお陰で、シリーズ誕生から40年以上の長きに渡って、作品もファン層も世代を超えて受け継がれてきている訳だが、一方で過去10本作られた劇場版の多くが、良くも悪くもテレビシリーズの延長線上にある事を感じさせる内容で、いま一つ大スクリーンを生かしきれていなかったのも事実だと思う。
本作と同じ「スター・トレック」というシンプルなタイトルを持つ1979年の劇場用映画第一作は、監督に巨匠ロバート・ワイズを招き、ロバート・エイブルからダグラス・トランブルへと受け継がれたVFXも見事で、大作の風格を感じさせる物だったが、テレビシリーズからあまりにも懸け離れた哲学的な内容に、オリジナルファンの評判はすこぶる悪かった。
以降、シリーズはよりテレビ的な方向性へと軌道修正され、内容的な良し悪しは兎も角として、コアなファンという閉じられた客層向けの作品に留まり続ける傾向がずっと続く事になる。
これは同じように数十年間にわたって作品を展開してきた、日本の「ガンダム」シリーズあたりにも言えるのだが、新世代へのキャラクターの一新をはじめ、色々な新機軸を投入してきたシリーズも、さすがに近年はマンネリを感じさせる様になってしまっていた。

最後の劇場版「ネメシス/S.T.X」から7年、テレビシリーズの「スター・トレック:エンタープライズ」の放送終了から4年、満を持しての新作は、いわばシリーズの原点回帰にして仕切りなおし。
ふつーに観てはいたけれど、特にシリーズの熱烈ファンという訳ではないJ・J・エイブラムスは、脚本家チームに自他共に認める熱烈ファンであるロベルト・オーチーと、そうでもないというアレックス・カーツマンを起用、歴史あるシリーズへの配慮と、新しい試みの両方を成立させようとして、結果的に成功している。
まあ、オーチーのファン魂が勝ったのか、全体の雰囲気や世界観は、予想以上に旧シリーズの色が強く残っていて、エイブラムスの狙った「ファン以外でも楽しめる映画」になっていたかは微妙なところ。
バルカン星人のメンタリティとか、惑星連邦の概念とか、ロミュラン人との確執などあまり説明されない背景は、一見さんにはやや敷居が高いかもしれない。
その分、物語を通してエンタープライズ号のオリジナルキャラクターたちが続々と登場してくる展開や、大迫力の宇宙戦闘シーンはファンにとってはたまらない。
特に、旧シリーズと本作を繋ぐ「あの人」の登場は感涙もので、「ファン以外でも楽しめる」かもしれないが、「ファンの方がより楽しめる」のも間違いないだろう。

もっとも、細かな突っ込みどころは多い。
そもそも全ての根源たるネロの復讐自体が完全に勘違いの逆恨みであり、いくら不意を突かれたとしても地球もバルカン星も無防備過ぎだろう。
終盤の展開がやや荒っぽいのも勿体無いし、宇宙SFと時間SFを組み合わせるという凝った作りなので、タイムパラドックス絡みの疑問点も多々ある。
だが、この作品は些細な欠点よりも魅力の方がずっと多い
何よりも、若者たちが未知なる世界へ旅立つという、テレビシリーズの第一作が持っていた冒険心を前面に出したのは大正解。
強大な敵との戦闘シーンは確かに最大の見せ場であるのだけど、物語のテーマ的には映画の最後で「あの人」が語るお馴染みのフレーズに集約されるのだ。
また、時間SFの要素を持ってくる事で、物語の基点は旧シリーズだったとしても、終わりの部分はパラレルワールドの別の歴史になっている訳で、今後シリーズが続くとしたら旧シリーズの流れに囚われないという免罪符を手に入れた事になる。
エイブラムス版の「スター・トレック」が、文字通り「新シリーズ」として真価を発揮するのは二作目以降なのかもしれない。

ウイリアム・シャトナーからカーク役をクリス・ペインが受け継ぎ、スポックに「HEROES」のサイラー役でブレイクしたザカリー・クイントと、主役級に若手を配する一方、メイクで一見すると誰だか判らない敵役のロミュラン人、ネロにエリック・バナ、スポックの母にウィノナ・ライダーといった大スターを配するなど、遊び心のある贅沢なキャスティングも楽しい。
シリーズのファン、SF映画ファンには文句なしのお勧め作品だ。

今回は、宇宙艦隊の本部があるサンフランシスコから、地ビールの「アンカースチーム」をチョイス。
高温醗酵のスチームビールならではの、華やかな香りと深いコクを味わえる知る人ぞ知るシスコ名物。
ラベルのアンカー(錨)マークは、軍港としても知られる港町サンフランシスコならでは。
23世紀の宇宙戦艦に、さすがに錨は無いだろうけど(笑
ちなみに「スター・トレック」の世界には、時たま異星のお酒が登場するが、やはり酒というものは全宇宙共通の嗜好品なのだろうか。
クリンゴンの酒とか強烈に強そうだ。

