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月に囚われた男・・・・・評価額1450円
2010年04月16日 (金) | 編集 |
「月に囚われた男」は、冷たく無機質な映像が印象的なSFサスペンスである。
何でも、ダンカン・ジョーンズ監督は、あのデヴィッド・ボウイの息子なのだという。
そういえばボウイの主演作にも「地球に落ちてきた男」という、どことなく似た邦題のカルトなSF映画があったっけ。
本作は、プロダクションバジェット僅か500万ドルという、最近のSF映画の中では相当に控えめな小品ではあるが、物語のアイディアはなかなか秀逸で、色々な意味で今っぽくない独特のムードを持つ作品に仕上がった。
※完全ネタバレ注意。

月面でヘリウム3を採取する、ルナ産業の月面基地サラン。
ここにただ一人勤務するサム・ベル(サム・ロックウェル)は、あと二週間で三年間の契約期限が満了し、地球に残してきた妻子との再会を楽しみにしている。
だが、ある日月面車で事故を起こして気を失ったベルは、医務室のベッドの上で目を覚ます。
基地を管理するコンピューターのガーティ(ケビン・スペイシー)は、体調が回復するまで基地の外に出るなと警告する。
何か奇妙だと感じたベルは、ガーティを出し抜いて基地を出ると、採掘現場へと赴く。
ベルはそこで、事故を起こして放置された月面車と、その操縦席で意識を失っている、もう一人の自分を発見する・・・


もちろん21世紀に作られた作品なのだが、キューブリックやリドリー・スコットの影響が強く感じられ、20世紀調SF映画のカラーが色濃く出た作品だ。
舞台はほぼ月面基地内とその周囲に限定され、登場人物は二人のサム・ベル、そしてコンピューターのガーティだけ。
ミステリアスなシチュエーションと、白で統一された美術、そして謎を知るコンピューターの存在からは、「2001年宇宙の旅」を連想させられる。
ダンカン・ジョーンズは元々大学で哲学を専攻していたそうだが、なるほどこれはSFという設定を使い、自己存在の意味に迫る哲学的な心理劇。
人間、あまりにもビックリすると、はたして次にどう行動していいのかわからなくなるものだが、自分以外誰も存在しないはずの月面で、いるはずの無いもう一人の自分に出会うという超シュールなシチュエーションに直面したサムが、一見全然動じない様に見えるのは、演じるサム・ロックウェルの好演もあり、なかなかに説得力があった。
あまりにも奇妙すぎる状況を、二人のサムはとりあえず受け入れるしかない。
だが、一体自分が見ているのは何なのか、果たしてこれは現実なのか幻覚なのか、そもそも自分は何者なのかという不安に苛まれる事になる。
そして彼らの心理は、同じ様に情報を欠いたまま見守るしかない観客の心理とも、そのままシンクロするのである。
どちらかと言うと渋いバイブレイヤーという印象の強いロックウェルは、同一人物でありながら異なる状況を抱える二人という、極めて変則的な難役を見事に演じ分け、その実力を十二分に発揮して非凡な印象を残す。

まあ二人の自分という謎解きの部分は、サム自身が早々にクローンという解釈に落ち着いてしまう事もあり、作品における比重はそれほど大きくない。
これはあくまでも、自己存在の矛盾に直面した主人公の心のあり様を負った心理劇なのだ。
本来のサム、つまり間もなく地球に帰るはずだった方は、原因不明の体調不良に襲われている。
彼は、自分の運命を知るべく、ガーティの管理する基地の記録にアクセスし、過去のクローンたちがどうなったのかを知ってしまう。
3年の契約期限が切れるとき、彼らは例外なく同じ様に衰弱し、死を迎える病人の様な有様にある。
そう、彼らクローンには「ブレードランナー」のレプリカントと同じく、あらかじめ肉体の寿命が設定されているのである。
そして3年が経った時、地球に帰る船と思い込んでいるカプセルの中で、彼らの肉体は焼却処分され、次のクローンがまた目覚めるという寸法だ。
3年と言う時間と月面という空間に閉じ込められた人生を、エンドレスにループするだけのサムという存在。
自らにはもう時間が残されていない事を悟ったサムは、後から目覚めた方のまだまだ元気なサムに、自己存在の未来を託す選択をする。

本作で面白いのは、従来のSF作品ではだいたい敵か妨害者になるコンピューターのガーティが、積極的にサムの支援をする事。
どうやら、何人ものサムと時を共有するうちに、ガーティの中にはある種の自我が目覚めている様なのだ。
物語中ではそれほど追求されないので、アクセントに留まっているが、人間性を否定されたクローンと、人間性を獲得しつつある機械というのはなかなかにユニークなコンビであった。

