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タイタンの戦い・・・・・評価額1250円
2010年04月27日 (火) | 編集 |
1981年に公開された「タイタンの戦い」のリメイク、とは言っても元々これはギリシャ神話のペルセウスの物語である。
神と人との間に生まれた半神ペルセウスが、怪物の生贄に捧げられそうになっていたアンドロメダ姫を救い出すと言う、星座にもなった有名な物語を大幅に脚色した物だ。
神話の世界の大冒険は、ビジュアル的な見せ場には事欠かないが、肝心のお話が分裂気味でなんともビミョーな仕上がりとなった。

全能の神ゼウス(リーアム・ニーソン)と人間の間に生まれた子、ペルセウス(サム・ワーシントン)はアルゴス国の漁師の子として育てられる。
あるときアルゴスの民が神に背いた為に、冥界の神ハデス(レイフ・ファインズ)が出現し、ペルセウスの養父たちも巻き添えになり殺されてしまう。
人間を罰しようとする神は、アルゴスの姫アンドロメダ(アレクサ・ダヴァロス)を怪物クラーケンの生贄に捧げる様に要求する。
ペルセウスが神の子である事を知った王は、彼に姫を救ってくれと哀願するのだが・・・・


正直なところ、オリジナルも1981年の時点で既に古色蒼然とした時代遅れのファンタジーだった。
この作品が歴史に名を留めているのは、その出来栄えによるものではなく、プロデューサー兼特撮監督の巨匠レイ・ハリーハウゼンの引退作で、映像技術のターニングポイントとなった作品だからである。
「キング・コング」のウィリス・オブライエンによって、その原型が完成したVFXとしてのモデルアニメーションは、歴史の中で二度の大きな技術革新を経ている。
その最初が、オブライエンの愛弟子ハリーハウゼンによるダイナメーションの技法の確立である。
先に実写パートを撮影し、スクリーンプロセスでアニメーション部分と組み合わせる事をカラーフィルムで可能とした大胆なアイディアは、複雑で高価な光学合成を最小限にする事を可能とした事で、瞬く間にスタンダードとなり、その後30年に渡って非人間型クリーチャーに命を吹き込む、最も有効な手法であった。
そして二度目の技術革新が、オリジナルの「タイタンの戦い」と同じ1981年に公開された「ドラゴンスレイヤー」のために、ILMのフィル・ティペットらによって開発されたゴーモーションである。
コンピューター制御されたモーターに接続されたロッドによって、精密にコントロールされた人形を、スローシャッターのカメラで撮影するこの技法によって、巨大なドラゴンはついにモデルアニメーションの最大の欠点であるフリッカー現象(動きにブレが無いためにカクカクする現象)から開放された。
異次元の滑らかさと、ダイナミックなカメラワークで描かれたドラゴンの飛翔によって、ダイナメーションは一気に過去の遺物となってしまったのである。
ハリーハウゼンは、自作とほぼ同時期に公開されたこの作品を観て、自分の時代が終ったのを悟り、引退を決意したと言われる。
いまやそのゴーモーションも、CGの台頭によって歴史上の技術となってしまったのだから、30年間の映像技術の凄まじい進化を実感できる。

そして、残念ながらリメイク版「タイタンの戦い」の見所もまた映像だけだ。
派手なCGによるお金のかかった大バトル以外、ただでさえそれほど出来が良いとはいえないオリジナルにも及んでいない。
本作の問題の根本は、間違いなく脚本である。
前記したように、これはリメイクと言っても神話を原作とした話なので、基本的な流れは前作とあまり変わらない。
だが、8年前にリメイク企画が立ち上がって以来、元々単純な物語のリライトに動員された脚本家は、クレジットされていない人物も含めて6人、更に監督やらプロデューサーやら、あまりにも多くの人のアイディアがごちゃ混ぜに詰め込まれたおかげで、なんともとりとめのない話になってしまい、ハリウッドシステムの弊害が出た典型的な例となってしまった。

もっとも、オリジナルでは主人公ペルセウスの冒険は、ほとんど神々のゲームの駒の様な扱いで、ワガママでやりたい放題の神、特にゼウスに人間たちが振り回されるような話だった。
これでは21世紀の観客に通用しないのは間違いないから、神が人間の信仰心によって不死の力を得ていて、力をつけて傲慢になり神を敬わなくなった人間との間に対立が生まれているという設定はまあ良い。
ただ、その設定が具体的な描写になっていないのである。
神の暴虐に人々が耐えかねたと説明されているが、その暴虐が具体的に何なのか説明がないので、何故そんなに人々の反感を買ったのか、何故人間が神と戦争するような事態になってしまったのかが全くわからないままだ。
だから半神であるペルセウスが、神と人間の間でアイデンティティの葛藤を抱えるのもいまひとつ説得力がない。
育ての親を冥界の神ハデスに殺されて、復讐心から自分が半神である事を否定する割には、父ゼウスにはあっさりと懐柔されてしまい、結局クライマックスでは贈られた剣で大活躍するのだからキャラクターとしての底は浅いと言わざるを得ない。

またオリジナルの人物関係を変更し、いくつかのキャラクターを統合し、その分新キャラクターを配したりしているのだが、この意図も良くわからないものが多い。
特に、ヒロインの役割をアンドロメダと新登場のイオに別けたのは、明らかに失敗ではないか。
ペルセウスの心がイオに向いているのは、劇中の流れで明らかなのに、クライマックスで助けなければならないのはアンドロメダだから、心情的に盛り上がらない。
神話の英雄は、やはり愛する女を救わなくては。
イオは本来のペルセウス神話とはあまり関係のない女神だが、なぜこのキャラクターが本作のヒロインでなければならないのか理解に苦しむ。
そして、オリジナルとも異なるこの映画のオチは、元の神話が有名だけにどうにも違和感が拭えない。
ここで神話どおりにしてしまうと、続編で動かし難いから・・・なんていう意図を邪推してしまうではないか。

ちなみにギリシャの神がナゼか鎧姿なのは、ルイス・レテリエ監督「聖闘士星矢」のファンで、漫画へのリスペクトなんだとか(笑
だから車田正美がポスター描いてる訳ね。
でも、それなら最初から「星矢」を映画化した方が良かったんではないか?
オリジナルへのリスペクトがメカフクロウのブーボーが一瞬写るだけなのに、直接関係無い漫画へのリスペクトが出ずっぱりってどうなのよ(笑
まあ元々構成力にも演出力にも大いに疑問符が付くレテリエだけに、ビジュアル以外に光る物を見出せないのも、ある意味予想通りと言うべきか。
映像的には良くできているし、スペクタクルなアクションはそれなりに見応えがあるので退屈はしないが、映画館から出た瞬間に全てを忘れてしまう様な、あまり良い意味ではない“類型的ハリウッド映画”であった。

今回は濃いキャラクターを持つギリシャのスピリット、「ウゾ12」をチョイス。
アニスの香りが強烈な印象を残すギリシャの大衆酒で、日本人には好みが分かれそうだが、その分ギリシャ料理との相性は抜群。
映画が薄味で物足りない分、悠久の歴史を感じる食文化で古代神話のロマンにトリップしよう。

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