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2010年10月27日 (水) | 編集 |
「インシテミル 7日間のデスゲーム」というタイトル通り、近頃流行の不条理デスゲーム物。
大金のかかった心理実験で極限状態に置かれた人間達が、疑心暗鬼から自滅してゆくという、なんだか「ライアーゲーム」と「es[エス]」を合体させたような作品である。
正直、このジャンルは粗製濫造気味で、最近観た漫画家の江川達也監督作「KING GAME キングゲーム」も絶望的につまらなかった。
まあこちらはベテランの中田秀夫監督だけに、それほど悪い作品ではないのだが、なんだかあちこちに既視感を感じてしまい、全てがちょっとずつ残念な作品だ。
フリーターの結城理久彦(藤原竜也)は、コンビニで偶然出会った須和名祥子(綾瀬はるか)に紹介された、時給112000円というバイトに共に応募する。
二人の他に集められたのは、偽研修医の大迫雄大(阿部力)と恋人の橘若菜(平山あや)、学生の真木雪人(大野拓郎)、ウェッブデザイナーの関水美夜(石原さとみ)、リストラ中年の西野宗広(石井正則)、主婦の渕佐和子(片平なぎさ)、無口な岩井荘助(武田真治)、そしてアル中の元社長、安東吉也(北大路欣也)の10名。
それは、暗鬼館という地下に作られた隔離施設で、ルールを守りながら7日間を過ごすという心理実験のはずだった。
ところが、個室へと入った理久彦は、部屋の中に武器とカードが入った箱があるのを発見する。
カードには、その武器の登場する推理小説のタイトルと、殺害方法が指定されていた・・・・
この手のデスゲーム物が流行始めたのは、やはり2004年に「ソウ」がヒットしてからではないかと思う。
以来東西で様々なフォロワーが登場したが、総じてスプラッターホラー色の強い洋物に対して、和物はゲーム的な要素が強いのが特徴と言えるだろう。
ゲームであるからにはルールが必要で、本作にも幾つかの基本ルールが設定されている。
まず舞台となるのは、“実務連絡機構”なる謎の組織が運営する“暗鬼館”という脱出不可能な地下施設。
ここに、心理実験という名目の元に、様々な背景を持つ10人の老若男女が集められる。
実験の期間は7日間で、時給はなんと112000円!
当然、美味しい話には裏があり、どうやらこの実験では何らかの事件が起こる事が設定されていて、事件が起こったら自分達で解決しなければならないという。
事件解決には誰かが“探偵”となり、“犯人”を特定する。
そして意見が別れた場合は、多数決で誰が犯人かを決定するというもの。
さらに、館内には“ガード”と呼ばれるロボットが巡回しており、消灯時間に個室から出る事は禁止されるている。
第一日目は何事もなく過ぎるが、翌朝の目覚めと共に、お約束通り第一の殺人が起こるという訳だ。
原作は、米澤穂信によるベストセラー小説らしいが、未読。
閉鎖空間に隔離された10人の登場人物たちが、一人また一人と姿無き殺人犯に殺されてゆくという展開は、所謂クローズド・サークル・ミステリの代表作であるアガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」をモチーフとしている。
10人のインディアン人形などのアイテムも踏襲されており、劇中でもクリスティとの類似性に言及されているので確信犯的ではあると思うが、登場人物たちが互いを犯人と疑い、疑心暗鬼から自滅して行くという大筋まで同じなので、ぶっちゃけオマージュとパクリのギリギリの境界線にある作品だと思う。
本作はホリプロ創立50周年の企画物だそうで、10人を演じるのは全員ホリプロ所属の俳優達。
藤原竜也や綾瀬はるから若手有望株から、2時間ドラマの女王片平なぎさ、大ベテランの北大路欣也まで、ホリプロオールスターズはなかなかに壮観だ。
もっとも、豪華キャストも10人もいると、全員を目立たせるのは至難の業。
そのあたりは作り手も心得ていて、キャラの強い片平なぎさや石井正則、武田真治と言った個性派は早々に前半で退場するも、登場した時から死亡フラグ立ちまくりの真木雪人などかわいそうなくらいに存在感が無い。
まあ彼以外は、筋立て上物凄くわかりやすいステロタイプな役柄ながら、それなりに描写されていたので、群像劇としてのバランスは悪くは無いのだが。
ちなみにエンドクレジットは、やっぱり年功序列だった。
ただ、物語までがあまりにもわかりやす過ぎなのは、一応ミステリを売りにする作品としていかがなものか。
最大の問題は、肝心の犯人探しゲームがアバウト過ぎて、推理物としては全く成立していない事だろう。
早々に殺人事件が発生し、阿部力の偽医者がいきなり犯人を名指しするのだが、これが「えっ、そんな曖昧な推理で良いのか?」というくらいテキトーなもの。
そもそも犯人が誰か意見が別れたら、多数決で決定してOKというルールが存在する時点で、実は推理物としては破綻しているのである。
かと言って、心理劇としてみた場合も、登場人物の思考・行動があまりにもステロタイプに造形され過ぎており、生身の人間の葛藤というよりも、それぞれが忠実に作劇上当てはめられた役割を演じている様にしか見えない。
よって誰が何の役なのか簡単に読めてしまい、事件の糸を引く黒幕の正体などもイージー過ぎてバレバレだ。
主人公を演じる藤原竜也の、まるで舞台劇の様に抑揚たっぷりの演技も、物語の嘘くささを余計に際立たせてしまっている。
また密室劇であるから空間のデザインは非常に重要なはずだが、残念ながら相当にチープ。
デザインそのものにコンセプトが感じられず、物語にも空間の構造が生かされていない。
何しろ壁に見取り図が張られているにも関わらず、どこに何があるのか非常にイメージしにくいのだ。
ダイニングテーブルにこれ見よがしに置かれた10人のインディアン人形なども、クリスティとの関連を示唆する以上の意味を持っていないし、この手のデスゲーム物と人形と言うと、自動的に「ソウ」を連想させてしまうのもマイナス。
物語上重要な役割を果す“ガード”のデザインなんて、まるで70年代の特撮番組から抜け出てきた様な代物で、プラスチックのおもちゃにしか見えない。
いくらなんでも今の時代にこれは無いだろう。
基本的に冒頭とラスト意外は施設の中だけで進行する物語だが、途中で一箇所だけカメラが外へ出て、人々が暗鬼館で起こっている実験をネット中継で観ている様子が描写される。
この実験とは、要するに営利ショーであるという事だが、このシーンは無いほうが良かった。
目的がはっきりしない方が理不尽さが強調されるし、ネタ晴らししてしまった瞬間に今度は設定の辻褄が合わなくなってくる。
過去に何度も実験が行われ、世界中の人が見てるようなショーなら、主人公達が知らない事が不自然だし、そもそも7日もの間にいつ起こるとも知れない殺人事件を待たなきゃならないなんて、リアルタイムのショーとして成立しないだろう。
思うに、このシーンをわざわざ入れているのは、本作のテーマ的な部分と関連するのだろうが、正直ラストまで観ても、私にはこれがどういう話なのか、何が言いたいのかが良くわからなかった。
生き残った二人は、結局この死のゲームを通して何を思い、何を得たのだろう。
彼らの心情が伝わってこないので、命がけでゲットした一億円が詰まった鞄を投げ捨てるのも、何故なんだろうと思ってしまった。
まあ一言で言えば、10人がゲームライクにテンポ良く殺しあって、最後には何にも残らない、そんな映画である。
ところで「インシテミル」って変なタイトルは何語だろう?ひょっとして“INCITE MILL”なのかな?
“INCITE”は刺激とか扇動とか言う意味があるし、“MILL”は本来製粉工場の事だが、殴り合いという意味もあるから、くっつけて“扇動的な殴り合い”というようなニュアンスだろうか。
色々な意味でわかりやす過ぎるこの映画、一番ミステリアスなのは、実はこのタイトルだったりして。
今回は、大金が掛かったゲームにちなんで、「ミリオンダラー」をチョイス。
ドライ・ジン45ml、 スイート・ベルモット15ml、 パイナップル・ジュース15ml、グレナデン・シロップ1tsp、卵白1個をシェイクしてグラスに注ぎ、仕上げにカットしたパイナップルを飾る。
非常に歴史の古い一品で、パイナップルジュースの酸味が効いたオレンジのカクテルに浮かぶふわりとした卵白の泡の白が華やいだ雰囲気を作る。
ちょっと物足りない映画の口直しに。
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大金のかかった心理実験で極限状態に置かれた人間達が、疑心暗鬼から自滅してゆくという、なんだか「ライアーゲーム」と「es[エス]」を合体させたような作品である。
正直、このジャンルは粗製濫造気味で、最近観た漫画家の江川達也監督作「KING GAME キングゲーム」も絶望的につまらなかった。
まあこちらはベテランの中田秀夫監督だけに、それほど悪い作品ではないのだが、なんだかあちこちに既視感を感じてしまい、全てがちょっとずつ残念な作品だ。
フリーターの結城理久彦(藤原竜也)は、コンビニで偶然出会った須和名祥子(綾瀬はるか)に紹介された、時給112000円というバイトに共に応募する。
二人の他に集められたのは、偽研修医の大迫雄大(阿部力)と恋人の橘若菜(平山あや)、学生の真木雪人(大野拓郎)、ウェッブデザイナーの関水美夜(石原さとみ)、リストラ中年の西野宗広(石井正則)、主婦の渕佐和子(片平なぎさ)、無口な岩井荘助(武田真治)、そしてアル中の元社長、安東吉也(北大路欣也)の10名。
それは、暗鬼館という地下に作られた隔離施設で、ルールを守りながら7日間を過ごすという心理実験のはずだった。
ところが、個室へと入った理久彦は、部屋の中に武器とカードが入った箱があるのを発見する。
カードには、その武器の登場する推理小説のタイトルと、殺害方法が指定されていた・・・・
この手のデスゲーム物が流行始めたのは、やはり2004年に「ソウ」がヒットしてからではないかと思う。
以来東西で様々なフォロワーが登場したが、総じてスプラッターホラー色の強い洋物に対して、和物はゲーム的な要素が強いのが特徴と言えるだろう。
ゲームであるからにはルールが必要で、本作にも幾つかの基本ルールが設定されている。
まず舞台となるのは、“実務連絡機構”なる謎の組織が運営する“暗鬼館”という脱出不可能な地下施設。
ここに、心理実験という名目の元に、様々な背景を持つ10人の老若男女が集められる。
実験の期間は7日間で、時給はなんと112000円!
