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2009年06月21日 (日) | 編集 |
壮大なる大バカSF映画。
「トランスフォーマー/リベンジ」は、派手派手メカオタクのマイケル・ベイが、前作以上に好き放題の大暴れした作品だ。
この夏は先行して公開された「ターミネーター4」が、巨大ロボ型や蛇型ターミネーターを登場させるなど、微妙にこっちの世界観を取り込みにかかっていたが、いやはや現物は比べるのも馬鹿馬鹿しくなるくらいに対照的。
良くも悪くもジェームス・キャメロンという映画作家が創造した世界観を引きずり、お気楽PV専門のMcGでは完全に役者不足なテーマ性を内包するあちらと違い、こちらは元々が日本のタカラが生み出したロボット玩具を売るために作られた商業主義バリバリのアニメの実写リメイクという代物。
元から「愛」「友情」以上のテーマ性などに興味がなく、ただカッコいいロボたちと最新兵器のバトルを描きたいベイの嗜好にピタリとはまり、150分ひたすら見せ場の連続だ。
今回のロボットバトルは「合体」という新しいベクトルが加わり、巨大ロボット物としても正しい進化を成し遂げている。
「キューブ」を巡る戦いから2年。
ディセプティコンの残党と、オートボッツ&人類の連合軍の戦いは今も人知れず進行中。
大学生に進学する事になったサム(シャイア・ラブーフ)は、遠距離恋愛となるミカエラ(ミーガン・フォックス)との仲がどうなるのか心配。
さらにはガレージにいるバンブルビーにもしばしの別れを告げなければならず、悩みは尽きない。
そんなある日、サムはクローゼットにしまってあった服のポケットから、キューブの欠片を発見する。
小石ほどの欠片だったが、その力は凄まじく、サムの家の台所家電は一斉にトランスフォームし、大騒動となってしまう。
バンブルビーの力によって、何とか事なきを得る事が出来たが、このときキューブの破片からサムの脳にある重要な情報がインプットされる。
その事を知ったディセプティコンたちは、大学の寮に入ったサムから情報を引き出そうとするのだが・・・・。
日本版のタイトルは「トランスフォーマー/リベンジ」だが、原題は「TRANSFORMERS:Revenge of the Fallen」となっている。
ファーレン?そんな奴前回出てきたっけ?と思いつつ観に行ったら、何と今回ディセプティコンは新ボスキャラと共に大幅に戦力アップ。
前回ボスのメガトロンは中ボスに格下げされ、どうやら数千年前から地球を巡ってオプティマスたちと戦い続けているファーレンなるキャラが登場し、呼び集めたディセプティコン軍団で善玉オートボッツと人類へ総攻撃をかけて来る。
その数とバリエーションたるや、パチンコ球サイズから、7体の巨大ロボが合体した超大型四足ロボまで、一体何体出てきたのかわからないくらいだ。
オートボッツ軍団もバイク型が加わったり、新顔が増えているが、こっちは例によって車輪モノ括りがあるので、サイズも含めて迫力は圧倒的にディセプティコン。
代わりに人類の、というか米軍の兵器がまるで見本市の様に登場し、バトルシーンを盛り上げる。
そう、今回も男の子の大好きな、ロボットと車と兵器の三点セットで、要するに米軍と自動車、バイクメーカーの全面協力なのである。
登場するオートボッツたちが、先日破綻したGM車ばかりなのが微妙に時代の切なさを感じさせるが、映画製作者はチケットとロボット玩具を売りまくるために、軍は入隊者が増えると良いな~という思惑で、自動車メーカーは2時間オーバーのCMのつもりで、それぞれに手を組んでいるという正に商業主義の権化の様な映画である。
下手すりゃ印象がタイアップだけの映画に成りかねない作りで、実際相当に露骨なのだけど、どこまでも能天気なマイケル・ベイ節がこの映画を救っている。
今時360°スピンのキスシーンなどという、こっ恥ずかしい演出を堂々と出来るのは、ハリウッド広しと言えどもベイくらいのものだろうし、和製ロボットアニメから「マトリックス」まで様々な映画的記憶を臆面も無く嬉々として再現し、さらには兵器や車に対する子供っぽい憧れをここまでストレートに表現できるのはある意味凄い才能かもしれない。
とにかく描きたい要素をごった煮的にぶち込んだという展開は、キチンと全体図を描いてから計算されているというよりは、完全に行き当たりばったりで、もはや物語らしい物語も存在せず、世界を又にかけるバトルシーンを作り出すために強引に繋ぎ合わせている印象だ。
だが、何故かそんな荒っぽさが気にならない。
キャラクターや出来事を含め、前作よりもあらゆる要素が増えているのだが、展開がサクサク進み全体の8割くらいはアクションという作りなので、余計な事を考えている暇がないのだ。
この映画の場合、別にテーマなんてどうでも良く、ド派手なロボットバトルアクションを見せたいというコンセプトが明確なので、それ以外の要素は結局刺身のツマみたいなもの。
とりあえず皿に載っていてバランスをとってくれればそれで良いという、ある意味エンターテイメントとして非常に潔い作りだ。
演出的にも、今回はしっかりとした進化が見られる。
前作ではロボットたちの動きがあまりにも早すぎて、アクションシーンで何が起こっているのか良くわからない部分が多かったが、今回はスローモーションの使い方がより適切になった他、アングルも工夫されてキッチリ見せる努力がされており、ロボットバトルの魅力を高めている。
またユーモアの要素が増えているのも今回の特徴で、前回から引き続き登場のシモンズ捜査官やサムの両親は完全にコミックリリーフと化し、オートボッツ軍団にもチビのお笑い担当が登場するなど、アクションとギャグを映画の緩急につなげようという意図が見られ、これはそれなりに成功している。
相手が宇宙人だろうが何だろうが、とにかく最初は外交交渉だ!と言う大統領の国防顧問が出てきて、就任したばかりのオバマ大統領が早速茶化されているあたりは、さすがハリウッド。
そう言えば、ドリームワークスの幹部たちは、グーグルやアップル関係者と並び、昨年の大統領選のオバマ陣営への大口献金者のトップ10にズラズラ名前を連ねていたが、だからと言って映画の中では容赦なしという事か。
ただ、色々と工夫されているとは言え、この一本調子な内容で150分はさすがに長い。
アクションシーンの中には、削っても流れに影響無い部分もかなりあり、2時間程度に纏めてくれたらより魅力的な作品となったと思う。
あと、前作ではいちいち決めてくれていた、ロボットたちが登場する時の見得を切る描写が見られなくなっていたのは残念。
ちなみにロボット物に限らず、ヒーローたちが見得を切るアクションというのは、外国人監督にはなかなか難しい様で、嘗ての「パワーレンジャー」など日本製ヒーロー物の米国版にも日本人監督が起用されるケースが多かったのは、見得や決めポーズなどに独特の演出センス(と、それを理解しているスタントチーム)が要求されるからだという。
まあそう考えると、本作は日本型ロボット物からよりアメリカンな方向性を強めたとも言えるのだが。
いずれにしても、まだまだ続きそうなこのシリーズ、キャラもアクションもこれだけバリエーションをやりつくして、一体次はどんな手で来るのか?2012年に予定されている「3」の公開を期待して待ちたいと思う。
