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2010年12月04日 (土) | 編集 |
ザ・ニッポンのSF!
アニメ史上のエポックであり、今なお絶大な知名度を誇る、「宇宙戦艦ヤマト」が遂に実写映画化。
昨年、制作が発表された時は、半分ネタ映画だと思ったし、ぶっちゃけたところ、あまり期待していなかった。
が・・・・正直スマン。
山崎貴監督初めとしたスタッフ、そして木村拓哉らキャストたちは、現代的な映像センスにプラスして、オリジナルへの大いなるリスペクトを感じさせる、堂々たる大作を作り上げた。
突っ込みどころは多々あれど、これは思ったよりずっと良く出来ており、全体の印象としては驚くほどアニメ版に忠実だ
西暦2199年。
侵略者ガミラスの遊星爆弾によって、地球は放射能に汚染された死の星となりつつある。
頼みの綱の地球防衛軍も壊滅し、人々は地下に潜んで細々と生きながらえながら、滅びの時を待っている。
そんなある日、14万8千光年彼方の大マゼラン星雲にあるイスカンダル星から、恒星間飛行を可能にする波動エンジンの設計図が届けられる。
イスカンダルの持つ放射能除去装置は、人類最後の希望。
元防衛軍のパイロットだった古代進(木村拓哉)は、イスカンダルへ向う地球最後の宇宙戦艦、ヤマトへの乗艦を志願する。
艦長の沖田(山崎務)は、嘗て古代の兄を見殺しにした男だったが、なぜか古代を自分の右腕である戦闘班長に任命する・・・。
60年代生まれの私は、所謂ヤマト世代である。
オリジナルが登場した1974年は、「マジンガーZ」以降の巨大ロボット物の全盛期。
猫も杓子もロボット物を作っていた時代にあって、「宇宙戦艦ヤマト」は相当に型破りな異色作であった。
ロボットは登場せず、一年間に渡って宇宙を旅するロードムービーであり、若者たちの成長を描いた青春群像劇という、過去に例の無いタイプの作品である。
案の定、1974年の初放送時には、全くヒットせずに消えていったのだが、放送終了後にファンクラブなどを通じて口コミで評判が広がり、やがてそれは再放送を求める全国規模の署名活動へと繋がって行く。
そして実現した再放送によって人気に火がつき、77年の劇場版の大ヒットと、シリーズの続行へと繋がって行くのであるが、これは日本アニメ史上、ファンのアクティブな活動が作り手側を動かした、最初のムーブメントであると言って良い。
その意味で、オリジナルの出現は、日本独自のオタク文化が発達する契機となる“事件”であった。
また、歴史に名を残す多くの作品がそうであるように、これもまた時代が呼んだ作品とも言える。
当時は、アメリカに追いつき追い越せと突き進んだ高度成長期が終わりを告げ、日本が豊かさと自信を取り戻した時代である。
何しろ、太平洋戦争で撃沈された日本海軍の象徴が、核で汚染された地球から不死鳥の様に蘇り、全人類を救うために旅立つという、極めて比喩的な物語だ。
多分に民族主義的な色彩と共に、サブカルチャーの分野から“ジャパン・アズ・ナンバー・ワン”を最初に具現化した作品であったと言えるだろう。
それでは、2010年に再び船出する、新たなるヤマトが体言する価値観とは何なのか?