当然、美味しい話には裏があり、どうやらこの実験では何らかの事件が起こる事が設定されていて、事件が起こったら自分達で解決しなければならないという。
事件解決には誰かが“探偵”となり、“犯人”を特定する。
そして意見が別れた場合は、多数決で誰が犯人かを決定するというもの。
さらに、館内には“ガード”と呼ばれるロボットが巡回しており、消灯時間に個室から出る事は禁止されるている。
第一日目は何事もなく過ぎるが、翌朝の目覚めと共に、お約束通り第一の殺人が起こるという訳だ。
原作は、米澤穂信によるベストセラー小説らしいが、未読。
閉鎖空間に隔離された10人の登場人物たちが、一人また一人と姿無き殺人犯に殺されてゆくという展開は、所謂クローズド・サークル・ミステリの代表作であるアガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」をモチーフとしている。
10人のインディアン人形などのアイテムも踏襲されており、劇中でもクリスティとの類似性に言及されているので確信犯的ではあると思うが、登場人物たちが互いを犯人と疑い、疑心暗鬼から自滅して行くという大筋まで同じなので、ぶっちゃけオマージュとパクリのギリギリの境界線にある作品だと思う。
本作はホリプロ創立50周年の企画物だそうで、10人を演じるのは全員ホリプロ所属の俳優達。
藤原竜也や綾瀬はるから若手有望株から、2時間ドラマの女王片平なぎさ、大ベテランの北大路欣也まで、ホリプロオールスターズはなかなかに壮観だ。
もっとも、豪華キャストも10人もいると、全員を目立たせるのは至難の業。
そのあたりは作り手も心得ていて、キャラの強い片平なぎさや石井正則、武田真治と言った個性派は早々に前半で退場するも、登場した時から死亡フラグ立ちまくりの真木雪人などかわいそうなくらいに存在感が無い。
まあ彼以外は、筋立て上物凄くわかりやすいステロタイプな役柄ながら、それなりに描写されていたので、群像劇としてのバランスは悪くは無いのだが。
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ただ、物語までがあまりにもわかりやす過ぎなのは、一応ミステリを売りにする作品としていかがなものか。
最大の問題は、肝心の犯人探しゲームがアバウト過ぎて、推理物としては全く成立していない事だろう。
早々に殺人事件が発生し、阿部力の偽医者がいきなり犯人を名指しするのだが、これが「えっ、そんな曖昧な推理で良いのか?」というくらいテキトーなもの。
そもそも犯人が誰か意見が別れたら、多数決で決定してOKというルールが存在する時点で、実は推理物としては破綻しているのである。
かと言って、心理劇としてみた場合も、登場人物の思考・行動があまりにもステロタイプに造形され過ぎており、生身の人間の葛藤というよりも、それぞれが忠実に作劇上当てはめられた役割を演じている様にしか見えない。
よって誰が何の役なのか簡単に読めてしまい、事件の糸を引く黒幕の正体などもイージー過ぎてバレバレだ。
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何しろ壁に見取り図が張られているにも関わらず、どこに何があるのか非常にイメージしにくいのだ。
ダイニングテーブルにこれ見よがしに置かれた10人のインディアン人形なども、クリスティとの関連を示唆する以上の意味を持っていないし、この手のデスゲーム物と人形と言うと、自動的に「ソウ」を連想させてしまうのもマイナス。
物語上重要な役割を果す“ガード”のデザインなんて、まるで70年代の特撮番組から抜け出てきた様な代物で、プラスチックのおもちゃにしか見えない。
いくらなんでも今の時代にこれは無いだろう。
基本的に冒頭とラスト意外は施設の中だけで進行する物語だが、途中で一箇所だけカメラが外へ出て、人々が暗鬼館で起こっている実験をネット中継で観ている様子が描写される。
この実験とは、要するに営利ショーであるという事だが、このシーンは無いほうが良かった。
目的がはっきりしない方が理不尽さが強調されるし、ネタ晴らししてしまった瞬間に今度は設定の辻褄が合わなくなってくる。
過去に何度も実験が行われ、世界中の人が見てるようなショーなら、主人公達が知らない事が不自然だし、そもそも7日もの間にいつ起こるとも知れない殺人事件を待たなきゃならないなんて、リアルタイムのショーとして成立しないだろう。
思うに、このシーンをわざわざ入れているのは、本作のテーマ的な部分と関連するのだろうが、正直ラストまで観ても、私にはこれがどういう話なのか、何が言いたいのかが良くわからなかった。
生き残った二人は、結局この死のゲームを通して何を思い、何を得たのだろう。
彼らの心情が伝わってこないので、命がけでゲットした一億円が詰まった鞄を投げ捨てるのも、何故なんだろうと思ってしまった。
まあ一言で言えば、10人がゲームライクにテンポ良く殺しあって、最後には何にも残らない、そんな映画である。
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2010年10月21日 (木) | 編集 |
「ランボー/最後の戦場」で久々に気を吐いたシルベスター・スタローンが、80年代から現代までのアクションスターを勢ぞろいさせ、監督・脚本・主演を務めた良い意味でB級感漂う戦争スペクタクル。
小国の独裁者と、彼を背後から操る黒幕に挑むのは、スタローン率いる最強の傭兵軍団だ。
タイトルの「エクスペンダブルズ」とはそのチーム名であり、“消耗品”という意味である。
なるほど演技派と違って、つぶしの利かないアクション俳優は、世代ごとに面子が入れ替わる使い捨ての世界。
そんな自虐的なタイトルの元に結集したのは、厳しい競争に生き残ってきた、まさに銀河系のごときアクションの星たちだ。
凄腕傭兵軍団のエクスペンダブルズを率いるバーニー(シルベスター・スタローン)は、チャーチ(ブルース・ウィリス)と名乗る謎の男から、メキシコ湾の小国ヴィレーナを支配する独裁者、ガルザ将軍(デヴィッド・ザヤス)暗殺の依頼を受ける。
相棒のクリスマス(ジェイソン・スイテイサム)と共に偵察に赴いたバーニーは、案内役を買って出た将軍の娘サンドラ(ジゼル・イティエ)から、真の黒幕はモンロー(エリック・ロバーツ)というアメリカ人だと知らされる。
元CIAで組織を裏切ったモンローを、CIAが傭兵を使って始末させようとしているのだ。
自分たちは捨て駒にされる。陰謀の構図に気づいたバーニーらは島を脱出するが、サンドラが敵の手に落ちてしまう・・・・
スタローン、ミッキー・ローク、ジェイソン・ステイサム、ジェット・リー、ドルフ・ラングレン、そしてシュワルツェネッガーにブルース・ウィリス。
まさにアクションスター版の「オール怪獣大進撃」である。
だが、この手のキャスティングは、バランスを間違えると誰が主役かアンサンブルかわからなくなり、空中分解してしまう危険をはらむ。
その辺はスタローンも心得ていて、キャストの中でも特A級のシュワ知事とウィリスは、ワンシーンのみのカメオ出演。
また「レスラー」での再ブレイク後は、演技者としての評価も高まっているミッキー・ロークは、すでに現役を引退したチームのマネージャーという役柄だ。
実際にアクションを担うエクスペンダブルズのリーダーはあくまでもスタローンで、彼の配下や敵にスターとしては世代も格も少し下のステイサムやリーにラングレン、あるいはNFLやプロレスなどスポーツ界出身の俳優を配している。
オールスターキャストだけど、アクションチームの主役はスタローンなんだと、はっきり主張する布陣だ。
スタローンがシュワルツェネッガーとガチで戦うような、怪獣プロレスみたいな展開を期待してきた人はがっかりだろうが、映画の作り方としては間違いではないだろう。
お話の方は、極論すれば火薬と銃器とナイフとバイク、そしてタトゥーだらけの筋肉が全てである。
権力にはおもねらないが、女と情には弱い傭兵軍団VS操り人形の独裁者と裏の黒幕という対立構図は単純明快だし、話の半分以上は誰かと誰かが戦っている。
何しろ、アメリカに戻ってまで、恋人を寝取った男と殴り合いの喧嘩している様な連中である(笑
まあ典型的マッチョ系ハリウッドアクションではあるが、いまどきの映画にしてはCGが極力目立たない事がミソと言えるだろう。
デジタル表現を最小限に抑えた画作りは、漫画チックながらも「マトリックス」以降の白戸三平の忍者漫画モドキのぶっ飛んだ描写は控えめで、80年代の無骨なアクション映画のテイストが漂う。
この種の映画が、青白いコンピューターギークの物ではなく、鍛えられた肉体の産物だった栄光の時代よもう一度、というスタローンの狙いは良くわかる。
二十一世紀のデジタルアクションは、もちろんそれはそれで面白いのだが、本物の火薬の爆発とマッチョな筋肉の存在感を改めて見せられると、そこにはやはりデジタルでは感じ得ない血沸き肉踊る戦いのカタルシスがあるのだ。
“消耗品”というタイトルや、劇中での自虐的な会話を含めて、作り手たちが自分たちの事を時代後れと自覚しているのも良い。
これは、己が肉体で勝負する生粋のアクションスターが生き難い時代への、スタローンという過去の巨星からのアンチテーゼなのである。
ただ、いくつか残念な点もある。
これは「ランボー/最後の戦場」でも同じだったから、たぶんスタローンの女性観なのだろうけど、ヒロインのサンドラは芯は強いものの、行動という点では全面的に男任せの類型的キャラクターで、今ひとつ生きていない。
特に物語の終盤にモンローが彼女を連れまわすのは、ヒーローが彼女を助けるという見せ場を作る以外に、何の意味があるのか良くわからない。
