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2011年02月26日 (土) | 編集 |
幻の映画として知られる、「樺太1945夏 氷雪の門」の153分全長版の上映会に参加した。
よく太平洋戦争を紹介する文章などで、沖縄戦を「日本唯一の地上戦」と紹介している物があるが、それはあくまでも現在の日本領として考えた話で、実際には当時日本領であった多くの土地で戦いがあった。
本作で描かれるのは、太平洋戦争で最後の地上戦が行われた南樺太の物語である。
ソ連と国境を接する、南樺太の真岡。
この街の郵便局には、電話交換手として班長の律子(二木てるみ)ら多くの若い女性たちが務めていた。
広島が新型爆弾で消えたという噂に人々が動揺する中、真岡上空にソ連軍の偵察機が飛来、国境には戦車部隊が集結していた。
そして突然の宣戦布告とともに、南侵を開始するソ連軍。
多くの住民が難民化し大混乱する中、律子たちは人々の生命線である電話を守ろうと、職場にとどまる決意をするのだが・・・
作り手の「これだけは伝えたい、伝えなければならない」という強い意思の伝わってくる力作だ。
映画は、樺太を望む稚内の岬に立つ記念碑、”氷雪の門”の解説からスタートする。
終戦の時点で、南樺太には約四十万人の邦人が住んでおり、彼らは8月9日から始まったソ連軍の侵攻によって故郷の地を永遠に追われ、数千人が命を落とした。
この門は単に北海道の最北端を示す物ではなく、故郷樺太への望郷の門であり、かの地で亡くなった魂を迎える鎮魂の碑なのである。
そして氷雪の門の傍の小さな慰霊碑には、真岡郵便局の電話交換室に最後まで留まり、ソ連軍に包囲されて自決した9人の乙女たちの名が刻まれている。
彼女たちが死を選んだのは、天皇の玉音放送が流れてから5日後の事だ。
物語は、真岡で電話交換手として働く女性たちを中心に、当時樺太にいた軍民の多くの登場人物による群像劇として展開する。
村山三男監督は、前線で絶望的な戦いに挑む兵士、患者を優先して逃げ遅れた病院の看護師、難民をピストン輸送する機関車の運転士、子供を抱えて逃げ惑うしかない母親ら、ごく一般的な樺太の住人たちそれぞれの戦争を丹念に描く。
樺太は国境の島とは言っても、日ソ中立条約があったお陰で戦火に見舞われず、疎開地になっていたほどである。
それだけに、平穏な日常があっという間に破壊され、人々が数日前には予想だにしなかった地獄へと追いやられる描写は痛々しい。
だが、本作は悲劇性をひたすら強調する反戦映画とは一線を画する。
企画者であり、プロデューサーの望月利雄は、当初八木保太郎と松山善三に脚本を発注したが、余りにも反戦的に偏っていたために、改めて金子俊男のノンフィクションを元に、国弘威雄に脚本を依頼し、完成させたという。
そのためか、本作には悲劇の責任を押し付けられる、“憎まれどころ”が登場しない。
まあ見事なまでの鬼畜っぷりを発揮するのはソ連軍だが、彼らはあえて個性の見えない“嵐”の様な存在として描写されているので、所謂悪役とはまた異なる。
それだけに、憎しみをどこにも持ってゆく事ができず、戦争その物の理不尽さ、やるせなさが強調されるのである。
実は、本作を観て連想したのは、過去の戦争映画ではなく、「太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男」だ。
どちらの作品も、日本人がすっかり忘れ去ってしまった、しかし決して忘れてはならない、日本人の戦争を描く歴史秘話であり、日本の戦争映画が陥りがちなイデオロギーの呪縛から解放されている。
映画に描かれているのは、戦争という現実に直面した人々が、個人としていかに振舞ったかという人間性に基づく物語で、彼らそれぞれの生と死というミクロを描く事により、戦争の時代というマクロが見えてくるという構造を持つ。
この作品は1974年に制作され、当初は東宝系劇場での公開が決まっていたものの、当時のソ連モスフィルムの関係者が「内容が反ソ的」と発言した事から、合作企画を抱えていた東宝が撤退し、後に東映洋画系に拾われる形で公開されたが、109分に短縮された上に、全国でわずかに二箇所で二週間限定公開となってしまった。
結果的に当時ほとんど観た者もおらず、ソフト化もされていなかったので、長らく幻の映画となっていた。
ようやく昨年になって、太秦株式会社によって119分の再編集版が36年振りに公開され、限定的ながら今回の153分の全長版上映に繋がったという訳である。
関係者の熱意には、本当に頭が下がる。
今回の上映会には太秦の小林社長と主演の二木てるみさんもゲストとして参加されていたが、それぞれ73年の制作当時と昨年の復活劇の舞台裏を知っている訳で、彼らの言葉もなかなかに興味深かった。
本作が幻の映画となってしまった顛末において、上記した様にしばしばソ連の圧力が槍玉に上がるが、あちら側からみたら不愉快な映画なのは当たり前の話である。
小林社長は、結局のところモスフィルムの一幹部の言葉を大げさに受け止め、自主規制に走ったのは日本の会社であり、本作を抹殺しようとしたのは日本人自身であると語る。
全く持ってその通りだ。
戦う前から揉め事を恐れる、事なかれ主義の産物である自主規制は、芸術に対する自殺行為に他ならない。
これだけの人々が想いを込めた作品が、クレーム一つで歴史から消されそうになる、日本のコンテンツ産業が抱える悪癖の根深さを改めて思い知る。
主人公の律子を演じた二木てるみさんは、制作から36年を経て本作を観た若者たちが、感じるであろうたくさんの「なぜ?」がきっと未来に繋がると語る。
なぜ、律子たちは逃げなかった?なぜ、軍は反撃を禁じたのか?なぜ、ソ連は攻撃をやめなかったのか?そもそも、なぜ、戦争が起こったのか?
