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2009年11月27日 (金) | 編集 |
クエンティン・タランティーノと言えば、嘗て一世を風靡したサブカル系B級エンターテイメントを再解釈し、オマージュたっぷりに自分の世界の中に再生産するのが一貫したスタイル。
アクの強い登場人物による意味が有るんだか無いんだかよくわからない膨大なセリフの応酬と、外連味たっぷりのバイオレンス映像で見せる作品群は、デビュー当時は新鮮だったものの、近年ではワルノリが少々鼻につき、ややマンネリ化していたのも事実。
その反省なのか、「イングロリアス・バスターズ」はいつものB級テイストをあえて抑えて、意外にも大作の風格(?)を持ち、それでいてタランティーノにしか撮りえない異色の戦争サスペンス映画になっている。
1941年、フランス。
ユダヤ人一家のドレフュス家がナチス親衛隊のランダー大佐(クリストフ・ヴァルツ)によって虐殺され、娘のショシャナ(メラニー・ロラン)だけが逃亡して生き残る。
数年後、エマニュエル・ミミューと名を変えて、パリで小さな映画館を経営しているショシャナは、ひょんな事からナチスのプロパガンダ映画のプレミア上映を行う事になり、密かにナチスへの復讐を計画する。
同じ頃、イギリス情報部も、ドイツ人女スパイのハマーシュマルク(ダイアン・クルーガー)からプレミア上映の情報を得て、ドイツ映画の専門家であるヒコックス中尉(ミヒャエル・ファスベンダー)を、アメリカ人ゲリラ戦部隊“バスターズ”を率いるレイン大尉(ブラッド・ピット)の元へ送り込むのだが・・・
今回、タランティーノがオマージュを捧げるのは、彼の民族的なルーツでもある1978年のイタリア映画で、同名の英題を持つエンツォ・G・カステラッリ監督の「地獄のバスターズ」である。
もっとも、同タイトルとは言ってもリメイクではない。
オリジナルはアメリカ囚人部隊の活躍を描いたアクション映画で、設定にやや被るところがあるものの、本作に取り込まれた数多くの戦争映画やマカロニウェスタンの代表として名を冠されたという感じだ。
セルジオレオーネの「続・夕陽のガンマン」に大オマージュをささげた、キム・ジウン監督の限りなくリメイクに近い「グッド・バッド・ウィアード」とは、違ったコンセプトの作品なのだ。
ちなみに、カステラッリ監督はゲスト出演もしているようだ。
物語は五つの章に分かれ、第一章から第四章のそれぞれのエピソードで紹介されたモチーフが、ラストの第五章で大団円を迎える。
ぞれぞれの章は微妙にタッチが異なっており、例えばナチスのユダヤ人狩りを描いた冒頭の第一章はタイトル文字や音楽も含めて明確にマカロニウェスタン風。
サウンドにノイズまでのせているあたり、さすがに念入りだ。
洗濯物のシーツ越しに、ドイツ軍がやって来るのが見えるところなど、そのまま荒野から無法者がやって来るイメージに被る。
ちなみに、走ってるドイツ軍車両がカットが何度も変わっても同じ位置に見えるという、一見編集ミスみたいな事も、タランティーノ流の演出なんだろうな。
宣伝では、ブラッド・ピット扮するアルド・レイン大尉(この名前もマニアック!)が主役の様に見えるが、実際には第一章で殺されるユダヤ人一家の唯一の生き残りであるショシャナによる復讐劇が全体の中心となるので、実質的な主役はメラニー・ロラン演じるショシャナと言えるだろう。
第二章は以降は、レイン大尉率いるバスターズを描くエピソードや、エマニュエル・ミミューと名を変えてパリの映画館主となっているショシュナの元へ、ひょんな事からナチスのプロパガンダ映画のプレミア上映の話が持ち込まれるエピソード、英国人の元映画評論家が地下のバーでのドイツ人女スパイのハマーシュマルクと接触するスリリングなエピソードが順に語られて、クライマックスのお膳立てが徐々に整ってゆく。
各エピソードは、一見すると直接の関係性が見えにくいのだが、綿密に伏線が張られており、それぞれで微妙に変えたタッチの効果もあってオムニバスを観るようなノリで楽しめる。
特にパリでのエピソードと地下のバーでの見事な掛け合いは、タランティーノにしてはかなり我を抑えた印象で、風格すら感じさせるのには驚かされた。
