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MW-ムウ-・・・・・評価額950円
2009年07月06日 (月) | 編集 |
「MW-ムウ-」は、手塚治虫が大人向け作品に傾倒していた1976年に発表した、ピカレスク漫画の映画化である。
膨大な著作を残した手塚だが、実写映画化は珍しく、私の知る限りでは「マグマ大使」「火の鳥」「瞳の中の訪問者(ブラック・ジャック)」「ガラスの脳」「どろろ」 の五作しかない。
この内、「マグマ大使」は実質テレビの特撮番組のザ・ムービーだが、不思議なことに残り四作の映画は、名作の誉れ高い原作とは対照的に、歴史的な大失敗作が並んでしまっている。
過去に映画化された作品と比べると、本作は原作の知名度が低く、内容的にも比較的映画化しやすい物なのだが、残念ながら今回も「手塚漫画の実写化は成功しない」というジンクスを打ち破る事は出来なかった様だ。

16年前、ある島に貯蔵されていた米軍の「MW」と呼ばれる化学兵器が漏れ出し、島民全員が死亡するという事件が起こる。
事件は政府によって隠蔽されたが、人知れず二人の少年が生き延びていた。
成長した二人は対照的な人生を歩みだす。
一流銀行員となった結城美智夫(玉木宏)は、事件にかかわった人間を探し出し、次々に凄惨な方法で処刑してゆく。
一方、カソリック神父となった賀来裕太郎(山田孝之)は、良心との葛藤に苦しみながらも、結城の犯罪に加担し続けている。
しかし、結城の本当の狙いは、16年前の事件を引き起こした「MW」を自ら手に入れる事だった・・・


一言で言えば、脚色で大失敗している映画である。
映画は、原作の設定を二つの点で大きく変更している。
まず、原作では主人公の結城美智夫は、幼い頃にMWを吸い込んだ事によりを侵され、一片の良心もモラルも持たない人間となったと設定されている。
人間の作り出した悪魔の兵器によって、文字通り悪魔そのものとなってしまった結城は、人間的な感情を持たない絶対悪なのである。
故に彼の悪事には動機がない。
結城の行動は一見復讐劇にも見えるのだが、原作では物語が進むにつれて、その心に巣食う想像を超えた底知れぬ闇が露になり、読む者を戦慄させる事になる。
つまり、彼は「ダークナイト」のジョーカーにも似た、完全な悪のメタファーなのだ。
ところが映画はこの設定をばっさりカットしてしまい、その結果結城というキャラクターの立ち位置が妙に中途半端になってしまった。
玉木宏が熱演しているのは判るのだが、元々のキャラクターに説得力が無いので、どうも無理して必死に悪事を働いている様に見えて痛々しい。
彼の行動は悪のための悪というよりは、単にMW事件に対する復讐にしか見えなくなり、悪役としてのスケールはぐっと小さくなってしまった。

もう一つ、原作では賀来と結城はバイセクシャルで、長年肉体関係にある。
賀来にとっての結城は、愛憎を超えた情念で結ばれた運命の相手であり、だからこそ結城が何者であれ、賀来は決して彼を見捨てられないのだ。
そして結城と賀来の間に流れる結びつきは、この物語の核でもある。
人間とは何か、悪とは何か、信仰とは何かというこの物語のテーマ全てが二人を軸に展開しているのだから、当然である。
ところが映画の脚本家は一体何を考えたのか知らないが、この決定的に重要な設定を丸ごと消し去るという愚を犯している。
一応、結城が賀来の命の恩人であるという新しい設定を付け加えているが、当然ながら理由付けとしては弱過ぎる。
映画を観ている人には、このカトリック神父が何故信仰に背いてまで、結城の凄惨な犯罪に手を貸し続けるのかが理解できないだろう。

要するに、この映画の脚本家は、一方の主人公が何者で、もう一方の主人公は何故相方を止められないのか、という物語の根幹の部分を綺麗さっぱり消去してしまったのだ。
いわば家の土台を外してしまった訳だが、だからと言って別の土台を入れたわけでもない。
故に、この映画は作品の方向性が定まらず、最初から最後まで迷走気味だ。

冒頭の、やたらと力の入ったバンコクでの追跡劇のシークエンスは、海外ロケで国内では出来ないようなアクションをぶちかまし、観客を作品世界に引き込もうという狙いなのだろう。
なるほど、これがアクション映画なら、それなりに良く出来たオープニングといると言えるだろが、その後作品のトーンがまるで変わってしまうので、映画全体からは浮いている。
お金と時間をかけるべきは、ここではなかったはずだ。
まあ展開は矢継ぎ早なので、なんとなく勢いで観ている事は出来る。
だが、石橋凌演じる刑事が突然結城のアジトに不法侵入したり、MW事件の責任者だった政治家が、いつの間にか結城が犯人だと知っていたり、観ている間も観終わった後も、辻褄の合わない、あるいは強引過ぎる展開に頭を捻るばかり。
極めつけはクライマックスの展開で、なんと日本国警察も在日米軍も、数十万人の命が懸かった事件解決へのイチかバチかの賭けを、結城の共犯者である賀来に委ねるのである。
こんな馬鹿げた展開はないだろう。
キャラクターの背景設定を変えているので、原作のクライマックスをそのまま使うことは出来なかったのは理解出来るが、止せば良いのに中途半端に原作をトレースしようとした事で、恐ろしく不自然な展開になってしまい、ラストの落ちも陳腐極まりない。

手塚治虫は人間の抱える原罪に目を向け、33年も前に聖職者の背徳やバイセクシャルなどの、タブー視されていた設定を物語の根幹に置く事で、物語のテーマ性を際立たせた。
だが、21世紀になって作られた映画は、一体誰に何を遠慮したのかタブーと共にテーマ性までも取り去ってしまい、結果的に極めて表層的でとっ散らかった印象のB級サスペンス映画になってしまっている。
映画と原作はもちろん違った物だが、原作から切り取るだけ切り取って、その代わりになる物を何も提示できず、エンターテイメントとしても中途半端となると、一体なんのためにタブー満載の「MW-ムウ-」をわざわざ映画化したのか、はなはだ疑問だ。
人類絶滅を願う孤高の絶対悪、結城美智夫と悩めるカソリック神父、賀来裕太郎の情念の物語は、作り様によってはもう一つの「ダークナイト」にもなり得たはずだ。
作品の持つポテンシャルを考えると、何とも勿体無い作品と言わざるを得ない。

今回は、手塚治虫が育った兵庫県の酒どころ灘から、300年の歴史を誇る櫻正宗の「大吟醸 櫻華一輪」をチョイス。
大吟醸らしくフルーティで芳醇。
口に含むとふわりとした吟醸香りが口いっぱいに広がる。
これからの季節には冷で飲むのがおすすめだ。
手塚漫画の映画化も、このぐらいのクオリティを望みたい物だが・・・。

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