2009年08月20日 (木) | 編集 |
本国公開から2年も経っている上に、上映館は東京23区でたった一館・・・。
まあ今の日本で、渋い西部劇のマーケットなど殆ど存在しないのは分かっているが、一応全米No.1を記録してる作品だし、何よりも出来が良いだけに勿体無い。
「3時10分、決断のとき」は、エルモア・レナード原作の短編小説「3:10 to Yuma」を元に1957年に作られた「決断の3時10分」を、「17歳のカルテ」や「ウォーク・ザ・ライン/君につづく道」を手がけたジェームス・マンゴールド監督がリメイクした作品。
ラッセル・クロウとクリスチャン・ベイルという、正に脂ののり切った名優二人が、男の誇りをかけて激突する異色の西部劇だ。
ダン・エヴァンス(クリスチャン・ベイル)は、南北戦争で片足を失った傷痍軍人。
妻と二人の息子と共に、荒れ果てた土地で牛を飼って細々と暮らしているが、借金が嵩み土地を追い出されそうになっている。
ある日、資金繰りの交渉のため町へ出たダンは、強盗団のボスとして知られるベン・ウェイド(ラッセル・クロウ)の逮捕現場に居合わせた事から、彼を護送する任務に志願する。
駅のあるコンテンションという町から、ユマの刑務所行きの汽車が出るのは翌々日午後3時10分。
それまでにウェイドをコンテンションへ連れて行く事が出来れば、高額の報酬を得る事が出来る。
だが強盗団の手下たちは、間違いなくボスを奪還するために襲ってくる。
ダンたちの一行は追っ手を撒くために、あえて危険なアパッチ族の支配地を通り抜けようとする。
ところが、父を助けようとダンの14歳の息子、ウィリアム(ローガン・ラーマン)がついてきてしまう・・・。
観客のおっさん比率が異様に高い。
これほど男女比の偏りが極端な作品は、9割以上が女性で埋まった「セックス・アンド・ザ・シティ」以来じゃないだろうか。
しかも単に男が多いだけではなくて年齢層が高く、客席の殆どが30代半ば以上のおっさんで占められている様に見えた。
でも、この映画はそれで良い。
これは正に男の映画、それも誇り高き父の映画であるから、おっさんが一人で観て、一人でしみじみ泣くのに相応しい作品なのだ。
クリスチャン・ベイル演じる真面目なカウボーイ、ダン・エヴァンスと、ラッセル・クロウ演じる凄腕の強盗、ベン・ウェイド。
映画はこの対照的な二人を軸に展開してゆくのだが、物語のキーパーソンとなるのは、危険な旅路の予期せぬ同伴者となるダンの息子、ウィリアムである。
ダンはクソが付くほど生真面目な男で、良き人間でありたいと願い、彼の息子たちにもそうあって欲しいと願っている。
彼の行動には全て理由があり、生活の苦しい荒野にあえて暮らすのも、結核を煩っている下の息子の療養に、乾燥した気候が必要なためなのだ。
だが、ウィリアムは戦場で傷つき、非力な存在となった父の想いを理解せず、むしろ軽蔑の眼差しを向けている。
一方、力によってフロンティアに名を轟かせてきたウェイドは、父に反発するウィリアムに若き日の自分の姿を見ており、ウィリアムもどこかウェイドに惹かれる素振りを見せる。
まあ若い頃には、真面目な大人よりもちょっと尖がったヤバイ雰囲気を持つ大人に憧れたりするものだが、そんなウィリアムが間近で見ているからこそ、ダンは父親として引くに引けなくなってしまうのである。
逮捕された犯罪者と言っても、力が正義と同義である無法の荒野で、絶対的な強者であるのはウェイドの方だ。
何時襲撃されるか戦々恐々としている護送チームに対して、ウェイドは必ず助けが来る事が分かっているし、いざとなったらダンを買収すれば良いと考えているから余裕綽々。
今風な言い方をすれば、ウェイドにとっては自分が勝ち組であり、ダンたちは負け組みの弱者連合に過ぎず、簡単に掌の上で転がす事が出来る相手だと思っている。
