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ザ・ロード・・・・・評価額1500円
2010年07月04日 (日) | 編集 |
人類文明滅亡後の世界を舞台に、“神の言葉”を約束の地へ届けるために、果てしない「ザ・ロード」をひたすら南へ南へと旅する男の物語・・・・って、あれれ・・・・何だかつい先日全く同じ設定の映画を観た気が・・・。
運んでいるモノと方角の違いはあれど、まるで同じ世界観の中のアナザーストーリー。
これほど似た設定の作品が同時期に作られるのは驚きだ。
もっとも、B級アクションテイスト全開だったあちらに対して、こちらは「ノーカントリー」や「すべての美しい馬」で知られる、文豪コーマック・マッカーシーのピューリッツァー賞受賞小説を原作としており、映画のムードはかなり高尚。

文明が滅亡して10年。
動植物が死に絶え、静寂が支配する無限の荒野を、男(ヴィゴ・モーテンセン)と息子(コディ・スミット=マクフィー)が旅している。
僅かに生き残った人類がお互いを狩り、カリバニズムによって生き延びている世界。
父は息子に人食いを悪しき者と教え、善き者である自分達は、まだ命が生き残っているであろう南の海を目指している。
人食いたちの襲撃を幾度と無く逃れた親子は、ある日無傷で残されたシェルターを発見するのだが・・・


こちらもまた極めて宗教的な寓話である。
主人公たちが固有名詞を持たない事を含め、物語の多くの部分は曖昧にされている。
詳細が語られないのは文明滅亡の理由も同じで、何らかの地球規模の天変地異が起こったらしい、という意外に具体的な描写は無い。
動植物が完全に死に絶え、僅かながらの人類だけが生き残るというシチュエーションは、リアルに考えるとイマイチ想像し難いのだが、男と息子の旅路だけを具体的に描写し、世界観を曖昧にする事で、本作はある種の神話的ムードを持つ。
ヴィゴ・モーテンセン演じる男は、殺伐とした世界の中でカリバニズムを拒否し、人間の尊厳を保って約束の地を目指す自分達を“善き者”であり、息子を“神の言葉”だと言う。
この場合、男にとって息子の存在こそが、神が人類を完全に見捨てていない事の理由であり、未来への希望になっているのだろう。
彼の役割は地上に唯一残された“神の言葉”を、悪しき者たちの世界から、安全に生きられる(と信じている)南の海辺へと送り届ける事。

ところが、人食いの襲撃による幾つかの危機を乗り越えた親子は、住人が死んで放置された家で大量の食料が詰まったシェルターを発見する。
つまり、それまで何も持っていなかった親子が、この世界において富める者となったのである。
ここから、物語はやや趣を変える。
それまでのサスペンス・ホラー調の展開は次第に影を潜め、より寓話的、宗教問答的な物語になってゆくのである。
シェルターを出た親子が先ず出会うのが、この物語で唯一名前を持つキャラクター、ロバート・デュバル演じる老いたイーライ(!)である。
当然ながら、曖昧な世界の中で、彼だけが名前を持つ事には意味があると捉えるべきだろう。
子供達を先に亡くし、不自由な目で荒野をさ迷っているイーライが、聖書からの引用である事は間違いない。
イーライとは旧約聖書の登場人物の一人エリであると同時に、ヘブライ語で神を意味する言葉でもある。
青山真治監督の映画のタイトルにもなったマタイ書にあるイエスの言葉、「Eli, Eli, lema sabachthani」は「神よ、神よ、なぜ我を見捨てたのですか」と言う意味である事を考えると、この老人の登場は意味深である。
男は、最初イーライを助けようとせず、息子の願いによってやっと一夜の食事を共にする事に同意する。
ここで富める者となった男は、自らが否定してきた利己的な心が自身の中に芽生えている事に気付かないが、そんな父の心の変化は、息子の精神的成長を逆に早める事となるのだ。

イーライとの出会いを切っ掛けに、親子の関係は徐々に変化して行く。
息子は、廃墟の街で見かけた少年の姿を追い求めるが、父はそんな息子の姿をリスキーに感じ、他人との接触を危険な事と教える。
だがそれは、彼自身が息子に教えてきた価値観を自己否定する事に繋がる。
そして決定的なのが、彼らの荷物を盗んだ泥棒への対応だ。
物語の冒頭では、痩せ細りながらも穏やかだった父の表情は、いつの間にか険しく冷酷なものへと変わり、泥棒に哀れみと慈愛を感じる息子の反対を無視して、無慈悲な報復を行う。
この描写もまた、蓄財による強欲の罪を説いたマタイ書の記述を連想させる。
父は、何時の間にか“善き者”の価値観として息子に教え込んでいた理性や人間としての誇りを失いつつあるが、息子は父の教えに忠実にあることで精神的に独立して行くのだ。
そして、物語の終わりに本来の役割を取り戻した父は、息子に対して最後の教えを授けるのである。

ヴィゴ・モーテンセンコディ・スミット=マクフィーは、世界の終わりに僅かな望みを追い求める親子を好演している。
滅亡前の幸せな生活から、終末を目にして何とか“善き者”であろうと葛藤し、やがて自らの心の拠り所を見失って行くモーテンセンの演技は相変わらず見事。
そして、ぬいぐるみを手放さない幼さが、やがて毅然として父に意見する逞しさに代わるスミット=マクフィーの成長プロセスにも説得力がある。
海に出れば生きて行ける、そう信じて旅をしてきた彼らだが、実際には単に海に着いても何も変わらない。
一つの希望をかなえると、次の絶望が現れ、それでもまだ希望を信じて前に進むしかない、あまりにもちっぽけな人間が切ない。
イーライにロバート・デュバル、息子を受け入れる一家の主にガイ・ピアーズなど、親子と交錯するキャラクターに豪華な顔ぶれが並ぶ。
そして世界に絶望し、息子を産んだ後に自ら命を絶つ妻を演じるのはシャーリーズ・セロン
基本的にストーリーラインが一つしかない物語の中で、過去のシーンは重要なコントラストとなっていた。

ほぼ同じ世界観を持ちながら、あらゆる意味でわかりやすく、ハリウッド映画の法則に従って展開する「ザ・ウォーカー」と比べると、ジョン・ヒルコート監督が作り上げた本作のテイストはまるで異なる。
ここにはドラマチックな謎解きも、ダイナミックなアクションも無い。
一組の親子が灰色の世界を旅をする、淡々とした抑揚の無い神話的物語であり、エンターテイメントを期待して観ると確実にがっかりするだろう。
ただ、キリスト教世界の価値観が巧みに物語りに比喩された、独特の退廃的なムードは捨てがたい魅力がある。
嘗てのタルコフスキーのSF作品の様な詩情を感じる、と言ったら褒め過ぎだろうが、近頃流行の終末SFの中では、なかなかに印象的な一本である。

今回は、劇中でモーテンセンが飲んでいた「ジャック・ダニエル」をチョイス。
創業者のジャック・ダニエルが、雇い主であった牧師から蒸留所を受け継いだのは、彼が僅か13歳の時だったと言う。
まあ、19世紀後半のアメリカは、世界の終わりどころか国自体が開拓時代から世界の大国への成長過程にあった訳だが、それにしても逞しい話である。
文明が滅びた後の世界で飲むこのパワフルな酒は、一体どんな味に感じるのだろうか。

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