ランキングバナー 
記事が気に入ったらクリックしてね

こちらもお願い





スポンサーサイト

重力ピエロ・・・・・評価額1500円
2009年05月27日 (水) | 編集 |
「重力ピエロ」という不思議なタイトルからは、映画の内容がまったく想像できない。
実際、掴みどころの無い不思議な映画である。
この原作は読んでいないが、伊坂幸太郎という作家は、一見関係の無い事柄が、物語を通してパズルのピースのように組み合わされ、最終的に思いもしなかったテーマを形作るというスタイルの作品が多く、この作品もまさにそれ。
連続放火、落書きに隠された暗号、24年前の連続レイプ事件など、ミステリアスな要素が満載。
にもかかわらず、全体の印象はある種のホームドラマなのだ。

仙台の大学院で遺伝子を研究する泉水(加瀬亮)は、落書き消しの仕事をしている弟の春(岡田将生)と、ミツバチを育てている父(小日向文世)との三人家族。
やさしく美しかった母は、交通事故で他界していた。
ある時、市内で頻発する放火事件の現場に、必ず落書きが残されている事に気づいた春は、泉水を誘って犯人を捕らえようとする。
はじめは半信半疑だった泉水だったが、現場の落書きの頭文字が遺伝子配列を表す暗号である事を発見するのだが・・・


映画が始まってしばらくは、遺伝子研究者の主人公、泉水の視点で男家族のノホホンとした関係が描かれ、これが何に関する映画なのかまったく判らない。
だが落書き消しの仕事をしている弟の春が、町で頻発している連続放火事件が常に落書きの近くで起きてる事に気づき、事件の謎に挑み始めると、映画は徐々にミステリの様相を帯び始める。
ところが、そのまま放火事件の謎解きで突っ走るのかと思いきや、映画は突然24年前に起こったレイプ事件に絡む家族の過去の暗い影を巡る物語となってゆく。

それは、春の出生の秘密
彼は、亡き母親がレイプされた時に生まれた子供であって、その事実の持つ重い意味を、春本人も家族も認識している。
一見仲の良い家族も、彼らの心に突き刺さり、事あれば噴出しようとするマグマの様なタブーを必死で押さえつけて、ギリギリのバランスの上で表面の平和を保っているのだ。
春が、美青年ながら浮世離れした雰囲気を持ち、女性を寄せ付けないのも、彼自身の中にあるレイプ犯の血を恐れ、封印するためである。
だが、そんな家族も、春と本当の父親であるレイプ犯が邂逅を果たした事で、大きな転機を迎える事になる。
ここに至ると、連続放火の件は殆ど傍流に抑えられてしまうのだが、映画のあるポイントを境に、一気にバラバラだった要素が収束を始めるのである。
この展開は、正直読めなかった。

原作を踏襲しているのだと想像するが、この作品は細かな台詞や描写に至るまで、恐ろしく細かく複線が張り巡らされている。
遺伝子の暗号や、ガンジーの言葉など、その瞬間にはたいした意味を持っていない事も、後から思い出すと、後の展開の重要なヒントになっていたりするのである。
観客を巧みにミスリードし、だがそのミスリードの部分も、全体としてみるとキチンと意味を持っている。
それぞれの部分は、テーマの一端を示すメタファーとして機能し、全てが組み合わさった映画全体として見ると、現在の迷える家族像のメタファーとなっているという凝った構造。
綿密に練られたプロットというのは、こういうのを言うのだろう。
森淳一監督の演出も実に丁寧で、じっくりと見せる。
家族の傷と絆を描いた作品である事は間違いないが、いわゆる泣かせに走る事はなく、観る者を考えさせる寓話であり、力作である事は確かだ。

ただし、疑問が無いわけではない。
文章ならば気にならないのだろうが、映像という形をとった事で、あまりにもキッチリと組まれたプロットが、逆に出来すぎに感じてしまう。
登場人物のキャラクターも、それぞれに物語の中での役割によってユニーク過ぎくらいの個性が与えられており、特に事件解決への鍵を握る女性キャラはやや漫画チック。
全員が、この寓話上でお芝居を演じている様に見えてしまった。
映像化した事で、キャラクターが象徴的になりすぎてしまい、それぞれの行動も物語上の必然というよりもキャラクターの役割り上の必然になってしまっていた気がする。
もっともそれが、この辛い物語が極端に生っぽくなる事から救っているとも言えるのだが。

「重力ピエロ」というタイトルの意味が明かされる映画のラストは意外な物だが、果たしてあれはどう解釈すれば良いのか。
この映画のキャッチコピー「家族の愛は、重力を超える。」を、そのまま解釈すれば良いのかもしれないが、果たして物語の帰結は愛故の結果なのか、個人的にはやや釈然としないもやもや感が残った。
やはり、良くも悪くも掴みどころの無い映画である。

今回はスペインから「コロシア・ソレラ・ファミリアル・パロ・コルタド」をチョイス。
ソレラとは元々「底」や「床」を意味する単語だが、積み上げた熟成樽の一番下段の物という意味も持つ。
シェリーの熟成はソレラシステムと呼ばれ、積み上げられた熟成樽の中の酒をすべて抜き取らず、熟成が進んだ下段から順に抜き取り、抜いた分は上段から注ぎ足してゆく独特の方法なので、一番下の段、ソレラは一番熟成が進んでいる事になる。
つまりこれは「コロシアルの家族が熟成した樽の古酒」という訳だ。
さまざまなアロマが絡み合った複雑な香りと柔らかな口当たりを持つ、やや辛口のシェリーである。
どのぐらい家族の結束が強いと、この酒が育つぐらい熟成出来るのだろうか。

