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2010年05月23日 (日) | 編集 |
何故だろう、最近やたらと「9」をタイトルに含む映画が多い。
異色のエイリアンSFやスター共演のゴージャスなミュージカルに続くのは、そのものズバリ数字の「9」がタイトルの作品。
「9 <ナイン> ~9番目の奇妙な人形~」は、人類絶滅後の世界を舞台に、心を持った小さな人形たちの冒険を描くCGアニメーションだ。
とある研究室で、麻袋の様な姿をした奇妙な人形(イライジャ・ウッド)が目覚める。
背中には大きく9の文字。
彼が外に出ると、人間たちの世界は滅びていた。
廃墟と化した街で、9は自分と同じような姿をした2(マーティン・ランドー)と出会う。
自分が一人ぼっちでない事を知り、ホッとする9だったが、突然現れた機械の怪物に襲われ、2が連れ去られてしまう。
気を失っていた9を助けたのは、他のナンバーを持つ人形たち。
9は彼らに、2を救出に行こうと訴えるのだが・・・
アメリカ映画だが、ヨーロッパ的なムードが強い。
主人公である人形たちの造形や敵キャラとなるマシーンたち、重厚な美術の造形感覚は、チェコのイジー・トルンカの人形アニメーションやカレル・ゼマンの銅版画調アニメーションを思わせる。
冒頭から人間たちの死体を描写するあたりを含め、ピクサーやドリームワークスなどの明るく楽しいハリウッドアニメとは一線を画する、ダークでマニアックな世界が広がる。
元々これは、「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」にCGアニメーターとして参加していたシェーン・アッカーが、UCLAの卒業制作として作り、2006年度のアカデミー短編アニメーション部門にノミネートされた11分の短編のリメイク。
オリジナルを気に入ったティム・バートンがプロデューサーを務め、アッカー自身によって長編化されたものだ。
物語の骨子そのものは、過去に何度も使われてきた古典的なSF設定をベースとしている。
ある天才科学者が画期的な人工知能を開発する。
だが、為政者たちは、科学者からその技術を奪って、あろう事か戦争の道具に使ってしまい、進化したマシーンたちはやがて人類に反旗を翻えす。
全ての原因となる人工知能を開発した科学者は、最後に自分の魂を九つに分け、20センチほどの大きさの9体の人形に命を吹き込んで力尽きる。
人類は滅び、荒野と化した地上に残ったのは、感情を持たない人工知能と、人間の魂を受け継いだ9体の人形。
つまり、これは人類滅亡後の星を継ぐ者の物語なのである。
生命を消し去ろうとする人工知能が、完全な破壊者であり、無機質な存在として描かれているのに対して、9体の人形はそれぞれが人間の精神の一面を受け継いでいる。
頭が良くて色々な発明をしている2、知識と調査に長けている双子の3と4、9を精神的に支える5、エキセントリックなアーティストの6、孤高の戦士である7、巨漢のジャイアン的キャラクターの8。
そして明確なコントラストを形作るのが二人のリーダーである1と9だ。
人形たちの中で一番最後に生まれた9は、危険を冒しても仲間を救い、自分たちの存在の秘密を探ろうとする。
探究心と義侠心に厚い9に対して、1は変化を拒絶する臆病で保守的な老人として描かれる。
彼らは皆人間の最も人間らしい部分をカリカチュアしたキャラクターで、一人一人では酷くアンバランスで不完全な存在だ。
9と1の間で、分裂している人形たちは、やがて人工知能との存亡をかけた戦いの中で、心を一つにすることを学んでゆく。
主人公9の声をイライジャ・ウッドが演じ、敵対する1はクリストファー・プラマー。
他にもジェニファー・コネリー、ジョン・C・ライリー、マーティン・ランドーといった錚々たる顔ぶれの名優が人形たちを演じて、見応え、いや聞き応え十分。
主な冒険の舞台となるのは、嘗て人間たちが暮らしていた廃墟の街と、人工知能が支配する巨大な廃工場の二箇所。
このうち街のシークエンスで登場するのが、主に人間の精神性を象徴する教会であったり、知性を象徴する図書館であるのが面白い。
ショーン・アッカーはユニークな映像世界の中に、様々なメタファーとミステリアスな謎を散りばめ、観客を作品世界に引き込んでゆく。