山崎貴監督は、それを“先の見えない時代の希望と挑戦”と位置づけている様に見える。
実は今回、イスカンダルから送られてくる通信カプセルは、アニメとは異なり、ある重要な情報が欠落しているのだ。
また敵であるガミラスの正体も目的も不明のまま、戦い続けているという設定である。
故に、ヤマトは何の保障も確証もなく、五里霧中のまま旅立たねばならなくなる。
それでも、行動が無ければ滅びを待つのみという状況の中、人類は僅かな希望を自ら見出し、生き残るための挑戦としてヤマトを発進させるのである。
なるほど、オリジナルが生まれた36年前とは異なり、八方塞の閉塞感に苛まれる、21世紀の日本人へのメッセージとして、このテーマ性は意味があると思う。
物語的には、アニメの1と2を組み合わせて、上手い具合に一本に纏め上げたという感じである。
大きな相違点は、主人公の古代進を初めとするメインキャラクターが、18歳の学生から30代の歴戦の戦士に変更されている事だ。
これは実際に演じる俳優に合わせたという点と、さすがに実写で子供の様な若者が主人公では嘘臭くなるからだろう。
また、森雪が生活班長ではなく、ブラックタイガー隊のトップガンだったり、大酒飲みの佐渡先生や通信士の相原ら、元は男性だったキャラクターが女性になっていたりする。
いまや現実世界でも護衛艦に女性が乗っているので、これもまた時代に合わせた変化と言えるだろう。
そして、キャストたちは、意外なほどキャラクターに嵌っている。
古代進を演じる木村拓哉は、やっぱりいつものキムタクなのだが、見ているうちにこれはこれで古代像としてアリだと思えてくる。
何しろ、あのアニメチックなコスチュームを、上下の色を変えただけで格好良く着こなしてしまうのだから、やはりスターオーラは絶大だ。
男らしい女戦士になった黒木メイサの森雪や、柳葉敏郎の真田さんも悪くない。
そして、後半の出番の少なさが残念だが、沖田艦長を演じる山崎務が、さすがの説得力を持って作品の要石となっているのである。
オリジナルファンにとって一番残念なのは、古代以上の人気キャラクターである、デスラー総統閣下が実体として登場しない事かもしれない。
今回のガミラスは、イスカンダルと表裏一体の、ある種の精神生命という設定になっている。
故に全と個の区別は無く、必要な時にはコンピューターの端末の様に、ロボットの体を操り、場合によっては人間に憑依する事もある。
もっとも、この設定自体は新しいものではない。
確かオリジナルの企画段階で、豊田有恒が提唱したアイディアだったと思うが、イスカンダルのスターシャは惑星を管理するコンピューター生命で、防衛プログラムの一部が暴走したのがガミラスだという設定があり、実際に当時朝日ソノラマから出ていたノベライズ版では、こちらの案が採用されていた。
本作の精神生命という設定は、これを現代的に再解釈したものだろう。
まあ、最後にはあの青いお姿もさわり程度にチラリ見せしてくれるし、何しろ声が伊武雅刀なので、ヤマト世代としては脳内で総統閣下に変換するのは容易なのだけど(笑
ちなみに、石津嵐によるノベライズ版は、古代守がキャプテン・ハーロックになっていたり、アニメとは全く異なるトンデモ展開が楽しめる珍品である。
宇宙SFのキモであるビジュアルに関しては、予想以上の仕上がりと言っていい。
CGで描かれるヤマトの戦いは、多分に「SW」や「ギャラクティカ」あたりの影響を見せつつも、ハリウッド映画にそれほど遜色を感じさせない。
お金や時間の条件というエクスキューズを考えなくても、VFXの白組は世界レベルの素晴らしい仕事をしている。
メカデザインはアニメのデザインを踏襲しながらも、細部をリファインするというギャラクティカ式で、これは基本的に成功だろう。
ヤマトは誰が見てもヤマトだけど、全体のイメージとしてはモダンな雰囲気になっている。
戦艦の砲撃に先行して、艦載機がターゲットにデジタルマーキングしてゆくあたりも面白いし、ワープに備えてミサイルを固定するなどの描写も細やか。