ランキングバナー 
記事が気に入ったらクリックしてね

こちらもお願い






天使と悪魔・・・・・評価額1500円
2009年05月20日 (水) | 編集 |
象徴学者ロバート・ラングドン教授を主人公とした、ダン・ブラウン原作のベストセラー小説、映画化第二弾。
原作はこの「天使と悪魔」の後に「ダ・ヴィンチ・コード」が続編として出版されたのだが、映画化の順番は逆になり、それに合わせて物語の時系列も「ダ・ヴィンチ・コード」の後という設定に変わっている。
主演のトム・ハンクス、監督のロン・ハワードをはじめとするメインスタッフは、ほぼ前作からの続投で、作品のカラーも基本的に踏襲されているが、映画としてはコンパクトなこちらの方が纏まりが良い。

ハーヴァード大学で宗教・象徴学を教えるラングドン教授(トム・ハンク)の元へ、バチカン警察から協力要請が届く。
嘗てバチカンによって迫害された、科学者たちの蜜結社「イルミナティ」が復活し、教会への報復を宣言。
折りしも、バチカンではローマ法王の逝去に伴う、新法王選出のためのコンクラーベが行われようとしており、イルミナティは新法王の有力候補である四人の枢機卿を誘拐し、バチカンのどこかに「反物質爆弾」を仕掛けたという。
それはスイスの欧州合同原子力研究機関(CERN)から盗み出された物で、核兵器級の破壊力を持っている。
イルミナティは午後八時から一時間おきに四人の枢機卿を処刑し、爆発のタイムリミットは午前零時と予告。
コンクラーベの間、法王の権限を代行するカメルレンゴのマッケンナ司祭(ユアン・マクレガー)は、ラングドンに事件の鍵を握る、ガリレオの裁判記録へのアクセスを許可し、彼はCERNのヴェトラ博士(アイェレット・ゾラー)の協力を得て、枢機卿が処刑される場所を特定しようとするのだが・・・


当たり前だが、ベストセラー小説の映像化は難しい。
多くの人が既に頭の中にイメージを持っているので、キャラクターやビジュアルに神経質にならざるを得ないし、物語がそのままでは長すぎる事も多く、脚色で何処を残して何処を切るのかの選択も、一歩間違えると原作ファンの総スカンを喰らう可能性がある。
かといって原作にあるもの全てを詰め込もうとすると、あまりにも駆け足になって結局原作既読者のための動く挿絵に成り下がってしまう。
「ダ・ヴィンチ・コード」も、個人的にはそれなりにがんばってはいたと思うが、原作になるべく忠実に、なるべく全部の要素をと欲張った結果、やや大味な作品になってしまっていた感がある。
脚本のデビッド・コープとアキヴァ・ゴールズマンは、前作で得た教訓を踏まえて、元々より映画向きな構造を持つ「天使と悪魔」を、かなり大胆に脚色している。
長大な物語から積極的な取捨選択を行い、特に登場人物のバックグラウンド説明を大幅にカットするという、かなり危険な挑戦をしているのだが、結果的にコレが物語を事件解決という明確な目標に集中させ、なかなかにタイトなサスペンスアクションとして成立させている。

今回は、とにかくラングドン教授が走る、走る。
迷路のように狭く入り組んだローマ市街を、車と自らの足で縦横無尽に駆け回る姿は、寡黙な象徴学者というよりは、まるで歳をとったジェイソン・ボーン(笑
事件は、午後八時から一時間ごとに四件の殺人が予告されており、最後の午前零時には反物質爆弾によってバチカンが吹き飛ばされるという事がはじめから判っている。
したがって、ラングドン教授一行は、連続殺人とテロを阻止するために、僅かなヒントを手がかりに、それぞれの殺人現場がどこなのか、爆弾の隠し場所がどこなのかを探し回る。
前作のダ・ヴィンチに代わって、今回ヒントになるのはガリレオの本巨匠ベルニーニの彫刻
土、空気、火、水の四元素をあらわす彫刻がローマの何処かの教会に存在しており、我らがラングドン教授が、ガリレオの残したヒントを頼りに深い知識と推理力で、それらの所在を一つずつ突き止めてゆくという寸法だ。
一箇所を見つけたら、はい次という構成で、それぞれの殺人の間隔が一時間というタイムリミットも加わって、全体としてはローマを舞台とした知的RPGという感じ。
謎の組織、イルミナティが雇ったと思しき凄腕の殺し屋が捜査を妨害し、どうやらバチカン内部にも内通者がいるらしいという疑心暗鬼も加わって、サスペンスを盛り上げる。