ただ、アイディアの面白さと、独特の演出センスは強く印象に残るものの、私は本作を観賞中にどうしても大きな疑問が頭から離れなかった。
ルナ産業は、一体全体何だって、こんな面倒な仕掛けを作ったのか?
月面でのヘリウム3の採掘という設定にはリアリティがある。
ヘリウム3は、夢のクリーンエネルギーとして研究が進む核融合炉の燃料として利用できると考えられ、月面に豊富に存在してる事がわかっている。
今世紀に入った頃から、各国の月探査が活況を呈する様になったのは、将来的なヘリウム3確保へ向けた思惑があるのだ。

しかしながら、映画を観る限り月面基地に人間がいる必然性は限りなく低いのである。
サムのしている仕事と言えば、採掘の進行報告と、採掘マシーンがヘリウム3で一杯になったら、回収して地球に向けて送り出す事くらい。
この程度ならオートメーション化した方がよっぽど効率が良くないだろうか?
クローンとは言え、有人基地を維持するには水も食料も、眠っている何体ものスペアクローンの維持管理も必要になり、更には地球との通信を妨害するための巨大な電波塔まで建設していた。
かと言って月まで来るのが大変という訳でもない様で、この時代の人類は遥木星まで到達し、月面基地の機械の修理も、サムの仕事ではなくて外部から人間が来るという設定だった。
会社が、一体何のために危ない橋を渡り、巨額の費用を費やしてまで、クローンを常駐させているのか、納得のいく説明がこの作品には無い。
唯一のメリットは、(どう考えてもコストとつりあいそうも無いが)給料を払わなくても良い事くらいしか見えないのである。
機械が韓国語を喋っていたり、サラン(愛)という韓国語の基地名からしても、ルナ産業はどうやら韓国系の企業らしい。
この手のSFでは過去には日本企業が同じような役回りに設定される例が多かったし、東洋人には利益至上主義のイメージがあるのかもしれないが、これじゃ大赤字ではないのだろうか。

そんな事は、本作が描こうとしてる事の本質と関係ないという見方もあるだろう。
だが、SFやミステリは、ある意味設定とディテールが命のカテゴリで、いかに語り口が面白かろうと、ベースとなる部分が破綻していると説得力を失い、私の様に意地悪な観客は破綻に対する解があるのかがずっと気になってしまう。
本作はディテールは相当凝って作りこまれていたが、肝心の基本的な世界観に大きな穴があるのはいただけない。
ダンカン・ジョーンズには一箇所で良いから月面に人間が必要な訳、それがクローンである必然性を描写として盛り込んで欲しかった。
本作の持つ、20世紀哲学SF的な独特のムードはなかなかに楽しめるし、物語のアイディア自体も面白い。
だからこそ、やや詰めが甘いと思わざるを得ないのが、余計に勿体無いのである。

今回は、神秘的な月をモチーフとしたカクテル、「ルナ・パーク」をチョイス。
ウオッカ 20 ml 、クレーム・ド・バイオレット 20 ml、 ヨーグルト・ドリンク 10 ml、 アセロラ・ジュース 10 mlをシェイクする。
グラスに注ぐと、それはまるで白く輝く満月の様。
三日月型にカットしたフルーツを添える店が多いが、個人的にはこのままの方が月っぽいと思う。
甘酸っぱい複雑な味わいで、カルトSFの食後酒としてはちょうど良い。

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シャッターアイランド・・・・・評価額1550円
2010年04月16日 (金) | 編集 |
マーティン・スコセッシ監督レオナルド・ディカプリオの四作目のコンビ作は、断崖絶壁に囲まれた孤島、「シャッターアイランド」に建つ精神病院を舞台とした謎解きミステリ。
原作はデニス・ルヘインのベストセラーだそうだが、正直なところミステリとしてはかなりイージーなので、見所は現実と幻想が入り混じったシュールな心象風景の映像と、あちこちに散りばめられた謎解きのヒントを幾つ見つけられるかというゲームライクな興味だろう。
※完全ネタバレ注意。

1954年。
FBI捜査官のテディ(レオナルド・ディカプリオ)は、新しい相棒のチャック(マーク・ラファロ)と共に、ボストンの沖合いに浮かぶ孤島、シャッターアイランドへ降り立つ。
島にあるアッシュクリフ病院は精神を患った犯罪者だけを収容する特殊な病院。
この絶対に逃げ出せない病院から、レイチェルという女性患者が忽然と消えてしまったと言うのだ。
彼女の姿はどこにも見えず、島から出る手段もない。
唯一発見された手がかりは、意味不明の数字が書かれた謎賭けの様なメモだけで、院長のコーリー博士(ベン・キングスレー)は、あまり捜査に協力的ではない。
はたしてレイチェルはどこへ消えたのか、院長ら病院関係者は何を隠しているのか・・・・


