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ホッタラケの島 ~遥と魔法の鏡~・・・・・評価額1550円
2009年08月31日 (月) | 編集 |
子供のころに大切にしていたモノたち。
いつも一緒に寝ていたダンボのぬいぐるみ、お年玉で買ったマジンガーZの超合金、幼稚園で作った鬼のお面・・・でも、どれもいつの間にか無くなっていた。
捨てた記憶はないのに、家のどこを探しても見つからず、忽然と消えてしまった。
もしも、そんな人の記憶から抜け落ちてしまったモノたちを、実は狐が拾ってリサイクルしていたら?
「ホッタラケの島~遥と魔法の鏡~」は、そんな誰にでも覚えのあるモノと思い出から広がる、アミニズム的モッタイナイ・ファンタジー。
言わば二十一世紀版の、エコロジカルな「不思議の国のアリス」という感じの作品だ。

高校生の遥(綾瀬はるか)は、幼い頃に亡くなった母親の形見の手鏡が消えている事に気付き、なくし物を見つけてくれるという神社に御参りする。
すると、そこで人間の忘れ物を拾ってゆく、変な生き物を目撃する。
生き物を追いかけた遥は、神社の裏手にある小さな水盤から、不思議な世界へ吸い込まれてしまう。
そこは、人間の世界から捨てられたり、忘れられたりした物を、狐に似た妖怪たちが集めて暮らすホッタラケの島。
遥は、母の手鏡もここにあるのではと考え、島のおちこぼれ住人のテオ(沢城みゆき)にたのんで、手鏡を探し始めるのだが・・・。


まあ狐と言っても、実際には狐に似た妖怪というか、異世界の生き物なのだけど、彼らが人間がホッタラケにしたゴミを集めて、魔法で世界を作っているというアイディアが秀逸だ。
物語のキーとなるのは遥が母からもらった形見の手鏡
魔法をエネルギー源とするこの世界では、鏡には強い魔力が宿っているとして珍重されるのだ。
妖怪たちは、人間の生み出した物の残滓を使って自分たちの世界を形作っているわけだが、同時に欲しいものを全て手に入れ、古いものを忘れて行く人間の欲望を非常に恐れていて、ある種の自己矛盾を抱えているのが興味深い。
この不完全な世界を支配しようとする「男爵」は、いわば人間界の合わせ鏡であるこの世界で、人間的な醜さをカリカチュアした存在と言えるだろう。

面白かったのは、ホッタラケにされた物を、持ち主の思い出の詰まったタイムカプセルと捕らえている事で、妖怪の世界ではその物に残された思い出を映画や演劇の様に鑑賞して楽しむ娯楽すらある模様。
この点で重要なキャラクターとなるのが、やはり遥が放置した事で、いつの間にかホッタラケの島に連れて来られていた羊のぬいぐるみのコットン
手鏡争奪戦だけでは一本調子になってしまうところを、コットンと遥の再会が絡む事で物語にドラマチックなメリハリがついた。
忘れられても、ホッタラケにされても、遥を慕い続けるコットンの想いは何とも切なく、まさかこんなユルキャラに泣かされるとは思ってもみなかった。
ただし、これによってただでさえゴチャゴチャした物語がさらに複雑になってしまった感は否めず、物語のテーマという点では焦点がボケてしまった様に思う。
実はコットンは、母を失った幼い遥に送られた父親からのプレゼント。
そう、この作品は思い出の中の母性を探す冒険の中、思わぬ形で現在の遥が自分から遠ざけてしまっている父性というもう一つの愛情を再発見する物語になっている。
二つのホッタラケにされた大切な物を使って、遥が見失っている物の本質を描くという狙いはわかるが、男爵との戦いや地下世界の冒険など物語に盛り込まれた要素があまりにも多すぎる。
もっとも、複雑に見えるわりにはストーリーラインはロジカルに整理されており、観難くなっていないのは大したものだが、ここはもう少しシンプルにした方が盛り上がったと思う。