もちろん、前作同様ある種の観光地サスペンスの赴きもあり、今回も個性的な教会や芸術に溢れた、古の都ローマの魅力はたっぷり描写される。
またローマ法王選出にまつわる荘厳な儀式や、バチカン内の意外な組織の形態など、知的好奇心を刺激するとリビア的な興味も尽きない。
物語がコンパクトにまとまった分、こうした要素の配置も前作ほどばらけた印象は無く、ロン・ハワードの演出は見せるべき要素をテンポよく見せてゆく。
500年の伝統を誇るバチカンのスイス衛兵隊の兵舎に、中世さながらの斧や甲冑が装備されてるあたりは面白かった。
まあバチカン内の描写は何処までリアルなのかは知る由も無いが、確かに儀仗隊の性格もあるわけで、ああいう装備も必要なのかもしれない。
映画とは全然関係ないが、「アルプスの少女ハイジ」のアルムのおんじも元スイス傭兵っていう設定があったなあ・・・

ただ正直なところ、突っ込みどころも多々ある。
脚色によって存在意義があまりなくなってしまったキャラクターもいるし、何よりも真犯人の描写が最初から怪し過ぎとか、人物像が薄っぺら過ぎとか、計画に無理があり過ぎとか、サスペンス映画としては穴だらけだ。
これは映画の責任ではないかもしれないが、ミステリとしてのオチが一個人のチンマリした野望に収束してしまい、キリストの血脈という悠久の歴史を感じさせた前作に対してスケール感が足りないとか、例によって歴史的な事実の解釈が恣意的過ぎるという批判も出来るだろう。
計画の核心である反物質にしても、少なくとも現時点ではかなり荒唐無稽なSF的な解釈で、この話に持ってくるにはやや違和感があった。
もっとも反物質といえば、私の世代には「さらば宇宙戦艦ヤマト」であり、あの映画の刷り込み効果もあって、それなりに説得力を感じてしまったのも事実なのだけど。
また前作では、原作以上に映画版がカソリック批判的な内容になっていたが、さすがにやり過ぎたと思ったのか、今回バチカンの内情はある程度好意的に描かれている。

「天使と悪魔」は、一流の映画人によって手堅く作られた娯楽映画だ。
二作目という事で、ロン・ハワードとトム・ハンクスの監督・主演コンビは手馴れた感じでタイトなサスペンスアクションを仕上げている。
まあ宗教と科学という二つの価値観の衝突という、本作のテーマを更に追求してくれれば、作り様によってはかなり深い内容になったとは思うが、おそらくそれは映画的には諸刃の剣。
元々原作でもテーマ性にそれほど力が入っている訳でもなく、どっちつかずになってしまうよりは、単純明快な活劇と割り切った本作の作りは、これはこれで一つの見識だろう。
やや物足りない部分もあるが、2時間18分の間ダレを感じさせず、なかなかに楽しめる作品であった。

今回は、イタリアから「サンテロ・ピノ・シャルドネ・スプマンテ」をチョイス。
典型的なすっきり辛口で、どんな料理とも相性が良い。
映画でローマ観光を味わったら、ついでにイタリア料理と美味しいお酒で更に気分を高めよう。
コストパフォーマンスの高さも魅力だ。

ランキングバナー 
記事が気に入ったらクリックしてね

こちらもお願い






チェイサー・・・・・評価額1800円
2009年05月13日 (水) | 編集 |
いやはや凄い映画がやって来た。
「チェイサー」は、ソウルの裏通りを歩くのが恐ろしくなる、超ヘヴィーなクライムスリラー
2時間の間、息をもつかせぬ緊張感と疾走感が持続する圧倒的な演出力と、どす黒い心の闇と微かな希望が目まぐるしく交錯する大胆かつ緻密に構成された脚本が観客をグイグイ引っ張る。
人間の負の情念が渦巻く、巨大都市ソウルの得体の知れないダークサイドに放り出された観客は、もはや打ちのめされ、途方にくれるしかない。
本国で500万人以上を動員したのも納得の、文句なしの傑作である。

しがないデリヘルの経営者で、元刑事のジュンホ(キム・ユンソク)の元から相次いで女たちが失踪。
当初は手付金を持ち逃げされたと思っていたが、消えた女たちが同じ携帯電話から呼び出された事が判り、何者かによる人身売買を疑いはじめる。
ちょうど同じ番号から呼び出されていた配下の女ミジン(ソ・ヨンヒ)に、男の住所を確認したらメールを送るように命じる。
しかし、ミジンもそのまま失踪。
ジュンホは、残された携帯番号から、謎の男ソンミン(ハ・ジョンウ)にたどり着く。
ソンミンは「9人殺した。だが最後の一人だけはまだ生きている」と嘯くのだが・・・


