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レスラー・・・・・評価額1600円
2009年06月17日 (水) | 編集 |
「レスラー」は優れた人間ドラマであると同時に、ある種のドキュメンタリーの様でもある。
それは自然光の下で手持ちカメラを多用した映像のスタイル以上に、主人公であるランディに彼を演じるミッキー・ロークのリアルな人生がかぶって見えるためだ。
80年代に一世を風靡したスターレスラーと、80年代にセクシー系俳優として絶大な人気を誇ったものの、いつしか過去の人になっていたローク。
ダーレン・アロノフスキー監督は、ニコラス・ケイジ主演を主張するスタジオと対決してまで、ミッキー・ロークにこだわり、結果的にハリウッド映画らしからぬ低予算作品となったという。
だが、完成した映画を観ると、監督がなぜそれほどまでにロークに固執したのかが良くわかる。
この作品は正に彼のために書かれた物語であり、ミッキー・ローク以外の俳優がこの役を演じるのは今となっては想像すら出来ない。

プロレスの世界で数々の名勝負を繰り広げたスーパースター、ランディ・”ザ・ラム”・ロビンソン(ミッキー・ローク)は、50代になった今もリングに立ち続けている。
だが、栄光の時代は遠い過去へ去り、嘗ての仲間の殆どは引退。
今では、スーパーでアルバイトをしながら週末だけ細々とレスラーとして活動し、自分の子供ほどの世代の若手と戦う日々を送っている。
ある時、ランディは試合後に、常用している薬物の副作用から心臓発作を起こして意識を失ってしまう。
目を覚ましたランディに、医師はもう二度とプロレスは出来ないと告げる。
喪失感に苛まれたランディは、密かに心を寄せる馴染みのストリッパー、パム(マリサ・トメイ)に心の内を打ち明けるが、彼女は疎遠になっている一人娘のステファニー(エヴァン・レイチェル・ウッド)と連絡を取るべきだとランディを諭すのだが・・・


物語は非常にシンプルで、メインとなる登場人物もたった3人。
人生の危機に直面した落ち目の中年レスラーのランディが、思いを寄せるストリッパーのパム、疎遠な娘のステファニーとの葛藤を経て、自分自身の居場所を再確認する、ただそれだけの話である。
ぶっちゃけ物語に新鮮味は無く、プロットだけ見れば、ミドルエイジクライシスを描いたありふれたファイト・ムービーに過ぎない。
こりゃ確かに、客が呼べるであろうスター俳優でもぶち込まなければ、商業的成功はあり得ないとスタジオが考えるのももっともだ。
だが、そうしたビジネス的な誘惑に背を向けて、あくまでもミッキー・ローク主演に拘ったダーレン・アロノフスキーには確実に勝算があったと思う。
奇を衒った部分の無い、シンプルでストレートな物語だからこそ、主人公には圧倒的なリアリティが必要で、それは良くも悪くも現役スター俳優であるニコラス・ケイジでは出せなかっただろうし、もしケイジ主演なら作品そのものが陳腐化してしまっただろう。
逆に、主人公のキャラクターに説得力を持たせる事が出来れば、ありきたりな物語だからこそ、人生の悲哀を知る多くの観客の支持を集める事が出来る。

ミッキー・ロークの一般的な印象と言えば、日本でもアメリカでもあの失笑ものの猫パンチボクシング
突然のプロボクサー転身の衝撃が強すぎて、それ以前の彼の活躍も悪い意味で霞んでしまった。
まあ、「シン・シティ」などで往年の輝きの一部を取り戻しつつあったものの、主演俳優としてはもう長い事観た記憶が無い。
故に、本作の落ち目のレスラー役は、現実の彼の人生とかぶり生々しいインパクトがある。
画面に映し出されるロークの顔は、顎が弛み、ボクシングの影響なのか若干パーツも崩れているように見え、とても嘗てセックスシンボルと言われた男には見えない。
だが、まるで実際のレスラーの様に肉体改造をして挑んだロークの演技は、間違いなく一世一代の名演と言って良いと思う。
レスラーの肉体を再現した俳優と言えば、 「力道山」でタイトルロールを演じた韓国のカメレオンアクター、ソル・ギョングが素晴らしかったが、この作品のロークも完全にレスラーに見える。
もちろん、見た目だけではなく、レスラー家業の悲哀や家族への複雑な思いを表現する細やかな演技も実に巧みで、初のオスカー主演男優賞ノミネートをはじめ、世界中の演技賞を総なめにしたのも納得だ。
個人的にはオスカーも彼にとって欲しかった。

