■ お知らせ
※基本的にネタバレありです。ご注意ください。
※当ブログはリンクフリーです。内容の無断転載はお断りいたします。
※ブログ環境の相性によっては、TB・コメントのお返事が出来ない事があります。ご了承ください
※エロ・グロ・出会い系のTB及びコメントは、削除の上直ちにブログ管理会社に通報させていただきます。 また記事と無関係な物や当方が不適切と判断したTB・コメントも削除いたします。
■TITLE INDEX
※タイトルインディックスを作りました。こちらからご利用ください。
■ ツイッターアカウント※基本的にネタバレありです。ご注意ください。
※当ブログはリンクフリーです。内容の無断転載はお断りいたします。
※ブログ環境の相性によっては、TB・コメントのお返事が出来ない事があります。ご了承ください
※エロ・グロ・出会い系のTB及びコメントは、削除の上直ちにブログ管理会社に通報させていただきます。 また記事と無関係な物や当方が不適切と判断したTB・コメントも削除いたします。
■TITLE INDEX
※タイトルインディックスを作りました。こちらからご利用ください。
※noraneko285でつぶやいてます。ブログで書いてない映画の話なども。
※noraneko285ツイッターでつぶやいた全作品をアーカイブしています。


2010年11月16日 (火) | 編集 |
近年ではすっかり“リビング・デッド”専業になってしまった感のあるジョージ・A・ロメロだが、若い頃は異色のヴァンパイア映画「マーティン」やバイク芸人のロードムービー「ナイトライダーズ」など、結構バラエティに富んだ作品を連発していた。
ブレック・アイズナー監督の「クレイジーズ」は、そんなロメロが1973年に発表したウィルスホラーの先駆的作品、「ザ・クレイジーズ 細菌兵器の恐怖」のリメイク。
今回は、ロメロ自身もエグゼクティブ・プロデューサーとして参加している。
アイオワ州の小さな田舎町、オグデンマーシュ。
保安官のデービッド・ダットン(ティモシー・オリファント)が地元の高校で野球の試合を見ていると、突然酒乱で知られた男が銃を手にグランドにやってくる。
男は説得に耳を貸さず、引き金に指をかけたため、ダットンはやむなく男を射殺。
だが、彼の血中からアルコールは検出されなかった。
やがて、ほかの住人たちにも異変が現れる。
みな肌が青白く、目はうつろになり、手近な凶器を使って周りの者を殺そうとする。
ダットンは、保安官補のラッセル(ジョー・アンダーソン)と調査に乗り出し、一週間前に水源の池に軍の輸送機が墜落していた事を突き止める・・・
最近のリメイク物ホラーは、オリジナルに忠実な作品が多いが、本作は方向性がかなり違う。
軍が極秘に開発したウィルス兵器によって、田舎町の水源が汚染され、脳を侵されて超攻撃的なゾンビもどきになってしまった感染者“クレイジーズ”が出現。
主人公たちが、隠蔽のために出動した軍とクレイジーズの襲撃から逃れて、街から脱出しようするという大まかな流れは共通だが、物語の視点というか、どの様に事態を捉えるかが大きく異なるのである。
元々ロメロの映画は、その時代の社会の動向を反映させた風刺的な作品が多い。
オリジナルが作られた1973年は、国内では公民権運動と反戦運動の余波で社会が不安定化し、海外ではベトナム戦争の敗北が決定的となり、政治権力への不信と先の見えない未来への不安が渦巻いている時代。
ロメロは、封じ込め作戦の指揮を執る軍人を準主役的なポジションに配置し、市民側の主人公と視点が交錯するような構造にしている。
彼は、民間人を隔離し、場合によっては殺さねばならないという事態を目の当たりにしながら、現場と融通のきかない上層部の板ばさみにあって、右往左往しながら狂気の拡大を防ぐ事が出来ない。
要するに、パニックに陥っているのは街の住人だけではなく軍も同じで、ここではヒーローは存在せず、誰も解決策を示してくれないのである。
劇中で「狂った世界で、誰が狂人か見分けられるのか?」という印象的な台詞が出てくるが、カオスが支配する世界の中で、誰も信用できないという不安感がどんどんと増幅してゆく心理パニック映画であった。
作品としての完成度は、それほど高いとは言えないが、今観ても1973年の時代の空気が伝わってくるロメロらしい作品だ。
対して、リメイク版はずっとシンプル。