本作の場合は余りにも多くの要素を詰め込んだがために、描き切れていない部分も多く、正直なところ作品の完成度という点では一級品とは言い難い。
だが、それゆえに提示できる多くの「なぜ?」は、本作で樺太の戦いという忘れられた戦争を知った人たちの中で、確実に育ってゆくだろう。
今回の上映会は、16ミリフィルムで二回のみという事で、退色が進んでいる上にマスクの関係か一部にトリミングングされた様にキャラが切れてしまっているカットがあるなど、状態はベストとは言えなかったが、どうやらオリジナルネガも発見されているらしく、よりベターなプリントでの再上映の機会もあるかもしれない。
出来れば、今後も多くの人の目に触れるべき作品だと思う。
昨年の再公開時には、当時樺太に住んでいた多くの人々が劇場に詰めかけ、中には実際の律子を知る人までいたという。
戦後既に65年が経過し、ともすれば歴史の一ページとして捉えがちな日本の戦争が、全ての人の中で終わる日は、まだ訪れていないのである。
今回は、北海道を代表する地酒、「男山 純米大吟醸」をチョイス。
淡麗で飲みやすく、それでいて大吟醸らしい芳醇さも十分。
そう言えば、日本酒の評価を著しく貶めた、所謂アル添三倍酒が登場したのも、戦争による米不足がきっかけだった。
高品質な米を高い精米歩合でたっぷり使った大吟醸は、平和な時代の象徴なのかもしれない。
なお、旧作でありプリントも万全の状態でないという事で、評価額は差し控えた。
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よく太平洋戦争を紹介する文章などで、沖縄戦を「日本唯一の地上戦」と紹介している物があるが、それはあくまでも現在の日本領として考えた話で、実際には当時日本領であった多くの土地で戦いがあった。
本作で描かれるのは、太平洋戦争で最後の地上戦が行われた南樺太の物語である。
ソ連と国境を接する、南樺太の真岡。
この街の郵便局には、電話交換手として班長の律子(二木てるみ)ら多くの若い女性たちが務めていた。
広島が新型爆弾で消えたという噂に人々が動揺する中、真岡上空にソ連軍の偵察機が飛来、国境には戦車部隊が集結していた。
そして突然の宣戦布告とともに、南侵を開始するソ連軍。
多くの住民が難民化し大混乱する中、律子たちは人々の生命線である電話を守ろうと、職場にとどまる決意をするのだが・・・
作り手の「これだけは伝えたい、伝えなければならない」という強い意思の伝わってくる力作だ。
映画は、樺太を望む稚内の岬に立つ記念碑、”氷雪の門”の解説からスタートする。
終戦の時点で、南樺太には約四十万人の邦人が住んでおり、彼らは8月9日から始まったソ連軍の侵攻によって故郷の地を永遠に追われ、数千人が命を落とした。
この門は単に北海道の最北端を示す物ではなく、故郷樺太への望郷の門であり、かの地で亡くなった魂を迎える鎮魂の碑なのである。
そして氷雪の門の傍の小さな慰霊碑には、真岡郵便局の電話交換室に最後まで留まり、ソ連軍に包囲されて自決した9人の乙女たちの名が刻まれている。
彼女たちが死を選んだのは、天皇の玉音放送が流れてから5日後の事だ。
物語は、真岡で電話交換手として働く女性たちを中心に、当時樺太にいた軍民の多くの登場人物による群像劇として展開する。
村山三男監督は、前線で絶望的な戦いに挑む兵士、患者を優先して逃げ遅れた病院の看護師、難民をピストン輸送する機関車の運転士、子供を抱えて逃げ惑うしかない母親ら、ごく一般的な樺太の住人たちそれぞれの戦争を丹念に描く。
樺太は国境の島とは言っても、日ソ中立条約があったお陰で戦火に見舞われず、疎開地になっていたほどである。
それだけに、平穏な日常があっという間に破壊され、人々が数日前には予想だにしなかった地獄へと追いやられる描写は痛々しい。
だが、本作は悲劇性をひたすら強調する反戦映画とは一線を画する。
企画者であり、プロデューサーの望月利雄は、当初八木保太郎と松山善三に脚本を発注したが、余りにも反戦的に偏っていたために、改めて金子俊男のノンフィクションを元に、国弘威雄に脚本を依頼し、完成させたという。
そのためか、本作には悲劇の責任を押し付けられる、“憎まれどころ”が登場しない。
まあ見事なまでの鬼畜っぷりを発揮するのはソ連軍だが、彼らはあえて個性の見えない“嵐”の様な存在として描写されているので、所謂悪役とはまた異なる。
