酒を呑んで映画を観る時間が一番幸せ・・・と思うので、酒と映画をテーマに日記を書いていきます。 映画の評価額は幾らまでなら納得して出せるかで、レイトショー価格1200円から+-が基準で、1800円が満点です。
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KIYOSATO FIELD BALLET 21
2010年07月31日 (土) | 編集 |
バレエと言えば、普通は劇場で観賞するもの。
だが、「清里フィールドバレエ」は清里高原のリゾート、「萌木の村」に設けられた特設会場で夏の間だけ上演される野外バレエだ。
既に20年の歴史があるというその舞台は、想像以上の素晴らしさだった。
森の中の広場に作られた会場は、日が落ちる頃には多くのリピーターを含む観客でぎっしり。
会場には本格的な石窯ピザや地ビールをサービスする出店や、虫除けスプレーまで完備されている。
もっとも、会場周辺の木々には、環境に配慮した漢方の虫除け薬が散布されているそうで、思いのほか虫は少ない。
演目はセルゲイ・プロコフィエフ作曲による「シンデレラ」である。
バレエシャンブルウェストと、萌木の村を拠点とする舩木洋子バレエフォレストによる演舞は迫力満点。
ダイナミックな踊りと、カラフルで遊び心のある衣装やセットが良く知られた物語を盛り上げる。
そして何よりも、森の中にポッカリ開けた空間という非日常感が、観客を真夏の夜の夢へと誘う。
仄かな星明り、ひんやりとした高原の空気、そして照明に誘われて乱舞する虫達までもが、ある種の演出効果として機能しているのだ。
更に自然の闇と一体化した演劇空間が、観客に独特の研ぎ澄まされた五感を与え、舞台との一体感を増幅するのである。
これはミュージックフェスや薪能などにも通じる感覚だろう。
野外である事を上手く生かした暗転や、ダンサー達が観客席にまで飛び込んでくる演出も楽しく、インターミッションを挟んで二幕一時間半ほどの舞台は、あっという間にフィナーレを迎える。
クライマックスは演劇的演出とライブの臨場感が相まって、圧倒的なカタルシスを感じさせてくれる。
視覚的で展開がわかりやすいので、バレエファンでなくても十分に楽しめる。
色紙を購入すると参加できる出演者のサイン会などもあり、親子連れにもお勧めだ。
今年の公演は8月9日まで。
演目は「シンデレラ」「白鳥の湖」「天上の詩」が日替わりとなる。

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ゾンビランド・・・・・評価額1550円
2010年07月29日 (木) | 編集 |
全然予備知識を持たずに観たのだが、こりゃあ珍品だ。
生ける死体、ゾンビをモチーフとした映画と言えば、今やホラー物の一大ジャンル。
ジョージ・A・ロメロの「リビング・デッド」シリーズで認知されて以来、SFなど他のカテゴリとも結びついて無数の作品が世に送り出されてきた。
だが、これが長編デビュー作となるルーベン・フライシャー監督による、その名も「ゾンビランド」は、過去に作られたどんなゾンビ映画とも異なるユニークな作品となった。

新型ウイルスによって、人間の殆どがゾンビ化し、「ゾンビランド」と化したアメリカ。
気弱な大学生のコロンバス(ジェシー・アイゼンバーグ)は、テキサス州ガーランドから故郷のオハイオ州コロンバスへと向かう途中、マッチョなゾンビハンターのタラハシー(ウッディ・ハレルソン)と出会い、彼の車に同乗させてもらうことに。
ところが、あるスーパーでタラハシーが大好物の菓子トゥインキーを捜している時に、ウィチタ(エマ・ストーン)とリトルロック(アビゲイル・ブレスリン)と名乗る姉妹に騙されて、銃と車を奪われてしまう・・・


何でも、北米では「ゾンビ映画史上最大のヒット作」となったらしいが、実際に観るとその理由は良くわかる。
ロメロ作品に代表されるこの種の映画の売りは、何と言ってもドロドログチャグチャのスプラッター描写
だが本作の場合、血糊の量はかなり控えめで、特に中盤はゾンビとの攻防すら殆ど描かれない。
代わってメインとなるのは、世界の終わりに不思議な縁で結びついた四人のはぐれ者の、ニューシネマ的お笑い旅行記だ。
そう、これはハリウッド伝統のロードムービーを、ゾンビムービーの世界観に放り込み、奇妙に融合させた物語であり、今までのゾンビ映画に比べるとホラー嫌いにもとっつきやすいのである。

皮肉の効いたキャラクターが可笑しい。
登場人物は、全員出身地のニックネームで呼ばれるのだが、出てくるのはオハイオ州コロンバス出身のゲームオタクのチェリーボーイ、フロリダ出身タラハシー出身のスウィーツ好きのマッチョオヤジ、カンザス州ウィチタリトルロック出身の詐欺師姉妹。
オタクのコロンバスは、幼少期のトラウマでピエロが怖いという徹底的なヘタレ。
だが引きこもり特有の臆病な性格と、ネットゲームでのサバイバル経験を生かし、自ら定めた“32のルール”を厳守することで「ゾンビランド」を生き延びている。
マッチョのタラハシーは、世界の終わりなどそっちのけで、ひたすら大好物のトゥインキーを捜し求め、邪魔なゾンビを排除する。
さらに世界がゾンビランド化する以前から、詐欺師を生業に他人を信じない事で生きてきたウィチタとリトルロックに至っては、この終末の世界でも幾度と無くコロンバスとタラハシーを罠にかける。
映画は、この誰が見ても社会不適格者のダメ人間たちが、仲良くいがみ合いながらも、LA郊外にあるというゾンビのいない遊園地「パシフィック・プレイランド」を目指す旅を、ナンセンスなギャグとアクションをスパイスにして描いてゆく。