実際、ダンが護送任務に志願したのは、借金を返して自分と家族が住む土地を守りたいからであって、要するに金のためである。
物語の終盤、ウェイドがダンに買収を持ちかけるシーンがある。
鉄道会社が支払う報酬の20倍もの額で、エヴァンス家が借金を全額返済して、なお子供たちを学校に行かせられるだけの大金。
ダンはこれを断るのだが、もしもウィリアムが旅に同伴していなければ、彼はおそらく取引に応じていただろう。
人間は欲深で弱い生き物だ。
目の前に大金を積まれ、訳も分からずにダンの敵になってしまうコンテンションの住人たちは、その事を如実に表現している。
この部分は、悪の力に恐れをなし、街を守る保安官を見殺しにしようとする町の住人の姿を通し、赤狩りの時代に大衆の事なかれ主義を痛烈に批判した、フレッド・ジンネマンの大傑作「真昼の決闘」を連想させる。
もっともこっちは積極的に悪党に加担しようとしてる分、よりタチが悪くなっているのだけど。
ところが、ダンにとってはもはや金は問題でない。
物語のクライマックス、自分以外はほぼ全て敵という絶望的な状況の中で、ダンはウェイドに対して「自分には誇れるものが何も無いんだ」と告白する。
金の誘惑にも、力の恫喝にも屈せず、稀代の大悪党ベン・ウェイドを護送する任務を果たせれば、それは自分自身にとっても、また息子たちにとっても、父を誇りと思う唯一の理由となり得る。
ダンは自らの命を賭して、男として、父としての誇りを取り戻す事を選んだのである。
「欲しいものを手に入れるのが男だ」と語り、力によってそれを実現してきたウェイドにとっても、ダンの告白は重い。
何故なら彼は幼い頃に捨てられた孤児であり、親がその生き様によって見せてくれる誇りは、いくら金と力があっても彼には決して手に入れる事が出来ない物だからである。
ウィリアムに嘗ての自分を見たからこそ、ウェイドはダンの気持ちを理解し、ある種の共犯関係になる事を選択する。
全く対照的で、互いの生き方を否定していた二人の男が、ウィリアムを挟む事で、いつの間にか自身の心に欠けているモノを相互補完し、不思議な絆で結ばれるのだ。
そして3時10分、ユマ行きの汽車が到着してからラストまでの展開は、全く予想だにしなかった物。
いやあ、これぞウェスタン!という名シーンをみせてもらった。
まあ途中で裏切りそうになってた連中はともかく、ひたすら忠義者だった二挺拳銃のチャーリーの立場的には、別の意味で泣けるのだけど。
そのチャーリーを演じたベン・フォスターが、凄みのあるキャラクターで二人の主役に伍する強い印象を残す。
他にも年老いた賞金稼ぎ、バイロンを演じるピーター・フォンダや、ダンを雇う鉄道会社のバターフィールド役のダラス・ロバーツら、脇の登場人物一人一人が丁寧に描写されているのも良い。
ジェームス・マンゴールド監督にとって、この作品のリメイクは長年の悲願だったらしい。
ハリウッド好みの勧善懲悪でもなく、心理劇としての色彩の強い本作の制作には、なかなか資金を出すスタジオが現れずに大変な苦労があったと聞くが、結果的に本国では上々の評価を得てクリーンヒットとなったのは、衰退著しい西部劇の未来を考えれば幸いな事だ。
いかにも西部劇、という感じのマルコ・ベルトラミの音楽も良い感じで雰囲気を盛り上げ、強盗団による駅馬車襲撃や、40対1の銃撃戦、ウェイドとチャーリーが見せる目にも留まらぬ早撃ちの技、さらには牛のスタンピードなどのお約束の見せ場も一通り描かれており、エンターテイメントとしてもなかなかに満足度は高い。
「許されざる者」以降、このジャンルでは久々に記憶に残る作品と言えるだろう。
残念ながら、たぶん日本では直ぐに終わってしまうだろうから、西部劇ファンは劇場へ急げ!