韓国映画で題材が猟奇殺人というと、未解決の華城連続殺人事件を追ったポン・ジュノ監督の大傑作「殺人の追憶」がまず思い浮かぶが、この「チェイサー」は全く異なるスタイルながら、作品のインパクトでは負けていない。
「殺人の追憶」と同様に、この作品にもモデルとなった現実の事件が存在する。
2004年に韓国社会に衝撃を与えた「ユ・ヨンチョル事件」がそれで、わずか10ヶ月の間に出張風俗嬢を中心に21人を次々と殺害した事件の顛末は、日本でもずいぶん報道されたので覚えている人も多いだろう。
なんでも、この犯人を実際に逮捕したのは警察ではなく、女性たちの失踪を不審に思って行方を追っていた風俗店の店長だったという。
映画を観ていると、警察のあまりのバカさ加減に呆れるが、実際の事件でも警察は犯人を再三取り逃がしているというから驚きだ。
もっとも、日本でも失踪した女性の捜索に警察が動こうとせず、女性の両親が自分たちで捜査し証拠を集めて殺人犯を逮捕したという事件がほんの数年前にあったばかりだから、決して韓国の警察の官僚主義を笑う事は出来ないのだが。

ナ・ホンジン監督は、この事件の大枠をモチーフにしつつ、非常に魅力的な二人の主人公を造形し、彼らを中心に物語を組み立てている。
一人は元刑事のデリヘル店長であるジュンホ。
そしてもう一人は猟奇殺人犯のソンミン。
殺人鬼であるソンミンは当然だが、主人公であるジュンホもまたワケアリの人物である。
劇中で詳しく語られることは無いが、どうやら刑事時代から女衒の様な副業をやっていて、不祥事で退職した今は、それが本業になってしまっている。
女性を次々と殺害する殺人鬼と、女性を使って稼ぐ元刑事。
これは言わば、社会の裏側で人知れず生きている、一匹の狂犬と一匹の野良犬による壮絶なドッグファイト。
最初、失踪したミジンに対して、それほど思い入れを持っている様には見えないジュンホが、ソンミンという怪物と対決して行くうちに、強迫観念に駆られる様にミジン救出に奔走し始めるのは、ソンミンの存在によって自分自身に対する贖罪の意識を刺激されたからなのかもしれない。

作劇のロジックが見事だ。
ジャンル的にはクライムスリラー、あるいはミステリのカテゴリに入る作品だろうが、実のところこの映画に謎解きは全く無い。
劇中でジュンホが探し回るソンミンの隠れ家も、生死不明のミジンの状態も、二人の主人公のどちらかが知る情報は、全て観客に対しては開示されている。
我々は言わば全てを知っている第三者としてこのドラマに参加している訳だが、実は知っているからこそのもどかしさがある。
ジュンホがミジンを探して必至になれば必至になるほど、ソンミンが大胆不敵な行動で、警察やジュンホを煙に巻けば巻くほどに、観客は自からがスクリーンに飛び込んで、全てを教えたくなるのだが、現実にはそれが出来ない無力感に打ちひしがれ、絶望を感じるのである。
もちろん、このようなロジックは、描写が徹底的にリアルで、臨場感を感じさせる物になっていて初めて成立する。
その点で、ナ・ホンジン監督は完璧な仕事をしていると言って良い。
観客は、日常の裏側にあるもう一つのソウルをジュンホと共に駆け巡り、彼の焦燥感や息遣いまでも、まるで間近にいる人間の様に感じ取れるだろう。

韓国映画の例に漏れず、この作品も単なるクライムスリラーの枠を超えて、暴力性と物語の背景にある政治性・社会性の不思議な融合を垣間見せるが、例えばパク・チャヌク作品ほど暴力が自己主張する事はなく、ポン・ジュノ作品ほど社会性が前面に出ることもない。
これらの要素はあくまでも作品のスパイスに留まり、ここに描かれているのは、やはり激突する二人の主人公の魂の物語だ。
正に火花散る対決を見せるキム・ユンソクハ・ジョンウが鮮烈。
殺人鬼ソンミンを演じるハ・ジョンウは、異色の軍隊ドラマ「許されざる者」が印象的だったが、ここでは温厚そうな仮面の下に恐るべき嗜虐性を秘めた猟奇殺人鬼を怪演している。
変幻自在のキャラクターで、警察を手玉にとる殺人鬼役は、彼の代表作になるだろう。
対するジュンホを演じるキム・ユンソクは、ちょっと「殺人の追憶」のソン・ガンホとも被るキャラクター。
一見いかにも何処にでもいそうな韓国のおっちゃんで、物語の最初のほうではキャラクターも軽妙だが、事件が核心に突き進み、彼が品物の様に扱って来た女性たちにも、当たり前の人生がある事を知ってからは、ソンミンの仕掛けた見えない巨大な悪意に命がけで立ち向かって行く。
彼の内面を大きく突き動かす事になる、ミジンの幼い娘を演じたキム・ユジョンとのコンビは、ちょっと「グロリア」か「レオン」の様な雰囲気もあって、物語の重要なアクセントとなっている。

それにしても、これほど完成度の高い作品を、長編処女作となる新人監督が作ったというのが凄い。
演出だけならともかく、脚本もオリジナルで書いているのだから、これはホンモノだ。
スリルとサスペンス、恐怖と希望、そして絶望が怒涛の勢いで過ぎ去ってゆくドラマの果てに、映画は予想もしなかった意外な終幕を迎える。
全てが終わった後、煌びやかな高層ビルがそびえるソウルの中心街が、窓枠によってまるで別世界の様に切り取られた病室で、忘れられた者同士の絆をかすかに感じさせる、この映画の深く切ないラストは、映画の神に祝福された者にしか決して撮れまい。
スピルバーグの「激突!」やトリュフォーの「大人は判ってくれない」にも匹敵する、映画史上最も注目すべき長編デビュー作の一つである事は間違いなく、ナ・ホンジン監督の今後は要注目である。