本作の特徴としては、アメリカの大衆文化に根ざした細かな設定が散りばめられており、それ故にアメリカ人以外にはなかなか面白さが理解しがたい部分があり、ある程度予習しておいたほうが楽しめると思う。
特に、劇中で象徴的に使われているアイテムで、ある意味ゾンビよりも目立っているモチーフが、タラハシーの追い求めるトゥインキーである。
トゥインキーとは、黄色のスポンジにたっぷりのクリームが入ったお菓子で、アメリカ人なら誰でも知っているポピュラーなジャンクフード。
映画やテレビドラマにもよく出てくるので、食べた事は無くても見覚えのある人は多いだろう。
この菓子には、なぜか賞味期限を過ぎても痛まないという噂が昔から囁かれており(都市伝説の類だろうが)、「WALL・E / ウォーリー」にも登場した700年後のトゥインキーは、噂をネタにしたギャグであり、今回タラハシーが「トゥインキーにだって賞味期限が・・・云々」というのも、これに引っ掛けた台詞なのである。
またこのお菓子は、あのハーヴェイ・ミルクを射殺した犯人が大量に食していて、事件の裁判で弁護側が「被告人はトゥインキーを過食するほど精神的に追い詰められていた」と情状酌量の根拠として提示した事でも知られ、過食の象徴ともされている。
“我慢のならない食欲に突き動かされてる”ゾンビに対して、彼らを狩るタラハシーがミルク射殺犯と同じ“トゥインキー・ジャンキー”なのはかなりシニカルな設定なのだ。
おそらく本作は映画史上もっともトゥインキーがフィーチャーされた作品だが、観ていると無性にあの黄色いフワフワが食べたくなるのは、北米の多くの映画館でトゥインキーが売られている事と無関係ではあるまい(笑
劇中の看板にもあったが、最近では更にハイカロリーのフライド・トゥインキーを出す店が多く、これがまたダメなのはわかっていてもクセになる味である。

また映画の中盤、コロンバスたちの珍道中がLAにまで至ると、門にデカデカと“BM”のエンブレムが輝く屋敷で、ある大物俳優がまさかの本人役で登場する。
このシークエンスはまさに爆笑ものなのだが、ここもかの地でのBMの凄さと現在の微妙なポジションを知っているとより笑えるだろう。
若いリトルロックがBMを知らず、コロンバスが彼の代表作である大ヒット映画を見せるのは可笑しいが、そう言えばあの映画ではお化けのパワーの大きさを、トゥインキーを使って説明していたっけ(笑
たぶん日本の若者も、もはやBMを知らない人の方が多いと思うので、このあたりは30代以上の人の方が楽しめるかもしれない。
他にも、はっきりと台詞で出てくるものに限らず、細かな描写やBGMなど映画ネタ、音楽ネタのギャグも多く、米国サブカル系が好きな人ほど余計に笑えるのは間違いないだろう。

お笑い旅行の終点は、太平洋岸に立つ遊園地「パシフィック・プレイランド」だ。
噂によればゾンビがいないはずだったこの舞台に来て、ようやく映画はゾンビVS人間の大バトルへとなだれ込む。
とは言っても、ビジュアル的にはそれほど凄いものではなく、血の量も相変わらず少なめだ。
だが、それまでの旅路の間に四人の人間性がたっぷりと描かれているので、観客は十分に彼らに感情移入する事ができる。
それまでイカレキャラのオヤジに過ぎなかったタラハシーの、ランボーばりのゾンビキラーぶりも頼もしく、チェリーボーイのコロンバスとウィチタの恋も絡んで、映画はドラマチックに盛り上がる。
そして孤独を抱えながらも、それぞれのサバイバルスキルによって世界の終わりを生き抜いた人類最後の四人(?)は、ゾンビの大群との大バトルの末に、ささやかな家族の様な絆を手に入れるのである。

本作の予想を上回る大ヒットを受けて、既にスタッフ・キャストの続投を前提に続編にGOサインが出ているという。
続編は立体になるらしいが、本作でも「あれ?これって元々立体映画?」という演出が多々あったので、予算も潤沢になるはずの次回は、心置きなく飛び出すびっくり箱に仕上げてくれるだろう。
爆笑物のオープニングのタイトルバックなんて、是非立体で観てみたい。
奇妙な運命で結ばれた、四人の次なる冒険に期待したい。

今回は劇中のBM邸でコロンバスとウィチタが飲んでいた一本を。
ラベルがチラッと見えたので間違いないと思うが、カリフォルニアのヴォーリュー・ヴィンヤードの「カベルネ・ソーヴィニヨン ジョルジュ・ド・ラトゥール」をチョイス。
映画に出てきたのはこれの97年物。
日本ではあまり見かけないが、パワフルなボディを持つカリフォルニアを代表する高級赤ワイン
なるほどBMの屋敷ならこのあたりの酒が沢山ありそうだ。

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インセプション・・・・・評価額1750円
2010年07月24日 (土) | 編集 |
「ダークナイト」の大ヒットで、名実共にハリウッドのトップディレクターとなった、鬼才クリストファー・ノーランの最新作。
デビュー以来、人間の心の持つ様々な側面をモチーフとしてきたノーランが、今回選んだのは“夢”の世界。
「インセプション」は、人間がもっとも無防備となる夢の中でターゲットの頭に侵入し、“アイディア”を盗み出すプロフェッショナルを描いたSFサスペンスだ。
※完全ネタバレ注意

ドム・コブ(レオナルド・デカプリオ)は、他人と夢を共有する事で、アイディアを盗み取る特殊な産業スパイ。
だが、彼は妻殺しの容疑をかけられた逃亡者でもある。
嘗てコブは、妻のモル(マリオン・コティヤール)と共に夢の深層へのダイブを繰り返していた。
やがて夢と現実の区別がつかなくなったモルは自殺し、コブは故郷のアメリカに幼い二人の子供を残して流浪の生活を送っている。
そんな彼に巨大企業を率いるサイトー(渡辺謙)が、新たな仕事を依頼してきた。
その内容は、アイディアを盗むのではなく、ライバル企業の後継者であるロバート(キリアン・マーフィー)の夢に侵入し、自分から会社を解体する様に“アイディア”を植えつけると言う極めて危険で困難なもの。
だが、自らの犯罪歴の抹消を条件に依頼を引き受けたコブは、作戦を成功させるためにスペシャリストで編成されたチームを作り始める・・・


毎度の事ながら、よくまあこんな迷路というかパズルというか、複雑怪奇なプロットを構成できるものだ。
他人の頭の中へ侵入するというコンセプト自体は、SFの世界では結構昔からある。
だが、本作の場合は単に他人の夢に侵入するのではなく、特殊な装置を使ってターゲットをあらかじめ設計された“第三者の夢”に誘導し、その中で相手の潜在意識にある“アイディア”を盗み出すのである。
また夢がいつくもの階層、つまり夢の中の夢、そして更にそのまた夢という具合に分かれていて、クライマックスのロバートへ“アイディア”を植えつける作戦では、その全ての階層で別々の出来事が同時進行する。
観てるだけでもややこしいのに、これをきっちりと構成出来る脳ミソには恐れ入る。