だが、人形たちの心の物語が一応の美しいオチを迎えるのに対して、広げるだけ広げた世界観の謎に対する解が存在しないのはちょっと気になる。
人形は何故麻袋の様な姿をしているのか?科学者は何故生命を吸い上げるスイッチと、生命を交換するスイッチを同じ部品にしたのか?人工知能はいちいちロボットを組み立てていたけど、あんなに沢山いた戦闘用ロボットはどこへ消えたのか?そもそも何故科学者は9体の人形に魂を分けたのか?といった些細な事から物語の根本に関わる部分まで、様々な謎が放ったらかしのまま話は進み、結局何の解も見せてくれないまま終ってしまうのだ。
これが短編なら、世界観の部分はインパクト勝負で、ディテールにはあえて触れないという考え方もありだろう。
実際オリジナルの11分版では特に気にならなかった。
しかしながら80分の長編となり、一つ一つのシチュエーションが丁寧に描かれているが故に、説明されない部分が逆に目立ち、いちいち引っかかってしまうのは残念だ。
本来11分で描ける物語をあえて長編化するのならば、ストーリーラインの詳細化以上の新しい方法論が必要だったのではないだろうか。
とは言え、本作は欠点よりも魅力の方がずっと多い。
ハリウッド製のCGアニメーションとして、明るく楽しいメジャー作品とは明らかに異質の、ダークで大人向けの雰囲気を持つ本作が作られた意義は大きい。
ヨーロピアンな感性を持つアメリカ人、シェーン・アッカーの次回作に期待したい。
今回は、チェコの古典アニメ風のCGアニメということで、チェコのピルスナービール「ブドヴァイゼル・ブドヴァル(バドバー)」をチョイス。
このピルスナーが作られる中世以来のビール都市、チェスケー・ブジェヨヴィツェのドイツ語読みがブドヴァイスであり、これを更に英語読みしてアメリカンビールのバドワイザーが名付けられたのは有名な話だ。
故にバドワイザーは、ヨーロッパではバドワイザーの商標を使うことが出来ない。
700年の伝統を持つチェコ製元祖バドワイザーは、ふわりと広がる芳醇な香りに、苦味と酸味のバランスが絶妙。
王道を感じさせる力のある味わいである。
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異色のエイリアンSFやスター共演のゴージャスなミュージカルに続くのは、そのものズバリ数字の「9」がタイトルの作品。
「9 <ナイン> ~9番目の奇妙な人形~」は、人類絶滅後の世界を舞台に、心を持った小さな人形たちの冒険を描くCGアニメーションだ。
とある研究室で、麻袋の様な姿をした奇妙な人形(イライジャ・ウッド)が目覚める。
背中には大きく9の文字。
彼が外に出ると、人間たちの世界は滅びていた。
廃墟と化した街で、9は自分と同じような姿をした2(マーティン・ランドー)と出会う。
自分が一人ぼっちでない事を知り、ホッとする9だったが、突然現れた機械の怪物に襲われ、2が連れ去られてしまう。
気を失っていた9を助けたのは、他のナンバーを持つ人形たち。
9は彼らに、2を救出に行こうと訴えるのだが・・・
アメリカ映画だが、ヨーロッパ的なムードが強い。
主人公である人形たちの造形や敵キャラとなるマシーンたち、重厚な美術の造形感覚は、チェコのイジー・トルンカの人形アニメーションやカレル・ゼマンの銅版画調アニメーションを思わせる。
冒頭から人間たちの死体を描写するあたりを含め、ピクサーやドリームワークスなどの明るく楽しいハリウッドアニメとは一線を画する、ダークでマニアックな世界が広がる。
元々これは、「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」にCGアニメーターとして参加していたシェーン・アッカーが、UCLAの卒業制作として作り、2006年度のアカデミー短編アニメーション部門にノミネートされた11分の短編のリメイク。
オリジナルを気に入ったティム・バートンがプロデューサーを務め、アッカー自身によって長編化されたものだ。
物語の骨子そのものは、過去に何度も使われてきた古典的なSF設定をベースとしている。
ある天才科学者が画期的な人工知能を開発する。