今回はどこまでもアメリカンな映画に合わせてアメリカンビールの「サミュエル・アダムス・ボストンラガー」をチョイス。
元々 米国で最も有名な地ビールと言われていたが、今やその知名度は十分メジャー。
とは言え限りなく水に近いバドなどとは一線を画す作りで、モルトの風味は強めでコクもある。
良くも悪くもハリウッド大作らしいマイケル・ベイの熱血少年映画のあとは、アメリカンバーガーにたっぷりのフレンチフライを添えて、アメリカンビールが飲みたくなる。
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「トランスフォーマー/リベンジ」は、派手派手メカオタクのマイケル・ベイが、前作以上に好き放題の大暴れした作品だ。
この夏は先行して公開された「ターミネーター4」が、巨大ロボ型や蛇型ターミネーターを登場させるなど、微妙にこっちの世界観を取り込みにかかっていたが、いやはや現物は比べるのも馬鹿馬鹿しくなるくらいに対照的。
良くも悪くもジェームス・キャメロンという映画作家が創造した世界観を引きずり、お気楽PV専門のMcGでは完全に役者不足なテーマ性を内包するあちらと違い、こちらは元々が日本のタカラが生み出したロボット玩具を売るために作られた商業主義バリバリのアニメの実写リメイクという代物。
元から「愛」「友情」以上のテーマ性などに興味がなく、ただカッコいいロボたちと最新兵器のバトルを描きたいベイの嗜好にピタリとはまり、150分ひたすら見せ場の連続だ。
今回のロボットバトルは「合体」という新しいベクトルが加わり、巨大ロボット物としても正しい進化を成し遂げている。
「キューブ」を巡る戦いから2年。
ディセプティコンの残党と、オートボッツ&人類の連合軍の戦いは今も人知れず進行中。
大学生に進学する事になったサム(シャイア・ラブーフ)は、遠距離恋愛となるミカエラ(ミーガン・フォックス)との仲がどうなるのか心配。
さらにはガレージにいるバンブルビーにもしばしの別れを告げなければならず、悩みは尽きない。
そんなある日、サムはクローゼットにしまってあった服のポケットから、キューブの欠片を発見する。
小石ほどの欠片だったが、その力は凄まじく、サムの家の台所家電は一斉にトランスフォームし、大騒動となってしまう。
バンブルビーの力によって、何とか事なきを得る事が出来たが、このときキューブの破片からサムの脳にある重要な情報がインプットされる。
その事を知ったディセプティコンたちは、大学の寮に入ったサムから情報を引き出そうとするのだが・・・・。
日本版のタイトルは「トランスフォーマー/リベンジ」だが、原題は「TRANSFORMERS:Revenge of the Fallen」となっている。
ファーレン?そんな奴前回出てきたっけ?と思いつつ観に行ったら、何と今回ディセプティコンは新ボスキャラと共に大幅に戦力アップ。
前回ボスのメガトロンは中ボスに格下げされ、どうやら数千年前から地球を巡ってオプティマスたちと戦い続けているファーレンなるキャラが登場し、呼び集めたディセプティコン軍団で善玉オートボッツと人類へ総攻撃をかけて来る。
その数とバリエーションたるや、パチンコ球サイズから、7体の巨大ロボが合体した超大型四足ロボまで、一体何体出てきたのかわからないくらいだ。
オートボッツ軍団もバイク型が加わったり、新顔が増えているが、こっちは例によって車輪モノ括りがあるので、サイズも含めて迫力は圧倒的にディセプティコン。
代わりに人類の、というか米軍の兵器がまるで見本市の様に登場し、バトルシーンを盛り上げる。
そう、今回も男の子の大好きな、ロボットと車と兵器の三点セットで、要するに米軍と自動車、バイクメーカーの全面協力なのである。
登場するオートボッツたちが、先日破綻したGM車ばかりなのが微妙に時代の切なさを感じさせるが、映画製作者はチケットとロボット玩具を売りまくるために、軍は入隊者が増えると良いな~という思惑で、自動車メーカーは2時間オーバーのCMのつもりで、それぞれに手を組んでいるという正に商業主義の権化の様な映画である。
下手すりゃ印象がタイアップだけの映画に成りかねない作りで、実際相当に露骨なのだけど、どこまでも能天気なマイケル・ベイ節がこの映画を救っている。
今時360°スピンのキスシーンなどという、こっ恥ずかしい演出を堂々と出来るのは、ハリウッド広しと言えどもベイくらいのものだろうし、和製ロボットアニメから「マトリックス」まで様々な映画的記憶を臆面も無く嬉々として再現し、さらには兵器や車に対する子供っぽい憧れをここまでストレートに表現できるのはある意味凄い才能かもしれない。
とにかく描きたい要素をごった煮的にぶち込んだという展開は、キチンと全体図を描いてから計算されているというよりは、完全に行き当たりばったりで、もはや物語らしい物語も存在せず、世界を又にかけるバトルシーンを作り出すために強引に繋ぎ合わせている印象だ。
だが、何故かそんな荒っぽさが気にならない。
キャラクターや出来事を含め、前作よりもあらゆる要素が増えているのだが、展開がサクサク進み全体の8割くらいはアクションという作りなので、余計な事を考えている暇がないのだ。
この映画の場合、別にテーマなんてどうでも良く、ド派手なロボットバトルアクションを見せたいというコンセプトが明確なので、それ以外の要素は結局刺身のツマみたいなもの。
とりあえず皿に載っていてバランスをとってくれればそれで良いという、ある意味エンターテイメントとして非常に潔い作りだ。
演出的にも、今回はしっかりとした進化が見られる。
前作ではロボットたちの動きがあまりにも早すぎて、アクションシーンで何が起こっているのか良くわからない部分が多かったが、今回はスローモーションの使い方がより適切になった他、アングルも工夫されてキッチリ見せる努力がされており、ロボットバトルの魅力を高めている。
またユーモアの要素が増えているのも今回の特徴で、前回から引き続き登場のシモンズ捜査官やサムの両親は完全にコミックリリーフと化し、オートボッツ軍団にもチビのお笑い担当が登場するなど、アクションとギャグを映画の緩急につなげようという意図が見られ、これはそれなりに成功している。
相手が宇宙人だろうが何だろうが、とにかく最初は外交交渉だ!と言う大統領の国防顧問が出てきて、就任したばかりのオバマ大統領が早速茶化されているあたりは、さすがハリウッド。
そう言えば、ドリームワークスの幹部たちは、グーグルやアップル関係者と並び、昨年の大統領選のオバマ陣営への大口献金者のトップ10にズラズラ名前を連ねていたが、だからと言って映画の中では容赦なしという事か。
ただ、色々と工夫されているとは言え、この一本調子な内容で150分はさすがに長い。
アクションシーンの中には、削っても流れに影響無い部分もかなりあり、2時間程度に纏めてくれたらより魅力的な作品となったと思う。
あと、前作ではいちいち決めてくれていた、ロボットたちが登場する時の見得を切る描写が見られなくなっていたのは残念。
ちなみにロボット物に限らず、ヒーローたちが見得を切るアクションというのは、外国人監督にはなかなか難しい様で、嘗ての「パワーレンジャー」など日本製ヒーロー物の米国版にも日本人監督が起用されるケースが多かったのは、見得や決めポーズなどに独特の演出センス(と、それを理解しているスタントチーム)が要求されるからだという。