面白かったのは、夢の階層が深くなるたびに、夢の中で経過する時間と実時間との間にずれが大きくなってゆくという設定だ。
現実の1時間が夢の中では20時間、夢の中の夢では17日、その更に夢だと11ヶ月と、どんどんと長くなってゆくのである。
若い頃にコブと妻のモルは、この深層へのダイブを繰り返したがために、夢の中で50年もの歳月を過ごす事になる。
結果、夢の世界こそが現実になってしまったモルは、現実世界を受け入れられず、自ら命を絶ってしまう。
なぜなら夢の世界で死ねば、現実で目覚めるという決まりがあるため、夢と現実が逆転しているモルにとっては、この世界での死が本当のあるべき世界へ帰る事に他ならなかったのだ。
実は、モルがこの様な考えに取り付かれた原因こそが、コブが夢の世界で彼女に植えつけた“アイディア”によるものなのである。
余りにも長くなりすぎた夢の世界に安住し、現実に戻ろうとしないモルに対して、コブは“この世界は現実ではない”という“アイディア”を植えつけるのだが、その思念はモルの中で増殖し、現実世界に戻った後も彼女を支配してしまう。
つまり、コブは図らずも彼女の死の原因を植えつけてしまった訳で、サイトーの依頼の実行は、コブにとって自らのトラウマに向き合い、戦う事でもあるのだ。
ちなみに、現実の僅かな時間が夢の世界では永遠ともなるという考えは、伊藤潤二の短編漫画「長い夢」に描かれた内容に酷似している。
偶然だろうが、こちらも傑作と言って良い作品なので、興味ある人は一読をお薦めする。

さて、コブを演じるのは、妻が自殺してしまう「レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで」や、妻殺しの嫌疑をかけられる「シャッターアイランド」と、なぜか最近妻との関係がトラウマとなる役が続いているレオナルド・ディカプリオ
最近ではスコセッシ作品の顔という印象が強いが、同じように同一俳優とのコンビ作が多い、クリストファー・ノーランとの相性は悪くない様だ。
この濃密な心理劇の中で、彼は自らの内面に隠した妻の死の真相に対する贖罪の念と、愛する家族の待つ故郷への望郷の念との間で、複雑な葛藤を繊細に演じてみせる。
モルを演じるマリオン・コティヤール「パブリック・エネミーズ」が記憶に新しいが、今回は夢の世界の住人で、実はコブの思念の投影であるという難しい役を、ムーディーに演じた。
他のキャストの面々も凄い。
依頼人のサイトーは、我らが渡辺謙が大物オーラを輝かせながら貫禄たっぷりに演じ、日本ロケのシークエンスもある。
潜入チームは、コブのパートナーのアーサーに、「(500)日のサマー」でブレイクしたジョセフ・ゴードン=レヴィット、作戦の舞台となる夢の世界を構築する「設計士」のアリアドネにエレン・ペイジ、他人に成りすましてターゲットを誘導する「偽装師」のイームスにトム・ハーディ、深い眠りをもたらす沈静剤を作る「調合師」のユスフにディリープ・ラオ
更にターゲットのロバートにキリアン・マーフィー、父親のモーリスにピート・ポスルスウェイト、そしてコブの恩師にしてモルの父親であるマイルス教授にマイケル・ケインと、殆どハリウッドの演技派見本市の様である。

一つの物語が現実を含めて五つの世界で同時進行するという正に迷宮の様な物語を、クリストファー・ノーランは大オーケストラのコンダクターの様に、多くの登場人物に役割を割り振りながら、わかりやすく、テンポ良く、スリリングに描いてゆく。
舞台は東京からパリ、タンジールへ、そして現実から夢へ、夢からまた夢へと目まぐるしく移り変わるが、その流れは完璧に計算され、制御されている。
本作は上映時間が2時間28分もの長尺だが、飽きる暇は全くない。
夢の世界での葛藤と息つく間もない冒険の果てに、コブがたどり着いたのは・・・・。
物語の終わりは、物凄く絶妙なところでカットアウトされているので、彼のいる場所に関してはどちらの解釈も可能であり、観客一人一人に委ねられている。
心情的にはコブは虚無の中でトラウマを克服したと思いたいところだが、このあたりで思考のキャッチボールが出来るあたりが、ノーラン作品の魅力だろう。
もっとも、一度観ただけでは投げられてる事に気付かなかったボールが沢山ありそうで、作品の全貌を掴みたくて、もう一回二回と観てしまいそうなあたり、相当に意地悪ではあるが。

本作は、思い返しても欠点らしい欠点を見出せない、限りなくパーフェクトな仕上がりである。
個人的には、せっかくイマジネーションの神秘なる世界を舞台にしているのだがら、ビジュアル的にもう少し遊んで欲しかったというのが唯一の不満点だ。
勿論、作戦の第一階層はターゲットに夢と気付かせてはならないという縛りがあったが、第二階層でネタをばらしたのだから、第三階層ではもう少しぶっ飛んでも良かったのではないか。
エレン・ペイジが設計士として夢を構築する練習のシークエンスが視覚的にかなり面白かっただけに、クライマックスでもあれ以上のイメージを期待してしまった。
まあ、これはあくまでも“私の観たかったもの”が作品に含まれていなかったというだけで、好みの問題でもあるので、作品自体の欠点とは言えないだろう。
クリストファー・ノーランの、ダークでディープな迷宮にどっぷりつかりたい人には、文句無しでお薦めだ。

今回は凝りに凝った映画に対してストレートに「ドリーム」をチョイス。
ブランデー40mlとオレンジ・キュラソー20ml、ぺルノ・アブサン1dashをシェイクしてグラスに注ぐ。
スイートだが度数の高い酒の組み合わせで、アニスの独特の香りが強いアクセントを添える。
まあ映画同様に好みの分かれそうなカクテルだが、本物の夢の世界へと誘ってくれる。

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借りぐらしのアリエッティ・・・・・評価額1600円
2010年07月20日 (火) | 編集 |
二十一世紀に入ってからのジブリ作品で、一番好きかも。
タイトルロールの「借りぐらしのアリエッティ」は、古い屋敷の床下にひっそりと暮らし、必要なものを人間からちょっとだけ“借りる”事で生活している小人一家の一人娘。
彼女が図らずも「人間に見られれてはいけない」という掟を破ってしまった事で、一家の穏やかな秘密の暮らしは終わりを告げる事になる。
自然豊かな田舎の古い家、日常のほんの裏側に潜む不思議、少年と小人(妖精?)のふれあいなど、ジブリのブランド化の原点ともいえる「となりのトトロ」との共通項が多く見え、将来に希望と不安を抱えた若者達の物語という点では「耳をすませば」を思わせる部分もある。
「崖の上のポニョ」の“お魚の大波”シークエンスなどを手がけた敏腕アニメーターで、これが監督デビュー作となる米林宏昌は、普段見慣れた人間の世界を、地上数センチの小人の視点から眺める事で不思議が一杯詰まった幻想世界へ見事に変貌させている。
94分というコンパクトな物語は、極めてシンプルながらもテーマ性もしっかりしており、所謂ロー・ファンタジーの佳作と言える作品に仕上がった。

