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2010年02月28日 (日) | 編集 |
21世紀に入ってから、脅威のペースで傑作・名作を生み続けるスーパー映画爺さん、クリント・イーストウッドがゼロ年代の最後に放ったのは、1995年に開催されたラグビーの南アフリカ・ワールドカップを題材に、当時のマンデラ大統領と南ア代表チームの魂の交流を描いたヒューマンドラマ。
アパルトヘイトの終わりと共に、体制が崩壊した国家の再建と人種間の和解が、ラグビーというスポーツに託される。
タイトルの「INVICTUS」とは、劇中で使われる詩のタイトルで、ラテン語で「不屈」を意味するという。
ラグビーのワールドカップ開催が、一年後に迫る南アフリカ。
就任したばかりのマンデラ大統領(モーガン・フリーマン)の目の前には、アパルトヘイトが廃止されても、相変わらず白人と黒人に分断され、経済は低迷し、治安は悪化の一途を辿る、崩壊した祖国が横たわる。
白人に人気のスポーツだったラグビーと、白人主体の代表チーム・スプリングボクスは、アパルトヘイトの象徴として、黒人たちには忌み嫌われており、成績も低迷していた。
だが、ラグビーが白人のスポーツだからこそ、国民の和解の象徴になりえると考えたマンデラは、反対派の声を抑え、国を挙げてワールドカップの支援に乗り出す。
マンデラと面会したスプリングボクスのフランソワ・ピナール主将(マット・デイモン)は、スポーツに国の未来を象徴させようとする大統領の理想を心に感じ、バラバラのチームを纏め上げてゆく・・・・
ここ数年のイーストウッド作品は、全てが未来へ残す遺言の様だ。
前作の「グラン・トリノ」が、次世代のアメリカ人へ向けたオールドアメリカからの遺言だとすれば、この「インビクタス‐負けざる者たち‐」は、全人類への遺言とも取れる。
人間が人間を抑圧し、支配する事が肯定される、アパルトヘイトという異常な時代。
そんな時代を生き抜き、ついにその不屈の闘志によって歴史を変え、新たな時代の象徴となったネルソン・マンデラという偉大な政治家は、ボロボロになってしまった祖国を救う力を、復讐ではなく許しと和解に求めた。
少数派の白人の、多数派の黒人に対する恐怖心を取り除き、共に未来を作るというメッセージを、「人間的打算」によってラグビーというスポーツに象徴させたのである。
スポーツによる人種の和解、という巨大な試みを成功させるためには、先ずラグビーそのものの中で和解が行われなければならない。
その為に、マンデラの理想に共鳴し協力者となるのが、代表チーム・スプリングボクスの主将フランソワだ。
黒人に対して露骨な差別心を持つ父の元に育ち、黒人政権下の新生南アフリカにはむしろ不安と猜疑心を抱いていたフランソワは、マンデラと出会い、彼の温和な笑顔の下に隠された、強靭な魂と国の未来を描く力に惹かれ、率先してチームの意識を変えてゆく。
そしてスプリングボクスの中から始まった小さな変革は、やがてワールドカップの熱狂と共に国中に感染してゆくのだ。
本作の後に、話題作「シャーロック・ホームズ」が待機している脚本のアンソニー・ペッカムは、南アフリカ生まれで、アパルトヘイトに反発して故国を出た人物だという。
実際にその社会を知る者だからこそ作りえる、臨場感とリアリズムはこの作品が南アフリカから遠く離れたハリウッドの映画作家によって作られたことを忘れさせる。
ただ、描写のリアリズムは十分なものの、今回はアメリカを舞台に、アメリカ人を描いた作品と違い、イーストウッド自身の“リアル”はやや希薄で、ある程度物語を理詰めで描いている印象がある。
例えば日本人を主人公とした「硫黄島からの手紙」あたりと比べても、視点はかなり客観的な印象で、「グラン・トリノ」で見られた様な遊び心と詩情はあまり感じられない。
まあ、これらは映画としてはエクストラの部分だろうが、イーストウッド映画の大きな魅力になっていると思うので、そういう点では彼の作品としてはやや物足りなさが残る気がする。