モンローにとっては、将軍を殺した時点で彼女の価値は無くなっているはずで、一人で逃げたほうがよほど楽ではないか。
基本的に話で見せる映画ではないとは言っても、このあたりの詰めの甘さはちょっともったいない。
あと、出演者がこの面子なら、やはり敵のボスキャラ級にも著名なアクションスターが欲しい。
エリック・ロバーツも悪くはないが、元々アクションの人ではないし、裏切り者のドルフ・ラングレンは途中で出番終了。
ヴァン・ダムあたりが出てくれたら良かったのに。
今回は、その出てないヴァン・ダムの故郷ベルギーから、その名も「ギロチン」というビールをチョイス。
アメリカン映画では男たちがビールをがぶ飲みしてるシーンが多いが、所謂典型的アメリカンビールは結構水っぽくて薄いものが多い。
だからこの映画みたいに平気で飲酒運転してたりするのだが、こちらベルギーの処刑装置はアルコール度数が普通のビールの倍近い9度もあるので、アメリカンビールの感覚で飲んでいるといつの間にか酔ってしまう。
アメリカンビールが、陽気なアメリカンマッチョの象徴だとしたら、この濃厚なコクと複雑な味わいは、渋いヨーロッパのマッチョマンだ。
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小国の独裁者と、彼を背後から操る黒幕に挑むのは、スタローン率いる最強の傭兵軍団だ。
タイトルの「エクスペンダブルズ」とはそのチーム名であり、“消耗品”という意味である。
なるほど演技派と違って、つぶしの利かないアクション俳優は、世代ごとに面子が入れ替わる使い捨ての世界。
そんな自虐的なタイトルの元に結集したのは、厳しい競争に生き残ってきた、まさに銀河系のごときアクションの星たちだ。
凄腕傭兵軍団のエクスペンダブルズを率いるバーニー(シルベスター・スタローン)は、チャーチ(ブルース・ウィリス)と名乗る謎の男から、メキシコ湾の小国ヴィレーナを支配する独裁者、ガルザ将軍(デヴィッド・ザヤス)暗殺の依頼を受ける。
相棒のクリスマス(ジェイソン・スイテイサム)と共に偵察に赴いたバーニーは、案内役を買って出た将軍の娘サンドラ(ジゼル・イティエ)から、真の黒幕はモンロー(エリック・ロバーツ)というアメリカ人だと知らされる。
元CIAで組織を裏切ったモンローを、CIAが傭兵を使って始末させようとしているのだ。
自分たちは捨て駒にされる。陰謀の構図に気づいたバーニーらは島を脱出するが、サンドラが敵の手に落ちてしまう・・・・
スタローン、ミッキー・ローク、ジェイソン・ステイサム、ジェット・リー、ドルフ・ラングレン、そしてシュワルツェネッガーにブルース・ウィリス。
まさにアクションスター版の「オール怪獣大進撃」である。
だが、この手のキャスティングは、バランスを間違えると誰が主役かアンサンブルかわからなくなり、空中分解してしまう危険をはらむ。
その辺はスタローンも心得ていて、キャストの中でも特A級のシュワ知事とウィリスは、ワンシーンのみのカメオ出演。
また「レスラー」での再ブレイク後は、演技者としての評価も高まっているミッキー・ロークは、すでに現役を引退したチームのマネージャーという役柄だ。
実際にアクションを担うエクスペンダブルズのリーダーはあくまでもスタローンで、彼の配下や敵にスターとしては世代も格も少し下のステイサムやリーにラングレン、あるいはNFLやプロレスなどスポーツ界出身の俳優を配している。
オールスターキャストだけど、アクションチームの主役はスタローンなんだと、はっきり主張する布陣だ。
スタローンがシュワルツェネッガーとガチで戦うような、怪獣プロレスみたいな展開を期待してきた人はがっかりだろうが、映画の作り方としては間違いではないだろう。
お話の方は、極論すれば火薬と銃器とナイフとバイク、そしてタトゥーだらけの筋肉が全てである。
権力にはおもねらないが、女と情には弱い傭兵軍団VS操り人形の独裁者と裏の黒幕という対立構図は単純明快だし、話の半分以上は誰かと誰かが戦っている。
何しろ、アメリカに戻ってまで、恋人を寝取った男と殴り合いの喧嘩している様な連中である(笑
まあ典型的マッチョ系ハリウッドアクションではあるが、いまどきの映画にしてはCGが極力目立たない事がミソと言えるだろう。
デジタル表現を最小限に抑えた画作りは、漫画チックながらも「マトリックス」以降の白戸三平の忍者漫画モドキのぶっ飛んだ描写は控えめで、80年代の無骨なアクション映画のテイストが漂う。
この種の映画が、青白いコンピューターギークの物ではなく、鍛えられた肉体の産物だった栄光の時代よもう一度、というスタローンの狙いは良くわかる。
二十一世紀のデジタルアクションは、もちろんそれはそれで面白いのだが、本物の火薬の爆発とマッチョな筋肉の存在感を改めて見せられると、そこにはやはりデジタルでは感じ得ない血沸き肉踊る戦いのカタルシスがあるのだ。
“消耗品”というタイトルや、劇中での自虐的な会話を含めて、作り手たちが自分たちの事を時代後れと自覚しているのも良い。
これは、己が肉体で勝負する生粋のアクションスターが生き難い時代への、スタローンという過去の巨星からのアンチテーゼなのである。
ただ、いくつか残念な点もある。
これは「ランボー/最後の戦場」でも同じだったから、たぶんスタローンの女性観なのだろうけど、ヒロインのサンドラは芯は強いものの、行動という点では全面的に男任せの類型的キャラクターで、今ひとつ生きていない。
特に物語の終盤にモンローが彼女を連れまわすのは、ヒーローが彼女を助けるという見せ場を作る以外に、何の意味があるのか良くわからない。
モンローにとっては、将軍を殺した時点で彼女の価値は無くなっているはずで、一人で逃げたほうがよほど楽ではないか。
基本的に話で見せる映画ではないとは言っても、このあたりの詰めの甘さはちょっともったいない。
あと、出演者がこの面子なら、やはり敵のボスキャラ級にも著名なアクションスターが欲しい。
エリック・ロバーツも悪くはないが、元々アクションの人ではないし、裏切り者のドルフ・ラングレンは途中で出番終了。
ヴァン・ダムあたりが出てくれたら良かったのに。
今回は、その出てないヴァン・ダムの故郷ベルギーから、その名も「ギロチン」というビールをチョイス。
アメリカン映画では男たちがビールをがぶ飲みしてるシーンが多いが、所謂典型的アメリカンビールは結構水っぽくて薄いものが多い。
だからこの映画みたいに平気で飲酒運転してたりするのだが、こちらベルギーの処刑装置はアルコール度数が普通のビールの倍近い9度もあるので、アメリカンビールの感覚で飲んでいるといつの間にか酔ってしまう。
アメリカンビールが、陽気なアメリカンマッチョの象徴だとしたら、この濃厚なコクと複雑な味わいは、渋いヨーロッパのマッチョマンだ。

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2010年10月16日 (土) | 編集 |
ごく平凡な女性が、ある日偶然出会った奇妙な男が実はスパイだった事から、世界の未来を巡る戦いに巻き込まれる、コミカルなサスペンス・アクション。
主演は「バニラスカイ」以来の共演となるトム・クルーズとキャメロン・ディアスで、共にスパイ映画を代表作に持つ彼らの、セルフパロディ的な味わいのある軽妙な娯楽作だ。
一部には、スターのオーラに陰りが見え始めた二人の、ハイテンションなはしゃぎっぷりがイタイという意見もあるようだが、私はこの無理のある痛々しさこそが本作のキモであり、深みになりえているのではと思う。
タイトルの「ナイト&デイ」は、英語表記だと“Knight&Day”で、夜(Night)と劇中のキーアイテムでもある騎士(Knight)を引っ掛けてあり、なかなか洒落ている。
人生を変えてくれる出会いを待ち望むジューン(キャメロン・ディアス)は、偶然空港でミステリアスな男、ロイ(トム・クルーズ)と出会う。
ところが、彼が訳ありのスパイだった事から、ジューンは巨大な陰謀に巻き込まれて、訳もわからず追われる身に。
強引にロイに連れ出されたジューンは、世界を変える可能性を持つ天才科学者の行方を追って、アメリカ東海岸からアゾレス諸島、ヨーロッパ大陸へと冒険の旅に出るのだが・・・
前作「三時十分、決断の時」で、燻銀のオヤジの世界をハードに描いたジェームス・マンゴールド監督、今回は打って変わってピュアなエンターテイメント作品だが、軽いながらもしっかり中身はある。
この作品は、ある意味でミドルエイジ・クライシスを描いた作品と言えるだろう。
トム・クルーズは1962年生まれの48歳、キャメロン・ディアスは72年生まれの38歳。
二人とも実年齢より若々しくはあるものの、嘗て得意としたアクションやラブコメは結構キツイ年齢になりつつある。
ピチピチした若い肉体と容姿を武器にした、派手なビジュアルオンリーの作品は、既に彼らでは成立し難くなっているのだ。
そこで、本作は彼らの年齢的な厳しさを逆手にとって、キャラクター造形に深みを与え、それをストーリーに反映させるという手法をとった。
CIAの優秀なエージェントであるロイ・ミラーは、家族との絆を断ち切ってまで、国家に尽くす道を選んで20年近く。
権謀術策は日常となり、閉塞感に苛まれているが、もはやスパイ以外の自分の人生はささやかな空想の中にしか存在し得ない。
古き良きアメリカンマッスルカーを愛するジューンもまた、結婚を控え幸せそうな妹との心の距離を感じ、時代に取り残されていく様な寂しさを感じているキャラクターだ。
彼ら二人の抱えている、人生の哀愁と蓄積された重みの様な物は、若いキャラクターではなかなか出せないだろう。