最初はワープにビビって乗組員が、最後には慣れて平然と食事していたりする日常描写もリアリティを高めるのには効果的で、ディテールの充実振りは特筆に価する。
SFを絵空事に感じさせないためには、とにかく細部の描きこみが命だが、ビジュアル畑出身の山崎監督は、さすがにその事を良く知っている。
本作の冒頭が、アニメ版と全く同じ様に地球艦隊とガミラス艦隊の決戦から始まり、戦いの展開もほぼ同様である事からもわかるように、物語りもビジュアルも、アニメ版をベースに実写ならではのリアリズムを付加しつつ、再現するというスタンスで全編が貫かれている。
ガミラスの巨大ミサイルを撃破したヤマトが、巨大なきのこ雲の中から悠々と姿を現すシーンを初め、伝説的な名シーンが、次々に実写化されてゆくのである。
特に戦いのなかで散って行く、各キャラクターの最期は、明らかに狙って台詞やアングルまで全く忠実に再現しているので、ファンは脳内でオリジナルの記憶が蘇るという寸法だ。
山崎監督も脚本の佐藤嗣麻子も1964年生まれの、バリバリのヤマト世代ど真ん中。
演出としては相当にあざといやり方だが、この世代に向けた作品と考えれば、思い出との相乗効果で泣けてくるのも確かだ。
ただ、これは諸刃の剣でもある。
あくまでも先にアニメ版ありきで、アニメ版のファンのための実写という作りのために、オリジナルを全く知らない人には、印象が大きく異なると思われる。
どこに作品のプライオリティを置くかという問題でもあるが、ある意味で観客を選ぶ手法で作られている事は確かだろう。
まあ、そのあたりを含めて、アニメの延長線上にある実写リメイクとしては、本作は良く出来ている。
ただ、26話のテレビシリーズにプラスして、「さらば宇宙戦艦ヤマト」までもミックスした上で、設定変更を行って纏め上げているので、ある程度ダイジェスト感が出てしまっており、それがドラマの希薄さに繋がっているのは否めない。
特に、古代がいきなり森雪にキスして押し倒すという恋愛モードは、かなり唐突な印象が強い。
例えば二人の関係を、元恋人同士で古代の除隊で別れたと設定しておけば、何の違和感も無かったはず。
古代と雪の恋愛感情は、物語後半のキーであるだけに、ここはもう少し考えて欲しかった。
もう一点、残念なのは、山崎監督がどうも生身の人間のアクションを苦手としている事だ。
この事は、前作の「BALLAD 名もなき恋のうた」でも露見していたのだが、CGメカの戦いは水を得た魚の様に生き生きと演出しているのに、後半イスカンダルに着陸しての白兵戦になると、途端にグダグダになってしまう。
もっとも、ここはアナライザーがまさかの大活躍をするサプライズで、ある程度救ってくれているのだが、真田さんと斉藤の名シーンが、イマイチ盛り上がりに欠けたまま終わってしまったのは、少し残念だった。
ぶっちゃけ、世代的な贔屓目があるのは確実だが、「宇宙戦艦ヤマト」改め「SPACE BATTLESHIP ヤマト」は、思っていたよりもずっと楽しる作品だった。
次なる“希望と挑戦”に繋げるためにも、本作には是非ともヒットしてもらいたい。
日本の劇場用実写作品で本格的な宇宙SFが作られるのは、大コケした「さよならジュピター」以来実に26年ぶりだ。
いや、世界中を見回しても、これ程のスケールの宇宙SFはハリウッド映画以外に殆ど存在していないのが実情なのである。
アメリカ人だけじゃなくて、“ニッポン人だって世界を救う!”今の時代だからこそ、そんな傲慢な物語も、あえて肯定したくなる。
だって、SF映画は夢そのものなのだからさ。
今回は、ホンモノの戦艦大和に積まれていたという日本酒「加茂鶴」の純米を。
ちなみに、海軍の飲酒文化というのはお国柄があるようで、英国海軍は紳士のたしなみとしてある程度OKらしいが、アメリカ海軍はNGなのだとか。
英国をモデルとした戦前の日本海軍は飲酒に比較的寛容だったそうだが、戦後の海上自衛隊はアメリカ式なので、今は飲めないらしい。
のんべえの佐渡先生は実在不可能という事で、残念!