それだけに、憎しみをどこにも持ってゆく事ができず、戦争その物の理不尽さ、やるせなさが強調されるのである。
実は、本作を観て連想したのは、過去の戦争映画ではなく、「太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男」だ。
どちらの作品も、日本人がすっかり忘れ去ってしまった、しかし決して忘れてはならない、日本人の戦争を描く歴史秘話であり、日本の戦争映画が陥りがちなイデオロギーの呪縛から解放されている。
映画に描かれているのは、戦争という現実に直面した人々が、個人としていかに振舞ったかという人間性に基づく物語で、彼らそれぞれの生と死というミクロを描く事により、戦争の時代というマクロが見えてくるという構造を持つ。
この作品は1974年に制作され、当初は東宝系劇場での公開が決まっていたものの、当時のソ連モスフィルムの関係者が「内容が反ソ的」と発言した事から、合作企画を抱えていた東宝が撤退し、後に東映洋画系に拾われる形で公開されたが、109分に短縮された上に、全国でわずかに二箇所で二週間限定公開となってしまった。
結果的に当時ほとんど観た者もおらず、ソフト化もされていなかったので、長らく幻の映画となっていた。
ようやく昨年になって、太秦株式会社によって119分の再編集版が36年振りに公開され、限定的ながら今回の153分の全長版上映に繋がったという訳である。
関係者の熱意には、本当に頭が下がる。
今回の上映会には太秦の小林社長と主演の二木てるみさんもゲストとして参加されていたが、それぞれ73年の制作当時と昨年の復活劇の舞台裏を知っている訳で、彼らの言葉もなかなかに興味深かった。
本作が幻の映画となってしまった顛末において、上記した様にしばしばソ連の圧力が槍玉に上がるが、あちら側からみたら不愉快な映画なのは当たり前の話である。
小林社長は、結局のところモスフィルムの一幹部の言葉を大げさに受け止め、自主規制に走ったのは日本の会社であり、本作を抹殺しようとしたのは日本人自身であると語る。
全く持ってその通りだ。
戦う前から揉め事を恐れる、事なかれ主義の産物である自主規制は、芸術に対する自殺行為に他ならない。
これだけの人々が想いを込めた作品が、クレーム一つで歴史から消されそうになる、日本のコンテンツ産業が抱える悪癖の根深さを改めて思い知る。
主人公の律子を演じた二木てるみさんは、制作から36年を経て本作を観た若者たちが、感じるであろうたくさんの「なぜ?」がきっと未来に繋がると語る。
なぜ、律子たちは逃げなかった?なぜ、軍は反撃を禁じたのか?なぜ、ソ連は攻撃をやめなかったのか?そもそも、なぜ、戦争が起こったのか?
本作の場合は余りにも多くの要素を詰め込んだがために、描き切れていない部分も多く、正直なところ作品の完成度という点では一級品とは言い難い。
だが、それゆえに提示できる多くの「なぜ?」は、本作で樺太の戦いという忘れられた戦争を知った人たちの中で、確実に育ってゆくだろう。
今回の上映会は、16ミリフィルムで二回のみという事で、退色が進んでいる上にマスクの関係か一部にトリミングングされた様にキャラが切れてしまっているカットがあるなど、状態はベストとは言えなかったが、どうやらオリジナルネガも発見されているらしく、よりベターなプリントでの再上映の機会もあるかもしれない。
出来れば、今後も多くの人の目に触れるべき作品だと思う。
昨年の再公開時には、当時樺太に住んでいた多くの人々が劇場に詰めかけ、中には実際の律子を知る人までいたという。
戦後既に65年が経過し、ともすれば歴史の一ページとして捉えがちな日本の戦争が、全ての人の中で終わる日は、まだ訪れていないのである。
今回は、北海道を代表する地酒、「男山 純米大吟醸」をチョイス。
淡麗で飲みやすく、それでいて大吟醸らしい芳醇さも十分。
そう言えば、日本酒の評価を著しく貶めた、所謂アル添三倍酒が登場したのも、戦争による米不足がきっかけだった。
高品質な米を高い精米歩合でたっぷり使った大吟醸は、平和な時代の象徴なのかもしれない。
なお、旧作でありプリントも万全の状態でないという事で、評価額は差し控えた。

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