まあそう考えると、本作は日本型ロボット物からよりアメリカンな方向性を強めたとも言えるのだが。
いずれにしても、まだまだ続きそうなこのシリーズ、キャラもアクションもこれだけバリエーションをやりつくして、一体次はどんな手で来るのか?2012年に予定されている「3」の公開を期待して待ちたいと思う。
今回はどこまでもアメリカンな映画に合わせてアメリカンビールの「サミュエル・アダムス・ボストンラガー」をチョイス。
元々 米国で最も有名な地ビールと言われていたが、今やその知名度は十分メジャー。
とは言え限りなく水に近いバドなどとは一線を画す作りで、モルトの風味は強めでコクもある。
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2009年06月17日 (水) | 編集 |
「レスラー」は優れた人間ドラマであると同時に、ある種のドキュメンタリーの様でもある。
それは自然光の下で手持ちカメラを多用した映像のスタイル以上に、主人公であるランディに彼を演じるミッキー・ロークのリアルな人生がかぶって見えるためだ。
80年代に一世を風靡したスターレスラーと、80年代にセクシー系俳優として絶大な人気を誇ったものの、いつしか過去の人になっていたローク。
ダーレン・アロノフスキー監督は、ニコラス・ケイジ主演を主張するスタジオと対決してまで、ミッキー・ロークにこだわり、結果的にハリウッド映画らしからぬ低予算作品となったという。
だが、完成した映画を観ると、監督がなぜそれほどまでにロークに固執したのかが良くわかる。
この作品は正に彼のために書かれた物語であり、ミッキー・ローク以外の俳優がこの役を演じるのは今となっては想像すら出来ない。
プロレスの世界で数々の名勝負を繰り広げたスーパースター、ランディ・”ザ・ラム”・ロビンソン(ミッキー・ローク)は、50代になった今もリングに立ち続けている。
だが、栄光の時代は遠い過去へ去り、嘗ての仲間の殆どは引退。
今では、スーパーでアルバイトをしながら週末だけ細々とレスラーとして活動し、自分の子供ほどの世代の若手と戦う日々を送っている。
ある時、ランディは試合後に、常用している薬物の副作用から心臓発作を起こして意識を失ってしまう。
目を覚ましたランディに、医師はもう二度とプロレスは出来ないと告げる。
喪失感に苛まれたランディは、密かに心を寄せる馴染みのストリッパー、パム(マリサ・トメイ)に心の内を打ち明けるが、彼女は疎遠になっている一人娘のステファニー(エヴァン・レイチェル・ウッド)と連絡を取るべきだとランディを諭すのだが・・・
物語は非常にシンプルで、メインとなる登場人物もたった3人。
人生の危機に直面した落ち目の中年レスラーのランディが、思いを寄せるストリッパーのパム、疎遠な娘のステファニーとの葛藤を経て、自分自身の居場所を再確認する、ただそれだけの話である。
ぶっちゃけ物語に新鮮味は無く、プロットだけ見れば、ミドルエイジクライシスを描いたありふれたファイト・ムービーに過ぎない。
こりゃ確かに、客が呼べるであろうスター俳優でもぶち込まなければ、商業的成功はあり得ないとスタジオが考えるのももっともだ。
だが、そうしたビジネス的な誘惑に背を向けて、あくまでもミッキー・ローク主演に拘ったダーレン・アロノフスキーには確実に勝算があったと思う。
奇を衒った部分の無い、シンプルでストレートな物語だからこそ、主人公には圧倒的なリアリティが必要で、それは良くも悪くも現役スター俳優であるニコラス・ケイジでは出せなかっただろうし、もしケイジ主演なら作品そのものが陳腐化してしまっただろう。
逆に、主人公のキャラクターに説得力を持たせる事が出来れば、ありきたりな物語だからこそ、人生の悲哀を知る多くの観客の支持を集める事が出来る。
ミッキー・ロークの一般的な印象と言えば、日本でもアメリカでもあの失笑ものの猫パンチボクシング。
突然のプロボクサー転身の衝撃が強すぎて、それ以前の彼の活躍も悪い意味で霞んでしまった。
まあ、「シン・シティ」などで往年の輝きの一部を取り戻しつつあったものの、主演俳優としてはもう長い事観た記憶が無い。
故に、本作の落ち目のレスラー役は、現実の彼の人生とかぶり生々しいインパクトがある。
画面に映し出されるロークの顔は、顎が弛み、ボクシングの影響なのか若干パーツも崩れているように見え、とても嘗てセックスシンボルと言われた男には見えない。
だが、まるで実際のレスラーの様に肉体改造をして挑んだロークの演技は、間違いなく一世一代の名演と言って良いと思う。
レスラーの肉体を再現した俳優と言えば、 「力道山」でタイトルロールを演じた韓国のカメレオンアクター、ソル・ギョングが素晴らしかったが、この作品のロークも完全にレスラーに見える。
もちろん、見た目だけではなく、レスラー家業の悲哀や家族への複雑な思いを表現する細やかな演技も実に巧みで、初のオスカー主演男優賞ノミネートをはじめ、世界中の演技賞を総なめにしたのも納得だ。
個人的にはオスカーも彼にとって欲しかった。
ランディに絡む、対照的な二人の女性も素晴らしい。
ストリッパーのパムを演じるマリサ・トメイは、ロークとは違った意味で体を張った役だ。
既に評価を確立したアカデミー賞女優でもある彼女が、この役を受ける事自体がかなりリスキーだったと思うが、ランディの心の支えであると同時に、合わせ鏡としての役割も持つ、重要な役を見事に演じきった。
刹那的な生き方をする父との、愛憎入り混じる葛藤を抱えるステファニーを演じる若手のエヴァン・レイチェル・ウッドも出番は多くないが、ベテラン二人に伍して存在感を発揮する。
彼女の登場シーンは、特にランディの心情をダイレクトに反映する部分が多かった事もあり、強く印象に残る。
もちろん、監督のダーレン・アロノフスキーにとっても、これは新境地。
おそらく、名前を伏せて観たら彼の映画とは思わなかったかもしれない。
どちらかというと構造的にも映像的にも凝った作品の印象があったので、これほどシンプルな物語を成立させられる事に驚いた。
ディテールを丹念に描くことで、主人公の生きてきたプロレスという世界に説得力を持たせると同時に、トリビア的な興味で間を持たせるあたりも上手い。
昔からプロレスはスポーツなのかショーなのかという議論はあったが、今回の場合はプロレスのビハインド・ザ・シーンがアッケラカンと描写される事にびっくり。
対戦相手と乱闘用小道具をスーパーに買いに行くあたりは笑ってしまった。
また、プロレスを題材とした事には象徴的な意味もあるのではないかと思う。
何処までも厳しい現実世界に対して、貧乏ながらも和気あいあいとして、いつでもランディを包み込んでくれる家族的なプロレス界は、全てが演出された虚構の世界でもある。
映画という虚構と、キャストの現実の相乗効果を狙ったアロノフスキーは、プロレス界と映画界の共通点も当然計算済みだろう。
それに、あくまでも一攫千金狙いの真剣勝負であるボクシングや総合格闘技とは違って、プロレスは長年の継続が前提となり、この作品に描かれる様に、中高年の選手も珍しくない。
彼らは必ずしも、金のためにやっている訳ではないのだろう。