本作は、「ミッション・インポッシブル」と「チャーリーズ・エンジェル」の両シリーズを代表作に持つ二人のスターに、単にスパイ物のセルフ・パロディをやらせているというだけではなく、中年に差し掛かった彼らだからこそ説得力を持つ、人生の再出発というテーマを与えているのである。
物語は終始ジューンの視点で進み、特に前半部分は典型的な巻き込まれ型のサスペンスだ。
米国で物議をかもした俳優の顔が見えないシルエットのポスターも、(それほど似ているとは思えないが)このジャンルの偉大なマイルストーンである「北北西に進路を取れ」のポスターにインスパイアされたものだという。
劇中で争奪戦となる“ゼファー(西風)”と呼ばれる夢のエネルギー源は、「M.i.III」のマクガフィン、ラビットフットを連想させるが、元々「M.i.III」自体がヒッチコック作品の影響を感じさせる内容であり、今更ながらハリウッドのサスペンスジャンルにおける、ヒッチコックという存在の偉大さを実感する。
それはさておき、ロイと裏切り者のフィッツというスパイ同士の戦いに、欧州の武器商人まで参戦し、世界を股に駆ける争奪戦に巻き込まれたジューンは、最初の頃は完全に受身のキャラクターである。
それが、冒険を通して次第にロイを信頼するようになって変化してゆき、後半には彼女自身がロイを救い、引っ張る存在に立場が逆転するのである。
つまり、ロイが非日常の世界へとジューンを連れて行った事によって、ジューンが変わり、今度は彼女がロイとっては逆説的に非日常である日常の世界へと彼を帰還させるのだ。
前半、ジューンがロイの足手まといになって薬で眠らされ、彼女の朦朧とした意識の中で物語が展開して行く描写が、後半でそっくりそのままキャラクターを入れ替えて再現されているのは象徴的である。
まあ、このあたりは相当にご都合主義な本作の中でも、特に展開がいい加減な部分を誤魔化す役割もしているのだが(笑
地味目のヒロインが、胡散臭いヒーローと出会い、冒険を通して自分を解放してゆく本作、どこかで同じような映画を観た既視感を感じていたが、ふと思い出した。
この映画の雰囲気は、マイケル・ダグラスとキャスリン・ターナー主演、ロバート・ゼメキス監督で1984年にヒットした「ロマンシング・ストーン 秘宝の谷」に良く似ている。
こちらはゼメキスの出世作だが、当時大ヒットしていた「インディ・ジョーンズ」シリーズのパロディという性格を持ちながら、ハーレクインロマンス的な恋愛要素を含めて、ぐっと大人向けの映画になっていた。
本作も、本格的なスパイ・アクション映画として観ると、物語のアバウトさなど色々と物足りない気はするが、人生の曲がり角に差し掛かった男女の再出発を描いた、ウィットの効いたロマンチック・コメディと思えば、これはこれでそれなりに深い物語。
イーストウッドの「グラン・トリノ」を思わせるポンティアックGTOの使い方も粋で、十分に楽しめる作品であった。
今回は、アゾレス諸島の北に位置するマデイラ諸島の特産品マデイラ・ワイン「マルヴァジア」の10年もの。
基本的な製法はポート・ワインと同じだが、ブランデーを加えた後で50度以上の高温状態に数ヶ月置く事で、他の酒とは全く異なる独特の風味を持つ。
昔、夏に船で運ぶ間に、自然に高温熟成されていたのが起源とされている。
そのテイストはコク深く、かなり濃厚。
これもまた、大人の味である。
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主演は「バニラスカイ」以来の共演となるトム・クルーズとキャメロン・ディアスで、共にスパイ映画を代表作に持つ彼らの、セルフパロディ的な味わいのある軽妙な娯楽作だ。
一部には、スターのオーラに陰りが見え始めた二人の、ハイテンションなはしゃぎっぷりがイタイという意見もあるようだが、私はこの無理のある痛々しさこそが本作のキモであり、深みになりえているのではと思う。
タイトルの「ナイト&デイ」は、英語表記だと“Knight&Day”で、夜(Night)と劇中のキーアイテムでもある騎士(Knight)を引っ掛けてあり、なかなか洒落ている。
人生を変えてくれる出会いを待ち望むジューン(キャメロン・ディアス)は、偶然空港でミステリアスな男、ロイ(トム・クルーズ)と出会う。
ところが、彼が訳ありのスパイだった事から、ジューンは巨大な陰謀に巻き込まれて、訳もわからず追われる身に。
強引にロイに連れ出されたジューンは、世界を変える可能性を持つ天才科学者の行方を追って、アメリカ東海岸からアゾレス諸島、ヨーロッパ大陸へと冒険の旅に出るのだが・・・
前作「三時十分、決断の時」で、燻銀のオヤジの世界をハードに描いたジェームス・マンゴールド監督、今回は打って変わってピュアなエンターテイメント作品だが、軽いながらもしっかり中身はある。
この作品は、ある意味でミドルエイジ・クライシスを描いた作品と言えるだろう。
トム・クルーズは1962年生まれの48歳、キャメロン・ディアスは72年生まれの38歳。
二人とも実年齢より若々しくはあるものの、嘗て得意としたアクションやラブコメは結構キツイ年齢になりつつある。
ピチピチした若い肉体と容姿を武器にした、派手なビジュアルオンリーの作品は、既に彼らでは成立し難くなっているのだ。
そこで、本作は彼らの年齢的な厳しさを逆手にとって、キャラクター造形に深みを与え、それをストーリーに反映させるという手法をとった。
CIAの優秀なエージェントであるロイ・ミラーは、家族との絆を断ち切ってまで、国家に尽くす道を選んで20年近く。
権謀術策は日常となり、閉塞感に苛まれているが、もはやスパイ以外の自分の人生はささやかな空想の中にしか存在し得ない。
古き良きアメリカンマッスルカーを愛するジューンもまた、結婚を控え幸せそうな妹との心の距離を感じ、時代に取り残されていく様な寂しさを感じているキャラクターだ。
彼ら二人の抱えている、人生の哀愁と蓄積された重みの様な物は、若いキャラクターではなかなか出せないだろう。
本作は、「ミッション・インポッシブル」と「チャーリーズ・エンジェル」の両シリーズを代表作に持つ二人のスターに、単にスパイ物のセルフ・パロディをやらせているというだけではなく、中年に差し掛かった彼らだからこそ説得力を持つ、人生の再出発というテーマを与えているのである。
物語は終始ジューンの視点で進み、特に前半部分は典型的な巻き込まれ型のサスペンスだ。
米国で物議をかもした俳優の顔が見えないシルエットのポスターも、(それほど似ているとは思えないが)このジャンルの偉大なマイルストーンである「北北西に進路を取れ」のポスターにインスパイアされたものだという。
劇中で争奪戦となる“ゼファー(西風)”と呼ばれる夢のエネルギー源は、「M.i.III」のマクガフィン、ラビットフットを連想させるが、元々「M.i.III」自体がヒッチコック作品の影響を感じさせる内容であり、今更ながらハリウッドのサスペンスジャンルにおける、ヒッチコックという存在の偉大さを実感する。
それはさておき、ロイと裏切り者のフィッツというスパイ同士の戦いに、欧州の武器商人まで参戦し、世界を股に駆ける争奪戦に巻き込まれたジューンは、最初の頃は完全に受身のキャラクターである。
それが、冒険を通して次第にロイを信頼するようになって変化してゆき、後半には彼女自身がロイを救い、引っ張る存在に立場が逆転するのである。
つまり、ロイが非日常の世界へとジューンを連れて行った事によって、ジューンが変わり、今度は彼女がロイとっては逆説的に非日常である日常の世界へと彼を帰還させるのだ。
前半、ジューンがロイの足手まといになって薬で眠らされ、彼女の朦朧とした意識の中で物語が展開して行く描写が、後半でそっくりそのままキャラクターを入れ替えて再現されているのは象徴的である。
まあ、このあたりは相当にご都合主義な本作の中でも、特に展開がいい加減な部分を誤魔化す役割もしているのだが(笑
地味目のヒロインが、胡散臭いヒーローと出会い、冒険を通して自分を解放してゆく本作、どこかで同じような映画を観た既視感を感じていたが、ふと思い出した。
この映画の雰囲気は、マイケル・ダグラスとキャスリン・ターナー主演、ロバート・ゼメキス監督で1984年にヒットした「ロマンシング・ストーン 秘宝の谷」に良く似ている。
こちらはゼメキスの出世作だが、当時大ヒットしていた「インディ・ジョーンズ」シリーズのパロディという性格を持ちながら、ハーレクインロマンス的な恋愛要素を含めて、ぐっと大人向けの映画になっていた。
本作も、本格的なスパイ・アクション映画として観ると、物語のアバウトさなど色々と物足りない気はするが、人生の曲がり角に差し掛かった男女の再出発を描いた、ウィットの効いたロマンチック・コメディと思えば、これはこれでそれなりに深い物語。
イーストウッドの「グラン・トリノ」を思わせるポンティアックGTOの使い方も粋で、十分に楽しめる作品であった。
今回は、アゾレス諸島の北に位置するマデイラ諸島の特産品マデイラ・ワイン「マルヴァジア」の10年もの。
基本的な製法はポート・ワインと同じだが、ブランデーを加えた後で50度以上の高温状態に数ヶ月置く事で、他の酒とは全く異なる独特の風味を持つ。
昔、夏に船で運ぶ間に、自然に高温熟成されていたのが起源とされている。
そのテイストはコク深く、かなり濃厚。
これもまた、大人の味である。

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2010年10月10日 (日) | 編集 |
宇宙最速の座を賭けた究極のレース、「REDLINE」を描くアクションアニメ。
内容を一言で言えば、昔懐かしいタツノコプロの「マッハGo Go Go」の現代版だ。
思いっきりエキセントリックな登場人物たちが、数万馬力のスーパーマシンを駆って、相手への妨害、攻撃何でもありのサバイバルレースを展開する。