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アニメ史上のエポックであり、今なお絶大な知名度を誇る、「宇宙戦艦ヤマト」が遂に実写映画化。
昨年、制作が発表された時は、半分ネタ映画だと思ったし、ぶっちゃけたところ、あまり期待していなかった。
が・・・・正直スマン。
山崎貴監督初めとしたスタッフ、そして木村拓哉らキャストたちは、現代的な映像センスにプラスして、オリジナルへの大いなるリスペクトを感じさせる、堂々たる大作を作り上げた。
突っ込みどころは多々あれど、これは思ったよりずっと良く出来ており、全体の印象としては驚くほどアニメ版に忠実だ
西暦2199年。
侵略者ガミラスの遊星爆弾によって、地球は放射能に汚染された死の星となりつつある。
頼みの綱の地球防衛軍も壊滅し、人々は地下に潜んで細々と生きながらえながら、滅びの時を待っている。
そんなある日、14万8千光年彼方の大マゼラン星雲にあるイスカンダル星から、恒星間飛行を可能にする波動エンジンの設計図が届けられる。
イスカンダルの持つ放射能除去装置は、人類最後の希望。
元防衛軍のパイロットだった古代進(木村拓哉)は、イスカンダルへ向う地球最後の宇宙戦艦、ヤマトへの乗艦を志願する。
艦長の沖田(山崎務)は、嘗て古代の兄を見殺しにした男だったが、なぜか古代を自分の右腕である戦闘班長に任命する・・・。
60年代生まれの私は、所謂ヤマト世代である。
オリジナルが登場した1974年は、「マジンガーZ」以降の巨大ロボット物の全盛期。
猫も杓子もロボット物を作っていた時代にあって、「宇宙戦艦ヤマト」は相当に型破りな異色作であった。
ロボットは登場せず、一年間に渡って宇宙を旅するロードムービーであり、若者たちの成長を描いた青春群像劇という、過去に例の無いタイプの作品である。
案の定、1974年の初放送時には、全くヒットせずに消えていったのだが、放送終了後にファンクラブなどを通じて口コミで評判が広がり、やがてそれは再放送を求める全国規模の署名活動へと繋がって行く。
そして実現した再放送によって人気に火がつき、77年の劇場版の大ヒットと、シリーズの続行へと繋がって行くのであるが、これは日本アニメ史上、ファンのアクティブな活動が作り手側を動かした、最初のムーブメントであると言って良い。
その意味で、オリジナルの出現は、日本独自のオタク文化が発達する契機となる“事件”であった。
また、歴史に名を残す多くの作品がそうであるように、これもまた時代が呼んだ作品とも言える。
当時は、アメリカに追いつき追い越せと突き進んだ高度成長期が終わりを告げ、日本が豊かさと自信を取り戻した時代である。
何しろ、太平洋戦争で撃沈された日本海軍の象徴が、核で汚染された地球から不死鳥の様に蘇り、全人類を救うために旅立つという、極めて比喩的な物語だ。
多分に民族主義的な色彩と共に、サブカルチャーの分野から“ジャパン・アズ・ナンバー・ワン”を最初に具現化した作品であったと言えるだろう。
それでは、2010年に再び船出する、新たなるヤマトが体言する価値観とは何なのか?