ボロボロ、ヨレヨレになりながらもレスラーがリングに立ち続ける理由。
それこそが「レスラー」に描かれているテーマである。
物語を通して、ランディは何も失わないし、何も得る物も無い。
単に自分自身が何者で、何処にいるべきなのかを確認するだけである。
ただそれだけの事なのに、エンドクレジットでは涙がとまらない。
たとえ報われなくても、一人ぼっちだとしても、自分自身が輝ける場所にたどり着ける人間、その場所を見つけられた人間は幸せだ。
その事実を知る多くの観客は、不器用ながら気高く切ないランディの生き様に、自分自身の夢を観るのかも知れない。
何でも、主題歌を担当したブルース・スプリングスティーンはミッキー・ローク自身からの依頼の手紙に心動かされ、低予算のプロジェクトに対して無償で主題歌を提供したという。
なるほど、この映画の筋書きはありふれていて新しい物は何も無いし、画面からもチープさが伝わってくる様に、決して恵まれた環境で作られた作品ではないのかもしれないが、物作りに一番大切な作り手たちの真摯な情熱は溢れ出るほど詰まっている。
泣ける、映画である。
今回は、ピリリと辛口の「オーレ・テキラー」をチョイス。
メキシコ産をニューオーリンズでボトリングしたホワイトテキーラで、「オーレ」とはもちろん闘牛の掛け声。
本作のランディは「the ram」つまり雄羊だが、角を突き立てて突進する様は雄牛同様。
この男の熱い生き様は、闘牛士の様にヒラリとは避け切れない。
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それは自然光の下で手持ちカメラを多用した映像のスタイル以上に、主人公であるランディに彼を演じるミッキー・ロークのリアルな人生がかぶって見えるためだ。
80年代に一世を風靡したスターレスラーと、80年代にセクシー系俳優として絶大な人気を誇ったものの、いつしか過去の人になっていたローク。
ダーレン・アロノフスキー監督は、ニコラス・ケイジ主演を主張するスタジオと対決してまで、ミッキー・ロークにこだわり、結果的にハリウッド映画らしからぬ低予算作品となったという。
だが、完成した映画を観ると、監督がなぜそれほどまでにロークに固執したのかが良くわかる。
この作品は正に彼のために書かれた物語であり、ミッキー・ローク以外の俳優がこの役を演じるのは今となっては想像すら出来ない。
プロレスの世界で数々の名勝負を繰り広げたスーパースター、ランディ・”ザ・ラム”・ロビンソン(ミッキー・ローク)は、50代になった今もリングに立ち続けている。
だが、栄光の時代は遠い過去へ去り、嘗ての仲間の殆どは引退。
今では、スーパーでアルバイトをしながら週末だけ細々とレスラーとして活動し、自分の子供ほどの世代の若手と戦う日々を送っている。
ある時、ランディは試合後に、常用している薬物の副作用から心臓発作を起こして意識を失ってしまう。
目を覚ましたランディに、医師はもう二度とプロレスは出来ないと告げる。
喪失感に苛まれたランディは、密かに心を寄せる馴染みのストリッパー、パム(マリサ・トメイ)に心の内を打ち明けるが、彼女は疎遠になっている一人娘のステファニー(エヴァン・レイチェル・ウッド)と連絡を取るべきだとランディを諭すのだが・・・
物語は非常にシンプルで、メインとなる登場人物もたった3人。
人生の危機に直面した落ち目の中年レスラーのランディが、思いを寄せるストリッパーのパム、疎遠な娘のステファニーとの葛藤を経て、自分自身の居場所を再確認する、ただそれだけの話である。
ぶっちゃけ物語に新鮮味は無く、プロットだけ見れば、ミドルエイジクライシスを描いたありふれたファイト・ムービーに過ぎない。
こりゃ確かに、客が呼べるであろうスター俳優でもぶち込まなければ、商業的成功はあり得ないとスタジオが考えるのももっともだ。
だが、そうしたビジネス的な誘惑に背を向けて、あくまでもミッキー・ローク主演に拘ったダーレン・アロノフスキーには確実に勝算があったと思う。
奇を衒った部分の無い、シンプルでストレートな物語だからこそ、主人公には圧倒的なリアリティが必要で、それは良くも悪くも現役スター俳優であるニコラス・ケイジでは出せなかっただろうし、もしケイジ主演なら作品そのものが陳腐化してしまっただろう。
逆に、主人公のキャラクターに説得力を持たせる事が出来れば、ありきたりな物語だからこそ、人生の悲哀を知る多くの観客の支持を集める事が出来る。
ミッキー・ロークの一般的な印象と言えば、日本でもアメリカでもあの失笑ものの猫パンチボクシング。
突然のプロボクサー転身の衝撃が強すぎて、それ以前の彼の活躍も悪い意味で霞んでしまった。
まあ、「シン・シティ」などで往年の輝きの一部を取り戻しつつあったものの、主演俳優としてはもう長い事観た記憶が無い。
故に、本作の落ち目のレスラー役は、現実の彼の人生とかぶり生々しいインパクトがある。
画面に映し出されるロークの顔は、顎が弛み、ボクシングの影響なのか若干パーツも崩れているように見え、とても嘗てセックスシンボルと言われた男には見えない。
だが、まるで実際のレスラーの様に肉体改造をして挑んだロークの演技は、間違いなく一世一代の名演と言って良いと思う。
レスラーの肉体を再現した俳優と言えば、 「力道山」でタイトルロールを演じた韓国のカメレオンアクター、ソル・ギョングが素晴らしかったが、この作品のロークも完全にレスラーに見える。
もちろん、見た目だけではなく、レスラー家業の悲哀や家族への複雑な思いを表現する細やかな演技も実に巧みで、初のオスカー主演男優賞ノミネートをはじめ、世界中の演技賞を総なめにしたのも納得だ。
個人的にはオスカーも彼にとって欲しかった。
ランディに絡む、対照的な二人の女性も素晴らしい。
ストリッパーのパムを演じるマリサ・トメイは、ロークとは違った意味で体を張った役だ。
既に評価を確立したアカデミー賞女優でもある彼女が、この役を受ける事自体がかなりリスキーだったと思うが、ランディの心の支えであると同時に、合わせ鏡としての役割も持つ、重要な役を見事に演じきった。
刹那的な生き方をする父との、愛憎入り混じる葛藤を抱えるステファニーを演じる若手のエヴァン・レイチェル・ウッドも出番は多くないが、ベテラン二人に伍して存在感を発揮する。
彼女の登場シーンは、特にランディの心情をダイレクトに反映する部分が多かった事もあり、強く印象に残る。
もちろん、監督のダーレン・アロノフスキーにとっても、これは新境地。
おそらく、名前を伏せて観たら彼の映画とは思わなかったかもしれない。
どちらかというと構造的にも映像的にも凝った作品の印象があったので、これほどシンプルな物語を成立させられる事に驚いた。
ディテールを丹念に描くことで、主人公の生きてきたプロレスという世界に説得力を持たせると同時に、トリビア的な興味で間を持たせるあたりも上手い。
昔からプロレスはスポーツなのかショーなのかという議論はあったが、今回の場合はプロレスのビハインド・ザ・シーンがアッケラカンと描写される事にびっくり。
対戦相手と乱闘用小道具をスーパーに買いに行くあたりは笑ってしまった。
また、プロレスを題材とした事には象徴的な意味もあるのではないかと思う。
何処までも厳しい現実世界に対して、貧乏ながらも和気あいあいとして、いつでもランディを包み込んでくれる家族的なプロレス界は、全てが演出された虚構の世界でもある。