もっとも、細かい不満を吹き飛ばすほど、後半のラグビーの試合は迫力満点。
まるで自分がグラウンドにいて、選手とスクラムを組んでいるかのような臨場感と勝利のカタルシスは、スポーツ映画の醍醐味に満ちている。
本作でオスカーにノミネートされたマット・デイモンを始めとした俳優陣も、立派にアスリートの肉体を作っているので、細部にいたるまで説得力があり、クライマックスでは、映画館が決勝の舞台エリス・パーク・スタジアムの観衆たちと一体になったかの様な高揚感を感じる。
9.11以降ではあり得ないジャンボ機機長の無茶や、いがみ合っていた黒人の少年と白人の警官が何時の間にか共に応援し、喝采を叫ぶというユーモラスな描写も楽しいが、こういう遊びが全体にもう少し欲しかったところ。
本作が2010年という年を迎えるタイミングで公開されたのは、おそらく明確な意図がある。
言うまでも無く、今年は冬季オリンピックとサッカーのワールドカップが同年に開催されるスポーツイヤーである。
先日、内戦に苦しんだボスニア・ヘルツェゴビナのオリンピックチームのルポが放送されていたが、今も民族ごとに分断状態にある国内にあって、オリンピックチームだけは何のわだかまりも無く統一チームとして選抜運営され、国民の多くも民族の違いに関係無く応援しているという。
スポーツという特別な言語は、確かに人々の意志を一つに統合する力があり、スプリングボクスやボスニアヘルツェゴビナのオリンピックチームは、その力のポジティブな象徴と言える。
そして夏にサッカーのワールドカップが開催されるのは、映画と同じ南アフリカである。
映画の中では、ラグビーは白人のスポーツ、サッカーは黒人のスポーツとして描かれていた。
スポーツを「人間的打算」として良い意味で利用したマンデラの政治と、ラグビーのワールドカップによって、両人種の和解の第一歩は印されたのかもしれない。
果たして15年後の南アフリカが、どのような姿を世界に見せるのか、映画で決勝の舞台となったエリス・パーク・スタジアムでも再び開催される今度のワールドカップは、そのまま映画のリアルな続編という事だろう。
もちろんマンデラとは対照的に、スポーツの持つ統合の力を、「敵」を認識させるために利用したナチスドイツの様な政治もあることは忘れてはならないが。
南アフリカという遠い国の、人種問題を背景とした物語ということで、本作は日本人にとってはある意味で遠いイメージの作品かもしれない。
だが、この映画は今の日本にとっても、多くの示唆を含んだ作品だと思う。
社会が分断され、経済、治安など難問が山積する中、マンデラというニューリーダーが登場した当時の南アフリカは、程度の差はあれど今の日本の姿にどこか被る。
この国の全ての政治家は、本作を観賞すべきだ。
映画に描かれるマンデラの姿は、国家のリーダーにとって、いかに理想とビジョンが必要かを改めて感じさせる。
常に敵を作る事で人気取りに汲々とする一部のポピュリスト首長たち、あるいはマスコミにのせられてそんな底の浅い政治家たちを安易に支持してしまう我々有権者は、この映画を観てわが身を振り返るべきだろう。
もちろん、鳩山首相をはじめとする、今の日本政府のトップたちにも是非観てもらいたいものだ。
政治家としての器はともかく、リーダーとはどうあるべきかという事を、この作品は雄弁に教えてくれる。
イーストウッド映画の例に漏れず、本作も説明的な部分は極力省かれている。
劇中で最低限のインフォメーションは提示されるが、南アフリカで何が起こったのか、ネルソン・マンデラとは何者かという事は、観客の教養として当然知っているという前提で描かれている。
物語のバックグランドはある程度知った上で観賞すべきだろう。
今回は南アフリカのビール「CASTLE LAGER」をチョイス。
映画の中ではビールは「敗北の味」なんて言われてしまっていたけど、こちらはシャープな喉越しで、激しいスポーツの観戦には勿論、映画の熱い熱気を冷ますのにもちょうど良い。