十四歳のアリエッティ(志田未来)は、小人の少女。
人間の家の床下に住み、角砂糖やティッシュペーパーなどの日用品を、少しだけ拝借してくる“借りぐらし”の一族だ。
アリエッティが始めての“借り”に出た夜、病気療養でその家にやって来たばかりの人間の少年・翔(神木隆之介)に見つかってしまう。
人間に姿を見られたら、もうその家にはいられない。
責任を感じたアリエッティは、家族を守るためにある行動に出るのだが・・・


人間の家の床下に、いかにもヨーロッパ的な内装の家を作って住んでいる小人たち。
メアリー・ノートンの原作は未読なので比較は出来ないが、映画では日本が舞台となっているのに、なぜか主人公の少女は原作と同じアリエッティというイタリア人みたいな名前のまま。
もっともこのあたりはアニメーションのいい所で、適度に無国籍な世界観故に直ぐに気にならなくなる。
アニメーター出身の監督らしく、ビジュアル面は圧巻の仕上がりである。
アリエッティの身長は角砂糖から推察するに10センチくらいだろうか、このスケールから眺めた世界の新鮮なこと!
もちろん今までも実写の「ミクロキッズ」を初め、小人の出てくる作品は沢山あるし、70年代の日本アニメには昆虫を主人公とした極小目線の作品も珍しくなかった。
だが10センチの世界から見た世界と、小人たちの生活のディテールを徹底的に突き詰めた本作の描写は、デザイン的なレベルが極めて高い事もあり、過去の作品とは一線を画するユニークさがある。
音響デザインにも凝っていて、人間のキッチンを始めて見たアリエッティの脳裏で、今まで床下で聞いていたであろう様々な生活音が重低音でリフレインする描写は面白かった。

アリエッティたち“借りぐらし”の一家は、上の家に住む人間達から様々な物を借りる、というよりも必要最小限の量をもらって生活している。
つまり人間と共生しているのだが、危険な人間とは決してふれあう事は許されず、もしも見つかれば捕まる事を恐れて引っ越さなければならない。
彼らの“借りぐらし”は、“狩ぐらし"であるのと同時に“仮ぐらし”に通じる。
ファンタジー世界の住人でありながら、本作の小人たちは自らの身を守る“魔法”を持たない。
彼らには恒久的に安心して生活できる住処はどこにも無く、常に緊急事態に備えなければならない、切ないくらいに脆い流浪の生命なのである。
おそらくはそうして何十年も続いてきたであろう小人達の掟は、アリエッティと病気療養のためにこの家にやって来た少年・翔によって破られる。
偶然アリエッティの姿を見た翔は、彼女とコミュニケーションをとろうとし、アリエッティもまた自らと家族を守るために翔の前に姿を現す。
この二人、基本的には共に善意の人なのだが、お互いに良かれと思ってとった行動が、若さゆえの独りよがりとなり、結果的にアリエッティの一家の生活を滅茶苦茶にしてしまう。
面白いのは、種族も環境も全く異なる、片方は人間ですらない二人が、実は結構似た者同士だという事。
物語の中盤、翔がアリエッティに「君達は滅びゆく種族なんだね」と告げるシーンがある。
「そんなことはない!」と反論するアリエッティだが、この世界に住む人間の数が60億以上と聞いて、生まれてからたった三人の家族だけで生きてきた彼女は、ショックを受けて口ごもってしまう。
絶対的な強者である人間が、傲慢に言い放った様に聞こえるこの台詞だが、実は翔は重い心臓病に侵されて、成功率の低い手術を控える身で「滅びゆく」という言葉は自らに向けられたものでもあるのだ。
種としての未来と個としての未来の違いはあれど、これは自分達の未来に、大きな不安を抱えた少年と少女が出会い、自分達の招いた混乱を収拾する過程で、心を通じ合い成長して行く物語なのである。

二人が出会ったことで、翔の家でのアリエッティたちの“借りぐらし”は破綻してしまうわけだが、米林宏昌監督は、物語の終わりに困難に満ちた二人の未来に小さな希望の火を灯らせる。
去り行くアリエッティに向かって、翔は「アリエッティ、君は僕の心臓の一部だ」という言葉を送る。
自分の将来を悲観していた翔にとって、アリエッティ一家を助ける小さな冒険は、生を実感する体験だっただけでなく、たとえ滅びゆく種族であっても決して未来を諦めない彼女達に、生きる力を教えられた時間に他ならない。
またアリエッティにとっては、結果的に住処を追われた事で、“借りぐらし”せずに自力で生きている野生児スピラーと出会い、新しい人生の冒険に踏み出す事が出来たのである。
米林監督によると、彼は宮崎駿の脚本をそのまま使わず、シーンごとに取捨選択した上で、独自の描写を盛り込んでいったと言う。
宮崎駿の書いた脚本を読んだ訳ではないので、これはあくまでも想像に過ぎないのだが、本作は当初の構想よりもパーソナルな青春映画としての色彩が強くなっているのではないだろうか。
人間から“借りぐらし”している小人の世界は、地球と言う巨大な家から借り過ぎなくらい借りまくっている人間自身の比喩でもあるはずで、前記した「滅び行く種族」という台詞も宮崎駿の中ではもう少し広い意味を持っていた様な気がする。
アリエッティと翔の未来で、まるで希望と絶望がせめぎあっているかの様な一種独特な情感を持つラストも、二人の映画作家が物語に託したものが、別々のベクトルを持っているからではないか。
個人的には広げすぎたイメージを具現化できず、崩壊させてしまっている近頃の宮崎作品を観れば、小粒ながらも描きたい事を明確に絞り込んだ本作の方向性は正解に思える。
この作品に関しては、むしろ米林的なる部分をもっと主張しても良かったかもしれない。

物語として惜しむらくは、アリエッティ一家を捕まえようとするお手伝いのハルさんが、なぜあれほど小人にネガティブな執着をするのかが良くわからない事で、結果彼女はアリエッティと翔の単なる妨害者にしか成りえておらず、少々浮いた存在になってしまっている。
どうやらハルさんも子供の頃に小人を見たという設定がある様なので、例えば小人を見たと言った事で大嘘つき呼ばわりされたとか、彼女の小人に対する感情のバックストーリーを一言でも良いから盛り込んでおけば、物語の中での立ち位置がより必然性を持つものになっただろう。
あと、例によってキャラクターの声を声優でなく実写の俳優が演じているのだが、これもハルさんを演じる樹木希林の声に特徴がありすぎて、本人の顔が浮かんでしまって困った。
しばしばキャラクターを記号化して演じてしまう声優ではなく、俳優の自然な演技力を生かすという考え方はわかるが、この手法はメリットと同じくらいデメリットもあるので、慎重なキャスティングと演出が求められるのは間違いないだろう。