映画という虚構と、キャストの現実の相乗効果を狙ったアロノフスキーは、プロレス界と映画界の共通点も当然計算済みだろう。
それに、あくまでも一攫千金狙いの真剣勝負であるボクシングや総合格闘技とは違って、プロレスは長年の継続が前提となり、この作品に描かれる様に、中高年の選手も珍しくない。
彼らは必ずしも、金のためにやっている訳ではないのだろう。
ボロボロ、ヨレヨレになりながらもレスラーがリングに立ち続ける理由。
それこそが「レスラー」に描かれているテーマである。
物語を通して、ランディは何も失わないし、何も得る物も無い。
単に自分自身が何者で、何処にいるべきなのかを確認するだけである。
ただそれだけの事なのに、エンドクレジットでは涙がとまらない。
たとえ報われなくても、一人ぼっちだとしても、自分自身が輝ける場所にたどり着ける人間、その場所を見つけられた人間は幸せだ。
その事実を知る多くの観客は、不器用ながら気高く切ないランディの生き様に、自分自身の夢を観るのかも知れない。
何でも、主題歌を担当したブルース・スプリングスティーンはミッキー・ローク自身からの依頼の手紙に心動かされ、低予算のプロジェクトに対して無償で主題歌を提供したという。
なるほど、この映画の筋書きはありふれていて新しい物は何も無いし、画面からもチープさが伝わってくる様に、決して恵まれた環境で作られた作品ではないのかもしれないが、物作りに一番大切な作り手たちの真摯な情熱は溢れ出るほど詰まっている。
泣ける、映画である。
今回は、ピリリと辛口の「オーレ・テキラー」をチョイス。
メキシコ産をニューオーリンズでボトリングしたホワイトテキーラで、「オーレ」とはもちろん闘牛の掛け声。
本作のランディは「the ram」つまり雄羊だが、角を突き立てて突進する様は雄牛同様。
この男の熱い生き様は、闘牛士の様にヒラリとは避け切れない。

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2009年06月10日 (水) | 編集 |
1984年に誕生した「ターミネーター」シリーズの、6年ぶりになる第四弾。
それぞれの製作時点での「現在」を舞台に、コナー母子VS未来から送り込まれるターミネーターの戦いというパターンを踏襲していた過去3作と異なり、今回は初めて「審判の日」以降の未来世界が描かれる。
したがって、ターミネーターというモチーフは共通しているものの、作品のムードはがらりと変わっており、どちらかというと近未来を舞台にした戦争映画という趣だ。
前作のジョナサン・モストウからバトンタッチしたMcG監督は、シリーズの伝統でもある重量感たっぷりのアクションを、これでもかというくらい盛り込んで、ビジュアル的には迫力満点。
バイク型から巨大ロボまで、様々なタイプのターミネーターが登場するのも楽しいが、シナリオがちょっと荒っぽいぞ。
西暦2018年。
「審判の日」以来、スカイネットと生き残った人類の戦争が勃発。
ジョン・コナー(クリスチャン・ベール)たち人類の抵抗軍は、わずかな拠点と武器を手に、絶望的な戦いを続けている。
そんな時、抵抗軍の司令部がスカイネットの機能を停止させられるシグナルの解析に成功し、一気に総攻撃をかけてスカイネットを殲滅させる作戦を立てる。
作戦の実行部隊を指揮するのはコナー。
しかし、彼の父となる運命のカイル・リース(アントン・イェルチン)が、捕虜としてスカイネットの本拠地に連行された事がわかる。
もしも救出せずに攻撃すれば、カイルは過去へ送られずに死に、コナーも生まれない事になる。
コナーは、謎の男マーカス(サム・ワーシントン)の協力を得て、単身救出に向かうのだが・・・
今回、ジョン・コナーを演じるのは、ヒーローならお任せのクリスチャン・ベール。
やはりブルース・ウェイン役の印象が強いが、世界観がまるで違う事もあって直ぐに気にならなくなり、内側に秘めたものを感じさせるベールのイメージは、コナー役にはなかなか良い具合に嵌っている。
前作でクレア・ディンズが演じた妻のケイト役は、元々シャルロット・ゲンズブールが演じるはずだったらしいが、降板でブライス・ダラス・ハワードに。
少年時代のカイル・リースにアントン・イェルチン、謎の男マーカスにサム・ワーシントンがキャスティングされ、それぞれ役柄のイメージにはまずまず合っていると思う。
第一作以来久々登場のカイル・リースは、登場して最初の台詞が一作目と同じだったりするのも、旧作のファンには嬉しいところだ。
売り物のアクションシーンは、今までの様なターミネーター同士の一対一の肉体アクションだけでなく、A10攻撃機VSハンターキラーの空中戦から、どう見ても勝てそうに無い巨大ロボとの死闘まで、多種多様なターミネーターに合わせて、様々なシチュエーションがてんこ盛りだ。
この世界では「新型」であるT-800の登場シーンでは、若き日のシュワ知事の顔が現役ボディビルダーの体と合成されてデジタル出演しているのも見もの。
出番としては決して多くないが、やはりこのシリーズには必要な「顔」だろう。
ただ、見せ場には事欠かないものの、映画全体のイメージとしてはいま一つピリッとしない。
物語の大きな流れは考えれれているものの、ディテールが荒っぽく、御都合主義で無理やり展開させている部分が目立つのだ。
タイムパラドックス云々ではない。
このシリーズでそれを言うほど野暮な事は無いだろうが、それ以外にも疑問点が山盛りだ。
例えば、物語のキーとなるマーカスの存在はかなり強引。
スカイネットはなぜ2002年から16年間もたってマーカスを作ったのか?ヘレナ・ボナム・カーター演じる博士は一体何をやったのか?なぜか心臓が人間の物という設定も、必然性が無く御都合主義としか思えない。
何よりも実質的なダブル主役にも関わらず、マーカスの背景が全くと言っていいほど描かれていないので、一体どんな人間(?)なのか最後までわからないのだ。
彼がカイル・リースに出会ったのも単なる偶然に過ぎないし、そもそもこんな不確実な代物に自らの運命をゆだねるスカイネットって・・・。
まあこのあたりは続編で謎解きがあるのかもしれないが、どう考えても辻褄が合わないのが、スカイネットがカイル・リースを捕虜にする事だ。
何しろこの世界のお約束では、カイルを見つけた時点で直ぐに殺せば、カイルは過去に送られず、ジョン・コナーも生まれてこないはずではないか。
もしそうでないなら、コナーにとってもカイルを救う理由が無くなってしまうのだから、これはもう物語の大前提で、タイムパラドックスうんぬんの話ではない。
何らかの作劇上のロジックを使って、ここを誤魔化す、あるいは目が行かないようにしてくれているならまだしも、何のフォローも無いのでスカイネットが限りなくバカに見えてしまった。
そう言えばまるで「宇宙戦争」の宇宙人よろしく、大量の人間を捕虜にしてたけど、あれも意味不明。
実験材料には多すぎるだろうし、何にすんの?まさかバイオ燃料?
もっとも、一番疑問なのはやはり物語のオチである。
瀕死のジョン・コナーは、マーカスのあまりと言えばあんまりな申し出を、ニッコリと微笑んで、すんなり受け入れてしまうのだ。
ちょ、ちょっと待て!あんたさっきマーカスを人間と認めたのとちゃうんかい!?