日本の熱帯夜にもあいそうな一本だが、残念ながら日本には正規輸入されていないので、個人輸入するか、アフリカ料理店くらいでしか飲めないのが残念。
夏に南アのワールドカップを観に行く人がいたら是非お勧めしたい。
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アパルトヘイトの終わりと共に、体制が崩壊した国家の再建と人種間の和解が、ラグビーというスポーツに託される。
タイトルの「INVICTUS」とは、劇中で使われる詩のタイトルで、ラテン語で「不屈」を意味するという。
ラグビーのワールドカップ開催が、一年後に迫る南アフリカ。
就任したばかりのマンデラ大統領(モーガン・フリーマン)の目の前には、アパルトヘイトが廃止されても、相変わらず白人と黒人に分断され、経済は低迷し、治安は悪化の一途を辿る、崩壊した祖国が横たわる。
白人に人気のスポーツだったラグビーと、白人主体の代表チーム・スプリングボクスは、アパルトヘイトの象徴として、黒人たちには忌み嫌われており、成績も低迷していた。
だが、ラグビーが白人のスポーツだからこそ、国民の和解の象徴になりえると考えたマンデラは、反対派の声を抑え、国を挙げてワールドカップの支援に乗り出す。
マンデラと面会したスプリングボクスのフランソワ・ピナール主将(マット・デイモン)は、スポーツに国の未来を象徴させようとする大統領の理想を心に感じ、バラバラのチームを纏め上げてゆく・・・・
ここ数年のイーストウッド作品は、全てが未来へ残す遺言の様だ。
前作の「グラン・トリノ」が、次世代のアメリカ人へ向けたオールドアメリカからの遺言だとすれば、この「インビクタス‐負けざる者たち‐」は、全人類への遺言とも取れる。
人間が人間を抑圧し、支配する事が肯定される、アパルトヘイトという異常な時代。
そんな時代を生き抜き、ついにその不屈の闘志によって歴史を変え、新たな時代の象徴となったネルソン・マンデラという偉大な政治家は、ボロボロになってしまった祖国を救う力を、復讐ではなく許しと和解に求めた。
少数派の白人の、多数派の黒人に対する恐怖心を取り除き、共に未来を作るというメッセージを、「人間的打算」によってラグビーというスポーツに象徴させたのである。
スポーツによる人種の和解、という巨大な試みを成功させるためには、先ずラグビーそのものの中で和解が行われなければならない。
その為に、マンデラの理想に共鳴し協力者となるのが、代表チーム・スプリングボクスの主将フランソワだ。
黒人に対して露骨な差別心を持つ父の元に育ち、黒人政権下の新生南アフリカにはむしろ不安と猜疑心を抱いていたフランソワは、マンデラと出会い、彼の温和な笑顔の下に隠された、強靭な魂と国の未来を描く力に惹かれ、率先してチームの意識を変えてゆく。
そしてスプリングボクスの中から始まった小さな変革は、やがてワールドカップの熱狂と共に国中に感染してゆくのだ。
本作の後に、話題作「シャーロック・ホームズ」が待機している脚本のアンソニー・ペッカムは、南アフリカ生まれで、アパルトヘイトに反発して故国を出た人物だという。
実際にその社会を知る者だからこそ作りえる、臨場感とリアリズムはこの作品が南アフリカから遠く離れたハリウッドの映画作家によって作られたことを忘れさせる。
ただ、描写のリアリズムは十分なものの、今回はアメリカを舞台に、アメリカ人を描いた作品と違い、イーストウッド自身の“リアル”はやや希薄で、ある程度物語を理詰めで描いている印象がある。
例えば日本人を主人公とした「硫黄島からの手紙」あたりと比べても、視点はかなり客観的な印象で、「グラン・トリノ」で見られた様な遊び心と詩情はあまり感じられない。
まあ、これらは映画としてはエクストラの部分だろうが、イーストウッド映画の大きな魅力になっていると思うので、そういう点では彼の作品としてはやや物足りなさが残る気がする。
もっとも、細かい不満を吹き飛ばすほど、後半のラグビーの試合は迫力満点。
まるで自分がグラウンドにいて、選手とスクラムを組んでいるかのような臨場感と勝利のカタルシスは、スポーツ映画の醍醐味に満ちている。