「借りぐらしのアリエッティ」には、派手なアクションも無いし、手に汗握るスリルもない。
だが物語はわかりやすく、テーマ性は明確で、何よりも途中からぶっ壊れてゆかない(笑
これは例えて言えば、若いシェフが心をこめて作り上げたシンプルな味の和風パスタ。
コース料理の様な絢爛さや、ファーストフードの様な刺激はないが、じっくりと味わえばその丁寧な仕事を十分に堪能する事が出来る。
“お題”その物をもっと自由にしてあげれば、このシェフはもっと伸びる様な気がする。
個人的には、宮崎駿にももう一発派手な花火を打ち上げてもらいたいが、こういう作品をきっちりと作れる次世代の作家がようやくジブリ内部から出てきたのは素晴らしい事であると思う。
米林宏昌監督の次回作にも大いに期待するが、仕事の確かさはわかったから次はもう少し弾けた作品も観てみたいかな。
ちなみに音楽がいつもの久石譲ではなく、フランス人ハープ奏者のセシル・コルベルなのもちょっと新鮮で、予告編やCMでも使われているテーマ曲は妙に耳に残る。
ジブリ作品は、いつもこのあたりが上手い。

今回は、ハーブを愛する小人たちに合わせ、フランスのパジェス社の「ヴェルヴェーヌ・デュ・ヴェレ」をチョイス。
30種類以上のハーブをブランデーに浸して作られた鮮やかな緑の酒。
本来薬酒で、全体の24%がエキス分、アルコール度数は55°とかなり強い。
味わいはかなりドライな印象で、カクテルベースにしたり、紅茶に加えても良いし、お菓子作りなどにも使える。
アリエッティの家では、お酒も借りていたのかな?

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パジェス・ヴェルヴェーヌ・デュ・ヴェレ

パジェス・ヴェルヴェーヌ・デュ・ヴェレ

価格:4,188円(税込、送料別)






プレデターズ・・・・・1500円
2010年07月14日 (水) | 編集 |
スピンオフの「AVP」二部作を含めて、過去四作作られた「プレデター」シリーズだが、今回は1987年に作られたジョン・マクティアナン監督、アーノルド・シュワルツェネッガー主演の第一作からの直接的な続編。
ぶっちゃけ、オリジナルもシュワ知事とプレデターという、強烈な個性をもつ野獣二匹のキャラクーに頼った突っ込みどころ満載の愛すべきB級映画で、面白いけど歴史的な名作扱いするほどの作品ではない。
その続編という事で、正直あまり期待していなかった本作だが、見世物に徹したSFアクションとして水準以上の仕上がりで、十分に楽しめる夏休みらしい娯楽映画だ。

歴戦の傭兵ロイス(エイドリアン・ブロディ)は、気がつくと見知らぬジャングルに落下していた。
同じように落下してきたイサベル(アリシー・ブラガ)、ニコライ(オレッグ・タクタフロフ)、クチロ(ダニー・トレホ)、ハンゾー(ルイス・オザワ・チャンチェン)、スタンズ(ウォルトン・ゴギンズ)、モンバサ(マハーシャラルハズバズ・アリ)、エドウィン(トファー・グレイス)が合流。
医者と名乗ったエドウィン以外、全員が軍人や犯罪者という殺人のプロだった。
ジャングルを脱出するために行軍を開始した八人は、空が開けた場所で、上空にいくつもの月を目撃する。
ここが地球でない事を知った彼らに、謎の狩猟動物が襲い掛かり、追われて迷い込んだキャンプで、杭に縛り付けられたおぞましい姿をした異星人に遭遇する。
イザベルによると、その姿は1987年に、グァテマラのジャングルでアメリカ陸軍の精鋭部隊を壊滅させた謎の生物に酷似しているという・・・


冒頭、いきなり空中を落下するエイドリアン・ブロディ
次の瞬間にはパラシュートが開いて、ジャングルに着地する。
有無を言わせずに観客を作品世界の中に叩き込み、後はもう戦闘開始という、娯楽映画として非常に潔い作りである。
舞台はジャングル、“狩り”の対象となるのは戦闘と殺人のプロフェッショナルチーム、という設定は一作目をトレースしているが、まるで鏡の裏表の様な構造を持っているのが面白い。
前回はプレデターが地球にやって来て戦うという、言わば“ホーム”での戦いだったのに対し、今回は知らないうちに拉致されて、彼らの狩場である謎の惑星に放り込まれるという“アウェー”でのゲームとなる。
チームの面々も、前回は統率された米軍精鋭部隊だったが、今回は殺しのプロはプロでも世界のあちこちの軍人や傭兵、はてはヤクザにレイプ魔までごちゃ混ぜにされて集められている。
要するにシュワツェネッガーという超カリスマが存在しない本作では、個性豊かな登場人物一人一人のキャラ立ちで対抗するという事だろう。
そして、意外にもその目論見はある程度成功している。

地球選抜チームのメンバーは八名。
エイドリアン・ブロディ演じる主人公の傭兵、イスラエル軍の女性スナイパー、ロシア軍のガトリング砲(無痛ガン!)使い、ヤクザ者、レイプ魔の死刑囚、アフリカの民兵、メキシコのギャング、そしてワケアリの医者。
これほど登場人物が多いにも関わらず、シュワ知事意外のキャラの印象が殆ど無いオリジナルと異なり、今回は登場した時から死亡フラグが立っている様な連中まで、特徴的なキャラクターとしてそれなりに印象に残る。
とは言っても、別に内面が深く描かれているとか、感情移入できるという訳ではない。
ルックスも設定もわかりやすく、良い意味でゲーム的な記号化されたキャラクターなのである。
見事なまでにバラバラの出自が示すように、戦い方にも個性があり、それぞれの得意な武器と技を駆使してプレデターズに対抗するのだ。

タイトルが「プレデターズ」と複数形になっている事からもわかるように、今回は敵もチームを組んで襲ってくる。
前作で登場したタイプとは種族が異なり、よりおぞましい容姿で体格も一回り大きく、“プレデタードッグ”なる猟犬も使って三人一組で組織的に獲物を狩り立てる。
またプレデター内にも人種差別があるらしく、オリジナルに登場した旧タイプのプレデターが一名、彼らのキャンプに囚われており、その存在が後半の複線となっている。
今回は追いすがるプレデターが、地球選抜を圧倒的な力で狩ってゆくのに対し、地球選抜がカウンター攻撃でプレデターチームを一人ずつ倒しながら、この惑星からの脱出手段を探すというのが基本的な流れである。