これでは自分が助かるために、平然と部下を犠牲にする傲慢な指揮官ではないか。
いくら自分が人類の救世主と予言されていたとしても、キャラクターとして感情移入出来ず、あれほど拘っていた捕虜の救出も、結局自分が消えないためにやったとしか思えなくなってくる。
自己犠牲的な行為に戸惑うブレアに対する、マーカスの答えも変だ。
彼の内面が描かれていないせいもあるが、あえて命を捨てる理由とは到底思えないのである。
百歩譲って、コナーは人類の未来のためなら全てを犠牲にする覚悟を決めているのだとしても、それならば人類の未来を託するに値する彼の人物像を描かなければなるまい。
少なくとも本作の時点で、彼はスカイネットの罠にあっさりと引っかかる程度の、多少向こう意気の強い現場指揮官にしか見えない。
シリーズの生みの親であるジェームス・キャメロンは、この物語は「2」で完結したと考えているという。
まあそれはその通りで、内容的にもテーマ的にも、きっちりと対称を形作る「1」と「2」で見事に作品として完成していると思う。
故にキャメロンがノータッチの「3」以降は、明確にビジネス的な思惑で作られた作品であり、必然的に物語よりもビジュアル重視になるのはやむを得ない部分があると思うが、それでももう少しテーマ性を考えたならば、この映画のラストはあり得ないのではないか。
どうも、作り手自身がこの作品で描くべき物は何なのか、いま一つ明確に出来ていなかった様な気がする。
「ターミネーター4」は、ビジュアル面では充実しているのでそこそこ面白いのだけど、シリーズ全体でみればキャメロンの最初の2本にはおろか、過去最低作といわれた「3」にも及ばない。
とりあえず、次回作が作られることはもう決まっているらしいから、さらなる展開に期待したい。
少なくとも人類の救世主たるジョン・コナーの人物像は、もうちょっとしっかりと造形してもらいたいものである。
今回は、シュワ知事のカリフォルニアから「ファー・ニエンテ エステート・ボトルド シャルドネ・ナパヴァレー2007」をチョイス。
「ファー・ニエンテ」はカベルネ・ソーヴィニヨンが有名だが、こちらはスッキリとした喉越しと、柑橘系を中心とした果実香が楽しめる華やかな酒で、この価格帯では私が一番好きなカリフォルニアシャルドネだ。
名物オーナーのギル・ニッケル氏は残念ながら6年前に他界したが、今のところ味はしっかりと守られている様だ。
やや引っかかる映画の後味を、綺麗に流してくれるだろう。
ちなみに「ファー・ニエンテ」とは直訳すればイタリア語で「何もしない」で、要するに「のんびりいくぜ」みたいな意味だ。
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それぞれの製作時点での「現在」を舞台に、コナー母子VS未来から送り込まれるターミネーターの戦いというパターンを踏襲していた過去3作と異なり、今回は初めて「審判の日」以降の未来世界が描かれる。
したがって、ターミネーターというモチーフは共通しているものの、作品のムードはがらりと変わっており、どちらかというと近未来を舞台にした戦争映画という趣だ。
前作のジョナサン・モストウからバトンタッチしたMcG監督は、シリーズの伝統でもある重量感たっぷりのアクションを、これでもかというくらい盛り込んで、ビジュアル的には迫力満点。
バイク型から巨大ロボまで、様々なタイプのターミネーターが登場するのも楽しいが、シナリオがちょっと荒っぽいぞ。
西暦2018年。
「審判の日」以来、スカイネットと生き残った人類の戦争が勃発。
ジョン・コナー(クリスチャン・ベール)たち人類の抵抗軍は、わずかな拠点と武器を手に、絶望的な戦いを続けている。
そんな時、抵抗軍の司令部がスカイネットの機能を停止させられるシグナルの解析に成功し、一気に総攻撃をかけてスカイネットを殲滅させる作戦を立てる。
作戦の実行部隊を指揮するのはコナー。
しかし、彼の父となる運命のカイル・リース(アントン・イェルチン)が、捕虜としてスカイネットの本拠地に連行された事がわかる。
もしも救出せずに攻撃すれば、カイルは過去へ送られずに死に、コナーも生まれない事になる。
コナーは、謎の男マーカス(サム・ワーシントン)の協力を得て、単身救出に向かうのだが・・・
今回、ジョン・コナーを演じるのは、ヒーローならお任せのクリスチャン・ベール。
やはりブルース・ウェイン役の印象が強いが、世界観がまるで違う事もあって直ぐに気にならなくなり、内側に秘めたものを感じさせるベールのイメージは、コナー役にはなかなか良い具合に嵌っている。
前作でクレア・ディンズが演じた妻のケイト役は、元々シャルロット・ゲンズブールが演じるはずだったらしいが、降板でブライス・ダラス・ハワードに。
少年時代のカイル・リースにアントン・イェルチン、謎の男マーカスにサム・ワーシントンがキャスティングされ、それぞれ役柄のイメージにはまずまず合っていると思う。
第一作以来久々登場のカイル・リースは、登場して最初の台詞が一作目と同じだったりするのも、旧作のファンには嬉しいところだ。
売り物のアクションシーンは、今までの様なターミネーター同士の一対一の肉体アクションだけでなく、A10攻撃機VSハンターキラーの空中戦から、どう見ても勝てそうに無い巨大ロボとの死闘まで、多種多様なターミネーターに合わせて、様々なシチュエーションがてんこ盛りだ。
この世界では「新型」であるT-800の登場シーンでは、若き日のシュワ知事の顔が現役ボディビルダーの体と合成されてデジタル出演しているのも見もの。
出番としては決して多くないが、やはりこのシリーズには必要な「顔」だろう。
ただ、見せ場には事欠かないものの、映画全体のイメージとしてはいま一つピリッとしない。
物語の大きな流れは考えれれているものの、ディテールが荒っぽく、御都合主義で無理やり展開させている部分が目立つのだ。
タイムパラドックス云々ではない。
このシリーズでそれを言うほど野暮な事は無いだろうが、それ以外にも疑問点が山盛りだ。
例えば、物語のキーとなるマーカスの存在はかなり強引。
スカイネットはなぜ2002年から16年間もたってマーカスを作ったのか?ヘレナ・ボナム・カーター演じる博士は一体何をやったのか?なぜか心臓が人間の物という設定も、必然性が無く御都合主義としか思えない。
何よりも実質的なダブル主役にも関わらず、マーカスの背景が全くと言っていいほど描かれていないので、一体どんな人間(?)なのか最後までわからないのだ。
彼がカイル・リースに出会ったのも単なる偶然に過ぎないし、そもそもこんな不確実な代物に自らの運命をゆだねるスカイネットって・・・。
まあこのあたりは続編で謎解きがあるのかもしれないが、どう考えても辻褄が合わないのが、スカイネットがカイル・リースを捕虜にする事だ。
何しろこの世界のお約束では、カイルを見つけた時点で直ぐに殺せば、カイルは過去に送られず、ジョン・コナーも生まれてこないはずではないか。
もしそうでないなら、コナーにとってもカイルを救う理由が無くなってしまうのだから、これはもう物語の大前提で、タイムパラドックスうんぬんの話ではない。
何らかの作劇上のロジックを使って、ここを誤魔化す、あるいは目が行かないようにしてくれているならまだしも、何のフォローも無いのでスカイネットが限りなくバカに見えてしまった。
そう言えばまるで「宇宙戦争」の宇宙人よろしく、大量の人間を捕虜にしてたけど、あれも意味不明。
実験材料には多すぎるだろうし、何にすんの?まさかバイオ燃料?