山崎貴監督は、それを“先の見えない時代の希望と挑戦”と位置づけている様に見える。
実は今回、イスカンダルから送られてくる通信カプセルは、アニメとは異なり、ある重要な情報が欠落しているのだ。
また敵であるガミラスの正体も目的も不明のまま、戦い続けているという設定である。
故に、ヤマトは何の保障も確証もなく、五里霧中のまま旅立たねばならなくなる。
それでも、行動が無ければ滅びを待つのみという状況の中、人類は僅かな希望を自ら見出し、生き残るための挑戦としてヤマトを発進させるのである。
なるほど、オリジナルが生まれた36年前とは異なり、八方塞の閉塞感に苛まれる、21世紀の日本人へのメッセージとして、このテーマ性は意味があると思う。
物語的には、アニメの1と2を組み合わせて、上手い具合に一本に纏め上げたという感じである。
大きな相違点は、主人公の古代進を初めとするメインキャラクターが、18歳の学生から30代の歴戦の戦士に変更されている事だ。
これは実際に演じる俳優に合わせたという点と、さすがに実写で子供の様な若者が主人公では嘘臭くなるからだろう。
また、森雪が生活班長ではなく、ブラックタイガー隊のトップガンだったり、大酒飲みの佐渡先生や通信士の相原ら、元は男性だったキャラクターが女性になっていたりする。
いまや現実世界でも護衛艦に女性が乗っているので、これもまた時代に合わせた変化と言えるだろう。
そして、キャストたちは、意外なほどキャラクターに嵌っている。
古代進を演じる木村拓哉は、やっぱりいつものキムタクなのだが、見ているうちにこれはこれで古代像としてアリだと思えてくる。
何しろ、あのアニメチックなコスチュームを、上下の色を変えただけで格好良く着こなしてしまうのだから、やはりスターオーラは絶大だ。
男らしい女戦士になった黒木メイサの森雪や、柳葉敏郎の真田さんも悪くない。
そして、後半の出番の少なさが残念だが、沖田艦長を演じる山崎務が、さすがの説得力を持って作品の要石となっているのである。
オリジナルファンにとって一番残念なのは、古代以上の人気キャラクターである、デスラー総統閣下が実体として登場しない事かもしれない。
今回のガミラスは、イスカンダルと表裏一体の、ある種の精神生命という設定になっている。
故に全と個の区別は無く、必要な時にはコンピューターの端末の様に、ロボットの体を操り、場合によっては人間に憑依する事もある。
もっとも、この設定自体は新しいものではない。
確かオリジナルの企画段階で、豊田有恒が提唱したアイディアだったと思うが、イスカンダルのスターシャは惑星を管理するコンピューター生命で、防衛プログラムの一部が暴走したのがガミラスだという設定があり、実際に当時朝日ソノラマから出ていたノベライズ版では、こちらの案が採用されていた。
本作の精神生命という設定は、これを現代的に再解釈したものだろう。
まあ、最後にはあの青いお姿もさわり程度にチラリ見せしてくれるし、何しろ声が伊武雅刀なので、ヤマト世代としては脳内で総統閣下に変換するのは容易なのだけど(笑
ちなみに、石津嵐によるノベライズ版は、古代守がキャプテン・ハーロックになっていたり、アニメとは全く異なるトンデモ展開が楽しめる珍品である。
宇宙SFのキモであるビジュアルに関しては、予想以上の仕上がりと言っていい。
CGで描かれるヤマトの戦いは、多分に「SW」や「ギャラクティカ」あたりの影響を見せつつも、ハリウッド映画にそれほど遜色を感じさせない。
お金や時間の条件というエクスキューズを考えなくても、VFXの白組は世界レベルの素晴らしい仕事をしている。
メカデザインはアニメのデザインを踏襲しながらも、細部をリファインするというギャラクティカ式で、これは基本的に成功だろう。
ヤマトは誰が見てもヤマトだけど、全体のイメージとしてはモダンな雰囲気になっている。
戦艦の砲撃に先行して、艦載機がターゲットにデジタルマーキングしてゆくあたりも面白いし、ワープに備えてミサイルを固定するなどの描写も細やか。