打ち捨てられた玩具の葛藤というのは、おそらく「トイ・ストーリー」が元ネタだろうが、佐藤信介監督は、この思い出で作られた魔法の世界に、自身の映画的な記憶を散りばめて膨らませている。
一番顕著なのは、やはりビジュアルのデザインに大きな影響を与えているであろう、「天空の城ラピュタ」からのイメージろうか。
無数のカラフルな建物が壁面にびっしりと張り付いた島の世界観、そこに張り巡らされたトロッコの様な列車で繰り広げられるアクション、そして空を飛ぶことへの強いこだわりなど、「ラピュタ」的な物語を換骨奪胎した活劇としての魅力はなかなかだ。
他にも、テオの悪友三人組はどこかタツノコ調だったり、彼らが操る魔法で作った恐竜(?)や地下世界の巨人などの造形はティム・バートン系のストップモーションアニメを思わせる。
まあ節操が無いと言えばそうなのだが、思い出の寄せ集めで出来たホッタラケの島という設定が、これらごちゃ混ぜの要素を上手い具合に作品世界に吸収している。

ユニークな作品世界を表現する、映像の方向性もかなりユニーク。
本作は、日本では比較的珍しいフル3DCGの長編作品だ。
21世紀を迎える頃に、セルアニメから3DCGへ急速にシフトしたアメリカと異なり、日本のアニメーションは依然として手描きが主流派。
制作手法そのものはかなりデジタル化されたとは言っても、キャラクターは基本的に手描きで、3DCGは主にロボットやSF物の背景として、2Dの補完的な役割を果たす事が多かった。
ところがこの作品の場合、キャラクターが全て3DCGで表現され、背景美術に美しい手描き素材が効果的に使われているのである。
実は、これは非常に理にかなっている。
3DCGは基本的に実写と考え方が同じなので、映像として表現される物は、全て3次元で作りこまなければならない。
もしも大都会の全景を3DCGで作ろうとした場合、原則的に映っている全てのビル、車、街路樹、通行人をモデリングしなければならないのであるが、当然そんな事をすれば膨大な労力がかかる。
だから、ハリウッド映画の場合、風景の全景やVFXシーンの背景の場合、観客がCGだと思い込んでいる映像も、実は昔ながらのスーパーリアリズムアート、マットペインティングと呼ばれる手法で作られている場合が多いのである。
「ホッタラケの島」の手描き美術も同様の考え方だが、リアリズムではなく、絵である事を隠さない伝統的なセルアニメーションの背景画をデジタル加工し、3Dの質感も水彩画の様な柔かいタッチでレンダリングして違和感なくコンポジットする事で、セルアニメテイストのフル3DCGという独特のビジュアルを獲得している。
これは、日本ならではの3DCGの方向性として、注目すべき成果であり、VFXを多用した実写映画「修羅雪姫」や、多くのゲームムービーの演出でCGの特性を知り尽くした佐藤信介監督ならではの、独創的な世界観だった。
ただし、人間のキャラクターデザインに関しては、もう少しカリカチュアを強めても良かったと思う。
妖怪キャラとの対比の問題もあったのだろうけど、現状では中途半端にリアルさを感じさせて、今ひとつ感情移入しにくかった。

声優の起用方もユニークだ。
原則的に、人間のキャラクターは実写の俳優が演じ、ホッタラケの狐キャラはアニメの声優が演じているのだが、マッチングは悪くなく、両者の間での違和感もない。
主人公の遥を演じているのは、「おっぱいバレー」の好演が記憶に新しい綾瀬はるかで、本作でもなかなかの健闘を見せてくれる。
実写俳優がアニメキャラを演じる時にありがちな、素が出すぎて本人が思い浮かんでしまう事もなく、正直クレジットが出るまで誰だかわからなかった。
ちなみに、共同脚本の安達寛高とは作家の乙一なのだけど、たぶんプロットにはかなり彼の意見が反映されているのではと想像する。
特に一見明るそうで内面に影を抱えたキャラクター造形などに、彼の小説作品と共通する内向性があるのは面白かった。

この作品の舞台になっているのは、今も古の妖怪たちの息吹を感じる武蔵野。
というわけで、今回は麻原酒造の「武蔵野 純米大吟醸」をチョイス。
やや強目の酸味がすっきりした風味を演出し、フルーティで飲みやすい。
この季節に冷で飲むのにぴったりの酒で、バーベキューなどの肉料理にも向きそうだ。

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