「黄金週間」という言葉が、元々映画興行界から生まれたという、殆ど忘れられた事実を思い起こさせるほど、洋画も邦画も粒ぞろいの今年のGW映画にあっても、このとてつもなく怖くて切ない韓国映画は異彩を放つ。
上映館の少なさが残念だが、これもまた必見の作品と言っておこう。

今回は、唐辛子がたっぷり入ったチゲの様に、体温が一気に上がりそうな熱い映画。
観賞後は、「OBラガービール」でクールダウン。
この映画の熱気を冷ますには、キンキンに冷やして、3本くらい一気に飲みたいくらいだ。

ランキングバナー 
記事が気に入ったらクリックしてね

こちらもお願い





GOEMON・・・・・評価額1650円
2009年05月08日 (金) | 編集 |
「CASSHERN」の十倍面白い。
前作の印象が芳しくなかったので、全く期待していなかったのだが、予想外に心揺さぶられる娯楽活劇であった。
ビジュアル表現に最大限のプライオリティを置く、紀里谷和明のスタイルが変わったわけではない。
「GOEMON」が「CASSHERN」と違うのはただ一点、理解可能な物語が存在しているという事だけだ。

桃山時代、義賊として名を馳せる石川五右衛門(江口洋介)は、ある日紀伊国屋文左衛門の屋敷から西洋の箱を盗み出す。
箱が空だった事から、五右衛門はそれを少年小平太(深澤嵐)に与えるが、実はその箱には時の権力者豊臣秀吉(奥田瑛二)に関するある重大な秘密が隠されていた。
箱の行方を追う石田光成(要洵)は、箱の奪還を配下の霧隠才蔵(大沢たかお)に命じる。
その頃、秀吉は大阪城に無き信長の姪である茶々(広末涼子)を呼び寄せ、自らの権威を確固たる物にするために、側室になれと迫るのだが・・・


PV出身の多くの映像作家と同じく、第一作となった「CASSHERN」の時、紀里谷和明は映像の力だけで全てを語れると信じ込んでいる様だった。
確かにビジュアル的にはエキセントリックな魅力があったものの、作劇は驚くほど物語としての整合性を欠き、キャラクター造形もデタラメで、映像の外連味に感覚が慣れるにつれて、だんだんと観ているのが苦痛になっていった。
寺尾聰 が演じた東博士など、前半と後半で全く別のキャラクターに変貌しているなど、キャラクターへの無頓着さは特に甚だしく、ああこの人は人間に全く興味が無いのかも知れないと思ったのを覚えている。
救いだったのは、一応テーマらしいものがあり、薄いながらもなんとかそれが伝わってきたために、最悪の印象だけは免れたという感じだった。

ぶっちゃけ、この作品もやっていることは前作とあまりかわらない。
前作で、キャシャーンという人気アニメのキャラクターだけ借りてきて、後は好き放題に改変したのと同じく、この作品もタイトルロールの石川五右衛門を初めとして、霧隠才蔵、豊臣秀吉や織田信長といった日本史の人気キャラクターを、実在、架空を問わずに勢揃いさせ、紀里谷ワールドともいうべき架空世界で大暴れさせたという感じだ。
ただ、少なくともこの作品にはつじつまの合う物語があるという点が、前作とは決定的に異なっているのである。

本人がどう言っているかは知らないが、紀里谷和明は自分なりに前作を分析し、足りないものが何なのかを理解したのだと思う。
たぶん、「CASSHERN」の時の彼には、テーマは「感じさせる物」という概念があったのではないだろうか。
確かにテーマをなんとなく感じさせる事は、PVの様に短いものでも、音楽にあわせてイメージ映像を展開する事で可能だろう。
だが、逆に言えばそれだけで良いのなら、5分のPVでも出来てしまう。
実際「CASSHERN」で、作者の言いたい事というのは、殆ど最後の心象風景のシーンだけで表現されていなかったか。
そこにいたるまでの膨大なビジュアルの羅列は、極論すれば無くても良いマスターベーションとも言えるのである。
「GOEMON」も、作品のテーマそのものは、極端に言えば「ラブ&ピース」であり、前作と変わらないのだが、今回はテーマを「感じさせる」のではなく、物語を通して「語ろうと」している。
意外と言っては失礼ながら、紀里谷和明と共同脚本の瀧田哲郎は、ほぼ2時間の上映時間の中に膨大な数のキャラクターと複雑なプロットを練りこみ、なかなか見事な仕事をしている。
石川五右衛門=抜け忍説をベースに、信長暗殺の真相を巡るミステリを絡め、五右衛門と才蔵の過去、茶々との切ない恋物語までを、特に違和感を感じさせず構成したのは正直驚いた。
もっとも、さすがに上映時間に対して情報量が多すぎの感は否めず、キャラクター造形は表層的なものにとどまり、達者な俳優の力にかなり助けられている印象がある。
結果的に彼らが体現するテーマ性もそれほど深くは感じられないし、色々と詰め込んだせいで、逆に間延びしてしまっている部分もあり、このあたりのバランスはもう少し考えても良かった。