まあそうは言っても、バーのエピソードは彼の大好きなオチを迎えるし、いかにも重要そうなキャラクターがあっさりと死んだりするのも、いかにもタランティーノらしいのだけど。
そして、クライマックスのプレミア上映で、親衛隊のランダー大佐、レインたちバスターズ、そしてナチスへの復讐を狙うショシャナの思惑が入り乱れ、物語は一気に大団円になだれ込むことになるのだが、ここでの展開は正に超映画オタクのタランティーノならでは。
まさか映画によってナチスを滅ぼすなど、他の人間が思いつくとは思えない。
これは正に、タランティーノ流の「ニューシネマ・パラダイス」と言っても良いのではないだろうか。
史実完全無視の講談的なオチに見ればわかる様に、これは決してリアルな戦争映画ではなく、かといってやりたい放題のオバカ映画でもない。
今までも、数々のジャンルムービーを解体して自分の中に取り込んできたタランティーノらしく、この作品もイタリアのB級映画をベースとしながら、結果的にタランティーノ映画としか言えない物になっている。
彼は溢れんばかりの映画への情熱と、今までのキャリアで積み重ねてきた表現者としてのテクニックを、本作では抑制の効いた形でしっかりと形にすることに成功していると思う。
たぶん、今までの彼の語り口がどうも苦手という人でも、この作品は比較的観やすいだろうし、逆にコテコテのタランティーノ節が好みという人には、オバカ度の低いこの作品は多少薄味に感じるかもしれない。
いずれにしても、レイン大尉のラストのセリフは、観客への大胆な「最高傑作宣言」と受け取って良いだろう。
まあ皆がそう感じるかどうかはともかく、本作は色々な意味で、映画作家クエンティン・タランティーノの現時点での集大成であり、新たなステップと言える。
今回は、真っ赤なドレスが印象的だったメラニー・ロランのイメージで、美しい赤いカクテル「ルビー・カシス」をチョイス。
クレーム・ド・カシスとドライ・ベルモットを30mlと20mlタンブラーに注ぎ、さらにトニックウォーターを注いでステアする。
腹にもたれるタランティーノ映画の後は、優しくスッキリとした味わいのカクテルが良い。
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アクの強い登場人物による意味が有るんだか無いんだかよくわからない膨大なセリフの応酬と、外連味たっぷりのバイオレンス映像で見せる作品群は、デビュー当時は新鮮だったものの、近年ではワルノリが少々鼻につき、ややマンネリ化していたのも事実。
その反省なのか、「イングロリアス・バスターズ」はいつものB級テイストをあえて抑えて、意外にも大作の風格(?)を持ち、それでいてタランティーノにしか撮りえない異色の戦争サスペンス映画になっている。
1941年、フランス。
ユダヤ人一家のドレフュス家がナチス親衛隊のランダー大佐(クリストフ・ヴァルツ)によって虐殺され、娘のショシャナ(メラニー・ロラン)だけが逃亡して生き残る。
数年後、エマニュエル・ミミューと名を変えて、パリで小さな映画館を経営しているショシャナは、ひょんな事からナチスのプロパガンダ映画のプレミア上映を行う事になり、密かにナチスへの復讐を計画する。
同じ頃、イギリス情報部も、ドイツ人女スパイのハマーシュマルク(ダイアン・クルーガー)からプレミア上映の情報を得て、ドイツ映画の専門家であるヒコックス中尉(ミヒャエル・ファスベンダー)を、アメリカ人ゲリラ戦部隊“バスターズ”を率いるレイン大尉(ブラッド・ピット)の元へ送り込むのだが・・・
今回、タランティーノがオマージュを捧げるのは、彼の民族的なルーツでもある1978年のイタリア映画で、同名の英題を持つエンツォ・G・カステラッリ監督の「地獄のバスターズ」である。
もっとも、同タイトルとは言ってもリメイクではない。
オリジナルはアメリカ囚人部隊の活躍を描いたアクション映画で、設定にやや被るところがあるものの、本作に取り込まれた数多くの戦争映画やマカロニウェスタンの代表として名を冠されたという感じだ。
セルジオレオーネの「続・夕陽のガンマン」に大オマージュをささげた、キム・ジウン監督の限りなくリメイクに近い「グッド・バッド・ウィアード」とは、違ったコンセプトの作品なのだ。