大体キャラクターの顔ぶれを眺めると、誰が死んで誰が生き残るのかは判ってしまう。
実際その通りの展開になるのだが、それはこの手の映画のお約束で、特に欠点にはなっていない。
唯一意外性があるのがルイス・オザワ・チャンチェン演じる日本人ヤクザのハンゾー。
この面々の中では二番目くらいに死ぬかな、と思っていたら意外や意外終盤まで生き残り、プレデターと日本刀での一対一の決闘という最高の見せ場まで用意されていたのは驚いた。
まあ良く考えたら、本作を企画・プロデュースしたロバート・ロドリゲスはタランティーノのお友達だし、この手のテイストはたぶん大好きなんだろう。
もっとも、折角の見せ場は肝心の殺陣がいま一つ。
なんだか剣道の試合みたいで、このあたりの見せ方は勝新の殺陣をかなり忠実に再現していた「ザ・ウォーカー」のヒューズ兄弟の方が上手だったように思う。
中盤では、この惑星で10シーズンも生き残っているという事情通の役でローレンス・フィッシュバーンが登場するが、苛酷な経験ゆえか心を病んでしまっていて、いきなり主人公達をスモーク・クッキングしようとして、あっさりプレデターに見つかり殺られてしまう。
一応、主人公達に貴重な情報をもたらし、物語のターニングポイントになるキャラではあるのだけど、この人最近微妙な役が多い・・・。

正直、物語は相当に荒っぽく、ここもう少し工夫すれば更に面白くなるのに、と思うところも少なくない。
終盤まで名前すら明かさない主人公も含め、キャラクターだってもっと深く描く事が出来るだろうし、そうすれば感情移入もしやすいはず。
もっとも、そのあたりは作り手も当然わかっての事だろう。
ゲームの世界では、一般に欧米人のプレイヤーはゲームの中の人物になりきる事を好み、日本人は読書するかの様に客観的にプレイするのを好むと言われる。
だからこそ欧米のゲームには所謂ファースト・パーソン・シューティングの様なスタイルが多く、キャラクターのデザインや設定にはあえて無頓着なものが多い。
ジャングルと廃墟での追いつ追われつの残酷ハンティングという正にゲームライクな展開を、徹底的に見世物として作り上げるという本作のコンセプトもまた、このような好みを反映したものだろう。
八人の仲間になり切って、プレデターとの死のゲームを戦うには、必要以上のキャラクターの内面など無用のインフォメーションなのだ。
クライマックスのネタが一作目の焼き直しだったり、光学迷彩などのアイテムがあまり生かされていなかったり、もう一工夫欲しいポイントも多々あるが、これは自他共に認めるプレデター・ファンのロドリゲスが、色々な意味でシリーズの原点に立ち戻り、比較的低予算で彼自身が観たかったものをストレートに作り上げた作品だろう。
自分はプロデュースに留まり、監督には若手のニムロッド・アーントルを起用しているのも、最後は一観客としても楽しみたかったからではなかったのか。
シュワルツェネッガーはいなくても、このB級魂溢れるサバイバル劇は決して悪くない仕上がりだ。

今回は、プレデター一匹を見事討ち取ったハンゾーに敬意を表して、大田酒造の造る伊賀の地酒、「半蔵 純米大吟醸」をチョイス。
名前の由来は勿論服部半蔵だ。
観光銘柄っぽいが、お酒自体は吟醸香が漂い、ふっくらとしたフルーティーなテイスト。
忍者というよりはくの一の様な印象で、この季節なら冷やして食前酒にちょうど良いだろう。

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トイ・ストーリー3・・・・・評価額1750円
2010年07月09日 (金) | 編集 |
映画史上初のフル3DCGアニメーション「トイ・ストーリー」が、ピクサー・アニメーション・スタジオで誕生したのは15年前の1995年。
満を持して登場する「トイ・ストーリー3」は、99年に公開された「2」以来11年ぶりの続編となる。
監督はジョン・ラセターから、「2」や「ファインディング・ニモ」でコ・ディレクターを務めたリー・アンクリッチにバトンタッチ。
映画の中でも前作から長い時間が経過し、幼かったアンディ少年は、いまや立派な青年となり大学進学を控えている。
愛する持ち主の成長という、おもちゃとしての存在価値の根本を揺るがす事態に直面するウッディたちの葛藤と冒険が描かれる本作、シリーズのアイデンティティをしっかりと保ちながらも、描かれるテーマは子供時代を終えようとしているアンディに合わせるように、ぐっと大人向けになった。
ts3
(C)Disney/Pixar.All Right Reserved.
アンディ少年(ジョン・モリス)が、ウッディ(トム・ハンクス)やバズ(ティム・アレン)たちと夢中になって遊んだ日々は遠い昔。
17歳になったアンディは大学進学が決まり、数日後に引越しする事になる。
おもちゃをどうするか悩んだアンディは、ウッディを大学行きの荷物にいれ、他のおもちゃたちを屋根裏にしまう事にする。
だがママの手違いで、おもちゃたちは近所のサニーサイド保育園に寄付されてしまう。
そこは一見子供時代が永遠に続く、おもちゃたちの理想郷。
ここを終の住処にすると決めたバズたちを残し、ウッディは一人アンディの元へ帰ろうとするのだが、その途中でサニーサイドに関する恐るべき秘密を知ってしまう・・・・


たぶん、物心ついた頃に第一作の「トイ・ストーリー」に出会い、今成人を迎えようとしているアンディ世代に向けてドンピシャのタイミングで作られた作品だろう。
前二作では、誰がアンディのナンバーワンかといった競争や、壊れたおもちゃの悲哀といった部分は描かれていたが、基本的には愛するアンディの元に帰る物語であり、彼らには絶対的な“ホーム”が存在していた。
だが、今回はアンディがもはやおもちゃを必要としない年齢になり、彼らは帰るべき場所を失ってしまうのである。
まあ、これは劇中においては彼らが勝手に思い込んでいる部分もあるのだが、世界中で唯一絶対的に信頼できる人物と、安心と充実を得られる場所が否応なしに遠ざかって行く切なさ。
「トイ・ストーリー2」で、カウガールのジェシーが語った悲しい過去が、今度はウッディやバズにも降りかかるという訳である。
今回、ピクサー作品には珍しく、脚本が外部のプロ脚本家の単独クレジットになっているが、「リトル・ミス・サンシャイン」でオスカーに輝いたマイケル・アーントは、なかなかに懐の深い人間(?)ドラマを作り上げている。
もしも観客が幼い子供なら、ウッディたちの仲間になった気分でギャグとアクション満載の冒険を楽しみ、アンディ世代なら自分のおもちゃたちとの思い出と重なり、また大人が観れば彼らの“居場所”を巡る葛藤を人生の様々なシチュエーションに重ねて味わう事ができるだろう。