もっとも、一番疑問なのはやはり物語のオチである。
瀕死のジョン・コナーは、マーカスのあまりと言えばあんまりな申し出を、ニッコリと微笑んで、すんなり受け入れてしまうのだ。
ちょ、ちょっと待て!あんたさっきマーカスを人間と認めたのとちゃうんかい!?
これでは自分が助かるために、平然と部下を犠牲にする傲慢な指揮官ではないか。
いくら自分が人類の救世主と予言されていたとしても、キャラクターとして感情移入出来ず、あれほど拘っていた捕虜の救出も、結局自分が消えないためにやったとしか思えなくなってくる。
自己犠牲的な行為に戸惑うブレアに対する、マーカスの答えも変だ。
彼の内面が描かれていないせいもあるが、あえて命を捨てる理由とは到底思えないのである。
百歩譲って、コナーは人類の未来のためなら全てを犠牲にする覚悟を決めているのだとしても、それならば人類の未来を託するに値する彼の人物像を描かなければなるまい。
少なくとも本作の時点で、彼はスカイネットの罠にあっさりと引っかかる程度の、多少向こう意気の強い現場指揮官にしか見えない。
シリーズの生みの親であるジェームス・キャメロンは、この物語は「2」で完結したと考えているという。
まあそれはその通りで、内容的にもテーマ的にも、きっちりと対称を形作る「1」と「2」で見事に作品として完成していると思う。
故にキャメロンがノータッチの「3」以降は、明確にビジネス的な思惑で作られた作品であり、必然的に物語よりもビジュアル重視になるのはやむを得ない部分があると思うが、それでももう少しテーマ性を考えたならば、この映画のラストはあり得ないのではないか。
どうも、作り手自身がこの作品で描くべき物は何なのか、いま一つ明確に出来ていなかった様な気がする。
「ターミネーター4」は、ビジュアル面では充実しているのでそこそこ面白いのだけど、シリーズ全体でみればキャメロンの最初の2本にはおろか、過去最低作といわれた「3」にも及ばない。
とりあえず、次回作が作られることはもう決まっているらしいから、さらなる展開に期待したい。
少なくとも人類の救世主たるジョン・コナーの人物像は、もうちょっとしっかりと造形してもらいたいものである。
今回は、シュワ知事のカリフォルニアから「ファー・ニエンテ エステート・ボトルド シャルドネ・ナパヴァレー2007」をチョイス。
「ファー・ニエンテ」はカベルネ・ソーヴィニヨンが有名だが、こちらはスッキリとした喉越しと、柑橘系を中心とした果実香が楽しめる華やかな酒で、この価格帯では私が一番好きなカリフォルニアシャルドネだ。
名物オーナーのギル・ニッケル氏は残念ながら6年前に他界したが、今のところ味はしっかりと守られている様だ。
やや引っかかる映画の後味を、綺麗に流してくれるだろう。
ちなみに「ファー・ニエンテ」とは直訳すればイタリア語で「何もしない」で、要するに「のんびりいくぜ」みたいな意味だ。

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2009年06月05日 (金) | 編集 |
2000年に公開されたアニメーション映画、「BLOOD THE LAST VAMPIRE」の実写リメイク。
監督は「キス・オブ・ザ・ドラゴン」で知られるフランス人のクリス・ナオン、脚本は「SPIRITスピリット」のクリス・チョウ、主演は韓国のチョン・ジヒョン、敵の大ボスは小雪と正に多国籍、いや無国籍映画。
セーラー服のヴァンパイアハンターという基本コンセプトはアニメ版と同一だが、オリジナルは48分の中篇なので、後半部分を大幅に拡大している。
1970年、東京。
人間に紛れて存在し、人間を喰らう「オニ」を狩る少女サヤ(チョン・ジヒョン)は、組織から米軍関東基地への潜入指令を受ける。
数百年前に出現し、全てのオニの祖となったオニゲン(小雪)が現れ、オニたちが活発化。
米軍基地にもオニが絡むと見られる事件が多発していた。
基地のハイスクールに転向したサヤは、基地司令の娘アリス(アリソン・ミラー)がオニたちに襲われている所を助けるのだが・・・・
各方面で評価の高いオリジナルのアニメ版だが、私はまあまあ面白かったものの、絶賛されるほどには素晴らしい作品とも思っておらず、実写リメイクされると聞いてちょっと驚いた。
ぶっちゃけ、あれは「女ブレイド」であり、1998年に公開されたハリウッド映画と、その原作コミックの影響下に作られた作品なのは間違いないだろう。
アニメ版では「翼手」と呼ばれていたヴァンパイアたちを、人間とヴァンパイアのハーフ少女が「刀」を使って狩ってゆくという設定は、正直パクリギリギリであったと思う。
ただ、舞台をベトナム戦争中の米軍基地という閉鎖空間に設定し、敵味方のわからない白人たちの中に、たった一人セーラー服の少女が入り込むという世界観の面白さがあり、舞台が日本でありながらも実質的な英語劇というのもユニークで、ハリウッド帰りの工藤夕貴が達者な英語でサヤを演じたのも見ものだった。
今回もオリジナルの面白さは生きている。
ロケーションの米軍基地と、セットとCGで作られた猥雑な基地の街のビジュアルはなかなかによく出来ていて、ある種の異世界として機能している。
28歳のチョン・ジヒョンのセーラー服は微妙なところだが、元々が童顔な事もあり雰囲気は悪くない。
日本語の芝居は吹き替えだったが、意外と言っては失礼ながら英語の演技がなかなかしっかりとしているのも驚いた。
アニメ版と同じく、チョン・ジヒョン演じるサヤが米軍基地に侵入し、実写版では「オニ」と呼ばれているヴァンパイアを炙り出し、基地の街での一対多数の大チャンバラアクションを展開するまではまずまず面白く見ることが出来る。
問題は、やはり付け加えられた後半部分。
舞台が米軍基地から離れ、山深い田舎となり、さらに時系列が数百年前のサヤの過去の記憶と絡み合いはじめると、映画はなんだかグダグダになってしまう。
時代劇パートは倉田保昭 が頑張っているものの、相手がヴァンパイアというよりはモロに漫画チックな忍者だったり、サヤの初恋の人がどうやって殺されたのかも描写不足で良く分からなかったり、なんとなくムードで押し流そうとしているのがアリアリ。
売り物のアクションも露骨にCGが目立ち、これなら別にアニメのままでも・・・と感じさせてしまうのは何とも痛い。
決定的なのは、見せ場という見せ場が既にどこかで観た様な既視感を感じさせてしまう事。
オリジナルが公開されてから9年の間に、デジタル技術を駆使したアクションというのはあらかたやり尽くされており、新しい物を作り出すというのは並大抵の事ではないのだけど、だからといって過去の作品で観たようなシーンばかりでは白けるだけである。
特に、サヤがヴァンパイアたちをワンカットで切り倒してゆくカットが、「300 スリーハンドレッド」そっくりなアングルだけでなく、バレットタイムの手法までそのまんま真似しているのには呆れてしまった。
クリス・ナオンの演出は、話が進めば進むほど「キス・オブ・ザ・ドラゴン」で見せたシャープなアクション感覚と物語のリズムが影を潜めてしまう。
まああれは、ジェット・リーという希代のアクションスターの肉体あっての見せ方なのは確かなのだけど、本来なら一番盛り上がらねばならないラスボスの小雪との対決も、CGと生身の人間がかみ合っておらず、消化不良のままあっさりと終わってしまう。