ちなみに、カステラッリ監督はゲスト出演もしているようだ。
物語は五つの章に分かれ、第一章から第四章のそれぞれのエピソードで紹介されたモチーフが、ラストの第五章で大団円を迎える。
ぞれぞれの章は微妙にタッチが異なっており、例えばナチスのユダヤ人狩りを描いた冒頭の第一章はタイトル文字や音楽も含めて明確にマカロニウェスタン風。
サウンドにノイズまでのせているあたり、さすがに念入りだ。
洗濯物のシーツ越しに、ドイツ軍がやって来るのが見えるところなど、そのまま荒野から無法者がやって来るイメージに被る。
ちなみに、走ってるドイツ軍車両がカットが何度も変わっても同じ位置に見えるという、一見編集ミスみたいな事も、タランティーノ流の演出なんだろうな。
宣伝では、ブラッド・ピット扮するアルド・レイン大尉(この名前もマニアック!)が主役の様に見えるが、実際には第一章で殺されるユダヤ人一家の唯一の生き残りであるショシャナによる復讐劇が全体の中心となるので、実質的な主役はメラニー・ロラン演じるショシャナと言えるだろう。
第二章は以降は、レイン大尉率いるバスターズを描くエピソードや、エマニュエル・ミミューと名を変えてパリの映画館主となっているショシュナの元へ、ひょんな事からナチスのプロパガンダ映画のプレミア上映の話が持ち込まれるエピソード、英国人の元映画評論家が地下のバーでのドイツ人女スパイのハマーシュマルクと接触するスリリングなエピソードが順に語られて、クライマックスのお膳立てが徐々に整ってゆく。
各エピソードは、一見すると直接の関係性が見えにくいのだが、綿密に伏線が張られており、それぞれで微妙に変えたタッチの効果もあってオムニバスを観るようなノリで楽しめる。
特にパリでのエピソードと地下のバーでの見事な掛け合いは、タランティーノにしてはかなり我を抑えた印象で、風格すら感じさせるのには驚かされた。
まあそうは言っても、バーのエピソードは彼の大好きなオチを迎えるし、いかにも重要そうなキャラクターがあっさりと死んだりするのも、いかにもタランティーノらしいのだけど。
そして、クライマックスのプレミア上映で、親衛隊のランダー大佐、レインたちバスターズ、そしてナチスへの復讐を狙うショシャナの思惑が入り乱れ、物語は一気に大団円になだれ込むことになるのだが、ここでの展開は正に超映画オタクのタランティーノならでは。
まさか映画によってナチスを滅ぼすなど、他の人間が思いつくとは思えない。
これは正に、タランティーノ流の「ニューシネマ・パラダイス」と言っても良いのではないだろうか。
史実完全無視の講談的なオチに見ればわかる様に、これは決してリアルな戦争映画ではなく、かといってやりたい放題のオバカ映画でもない。
今までも、数々のジャンルムービーを解体して自分の中に取り込んできたタランティーノらしく、この作品もイタリアのB級映画をベースとしながら、結果的にタランティーノ映画としか言えない物になっている。
彼は溢れんばかりの映画への情熱と、今までのキャリアで積み重ねてきた表現者としてのテクニックを、本作では抑制の効いた形でしっかりと形にすることに成功していると思う。
たぶん、今までの彼の語り口がどうも苦手という人でも、この作品は比較的観やすいだろうし、逆にコテコテのタランティーノ節が好みという人には、オバカ度の低いこの作品は多少薄味に感じるかもしれない。
いずれにしても、レイン大尉のラストのセリフは、観客への大胆な「最高傑作宣言」と受け取って良いだろう。
まあ皆がそう感じるかどうかはともかく、本作は色々な意味で、映画作家クエンティン・タランティーノの現時点での集大成であり、新たなステップと言える。
今回は、真っ赤なドレスが印象的だったメラニー・ロランのイメージで、美しい赤いカクテル「ルビー・カシス」をチョイス。
クレーム・ド・カシスとドライ・ベルモットを30mlと20mlタンブラーに注ぎ、さらにトニックウォーターを注いでステアする。
腹にもたれるタランティーノ映画の後は、優しくスッキリとした味わいのカクテルが良い。

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