視点は主人公である保安官にほぼ固定されており、彼らが軍とクレイジーズ双方からサバイバルするというわかりやすいホラーである。
そして観客を怖がらせるという点では、本作はかなり上質な仕上がりだ。
アイズナーは、古今東西のホラー映画をよく研究しており、単に残酷な描写をどぎつく見せるというよりは、思わせぶりな映像や不気味な音響を効果的に使い、恐怖のイメージを高めてゆくあたり実に上手い。
クレイジーズとなった男が、獲物を求めて引き摺る農業用のピッチフォークが立てる耳障りな金属音や、納屋で無人のまま回り続ける巨大なハーベスターといった視覚装置は、観客の不安を掻き立て、その後に訪れる真の恐怖には思わず悲鳴を上げそうになる。
クレイジーズは、ゾンビのように知性を失ってしまう訳ではなく、正気の時の記憶をもったまま攻撃的になるので、襲撃のシチュエーションもワンパターンではない。
葬儀家は葬儀家らしく、ハンターはハンターらしく襲ってくるので、彼らとの対決もそれぞれに工夫されていて飽きさせない。
また軍も今回は顔の見える人間としての側面が殆ど描かれず、ラストのオチも含めクレイジーズ以上の豪快な狂いっぷり、鬼畜っぷりで、主人公たちは正に前門の軍と後門のクレイジーズという恐怖でサンドイッチされている状態だ。
ダットンが事件の原因を突き止める件に、ややご都合主義を感じさせるものの、ロジカルに組み立てられたプロットは無駄が無く、必要最小限の数に絞り込まれたキャラクター造形も、類型的ではあるが悪くない。
恐怖映画としての完成度は、オリジナルを超えていると言っても良いだろう。
ただ、洗練されているからと言って、観終わった時の印象が強いかと言えば、そうでもない。
理由は簡単で、アイズナーは観客を怖がらせる事には成功しているものの、ロメロと違って何故2010年にこの映画を作らねばならないのかという点を物語に反映させていないからである。
もちろん、別にそんなものが無くても映画として成立はしているのだが、鮮烈に時代を描写したオリジナルが存在する以上、どうしても比べられるのはリメイク作の宿命だろう。
それにしても、今改めてオリジナルを眺めてみると、70年代と2010年代の社会が抱える不安感にある程度の共通性を見出せるのには驚く。
もしもアイズナーが二つの時代の接点を見出し、それを映画に表現する事ができていれば、本作は時代を象徴する恐怖のアイコンとなりえたかもしれない。
今回はウィルスで狂ってしまった人々の映画だったが、人を狂わせるには酒で十分である。
一発で酔いつぶれる酒「ボイラー・メイカー」をチョイス。
グラスにビールを注ぎ、そこにショットグラスに入れたバーボンを沈めるだけ。
一説には、ボイラー建設の作業員が発案したとも言われるが、同様の飲み方は世界中にあり、良く知られているところでは韓国の爆弾酒がある。
まあ、悪酔い必至の酒なので、ほどほどが宜しい。
記事が気に入ったらクリックしてね

こちらもお願い
ブレック・アイズナー監督の「クレイジーズ」は、そんなロメロが1973年に発表したウィルスホラーの先駆的作品、「ザ・クレイジーズ 細菌兵器の恐怖」のリメイク。
今回は、ロメロ自身もエグゼクティブ・プロデューサーとして参加している。
アイオワ州の小さな田舎町、オグデンマーシュ。
保安官のデービッド・ダットン(ティモシー・オリファント)が地元の高校で野球の試合を見ていると、突然酒乱で知られた男が銃を手にグランドにやってくる。
男は説得に耳を貸さず、引き金に指をかけたため、ダットンはやむなく男を射殺。
だが、彼の血中からアルコールは検出されなかった。
やがて、ほかの住人たちにも異変が現れる。
みな肌が青白く、目はうつろになり、手近な凶器を使って周りの者を殺そうとする。
ダットンは、保安官補のラッセル(ジョー・アンダーソン)と調査に乗り出し、一週間前に水源の池に軍の輸送機が墜落していた事を突き止める・・・
最近のリメイク物ホラーは、オリジナルに忠実な作品が多いが、本作は方向性がかなり違う。
軍が極秘に開発したウィルス兵器によって、田舎町の水源が汚染され、脳を侵されて超攻撃的なゾンビもどきになってしまった感染者“クレイジーズ”が出現。
主人公たちが、隠蔽のために出動した軍とクレイジーズの襲撃から逃れて、街から脱出しようするという大まかな流れは共通だが、物語の視点というか、どの様に事態を捉えるかが大きく異なるのである。