本作でオスカーにノミネートされたマット・デイモンを始めとした俳優陣も、立派にアスリートの肉体を作っているので、細部にいたるまで説得力があり、クライマックスでは、映画館が決勝の舞台エリス・パーク・スタジアムの観衆たちと一体になったかの様な高揚感を感じる。
9.11以降ではあり得ないジャンボ機機長の無茶や、いがみ合っていた黒人の少年と白人の警官が何時の間にか共に応援し、喝采を叫ぶというユーモラスな描写も楽しいが、こういう遊びが全体にもう少し欲しかったところ。
本作が2010年という年を迎えるタイミングで公開されたのは、おそらく明確な意図がある。
言うまでも無く、今年は冬季オリンピックとサッカーのワールドカップが同年に開催されるスポーツイヤーである。
先日、内戦に苦しんだボスニア・ヘルツェゴビナのオリンピックチームのルポが放送されていたが、今も民族ごとに分断状態にある国内にあって、オリンピックチームだけは何のわだかまりも無く統一チームとして選抜運営され、国民の多くも民族の違いに関係無く応援しているという。
スポーツという特別な言語は、確かに人々の意志を一つに統合する力があり、スプリングボクスやボスニアヘルツェゴビナのオリンピックチームは、その力のポジティブな象徴と言える。
そして夏にサッカーのワールドカップが開催されるのは、映画と同じ南アフリカである。
映画の中では、ラグビーは白人のスポーツ、サッカーは黒人のスポーツとして描かれていた。
スポーツを「人間的打算」として良い意味で利用したマンデラの政治と、ラグビーのワールドカップによって、両人種の和解の第一歩は印されたのかもしれない。
果たして15年後の南アフリカが、どのような姿を世界に見せるのか、映画で決勝の舞台となったエリス・パーク・スタジアムでも再び開催される今度のワールドカップは、そのまま映画のリアルな続編という事だろう。
もちろんマンデラとは対照的に、スポーツの持つ統合の力を、「敵」を認識させるために利用したナチスドイツの様な政治もあることは忘れてはならないが。
南アフリカという遠い国の、人種問題を背景とした物語ということで、本作は日本人にとってはある意味で遠いイメージの作品かもしれない。
だが、この映画は今の日本にとっても、多くの示唆を含んだ作品だと思う。
社会が分断され、経済、治安など難問が山積する中、マンデラというニューリーダーが登場した当時の南アフリカは、程度の差はあれど今の日本の姿にどこか被る。
この国の全ての政治家は、本作を観賞すべきだ。
映画に描かれるマンデラの姿は、国家のリーダーにとって、いかに理想とビジョンが必要かを改めて感じさせる。
常に敵を作る事で人気取りに汲々とする一部のポピュリスト首長たち、あるいはマスコミにのせられてそんな底の浅い政治家たちを安易に支持してしまう我々有権者は、この映画を観てわが身を振り返るべきだろう。
もちろん、鳩山首相をはじめとする、今の日本政府のトップたちにも是非観てもらいたいものだ。
政治家としての器はともかく、リーダーとはどうあるべきかという事を、この作品は雄弁に教えてくれる。
イーストウッド映画の例に漏れず、本作も説明的な部分は極力省かれている。
劇中で最低限のインフォメーションは提示されるが、南アフリカで何が起こったのか、ネルソン・マンデラとは何者かという事は、観客の教養として当然知っているという前提で描かれている。
物語のバックグランドはある程度知った上で観賞すべきだろう。
今回は南アフリカのビール「CASTLE LAGER」をチョイス。
映画の中ではビールは「敗北の味」なんて言われてしまっていたけど、こちらはシャープな喉越しで、激しいスポーツの観戦には勿論、映画の熱い熱気を冷ますのにもちょうど良い。
日本の熱帯夜にもあいそうな一本だが、残念ながら日本には正規輸入されていないので、個人輸入するか、アフリカ料理店くらいでしか飲めないのが残念。
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