監督の小池健、原作・脚本の石井克人、制作のマッドハウスは、2000年のヒット作「PARTY7」のオープニングアニメのチームである。
スピーディーな展開のアメコミ調アニメは当時大いに話題になったが、要するにあのノリが全編に渡って続くと思えば良い。
5年に一度、宇宙最速を決めるレース、レッドラインが間もなく開幕。
予選落ちしていた若きレーサーのJP(木村拓哉 )は、上位レーサーが出場辞退した事で、繰上げ出場できる事に。
ところが今回のコースは、レッドライン開催を認めず、レーサー達が侵入すれば攻撃すると宣言する軍事独裁国家、ロボワールドに設定されていた。
JPは、凄腕女性レーサーのソノシー(蒼井優 )や、自らを改造してマシンと一体となったマシンヘッド鉄仁(石井康嗣)などのライバルと、壮絶なデットヒートを繰り広げるが・・・
上映時間の大半を占めるレースシーンは、手描きアニメの凄みを感じさせる仕上がりだ。
セルシェーダーの発達で、手描きアニメと見まがうばかりのCGも作れる様にはなってきたが、アニメーターのフリーハンドを最大限生かしたナチュラルな歪みの作り出す迫力は、やはりデジタルで再現するのは難しい。
10万枚という贅沢な作画量は、結果としてパワフルな映像として結実していると思う。
「崖の上のポニョ」とは方向性は違うが、手描きアニメの魅力とポテンシャルを再確認させてくれる。
冒頭から大バトルが展開されるが、これはイエローラインと呼ばれる予選レース。
各予選の優勝者だけが、5年に一回開催されるレッドラインへと駒を進める事が許される。
レッドラインは、どうやらモナコグランプリとスーパーボウルとサッカーのW杯決勝を全部合わせたかのような、全宇宙的スポーツイベントで、表の世界でも裏の世界でも、レースを巡って巨額の金が動く。
主人公のJPとメカニックのフリスビーは、過去に裏社会と関わった因縁で八百長レースに手を染めていて、イエローラインでは勝てるレースを負けているのだ。
他のレーサーが出場辞退した事で補欠として本戦へ進出するが、あくまでもガチンコ勝負での勝利を渇望するJPと、八百長から手を切れないフリスビーの友情と葛藤が、物語のバックストーリーとして機能している。
ぶっちゃけ、それ以上の話は無きに等しい。
何しろ一時間40分ほどの上映時間の内、一時間くらいはレースをやってるのだ。
アクションは個性豊かなライバル達とのレースと、彼らを殲滅しようとするロボワールド軍との追いつ追われつの大バトルの二重構造。
ライバルは、子供の頃からレッドラインに出場する事を目標にしてきた最速女性レーサーのソノシー、不倫スキャンダルを抱える暴力警官のゴリライダー、人口惑星地球船のヲタクなチェリーボーイコンビの三木と轟木、魔法を使う女王の国からやって来たセクシーなスーパーボインズ、さらにはロボワールドからの飛び入り参加者まで、それぞれがエキセントリック、というよりも過去のアニメキャラのパロディの様なフザケたキャラクター達だ。
彼らの中でも強烈なのが、嘗てのシューマッハみたいな最強最速のレーサー、マシンヘッド鉄仁。
この御仁、レースに勝つために自らの肉体を改造し、文字通り人馬一体になってしまったサイボーグで、なぜかマジンガーZそっくりな形の頭に、キン肉スグルよろしく「鉄仁」って漢字で書いてある(笑
レーサー達が駆る個性一杯のマシンも魅力的だ。
ソノシーのホバークラフト型クラブソノシーや、もはや車だか飛行機だかわからない鉄仁のゴッドウィング、モグラの様に地中を走るチェリーボーイ達のセミマルなど、ギミックの楽しさに満ちている。
そんな中にあって主人公のJPが駆るのは、イエローのボディに黒のレーシングストライプ、宇宙時代なのにデロデロのOHVサウンドを響かせた、その名もトランザム20000!(笑
アメリカンマッスルカーの代表格、ファイヤーバード・トランザムは2002年に生産終了したが、こんな未来でも宇宙のどこかにGMは存続して、伝統のブランドを復活させている様だ。
本作は音への拘りも見所、いや聞き所で、各マシンのエンジン音や細かなメカニカルノイズ、スラムの生活音など非常に凝っている。
レッドラインの妨害者たるロボワールドは、更にパロディ色が強い。
JPそっくりのメタルのリーゼントを持つボルトン大佐指揮する軍団は、「AKIRA」のソルみたいな衛星兵器を持っているが、これで突然出現した生物兵器を攻撃するあたりは、元ネタを知っていれば思わず笑ってしまうところ。
この生物兵器は巨神兵の様でもあり、最期にはボルトン大佐自身が変身した巨大怪獣と戦うのだ。
もはやロボワールドの存在その物がオフザケであることは明白である。
アクションとギャグの狭間で、ごく僅かなドラマ部分の大半もキャラクターを立たせる事に費やされ、中にはその目的のためだけに使われて、放りっぱなしになっているエピソードも多い。
怪獣化した大佐と巨神兵の戦いも、途中でウヤムヤにされたままだ。
もっとも、良い意味で70年代のアニメ的で、いちいち細かい事まで気にするな!と言わんばかりの大雑把なストーリー展開は、個人的には大らかで好ましく感じた。
大バカなラストなど、このノリとテイストだからこそ成立する物だろう。
主人公のJPが拘るのも、金と名誉と女というわかり易いものだが、その根底にあるのは少年時代に見たトップレーサーの華やかな姿と、プロを目指す切っ掛けになった少女レーサーの一言。
人生を変えた少女レーサーは実はソノシーで、JPが彼女への初恋を胸に抱き続ける純情男というあたりも少年漫画の王道で良い。
とは言え、本作はかなり観客を選ぶ作品だと思う。
シリアス、ハード、或いは深さといったキーワードを期待してはいけない。
これは、子供の頃に観た古き良きアニメが忘れられない、大人気無い大人のための贅沢なお遊び、ある意味マスターベーション映画なのである。
同じ嗜好を持つ者たちのための、マニアックなギグの様な味わいと思えば良いだろう。
ちなみにマシンヘッド鉄仁は、5年に一度のレッドラインを四連覇してるという設定だから、JPが憧れたトップレーサーは、もしかしてマジンガー頭になる前の彼なのか?(笑
今回は、レースのお供に最適なアメリカンビール「バドワイザー」をチョイス。
名前こそ、チェコビールの代表格である「ブドヴァイゼル・ブドヴァル」から取られているが、中身はヨーロッパのビールとは全くの別物だ。
まるで水の様に薄くいくらでも飲めるバドは、サーキットを眺めながら炎天下でガブガブ飲むのにちょうど良い。
熱血少年漫画の様なレースで熱くなったハートをクールダウンしよう。
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内容を一言で言えば、昔懐かしいタツノコプロの「マッハGo Go Go」の現代版だ。
思いっきりエキセントリックな登場人物たちが、数万馬力のスーパーマシンを駆って、相手への妨害、攻撃何でもありのサバイバルレースを展開する。
監督の小池健、原作・脚本の石井克人、制作のマッドハウスは、2000年のヒット作「PARTY7」のオープニングアニメのチームである。
スピーディーな展開のアメコミ調アニメは当時大いに話題になったが、要するにあのノリが全編に渡って続くと思えば良い。
5年に一度、宇宙最速を決めるレース、レッドラインが間もなく開幕。
予選落ちしていた若きレーサーのJP(木村拓哉 )は、上位レーサーが出場辞退した事で、繰上げ出場できる事に。
ところが今回のコースは、レッドライン開催を認めず、レーサー達が侵入すれば攻撃すると宣言する軍事独裁国家、ロボワールドに設定されていた。
JPは、凄腕女性レーサーのソノシー(蒼井優 )や、自らを改造してマシンと一体となったマシンヘッド鉄仁(石井康嗣)などのライバルと、壮絶なデットヒートを繰り広げるが・・・
上映時間の大半を占めるレースシーンは、手描きアニメの凄みを感じさせる仕上がりだ。
セルシェーダーの発達で、手描きアニメと見まがうばかりのCGも作れる様にはなってきたが、アニメーターのフリーハンドを最大限生かしたナチュラルな歪みの作り出す迫力は、やはりデジタルで再現するのは難しい。
10万枚という贅沢な作画量は、結果としてパワフルな映像として結実していると思う。
「崖の上のポニョ」とは方向性は違うが、手描きアニメの魅力とポテンシャルを再確認させてくれる。
冒頭から大バトルが展開されるが、これはイエローラインと呼ばれる予選レース。
各予選の優勝者だけが、5年に一回開催されるレッドラインへと駒を進める事が許される。
レッドラインは、どうやらモナコグランプリとスーパーボウルとサッカーのW杯決勝を全部合わせたかのような、全宇宙的スポーツイベントで、表の世界でも裏の世界でも、レースを巡って巨額の金が動く。
主人公のJPとメカニックのフリスビーは、過去に裏社会と関わった因縁で八百長レースに手を染めていて、イエローラインでは勝てるレースを負けているのだ。
他のレーサーが出場辞退した事で補欠として本戦へ進出するが、あくまでもガチンコ勝負での勝利を渇望するJPと、八百長から手を切れないフリスビーの友情と葛藤が、物語のバックストーリーとして機能している。
ぶっちゃけ、それ以上の話は無きに等しい。
何しろ一時間40分ほどの上映時間の内、一時間くらいはレースをやってるのだ。
アクションは個性豊かなライバル達とのレースと、彼らを殲滅しようとするロボワールド軍との追いつ追われつの大バトルの二重構造。
ライバルは、子供の頃からレッドラインに出場する事を目標にしてきた最速女性レーサーのソノシー、不倫スキャンダルを抱える暴力警官のゴリライダー、人口惑星地球船のヲタクなチェリーボーイコンビの三木と轟木、魔法を使う女王の国からやって来たセクシーなスーパーボインズ、さらにはロボワールドからの飛び入り参加者まで、それぞれがエキセントリック、というよりも過去のアニメキャラのパロディの様なフザケたキャラクター達だ。