だが、為政者たちは、科学者からその技術を奪って、あろう事か戦争の道具に使ってしまい、進化したマシーンたちはやがて人類に反旗を翻えす。
全ての原因となる人工知能を開発した科学者は、最後に自分の魂を九つに分け、20センチほどの大きさの9体の人形に命を吹き込んで力尽きる。
人類は滅び、荒野と化した地上に残ったのは、感情を持たない人工知能と、人間の魂を受け継いだ9体の人形。
つまり、これは人類滅亡後の星を継ぐ者の物語なのである。
生命を消し去ろうとする人工知能が、完全な破壊者であり、無機質な存在として描かれているのに対して、9体の人形はそれぞれが人間の精神の一面を受け継いでいる。
頭が良くて色々な発明をしている2、知識と調査に長けている双子の3と4、9を精神的に支える5、エキセントリックなアーティストの6、孤高の戦士である7、巨漢のジャイアン的キャラクターの8。
そして明確なコントラストを形作るのが二人のリーダーである1と9だ。
人形たちの中で一番最後に生まれた9は、危険を冒しても仲間を救い、自分たちの存在の秘密を探ろうとする。
探究心と義侠心に厚い9に対して、1は変化を拒絶する臆病で保守的な老人として描かれる。
彼らは皆人間の最も人間らしい部分をカリカチュアしたキャラクターで、一人一人では酷くアンバランスで不完全な存在だ。
9と1の間で、分裂している人形たちは、やがて人工知能との存亡をかけた戦いの中で、心を一つにすることを学んでゆく。
主人公9の声をイライジャ・ウッドが演じ、敵対する1はクリストファー・プラマー。
他にもジェニファー・コネリー、ジョン・C・ライリー、マーティン・ランドーといった錚々たる顔ぶれの名優が人形たちを演じて、見応え、いや聞き応え十分。
主な冒険の舞台となるのは、嘗て人間たちが暮らしていた廃墟の街と、人工知能が支配する巨大な廃工場の二箇所。
このうち街のシークエンスで登場するのが、主に人間の精神性を象徴する教会であったり、知性を象徴する図書館であるのが面白い。
ショーン・アッカーはユニークな映像世界の中に、様々なメタファーとミステリアスな謎を散りばめ、観客を作品世界に引き込んでゆく。
だが、人形たちの心の物語が一応の美しいオチを迎えるのに対して、広げるだけ広げた世界観の謎に対する解が存在しないのはちょっと気になる。
人形は何故麻袋の様な姿をしているのか?科学者は何故生命を吸い上げるスイッチと、生命を交換するスイッチを同じ部品にしたのか?人工知能はいちいちロボットを組み立てていたけど、あんなに沢山いた戦闘用ロボットはどこへ消えたのか?そもそも何故科学者は9体の人形に魂を分けたのか?といった些細な事から物語の根本に関わる部分まで、様々な謎が放ったらかしのまま話は進み、結局何の解も見せてくれないまま終ってしまうのだ。
これが短編なら、世界観の部分はインパクト勝負で、ディテールにはあえて触れないという考え方もありだろう。
実際オリジナルの11分版では特に気にならなかった。
しかしながら80分の長編となり、一つ一つのシチュエーションが丁寧に描かれているが故に、説明されない部分が逆に目立ち、いちいち引っかかってしまうのは残念だ。
本来11分で描ける物語をあえて長編化するのならば、ストーリーラインの詳細化以上の新しい方法論が必要だったのではないだろうか。
とは言え、本作は欠点よりも魅力の方がずっと多い。
ハリウッド製のCGアニメーションとして、明るく楽しいメジャー作品とは明らかに異質の、ダークで大人向けの雰囲気を持つ本作が作られた意義は大きい。
ヨーロピアンな感性を持つアメリカ人、シェーン・アッカーの次回作に期待したい。
今回は、チェコの古典アニメ風のCGアニメということで、チェコのピルスナービール「ブドヴァイゼル・ブドヴァル(バドバー)」をチョイス。
このピルスナーが作られる中世以来のビール都市、チェスケー・ブジェヨヴィツェのドイツ語読みがブドヴァイスであり、これを更に英語読みしてアメリカンビールのバドワイザーが名付けられたのは有名な話だ。
故にバドワイザーは、ヨーロッパではバドワイザーの商標を使うことが出来ない。
700年の伝統を持つチェコ製元祖バドワイザーは、ふわりと広がる芳醇な香りに、苦味と酸味のバランスが絶妙。
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