さて、この作品はアリゾナが舞台となっているのだけど、アリゾナと言えば元々はメキシコ領で、現在でも美味しいメキシコ料理の店が多い。
今回は、乾燥した土地で飲むと特に美味しく感じられる、メキシカンビールの「コロナ」をチョイス。
元々軽いのだけど、ライムを加えて飲むとより軽い感じになる。
個人的にはこれにワカモレとトルティアチップがあれば、何時間でも飲み続けられてしまうなあ。
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まあ今の日本で、渋い西部劇のマーケットなど殆ど存在しないのは分かっているが、一応全米No.1を記録してる作品だし、何よりも出来が良いだけに勿体無い。
「3時10分、決断のとき」は、エルモア・レナード原作の短編小説「3:10 to Yuma」を元に1957年に作られた「決断の3時10分」を、「17歳のカルテ」や「ウォーク・ザ・ライン/君につづく道」を手がけたジェームス・マンゴールド監督がリメイクした作品。
ラッセル・クロウとクリスチャン・ベイルという、正に脂ののり切った名優二人が、男の誇りをかけて激突する異色の西部劇だ。
ダン・エヴァンス(クリスチャン・ベイル)は、南北戦争で片足を失った傷痍軍人。
妻と二人の息子と共に、荒れ果てた土地で牛を飼って細々と暮らしているが、借金が嵩み土地を追い出されそうになっている。
ある日、資金繰りの交渉のため町へ出たダンは、強盗団のボスとして知られるベン・ウェイド(ラッセル・クロウ)の逮捕現場に居合わせた事から、彼を護送する任務に志願する。
駅のあるコンテンションという町から、ユマの刑務所行きの汽車が出るのは翌々日午後3時10分。
それまでにウェイドをコンテンションへ連れて行く事が出来れば、高額の報酬を得る事が出来る。
だが強盗団の手下たちは、間違いなくボスを奪還するために襲ってくる。
ダンたちの一行は追っ手を撒くために、あえて危険なアパッチ族の支配地を通り抜けようとする。
ところが、父を助けようとダンの14歳の息子、ウィリアム(ローガン・ラーマン)がついてきてしまう・・・。
観客のおっさん比率が異様に高い。
これほど男女比の偏りが極端な作品は、9割以上が女性で埋まった「セックス・アンド・ザ・シティ」以来じゃないだろうか。
しかも単に男が多いだけではなくて年齢層が高く、客席の殆どが30代半ば以上のおっさんで占められている様に見えた。
でも、この映画はそれで良い。
これは正に男の映画、それも誇り高き父の映画であるから、おっさんが一人で観て、一人でしみじみ泣くのに相応しい作品なのだ。
クリスチャン・ベイル演じる真面目なカウボーイ、ダン・エヴァンスと、ラッセル・クロウ演じる凄腕の強盗、ベン・ウェイド。
映画はこの対照的な二人を軸に展開してゆくのだが、物語のキーパーソンとなるのは、危険な旅路の予期せぬ同伴者となるダンの息子、ウィリアムである。
ダンはクソが付くほど生真面目な男で、良き人間でありたいと願い、彼の息子たちにもそうあって欲しいと願っている。
彼の行動には全て理由があり、生活の苦しい荒野にあえて暮らすのも、結核を煩っている下の息子の療養に、乾燥した気候が必要なためなのだ。
だが、ウィリアムは戦場で傷つき、非力な存在となった父の想いを理解せず、むしろ軽蔑の眼差しを向けている。
一方、力によってフロンティアに名を轟かせてきたウェイドは、父に反発するウィリアムに若き日の自分の姿を見ており、ウィリアムもどこかウェイドに惹かれる素振りを見せる。
まあ若い頃には、真面目な大人よりもちょっと尖がったヤバイ雰囲気を持つ大人に憧れたりするものだが、そんなウィリアムが間近で見ているからこそ、ダンは父親として引くに引けなくなってしまうのである。
逮捕された犯罪者と言っても、力が正義と同義である無法の荒野で、絶対的な強者であるのはウェイドの方だ。
何時襲撃されるか戦々恐々としている護送チームに対して、ウェイドは必ず助けが来る事が分かっているし、いざとなったらダンを買収すれば良いと考えているから余裕綽々。
今風な言い方をすれば、ウェイドにとっては自分が勝ち組であり、ダンたちは負け組みの弱者連合に過ぎず、簡単に掌の上で転がす事が出来る相手だと思っている。
