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戦場でワルツを・・・・・評価額1700円
2009年12月02日 (水) | 編集 |
「戦場でワルツを」は、イスラエルの映画監督アリ・フォルマンによる、自身の記憶を巡る長編ドキュメンタリーアニメーションという異色作だ。
本年度の米アカデミー賞外国語映画部門で、「おくりびと」の対抗馬であった事でも話題になったが、その「おくりびと」の本木雅弘も、「最後までこちらが本命と思っていた」と語るように、世界各国の映画祭を席巻し、日本でも東京フィルメックスで最優秀作品賞を受賞した作品でもある。

2006年、フォルマンは兵役時代の旧友と再会し、1982年のレバノンでの戦争にまつわる悪夢を見るという話を聞く。
それは無数の怒り狂った犬によって追い立てられるという恐ろしいものだったが、フォルマンは自分自身のレバノンでの記憶がすっかり抜け落ちている事に気づく。
唯一覚えているのは、レバノンの海岸で戦闘を見ながら海水浴をしているという奇妙な幻想のようなイメージのみ。
友人の精神科医の助言を受けたフォルマンは、当時の戦友や関係者に会って話を聞きながら、いったい自分はレバノンで何をして、何を見たのかという核心に徐々に迫ってゆくのである。


人の記憶はいい加減な物で、強いショックを受けたり、覚えていると都合の悪い事実などは、偽りの記憶によってかき消されてしまったりするという。
傷口がやがてかさぶたで覆われる様なものだろう。
これは、戦争という鮮烈な体験の記憶を失った一人の映画作家が、自らの記憶を探して過去へ旅する過程を描いた、ある種の心象的ロードムービーと言える。

映画の背景にあるのは、1982年のイスラエル軍によるレバノン侵攻である。
1975年の内戦勃発以来、キリスト教、イスラム教、宗教各派が抗争を繰り広げていたレバノンに、PLO強硬派排除を目指したイスラエルが侵攻し、イスラム系の街だった西ベイルートを支配下に置く。
そのまま傀儡政権の樹立を目指したものの、大統領に当選したばかりのキリスト教徒のカリスマ的な指導者バシール・ジェマイエルが暗殺される事態となり、報復として起こったのがレバノンのキリスト教右派ファランヘ党の民兵によるパレスチナ人の虐殺事件「サブラ・シャティーラの虐殺」である。

果たして当時19歳の新兵だったフォルマンは一体そこで何を見たのか。
この時を遡る内面への旅を、フォルマンはドキュメンタリーアニメーションという手法で描き、彼の心に封印された真実の記憶を明らかにして行く。
アニメーションによってドキュメンタリーを描くという試みは、斬新ではあるが過去にも例がある。
2004年のアカデミー短編アニメーション賞を受賞した「ライアン」では、クリス・ランドレス監督がホームレスのアニメーション作家ライアン・ラーキンへのインタビューを、心象風景をカリカチュアした3DCGアニメーションとして描いた。
ドキュメンタリー映画の始祖の一人であるジガ・ヴェルトフが、アニメーションも重要な手法として研究していた事からも判るように、フィクションではない現実の人間の心理の奥底を表現するのに、物事の本質を映像的なメタファーとして表現できるアニメーションは、実は非常に有効な手法なのである。

暗く冷たいタッチで心の闇を描く本作のアニメーションは、一見リチャード・リンクレイターが用いるロトスコープの技法に似ている。
彼の「スキャナ・ダークリー」や「ウェイキング・ライフ」も、心象風景をそのまま映像にした様な、一種独特の世界を作り出していた。  
もっとも、「戦場でワルツを」とリンクレイターの作品とは、技術的にはそれほど共通項は無い様だ。
3DCGと手描きのアニメーション、更にはフラッシュによる切り絵に近い技法をミックスして作られた本作の映像は、リアリティを持ちながら現実にはあり得ない悪夢的な記憶の世界を、淡々と描写する。
キャラクターとして描かれる19歳当時のフォルマンの目はまるで小さな丸いレンズのように、全く感情が宿っていないように見える
アマチュアカメラマンがファインダー越しに戦場を見ると、恐怖を感じずに高揚感だけが得られるという劇中のたとえ話そのままに、彼の目はそこで起こっている事を見てはいても、心では見る事を拒否していたのだろう。

映画は、フォルマンと同じくレバノンに侵攻した元兵士たちだけでなく、サブラ・シャティーラの虐殺を取材した著名なジャーナリストのロン・ベンイシャイにもインタビューする。
これにより、フォルマンは恐らくより客観的なビジョンを掴んだのだと思う。
ちなみにこの作品の原題「バシールとワルツを」というタイトルは、ベンイシャイの取材した市街戦の最中に、フレンケルという兵士が巨大なバシール・ジェマイエルの看板の前で、ショパンのワルツにのせて踊るように機関銃を乱射する印象的なシーンから取られている。

当時を知る者たちへのインタビューを通して、少しずつ記憶を取り戻したフォルマンは、ついに虐殺当日の記憶に向き合う事になり、ここで映画はアニメーションから虐殺を伝える実写のニュース映像に切り替わる。
個人の中のあいまいな記憶という虚構が、現実の記録とシンクロする瞬間であり、スティーブン・スピルバーグの「シンドラーのリスト」のラストで、モノクロの映画が突然カラーとなり、俳優ではない登場人物の現在の姿が登場するシーンを髣髴とさせる。
映画の手法としては限りなく禁じ手に近いと思うが、それまでいかにドキュメンタリーとは言っても、アニメーションというイメージの世界を観ていた観客へのインパクトは絶大だ。

「戦場でワルツを」は恐らくイスラエルではある種のタブーを破った作品なのだろう。
それ故なのか、海外での圧倒的な賛辞とは対照的に、本国での公開は比較的小規模だったという。
もちろんこれを戦争を告発した社会派映画として観るならは、いくつかの不満もある。
この映画には一方の当事者であるパレスチナの声は反映されていないし、実際に虐殺を行った民兵への追求も無い。
それによってここに描かれているイスラエル軍の姿は、フォルマン同様の傍観者に見える。
海外の観客としては、この戦争におけるイスラエル軍の役割りが、作者の中でこれもまた無意識の内に矮小化されている様に感じてしまうのも事実である。
ただ、逆に海外ではそれほど伝わらなくても、イスラエル人が観たら強烈なアイロニーとして表現されているのだろうなと感じる部分もある。
本作の登場人物は、何度かサブラ・シャティーラの虐殺とホロコーストを関連して考える発言をする。
虐殺の当事者である ファランヘ党は、元々レバノン独立運動の中で過激なキリスト教保守派が、ナチスや伊ファシスト党をモデルに作った極右政党である。
いわばヒットラーの亡霊の行為をユダヤ人であるイスラエル軍が黙認する事の意味を、この映画で突きつけられたイスラエル人の思いはいかに複雑だろうか。
もっとも、根本的な部分で、これはあくまでもアリ・フォルマンという個人の記憶を追った作品であり、その点で社会的・歴史的な視点を過度に求めるのは間違いなのかもしれないが。

多くの血が流されたレバノンは、キリスト教文化が根付き、地中海に面した温暖な気候などの条件も申し分なく、中東地域のワイン大国である。
今回はレバノンの代表的な銘柄「シャトー・ミュザール レッド」の'99年物をチョイス。
カベルネ他三種類の葡萄から作られる、複雑でへヴィーなボディを持つ味わい深い赤である。
いまだ不安定な政情が続くこの地域、高級リゾート地として知られていた頃の平和を取り戻し、人々が安心してワインを楽しめる国になってほしいものだ。

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