彼らの中でも強烈なのが、嘗てのシューマッハみたいな最強最速のレーサー、マシンヘッド鉄仁。
この御仁、レースに勝つために自らの肉体を改造し、文字通り人馬一体になってしまったサイボーグで、なぜかマジンガーZそっくりな形の頭に、キン肉スグルよろしく「鉄仁」って漢字で書いてある(笑
レーサー達が駆る個性一杯のマシンも魅力的だ。
ソノシーのホバークラフト型クラブソノシーや、もはや車だか飛行機だかわからない鉄仁のゴッドウィング、モグラの様に地中を走るチェリーボーイ達のセミマルなど、ギミックの楽しさに満ちている。
そんな中にあって主人公のJPが駆るのは、イエローのボディに黒のレーシングストライプ、宇宙時代なのにデロデロのOHVサウンドを響かせた、その名もトランザム20000!(笑
アメリカンマッスルカーの代表格、ファイヤーバード・トランザムは2002年に生産終了したが、こんな未来でも宇宙のどこかにGMは存続して、伝統のブランドを復活させている様だ。
本作は音への拘りも見所、いや聞き所で、各マシンのエンジン音や細かなメカニカルノイズ、スラムの生活音など非常に凝っている。
レッドラインの妨害者たるロボワールドは、更にパロディ色が強い。
JPそっくりのメタルのリーゼントを持つボルトン大佐指揮する軍団は、「AKIRA」のソルみたいな衛星兵器を持っているが、これで突然出現した生物兵器を攻撃するあたりは、元ネタを知っていれば思わず笑ってしまうところ。
この生物兵器は巨神兵の様でもあり、最期にはボルトン大佐自身が変身した巨大怪獣と戦うのだ。
もはやロボワールドの存在その物がオフザケであることは明白である。
アクションとギャグの狭間で、ごく僅かなドラマ部分の大半もキャラクターを立たせる事に費やされ、中にはその目的のためだけに使われて、放りっぱなしになっているエピソードも多い。
怪獣化した大佐と巨神兵の戦いも、途中でウヤムヤにされたままだ。
もっとも、良い意味で70年代のアニメ的で、いちいち細かい事まで気にするな!と言わんばかりの大雑把なストーリー展開は、個人的には大らかで好ましく感じた。
大バカなラストなど、このノリとテイストだからこそ成立する物だろう。
主人公のJPが拘るのも、金と名誉と女というわかり易いものだが、その根底にあるのは少年時代に見たトップレーサーの華やかな姿と、プロを目指す切っ掛けになった少女レーサーの一言。
人生を変えた少女レーサーは実はソノシーで、JPが彼女への初恋を胸に抱き続ける純情男というあたりも少年漫画の王道で良い。
とは言え、本作はかなり観客を選ぶ作品だと思う。
シリアス、ハード、或いは深さといったキーワードを期待してはいけない。
これは、子供の頃に観た古き良きアニメが忘れられない、大人気無い大人のための贅沢なお遊び、ある意味マスターベーション映画なのである。
同じ嗜好を持つ者たちのための、マニアックなギグの様な味わいと思えば良いだろう。
ちなみにマシンヘッド鉄仁は、5年に一度のレッドラインを四連覇してるという設定だから、JPが憧れたトップレーサーは、もしかしてマジンガー頭になる前の彼なのか?(笑
今回は、レースのお供に最適なアメリカンビール「バドワイザー」をチョイス。
名前こそ、チェコビールの代表格である「ブドヴァイゼル・ブドヴァル」から取られているが、中身はヨーロッパのビールとは全くの別物だ。
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2010年10月06日 (水) | 編集 |
フクロウが高度な文明を持つ世界を描いた、キャスリン・ラスキー原作の児童小説を、「300 スリーハンドレッド」のザック・スナイダーが映画化した異色のファンタジーアニメーション。
動物を主人公としたファンタジーはそれほど珍しくないが、本作に登場するのは、全くと言っていいほどカリカチュアされていないリアルなフクロウ。
彼らが喋り、冒険し、戦うという独特の世界観についていけるかどうかが、本作の評価の分かれ目だろう。
全体の印象は「ロード・オブ・ザ・リング」的異世界ファンタジーを、人間の変わりにフクロウのキャラクターで構成し、「300 スリーハンドレッド」的アクションで味付けしたという感じだ。
ティト森林王国に住むメンフクロウの少年ソーレン(ジム・スタージェス)は、世界征服を企む純血団を倒したガフールの勇者たちの伝説に夢中。
ある日、ソーレンは兄のクラッド(ライアン・クワンテン)と空を飛ぶ練習をしていた時、うっかり巣のある木から転落し、謎のフクロウたちに誘拐されてしまう。
ソーレンとクラッドが連れ去られたのは、滅びたと思われていた純血団の王メタルビークの砦。
彼らは密かに子供たちを攫い、月光麻痺と呼ばれる方法で洗脳して、新たな軍団を作り上げていたのだ。
サボテンフクロウのジルフィー(エミリー・バークレー)と共に脱出に成功したソーレンは、純血団復活を勇者たちに知らせるために、伝説のガフールの神木を目指すが・・・。
本作を観るまで、こんなに多種多様なフクロウがいるとは知らなかった。
主人公のソーレンは、メンフクロウと言われる種類で、その名のとおりお面を被ったようなルックスが特徴。
スラリとした体形は一見人間の様にも見えることから、米国のモスマン伝説や宇宙人の目撃談はメンフクロウを見間違えたとも言われる。
サボテンフクロウのジルフィーは、メンフクロウよりもずっと小さなミニサイズで可愛い。
映画は、人間が存在しない地球で、フクロウたちが種族ごとに独自の文明を発展させている世界が舞台。
ここでは嘗て、メンフクロウによる世界支配を目指す純血団というナチスみたいなグループと、ガフールの勇者たちと呼ばれる正義のフクロウとの間で戦争が起こり、純血団は敗れ勇者たちは去った。
激しい戦いの物語は、今では伝説となって親から子へと語り継がれている。
ソーレンは、そんな伝説の勇者にあこがれる少年だが、ある時巣から落ちて兄のクラッドと共に復活した純血団に誘拐されてしまう。
彼らはガフールの勇者たちを滅ぼして、再び世界征服を狙っているのだ
ソーレンは、ジルフィーと共に脱出に成功するが、出来の良い弟にコンプレックスを感じている兄のクラッドは、自分の意思で純血団に忠誠を誓いソーレンと袂を分かつ。
勇者たちVS純血団という因縁の戦いの内側に、さらに主人公の兄弟を配する事で、運命的な対決の構図が形作られるという訳だ。
ソーレンが純血団を脱出してから、旅の仲間が加わって勇者たちが住むと言われるガフールの神木を目指すが、このロードムービーの部分は意外とあっさり。
早々に「ロード・オブ・ザ・リング」のリヴェンデールを思わせるガフールにたどり着くと、ソーレンと仲間たちは戦士となる訓練を受ける事になるが、彼を教えるのが伝説の中でソーレンの一番のお気に入りだった“キールのライズ”という勇者。
隠遁していた年老いた師匠に鍛えられる若き戦士という設定は、ちょっと「スターウォーズ」のルークとオビワンを思わせる。
勇者たちと純血団は、それぞれに工夫を凝らした金属の兜や鍵爪で武装しており、まるで古代ローマの剣闘士グラディエーターの様。
まあ、あのフクロウの足で、一体どうやって道具を加工しているのかという疑問はちょっと頭を過ぎるが、そのあたりはあんまり突っ込んではいけないのだろう。
いざ戦いが始まると、金属の鍵爪が派手な火花を散らし、羽毛が舞い散る戦いを、スローモーションを効果的に使って演出するあたりは、いかにもザック・スナイダーらしく、正にフクロウ版の「300 スリーハンドレッド」という感じで迫力もあり、楽しめる。
ただ、一応原作が児童文学という事で、残酷描写は抑えられ、子供にも安心して見せられるだろう。
「ハッピーフィート」でやたらリアルなペンギンたちを描写した、アニマル・ロジック社の手がける3DCGは素晴らしい出来栄えだ。
ソーレンの妹のエグランタインのフワフワした羽毛は思わず触りたくなるし、大雨が吹きつける嵐の中を飛ぶソーレンの翼のしなやかさなど、まるで実写と見まがうばかりのリアリティを感じる。
だが、例えば「ヒックとドラゴン」などに比べると、嵐や夜間など暗くて対象物が見えないシチュエーションが多いので、飛翔感という点ではちょっと物足りない。
「ガフールの伝説」は、原作シリーズの三冊を纏めているという事で、ややダイジェスト感を感じさせるものの、スピーディーで良く出来た娯楽映画だ。
擬人化されたリアルなフクロウが主人公という点に違和感を感じなければ、逆に新しいも要素は他に何もないので、ごく普通に楽しむ事が出来るだろう。
ただ、ちょっと残念なのは、純血団がかき集めている秘密兵器の設定がよくわからない事。
これは、ペレットというフクロウが消化できずに吐き出す骨や皮などの固まりに、稀に含まれるという鉱物を集めた物で、フクロウの砂嚢、要するに砂肝に作用して、行動不能にしてしまうらしい。
描写からは、おそらくは磁気を持った金属か、隕石の破片のようなものだと思うが、いったいどういう仕組みなのか全く説明がないので、えらくご都合主義な代物にみえてしまう。
敵の最終兵器なのだから、もうちょっと丁寧な説明が欲しかったところだ。
今回は、豪州のワイン「バーキングオウル シャルドネ」をチョイス。
フクロウのラベルが印象的な銘柄で、柔らかな果実香が楽しめるドライなシャルドネだ。
適度な酸味が、スッキリと後味を引き締めてくれる。
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動物を主人公としたファンタジーはそれほど珍しくないが、本作に登場するのは、全くと言っていいほどカリカチュアされていないリアルなフクロウ。