元々ロメロの映画は、その時代の社会の動向を反映させた風刺的な作品が多い。
オリジナルが作られた1973年は、国内では公民権運動と反戦運動の余波で社会が不安定化し、海外ではベトナム戦争の敗北が決定的となり、政治権力への不信と先の見えない未来への不安が渦巻いている時代。
ロメロは、封じ込め作戦の指揮を執る軍人を準主役的なポジションに配置し、市民側の主人公と視点が交錯するような構造にしている。
彼は、民間人を隔離し、場合によっては殺さねばならないという事態を目の当たりにしながら、現場と融通のきかない上層部の板ばさみにあって、右往左往しながら狂気の拡大を防ぐ事が出来ない。
要するに、パニックに陥っているのは街の住人だけではなく軍も同じで、ここではヒーローは存在せず、誰も解決策を示してくれないのである。
劇中で「狂った世界で、誰が狂人か見分けられるのか?」という印象的な台詞が出てくるが、カオスが支配する世界の中で、誰も信用できないという不安感がどんどんと増幅してゆく心理パニック映画であった。
作品としての完成度は、それほど高いとは言えないが、今観ても1973年の時代の空気が伝わってくるロメロらしい作品だ。
対して、リメイク版はずっとシンプル。
視点は主人公である保安官にほぼ固定されており、彼らが軍とクレイジーズ双方からサバイバルするというわかりやすいホラーである。
そして観客を怖がらせるという点では、本作はかなり上質な仕上がりだ。
アイズナーは、古今東西のホラー映画をよく研究しており、単に残酷な描写をどぎつく見せるというよりは、思わせぶりな映像や不気味な音響を効果的に使い、恐怖のイメージを高めてゆくあたり実に上手い。
クレイジーズとなった男が、獲物を求めて引き摺る農業用のピッチフォークが立てる耳障りな金属音や、納屋で無人のまま回り続ける巨大なハーベスターといった視覚装置は、観客の不安を掻き立て、その後に訪れる真の恐怖には思わず悲鳴を上げそうになる。
クレイジーズは、ゾンビのように知性を失ってしまう訳ではなく、正気の時の記憶をもったまま攻撃的になるので、襲撃のシチュエーションもワンパターンではない。
葬儀家は葬儀家らしく、ハンターはハンターらしく襲ってくるので、彼らとの対決もそれぞれに工夫されていて飽きさせない。
また軍も今回は顔の見える人間としての側面が殆ど描かれず、ラストのオチも含めクレイジーズ以上の豪快な狂いっぷり、鬼畜っぷりで、主人公たちは正に前門の軍と後門のクレイジーズという恐怖でサンドイッチされている状態だ。
ダットンが事件の原因を突き止める件に、ややご都合主義を感じさせるものの、ロジカルに組み立てられたプロットは無駄が無く、必要最小限の数に絞り込まれたキャラクター造形も、類型的ではあるが悪くない。
恐怖映画としての完成度は、オリジナルを超えていると言っても良いだろう。
ただ、洗練されているからと言って、観終わった時の印象が強いかと言えば、そうでもない。
理由は簡単で、アイズナーは観客を怖がらせる事には成功しているものの、ロメロと違って何故2010年にこの映画を作らねばならないのかという点を物語に反映させていないからである。
もちろん、別にそんなものが無くても映画として成立はしているのだが、鮮烈に時代を描写したオリジナルが存在する以上、どうしても比べられるのはリメイク作の宿命だろう。
それにしても、今改めてオリジナルを眺めてみると、70年代と2010年代の社会が抱える不安感にある程度の共通性を見出せるのには驚く。
もしもアイズナーが二つの時代の接点を見出し、それを映画に表現する事ができていれば、本作は時代を象徴する恐怖のアイコンとなりえたかもしれない。
今回はウィルスで狂ってしまった人々の映画だったが、人を狂わせるには酒で十分である。
一発で酔いつぶれる酒「ボイラー・メイカー」をチョイス。
グラスにビールを注ぎ、そこにショットグラスに入れたバーボンを沈めるだけ。
一説には、ボイラー建設の作業員が発案したとも言われるが、同様の飲み方は世界中にあり、良く知られているところでは韓国の爆弾酒がある。
まあ、悪酔い必至の酒なので、ほどほどが宜しい。

記事が気に入ったらクリックしてね

こちらもお願い
![]() フォアローゼズ ブラック 700ml (バーボンウイスキー) 【あす楽対応_関東】【あす楽対応_近畿】... 価格:2,830円(税込、送料別) |
スポンサーサイト
| ホーム |