もちろん、作者のトレードマークであるビジュアルの徹底重視は相変わらず。
一応、時代劇ではあるものの、舞台となる安土城や大阪城、街や衣装デザインまで史実とはかけ離れた和洋折衷世界にデザインされ、何よりも誰一人として髷を結っていない!
ここまでぶっ飛んだビジュアルながら、不思議と観ているうちに違和感はなくなってくる。
その理由は、同じように架空世界を舞台としたファンタジー時代劇である「どろろ」と比較すれば良くわかる。
あの映画には作品世界全体を纏め上げるデザインコンセプトが存在せず、単に面白そうな造形を場当たり的に取り込んでいるために、世界観が酷く散漫な印象となってしまっていた。
対してこちらは、良い意味で紀里谷和明の作家映画であるために、徹底的に彼の作りたい世界が追求されており、どんなにぶっ飛んだ世界になっていようと、全体に統一感がある。
要するに「どろろ」はどんな世界を作りたかったのかが良くわからないが、「GOEMON」はその点非常に明確に作り手の意図がわかるのである。

「CASSHERN」以降に作られたデジタル技術を駆使したハリウッド映画、例えば「300 スリーハンドレッド」あたりの影響を感じる部分もあるが、それも含めて映像は作者のイメージに上手く消化されえおり、CGである事を生かしたアクションもスピーディーで、 「レッドクリフ」などとは違った意味で迫力がある。
まあ、物語的にもビジュアル的にも、伝統的な時代劇ファンが観れば眉を顰めそうな内容ではあるのだが、要するにこれは講談であり、歌舞伎なのだと思う。
今となっては史実と混同されている話も多いが、元々日本には史実と虚構をミックスして庶民の娯楽を作り出してきた長い歴史がある。
「GOEMON」もその流れの一つであり、21世紀のデジタル歌舞伎だと考えれば、これはこれで十分ありなのではないだろうか。

この作品、公開前から海外配給のオファーが殺到していたというが、作品を観ればその理由は良くわかる。
東洋とも西洋ともつかない、外連味たっぷりでド派手なビジュアルに、勧善懲悪ベースでドラマチックなストーリー、決して深くは無いが判りやすく誰もが共感出来るテーマ。
「GOEMON」は、作家性を抜きにすれば、日本映画ならではの正統派の娯楽映画なのである。
紀里谷和明は、この作品で自らのポテンシャルを証明する事に成功したと思う。
5年の間隔があったとは言え、「CASSHERN」ではそれだけが突出してしまっていたビジュアルが、この作品で物語を魅力的にするため手段として活用されており、映画作家としての大いなる進化を感じさせる。
映像派が物語の力を理解すれば、鬼に金棒である。
今後も彼にしか撮れない独自の世界を追求して行って欲しいものだ。

今回は、映画と同様にビジュアル重視の酒をチョイス。
福井県の朝日酒造の「酔蝶花」 をチョイス。
なんと酒の中に金箔と梅と桜の花がはいっており、まるで水中を舞う蝶の様に見える。
味も決して悪くないが、やはりこれは目で楽しむお酒で、栓を開けるのがもったいなく感じてしまう。
これもまた日本人のあそび心が生み出した楽しい一品だ。

ランキングバナー 
記事が気に入ったらクリックしてね

こちらもお願い







レイチェルの結婚・・・・・評価額1600円
2009年05月03日 (日) | 編集 |
ジョナサン・デミと言えば、やはり傑作心理スリラー「羊たちの沈黙」であり、人間の心の深層に隠れた本音の部分を浮かび上がらせるのはお手の物。
「レイチェルの結婚」は、デミ曰く「一番美しいホームビデオ」であるという。
確かにビデオ撮りを生かしたハンディ感のある映像は、一見すると結婚式の顛末を記録したフェイクドキュメンタリーの様だが、ある問題を抱えた一家の、凄みのある心理劇でもある。

長女レイチェル(ローズマリー・デウィット)の結婚式を二日後に控え、慌しく準備が進むバックマン家。
薬物治療施設に入所していた次女のキム(アン・ハサウェイ)も、それに合わせて一時退院してくる。
問題児キムに対して家族や関係者は、過度に気を使って接し、それをなんとなく感じ取ったキムも、逆に反発しKYな行動を連発。
爆弾を抱えたまま、刻々と結婚式の準備は進むのだが、やがて一家はある悲しい記憶を巡る葛藤に直面する事になる・・・


タイトルは「レイチェルの結婚」だが、映画はキムの一時退院のシーンから始まり、全編に渡ってホームビデオ風のカメラは、ほぼ彼女の視点から物語をフォローする。
自分の家がいかに幸せかを見せ付けるホームビデオというのは、ぶっちゃ他人からすれば死ぬほど退屈な代物だが、逆に人の家の不幸話には興味が沸くのが人間の嫌らしさ。
これはキムという言わば封印されていた爆弾の登場によって、幸せそうな一家の本当の姿が明らかになる過程を、カメラを通して覗き見る様な映画なのである。