彼らが喋り、冒険し、戦うという独特の世界観についていけるかどうかが、本作の評価の分かれ目だろう。
全体の印象は「ロード・オブ・ザ・リング」的異世界ファンタジーを、人間の変わりにフクロウのキャラクターで構成し、「300 スリーハンドレッド」的アクションで味付けしたという感じだ。
ティト森林王国に住むメンフクロウの少年ソーレン(ジム・スタージェス)は、世界征服を企む純血団を倒したガフールの勇者たちの伝説に夢中。
ある日、ソーレンは兄のクラッド(ライアン・クワンテン)と空を飛ぶ練習をしていた時、うっかり巣のある木から転落し、謎のフクロウたちに誘拐されてしまう。
ソーレンとクラッドが連れ去られたのは、滅びたと思われていた純血団の王メタルビークの砦。
彼らは密かに子供たちを攫い、月光麻痺と呼ばれる方法で洗脳して、新たな軍団を作り上げていたのだ。
サボテンフクロウのジルフィー(エミリー・バークレー)と共に脱出に成功したソーレンは、純血団復活を勇者たちに知らせるために、伝説のガフールの神木を目指すが・・・。
本作を観るまで、こんなに多種多様なフクロウがいるとは知らなかった。
主人公のソーレンは、メンフクロウと言われる種類で、その名のとおりお面を被ったようなルックスが特徴。
スラリとした体形は一見人間の様にも見えることから、米国のモスマン伝説や宇宙人の目撃談はメンフクロウを見間違えたとも言われる。
サボテンフクロウのジルフィーは、メンフクロウよりもずっと小さなミニサイズで可愛い。
映画は、人間が存在しない地球で、フクロウたちが種族ごとに独自の文明を発展させている世界が舞台。
ここでは嘗て、メンフクロウによる世界支配を目指す純血団というナチスみたいなグループと、ガフールの勇者たちと呼ばれる正義のフクロウとの間で戦争が起こり、純血団は敗れ勇者たちは去った。
激しい戦いの物語は、今では伝説となって親から子へと語り継がれている。
ソーレンは、そんな伝説の勇者にあこがれる少年だが、ある時巣から落ちて兄のクラッドと共に復活した純血団に誘拐されてしまう。
彼らはガフールの勇者たちを滅ぼして、再び世界征服を狙っているのだ
ソーレンは、ジルフィーと共に脱出に成功するが、出来の良い弟にコンプレックスを感じている兄のクラッドは、自分の意思で純血団に忠誠を誓いソーレンと袂を分かつ。
勇者たちVS純血団という因縁の戦いの内側に、さらに主人公の兄弟を配する事で、運命的な対決の構図が形作られるという訳だ。
ソーレンが純血団を脱出してから、旅の仲間が加わって勇者たちが住むと言われるガフールの神木を目指すが、このロードムービーの部分は意外とあっさり。
早々に「ロード・オブ・ザ・リング」のリヴェンデールを思わせるガフールにたどり着くと、ソーレンと仲間たちは戦士となる訓練を受ける事になるが、彼を教えるのが伝説の中でソーレンの一番のお気に入りだった“キールのライズ”という勇者。
隠遁していた年老いた師匠に鍛えられる若き戦士という設定は、ちょっと「スターウォーズ」のルークとオビワンを思わせる。
勇者たちと純血団は、それぞれに工夫を凝らした金属の兜や鍵爪で武装しており、まるで古代ローマの剣闘士グラディエーターの様。
まあ、あのフクロウの足で、一体どうやって道具を加工しているのかという疑問はちょっと頭を過ぎるが、そのあたりはあんまり突っ込んではいけないのだろう。
いざ戦いが始まると、金属の鍵爪が派手な火花を散らし、羽毛が舞い散る戦いを、スローモーションを効果的に使って演出するあたりは、いかにもザック・スナイダーらしく、正にフクロウ版の「300 スリーハンドレッド」という感じで迫力もあり、楽しめる。
ただ、一応原作が児童文学という事で、残酷描写は抑えられ、子供にも安心して見せられるだろう。
「ハッピーフィート」でやたらリアルなペンギンたちを描写した、アニマル・ロジック社の手がける3DCGは素晴らしい出来栄えだ。
ソーレンの妹のエグランタインのフワフワした羽毛は思わず触りたくなるし、大雨が吹きつける嵐の中を飛ぶソーレンの翼のしなやかさなど、まるで実写と見まがうばかりのリアリティを感じる。
だが、例えば「ヒックとドラゴン」などに比べると、嵐や夜間など暗くて対象物が見えないシチュエーションが多いので、飛翔感という点ではちょっと物足りない。
「ガフールの伝説」は、原作シリーズの三冊を纏めているという事で、ややダイジェスト感を感じさせるものの、スピーディーで良く出来た娯楽映画だ。
擬人化されたリアルなフクロウが主人公という点に違和感を感じなければ、逆に新しいも要素は他に何もないので、ごく普通に楽しむ事が出来るだろう。
ただ、ちょっと残念なのは、純血団がかき集めている秘密兵器の設定がよくわからない事。
これは、ペレットというフクロウが消化できずに吐き出す骨や皮などの固まりに、稀に含まれるという鉱物を集めた物で、フクロウの砂嚢、要するに砂肝に作用して、行動不能にしてしまうらしい。
描写からは、おそらくは磁気を持った金属か、隕石の破片のようなものだと思うが、いったいどういう仕組みなのか全く説明がないので、えらくご都合主義な代物にみえてしまう。
敵の最終兵器なのだから、もうちょっと丁寧な説明が欲しかったところだ。
今回は、豪州のワイン「バーキングオウル シャルドネ」をチョイス。
フクロウのラベルが印象的な銘柄で、柔らかな果実香が楽しめるドライなシャルドネだ。
適度な酸味が、スッキリと後味を引き締めてくれる。

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2010年10月01日 (金) | 編集 |
「TSUNAMI-ツナミ-」は世界語である。
地震によって発生する大波を表す名詞を持つ言語は少なく、現在では日本語を語源とするこの単語が、ほぼ世界のどこでも使われている。
原題の「해운대(海雲台)」は、韓国第二の大都市、釜山の南東部に広がる臨海リゾート地区。
映画ファンには、東アジア最大の映画祭である釜山国際映画祭の舞台としても有名だろう。
この一大リゾートに、突如として発生したメガ津波が襲い掛かる、というのは典型的なディザスター映画のパターンだが、本作は何と“お笑い”の延長線上にこれを持って来た。
突っ込みどころ満載の設定も含めて、かなりの珍作である。
2004年に発生したスマトラ島沖地震で発生した大津波。
当時、遠洋漁船に乗っていて津波に遭遇したマンシク(ソル・ギョング)は、自らの判断ミスで、幼馴染のヨニ(ハ・ジウォン)の父を死なせてしまう。
歳月が経ち、釜山の海雲台に暮らすマンシクとヨニはお互いの事を想っているが、父の死の真相を未だに告白出来ないマンシクは、結婚の申し込みを出来ないでいる。
一方、マンシクの弟でレスキュー隊員のヒョンシク(イ・ミンギ)は、偶然海に落ちたソウルの女子大生ヒミ(カン・イエウォン)を助けたことで、彼女に一目ぼれされてしまう。
その頃、津波の発生メカニズムを研究しているキム博士(パク・ジュンフン)は、釜山沖の海底で地殻の異常を感知。
日本で巨大地震が発生し、韓国南部をメガ津波が襲うと予測するが、当局は妄想だと取り合わない。
だが、釜山で大規模な国際会議が開かれる当日、海峡を隔てて目と鼻の先にある対馬が巨大地震で沈没し、発生したメガ津波が釜山に迫る。
釜山市民100万人に、残された時間は僅かに10分・・・。
本来、韓国は津波とはあまり縁が無い国だ。
太平洋で発生する津波は、日本列島という防壁に阻まれて、韓国までは届かない。
そこで、この映画は、隣の地震大国日本に目をつけた。
何と、釜山から僅か50キロ程度の距離にある、対馬の西海岸が巨大地震で沈没、発生した高さ100メートル、時速800キロのメガ津波が海雲台を襲うのである。
ぶっちゃけ、設定は突っ込みどころ満載だ。
いや、いきなり隣国の一部を沈没させてしまうのもびっくりだが、対馬が沈むほどの巨大地震があったら、津波以前に釜山も地震の揺れでかなりの被害を受けるんじゃないだろうか。
それなのに、津波が到達するまで街は何事も無かったかのような平和な風景。
一人、メガ津波発生を予測しているキム博士だけが焦りまくっているが、どうやらたった50キロ先の巨大地震に、釜山の地震計はピクリとも反応しなかったようだ。
そう言えば、このキム博士の研究室のモニターに映っている日本列島の地図は、何だか半分くらい沈没した様な妙な形をしていたが、もしかしてこれは平成版「日本沈没」の続編なのか(笑
映画の前半一時間は、海底の不気味な胎動など露知らぬ、海雲台に暮らす人々の日常を描いてゆく。
嘗てスマトラ島沖地震の津波に遭遇した経験を持つマンシクと幼馴染のヨニ、レスキュー隊員のヒョンシクとソウルの女子大生ヒミのそれぞれの恋。
海雲台地区の開発計画を巡る住人達の葛藤に、キム博士と別れた妻子との家族の物語。
登場人物に血縁関係がやたら多いのが気になるが、大災害の前の人間ドラマという構成自体はディザスター映画の王道と言って良い。
だが、この映画の場合、人間ドラマは普通のシリアスなドラマではなく、まるで橋田壽賀子ドラマをもっとコテコテにした様な、お笑いに満ちているのである。
ディザスター映画とギャグのコラボ・・・これは新しい(笑
コミックリリーフとして大活躍するのが、ダメ人間のトンチュンを演じた名バイブレイヤーのキム・イングォン。
ちょっと千原兄弟の兄に似てるが、ある意味主役のソル・ギョングよりも目立っていた。
母親とのエピソードでちょっと泣かせて、最期には人名救助で賞まで貰っていたし(笑
もったいないのは、前半の殆どを占める人間ドラマが、大災害の予兆と上手く絡んでこない事。
一度キム博士が海洋調査をする描写があるにはあるが、後は海底の亀裂を繰り返し見せる程度なので、市井の人々の生活に、予想だにしない運命が迫っている切迫感が無い。