おまけにラストのオチまでつい最近どっかで観たような・・・
「ラスト・ブラッド」は、正直あまり幸福な映画とは言えない。
9年前の時点で、米軍基地を舞台にセーラー服の少女が凶悪なヴァンパイアを切りまくるアニメ、というのは確かにそれなりに新鮮な部分があった。
だが、実写化されたことで、アニメならカリカチュア化、あるいはデザイン化されて格好良く見せられた部分が、単に珍妙で安っぽい描写に成り下がってしまった。
中々に気合の入った、「1970年の日本の裏側」という世界観が画面を支配している前半は何とか間が持つものの、アニメ版の展開から離れて舞台がどこともつかない山の中となると、単なるB級アクションホラーと化してしまう。
どうせなら、後半の変な展開は無くして、米軍基地とその周辺だけで物語を完結させた方が、ずっと引き締まった映画に成ったような気がする。
今回は、アジアン・ビューティーたちのアクション映画ということで「ドラゴン・レディ」をチョイス。
ホワイトラム45ml、オレンジジュース60ml、グレナデンシロップ10ml、キュラソー適量をステアしてグラスに注ぎ、スライスしたオレンジを添える。
ドラゴン・レディとは、元々男を支配するような神秘的な魅力のあるアジア人女性を指す言葉だが、この酒は名前から受ける印象よりは、ずっと甘口でジュース感覚で飲める。
映画に出演していたドラゴン・レディたちも、もっと神秘的で魅力的に撮って欲しかっただろうに。
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監督は「キス・オブ・ザ・ドラゴン」で知られるフランス人のクリス・ナオン、脚本は「SPIRITスピリット」のクリス・チョウ、主演は韓国のチョン・ジヒョン、敵の大ボスは小雪と正に多国籍、いや無国籍映画。
セーラー服のヴァンパイアハンターという基本コンセプトはアニメ版と同一だが、オリジナルは48分の中篇なので、後半部分を大幅に拡大している。
1970年、東京。
人間に紛れて存在し、人間を喰らう「オニ」を狩る少女サヤ(チョン・ジヒョン)は、組織から米軍関東基地への潜入指令を受ける。
数百年前に出現し、全てのオニの祖となったオニゲン(小雪)が現れ、オニたちが活発化。
米軍基地にもオニが絡むと見られる事件が多発していた。
基地のハイスクールに転向したサヤは、基地司令の娘アリス(アリソン・ミラー)がオニたちに襲われている所を助けるのだが・・・・
各方面で評価の高いオリジナルのアニメ版だが、私はまあまあ面白かったものの、絶賛されるほどには素晴らしい作品とも思っておらず、実写リメイクされると聞いてちょっと驚いた。
ぶっちゃけ、あれは「女ブレイド」であり、1998年に公開されたハリウッド映画と、その原作コミックの影響下に作られた作品なのは間違いないだろう。
アニメ版では「翼手」と呼ばれていたヴァンパイアたちを、人間とヴァンパイアのハーフ少女が「刀」を使って狩ってゆくという設定は、正直パクリギリギリであったと思う。
ただ、舞台をベトナム戦争中の米軍基地という閉鎖空間に設定し、敵味方のわからない白人たちの中に、たった一人セーラー服の少女が入り込むという世界観の面白さがあり、舞台が日本でありながらも実質的な英語劇というのもユニークで、ハリウッド帰りの工藤夕貴が達者な英語でサヤを演じたのも見ものだった。
今回もオリジナルの面白さは生きている。
ロケーションの米軍基地と、セットとCGで作られた猥雑な基地の街のビジュアルはなかなかによく出来ていて、ある種の異世界として機能している。
28歳のチョン・ジヒョンのセーラー服は微妙なところだが、元々が童顔な事もあり雰囲気は悪くない。
日本語の芝居は吹き替えだったが、意外と言っては失礼ながら英語の演技がなかなかしっかりとしているのも驚いた。
アニメ版と同じく、チョン・ジヒョン演じるサヤが米軍基地に侵入し、実写版では「オニ」と呼ばれているヴァンパイアを炙り出し、基地の街での一対多数の大チャンバラアクションを展開するまではまずまず面白く見ることが出来る。
問題は、やはり付け加えられた後半部分。
舞台が米軍基地から離れ、山深い田舎となり、さらに時系列が数百年前のサヤの過去の記憶と絡み合いはじめると、映画はなんだかグダグダになってしまう。
時代劇パートは倉田保昭 が頑張っているものの、相手がヴァンパイアというよりはモロに漫画チックな忍者だったり、サヤの初恋の人がどうやって殺されたのかも描写不足で良く分からなかったり、なんとなくムードで押し流そうとしているのがアリアリ。
売り物のアクションも露骨にCGが目立ち、これなら別にアニメのままでも・・・と感じさせてしまうのは何とも痛い。
決定的なのは、見せ場という見せ場が既にどこかで観た様な既視感を感じさせてしまう事。
オリジナルが公開されてから9年の間に、デジタル技術を駆使したアクションというのはあらかたやり尽くされており、新しい物を作り出すというのは並大抵の事ではないのだけど、だからといって過去の作品で観たようなシーンばかりでは白けるだけである。
特に、サヤがヴァンパイアたちをワンカットで切り倒してゆくカットが、「300 スリーハンドレッド」そっくりなアングルだけでなく、バレットタイムの手法までそのまんま真似しているのには呆れてしまった。
クリス・ナオンの演出は、話が進めば進むほど「キス・オブ・ザ・ドラゴン」で見せたシャープなアクション感覚と物語のリズムが影を潜めてしまう。
まああれは、ジェット・リーという希代のアクションスターの肉体あっての見せ方なのは確かなのだけど、本来なら一番盛り上がらねばならないラスボスの小雪との対決も、CGと生身の人間がかみ合っておらず、消化不良のままあっさりと終わってしまう。
おまけにラストのオチまでつい最近どっかで観たような・・・
「ラスト・ブラッド」は、正直あまり幸福な映画とは言えない。
9年前の時点で、米軍基地を舞台にセーラー服の少女が凶悪なヴァンパイアを切りまくるアニメ、というのは確かにそれなりに新鮮な部分があった。
だが、実写化されたことで、アニメならカリカチュア化、あるいはデザイン化されて格好良く見せられた部分が、単に珍妙で安っぽい描写に成り下がってしまった。
中々に気合の入った、「1970年の日本の裏側」という世界観が画面を支配している前半は何とか間が持つものの、アニメ版の展開から離れて舞台がどこともつかない山の中となると、単なるB級アクションホラーと化してしまう。
どうせなら、後半の変な展開は無くして、米軍基地とその周辺だけで物語を完結させた方が、ずっと引き締まった映画に成ったような気がする。
今回は、アジアン・ビューティーたちのアクション映画ということで「ドラゴン・レディ」をチョイス。
ホワイトラム45ml、オレンジジュース60ml、グレナデンシロップ10ml、キュラソー適量をステアしてグラスに注ぎ、スライスしたオレンジを添える。
ドラゴン・レディとは、元々男を支配するような神秘的な魅力のあるアジア人女性を指す言葉だが、この酒は名前から受ける印象よりは、ずっと甘口でジュース感覚で飲める。
映画に出演していたドラゴン・レディたちも、もっと神秘的で魅力的に撮って欲しかっただろうに。

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