最初はワープにビビって乗組員が、最後には慣れて平然と食事していたりする日常描写もリアリティを高めるのには効果的で、ディテールの充実振りは特筆に価する。
SFを絵空事に感じさせないためには、とにかく細部の描きこみが命だが、ビジュアル畑出身の山崎監督は、さすがにその事を良く知っている。
本作の冒頭が、アニメ版と全く同じ様に地球艦隊とガミラス艦隊の決戦から始まり、戦いの展開もほぼ同様である事からもわかるように、物語りもビジュアルも、アニメ版をベースに実写ならではのリアリズムを付加しつつ、再現するというスタンスで全編が貫かれている。
ガミラスの巨大ミサイルを撃破したヤマトが、巨大なきのこ雲の中から悠々と姿を現すシーンを初め、伝説的な名シーンが、次々に実写化されてゆくのである。
特に戦いのなかで散って行く、各キャラクターの最期は、明らかに狙って台詞やアングルまで全く忠実に再現しているので、ファンは脳内でオリジナルの記憶が蘇るという寸法だ。
山崎監督も脚本の佐藤嗣麻子も1964年生まれの、バリバリのヤマト世代ど真ん中。
演出としては相当にあざといやり方だが、この世代に向けた作品と考えれば、思い出との相乗効果で泣けてくるのも確かだ。
ただ、これは諸刃の剣でもある。
あくまでも先にアニメ版ありきで、アニメ版のファンのための実写という作りのために、オリジナルを全く知らない人には、印象が大きく異なると思われる。
どこに作品のプライオリティを置くかという問題でもあるが、ある意味で観客を選ぶ手法で作られている事は確かだろう。
まあ、そのあたりを含めて、アニメの延長線上にある実写リメイクとしては、本作は良く出来ている。
ただ、26話のテレビシリーズにプラスして、「さらば宇宙戦艦ヤマト」までもミックスした上で、設定変更を行って纏め上げているので、ある程度ダイジェスト感が出てしまっており、それがドラマの希薄さに繋がっているのは否めない。
特に、古代がいきなり森雪にキスして押し倒すという恋愛モードは、かなり唐突な印象が強い。
例えば二人の関係を、元恋人同士で古代の除隊で別れたと設定しておけば、何の違和感も無かったはず。
古代と雪の恋愛感情は、物語後半のキーであるだけに、ここはもう少し考えて欲しかった。
もう一点、残念なのは、山崎監督がどうも生身の人間のアクションを苦手としている事だ。
この事は、前作の「BALLAD 名もなき恋のうた」でも露見していたのだが、CGメカの戦いは水を得た魚の様に生き生きと演出しているのに、後半イスカンダルに着陸しての白兵戦になると、途端にグダグダになってしまう。
もっとも、ここはアナライザーがまさかの大活躍をするサプライズで、ある程度救ってくれているのだが、真田さんと斉藤の名シーンが、イマイチ盛り上がりに欠けたまま終わってしまったのは、少し残念だった。
ぶっちゃけ、世代的な贔屓目があるのは確実だが、「宇宙戦艦ヤマト」改め「SPACE BATTLESHIP ヤマト」は、思っていたよりもずっと楽しる作品だった。
次なる“希望と挑戦”に繋げるためにも、本作には是非ともヒットしてもらいたい。
日本の劇場用実写作品で本格的な宇宙SFが作られるのは、大コケした「さよならジュピター」以来実に26年ぶりだ。
いや、世界中を見回しても、これ程のスケールの宇宙SFはハリウッド映画以外に殆ど存在していないのが実情なのである。
アメリカ人だけじゃなくて、“ニッポン人だって世界を救う!”今の時代だからこそ、そんな傲慢な物語も、あえて肯定したくなる。
だって、SF映画は夢そのものなのだからさ。
今回は、ホンモノの戦艦大和に積まれていたという日本酒「加茂鶴」の純米を。
ちなみに、海軍の飲酒文化というのはお国柄があるようで、英国海軍は紳士のたしなみとしてある程度OKらしいが、アメリカ海軍はNGなのだとか。
英国をモデルとした戦前の日本海軍は飲酒に比較的寛容だったそうだが、戦後の海上自衛隊はアメリカ式なので、今は飲めないらしい。
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