バックマン家の人々(そういえばそんなタイトルの映画もあった)四人のキャラクター造形が秀逸だ。
一家が住んでいるのはコネチカット州の豪華な邸宅であり、長女レイチェルの結婚相手は音楽業界で成功している黒人男性。
結婚式に招かれている人々もバラエティに富み、裕福でリベラルな一家は、一見すると非常に寛容な心の広い人々に思える。
最初、一家はキムに対して腫れ物に触れるような態度で接し、薬物依存と戦っている彼女に対して愛情深く接している様に見える。
だがキムは、彼らのぎこちなさに自分に対する拒絶がある事を感じ取り、半分無意識のうちに結婚式の準備をかなり見事にぶち壊し始める。
するとその化学反応によって、彼らは四者四様の本心を垣間見せ始めるのだ。

包容力のある父親でありたいと願いながら、実際には心配する事しか出来ずに無力感に苛まれる父親ポール。
両親の関心を妹に独占されたと感じ、心のどこかで彼女を拒絶してしまう姉レイチェル。
キムに対する鬱屈した感情を押し殺し、愛情ある母親を演じ続ける母アビー。
そして、物語が進むにつれて彼らがキムに対して見せる拒絶の感情の原因は、単に彼女の薬物依存に対する嫌悪感ではなく、彼らの心の奥底に決して抜けない棘の様にして突き刺さっている弟の死の真相にある事がわかってくる。
このあたり、私は兄の命日に集まった一家の抱える心の葛藤を描き出した、是枝裕和監督の「歩いても 歩いても」を思い出した。
もちろん、シチュエーションや映画のスタイルは大きく異なるが、家族の死が長い年月に渡って消えない傷となって残り、その傷が生み出した葛藤も、家族ゆえに本音を吐露できないというあたりは良く似ている。

脚本を担当しているのは、巨匠シドニー・ルメットの娘であるジェニー・ルメット
お父さんも人間の深層意識に切り込んでゆく様な、ハードな心理劇を得意とする映画作家だが、このあたりの才能は父親譲りか。
彼女の優れた脚本を得て、ジョナサン・デミの演出もまるで水を得た魚の様に、生き生きとしている。
手持ちのビデオカメラは、登場人物に密着し、その心の動揺や本人も意識していない傷すらも容赦なく写し取り、テーマへの鋭いアプローチは、ここしばらくの低迷を払拭するのに十分なパワーを感じさせる。

それぞれに内面の葛藤を抱えるバックマン一家も良い。
物語は終始問題児のキムの目線で進んで行くが、演じたアン・ハサウェイは明らかに演技者として一皮剥けた。
ルックスを含めて今までのキャリアとは全く異なる方向性の役を、説得力たっぷりのキャラクターに仕上げており、初のオスカーノミネートも当然の名演と言える。
優柔不断なお父さんを演じたビル・アーウィンや、タイトルロールのレイチェルを演じたローズマリー・デウィットも、確かに知り合いの中にこんな人一人はいるという感じでリアリティを感じさせる。
個人的には、優しげな風貌の下にいびつなエゴイズムを抱え込んだ、アビーを演じたデブラ・ウィンガーが強く印象に残った。
既にポールと離婚し、別の男性と家庭を築いている彼女が、キムとそれまで隠してきた本音をぶつけ合うシーンは本編の白眉だ。

様々な事件を経て、レイチェルの結婚式が盛大に執り行われると、それまでキャラクターに密着していたカメラがある程度の距離感を保ち、ホームビデオ感がより強くなる。
これは、結婚式の間、それぞれが本音の部分に蓋をして、良き家族として振舞おうとしているからだろう。
だが、このシークエンスは結構長い事もあって、やや冗長に感じる。
唯一、キムがある行動をするシーンがあるのだが、宴の中でも隠し切れない内面が垣間見られる部分がもう少しあっても良かったかもしれない。
映画は、結婚式の翌日、ひっそりとバックマン家を去るキムの姿で幕を閉じる。
三日間の物語を通して、キムと家族の関係が劇的に変化した訳ではない。
互いの本音の部分を少しだけ知り、絆が強くなった関係も、逆に距離感の出た関係もあるだろう。
レイチェルは結婚して家を出、キムは再び施設に戻る事で、形の上ではバックマン家は完全に離散したとも言え、「レイチェルの結婚」は一家としての最後の晩餐だったのかもしれない。
だが、彼らは互いの中に、喪失の痛みが依然として残っている事も知った。
それを共有しているのは、紛れも無く血の繋がった彼ら四人だけなのである。

今回は、宴の後の気分で「ブルーマンデー」をチョイス。
ウォッカ45mlとホワイトキュラソー15ml、ブルーキュラソー1tspをステアして、グラスに注ぐ。
休日の後の月曜日の憂鬱という様な意味のカクテルだが、これ自体はむしろ落ち込む気分を元気付けるような爽やかなお酒だ。

ランキングバナー 
記事が気に入ったらクリックしてね

こちらもお願い