本作の世界観は誰が観ても「トイ・ストーリー」だが、コアターゲットの年齢層が上がった事に合わせ、物語もしっかりと成長しているのである。
特に、永遠のゆりかごを失ったおもちゃたちが、サニーサイド保育園に新天地を求めてからの展開は、前二作と比べるとかなり異質で、一作目からのファンには賛否が分かれるポイントだろう。
決定的に異なるのがおもちゃたちの中に明確な悪役が登場する事で、ある意味で人間社会のドロドロとした部分が、命を持ったおもちゃというファンタジーの世界に取り込まれているのである。
ネタバレになるので細部は書かないが、今回は嘗て人間に裏切られた事で、おもちゃとしての心を失ってしまった悲しき悪役が、ウッディたちと戦いを繰り広げるのだ。
一見すると温和でカワイイこのキャラクターの内面が、すっかりひねくれてしまっており、他のおもちゃたちを苛酷に支配するというギャップは、観客があまり幼いと精神的に少しショックかもしれない。
もっとも、一作目のシドの恐怖部屋の描写なども結構なホラーテイストで、“怖さ”はこのシリーズの隠し味になっているのだけど。
「トイ・ストーリー」というタイトルの持つイメージからは意外性さえ感じさせる、信頼と裏切りの交錯する後半部分のハードな展開は、テーマ性という点に関して言えばより深みを持って広がっていると言え、私は好意的に受け取る事が出来た。
一言で言えば、アニメであるとか実写であるとかの垣根を越え、一つの物語が終わりを告げ、まだ観ぬ新たなる物語が始まる継承の儀式として、極めて映画的にドラマチックな作品なのである。

ちなみに、悪役キャラの物語上のオチに関しては、私はもう少し精神的な救いがあっても良いのではと思っていたのだが、試写後にディズニーの宣伝プロデューサーの方と懇談する機会があり、彼の拾い主に関する衝撃の裏設定を聞いた。
あくまでも裏設定らしいので、ここに書くのは自粛するが、言われてみればなるほどなあと思わせられる秀逸な設定なので、出来れば劇中に示唆する部分が欲しかった気がする。
それともどこかにヒントが出ていたのだろうか。
もう一度観て確認してみよう。

深みのある物語が印象的な本作だが、当然のごとくビジュアル面も素晴らしい仕上がりである。
第一作公開から15年が経ち、当時誰も観た事の無かった3DCGによるキャラクターアニメーションは、ハリウッドにおけるアニメーション表現のメインストリームとしてのポジションを完全に確立した。
当たり前ながら、今一作目を観ると技術的にも隔世の感があるのだが、本作ではあえて古いテイストを残す事で巧みに世界観を継承し、一方で最新のCGアニメーションならではの見事な質感や世界の広がりを見せてくれる。
コピペを隠そうともしない漫画チックな空の雲など、何とも懐かしく、ウッディやバズたちの演技も過度に人間的にならないように工夫されている。
今回は二次元版での観賞となったが、オープニングは明らかに立体上映を意識した派手な画作りになっており、この5分間で観客の心を一気に掴み、後は御馴染みの世界へと自然に誘導するという仕組みである。
折角の立体上映は生かしたいけど、やたらと飛び出すのは「トイ・ストーリー」の世界には馴染まない、ならば・・・というなかなかに美味しい妥協案であろう。

キャラクターも相変わらず楽しい。
今回はレギュラーの面々にプラスして、サニーサイド保育園の面々や、冒険の途中でウッディが立ち寄るボニーの家のおもちゃたちが新登場。
サニーサイドの(おもちゃたちから見れば)巨大なビッグ・ベビーなどは、「トイ・ストーリー」の原型となったピクサー初期の短編、「ティン・トイ」に登場する恐怖の赤ちゃんを連想させられる。
アンディの妹、モリーのバービーとサニーサイドで出会ったケンとのロマンスなどは抱腹絶倒だ。
またボニー家では、世界中で愛される日本生まれのあのキャラクターのぬいぐるみが登場する。
オリジナル同様喋らないけど、結構目立っているのは嬉しいポイントで、エンドクレジットにはちゃんとスペシャルサンクスにHayao MiyazakiとToshio Suzukiの名前が見える。
もしも「トイ・ストーリー4」があれば、レギュラーキャラクターに昇格か?
ピクサーとしては、「アンディのおもちゃたちの物語」としては本作をもって完結だが、“語るべき良い物語があればいつでも作る”というスタンスらしいので、いつ日か「トイ・ストーリー4」を期待したいところである。

恒例の同時上映ショートアニメーションは、対照的な性格の「昼」「夜」がコミカルな鞘当を演じるテディ・ニュートン監督の「Day & Night」だ。
2Dと3Dの融合が試みられ、ピクサーのショートアニメーションの中でもかなり実験的な色彩が強い作品である。
ディズニーによるピクサー買収後に、ジョン・ラセターとエド・キャットムルは閉鎖されていたディズニーの2D部門を復活させ、「プリンセスと魔法のキス」の公開に漕ぎ着けたが、立体化の波に抗しきれなくなったのか、現在発表されている2012年までのディズニーアニメのラインナップに2D作品は存在しない。
「Day & Night」に、いかに2Dの技術と魅力を今後の3D作品で生かすかという葛藤を感じると言ったら、穿ちすぎだろうか。

今回は、ピクサーに近いサンフランシスコのビール、「アンカースチーム」をチョイス。
コク、キレのバランスが絶妙な、西海岸を代表する地ビールである。
アンディが大学へ行って、入居するであろうドームのパーティーでもこんなビールが振舞われるに違いない。
そうして、子供時代は遠い思い出として消えて行くのだなあ・・・・。

本編とは関係ないけど、App Storeから無料でダウンロードできるiPad用のデジタルブック「Toy Story」もなかなか楽しい仕上がりだ。
環境のある人は是非手に入れて欲しい。これがタダっていうのはかなり太っ腹だと思う。

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ザ・ロード・・・・・評価額1500円
2010年07月04日 (日) | 編集 |
人類文明滅亡後の世界を舞台に、“神の言葉”を約束の地へ届けるために、果てしない「ザ・ロード」をひたすら南へ南へと旅する男の物語・・・・って、あれれ・・・・何だかつい先日全く同じ設定の映画を観た気が・・・。
運んでいるモノと方角の違いはあれど、まるで同じ世界観の中のアナザーストーリー。
これほど似た設定の作品が同時期に作られるのは驚きだ。
もっとも、B級アクションテイスト全開だったあちらに対して、こちらは「ノーカントリー」や「すべての美しい馬」で知られる、文豪コーマック・マッカーシーのピューリッツァー賞受賞小説を原作としており、映画のムードはかなり高尚。