実際、ダンが護送任務に志願したのは、借金を返して自分と家族が住む土地を守りたいからであって、要するに金のためである。
物語の終盤、ウェイドがダンに買収を持ちかけるシーンがある。
鉄道会社が支払う報酬の20倍もの額で、エヴァンス家が借金を全額返済して、なお子供たちを学校に行かせられるだけの大金。
ダンはこれを断るのだが、もしもウィリアムが旅に同伴していなければ、彼はおそらく取引に応じていただろう。
人間は欲深で弱い生き物だ。
目の前に大金を積まれ、訳も分からずにダンの敵になってしまうコンテンションの住人たちは、その事を如実に表現している。
この部分は、悪の力に恐れをなし、街を守る保安官を見殺しにしようとする町の住人の姿を通し、赤狩りの時代に大衆の事なかれ主義を痛烈に批判した、フレッド・ジンネマンの大傑作「真昼の決闘」を連想させる。
もっともこっちは積極的に悪党に加担しようとしてる分、よりタチが悪くなっているのだけど。
ところが、ダンにとってはもはや金は問題でない。
物語のクライマックス、自分以外はほぼ全て敵という絶望的な状況の中で、ダンはウェイドに対して「自分には誇れるものが何も無いんだ」と告白する。
金の誘惑にも、力の恫喝にも屈せず、稀代の大悪党ベン・ウェイドを護送する任務を果たせれば、それは自分自身にとっても、また息子たちにとっても、父を誇りと思う唯一の理由となり得る。
ダンは自らの命を賭して、男として、父としての誇りを取り戻す事を選んだのである。
「欲しいものを手に入れるのが男だ」と語り、力によってそれを実現してきたウェイドにとっても、ダンの告白は重い。
何故なら彼は幼い頃に捨てられた孤児であり、親がその生き様によって見せてくれる誇りは、いくら金と力があっても彼には決して手に入れる事が出来ない物だからである。
ウィリアムに嘗ての自分を見たからこそ、ウェイドはダンの気持ちを理解し、ある種の共犯関係になる事を選択する。
全く対照的で、互いの生き方を否定していた二人の男が、ウィリアムを挟む事で、いつの間にか自身の心に欠けているモノを相互補完し、不思議な絆で結ばれるのだ。
そして3時10分、ユマ行きの汽車が到着してからラストまでの展開は、全く予想だにしなかった物。
いやあ、これぞウェスタン!という名シーンをみせてもらった。
まあ途中で裏切りそうになってた連中はともかく、ひたすら忠義者だった二挺拳銃のチャーリーの立場的には、別の意味で泣けるのだけど。
そのチャーリーを演じたベン・フォスターが、凄みのあるキャラクターで二人の主役に伍する強い印象を残す。
他にも年老いた賞金稼ぎ、バイロンを演じるピーター・フォンダや、ダンを雇う鉄道会社のバターフィールド役のダラス・ロバーツら、脇の登場人物一人一人が丁寧に描写されているのも良い。
ジェームス・マンゴールド監督にとって、この作品のリメイクは長年の悲願だったらしい。
ハリウッド好みの勧善懲悪でもなく、心理劇としての色彩の強い本作の制作には、なかなか資金を出すスタジオが現れずに大変な苦労があったと聞くが、結果的に本国では上々の評価を得てクリーンヒットとなったのは、衰退著しい西部劇の未来を考えれば幸いな事だ。
いかにも西部劇、という感じのマルコ・ベルトラミの音楽も良い感じで雰囲気を盛り上げ、強盗団による駅馬車襲撃や、40対1の銃撃戦、ウェイドとチャーリーが見せる目にも留まらぬ早撃ちの技、さらには牛のスタンピードなどのお約束の見せ場も一通り描かれており、エンターテイメントとしてもなかなかに満足度は高い。
「許されざる者」以降、このジャンルでは久々に記憶に残る作品と言えるだろう。
残念ながら、たぶん日本では直ぐに終わってしまうだろうから、西部劇ファンは劇場へ急げ!
さて、この作品はアリゾナが舞台となっているのだけど、アリゾナと言えば元々はメキシコ領で、現在でも美味しいメキシコ料理の店が多い。
今回は、乾燥した土地で飲むと特に美味しく感じられる、メキシカンビールの「コロナ」をチョイス。
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