ぶっちゃけ、ミステリのオチは観る前から読めてしまった。
孤島の精神病院、消えた女性患者、怪しげな院長に、トラウマを抱えてパラノイア気味のFBI捜査官と、もの凄く親切に揃ったキーワードが、この手のミステリが好きな人には始めから結末を示唆するのだ。
でも、まさかスコセッシ御大ともあろう人が、そのまんまはないよね・・・と思っていたら、謎解きの部分に関しては、やっぱりそのまんまだった(笑
要するにこれは、1920年に作られ後の映画やミステリ小説に多大なる影響を与えた、ロベルト・ヴィーネ監督の名作「カリガリ博士」の焼き直し。
事件を捜査している主人公は実は狂人で、全ては彼の妄想であったという、あのパターンの元祖である。
ディカプリオ演じるテディとベン・キングスレー演じるコーリー博士の関係は、「カリガリ博士」における主人公のフランシスとカリガリ博士の関係をコピーしたものだ。

もっとも、オチが読めるイコールつまらないという訳ではない。
結末へ観客を導きつつ、途中でミスリードさせるための工夫は、物語上にも映像演出としても、非常に細かく丁寧に配置されており、それらは一定の成功を収めていると言って良い。
特にテディが繰り返し見る悪夢の描写など、スコセッシというよりは、デビッド・リンチやデビッド・フィンチャーを思わせ、なかなかに良くできているし、終盤テディが夢と現実の区別がつかなくなるあたりは、ちょっと鈴木清順の「陽炎座」も思い出した。
途中で一瞬、う~ん自分の予想は間違っていたかも?と思わせる部分もあったから、ミステリのロジックとしてはビギナー向けながら、さすがに語り口は一級品というところだろう。

だが、本作を単なるプログラムピクチャから一歩抜け出た物にしているのは、事件の謎が全て解けた後の、この映画の本当のラストシーンだろう。
ここでのテディの心理をどの様に解釈するかによって、本作の評価はB級ミステリにもなりえるし、A級の心理ドラマにもなりえるのである。
テディは自分が妻を殺した殺人犯である事、そしてその事実を認めたくない心が、島に捜査にやって来るFBI捜査官という虚構の現実を作り出していた事を一度は認める。
しかし物語の最後で、テディは再び妄想の世界の住人になり、治療を諦めたコーリー博士たちは、彼にロボトミー手術を施す事を決めるのだ。
ここでテディが呟く「モンスターとして生きるのか、善人として死ぬのか」という問いかけこそが、テーマ的にはこの映画の全てだと言っても良いだろう。
思うにスコセッシとしては、この一言を言わせたいがために、本作を撮ったのではないか。
本作の138分と言う比較的長い上映時間は、全てラスト3分を生かすために費やされているのだ。
もしも、ラストのテディが本当に再び正気を失っていたと解釈するなら、本作はイージーなB級ミステリ映画に過ぎないが、テディは本当は正気を保っていて、あえてロボトミー手術という精神的自殺を選択したのだとしたら、これはなかなか考えさせられる。

個人的には、これはテディにとっての贖罪なのではないかと思う。
彼にとって、正気を保ってゆくという事は、愛する者を殺した「モンスター」として生き続ける事を意味する。
テディは、本来の自我である「モンスター」を妻の待つ地獄へと送り、ロボトミー手術を受けてもはや自分ではない「善人」として生きて死ぬ事を選択したのではないだろうか。
もちろんこのラスト、そして彼の最後のセリフの意図を巡っては様々な解釈が可能だ。
本作は、売り物のロジカルな謎解きの部分は、拍子抜けするほどわかりやすい。
だが、人間の心の複雑な葛藤という、この世界で一番ミステリアスな部分を最後の最後に突きつけてくるとは、さすがに読めなかった。
観客の戸惑う表情を思い浮かべて、ニンマリほくそ笑むスコセッシの顔がスクリーンの裏に透けて見えるかの様だ。
意地悪な作家による意地悪な映画である。

今回は、舞台に近いボストンの地ビール「サミュエル・アダムス・ボストンラガー」をチョイス。
第二代アメリカ大統領、ジョン・アダムスの兄である郷土の政治家に由来する銘柄で、所謂アメリカンビールとは一線を画すビールらしいコクと風味が魅力。
今ではボストン以外のビール党にも広く飲まれるようになった、アメリカで一番有名な地ビールだ。

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