文明が滅亡して10年。
動植物が死に絶え、静寂が支配する無限の荒野を、男(ヴィゴ・モーテンセン)と息子(コディ・スミット=マクフィー)が旅している。
僅かに生き残った人類がお互いを狩り、カリバニズムによって生き延びている世界。
父は息子に人食いを悪しき者と教え、善き者である自分達は、まだ命が生き残っているであろう南の海を目指している。
人食いたちの襲撃を幾度と無く逃れた親子は、ある日無傷で残されたシェルターを発見するのだが・・・


こちらもまた極めて宗教的な寓話である。
主人公たちが固有名詞を持たない事を含め、物語の多くの部分は曖昧にされている。
詳細が語られないのは文明滅亡の理由も同じで、何らかの地球規模の天変地異が起こったらしい、という意外に具体的な描写は無い。
動植物が完全に死に絶え、僅かながらの人類だけが生き残るというシチュエーションは、リアルに考えるとイマイチ想像し難いのだが、男と息子の旅路だけを具体的に描写し、世界観を曖昧にする事で、本作はある種の神話的ムードを持つ。
ヴィゴ・モーテンセン演じる男は、殺伐とした世界の中でカリバニズムを拒否し、人間の尊厳を保って約束の地を目指す自分達を“善き者”であり、息子を“神の言葉”だと言う。
この場合、男にとって息子の存在こそが、神が人類を完全に見捨てていない事の理由であり、未来への希望になっているのだろう。
彼の役割は地上に唯一残された“神の言葉”を、悪しき者たちの世界から、安全に生きられる(と信じている)南の海辺へと送り届ける事。

ところが、人食いの襲撃による幾つかの危機を乗り越えた親子は、住人が死んで放置された家で大量の食料が詰まったシェルターを発見する。
つまり、それまで何も持っていなかった親子が、この世界において富める者となったのである。
ここから、物語はやや趣を変える。
それまでのサスペンス・ホラー調の展開は次第に影を潜め、より寓話的、宗教問答的な物語になってゆくのである。
シェルターを出た親子が先ず出会うのが、この物語で唯一名前を持つキャラクター、ロバート・デュバル演じる老いたイーライ(!)である。
当然ながら、曖昧な世界の中で、彼だけが名前を持つ事には意味があると捉えるべきだろう。
子供達を先に亡くし、不自由な目で荒野をさ迷っているイーライが、聖書からの引用である事は間違いない。
イーライとは旧約聖書の登場人物の一人エリであると同時に、ヘブライ語で神を意味する言葉でもある。
青山真治監督の映画のタイトルにもなったマタイ書にあるイエスの言葉、「Eli, Eli, lema sabachthani」は「神よ、神よ、なぜ我を見捨てたのですか」と言う意味である事を考えると、この老人の登場は意味深である。
男は、最初イーライを助けようとせず、息子の願いによってやっと一夜の食事を共にする事に同意する。
ここで富める者となった男は、自らが否定してきた利己的な心が自身の中に芽生えている事に気付かないが、そんな父の心の変化は、息子の精神的成長を逆に早める事となるのだ。

イーライとの出会いを切っ掛けに、親子の関係は徐々に変化して行く。
息子は、廃墟の街で見かけた少年の姿を追い求めるが、父はそんな息子の姿をリスキーに感じ、他人との接触を危険な事と教える。
だがそれは、彼自身が息子に教えてきた価値観を自己否定する事に繋がる。
そして決定的なのが、彼らの荷物を盗んだ泥棒への対応だ。
物語の冒頭では、痩せ細りながらも穏やかだった父の表情は、いつの間にか険しく冷酷なものへと変わり、泥棒に哀れみと慈愛を感じる息子の反対を無視して、無慈悲な報復を行う。
この描写もまた、蓄財による強欲の罪を説いたマタイ書の記述を連想させる。
父は、何時の間にか“善き者”の価値観として息子に教え込んでいた理性や人間としての誇りを失いつつあるが、息子は父の教えに忠実にあることで精神的に独立して行くのだ。
そして、物語の終わりに本来の役割を取り戻した父は、息子に対して最後の教えを授けるのである。

ヴィゴ・モーテンセンコディ・スミット=マクフィーは、世界の終わりに僅かな望みを追い求める親子を好演している。
滅亡前の幸せな生活から、終末を目にして何とか“善き者”であろうと葛藤し、やがて自らの心の拠り所を見失って行くモーテンセンの演技は相変わらず見事。
そして、ぬいぐるみを手放さない幼さが、やがて毅然として父に意見する逞しさに代わるスミット=マクフィーの成長プロセスにも説得力がある。
海に出れば生きて行ける、そう信じて旅をしてきた彼らだが、実際には単に海に着いても何も変わらない。
一つの希望をかなえると、次の絶望が現れ、それでもまだ希望を信じて前に進むしかない、あまりにもちっぽけな人間が切ない。
イーライにロバート・デュバル、息子を受け入れる一家の主にガイ・ピアーズなど、親子と交錯するキャラクターに豪華な顔ぶれが並ぶ。
そして世界に絶望し、息子を産んだ後に自ら命を絶つ妻を演じるのはシャーリーズ・セロン
基本的にストーリーラインが一つしかない物語の中で、過去のシーンは重要なコントラストとなっていた。

ほぼ同じ世界観を持ちながら、あらゆる意味でわかりやすく、ハリウッド映画の法則に従って展開する「ザ・ウォーカー」と比べると、ジョン・ヒルコート監督が作り上げた本作のテイストはまるで異なる。
ここにはドラマチックな謎解きも、ダイナミックなアクションも無い。
一組の親子が灰色の世界を旅をする、淡々とした抑揚の無い神話的物語であり、エンターテイメントを期待して観ると確実にがっかりするだろう。
ただ、キリスト教世界の価値観が巧みに物語りに比喩された、独特の退廃的なムードは捨てがたい魅力がある。
嘗てのタルコフスキーのSF作品の様な詩情を感じる、と言ったら褒め過ぎだろうが、近頃流行の終末SFの中では、なかなかに印象的な一本である。

今回は、劇中でモーテンセンが飲んでいた「ジャック・ダニエル」をチョイス。
創業者のジャック・ダニエルが、雇い主であった牧師から蒸留所を受け継いだのは、彼が僅か13歳の時だったと言う。
まあ、19世紀後半のアメリカは、世界の終わりどころか国自体が開拓時代から世界の大国への成長過程にあった訳だが、それにしても逞しい話である。
文明が滅びた後の世界で飲むこのパワフルな酒は、一体どんな味に感じるのだろうか。

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