ランディに絡む、対照的な二人の女性も素晴らしい。
ストリッパーのパムを演じるマリサ・トメイは、ロークとは違った意味で体を張った役だ。
既に評価を確立したアカデミー賞女優でもある彼女が、この役を受ける事自体がかなりリスキーだったと思うが、ランディの心の支えであると同時に、合わせ鏡としての役割も持つ、重要な役を見事に演じきった。
刹那的な生き方をする父との、愛憎入り混じる葛藤を抱えるステファニーを演じる若手のエヴァン・レイチェル・ウッドも出番は多くないが、ベテラン二人に伍して存在感を発揮する。
彼女の登場シーンは、特にランディの心情をダイレクトに反映する部分が多かった事もあり、強く印象に残る。

もちろん、監督のダーレン・アロノフスキーにとっても、これは新境地。
おそらく、名前を伏せて観たら彼の映画とは思わなかったかもしれない。
どちらかというと構造的にも映像的にも凝った作品の印象があったので、これほどシンプルな物語を成立させられる事に驚いた。
ディテールを丹念に描くことで、主人公の生きてきたプロレスという世界に説得力を持たせると同時に、トリビア的な興味で間を持たせるあたりも上手い。
昔からプロレスはスポーツなのかショーなのかという議論はあったが、今回の場合はプロレスのビハインド・ザ・シーンがアッケラカンと描写される事にびっくり。
対戦相手と乱闘用小道具をスーパーに買いに行くあたりは笑ってしまった。
また、プロレスを題材とした事には象徴的な意味もあるのではないかと思う。
何処までも厳しい現実世界に対して、貧乏ながらも和気あいあいとして、いつでもランディを包み込んでくれる家族的なプロレス界は、全てが演出された虚構の世界でもある。
映画という虚構と、キャストの現実の相乗効果を狙ったアロノフスキーは、プロレス界と映画界の共通点も当然計算済みだろう。
それに、あくまでも一攫千金狙いの真剣勝負であるボクシングや総合格闘技とは違って、プロレスは長年の継続が前提となり、この作品に描かれる様に、中高年の選手も珍しくない。
彼らは必ずしも、金のためにやっている訳ではないのだろう。
ボロボロ、ヨレヨレになりながらもレスラーがリングに立ち続ける理由
それこそが「レスラー」に描かれているテーマである。

物語を通して、ランディは何も失わないし、何も得る物も無い。
単に自分自身が何者で、何処にいるべきなのかを確認するだけである。
ただそれだけの事なのに、エンドクレジットでは涙がとまらない
たとえ報われなくても、一人ぼっちだとしても、自分自身が輝ける場所にたどり着ける人間、その場所を見つけられた人間は幸せだ。
その事実を知る多くの観客は、不器用ながら気高く切ないランディの生き様に、自分自身の夢を観るのかも知れない。
何でも、主題歌を担当したブルース・スプリングスティーンはミッキー・ローク自身からの依頼の手紙に心動かされ、低予算のプロジェクトに対して無償で主題歌を提供したという。
なるほど、この映画の筋書きはありふれていて新しい物は何も無いし、画面からもチープさが伝わってくる様に、決して恵まれた環境で作られた作品ではないのかもしれないが、物作りに一番大切な作り手たちの真摯な情熱は溢れ出るほど詰まっている。
泣ける、映画である。

今回は、ピリリと辛口の「オーレ・テキラー」をチョイス。
メキシコ産をニューオーリンズでボトリングしたホワイトテキーラで、「オーレ」とはもちろん闘牛の掛け声。
本作のランディは「the ram」つまり雄羊だが、角を突き立てて突進する様は雄牛同様。
この男の熱い生き様は、闘牛士の様にヒラリとは避け切れない。

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