前半と津波が襲来してからの後半が完全に分断され、有機的に結びつかないのである。
それでも、いざメガ津波が発生すると、「パーフェクトストーム」や「デイ・アフター・トゥモロー」など、水物を得意とするハンス・ウーリックの手がけたビジュアルはさすがに見応え十分。
圧倒的な水の壁によるダイナミックな都市破壊の他、切れた電線が水中の人々を感電死させるなど、スマトラ島沖地震の津波で、実際に起こった状況を取り入れた描写は説得力がある。
釜山には私も行ったことがあるので、知っている街が人知を越えた力でぶっ壊れて行く様というのはやはり面白いものである。
この一連のシークエンスは、実際の破壊描写が殆どなく、災害絵葉書みたいだった「日本沈没」や、本作と似たシチュエーションながら、予算の都合か描写が新橋地下限定だった「252 生存者あり」よりずっとスケールが大きくてスリリングだ。
また、ここに至ってもアクセントにお笑いを忘れないのも特徴で、トンチュンが橋の上で落下するコンテナから逃げ回る描写など、まるでワーナーのカートゥーンの様。
だが、映画を俯瞰すると、やはり細部の荒さが目に付く。
まあ設定に色々と疑問があるのは前記した通りだが、決定的だったのは、でっかいことは良いことだとばかりに、ダメ押しで更に巨大な第二派津波を出現させてしまった事。
これでギリギリ残っていたリアリティが消し飛んでしまった。
ありゃどう見ても100万人全員死亡だろう。
ビルの屋上にいた人々が死んでるのに、低地で電柱にしがみ付いて息も絶え絶えだったマンシクやヨニは一体どうやって生き残ったのか。
ユン・ジェギン監督は脚本に二年かけたらしいが、正直とても信じられない。
VFXによる都市破壊は迫力があるし、人間ドラマも部分的には良く出来たエピソードもあるだけに、もうちょと全体構成を吟味して、細部を洗練させるべきだった。
或いは、アクセントとしてではなく、災害描写を含めた全体をコメディとして作ったら、全く新しいタイプの映画になっていたかも知れないが。
個人的には、そっちの方向性にこそ、韓国製パニック・ディザスター映画の未知の領域があるような気がしてる(笑
今回は、映画の中でも飲まれていた釜山の焼酎「C1」をチョイス。
釜山市内に本拠を置くデソン酒造が1996年に発売した焼酎で、「C1」とは「Clean No.1」の略。
韓国は地域ごとに好まれる焼酎銘柄が決まっており、釜山の店に行くと大体このC1が出てくる。
製造段階で特殊な振動を加えて、酒を柔らかくするという独特の製法で知られており、確かにチャミスルなどと比べてもマイルドな印象。
海雲台の海鮮屋台で、タコ刺しなどを辛子醤油で食しながら、これを飲むと(゚Д゚)ウマー・・・
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地震によって発生する大波を表す名詞を持つ言語は少なく、現在では日本語を語源とするこの単語が、ほぼ世界のどこでも使われている。
原題の「해운대(海雲台)」は、韓国第二の大都市、釜山の南東部に広がる臨海リゾート地区。
映画ファンには、東アジア最大の映画祭である釜山国際映画祭の舞台としても有名だろう。
この一大リゾートに、突如として発生したメガ津波が襲い掛かる、というのは典型的なディザスター映画のパターンだが、本作は何と“お笑い”の延長線上にこれを持って来た。
突っ込みどころ満載の設定も含めて、かなりの珍作である。
2004年に発生したスマトラ島沖地震で発生した大津波。
当時、遠洋漁船に乗っていて津波に遭遇したマンシク(ソル・ギョング)は、自らの判断ミスで、幼馴染のヨニ(ハ・ジウォン)の父を死なせてしまう。
歳月が経ち、釜山の海雲台に暮らすマンシクとヨニはお互いの事を想っているが、父の死の真相を未だに告白出来ないマンシクは、結婚の申し込みを出来ないでいる。
一方、マンシクの弟でレスキュー隊員のヒョンシク(イ・ミンギ)は、偶然海に落ちたソウルの女子大生ヒミ(カン・イエウォン)を助けたことで、彼女に一目ぼれされてしまう。
その頃、津波の発生メカニズムを研究しているキム博士(パク・ジュンフン)は、釜山沖の海底で地殻の異常を感知。
日本で巨大地震が発生し、韓国南部をメガ津波が襲うと予測するが、当局は妄想だと取り合わない。
だが、釜山で大規模な国際会議が開かれる当日、海峡を隔てて目と鼻の先にある対馬が巨大地震で沈没し、発生したメガ津波が釜山に迫る。
釜山市民100万人に、残された時間は僅かに10分・・・。
本来、韓国は津波とはあまり縁が無い国だ。
太平洋で発生する津波は、日本列島という防壁に阻まれて、韓国までは届かない。
そこで、この映画は、隣の地震大国日本に目をつけた。
何と、釜山から僅か50キロ程度の距離にある、対馬の西海岸が巨大地震で沈没、発生した高さ100メートル、時速800キロのメガ津波が海雲台を襲うのである。
ぶっちゃけ、設定は突っ込みどころ満載だ。
いや、いきなり隣国の一部を沈没させてしまうのもびっくりだが、対馬が沈むほどの巨大地震があったら、津波以前に釜山も地震の揺れでかなりの被害を受けるんじゃないだろうか。
それなのに、津波が到達するまで街は何事も無かったかのような平和な風景。
一人、メガ津波発生を予測しているキム博士だけが焦りまくっているが、どうやらたった50キロ先の巨大地震に、釜山の地震計はピクリとも反応しなかったようだ。
そう言えば、このキム博士の研究室のモニターに映っている日本列島の地図は、何だか半分くらい沈没した様な妙な形をしていたが、もしかしてこれは平成版「日本沈没」の続編なのか(笑
映画の前半一時間は、海底の不気味な胎動など露知らぬ、海雲台に暮らす人々の日常を描いてゆく。
嘗てスマトラ島沖地震の津波に遭遇した経験を持つマンシクと幼馴染のヨニ、レスキュー隊員のヒョンシクとソウルの女子大生ヒミのそれぞれの恋。
海雲台地区の開発計画を巡る住人達の葛藤に、キム博士と別れた妻子との家族の物語。
登場人物に血縁関係がやたら多いのが気になるが、大災害の前の人間ドラマという構成自体はディザスター映画の王道と言って良い。
だが、この映画の場合、人間ドラマは普通のシリアスなドラマではなく、まるで橋田壽賀子ドラマをもっとコテコテにした様な、お笑いに満ちているのである。
ディザスター映画とギャグのコラボ・・・これは新しい(笑
コミックリリーフとして大活躍するのが、ダメ人間のトンチュンを演じた名バイブレイヤーのキム・イングォン。
ちょっと千原兄弟の兄に似てるが、ある意味主役のソル・ギョングよりも目立っていた。
母親とのエピソードでちょっと泣かせて、最期には人名救助で賞まで貰っていたし(笑
もったいないのは、前半の殆どを占める人間ドラマが、大災害の予兆と上手く絡んでこない事。
一度キム博士が海洋調査をする描写があるにはあるが、後は海底の亀裂を繰り返し見せる程度なので、市井の人々の生活に、予想だにしない運命が迫っている切迫感が無い。
前半と津波が襲来してからの後半が完全に分断され、有機的に結びつかないのである。
それでも、いざメガ津波が発生すると、「パーフェクトストーム」や「デイ・アフター・トゥモロー」など、水物を得意とするハンス・ウーリックの手がけたビジュアルはさすがに見応え十分。
圧倒的な水の壁によるダイナミックな都市破壊の他、切れた電線が水中の人々を感電死させるなど、スマトラ島沖地震の津波で、実際に起こった状況を取り入れた描写は説得力がある。
釜山には私も行ったことがあるので、知っている街が人知を越えた力でぶっ壊れて行く様というのはやはり面白いものである。
この一連のシークエンスは、実際の破壊描写が殆どなく、災害絵葉書みたいだった「日本沈没」や、本作と似たシチュエーションながら、予算の都合か描写が新橋地下限定だった「252 生存者あり」よりずっとスケールが大きくてスリリングだ。
また、ここに至ってもアクセントにお笑いを忘れないのも特徴で、トンチュンが橋の上で落下するコンテナから逃げ回る描写など、まるでワーナーのカートゥーンの様。
だが、映画を俯瞰すると、やはり細部の荒さが目に付く。
まあ設定に色々と疑問があるのは前記した通りだが、決定的だったのは、でっかいことは良いことだとばかりに、ダメ押しで更に巨大な第二派津波を出現させてしまった事。
これでギリギリ残っていたリアリティが消し飛んでしまった。
ありゃどう見ても100万人全員死亡だろう。
ビルの屋上にいた人々が死んでるのに、低地で電柱にしがみ付いて息も絶え絶えだったマンシクやヨニは一体どうやって生き残ったのか。
ユン・ジェギン監督は脚本に二年かけたらしいが、正直とても信じられない。
VFXによる都市破壊は迫力があるし、人間ドラマも部分的には良く出来たエピソードもあるだけに、もうちょと全体構成を吟味して、細部を洗練させるべきだった。
或いは、アクセントとしてではなく、災害描写を含めた全体をコメディとして作ったら、全く新しいタイプの映画になっていたかも知れないが。
個人的には、そっちの方向性にこそ、韓国製パニック・ディザスター映画の未知の領域があるような気がしてる(笑
今回は、映画の中でも飲まれていた釜山の焼酎「C1」をチョイス。
釜山市内に本拠を置くデソン酒造が1996年に発売した焼酎で、「C1」とは「Clean No.1」の略。
韓国は地域ごとに好まれる焼酎銘柄が決まっており、釜山の店に行くと大体このC1が出てくる。
製造段階で特殊な振動を加えて、酒を柔らかくするという独特の製法で知られており、確かにチャミスルなどと比べてもマイルドな印象。
海雲台の海鮮屋台で、タコ刺しなどを辛子醤油で食しながら、これを飲むと(゚Д゚)ウマー・・・

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